人間が最初にTameした動物は、オオカミだったのではないかと言われている。正確な時期や過程についてはなお議論があるけれど、少なくとも農耕が始まり、牛や羊が家畜になるよりも前に、オオカミから分かれたイヌが人間と暮らし始めていたらしい。それは考えてみれば不思議なことで、牛や羊ならば、人間がそこから何を得たかったのかは比較的想像しやすく、肉や乳や皮があり、のちには労働力にもなったのに対して、オオカミは人間と同じように獲物を追い、場合によっては食物を奪い合う競争相手でもあった。そのような動物と人間が、なぜこれほど深い関係を結び、人間のいちばん身近な存在であるイヌへとつながっていったのだろう。
最初は、これを生存戦略として考えてみたくなる。人間に近づいたオオカミには食物を得られる機会があり、人間の集団の周辺にはある種の安全もあったかもしれず、一方の人間にとっても、鋭い嗅覚や聴覚を持ち、危険に敏感で、狩りにも適しているオオカミとの関係には何らかの利益があっただろう。互いに異なる能力を持つ二つの動物が少しずつ距離を縮め、やがて共に暮らすようになったと考えるなら、人間に近づくことはオオカミにとって非常に優れた生存戦略だったようにも見えてくる。人間を避け続けたオオカミが各地で生息できる場所を失っていったのに対して、人間との生活に入った近縁の系統は人間とともに世界中へ広がっていったのだから、結果だけを振り返れば、人間に近づいたことがその後の繁栄につながったと考えたくなるのも無理はない。
しかし、そこで「生存戦略」という言葉が気になってくる。オオカミは本当に何かを戦略として選択したのだろうか。人間のそばへ行けば食物を得ることができ、安全になり、自分たちの子孫が何万年も後になって世界中で繁栄できるなどという未来を思い描き、それなら人間と暮らそうと決心したはずはない。おそらく実際にあったのは、人間を極端には恐れなかった個体や、人間の近くで食物を得ることのできた個体がいたというような、一つ一つはもっと小さな出来事だったのだろうし、その反対側では、オオカミの子を拾って育てたり、近くにいるオオカミを追い払わなかったりする人間もいたのかもしれない。それぞれの場面で起きていたことは、そのときそのときの事情に応じた小さな接近や選択であって、どちらの側にも、何万年後にイヌという動物を作り出す計画があったわけではない。
だとすれば、「オオカミは生き延びるためにイヌになった」という物語は、後世の人間が結果から逆算して作ったものなのだろう。イヌになろうとしたオオカミがいたのではなく、人間との距離をある程度まで縮めることのできた一部のオオカミがいて、その関係が何世代にもわたって続き、その環境のなかで生きやすい性質を持った個体が残り、やがて人間自身も繁殖に介入するようになった。その長い積み重ねの向こう側に、私たちがいまイヌと呼んでいる動物がいるのだとすれば、そこには一つの壮大な戦略があったというより、多くの小さな出来事が積み重なった末に、後から見ると一つの方向へ進んできたように見える歴史があったと考えたほうがいいのかもしれない。
そう考えると、Tamingについても少し見方を変えなければならなくなる。私たちはTamingという言葉から、どうしてもTameする者とTameされる者を想像し、人間がオオカミを捕まえ、何らかの目的を持って自分たちに都合のいい動物へ変えていったという物語を考えてしまう。しかしTamingは、必ずしも最初からTamingとして始まるわけではないのかもしれない。偶然にある関係が生まれ、その関係が双方に何らかの利益をもたらすので繰り返され、反復されるうちに習慣となり、その習慣が少しずつ生きる環境そのものになっていく。その環境に適したものがさらに生き残り、何世代も過ぎたころには、かつてはいくつもあったはずの可能性のなかから一つの道が深く刻まれ、その関係の外側へ出ることが次第に難しくなっている。つまり最初から巨大な計画があったわけではないのに、時間を経た結果には確かな方向性が生まれているのである。
