正しい情報だけでは人は自由になれない

新興宗教に深く入り込んでしまう人について考えていた。どうして人は、そこまで何かを信じることができるのだろう。国家についても似たような疑問がある。国家から多くのものを要求され、ときには自分の時間や財産や人生そのものまで差し出しながら、それでも国家を信じ続ける人がいる。そういう人たちは、もともと信じやすい人なのだろうか。そして信じやすいということは、Tameされやすいということなのだろうか。

けれども、考えているうちに、「信じる人」と「疑う人」という分け方では不十分なのではないかと思うようになった。人間はそもそも何も信じずには生きられない。家族を信じ、友人を信じ、医師を信じ、貨幣を信じ、明日も社会がだいたい今日と同じように動いていることを信じて暮らしている。問題は信じることそのものではない。信じることによって、問いを持つ余地が失われることなのではないか。「私はこの宗教を信じている。しかし、この教祖の言っていることは本当に正しいのだろうか」「私はこの国を愛している。しかし、この国家が要求していることは本当に必要なのだろうか」と考えられるうちは、信じることと自分とのあいだにまだわずかな距離がある。

この距離について考えていると、刑務所が気になってきた。近代の刑務所は犯罪者を隔離し、罰するだけの場所ではなく、少なくとも理念の上では、その人を社会に戻す場所でもある。犯罪をする人間を、社会の規範に従って生活できる人間へ変えていく。それをただ支配と呼んでしまうのは乱暴だろう。犯罪をしないようになり、仕事を持ち、人との関係を築き直すことができるなら、本人にとっても社会にとっても望ましいことは多い。しかし、そこには確かに、人間の行動をある方向へ変えるという発想がある。

ハッカーを考えてみれば、もっとわかりやすい。高度な技術を持つ人間に対して、その能力を捨てさせる必要はない。違法な侵入に使うよりも、セキュリティを守る仕事に使うほうが、収入も得られ、社会から認められ、逮捕される危険もないような環境を作ればよい。本人が比較した末に、「こちらのほうが割に合う」と考えてホワイトハッカーになるなら、誰かがその人を力ずくで服従させたわけではない。本人が選んだのである。それでも、その選択が行われる地形を社会の側が意図的に作っているとすれば、そこには一種のTamingを見ることができる。

ここで、それまで一つの言葉で考えていたTamingを、いくつかに分けてみたくなった。

最初のものをTaming 1.0と呼んでみる。これは、設計者のいないTamingである。人間とオオカミが接近し、長い時間をかけてイヌが生まれた。人間が穀物を選び、栽培しながら、逆に人間自身の暮らしも穀物によって変えられていった。森を人間が変え、人間の生活もまた森によって規定された。誰かが最初から完成図を描いていたわけではない。無数の選択、偶然、環境への適応、相互作用の積み重ねが、振り返ってみればTamingと呼べる変化をもたらした。

ところが人間は、やがて重要なことを知ってしまった。環境を変えれば、人間の行動を変えられるということである。こちらの行動には報酬を与え、あちらの行動には不利益を与える。ある行動を普通のことにし、別の行動を少し恥ずかしいことにする。そうすれば、命令しなくても、多くの人間はこちら側へ歩いてくる。これをTaming 2.0と呼んでみることができる。

公共政策に使われるナッジなどには、その構造がよく現れている。人々から選択肢そのものを奪うのではなく、意思決定の環境を変えることによって、一定の方向へ行動を促す。社会規範についての情報を提示して行動を促す「norm nudging」も研究されている。 そこには当然、自由との緊張がある。選択肢が残されているのだから自由は侵害されていないという見方がある一方で、本人が十分意識しないまま心理的な傾向を利用されるのであれば、それは隠れた操作ではないかという批判もある。

私はここにレッドカードを出す必要まではないと思う。しかし、イエローカードは出しておきたい。とくに公共部門がこうした方法を用いるなら、誰が、何の目的で、どのように人々を誘導しようとしているのかが見えることは大切である。透明性があり、批判することができ、その誘導からこぼれ落ちることさえ許されているなら、Taming 2.0は必ずしも恐ろしいものではない。むしろ刑務所から社会に戻る人を支えたり、危険な能力を有益な方向に生かしたり、人々が自分でも望んでいた行動を取りやすくしたりすることもできる。

恐ろしさが増すのは、その次である。

Taming 2.0によって作られた規範が十分に内面化されると、もう外から誘導する人がいなくてもよくなる。「もっと働きなさい」と言われなくても、自分から働き続ける。「もっと成績を上げなさい」と言われなくても、よい成績を取れない自分を責める。「社会から評価される人間になりなさい」と言われなくても、評価されない人生には価値がないような気がしてくる。ここではTamerが消えている。正確には、Tamerが自分自身の中に移動している。これをTaming 3.0と呼んでみる。

Taming 3.0が怖いのは、命令が厳しいからではない。むしろ命令が必要なくなるからである。「これに従え」と言われれば、「嫌だ」と答えることができる。しかし、「そもそも私はこういう人間なのだ」と思っているものから逃れることは難しい。宗教を疑ったときに、「この教義は間違っているのではないか」と考えるのでなく、「疑う私の信仰が足りないのだ」と考えるようになれば、疑念そのものが自己矯正の材料になってしまう。国家について疑問を持ったときにも、「国家がおかしいのではないか」ではなく、「国家を信じられない自分がおかしいのではないか」と考えるなら、外部からの強制はほとんど必要なくなる。

しかし、それほど深くTameされた人でも、ときどき抜け出すことがある。なぜだろう。

おそらく最初に現れるのは、立派な思想でも正しい理論でもない。「何かがおかしい」という小さな違和感なのだろう。そして、その違和感がすぐに押し潰されないためには、外の世界が必要になる。自分とは違う考えを持つ人が生きていることを知り、自分とは違う人生も存在することを知る。さらに、その世界へ出ても生きていけることが必要になる。宗教を離れても話せる人がいる。会社を辞めても暮らしていける。国家を批判しても市民でいられる。昨日までの自分が間違っていたと認めても、それまでの人生すべてを恥じなくてよい。自由になるためには、「自由になれ」という正論より、こぼれ落ちた人間を受け止めてくれる余白のほうが大切なのかもしれない。

そして、ここまで考えて初めて、「正しい情報」というものについて疑問が生まれる。

私たちは長いあいだ、間違っている人には正しい情報を与えればよいと考えてきた。しかしTaming 3.0まで進んでしまった人にとって、正しい情報は必ずしも救いにはならない。その情報を受け入れることが、自分の信仰だけでなく、家族や友人との関係、これまでの人生、自尊心、さらには「私はこういう人間である」という自己像まで崩してしまうのであれば、人は情報が間違っているから拒絶するのではなく、**正しいからこそ拒絶することさえある。**それを認めた後の自分を想像できないからである。

だから、正しい情報の価値が本当に失われたわけではないのだと思う。正しい情報だけでは足りないことが、見えるようになったのである。

人間が必要としているのは真実だけではない。真実を受け入れたあとにも、生きていける場所である。自分が間違っていたと知ったあとにも話をしてくれる人であり、所属していた世界を失ったあとにも立っていられる足場であり、すぐに別の正解へ駆け込まなくても「まだわからない」と言っていられる時間である。正しい情報が人を自由にするためには、情報の正しさだけでなく、その情報を受け入れることのできる社会の余白が必要なのだ。

こうして考えてみると、Taming 1.0からTaming 3.0への変化とは、単にTamingの技術が巧妙になってきた歴史ではないのかもしれない。Taming 1.0では環境が人間を変え、Taming 2.0では人間が他の人間の環境を設計し、Taming 3.0では、その環境が人間の内部へ入り込み、自分自身の声として語り始める。その最後の段階から人間を連れ戻すものは、さらに強い命令でも、さらに巧妙な説得でもない。

おそらく、「なぜ?」なのである。

ただし、「なぜ?」は正しい情報を与えれば自動的に生まれるものではない。それが育つためには、自分とは違うものが存在できる場所が必要であり、間違えることのできる場所が必要であり、答えを出さないまましばらく立ち止まれる場所が必要である。Taming 3.0がもっとも深く人間を捉えるのは、「なぜ?」を禁止したときではなく、「なぜ?」を思いつくための余白そのものをなくしたときなのだろう。

だから、正しい情報を守るだけでは足りない。それ以上に守らなければならないものがある。

正しい情報を前にしてもなお、「本当にそうだろうか」と問い、間違っていたと知ったときには生き方を変え、それでも自分の人生を失わずにいられる余白である。

Tamingから人間を完全に解放することなど、おそらくできないし、その必要もない。人は他人によって形づくられ、社会によって形づくられ、言葉によって形づくられ、愛した人によってさえ形づくられて生きていく。それでも、そのすべてを自分の運命として受け入れてしまう必要はない。どれほど深くTameされたとしても、ときどき立ち止まり、自分が歩いている道を眺めて、「なぜ私はここを歩いているのだろう」と考えることはできる。

その問いが残っているかぎり、人間は完全にはTameされていない。

そしてもしかすると、正しい情報の本当の価値とは、人間に正解を与えることではなく、その小さな「なぜ?」が生まれるきっかけを、ときどき世界の中に置いておくことなのかもしれない。

どこからも、少し離れて生きる

長いあいだ国連で働いていた。フランス語では国連をONU(オニュ)と呼び、そこで働く人間を、私たちは半ば冗談のように「オニュジアン」と呼んでいた。国籍を表す言葉でもなければ、正式な職業名でもない。しかし長く国連に勤めているうちに、この奇妙な呼び名が、自分が何者であるのかを案外正確に言い表しているように思えることがあった。

オニュジアンについて、よく言われていたことがある。長く国連で働いた人間は、自分の国へ帰っても話が通じなくなり、結局、国連の同僚といるときにしか心を割って話せなくなる、というのである。もちろん、本当に母国の人々と言葉が通じなくなるわけではない。母語を忘れるわけでもなければ、生まれ育った文化を失うわけでもない。それでも、異なる国籍、言語、宗教、歴史を背負った人々と何年も、何十年も一緒に働いていると、自分の国では当然とされていたことが必ずしも当然ではないことを、ほとんど毎日のように経験する。自分にとっての常識は隣の机に座っている人にとっては常識ではなく、その逆もある。そういう生活を長く続けているうちに、国籍だけでは自分を説明できなくなっていく。

だからといって、日本人でなくなったわけではない。おそらく、何かを失ったという表現そのものが正しくないのだろう。むしろ、自分を形づくる座標軸が増えてしまったのである。日本人である自分の上に、国連で働いてきた自分が重なり、そのどちらか一方だけを取り出して「これが本当の私だ」と言うことが難しくなった。国籍の違う昔の同僚と話しているほうが、自分と同じ国の人と話すより説明が少なくて済むことさえある。共有されているものが国籍ではなく、長い時間をかけて蓄積された経験だからなのだろう。

退職してから、そのことを思いがけない場所で実感したことがある。スペインのマラガには、私が以前働いていた組織を退職した人たちが多く暮らしているところがある。そこへ行くと、不思議な錯覚に襲われる。もう職場ではない。出勤する必要もなく、上司も部下もいない。会議もなければ、仕事を命じる人もいない。それなのに、そこにいる人たちと話し始めると、いつの間にか昔の世界へ帰ってきたような気持ちになる。組織そのものはそこにないのに、その組織によってつくられた人間たちが残っている。

考えてみれば、不思議なことである。人は退職すれば組織から自由になると思っている。職員証を返し、机を片づけ、最後の日に建物を出れば、組織との関係は終わる。しかし組織というものは、建物や規則や給与だけからできているわけではない。そこで長く暮らしているあいだに、物事の考え方、人との距離の取り方、冗談の種類、沈黙の意味、何を説明する必要があり、何なら説明しなくても通じるのかという微妙な感覚まで、少しずつ身体のなかに入り込んでくる。組織から退職することはできても、その組織のなかでできあがった自分から退職することは、それほど簡単ではない。

Tamingという言葉を使うなら、ここには少し皮肉な構造がある。国連のような場所で働くことは、一面では国家によるTamingを弱める経験だったように思う。自分の国の常識を絶対視することができなくなり、自分が偶然ある国に生まれ、その言語を話し、その社会の習慣を身につけた人間であることを、少し離れたところから眺めるようになる。その意味では、国際的な環境は人を国家から少しUntameする。ところが、その国家からのUntamingを可能にした組織が、長い年月をかけて、今度は「オニュジアン」という別の人間をつくってしまう。ひとつのTamingから離れることによって、別のTamingのなかへ入ったとも言える。

けれども、私はそれを必ずしも否定的には考えたくない。そもそも人間は、自分を形づくってきたものをすべて剥ぎ取ったところに、「本当の自分」が隠れているような存在なのだろうか。家族に育てられ、学校で学び、母語を身につけ、国家の制度のなかで暮らし、仕事をし、人を愛し、友人と付き合う。その一つひとつが私たちを形づくっている。そのすべてを取り除けば自由な人間が現れるというより、最後には何も残らなくなってしまうのかもしれない。

このことは、退職後の私の暮らしを見ても、よく分かる気がする。私はいま、三つの場所を行き来して暮らしている。11月から3月まではタイの海辺にいて寒さを感じずに過ごし、5月から9月まではフランスの山に囲まれた場所で暑さを避けて暮らす。そして、その間の4月と10月には日本に立ち寄る。自分でも、ときどき回遊魚のような生活だと思う。

