2024年10月11日(金)
騙した男が悪いのか
今週の書物/
『Nobody’s Fool: Why We Get Taken In and What We Can Do about It』
Daniel Simons 著、Christopher Chabris 著
Basic Books (2023)
『全員“カモ”―「ズルい人」がはびこるこの世界で、まっとうな思考を身につける方法』
ダニエル・シモンズ 著、クリストファー・チャブリス 著、児島 修 訳
東洋経済新報社、2024年刊
西田佐知子の『東京ブルース』は「泣いた女がバカなのか 騙した男が悪いのか」で始まる。騙したほうが悪いのか、騙されたほうが悪いのか。「所詮は勘違いと思い込みなのだから、どちらでもいいじゃないか」なんていうことを言う人が少なからずいる。
男女のことならば、それでもいい。でも詐欺や人権侵害なんかだと、そんなことを言ってはいられない。騙された人のことを「騙されやすい」とか「世間知らずだ」とか「無知だ」とか散々に言う人がいるが、なんだかんだ言っても、やっぱり騙したほうが悪い。
他人と関わるとき、私たちには「その人が言っていることは正しい」と思う傾向があり、それを疑うには努力と時間がかかる。だから、誰かが正しいことを言っていると思い、それが正しくない場合、大きな時間的プレッシャーがかかれば、正しくないことを簡単に受け入れてしまう。
広告業界のプロなどは、時間をかけて、私たちの認知習慣や情報に対する好み、私たちが惹かれるもの、日常生活で展開する思考パターンの弱点を悪用する方法を学んできている。地面師でなくても、そういう人たちが本気を出せば、騙すのは簡単だ。
人間はロボットではない。AI でもない。毎回同じ結果を出すわけではないし、いつも完璧に物事をこなすわけでもない。金融市場のような複雑な社会システムを前にすると、人間は理不尽な行動をとる。騙されるのも、理屈に合わない。
人々の記憶には時々矛盾が生じるけれど、必ずしも嘘をついているというわけではない。私たちの行動には、直感的に認識できるよりもはるかに多くのばらつきがある。一貫性があると思ったら大間違いだ。人間は論理的でないし、合理的でもない。
で、今週は、騙されることについて考える本を読む。『Nobody’s Fool: Why We Get Taken In and What We Can Do about It』(Daniel Simons 著、Christopher Chabris 著、Basic Books、2023年刊)だ。日本語訳も『全員“カモ”―「ズルい人」がはびこるこの世界で、まっとうな思考を身につける方法』(ダニエル・シモンズ 著、クリストファー・チャブリス 著、児島 修 訳、東洋経済新報社、2024年刊)として出版されている。
「PART 1; HABITS」の 4つの章「Focus」「Prediction」「Commitment」「Efficiency」、「PART 2; HOOKS」の 4つの章「Consistency」「Familiarity」「Precision」「Potency」、そして「Conclusion: Somebody’s Fool」に至るまで、この本の言っていることは、すべて正しいように思える。引用は 第一線で活躍している人のものばかりだし、書かれていることにも おおむねうなずける。
それでも、どこか腑に落ちない。私たちは いつも、どんなときも、騙されないように身構えていなければならないのか? 目の前の人にも対しても、インターネットの先にいる人に対しても、相手が何か隠しているではないかと疑い、相手の痛いところを突かなければならないのか? それは、変ではないか?
どんなことも しっかり知り、それが事実かどうか確かめる。そんな大変なことを誰もがしなければならないなんて、現実的ではない。誰もそんな責任を負うことはできない。
Google で検索をしすぎると、あらゆる種類の怪しい情報にたどり着く。情報の真偽を認識するのは自分しかいない。それはわかる。でも、そんなことを いちいちチェックしていたら、一日は情報のチェックだけで過ぎてゆく。そんなのは、現実的ではない。
ワクチンを接種するかどうか、貯めてきたお金を投資にまわすかどうか、オンラインで知り合った人と恋愛関係を始めるかどうか。そういうことに慎重になれというのはわかる。でも、日々のことにひとつひとつについて 懐疑心を持ち続けろというのは、何か違う気がする。というか、残念ではないか。
詐欺に遭わないということが重要だからといって、それが今日の現実だからといって、誰のことも信じないで、何も信じないで、疑ってかかる。そんな考え方は嫌だ。
著者たちは「絶対に騙されるはずがない人たちが騙される」とか「私たち全員が詐欺の標的になりうる」といったことを繰り返し書く。そして、懐疑心を優先させろという。もっとも「そうすると、すべての社会的交流がひどいものになってしまう」と付け加えるのを忘れず、「いつ疑うべきかを知る必要がある」「それが本当に難しい」と続ける。
この本を最初から最後まで「そうだ、そうだ」と思いながら読んで、「うん?」と戸惑う。この本は、私たちが騙されやすい存在だということを、これでもかこれでもかという感じで、いろいろな側面から描き出している。
プロの手口のひとつが、慣れや親しみやすさ。慣れているものや親しみのあるものだと、私たちは警戒を緩める。長い間知っている人を信頼し、過去にうまくいったことと似ていれば うまくいくと思い込む。そう、私たちは騙されやすい。そうできている。
フェイクニュースは、私たちを満足させる。私たちがこうだったらいいなと願っていることや、私たちが起きてほしいと思っていることを、報道してくれる。ニュースがフェイクなのはわかっていて、それでもそれを信じる私たちがいる。
騙されやすいだけではない。騙されたい存在でもある。だから、「天皇陛下万歳」「鬼畜米英」「欲しがりません勝つまでは」は、「民主主義を守る」「おもてなし日本」「個性の確立と尊重」に容易に生まれ変わり、誰も矛盾を感じない。
私たちは 皆 弱い人間だ。しかも 皆 考える時間すら持てないくらい忙しい。この本が描いているように、私たちは影響されやすく、何も知らないのに知っていると思い込んでいる不完全な存在だ。情緒的で、判断を誤る。根拠なく自信に満ちている。
一貫性のない私たちに 一貫性を持てというのは酷だ。私たちの予測は外れ、想定外のことが起き、期待は裏切られる。
まともに見えるこの本も、嘘に満ちている。多くの読者は、ダニエル・シモンズとクリストファー・チャブリスが書いたことに騙され、読んで少しは利口になったと思う。この本を読んだからといって、騙されやすかった人が 騙されなくなるわけではない。
人は いとも簡単に操られる。そのことが書かれていると思えば、悪い本ではない。ただ、今の社会で、どんな人たちが、どんな人たちを、どういう目的で、どうやって騙すのかを書いてくれなければ、フェアではない。そういうことが書かれた嘘のない本を読みたいと心から思う。