このことを「すべて偶然だった」と呼ぶこともできるかもしれないが、それだけでは何か大事なものが抜け落ちてしまう。偶然によって始まったことと、その後に起こることがいつまでも偶然であり続けることとは違うからである。最初に雨水が地面のどこを流れるかには偶然があるとしても、いったんそこに小さな溝ができれば、次の雨の水はその溝へ入りやすくなり、さらに水が流れることによって溝は深くなり、ますます多くの水がそこを通るようになる。Tamingにもこれと似たところがあって、最初の偶然が次に起こることの可能性を少し偏らせ、それがまた次の条件になるという過程が長く続けば、最初にはいくつもの可能性があったことさえ次第に見えなくなっていく。
最初のオオカミには、人間から離れて生きる道も、人間へ近づく道も、その中間で生きる道もあっただろう。しかし、そのうちの一つの関係が何千世代にもわたって続き、身体や行動までその関係へ適応するようになれば、現在のイヌには祖先のオオカミほど多くの道が残されているわけではない。祖先にとっては偶然だったものが子孫にとっては環境となり、さらに長い時間が過ぎれば身体や行動の一部にまでなっていくのであれば、偶然は反復されることによって、後からその世界へ生まれてきたものにとっては、最初からそうであったかのような必然に見えるのである。
これはイヌだけの話ではなく、私たち人間もまた、自分では選んでいない世界のなかへ生まれてくる。なぜこの言語を話しているのか、なぜ国家があり、国籍があり、貨幣を使い、学校へ行き、時計によって一日を分け、一定の年齢になると働いて所得を得るのかを一つ一つ歴史のなかへ遡っていけば、そこには無数の偶然や、その時代には合理的だった判断、権力による強制、さまざまな成功や失敗が見つかるだろう。しかし今日そこへ生まれてくる一人の人間にとって、それらは過去の人々が選ぶことのできた歴史上の選択肢として現れるのではなく、初めからそこに存在する世界として現れる。
するとTamingには、必ずしも最初のTamerが必要ではないということになる。誰か一人の支配者が「人間をこういう存在にしよう」と計画したわけではなくても、過去の無数の小さな判断が積み重なって習慣となり、習慣が制度となり、その制度のなかで暮らす人間が今度は制度に適した性質を身につけていく。そのような時間が長く続けば、制度が人間を作り、その人間がまた制度を支え、その制度のなかに次の世代が生まれてくるという循環が成立するのであって、この意味では、特定の誰かがTamerなのではなく、歴史そのものがTamerになっていると考えることさえできる。
しかし、ここでイヌと人間とのあいだには大きな違いが現れる。イヌは自分が歩いている道の由来を問いはしないだろうし、こちらへ行きたい、これは嫌だ、この人と一緒にいたい、というそのときどきの選択はするとしても、「なぜ私は人間と暮らしているのだろう」「どうして私はイヌなのだろう」「祖先には別の生き方があったのではないか」「本当にここしか歩けないのだろうか」と、自分を作ってきた歴史そのものを自分の外に置き、問いの対象にするわけではない。ところが人間は、いつもそうしているわけではないにしても、ときに自分が生きている世界そのものを眺め、それが本当に唯一の世界なのかと問い直すことができる。
もっとも、人間も大部分の時間はイヌと同じように、与えられた世界をそのまま生きている。毎朝、貨幣とは何かを問い直してからパンを買う人はいないし、国家とは何かを考えてからパスポートを使うわけでもない。社会のあらゆるものを毎日のように根本から問い直していたら生活そのものが難しくなるのだから、私たちは世界のほとんどを「そういうものだ」として受け入れ、それによって日常を成り立たせている。それでも、ときどき一人の人間のなかに、「なぜ私は働いていないと不安になるのだろう」「なぜ役に立たなければならないと思うのだろう」「なぜ国家にこれほど大きな意味を与えているのだろう」「なぜ学校へ行くことが当然なのだろう」「なぜ立派な人間にならなければならないのだろう」という、普段ならそのまま通り過ぎてしまうような「なぜ?」が生まれることがある。