ところが、同じ人間が移動しているはずなのに、場所が変わると生活だけでなく、自分まで少し変わってしまう。

タイでは、考えることと書くことで時間が過ぎていく。顔見知りはいても深い話をするわけではなく、会話の多くは妻と交わす。毎日妻とデートしているような日々である。朝日を見るために毎朝六時には砂浜に立ち、一日を過ごしたあとはくたくたになってベッドに入る。これ以上ないほど健康的な生活をしている。そして、Tame、Tamed、Tamingなどということを考えているのも、なぜかタイにいるときなのである。

フランスに移ると、私はあまりものを考えなくなる。書くことも少なくなる。丘を歩いても、山を眺めても、そこから文章が浮かんでくるわけではない。長年の知人たちが次々と亡くなったこともあって、買い物に出ても、食事に出かけても、自分の年齢を意識することが多くなった。夏は日が長いから夜更かしをし、朝も遅くまで寝ている。同じ私であるはずなのに、タイにいる私とは、時間の流れ方まで違っている。

日本ではまた別の人間になる。滞在期間が短いこともあって、とにかく忙しい。親が遺していった荷物も、子どもが置いていった荷物も片づけたいと思っているのに、なかなかそこまでたどり着かない。景色をぼんやり眺める暇もなく、一日があっという間に終わる。酒を飲むことが多くなるのも日本にいる時期である。

いる場所が変われば、体調も変わる。生活が違い、食べるものが違い、着るものが違い、歩く速度まで違う。どこが一番よいということではない。ただ、同じ人間でありながら、自分のなかから少しずつ違う人間が現れてくることだけは確かである。

そう考えるようになってから、オニュジアンだった自分についても、少し違った見方をするようになった。タイにいる自分、フランスにいる自分、日本にいる自分のどれか一つだけが本当の私なのではない。それなら、国連にいたころの自分だけを過去のものとして切り離す必要もないのだろう。人間は、ひとつの場所を離れるたびに以前の自分を脱ぎ捨てて、新しい自分に着替えていくのではない。むしろ、さまざまな場所で形づくられた自分を、気づかないまま幾重にも重ねて生きているのではないだろうか。

だからUntamingとは、過去のTamingを消してしまうことではないのだと思う。日本人だった自分を捨てる必要もなければ、オニュジアンだった自分を消す必要もない。タイにいる自分と、フランスにいる自分と、日本にいる自分のどれかに決める必要もない。ただ、そのどれか一つに自分の全体を明け渡さないことである。自分のなかにそれぞれを残しながら、ときには少し離れたところから、それらを眺めることができればよい。

実際、国連で三十年間働いていたからといって、私はいま国連のことを頻繁に思い出すわけではない。国連そのものへの興味も薄れ、かつてなら当然知っていただろう人たちの名前も、いまでは知らずに暮らしている。UNECEが現在どうなっているのかさえ、ほとんど意識することがない。それはたぶん、国連という組織が私の日常から十分に遠ざかったということなのだろう。

それなのに、私のなかにはオニュジアンであったことが歴然と残っている。考え方なのか、価値観なのか、モラルなのか、自分でもうまく言葉にできない。おそらく自分では気づいていないもののほうが多い。しかし、自分が当然のこととして考えていることのいくつかを辿っていけば、その遠い源に国連があるような気がしてならない。

マラガで昔の同僚たちに会ったとき、不思議な懐かしさを感じるのも、そのためなのだろう。そこに国連はない。それでもオニュジアンたちはいる。制度はなくなったのに文化が残り、職務はなくなったのに記憶が残り、組織への所属は終わったのに、その人たちと一緒にいると説明しなくても通じる何かが残っている。それは組織によるTamingの痕跡であると同時に、自分が実際に生きてきた時間そのものでもある。

自分をつくった場所から離れることと、その場所を自分のなかから追放することは、やはり同じではないのだと思う。自由とは、自分をつくったものを一つずつ消し去って、最後に何ものにも属さない純粋な自分になることではないのだろう。むしろ、自分をつくってきたものを抱えたまま、そのどれにも完全には所有されないことなのかもしれない。

タイの海辺にいる私は、フランスの山にいる私とは少し違う。日本にいる私は、そのどちらとも違う。そして、いまの私は、国連にいたころの私ともずいぶん違っている。それでも、それらは全部、自分なのである。

私はもう国連に戻りたいとは思わない。国連の中で何が起きているのかを知らなくても困らない。それでも、自分のなかからオニュジアンだけを取り除くことは、たぶんできないし、その必要もない。日本人であることから離れる必要もなければ、タイやフランスで暮らす自分のどれかを選び取る必要もない。それぞれの場所に自分の一部を置き、それぞれの場所から何かを受け取りながら、それでも、どこか一つの場所に自分のすべてを預けないで生きていけばよいのだと思う。

考えてみれば、私はずっとそうしてきたのかもしれない。ひとつの国から少し離れ、ひとつの組織から少し離れ、ひとつの常識から少し離れる。離れるといっても、捨てるわけではない。遠くへ逃げるのでもない。そこに属していた自分を否定するのでもない。ただ、そこから半歩ほど離れたところに立って、ときどき自分がいた場所を振り返る。そのくらいの距離があると、それまで当たり前だったものが少し違って見えてくる。そして、自分自身のことも少し違って見えてくる。

おそらく私にとってのUntamingとは、どこにも属さないことではない。どこからも、少し離れて生きることなのだ。

そう、私は国連で働いていた。そしていまも、私のなかにはオニュジアンがいる。その自分を捨てるつもりはない。ただ、オニュジアンからも少し離れている。

死ぬまでオニュジアンでありながら、オニュジアンからも少し離れて生きる。そのくらいの距離が、私にはちょうどよい。

私は間違っているかもしれない

人は権威に従うことでTameされるのだと、私は長いあいだ単純に考えていた。しかし、本当にそうなのだろうか。社会が右を向けば右を向き、左を向けば左を向く人がTameされていることは分かりやすい。戦争の時代には戦争を支持し、戦争が終われば民主主義を支持する。昨日まで正しいとされていたものが今日否定されれば、自分も昨日の自分を忘れたように新しい正しさを受け入れる。人間はそうやって時代に適応して生き延びてきたのだから、それ自体を責めても仕方がないのかもしれない。それでも、そこには確かにTamingがある。

では、いつも社会に反抗する人はどうなのだろう。社会が右を向けば左を向き、社会が左を向けば右を向く人である。赤尾敏の生涯を考えていて、そのことが気になった。彼については少し注意が必要で、若いころ社会主義運動にかかわったものの、国家主義への転向は戦後ではなく1920年代であり、1942年の翼賛選挙にも非推薦候補として当選している。日米戦争にも反対していたから、単純に戦前左翼、戦後右翼という人物ではない。むしろ思想的位置を変えながら、時代の主流から繰り返し外れた人物と見るほうが近い。

けれども、ここで重要なのは赤尾敏自身を何かひとつの型に押し込めることではない。考えてみたいのは、従うことと反抗することの関係である。社会が言うことに従う人は、社会によって自分の位置を決めてもらっている。しかし、社会が言うことには必ず反対すると決めている人もまた、社会によって自分の位置を決めてもらっているのではないだろうか。前者は社会と同じ方向へ歩き、後者は反対方向へ歩く。しかし、どちらも社会がどちらを向いているかを見なければ、自分がどちらへ歩くべきなのかを決められない。その意味では、服従も反抗も、それだけではUntamingではない。

本当にTameされにくい人とは、社会が右へ行ったから左へ行く人でも、左へ行ったから右へ行く人でもなく、社会がどちらへ行こうと、「それで、自分はどう考えるのか」と問い続ける人なのかもしれない。結果として多数派と同じ答えになることもあるし、まったく逆の答えになることもある。大切なのは答えではなく、そこに至る過程を誰かに明け渡さないことである。

宗教について考えると、この問題はさらに鮮明になる。若い宗教家や改革者が既成の権威に立ち向かうのを見ると、私たちはその人物をUntamedだと思いたくなる。ジャン・カルヴァンも既存の宗教世界に挑戦した宗教改革者だった。しかしジュネーヴにおいて改革派の秩序が形成されると、宗務局は市民の宗教生活や行動を規律する制度として機能するようになった。 古い権威に従わなかった人間が、やがて新しい権威をつくる側に立つのである。

ここで恐ろしいのは、悪意ではなく純粋さなのかもしれない。権力が欲しいから他人を支配する人については、私たちは比較的警戒しやすい。しかし「これは正しい」と心の底から信じている人は違う。最初は「あなたの真理を私に押しつけないでほしい」と言っていた人が、いつしか「これは真理なのだから、あなたも従わなければならない」と考え始める。しかも本人には他人を支配しているという意識さえないかもしれない。自分のためではなく神のため、社会のため、人類のため、真理のためにやっていると思っているからである。

純粋な人は、Tamingに強いように見えて、奇妙なほど弱いことがある。世俗的な権力には激しく抵抗できるのに、一度これが絶対的な真理だと思うと、そこには自分自身のすべてを委ねてしまう。そして、それだけなら自分がTameされるだけだが、さらに一歩進めば、今度は他人をTameする側へ回っていく。古い権威から自分を解放しようとした人が、新しい権威をつくる。歴史のなかで何度も繰り返されてきたことなのだろう。

科学の世界も、本質的にはそれほど違わないのではないかと思う。私は、若いころには、分からないことを探るのが科学なのだと考え、教科書に書かれていることさえ疑っていた科学者が、年齢を重ねるにつれて権威主義的になっていく姿を何度も見てきた。若いころには「教科書にはそう書いてある。それで、本当に正しいのか」と質問していた人が、何十年かたつと若い研究者に「そんなことは教科書に書いてある」と答えるようになる。

これは単なる印象だけとも言い切れない。1960年から2020年までに論文を発表した1,250万人以上の研究者を分析した研究では、研究者のacademic ageが上がるにつれて、既存の考えを組み合わせるnoveltyは増える一方、既存の考えを置き換えるdisruptive innovationは低下するという結果が報告されている。ただし、年齢と科学的創造性の関係は時代や分野によって変化することも知られており、単純に「老化すると保守的になる」と考えるべきではない。

Tamingという観点から私が興味を引かれるのは、科学者が科学によってTameされていく可能性である。若いころの科学とは問いを生み出す方法だった。それがいつの間にか、問いに終止符を打つ権威になる。「分からないから調べよう」という科学が、「科学的にはもう分かっている」という言葉によって疑問を封じる科学へと変わる。しかし本人は科学から離れたのではない。それどころか、あまりにも深く科学の制度のなかに入り込んだために、自分自身がその権威の一部になったのである。

最初は制度が人をTameする。やがて人はその制度の言葉で世界を見るようになる。そして最後には、その人自身が次の世代をTameする側になる。この循環は宗教にも科学にも、政治にも思想にもあるのだろう。

しかし、ごくまれに、その循環から外れる人がいる。

私には、Pierre Petroffという知人がいた。2025年10月29日に83歳で亡くなったCNRSの名誉研究部長だったことは死亡記事にも残されている。 生前、彼について印象深い話を聞いたことがある。ある賞を受けることが内定したあと、自分の研究のなかに誤りを見つけ、賞を辞退してしまったというのである。この逸話について私は公刊資料で確認したわけではない。私自身が彼について聞き、長く記憶している話である。

この逸話を思い出すと、Tamingとは人を脅して従わせることだけではないのだと思う。むしろ、もっと抗いがたいTamingがあるのではないだろうか。それは承認である。「あなたは正しい」「あなたの研究は素晴らしい」「あなたにはこの賞を受ける資格がある」と世界から言われる。命令でもなければ強制でもない。人は褒められることによってもTameされる。

賞を受けることが決まったあとで自分の研究の誤りを見つけたとき、一方には社会的な現実があったはずである。賞があり、評価があり、長年積み重ねてきた自分自身の経歴がある。そしてもう一方には、「ここは間違っている」という、ただそれだけの事実がある。社会的な重みだけを比べれば、前者のほうが圧倒的に大きい。それでも、もし私が聞いたとおり、Pierre Petroffが賞を辞退したのなら、彼は大きな社会的現実よりも、小さな事実を選んだことになる。

それが、科学者として美しいと思う。

若いころ権威に反抗する人は珍しくない。自分にはまだ失う権威がないからでもある。しかし、長い年月をかけて評価を築き上げ、自分自身が権威になったあとで、その権威に抵抗することはずっと難しい。「あなたは間違っている」と言うことより、「私は間違っていた」と言うほうが難しい。そしてさらに難しいのは、世界中が「あなたは正しい」と言ってくれているときに、それを断ることである。

そう考えていくと、Tamingに対して本当に強い人とは、何も信じない人でも、すべてに反抗する人でもないように思えてくる。強い信念を持っていてもよい。宗教を深く信じてもよいし、科学に人生を捧げてもよい。問題は、その信念の中心に、小さな空白を残せるかどうかなのだろう。

「それでも、私は間違っているかもしれない。」

その一言のための空間である。

それは弱さではない。むしろ、自分自身を最後の権威にしないための強さなのだと思う。社会に従う人も、社会に反抗する人も、宗教的真理を信じる人も、科学的真理を追究する人も、この小さな空間を失ったとき、自分がTameされていることに気づかなくなる。そしてさらに怖いことには、自分の正しさによって他人をTameすることまで始めてしまう。

