2024年7月5日(金)
旅の終え方
今週の書物/
『深夜特急〈第三便〉飛光よ、飛光よ 』
沢木耕太郎著、新潮社、1992年刊
永六輔の『遠くへ行きたい』の「知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい」ではないけれど、知らないところに行きたい、どこか遠くへ行きたいというような気持ちは 誰にでもあるだろう。
年をとり先が見えてきたせいか、最近やたらと旅をしている。旅先で何とも言えない情景に出会うと、さまざまな予約の問題とか、飛行場での行列とか、行き先が見つからない苦労とかが、一瞬にして消える。
考えてみれば、旅の途中の一瞬は格別だ。角を曲がって突然現れる街並み、砂浜で座って見る日の出、立入禁止の札の前の絶景。そんな一瞬の情景のために、旅をしているのかもしれない。
その場所にしかない色、その時間にしかない光。心をうつしだす景色は、私にしか見えない。歩くなかでの一瞬、それだけでいい。ずっと見えないもの、続かないもの、そんなものは、私だけのものだ。
一瞬のためだけの、突然現れる街の情景とか、日の出の魔法とか、見ては いけない 景色とか、きっと一瞬のために、人は旅をしている。たぶん思い出すことのない、大切な一瞬のために。
で今週は、旅の本、『深夜特急〈第三便〉飛光よ、飛光よ 』(沢木耕太郎著、新潮社、1992年刊)。1974年(26歳の時)に始めた旅のことを、12年経った1986年(38歳の時)に『深夜特急 第一便 黄金宮殿』『深夜特急 第二便 ペルシャの風』として出版。それからさらに6年たった1992年(44歳の時)に出版したのが 今回取り上げる『深夜特急 第三便 飛光よ、飛光よ』だ。
香港から南回りでイランまで辿り着く『第一便』『第二便』のハラハラ・ドキドキに比べ、イランから地中海経由でロンドンまで行く『第三便』にはハプニングが少ない。それでも私は『第一便』『第二便』に比べて『第三便』が好きだ。
途中から沢木耕太郎は、旅の「終わり」を考え始める。旅を終えたくないという気持ちと、日常生活に戻りたいという気持ちとのあいだで、葛藤を始めるのだ。
ロンドンの中央郵便局に行き、旅が終わったという電報を打とうとする。すると「電報は電話局から打つんだよ」と言われる。帰国のためのチケットを買いに旅行代理店に行き、行き先を尋ねられる。するととっさに「アイスランド」と答えてしまう。
旅をするのは気ままで「自由」、日常の生活は縛られていて「不自由」。そんな考えから、旅を切り上げようとする作者に「旅を終えたくない」「自由でいたい」 という気持ちが生まれるのだが、はたしてそんなものだろうか。
旅ほど不自由なものはない。普段暮らしているのより、はるかに不自由だ。持ち物の制限がある。大きなものやたくさんのものを持って旅はできない。言葉の壁がある。カネのこと、電気や通信のこと、してはいけないことなどなど、わからないことだらけだ。
知らないことばかりの場所に行くのが楽しいとか、知らない人に出会うのが楽しいとか、そんなことを旅の醍醐味だと言う人がいる。でも、そんなのは、幻想ではないか。
日常生活のなかにも、知らないことはたくさんあるし、知らない人との出会いもある。日常生活のなかでも、自由でいることはできる。バックパックを背負わなくても、旅をするのと同じことができるのだ。
沢木耕太郎の旅は、40代になってこの本を書き終えても、終わらなかった。『深夜特急』があまりにも有名になりすぎたこともあって、そして出版社の思惑もあって、70代になっても『旅のつばくろ』とか『天路の旅人』といった本を出版し続けている。
私は、旅が無限の自由を与えてくれるとは思わない。だから、旅に対して沢木耕太郎ほどの思い入れを持つことはできない。私たちはみんなそれぞれの場所で旅をしているようなものなのだと思っているから、沢木耕太郎の旅は読み物でしかない。
『第三便』には、出会った人物のことがたくさん描かれている。それなのに、情景描写は驚くほど少ない。イラン・トルコ・ギリシャと巡る旅の途中で、感動的な情景に出くわさないはずがない。それなのに情景はほとんど描かれていない。
バス旅行をすれば、乗り合わせた人物に目が行く。そうかもしれない。でも、しばらくすれば、窓の外に目が向くのではないか。バックパッカーの目は心の内面に向いているから、情景が目に入ってこない。いや、そんなことはない。イランやトルコ、そして地中海沿岸で出くわす情景が、心を打たないはずはない。
旅で出会った情景は、きっと、東京で何年も暮らすうちに消えてしまったのではないか。私はそう思った。旅をして一週間で、旅のことは忘れる。旅をしてから18年経って、いったい何を思い出すというのだろう。
私は沢木耕太郎の年代の人で、若い頃に日本を出てヨーロッパを目指した人を、たくさん知っている。ある人はシベリア経由で、またある人は南回りで、長い時間をかけてヨーロッパにやってきた人たち。ただ、その人たちは沢木耕太郎のように日本に帰ったりはせずに、ずっとヨーロッパで暮らしている。その人たちの旅は、いまでも続いているのだ。
その人たちに、日本を出てヨーロッパに着くまでの旅の話を聞くと、長い時間が経っているのに 沢木耕太郎の本にはない情景の話がたくさんでてくる。旅のあいだグローバルなバックパッカーだった沢木耕太郎は、旅のあと見事に日本人に戻った。だから『深夜特急』は多くの日本人に受け入れられ、たくさん売れたのだ。
ヨーロッパに残った日本人が、小説を書いても、たとえそれがおもしろい小説であったとしても、きっとそれは受け入れられなかったし、売れなかったに違いない。そう、沢木耕太郎は、日本社会にどっぷり浸かった小説家なのだ。
26歳の沢木耕太郎は、春の初めに日本を出発し、秋の終わりにイスタンブールを通過、冬にヨーロッパの西のほうに辿り着いた。それだけのことなのに、1年にも満たない旅のインパクトは大きい。その後の沢木耕太郎にも大きいし、読者にも大きい。やはり沢木耕太郎は優れた書き手なのだろう。