その問いが生まれたからといって、世界が急に変わるわけではない。翌朝になれば仕事へ行くだろうし、店では貨幣を使い、国境ではパスポートを見せるだろうけれど、それまで世界そのものに見えていたものが、「人間がある歴史のなかで作ってきた一つの仕組み」に見えた瞬間、それまで自分と世界とのあいだにはなかった、ごく小さな隙間ができる。問いそのものが出口になるわけではなくても、そこには別の見方や別の生き方へ通じる出口がどこかにあるかもしれないと気づかせる小さな窓のようなものが生まれ、その窓があることによって、同じ世界のなかにとどまりながらも、世界と自分とを完全には同一視せずに済むようになる。
ただし、ここでさらに注意しておかなければならないのは、問いを持つ人間を優れた人間とし、問いを持たない人間をTameされた人間として見下してしまえば、「常識を疑いなさい」「自分で考えなさい」「批判的でありなさい」という別のTamingが始まってしまうということである。何もかも疑う人間が自由であるとは限らず、疑うことそのものが義務になってしまえば、その人もまた「疑わなければならない」という新しい規範に自分を合わせることになる。だから、問いを持つ能力を大切にすることと、絶えず問い続けることを人間の義務にすることとは分けて考えなければならない。
海を眺めている人が、なぜ自分は海を眺めているのかを考える必要はないし、海を見ることが社会にどのような意味を持つのかを分析する必要も、自分がTameされているのかUntamedなのかを判定する必要もない。ただ海を眺め、夕方になって風が冷たくなったら家へ帰ればいいのであって、以前考えた「何も書かなかった人」に、今度は哲学者であることまで要求してしまえば、「役に立たなくていい」というところから始まったはずの自由を、別の価値によってもう一度縛ることになってしまう。
だから人間の自由にとって重要なのは、問い続けることではなく、問うことも、問わないこともできることなのかもしれない。普段は社会のなかでごく普通に暮らし、日常のほとんどについて深く考えなくても構わないけれど、ときどき自分のなかに「なぜ?」が生まれたときには、その問いをすぐに押しつぶしてしまわなくてもいい。答えが見つからないままでもよく、問いそのものを忘れてしまってもよく、何年も経って別の経験をしたときに、不意に同じ問いが戻ってくるのであってもいいのだと考えれば、自由とは絶えず自分を問い詰める厳しい営みではなく、自分の内部に答えの出ていないものをしばらく置いておける余裕のようなものにも見えてくる。
ここまで考えると、教育というものも少し違って見えてくる。教育もまた、言葉を教え、時間を守ることを教え、読み書きを教え、他人と暮らすための規則を教える以上、人間をある社会の秩序へ導くTamingの側面を避けることはできない。そもそも何も教えず、人間を完全にUntamedなまま育てることなどできないのであって、言葉を教えること自体が、その社会が世界をどのように区切り、どのように名前を与えてきたのかを教えることでもある以上、教育からTamingを完全に取り除こうとすることには無理がある。
しかし、だからといって教育がTamingだけで終わる必要もない。子どもが「なぜ学校へ行かなければいけないの」と尋ねたとき、「勉強するためです」と答えることはできるし、その答えには十分な意味があるけれど、だからといって「この話はこれで終わり」とする必要はなく、「勉強するためでもあるけれど、学校って本当にそれだけなのかな」と、問いの一部を答えの外側へ残しておくこともできる。歴史にも科学にも社会にも教えなければならない知識はあるとしても、知識を教えることと、その知識によって問いを閉じることとは同じではなく、まさにその小さな違いのなかに、Tamingと教育との微妙な境目があるように思える。
Tamingが「この道を歩きなさい」と教えるものだとすれば、教育は「ここにはこういう道がある」と地図を渡すことに近いのかもしれない。そして本当にいい教育なら、地図を渡したあとで、そこに描かれている世界だけを世界のすべてだと思わせるのではなく、「この地図も誰かが作ったものだから、描かれていない場所があり、間違っているところもあるかもしれない」と伝え、さらには地図にない道を歩くことさえ可能なのだと、言葉にしなくとも感じさせることができるだろう。