だからUntamingとは、何ものにも従わないことではないのだろう。権威をすべて破壊することでもない。自分が信じているものと自分自身とのあいだに、ほんのわずかな距離を残しておくことなのかもしれない。

そして、このTamingという考え方についても同じである。Tamingという言葉で人間も歴史も宗教も科学も説明できるような気がしてきたときこそ、「本当にそうだろうか」と問い直さなければならない。もしTamingという考えそのものを疑えなくなったなら、私たちはTamingを考えているつもりで、いつの間にかTamingという思想によってTameされていることになる。

世界に対して「なぜ?」と問い続けることは、それほど難しくないのかもしれない。本当に難しいのは、自分が正しいと思っていることに対しても、同じ「なぜ?」を向け続けることである。そして、生涯の最後までそれをやめなかった人にだけ、ほんの少し、Untamedでいられる余地が残されているのではないだろうか。

植物と人間の長い歴史を眺めてみる

人間が野生の植物のなかから、実の大きなもの、食べやすいもの、収穫しやすいものを選び、その種を自分たちの近くに播き始めたとき、人間は植物をTameしていたのだと私たちは考える。しかし、一万年ほどの長い時間を振り返ってみると、そこで起きていたことはそれほど一方向ではなかったように思える。人間はたしかに植物の性質を変えたが、その植物に食料を依存するようになるにつれて、自分たちの住む場所や働く時期、土地との関係や他人との関係まで変えていった。現代の栽培化研究でも、栽培化は、人間が繁殖や増殖をある程度コントロールし、そのかわりに資源を得る特殊な相利関係として捉えることができると論じられている。

そうして考えてみると、イネ、ムギ、アワやキビ、ヒエ、ソバ、トウモロコシ、ジャガイモ、リンゴは、すべて「人間に栽培化された植物」でありながら、人間とのあいだに結んだ関係はずいぶん違っている。そして、この違いを見ていけば、Tamingというものが単なる支配でも服従でもなく、生き物と生き物とが関係を結ぶことによって、双方が以前とは違う存在になっていく過程であることが見えてくる。

イネ 水までをTameする植物

イネ、とりわけ水田で作られるイネについて考えるとき、最初に気づくのは、人間がTameしなければならなかったものが植物だけではなかったことである。イネを安定して育てるためには土地を整え、水を引き、ある場所では水を溜め、ある場所では排水する。つまり人間が作り上げたのは、一株の栽培植物ではなく、イネが大量に生育できる人工的な生態系そのものだった。

植物の栽培化では、熟した種子が簡単には落ちない「非脱粒性」のような、人間にとって収穫しやすい性質が重要になる。こうした変化は瞬間的に生じたわけではなく、イネやムギなどでは長い時間をかけて進んだことが研究から示されている。 人間は毎年、人間にとって都合のいい植物を残し、植物の身体に人間の都合を少しずつ刻み込んでいったのである。

しかし、その生態系を維持するようになると、人間も好き勝手には動けなくなる。田には田の時間があり、水には水の都合があり、植物には生育の季節がある。水を共同で利用するのであれば、自分の田だけを考えているわけにもいかない。人間はイネをTameし、土地をTameし、水をTameしたが、その結果として人間自身も、イネと水と季節が作る時間のなかへ組み込まれていった。

人間が植物をTameすることと、植物によって人間の暮らしがTameされていくことが、すでにここでは同時に始まっているのである。

ムギ 未来を保存する植物

ムギのTamingもまた、人間の生活を大きく変えた。ムギの場合には、水田稲作ほど水そのものを制御しなくても、播種し、生育を待ち、収穫し、脱穀し、保存して、翌年もう一度播くという周期が、人間の生活に入り込んでくる。

ここで興味深いのは、農耕によって人間が「現在」だけではなく、未来を管理するようになることである。収穫したものをすべて食べてしまってはならない。次に播くための種を残さなければならないし、保存した穀物を湿気や害虫から守る必要もある。

そうなると、人間の時間感覚そのものが変わる。今年の収穫物のなかには、すでに来年の生活が含まれている。現在の欲望を少し抑え、まだ存在していない未来のために何かを残す。穀物を貯蔵できるということは、それを守るという行為を生み、蓄えがあるということは、それを誰のものとするのかという問題を生みうる。

もちろん、所有や国家や階層の成立をムギだけで説明することはできない。しかし、イネ、ムギ、トウモロコシのような主要穀物の栽培化と拡散が、人間社会の社会的・政治的組織の変化と深くかかわったことは、現在の栽培化研究でも重視されている。

植物を保存できるようになったとき、人間は同時に、保存する人間、計画する人間、未来を心配する人間になっていった。

アワとキビ 乾いた土地へ広がるTaming

アワやキビに目を移すと、農耕というものが水の豊富な場所だけから作られた世界ではなかったことが見えてくる。人間はどこでも同じ植物を植えたのではなく、それぞれの土地の気候や水や土壌に適した植物を見つけ、それとの関係を作っていった。

ここでTamingの意味は微妙に変わる。自然を人間に都合のい一種類の環境へ統一していくだけではなく、異なる環境にすでに存在する可能性を見つけ、その場所に合った植物を選ぶことで、人間の生活可能領域を広げていくからである。

この意味では農業は一つではない。同じ農耕でも、水田でイネを作る人間と、乾いた土地で雑穀を栽培する人間とでは、土地との関係も、水との関係も、時間との関係も違ってくる。

「農耕民」という一語でまとめてしまえば、この違いは消えてしまう。しかしTamingという目で眺めれば、人間は一つの方法で世界を征服したのではなく、さまざまな土地でさまざまな植物と異なる関係を結び、そのたびに異なる生活の形を作ったのだということが見えてくる。

ヒエ 周縁を生きられる場所にする植物

ヒエのような作物に目を向けると、さらに別の世界が見えてくる。文明の歴史を書くとき、どうしても大量の人口を養った主要作物ばかりが目立つ。しかし、人間が暮らした場所は、いつも主要作物にとって理想的な場所だったわけではない。

そのような場所にも、人間は暮らしてきた。Tamingを生産量の最大化だけで考えるなら、こうした植物は歴史の脇役になってしまう。しかし「どこまで人間が暮らせるようになったのか」という視点から見るなら、その意味は違ってくる。

イネが大量の人口を支える中心の風景を作ったとすれば、ヒエのような作物は、その中心から外れたところにも人間が生活できる余地を残したと考えることができる。

これは、中心を作るTamingではなく、周縁を生きられる場所にするTamingである。歴史に大きく書かれない人々が歴史の外にいたわけではないように、主要作物ではない植物もまた、人間の文明の外にあったわけではない。むしろ文明の縁を静かに支えていたのである。

ソバ 自然を作り替えずに生きる

ソバについて考えると、Tamingにはさらに柔らかな形があったことが分かる。ソバはイネ科の穀物ではないが、人間はその種子を穀物のように利用してきた。

ここで興味深いのは、人間が自然を徹底的に改造することだけがTamingなのではない、ということである。人間が自然に「私たちに合わせろ」と要求することもできる。しかし同時に、「この土地で育ってくれるものは何だろう」と探すこともできる。そこでは自然を人間の側に引き寄せるだけでなく、人間の側も自然へ歩み寄っている。

もちろんソバも栽培植物である以上、人間による選択を受けている。しかしTamingという大きな視点から見れば、そこには環境を全面的に均質化するのではなく、異なる環境のなかに残された余地を利用するという、別の生き方が見えてくる。

自然を完全に従わせることではなく、自然との折り合いを見つける。それもまたTamingの一つのかたちなのである。

トウモロコシ 自立を失って世界を獲得する

トウモロコシに来ると、人間と植物との関係はもっと劇的になる。トウモロコシは人間による選択を長く受けることによって、野生祖先とは大きく異なる姿になった代表的な作物であり、イネやムギと並んで世界へ広がった主要穀物でもある。

ここには、Tamingについての重要な逆説がある。

野生植物にとって重要なのは、人間がいなくても自分の子孫を残せることである。しかし栽培植物では、人間にとって収穫しやすい性質が選ばれていく。その結果として、植物の人間への依存度が高くなることがある。

それを単純に「退化」と呼ぶことはできない。なぜなら、自力で生きる能力の一部を失うかわりに、人間という途方もなく強力な協力者を獲得することがあるからである。人間は土地を耕し、種を播き、水を与え、競合する植物を取り除き、収穫した種子の一部を翌年また播く。そして何よりも、自分では移動することのできない植物を、山の向こうへ、大陸の向こうへ、ついには海の向こうへまで運んでいく。

ここで、奇妙な問いが浮かんでくる。いったい、どちらがどちらを利用したのだろう。人間がトウモロコシを利用したことは疑いない。しかしトウモロコシもまた、人間との関係のなかで途方もない繁栄を手にしたのである。

ジャガイモ 人間を別の世界へ連れていく

ジャガイモはさらに違った方向から、Tamingというものを見せてくれる。アンデスで人間がジャガイモを栽培するようになることによって、人間はその植物が持つ環境への適応力を自分たちの生活の一部として利用できるようになった。ここでは、人間が植物を自分の環境に引き入れただけではない。

植物の能力を借りることによって、人間の側が生活できる世界を広げていった。この関係は、ヒエやソバともどこか似ている。Tamingとは、世界のどこでも同じ植物が育つように環境を改造することだけではなく、その土地で育つことのできる植物と関係を結ぶことで、人間自身が新しい環境へ入り込んでいくことでもあった。

しかしジャガイモは同時に、Tamingの危険も教えてくれる。人間にとって都合のいいものに栽培を集中させ、多様性を失えば、生産は効率化する一方で、特定の病害などに対する脆弱性が大きくなることがある。

ここにはTamingの深い逆説が存在する。多様なものを揃えれば管理しやすくなる。しかし、揃えすぎれば、すべてが同じ弱点を持つようになる。この構造を見ていると、植物の話だけをしているとは思えなくなってくる。人間社会を均質化するTamingにも、どこか同じ危うさがある。

リンゴ 生存から欲望へ

そしてリンゴまで来ると、Tamingはまた違った表情を見せる。人間はリンゴがなければ生きていけないわけではない。少なくともイネやムギのような主食とは、人間との関係が違う。それでも人間は長い時間をかけて、自分たちが好ましいと思うリンゴを選び、残し、増やしてきた。

ここには、Tamingの新しい段階が見える。食べられればいいのではない。もっと甘いものが欲しい。もっと大きなものが欲しい。香りのいいものが欲しい。歯触りのいいものが欲しい。この実の味を来年も残したい。

つまり人間は自然に対して、単に「私たちを生かしてほしい」と要求するだけではなく、「私たちを喜ばせてほしい」と求めるようになったのである。

ここでTamingは、生存の技術から文化へと広がっていく。食べ物はカロリーだけではなくなり、味覚になり、香りになり、美しさになり、楽しみになり、記憶になる。人間は植物の身体のなかに、自分たちの欲望や美意識を刻み込むようになった。

植物にも「生きようとする意思」があるように見える

ところが、ここまで植物と人間との関係を眺めていると、どうしても一つの奇妙な感覚が生まれてくる。植物が人間のように考えているわけではない。植物が未来を想像し、「人間を利用して自分の子孫を増やそう」と計画しているわけでもない。進化に、そのような目的や計画を持ち込む必要はない。

それでも、何千年、何万年、もっと長い生命の時間で眺めていると、植物の側にも何としてでも生き延び、子孫を残し、自分の生命を未来へ受け渡そうとする**「意思のようなもの」**が働いているように見えてくる。

考えてみれば、植物はもともとさまざまなものを利用してきた。風を利用して種を運ぶ植物がある。動物に果実を食べてもらい、別の場所へ種を運んでもらう植物がある。植物がそれを考え出したわけではない。そのような性質を持った植物が結果としてより多くの子孫を残してきたのである。

そうであるなら、人間もまた、その長い関係のなかに現れた一つの存在だったと考えることができる。トウモロコシは人間を知らない。ジャガイモは船が何であるかを知らない。リンゴは人間が甘いものを好む理由など知らない。それでも、人間にとって有用であったり、おいしかったり、美しかったりする植物は、人間によって選ばれ、守られ、増やされ、遠い場所へ運ばれていった。

植物自身が一歩も歩かなくても、人間が代わりに世界中へ運んでくれる。植物自身が畑を作れなくても、人間が森を切り開いてくれる。植物自身が競争相手を排除できなくても、人間が雑草を抜いてくれる。植物自身が海を渡れなくても、人間が船に載せてくれる。

もちろん植物がそう仕向けたわけではない。しかし何千年もの結果だけを見れば、まるで植物が人間という巨大な移動装置、繁殖装置、環境改変装置を獲得したようにも見える。

そして人間のほうも、その関係から自由ではなかった。人間はイネを生かすために水田を維持し、ムギを生かすために種を保存し、トウモロコシを生かすために土地を耕し、ジャガイモを次の土地へ運び、リンゴのために果樹園を作る。植物が命令したわけではない。それにもかかわらず、人間は膨大な時間と労力を使って、特定の植物が生き、増殖できる環境を作り続けてきた。

ここまで来ると、「人間が植物をTameした」という言葉だけでは、この関係の半分しか表現していないような気がしてくる。

Tamingとは、関係を結ぶことだった

イネは人間を水と土地に結びつけた。ムギは、人間を播種、収穫、保存という未来へ向かう時間のなかに置いた。アワやキビは異なる環境で異なる農耕を可能にし、ヒエは文明の中心から外れた場所にも人間が暮らせる余地を広げた。ソバは、自然を全面的に作り替えなくても自然と折り合って生きる道を残した。トウモロコシは、自立性を一部失うことと繁栄することが必ずしも矛盾しないという奇妙な関係を示し、ジャガイモは植物の能力を借りることで人間の生活圏を広げた。そしてリンゴは、生き延びるためだけではなく、喜びや味覚や美しさのためにも、人間が植物を変えていくことを示した。

それらをすべて「栽培化」という一つの言葉で括ることはできる。しかしTamingという視点から眺めれば、それぞれは違う植物と人間との間に結ばれた、異なる「契約」のように見えてくる。

そして、その契約を結ぶたびに、人間も変わった。畑を作れば、そこへ戻るようになる。種を播けば、収穫を待つようになる。穀物を蓄えれば、それを守るようになる。水路を作れば、維持しなければならなくなる。他人と水を共有すれば、協力や規則が必要になる。特定の植物に依存すれば、その植物を失うことを恐れるようになる。

人間は植物を変え、植物によって人間の暮らしも変わる。その変わった人間が、さらに植物を変えていく。

そう考えると、Tamingとは、強いものが弱いものを一方的に支配することだけではないのかもしれない。一つの存在が別の存在と関係を結ぶことによって、双方が以前と同じ存在ではいられなくなり、その関係から簡単には戻れなくなること。 それもまたTamingなのではないだろうか。

植物に人間のような意思があるわけではない。それでも植物と人間の長い歴史を眺めていると、生命そのもののなかに、形を変え、別の生命を利用し、ときには別の生命に利用されながら、それでも未来へ続いていこうとする、意思に似た何かがあるように感じられる。

そして、その視点に立つと、農耕の始まりも違って見えてくる。それは「人間が自然を征服した瞬間」だったのではない。人間が他の生命との深い相互依存のなかへ入り、自分の自由の一部分と引き換えに、安定や蓄積や人口や味覚や文明を手に入れ始めた瞬間だったのかもしれない。

だとすれば、Tamingの歴史は、王や国家や宗教から始まったのではない。もっと静かなところから始まった。野に落ちた種を拾った誰かが、それを食べてしまわずに、来年のために残した。そして、もう一度同じ場所へ戻ってきて、その種を土のなかに置いた。

その人は、自分が文明を始めようとしているとは知らなかっただろう。植物のほうも、人間と契約したとは知らなかった。それでも、その小さな出来事から、人間は植物の生命のなかへ入り込み、植物は人間の生活のなかへ入り込んだ。どちらにも、相手をTameしようという壮大な計画などなかった。それでも長い時間が過ぎたあと、二つの生命は、互いがいなかったころとはまったく違う姿になっていた。

もしかすると、Tamingとは最初からそういうものだったのかもしれない。何者かが何者かを完全に支配することではなく、関係を結んだもの同士が少しずつ互いを変え、その関係によって新しい可能性を得るかわりに、それ以前には持っていた自由の一部を失っていくこと。その意味では、人間が植物をTameした一万年ほどの歴史は、人間が文明によってTameされていく、ずっと長い物語の始まりでもあったのである。

言葉になりきらない疑問を、自分のなかに置いておく

人間が最初にTameした動物は、オオカミだったのではないかと言われている。正確な時期や過程についてはなお議論があるけれど、少なくとも農耕が始まり、牛や羊が家畜になるよりも前に、オオカミから分かれたイヌが人間と暮らし始めていたらしい。それは考えてみれば不思議なことで、牛や羊ならば、人間がそこから何を得たかったのかは比較的想像しやすく、肉や乳や皮があり、のちには労働力にもなったのに対して、オオカミは人間と同じように獲物を追い、場合によっては食物を奪い合う競争相手でもあった。そのような動物と人間が、なぜこれほど深い関係を結び、人間のいちばん身近な存在であるイヌへとつながっていったのだろう。

最初は、これを生存戦略として考えてみたくなる。人間に近づいたオオカミには食物を得られる機会があり、人間の集団の周辺にはある種の安全もあったかもしれず、一方の人間にとっても、鋭い嗅覚や聴覚を持ち、危険に敏感で、狩りにも適しているオオカミとの関係には何らかの利益があっただろう。互いに異なる能力を持つ二つの動物が少しずつ距離を縮め、やがて共に暮らすようになったと考えるなら、人間に近づくことはオオカミにとって非常に優れた生存戦略だったようにも見えてくる。人間を避け続けたオオカミが各地で生息できる場所を失っていったのに対して、人間との生活に入った近縁の系統は人間とともに世界中へ広がっていったのだから、結果だけを振り返れば、人間に近づいたことがその後の繁栄につながったと考えたくなるのも無理はない。

しかし、そこで「生存戦略」という言葉が気になってくる。オオカミは本当に何かを戦略として選択したのだろうか。人間のそばへ行けば食物を得ることができ、安全になり、自分たちの子孫が何万年も後になって世界中で繁栄できるなどという未来を思い描き、それなら人間と暮らそうと決心したはずはない。おそらく実際にあったのは、人間を極端には恐れなかった個体や、人間の近くで食物を得ることのできた個体がいたというような、一つ一つはもっと小さな出来事だったのだろうし、その反対側では、オオカミの子を拾って育てたり、近くにいるオオカミを追い払わなかったりする人間もいたのかもしれない。それぞれの場面で起きていたことは、そのときそのときの事情に応じた小さな接近や選択であって、どちらの側にも、何万年後にイヌという動物を作り出す計画があったわけではない。

だとすれば、「オオカミは生き延びるためにイヌになった」という物語は、後世の人間が結果から逆算して作ったものなのだろう。イヌになろうとしたオオカミがいたのではなく、人間との距離をある程度まで縮めることのできた一部のオオカミがいて、その関係が何世代にもわたって続き、その環境のなかで生きやすい性質を持った個体が残り、やがて人間自身も繁殖に介入するようになった。その長い積み重ねの向こう側に、私たちがいまイヌと呼んでいる動物がいるのだとすれば、そこには一つの壮大な戦略があったというより、多くの小さな出来事が積み重なった末に、後から見ると一つの方向へ進んできたように見える歴史があったと考えたほうがいいのかもしれない。

そう考えると、Tamingについても少し見方を変えなければならなくなる。私たちはTamingという言葉から、どうしてもTameする者とTameされる者を想像し、人間がオオカミを捕まえ、何らかの目的を持って自分たちに都合のいい動物へ変えていったという物語を考えてしまう。しかしTamingは、必ずしも最初からTamingとして始まるわけではないのかもしれない。偶然にある関係が生まれ、その関係が双方に何らかの利益をもたらすので繰り返され、反復されるうちに習慣となり、その習慣が少しずつ生きる環境そのものになっていく。その環境に適したものがさらに生き残り、何世代も過ぎたころには、かつてはいくつもあったはずの可能性のなかから一つの道が深く刻まれ、その関係の外側へ出ることが次第に難しくなっている。つまり最初から巨大な計画があったわけではないのに、時間を経た結果には確かな方向性が生まれているのである。

このことを「すべて偶然だった」と呼ぶこともできるかもしれないが、それだけでは何か大事なものが抜け落ちてしまう。偶然によって始まったことと、その後に起こることがいつまでも偶然であり続けることとは違うからである。最初に雨水が地面のどこを流れるかには偶然があるとしても、いったんそこに小さな溝ができれば、次の雨の水はその溝へ入りやすくなり、さらに水が流れることによって溝は深くなり、ますます多くの水がそこを通るようになる。Tamingにもこれと似たところがあって、最初の偶然が次に起こることの可能性を少し偏らせ、それがまた次の条件になるという過程が長く続けば、最初にはいくつもの可能性があったことさえ次第に見えなくなっていく。

最初のオオカミには、人間から離れて生きる道も、人間へ近づく道も、その中間で生きる道もあっただろう。しかし、そのうちの一つの関係が何千世代にもわたって続き、身体や行動までその関係へ適応するようになれば、現在のイヌには祖先のオオカミほど多くの道が残されているわけではない。祖先にとっては偶然だったものが子孫にとっては環境となり、さらに長い時間が過ぎれば身体や行動の一部にまでなっていくのであれば、偶然は反復されることによって、後からその世界へ生まれてきたものにとっては、最初からそうであったかのような必然に見えるのである。

これはイヌだけの話ではなく、私たち人間もまた、自分では選んでいない世界のなかへ生まれてくる。なぜこの言語を話しているのか、なぜ国家があり、国籍があり、貨幣を使い、学校へ行き、時計によって一日を分け、一定の年齢になると働いて所得を得るのかを一つ一つ歴史のなかへ遡っていけば、そこには無数の偶然や、その時代には合理的だった判断、権力による強制、さまざまな成功や失敗が見つかるだろう。しかし今日そこへ生まれてくる一人の人間にとって、それらは過去の人々が選ぶことのできた歴史上の選択肢として現れるのではなく、初めからそこに存在する世界として現れる。

するとTamingには、必ずしも最初のTamerが必要ではないということになる。誰か一人の支配者が「人間をこういう存在にしよう」と計画したわけではなくても、過去の無数の小さな判断が積み重なって習慣となり、習慣が制度となり、その制度のなかで暮らす人間が今度は制度に適した性質を身につけていく。そのような時間が長く続けば、制度が人間を作り、その人間がまた制度を支え、その制度のなかに次の世代が生まれてくるという循環が成立するのであって、この意味では、特定の誰かがTamerなのではなく、歴史そのものがTamerになっていると考えることさえできる。

しかし、ここでイヌと人間とのあいだには大きな違いが現れる。イヌは自分が歩いている道の由来を問いはしないだろうし、こちらへ行きたい、これは嫌だ、この人と一緒にいたい、というそのときどきの選択はするとしても、「なぜ私は人間と暮らしているのだろう」「どうして私はイヌなのだろう」「祖先には別の生き方があったのではないか」「本当にここしか歩けないのだろうか」と、自分を作ってきた歴史そのものを自分の外に置き、問いの対象にするわけではない。ところが人間は、いつもそうしているわけではないにしても、ときに自分が生きている世界そのものを眺め、それが本当に唯一の世界なのかと問い直すことができる。

もっとも、人間も大部分の時間はイヌと同じように、与えられた世界をそのまま生きている。毎朝、貨幣とは何かを問い直してからパンを買う人はいないし、国家とは何かを考えてからパスポートを使うわけでもない。社会のあらゆるものを毎日のように根本から問い直していたら生活そのものが難しくなるのだから、私たちは世界のほとんどを「そういうものだ」として受け入れ、それによって日常を成り立たせている。それでも、ときどき一人の人間のなかに、「なぜ私は働いていないと不安になるのだろう」「なぜ役に立たなければならないと思うのだろう」「なぜ国家にこれほど大きな意味を与えているのだろう」「なぜ学校へ行くことが当然なのだろう」「なぜ立派な人間にならなければならないのだろう」という、普段ならそのまま通り過ぎてしまうような「なぜ?」が生まれることがある。

その問いが生まれたからといって、世界が急に変わるわけではない。翌朝になれば仕事へ行くだろうし、店では貨幣を使い、国境ではパスポートを見せるだろうけれど、それまで世界そのものに見えていたものが、「人間がある歴史のなかで作ってきた一つの仕組み」に見えた瞬間、それまで自分と世界とのあいだにはなかった、ごく小さな隙間ができる。問いそのものが出口になるわけではなくても、そこには別の見方や別の生き方へ通じる出口がどこかにあるかもしれないと気づかせる小さな窓のようなものが生まれ、その窓があることによって、同じ世界のなかにとどまりながらも、世界と自分とを完全には同一視せずに済むようになる。

ただし、ここでさらに注意しておかなければならないのは、問いを持つ人間を優れた人間とし、問いを持たない人間をTameされた人間として見下してしまえば、「常識を疑いなさい」「自分で考えなさい」「批判的でありなさい」という別のTamingが始まってしまうということである。何もかも疑う人間が自由であるとは限らず、疑うことそのものが義務になってしまえば、その人もまた「疑わなければならない」という新しい規範に自分を合わせることになる。だから、問いを持つ能力を大切にすることと、絶えず問い続けることを人間の義務にすることとは分けて考えなければならない。

海を眺めている人が、なぜ自分は海を眺めているのかを考える必要はないし、海を見ることが社会にどのような意味を持つのかを分析する必要も、自分がTameされているのかUntamedなのかを判定する必要もない。ただ海を眺め、夕方になって風が冷たくなったら家へ帰ればいいのであって、以前考えた「何も書かなかった人」に、今度は哲学者であることまで要求してしまえば、「役に立たなくていい」というところから始まったはずの自由を、別の価値によってもう一度縛ることになってしまう。

だから人間の自由にとって重要なのは、問い続けることではなく、問うことも、問わないこともできることなのかもしれない。普段は社会のなかでごく普通に暮らし、日常のほとんどについて深く考えなくても構わないけれど、ときどき自分のなかに「なぜ?」が生まれたときには、その問いをすぐに押しつぶしてしまわなくてもいい。答えが見つからないままでもよく、問いそのものを忘れてしまってもよく、何年も経って別の経験をしたときに、不意に同じ問いが戻ってくるのであってもいいのだと考えれば、自由とは絶えず自分を問い詰める厳しい営みではなく、自分の内部に答えの出ていないものをしばらく置いておける余裕のようなものにも見えてくる。