もちろん、だからといって誰もが地図の外へ出なければならないわけではなく、みんなと同じように学校へ行き、働き、家族を持ち、社会の規則に従って暮らしてもいい。それがその人にとって心地いい道なら、わざわざ外れる必要などなく、重要なのは人と違う道を選択することではなく、世界にはこの一本の道しか存在しないと思わされないことである。同じ道を歩いていても、それしか道がないと思って歩いていることと、ほかの道もありうると知ったうえでそこを歩いていることとのあいだには、目には見えにくくても大きな違いがある。
そう考えると、教育が人間に与えられるもののなかでもっともささやかで、それでいて大切なものは、正しい答えではなく、一つの問いを問いのまま残しておける場所なのかもしれない。教師に「分かりません」と言われた問い、子どものころには答えが見つからず、いつの間にか忘れてしまった問い、社会へ出て忙しく働いているうちに、ほとんど思い出すことさえなくなった問いが、二十年、三十年を経たある日の夕方、何かの拍子にふたたび戻ってきて、「でも、本当にそうなのだろうか」と心のなかで小さく響くことがある。そのころには教師はもうそばにおらず、学校を卒業したのも遠い昔になっているかもしれないが、それでもその人の内部には、かつて答えによって塞がれなかった小さな場所が残っていたことになる。
考えてみれば、オオカミからイヌへ至った長いTamingの歴史には、そのような問いを置いておく場所はなかったのかもしれない。偶然に始まった関係が反復され、関係が環境となり、環境が身体や行動のなかへ入り込み、とうとうイヌは人間とともに生きる動物になったが、イヌはその歴史を自分の外に置いて問い直すことなく、いまも私たちのそばで眠っている。それを不幸と呼ぶ必要も、敗北と呼ぶ必要もなく、イヌはイヌとして、自分に与えられた世界をそのまま生きているのである。
人間もまた、歴史によってTameされ、社会によってTameされ、教育によってさえTameされながら生きている以上、そのすべてから完全に逃れ、どこかにある純粋なUntamedの状態へ戻ることはできないだろうし、おそらく戻る必要もない。ただ、人間には、自分が歩いている道をときどき自分の外から眺め、「私はいま、この道を歩いている」と気づくことのできる奇妙な余地が残されている。そして気が向けば、「どうしてここを歩いているのだろう」と考えることもできれば、考えた末に「やはり、この道でいい」と歩き続けることもでき、場合によっては少しだけ横道へ入ってみることもできる。
そういう意味では、UntamingとはTamingされていない原初的な状態へ戻ることではなく、Tameされた世界のなかで暮らしながらも、「なぜ?」を置いておける小さな場所を自分のなかから完全にはなくさないことなのではないだろうか。教育というものに希望があるとすれば、それもまた、子どもをいっさいTameしないことにあるのではなく、その子のなかにたまたま生まれた「なぜ?」を、大人が急いで正解や規範によって塞いでしまわず、答えの出ないものがしばらくそこにあってもいいのだと認めることにあるように思える。
オオカミが人間のそばへ近づいた遠い日の偶然から始めて、ここまで考えてくると、Tamingの反対側にあるものは、手つかずの野生でも、社会に対する絶え間ない反抗でもないのかもしれない。それはもっとささやかなものであり、「そういうものだから」と言われたあとにも、心のどこかに「ほんとうにそうなのだろうか」という言葉になりきらない疑問が残っていて、それを無理に消すことも、すぐに答えへ変えることもなく、そのまま自分のなかに置いておけるということなのだろう。
人間の自由というものがあるとすれば、それは大きな決断や社会からの脱出によって初めて手に入るものではなく、もしかすると、自分が生きている世界をそのまま受け入れながらも、その世界についての小さな疑問だけは消さずにいられる、そのわずかな隙間から始まるのかもしれない。