ここまで考えると、教育というものも少し違って見えてくる。教育もまた、言葉を教え、時間を守ることを教え、読み書きを教え、他人と暮らすための規則を教える以上、人間をある社会の秩序へ導くTamingの側面を避けることはできない。そもそも何も教えず、人間を完全にUntamedなまま育てることなどできないのであって、言葉を教えること自体が、その社会が世界をどのように区切り、どのように名前を与えてきたのかを教えることでもある以上、教育からTamingを完全に取り除こうとすることには無理がある。

しかし、だからといって教育がTamingだけで終わる必要もない。子どもが「なぜ学校へ行かなければいけないの」と尋ねたとき、「勉強するためです」と答えることはできるし、その答えには十分な意味があるけれど、だからといって「この話はこれで終わり」とする必要はなく、「勉強するためでもあるけれど、学校って本当にそれだけなのかな」と、問いの一部を答えの外側へ残しておくこともできる。歴史にも科学にも社会にも教えなければならない知識はあるとしても、知識を教えることと、その知識によって問いを閉じることとは同じではなく、まさにその小さな違いのなかに、Tamingと教育との微妙な境目があるように思える。

Tamingが「この道を歩きなさい」と教えるものだとすれば、教育は「ここにはこういう道がある」と地図を渡すことに近いのかもしれない。そして本当にいい教育なら、地図を渡したあとで、そこに描かれている世界だけを世界のすべてだと思わせるのではなく、「この地図も誰かが作ったものだから、描かれていない場所があり、間違っているところもあるかもしれない」と伝え、さらには地図にない道を歩くことさえ可能なのだと、言葉にしなくとも感じさせることができるだろう。

もちろん、だからといって誰もが地図の外へ出なければならないわけではなく、みんなと同じように学校へ行き、働き、家族を持ち、社会の規則に従って暮らしてもいい。それがその人にとって心地いい道なら、わざわざ外れる必要などなく、重要なのは人と違う道を選択することではなく、世界にはこの一本の道しか存在しないと思わされないことである。同じ道を歩いていても、それしか道がないと思って歩いていることと、ほかの道もありうると知ったうえでそこを歩いていることとのあいだには、目には見えにくくても大きな違いがある。

そう考えると、教育が人間に与えられるもののなかでもっともささやかで、それでいて大切なものは、正しい答えではなく、一つの問いを問いのまま残しておける場所なのかもしれない。教師に「分かりません」と言われた問い、子どものころには答えが見つからず、いつの間にか忘れてしまった問い、社会へ出て忙しく働いているうちに、ほとんど思い出すことさえなくなった問いが、二十年、三十年を経たある日の夕方、何かの拍子にふたたび戻ってきて、「でも、本当にそうなのだろうか」と心のなかで小さく響くことがある。そのころには教師はもうそばにおらず、学校を卒業したのも遠い昔になっているかもしれないが、それでもその人の内部には、かつて答えによって塞がれなかった小さな場所が残っていたことになる。

考えてみれば、オオカミからイヌへ至った長いTamingの歴史には、そのような問いを置いておく場所はなかったのかもしれない。偶然に始まった関係が反復され、関係が環境となり、環境が身体や行動のなかへ入り込み、とうとうイヌは人間とともに生きる動物になったが、イヌはその歴史を自分の外に置いて問い直すことなく、いまも私たちのそばで眠っている。それを不幸と呼ぶ必要も、敗北と呼ぶ必要もなく、イヌはイヌとして、自分に与えられた世界をそのまま生きているのである。

人間もまた、歴史によってTameされ、社会によってTameされ、教育によってさえTameされながら生きている以上、そのすべてから完全に逃れ、どこかにある純粋なUntamedの状態へ戻ることはできないだろうし、おそらく戻る必要もない。ただ、人間には、自分が歩いている道をときどき自分の外から眺め、「私はいま、この道を歩いている」と気づくことのできる奇妙な余地が残されている。そして気が向けば、「どうしてここを歩いているのだろう」と考えることもできれば、考えた末に「やはり、この道でいい」と歩き続けることもでき、場合によっては少しだけ横道へ入ってみることもできる。

そういう意味では、UntamingとはTamingされていない原初的な状態へ戻ることではなく、Tameされた世界のなかで暮らしながらも、「なぜ?」を置いておける小さな場所を自分のなかから完全にはなくさないことなのではないだろうか。教育というものに希望があるとすれば、それもまた、子どもをいっさいTameしないことにあるのではなく、その子のなかにたまたま生まれた「なぜ?」を、大人が急いで正解や規範によって塞いでしまわず、答えの出ないものがしばらくそこにあってもいいのだと認めることにあるように思える。

オオカミが人間のそばへ近づいた遠い日の偶然から始めて、ここまで考えてくると、Tamingの反対側にあるものは、手つかずの野生でも、社会に対する絶え間ない反抗でもないのかもしれない。それはもっとささやかなものであり、「そういうものだから」と言われたあとにも、心のどこかに「ほんとうにそうなのだろうか」という言葉になりきらない疑問が残っていて、それを無理に消すことも、すぐに答えへ変えることもなく、そのまま自分のなかに置いておけるということなのだろう。

人間の自由というものがあるとすれば、それは大きな決断や社会からの脱出によって初めて手に入るものではなく、もしかすると、自分が生きている世界をそのまま受け入れながらも、その世界についての小さな疑問だけは消さずにいられる、そのわずかな隙間から始まるのかもしれない。

自分を生かしてくれている仕組みに、自分を渡してしまわない

野原で草を食べている牛を見ると、それがとても古い動物であるように感じる。牛は昔から牛であり、人間はその牛を捕まえ、飼い、乳を搾り、肉を食べるようになった。そんな素朴な歴史を思い浮かべてしまうけれど、現代の牛をそのまま昔の野生牛の延長として考えることはできない。人間と牛との長い関係のなかで、牛の身体そのものが、人間の目的によって作り替えられてきたからである。

牛の主要な祖先だった野生のオーロックスは、人間に乳を与えるためにも、肉になるためにも生きていなかった。大型の草食動物として、人間とは無関係の生を営んでいた。その子孫の一部が人間との関係に入り、長い時間をかけて家畜牛になっていったのだが、人間は単に野生牛をおとなしくしただけではない。乳を多く出すもの、肉を多くつけるもの、人間の管理下で扱いやすいもの、その土地の暑さや寒さに耐えるものを選び、それらを繁殖させてきた。やがて近代的な育種が進むと、乳を生産することを主要な役割とする牛と、肉を生産することを主要な役割とする牛との違いが、身体にまで深く刻み込まれていった。

もっとも、牛が草食になったこと自体はTamingの結果ではない。祖先のオーロックスも草や葉を食べる大型草食動物だった。牛という動物にはもともと、人間がそのままでは利用しにくい植物を、反芻と微生物の働きによって栄養へ変える能力があった。人間が見つけたのは、その能力だったのだろう。草を食べる動物を、人間はやがて「草を乳へ変えるもの」「草や飼料を肉へ変えるもの」として見るようになった。

ここには、Tamingの重要な特徴が現れているように思う。Tamingとは何もないところから能力を作り出すことばかりではない。ある生命がもともと持っていた性質のなかから、人間にとって都合のいいものを見つけ、それを極端に拡大していくことでもある。牛は乳を出す動物だった。しかし乳牛は、人間が必要とするほど大量に乳を出す身体へと導かれていった。牛にはもともと筋肉があった。しかし肉牛は、人間が望む場所に望むように肉がつく身体へと選抜されていった。牛という一つの生命のなかにあったさまざまな可能性のうち、あるものだけが人間によって選ばれ、増幅され、やがて「乳牛」「肉牛」という別々の役割を担う身体になっていったのである。

それは牛にとって成功だったのだろうか。

この問いは、思っていたより難しい。個体数を増やし、生息範囲を広げ、遺伝子を後世に残すことを生存戦略の成功と呼ぶなら、家畜牛はおそろしく成功した動物だからである。野生のオーロックスは消えた。それに対して、そのTameされた子孫たちは、人間とともに世界中へ広がった。牛自身が海を渡る必要すらなかった。人間が船に乗せ、鉄道で運び、牧場を作り、餌を用意し、病気を治療し、繁殖を助けた。

牛は、自分自身の力だけで地球上へ広がったのではない。

人間の欲望を乗り物にして、世界へ広がったのである。

これは生存戦略として考えれば、驚くほど強力だった。人間にとって役に立つ生命になれば、人間が守ってくれる。餌を与え、外敵から守り、子孫まで増やしてくれる。牛が意識してその戦略を選んだわけではないにしても、進化的な結果だけを見れば、人間との関係に入った系統は大きな繁殖上の成功を収めた。

しかし、そこには奇妙な代償があった。

牛という系統は繁栄したけれど、一頭一頭の牛が自分の生を決められる範囲は小さくなった。何を食べるのか、どこへ移動するのか、誰と交配するのか、いつ子を産むのか、どれだけ乳を搾られるのか、そしていつ生を終えるのか。牛の生存そのものが人間によって守られるようになるにつれて、その生命についての決定権も人間の側へ移っていった。

だから家畜化には、単純な「成功」という言葉では捉えられない逆説がある。

生き延びる可能性は大きくなった。しかし、自分自身として生きる可能性は狭くなった。

しかも、この生存戦略にはもう一つ、深刻な弱点が隠されている。人間に必要とされることで繁栄した生命は、人間に必要とされなくなったとき、どうなるのかという問題である。

もし将来、牛を飼わなくても牛乳に相当するものを十分に作ることができ、牛を育てて屠畜しなくても牛肉に相当するものを大量に生産できるようになったら、牛を何億頭も繁殖させる理由は弱くなるだろう。そのとき起きるのは、おそらく、牛たちが一斉に牧場から解放され、自由な草原へ帰っていくことではない。もっと静かなことが起こる。人間が次の世代の牛を作らなくなるのである。

ここでTamingの逆説は完成する。

Tameされたから増えた生命が、Tamingの目的がなくなったために減っていく。

これは、以前考えた森林の話にもよく似ている。木材が必要だったから大量に植えられた木が、社会の需要が変わったあと、目的だけを失って山に残る。木が失敗したわけではない。木を植えた時代の目的が消えてしまったのである。

牛にも同じことが起こりうる。「乳を大量に出す」という能力は、それを必要とする人間社会のなかでだけ価値を持つ。「効率よく肉をつける」という身体も、人間がその肉を必要とするかぎりにおいて価値を与えられる。人間社会が別の方法で同じものを手に入れられるようになれば、昨日まで成功の象徴だった性質が、突然、その動物を存続させる理由ではなくなる。

そう考えると、「牛の生存戦略は成功したのか」という問いへの答えは、時間の取り方によって変わってしまう。数千年間を見れば大成功だったかもしれない。しかし数万年という尺度で見れば、まだ答えは出ていない。人間の欲望に自分の存続を結びつける戦略は、人間に必要とされているあいだは非常に強いが、必要とされなくなった瞬間、非常に脆い。

だから問題は、Tameされることそのものではないのかもしれない。

Tameされることでしか生きられなくなることのほうが、危ういのである。

これは牛について考えていたはずなのに、いつの間にか人間についての問いになってくる。人間もまた、社会に適応することで非常に多くのものを得てきた。教育を受け、職業を持ち、共同体の規則を守り、国家や市場や組織のなかに居場所を見つけることで、安全、所得、医療、知識、仲間を得る。それ自体をTamingの失敗と考える理由はない。むしろ複雑な社会で生きていくためには、ある程度Tameされることが必要でもある。

問題は、そこから出られなくなることである。

「会社に属していなければ私は何者でもない」「社会の役に立たなければ存在する意味がない」「評価されなければ、自分には価値がない」というところまで来れば、外側にある社会制度が自分をTameしているだけではなく、自分の内部にTamingする者が住み始めている。檻の扉が閉じているから出られないのではない。扉が開いていても、外へ出るという発想そのものを持てなくなる。

そう考えると、Tamingの善悪を判断するとき、「Tameされているかどうか」という基準だけでは足りないように思えてくる。もっと重要なのは、出口が残されているかどうかなのではないだろうか。

ここから教育という問題も見えてくる。

教育とTamingはよく似ている。どちらも人を変えるからである。子どもは学校で、時間を守り、席について話を聞き、文字を読み、文章を書き、計算し、他人と協力し、社会の規則に沿って行動することを学ぶ。それだけを見れば、教育は人間を社会の秩序へ適合させる強力なTaming装置でもある。

けれども、本来の教育にはTamingとは反対方向へ向かう力もあるはずである。

歴史を学んだ人が、自分の国の歴史観を疑うようになる。文学を読んだ人が、それまで想像したこともなかった他人の人生を想像できるようになる。科学を学んだ人が、権威ある人の発言にも証拠を求めるようになる。哲学を学んだ人が、「そもそも、なぜこの規則に従わなければならないのか」と問い始める。

同じ学校のなかで、一方では社会へ適応することを教えながら、もう一方では社会そのものを疑う能力を育てる。この矛盾のなかに、教育とTamingの違いがあるのかもしれない。

Tamingが「この道を歩きなさい」と教えるものだとすれば、教育は「ここにはこういう道がある」と地図を渡す。そしていい教育なら、その地図を渡したあとに、「しかし、この地図も誰かが作ったものだ」と教えるだろう。さらに成熟した教育なら、「地図に載っていないところへ行ってもいい」と言えるかもしれない。

つまり、教育とはTamingをまったく行わないことではない。言葉を教えることさえ、ある社会の世界の分け方を教えることである以上、完全なUntamingとしての教育など存在しないのだろう。むしろ教育とは、社会のなかで生きるために必要なTamingを行いながら、そのTamingそのものからいつか離れられる能力まで育てる、矛盾した営みなのではないだろうか。

そうすると、牛から始まった問いに、思いがけないところで一つの答えが見えてくる。

生き延びるためにTameされることは、必ずしも失敗ではない。牛が人間との関係によって生存範囲を広げたように、人間も社会との関係によって、一人では得られなかった安全や知識や可能性を手に入れる。Tamingには明らかに恩恵がある。

しかし、一つの秩序に完全に適応してしまい、その秩序がなくなったら自分も存在できなくなるところまで行けば、成功のなかにすでに脆さが入り込んでいる。

だから本当に強い生存戦略とは、完全にUntamedであることでも、完全にTamedになることでもないのかもしれない。

必要なときにはTameされた世界の恩恵を受け、それでもどこかにUntamedな部分を残しておくこと。

社会の規則には従う。しかし規則を絶対視しない。仕事はする。しかし仕事だけを自分の存在理由にしない。教育を受ける。しかし教えられた世界観だけを世界そのものだと思わない。社会に居場所を持つ。しかし社会と自分とのあいだに、小さな距離を残しておく。

牛には、その距離を自分で取り戻すことは難しい。何千年ものTamingによって、人間の世界の外にある出口をほとんど失ってしまったからである。その意味で、人間には牛とは少し違う可能性が残っている。私たちは、自分を形づくってきたものについて考えることができる。「これは自分なのか、それとも自分のなかに入り込んだ社会なのか」と問い直すことができる。そして、完全に逃げ出すことはできなくても、少しだけ距離を置くことができる。

生存とは、ただ長く残ることではないのかもしれない。多くの子孫を残すことでも、社会から必要とされ続けることでもないのかもしれない。

生き延びながら、別の生き方へ移る余白を失わないこと。

牛の長い歴史を眺めていると、Tamingについて最後に残るのは、その問いである。人間に必要とされたことで膨大な数になった牛を、単純に成功した動物とも、失敗した動物とも呼ぶことはできない。ただ、その成功が一つの条件にあまりにも深く依存していたことは確かである。

そして人間がそこから何かを学べるとすれば、それはTamingを拒絶することではないのだろう。

Tameされながら、出口を忘れないこと。

あるいは、もっと静かな言い方をするなら、自分を生かしてくれている仕組みに、自分のすべてを渡してしまわないことなのだと思う。

目的を失ったあとでも、木は風に揺れている

森を歩いていると、自然のなかにいるような気持ちになる。頭上には高い木々があり、そのあいだから光が落ち、足元には落葉が積もっている。風が吹けば枝が揺れ、鳥の声がどこからともなく聞こえてくる。街を離れて森へ入るということは、人間が作った世界からしばらく離れ、自然へ戻っていくことのように感じられる。
けれども、その木々を一本ずつ眺めていると、本当にそうなのだろうかと思うことがある。目の前に立っている木は、百年前に誰かが植えたものかもしれない。あるいはその木自体は自然に芽生えたとしても、周囲の木々が伐られ、その木だけが残された結果、そこに立っているのかもしれない。隣の木との間隔も、森を横切る道も、森と畑との境界も、人の手によって決められたものかもしれない。自然の森と人工の森を厳密に同じものと考えることはできないにしても、人が長く暮らしてきた土地の森について、「ここからが自然で、ここからが人間である」と一本の線を引くことは、思っているほど簡単ではない。

とりわけ人工林では、人間の意図はもっとはっきりしている。木はただ植えられるのではない。数ある樹種のなかから、ある木が選ばれて植えられる。そして何が選ばれるかは、その時代の人間が森に何を求めているかによって変わる。

薪や炭が重要だった時代、人間が森に求めていた大切なものの一つはエネルギーだった。広葉樹林は薪炭の供給源として利用され、人が伐り、そのあと再び伸びてくる木をまた利用するという関係が続いていた。ところが生活のエネルギー源が化石燃料へ移っていくと、薪や炭を供給する森の重要性は低下していった。一方、戦後復興と経済成長のなかで建築材などへの需要が高まると、今度はスギやヒノキのような木々が大量に植えられた。森に向けられた人間の問いが、「この木はよく燃えるか」から「この木はいい材木になるか」へ移ったのである。

考えてみれば、不思議なことである。森そのものが「これからは薪を作るのをやめて、建築材を作ろう」と考えたわけではない。人間社会のほうで暮らし方や産業構造が変わり、森とは離れた場所で欲望や必要が変化すると、その変化が何十年か後の山の景色になって現れる。

つまり人間は、森から必要なものを取ってきただけではなかった。これから必要になると思うものに合わせて、未来の森をあらかじめ作ってきたのである。

この意味では、植林はとても長い時間を持ったTamingなのだと思う。動物ならば数年あるいは数世代で現れる変化が、森では数十年、場合によっては百年以上の時間をかけて現れる。木を植える人間と、その木を利用する人間が同じ人である必要さえない。まだ生まれていない人間が将来何を欲しがるかを想像しながら、現在の人間が樹種を決めて植えるのである。

ところが人間の都合は、木ほどゆっくりとは生きてくれない。

昨日まで価値があると思われていたものが、数十年後にはそれほど必要ではなくなる。ある目的のために大量に植えられた木々が十分に成長したころには、経済も生活も変わっていることがある。それどころか、かつて「望ましい木」とされたものが、別の時代には問題として見られることさえある。日本のスギ林はその象徴的な例だろう。木材資源として有用だったスギを大量に植えた社会が、今度は花粉症への対応を考え、花粉の少ない苗木への植え替えや森林構成の転換を進めようとしている。

ここには、Tamingについて考えるうえで興味深い逆説がある。Tamingには完成がないのである。 ある時代の人間が目的に合わせて世界を作り替えることに成功しても、その目的自体がやがて変わる。すると昨日のTamingの成功作が、今日のTamingにとっては扱いに困る存在になる。

森についても同じである。薪炭を供給する森、建築材を供給する森、花粉を少なくした森、生物多様性を守る森、炭素を蓄える森、気候変動に強い森。どれも人間が森に求める姿ではあるけれど、それらがまったく同じ森になるとは限らない。私たちは古い目的のために作られた森を、新しい目的に合わせて再び作り替えようとする。

そう考えると、「自然を取り戻す」という言葉さえ少し奇妙に聞こえてくる。人間が「この森はもっと自然であるべきだ」と考え、特定の樹種を減らし、別の樹種を増やし、生物多様性を高めようとするとき、それは昔の木材生産のためのTamingとは性質が違っていても、やはり人間が望ましい森の姿を描き、それに近づけようとしていることには変わりがない。自然を守るためのTamingという、少し逆説的なものさえ生まれるのである。

しかし森は、工場のようには人間の命令に従わない。スギを植えても、その下には別の植物が生える。どこからか鳥がやってきて、人間が運んだのではない種を落とす。菌類が広がり、昆虫が入り、台風が枝を折り、一本の木が倒れる。その倒れた木を片づけなければ、そこには人間が計画しなかった小さな生態系が始まる。人間は森の大きな輪郭を変えることはできても、そこで起きている無数の出来事を完全に計画することはできない。

だから森を、TamedかUntamedかのどちらかに分ける必要はないのだと思う。むしろ森は、人間によるTamingと、それを絶えずはみ出そうとする生命とが、長い時間をかけて絡み合っている場所なのではないだろうか。

そして、そのような目で森を眺めると、一本の木も少し違って見えてくる。

何十年も前、誰かがその場所に小さな苗木を植えた。おそらくその人には目的があった。この木が大きくなったら材木にしよう、家を建てよう、売って収入にしよう。それから何十年かが過ぎた。木は大きくなった。しかし人間社会のほうが変わってしまった。その木を必要としていた産業が衰えたり、安い輸入材が使われるようになったり、森林に求められるものが木材生産から環境保全へ移ったりする。

それでも木は立っている。

ここに、森の時間と人間の時間との奇妙なずれがある。人間の目的は消えてしまったのに、その目的によって生まれた生命だけが残っているのである。

森はだから、単なる自然でもなければ、単なる人工物でもない。過去の人間の欲望が、生きたものとして現在まで残っている場所でもあるのだろう。ある場所には燃料を欲しがった時代が残り、別の場所には建築材を欲しがった時代が残り、その隣では生物多様性や気候変動への耐性を重んじる現在の人間が、新しい森を作り始めている。地層のように、異なる時代の目的が重なっている。

そうなると、森を歩きながら「これは何という木だろう」と尋ねるだけでなく、「なぜ、この木がここにいるのだろう」と考えてみたくなる。その問いの答えは植物図鑑には載っていないかもしれない。木の種類を決めたのは生態条件だけではなく、百年前の燃料事情や、五十年前の住宅需要や、国の林業政策や、その土地に暮らした誰かの判断だったかもしれないからである。

そしてもう一つ、不思議な問いも生まれる。

その木を植えた人間の目的がすでに消えてしまったのなら、その木はいま、何のために生きているのだろう。

おそらく答えは、「何のためでもない」でいいのだと思う。

材木になるはずだった木が材木にならず、そのまま老いていくことがあってもいい。人間が期待していた役割を失ったあと、鳥がその枝にとまり、菌が根のまわりに広がり、夏にはその下に影を作り、最後には倒れて土へ戻っていく。そのどれも、最初に苗木を植えた人間の計画には入っていなかったかもしれない。

そう考えると、目的を失った木は、Tamingに失敗した木とは限らない。むしろ、人間によって与えられた目的をいつの間にか追い越し、ただ一本の木として生き始めた木なのかもしれない。

森を歩くとき、私たちは自然のなかへ入っているだけではない。過去の人間たちが未来に向けて投げかけた無数の目的のなかを歩き、その目的が消えたあとにも生き続けているもののあいだを歩いている。そして注意深く見れば、そのいたるところで、人間の計画通りに育ったものに混じって、人間の目的をすでに忘れてしまったような生命がひっそりと生きている。

もしかすると森に残っている本当のUntamingとは、手つかずの自然を探し出すことではなく、人間によって目的を与えられたものが、その目的より長く生きてしまうことなのかもしれない。

そして、この森の風景がどこか人間自身の姿にも似て見えるのは、偶然ではないような気がする。私たちもまた、ある時代の家族や学校や社会によって、こういう人間になりなさい、こういう能力を身につけなさい、こういう仕事をしなさいと、いわば植えられて育ってきた。それなのに、木が成長するあいだに森の目的が変わるように、人間が人生を生きているあいだにも社会の目的は変わってしまう。

そんなとき、古い目的に合わせて育ってしまった自分を、役に立たなくなった木のように考える必要はないのだろう。

植えられた理由と、生き続ける理由とは、同じでなくてもいい。

森の木々が教えてくれるのは、案外そんなことなのかもしれない。人間の目的によって始まった生命であっても、その目的が終わったところで生命まで終わる必要はない。目的を失ったあとでも、木は風に揺れ、鳥を休ませ、あるいは何の役にも立たないままそこに立っている。そうしていつしか、「何のために植えられた木なのか」という人間の問いそのものが意味を失い、その木はただ、森のなかの一本の木になっていくのだ。

何かのために存在することから自由になる

ブロイラーを見ると、ときどき不思議な気持ちになる。もちろん鶏なのだけれど、私たちが昔から知っている鶏とは、どこか違うもののようにも見える。短い期間で大きく成長し、できるだけ少ない飼料をできるだけ多くの肉に変えるよう、人間によって何世代にもわたって選抜され、その身体そのものが人間の生産システムに適するよう変えられてきた。その姿を見ていると、これはまだ動物なのだろうか、それとも生きている工業製品なのだろうか、という奇妙な疑問さえ浮かんでくる。

しかし、おそらく問いは逆なのだ。ブロイラーが動物ではなくなったのではない。工業製品のように作られてしまったにもかかわらず、それでもなお動物なのである。 痛みもあれば不快もあり、休みたいことも、歩きたいことも、周囲を探索したいこともある。だからこそ問題は深刻になる。生命ではないものを効率よく製造することには、少なくとも生命の尊厳という問題は生じない。ところがブロイラーは、徹底的に生産へ適応させられながら、その奥には依然として一羽の動物が残っている。

Tamingという観点から考えるなら、ここには家畜化のかなり遠いところまで進んだ姿がある。Tamingとは、ただ野生のものをおとなしくすることではない。人間の側にある目的へ向かって、生命の行動や身体や生存条件を少しずつ組み替えていくことでもある。野生の鶏を人間のそばで暮らせる鶏へ変えるところから始まり、それがさらに進めば、人間の生産システムに適した鶏が選ばれるようになり、しまいには生産システムのほうが先にあって、そのシステムにもっとも適した生命を作り出すようになる。

ここまで来ると、鎖につなぐことだけがTamingなのではなくなる。むしろTamingのもっとも徹底した姿とは、鎖を必要としない身体を作ることなのかもしれない。 外から自由を奪われているのであれば、そこにはまだ、自由を奪われている存在と、それを縛っているものとの境界がある。しかし生まれる前から身体そのものがシステムに最適化されてしまえば、その境界さえ見えなくなる。Tamingする力は外部にあるのではなく、Tameされた者自身の身体の内部へと入り込んでしまう。

ところが、こうしてブロイラーについて考えていると、どうしても人間のことを考えずにはいられなくなる。近代社会もまた、もっと穏やかで複雑なやり方ではあるが、人間を社会にとって有用な存在にする巨大な仕組みを発達させてきたからである。子どもは学校へ行き、決められた時間に起きて集まり、読み書きを習い、試験を受け、専門的な能力を身につけ、やがて職業に就く。時間を守ること、仕事を途中で投げ出さないこと、自分の役割を果たすこと、何らかの能力によって誰かの役に立つことを学びながら、社会のなかで生きられる人間になっていく。

もちろん、それをすべて悪いTamingと呼ぶ必要はない。読み書きができることも、他人と協力できることも、自分の能力によって誰かを助けられることも、人間の生活を豊かにしてきた。しかし長い時間をかけて、人間の心のかなり奥深いところに、「役に立つこと」と「価値のあること」とを結びつける感覚が入り込んだことも確かだろう。何かを作った一日は充実した一日であり、何もしなかった一日は無駄だったと感じる。仕事を尋ねられれば答えられるが、「何もしないで何をしていますか」と問われると、どこか居心地が悪くなる。

そして、そこへAIが現れた。

AIの衝撃は、仕事を奪うか奪わないかという問題だけではないのだと思う。もっと深いところでは、何世代にもわたって社会が人間に要求してきた「有用になるための努力」の意味そのものを揺さぶっている。文章を書けるようになりなさい、計算できるようになりなさい、外国語を覚えなさい、多くの情報から必要なものを探し出せるようになりなさい、と私たちは教えられてきた。それらの能力を身につければ社会のなかに居場所が得られ、自分の労働を誰かが必要としてくれるという約束が、近代社会には暗黙のうちに存在していた。

ところが、その多くを機械が引き受けるようになれば、奇妙なことが起こる。人間をこれほど長い時間をかけて有用にしてきた社会が、有用にされた人間を以前ほど必要としなくなるのである。

これは単なる失業の問題とは少し違う。職業を失うこと以上に恐ろしいのは、それまで自分の存在を支えてきた価値の尺度を失うことだからである。「これができるから私は必要とされている」と考えて生きてきた人に、ある日「それはもう機械がやってくれます」と告げることは、仕事を一つ取り上げるだけではなく、その人が自分自身を測ってきた物差しまで取り上げることになりかねない。

だからAIに勝とうとして、人間にしかできない能力を次々に探し出していくことには、どこか寂しいところがある。創造性なら人間のほうが上だ、共感なら人間にしかできない、判断力なら、芸術なら、愛なら、と領地を一つずつ防衛していく。しかしそれでは、機械との境界線が移動するたびに、人間は自分の価値を別の能力によって証明し直さなければならない。結局、「有用である者には存在する価値がある」という古いTamingの規則から、一歩も外へ出てはいない。

そこで私は、以前考えた、海を見ているだけの人のことを思い出す。

その人は三時間ほど海のそばに座っている。詩を書くわけではなく、海について考察するわけでもなく、写真を撮って誰かに見せるわけでもない。海辺にいることが心身へどのような効果をもたらすかを測定することもなく、そこから何かを学んで帰ろうともしていない。ただ海を眺め、ときどき風を感じ、夕方になって少し寒くなったので家へ帰る。その三時間からは何も生産されず、社会の富も増えず、文化作品も残らず、その人自身さえ何かを達成したとは思っていない。

それでも、その三時間を無駄だったと言わなければならない理由が、本当にあるのだろうか。

ここでブロイラーの問題とAI時代の人間の問題が、思いがけないところで出会う。ブロイラーについて問われているのは、人間に役立つために生まれてきたかのような生命にも、その有用性とは無関係な価値があるのかということであり、AI時代の人間について問われ始めているのは、社会に役立つという仕事を機械へ渡した人間にも、それとは無関係な価値があるのかということである。この二つの問いは反対方向を向いているようでいて、実は同じ場所へ向かっている。

もし私たちが、ブロイラーには肉になることとは別の生命としての価値があると考えるなら、それと同じ原理を人間にも認めなければならないだろう。病気になって働けなくなった人にも、老いて生産することのできなくなった人にも、仕事を失った人にも、何かを作ろうという気持ちを持たずに海を眺めている人にも、その人が生きていることと交換条件にならない何かが残らなければならない。

そう考えると、AIには不思議な可能性がある。それは人間をさらに激しくTameする装置になるかもしれない。AIによって一人一人の仕事が測定され、行動が最適化され、役に立つ人間と役に立たない人間がいっそう精密に選別される社会も想像できる。しかし反対に、これまで人間が背負ってきた膨大な「役に立たなければならない仕事」をAIが引き受けることによって、何千年も続いてきた有用性へのTamingを、少し緩めるものになる可能性もある。

その二つの未来を分けるのは、結局AIそのものではなく、人間について私たちがどのような価値を認めるのかということなのだろう。

文明は長いあいだ、世界に存在するものへ「何のためにあるのか」を問い続けてきた。馬には運搬を、森林には木材を、土地には収穫を、鶏には肉や卵を、そして人間には労働を求めてきた。何の役にも立たないものを、そのままそこに置いておくことを、文明はあまり得意としてこなかった。しかしAIが「役に立つ」という領域へ深く入り込んでくるなら、人間はとうとう、それとは別の価値を考えざるを得なくなる。

そのとき初めて、ブロイラーを見て感じていた違和感の意味も、少し違って見えてくるのかもしれない。あれは単に、かわいそうな鶏を見て感じる悲しみではない。生命を一つの目的によって覆い尽くしてはいけないという、もっと根源的な直感なのではないだろうか。そして、その直感をブロイラーに向けることができるのなら、同じ眼差しをいつか、自分自身にも向けていいはずである。

詩を書かなくてもいい。文化を生み出さなくてもいい。AIより優れたところを探さなくてもいい。人生を何かに変換して残さなくてもいい。愛する人と意味のない話をし、庭の草をぼんやり眺め、気が向けば歩き、海辺に座り、夕方になって風が冷たくなったら家へ帰る。その時間を健康にも教養にも創造にも役立てなくていいのだとすれば、それは文明が人間に与える敗北なのではなく、ひょっとすると文明が長いあいだ私たちに課してきたTamingが、ようやく少しだけ緩む瞬間なのかもしれない。

そして人間がいつか、何かのために存在することから少し自由になれるとすれば、そのとき私たちは、人間以外の生命についても初めて、同じことを考え始めるのではないだろうか。鶏は肉になるために存在するのではなく、人間も働くために存在するのではない。生命は、その外側にある目的によって正当化されて初めて生きることを許されるものではない。そう考えることができたとき、Tamingの反対側にあるのは野生ではなく、「何かのためでなくても、ここにいていい」という静かな許しなのかもしれない。

ただの人間とは

石牟礼道子は『西南役伝説』の「あとがき」に、「目に一丁字もない人間が、この世をどう見ているか、それが大切である」と書いている。そして、そのあとに続く言葉が、私はとても気になる。「権威も肩書も地位もないただの人間がこの世の仕組みの最初のひとりであるから」というのである。『西南役伝説』は、西南戦争の戦場となった南九州の古老たちの語りを聞き書きの形で残した作品であり、石牟礼道子自身、「人ひとり」から家ができ、村ができ、町や社会や文化が生まれていく、その「文化の根っこ」を考えようとしていたという。

「この世の仕組みの最初のひとり」という言葉は不思議である。普通なら、この世の仕組みをつくるのは、王であり、政治家であり、官僚であり、学者であり、何かを決める力を持った人間だと思う。ところが石牟礼道子はそう考えない。権威も肩書も地位もない、それどころか文字さえ知らないかもしれない、ごく普通のひとりの人間から、この世の仕組みを考えようとする。

Tamingについて長く考えてきたせいだろうか、この「最初のひとり」という言葉が、私には以前とは少し違って聞こえる。

人間の文明は、ものに名前をつけ、分類し、関係を定めることによって大きくなってきた。土地を測り、境界を引き、所有者を決める。人が生まれれば名前をつけ、家族や国家の一員として登録する。学校へ行けば学年がつき、試験を受ければ成績がつき、大人になれば職業や肩書がつく。国家から見れば国民になり、企業から見れば労働者や消費者になり、統計のなかでは年齢、所得、職業、居住地などによって分類される。こうしたことがなければ、何千万、何億という人間が一緒に暮らす社会をつくることは難しい。

それもまたTamingなのだと思う。

Tamingとは、荒々しいものをおとなしくすることではない。予測不能なものを、その性質を完全には失わせることなく、ある関係のなかで予測可能なものへ変えていくことである。そう考えるなら、文明は自然をTameしてきただけではない。火をTameし、水をTameし、土地をTameし、植物や動物をTameすると同時に、人間をも、そして人間が経験した過去までも、理解し、分類し、予測し、取り扱うことのできるものへ変えてきた。

歴史もそうなのだろう。

現実に起きた出来事は、もともとは雑然としている。同じ戦争を経験しても、ある人には国家の命運を決めた戦争であり、別の人には父親を失った出来事であり、また別の人には家を捨てて逃げた日の記憶でしかないかもしれない。それら無数の経験を、後世の人間は年代順に並べ、原因と結果を考え、勝者と敗者を定め、一つの名前をつける。そうすることによって、ばらばらだった無数の経験は「歴史」という理解可能なものになっていく。

それは必要なTamingである。そうしなければ、私たちは過去について他人と話すことさえ難しい。しかし、歴史が理解可能になるとき、同時にそこからこぼれ落ちるものがある。歴史にとって重要なことと、それを生きた一人の人間にとって重要だったことは、必ずしも同じではないからである。

だから石牟礼道子は、出来上がった歴史をもう一度、名もない一人の人間のところまで戻してみたのではないだろうか。『西南役伝説』では、教科書に名前を残した人物だけではなく、その時代の日々を生きた市井の人々の声や語りを通して西南戦争が描かれている。 そこへ戻ると、歴史は再び少し曖昧になる。公的な記録とは違う記憶があるかもしれず、人から人へ伝わるうちに伝説になった話もあるかもしれない。それでも、ある人には世界がそう見えていたという事実が残る。

そう考えると、石牟礼道子がやっていたことは、Tameされた歴史を再びUntameすることだった、と言えるのかもしれない。

もちろん歴史を壊すという意味ではない。正確な年代や史料に基づく歴史を否定することでもない。ただ、整然とした歴史の外側に、そこには収まりきらない人間の経験を残しておくのである。

そして、これは歴史だけの問題ではない。

人間についても同じことが起きている。私たちは生きているあいだに、いくつもの名前を与えられる。国籍、学歴、職業、所得、思想、世代、性格。現代なら検索履歴や購買履歴や位置情報や人間関係からも、その人がどんな人間なのかを推測することができる。それらを集めれば集めるほど、人間は「分かるもの」になっていく。これも文明が人間をTameしていく一つの方法なのだろう。

けれども、どれほど多くの情報を集めても、その人と完全に同じものにはならない。肩書を取り去り、学歴を取り去り、職業を取り去り、思想や国籍や統計上の属性まで一度脇へ置いてみたあとにも、何かを見ている一人の人間が残る。

おそらく石牟礼道子がいう「ただの人間」は、そこにいる。

文字を知らないことそのものが尊いということではない。無知を美化する必要もない。そうではなく、誰かによって世界の説明を与えられるより前に、自分自身の眼で何かを見ている人間がいるということである。

ここから考えると、教育についても少し違ったものが見えてくる。人は教育によって世界について多くのことを知る。しかし同時に、世界をどのように見るべきかも覚えていく。国家、文明、発展、正常、異常、成功、失敗、中心、周縁。そうした言葉を獲得することによって初めて見えるものがある一方、その言葉を通してしか見えなくなるものもある。知識を持つこととは、世界を見る眼を増やすことであると同時に、ときには一つの見方に世界をTameしていくことでもある。

国家も科学も学校も、そしてAIも、人間についてますます多くのことを知るようになるだろう。それによって社会は安全になり、便利になり、病気を予測し、犯罪を防ぎ、一人ひとりに適した教育やサービスを提供できるようになるかもしれない。それはTamingの大きな成果であり、ただ否定すればいいものではない。

しかし、人間について知る能力が大きくなればなるほど、逆に問わなければならなくなることがある。

人間は、どこまで「分かるもの」になっていいのだろう。

以前、Tamingについて考えるなかで、成熟した文明とは、Tamingする能力を極限まで高めた文明ではなく、どれほどその能力を手に入れても、あえてTameしない場所を残すことのできる文明ではないかと考えたことがある。すべてを測定できるからといって測定せず、すべてを記録できるからといって記録せず、すべてを予測できるようになったとしても、人間の未来をあらかじめ決まったものとして扱わない。その不完全さは文明の未熟さではなく、むしろ文明が成熟したからこそ選び取ることのできる抑制なのかもしれない。

そして、その最後までTameしない場所がどこにあるのかを考えていると、石牟礼道子の「最初のひとり」という言葉へ戻ってくる。

社会がその人を国民と呼ぶ前に、人間がいる。学校が成績をつける前に、人間がいる。会社が職業や役職を与える前に、人間がいる。統計が属性に分類する前に、人間がいる。そして歴史が「庶民」「住民」「被害者」「兵士」と名づける前にも、世界を見ていた一人の人間がいる。

その人が見ている世界を、制度が完全に代理してしまわないこと。国家が「あなたはこういう人間だ」と言っても、それがその人のすべてにはならないこと。AIがその人の次の行動をかなり正確に予測できるようになったとしても、その予測から外れる余地がその人自身に残されていること。そこまで含めて初めて、「Tameしない場所を残す」ということの意味が見えてくるように思う。

文明にはTamingが必要である。人間は、何も分類せず、何も予測せず、何の規則も持たずに何億人もの社会を営むことはできない。だから問題は、Tamingするか、しないかではない。どこまでTameし、どこから先をTameしないでおくかなのである。

権威も肩書も地位も取り去ったところに、それでもこの世界を見ている一人の人間がいる。その眼に映る世界まで、国家や社会や学問やAIの眼に置き換えてしまわないこと。説明できないものを、ただ説明が足りないものとして埋め尽くしてしまわないこと。そして、一人の人間のなかに、その人自身にもまだ分からない部分を残しておくこと。

「ただの人間」とは、文明が最後までTameしてはいけない場所の名前なのかもしれない。

Tameしない場所を残してゆく

人間には、Tamingを成立させやすい心理的な傾向が、長い進化のなかで組み込まれてきたのではないだろうか。そう考えると、人間がなぜこれほど大きな社会をつくることができたのか、そして同時に、なぜこれほど容易に社会のなかへ取り込まれてしまうのかという、一見すると反対方向を向いている二つの現象が、実は同じところから生まれているように見えてくる。

これは、人間が生まれながらにして誰かに支配されたがっているということではないだろう。人間はむしろ、何も予測できない世界のなかで生きることを苦手としているのかもしれない。何をしてよく、何をしてはいけないのか、誰を信頼でき、誰を警戒しなければならないのか、今日交わした約束が明日も守られるのか。そうしたことが何も分からなければ、大勢の人間が一緒に暮らすことは難しい。周囲の人間の表情を読み、集団の規範を理解し、自分の行動をそれに合わせ、相手もまた同じ規則に従うだろうと期待する。人間が長い集団生活のなかで、そうした能力を身につけてきたとしても不思議ではない。

そしてそれは、人間に途方もなく大きな力を与えた。血縁関係のない人間と食物を分け、共同で子どもを守り、仕事を分担し、約束を交わし、知識を伝え、ついには互いに顔を見ることさえない膨大な数の人間が、ひとつの社会をつくれるようになった。しかし、ここには奇妙な反転がある。文明を可能にした能力そのものが、その文明によって人間をTameする能力にもなったことである。

人間は規範を理解できるから法律に従うことができ、他人の評価を想像できるから世間の目を気にする。共同体への帰属を求めるからその価値を自分の価値として受け入れ、物語を共有できるから、宗教や民族や国家のような目には見えないもののためにも行動できる。しかもTamingが進んでいくと、人間は外側から命令されなくても、自分で自分をTameするようになり、やがて他人をTameする側にも回っていく。警察が見ていなくても隣人が隣人を見て、教師がいなくても子ども同士で「普通」を要求し、国家が命令しなくても「まともな人ならこうする」と人々自身が互いの行動を修正する。Tameされた人間自身が、いつの間にかTaming装置の一部になっていく。

けれども、ここでTameされた人間を「おとなしい人間」と考えてしまうと、Tamingという現象の大切な部分を見失う。Tameされることは、おとなしくなることではない。攻撃性と協力性は人間のなかで必ずしも対立しておらず、家族には優しく、隣人には親切で、仲間のためには自分を犠牲にできる人間が、共同体の外に置かれた者に激しい攻撃性を示すことは十分にありうる。むしろ仲間への忠誠心や責任感が強いからこそ、「仲間を守れ」という気持ちと「敵を攻撃せよ」という命令が結びついたとき、その協力性そのものが攻撃する力に変わることさえある。

文明は、人間から攻撃性をなくしたのではないのかもしれない。個人的な復讐を裁判や刑罰へ変え、ばらばらの暴力を軍隊へ変え、いつ噴き出すか分からなかった攻撃性を社会的な規則の内部へ取り込み、必要とされる場所へ向けられるようにした。そう考えれば、人間の恐ろしさは攻撃性を持っていることだけにあるのではない。人間は協力して攻撃することができる。文明は暴力を消し去ったのではなく、暴力さえTameしてきたのである。

こう考えてくると、Tamingという言葉に最初から「支配」や「抑圧」という価値判断を含ませることにも無理があるように思えてくる。人間は火をTameし、植物をTameし、動物をTameし、水をTameし、土地をTameしてきた。しかし火をTameするということは、火から燃える力を奪うことではない。馬をTameすることも、馬から走る力を奪うことではない。その力を残しながら、人間との関係のなかで、それまで予測できなかった振る舞いをある程度予測できるものへ変えていく。その意味でTamingとは、予測不能なものを、その性質を完全には失わせることなく、ある関係のなかで予測可能なものへ変えていく過程と考えるほうがいいのではないだろうか。

そう定義すれば、Tamingそのものには善も悪もない。火を必要なときに燃やし、植物を決まった季節に収穫し、水を必要な場所へ運び、人間が互いの行動をある程度予測しながら暮らせるようにする。その意味では、文明とは世界を一方的に征服してきた歴史というより、世界に満ちていた予測不能性を少しずつTameしてきた歴史だったと見ることができる。

しかも、その関係は一方向ではない。人間が麦を変えれば、麦を育てる生活が人間を定住させ、人間の暮らしを変える。人間が馬をTameすれば、馬によって人間の移動距離が延び、戦争や物流や国家の形まで変わっていく。人間がコンピューターをつくれば、人間自身の働き方や考え方がコンピューターに合わせて変わっていく。Tamingとは一方が他方を完全に支配することではなく、互いが互いを変えていく関係であり、その相互作用の力が常に対称とは限らない、と考えたほうが実際の文明に近い。

そうなると、本当に問わなければならないのは、Tamingが善か悪かということではなく、どのようなTamingが望ましく、どこからTamingが危険になるのかということになる。

火をTameしても、火の力そのものを消す必要はない。馬をTameしても、馬の能力を奪ってしまえば意味がない。そして人間についても、おそらく同じことが言える。教育によって言葉や規則を教え、衝動を制御することを覚えたとしても、好奇心や遊びや異議申し立てまで消してしまう必要はない。法律によって暴力を抑え、知らない人間同士でも安心して暮らせる社会をつくったとしても、人間の行動のすべてを法律が決める必要はない。望ましいTamingとは、対象をある程度予測可能にしながら、その対象が自ら変わっていく可能性まで奪わないTamingなのだろう。

だとすれば、危険なのはTamingそのものではなく、Tamingが完全になろうとすることなのかもしれない。

国家が土地を測量して住所をつけ、出生を記録し、人から税を集めるからこそ、郵便や学校や病院や道路や社会保障といった仕組みをつくることができる。しかし、その仕組みが、人がどこへ行き、何を読み、誰と付き合い、何を考えているのかまで完全に知ろうとし、その人の未来の行動さえ決めようとするようになれば、同じTamingでありながら、その性質は変わってくる。危険なのはTamingが強いことそれ自体よりも、そこから別のあり方へ移る可能性が閉じてしまうことなのだと思う。

学校に入っても別の学校へ移ることができる。会社に勤めても辞めることができる。共同体に属してもそこから離れることができる。ある思想を信じても、いつかそれを疑うことができる。そうした可逆性が残っているかぎり、人間はTameされながらも、Tamingとの間にわずかな距離を保つことができる。しかし、入ることはできても出ることができず、従うことはできても疑うことができなくなったとき、Tamingは閉じていく。

だから、社会には「余白」が必要になる。

すべてを規則にしなくてもいい。すべての人間を完全に理解しなくてもいい。人間には、国家にも会社にも学校にも家族にも、そして時には自分自身にも説明できない部分が残っていてい。行政から見れば無駄に見え、企業から見れば分類不能に見え、AIから見れば予測できない行動として現れるかもしれない。しかし、その「分からなさ」を、すべて解消されるべき未熟さとして扱う必要はない。誰にも知られないこと、役に立たないこと、予想とは違う行動をすること、昨日までの自分とは違う人間になることができる余地は、人間の自由を支えている一部分だからである。

その意味では、いいTamingとは予測可能性を高めながら、予測不能性をゼロにしようとはしないTamingなのだと思う。

そしてこれは、自由のためだけに必要なのではない。多様性を残すためにも必要になる。畑にまったく同じ性質の作物だけを植えれば管理は容易になるが、一つの環境変化によって畑全体が影響を受ける可能性も大きくなる。同じように、すべての人が同じ教育を受け、同じ情報に接し、同じ価値を信じ、同じように行動する社会は管理しやすいだろうが、それが強い社会だとは限らない。予想したことのない変化が起きたとき、それまで非合理的だと思われていた知識や、役に立たないと思われていた人間や、周縁に残されていた古い生活の仕方が、新しい環境に適応するための可能性になるかもしれない。完全にTameされた社会は、完成された社会であるどころか、変化する能力を失った脆い社会なのかもしれない。

ここまで来ると、Untamingもまた、単純に「解放」や「自由」と同じものではなくなる。固定され予測可能になった関係から、再び自律性や不確実性や多様性が生まれてくることをUntamingと呼ぶなら、それもまた善とも悪とも決められない。会社を辞めて別の生き方を始めることもUntamingなら、国家が崩壊して秩序が失われることもUntamingになりうる。Tamingは安定や協力を生み、知識や富の蓄積を可能にするが、進みすぎれば固定化と均質化へ向かう。Untamingはそこから自由や多様性や創造性を取り戻す一方、予測不能性や混乱や暴力を呼び戻すこともある。

人間の歴史は、自由からTamingへ、Tamingから不自由へと進む一本道だったわけではないのだろう。人間はTamingによって秩序をつくり、その秩序が硬直するとそこから逃れようとし、そのUntamingが生み出した新しい可能性に、また別の秩序を与えてきた。文明とは、TamingとUntamingのどちらかを最終的に勝たせることではなく、その二つの間を行き来しながら形を変え続ける運動そのものなのかもしれない。

そう考えると、自由な社会というものの姿も少し違って見えてくる。自由社会とは、人間をTameしない社会ではない。むしろ法律、所有権、契約、学校、貨幣、行政、課税といった、きわめて強力なTamingの仕組みを持っている。それでもそこに自由がありうるのは、その仕組みを修正する回路があり、人間がTamingとの間に距離を置くことのできる余地が残されているからだろう。言論の自由、信教の自由、移動の自由、私生活、権力分立、異議申し立て、少数者の権利といったものは、単なる「自由の一覧」ではなく、Tamingが人間の存在全体を覆い尽くすことを防ぐために、文明の内部へ意識的につくられたUntamingの余白と見ることもできる。

ところが文明は、その一方で、長い時間をかけてTamingする能力を高め続けてきた。土地を測り、時間を測り、人間を数え、行動を分類し、制度を合理化し、生産を効率化し、情報を蓄積し、未来を予測しようとしてきた。そしてAIを手にした私たちは、これまでなら知ることのできなかったものを知り、予測できなかったものを予測し、複雑すぎて扱えなかったものまで扱えるようになろうとしている。

それ自体が悪いわけではない。むしろ、それもまた人間が長い時間をかけて続けてきたTamingの延長にある。しかし、Tamingする能力が大きくなればなるほど、「できること」と「するべきこと」を区別する必要も大きくなる。知ることができるからといって、すべてを知らなくてもいい。予測できるからといって、すべてを予測しなくてもいい。管理できるからといって、すべてを管理する必要もない。

文明がこれから学ばなければならないのは、さらに上手にTameする方法だけではなく、Tameできるものを、あえてTameしないという技術なのではないだろうか。

人間が隠し事を持てること。役に立たないことをしていられること。間違えること。規則から少し外れること。皆と違う生き方を選ぶこと。昨日まで信じていたものを疑うこと。そして、どうしても息苦しくなったなら、今いる場所から離れてしまえること。そうした余白を、文明の遅れや制度の欠陥と考えないほうがいい。それは完成できなかった部分なのではなく、完成させないために残しておく部分なのかもしれない。

Tamingは世界に形を与える。しかし、すべての形をあらかじめ決めてしまえば、世界は新しい形になることができない。だからUntamingは、Tamingによってできた形をただ破壊するためにあるのではなく、その形が永久に固定されるのを防ぎ、別のものになりうる可能性を世界のなかに残しておく。文明に必要なのはTamingかUntamingかという二者択一ではなく、秩序をつくりながらも、秩序の外側を消してしまわないことなのだろう。

そうであるなら、文明の成熟とは、世界のすべてをTameできるようになることではない。むしろ、Tameする力を手に入れながら、その力をどこまで使うのかを自ら決め、あえて手をつけないところを残せるようになることなのだと思う。

成熟した文明とは、自分自身のTaming能力がどれほど強くなっても、あえてTameしない場所を残せる文明なのではないだろうか。AIの時代になり、人間が世界をTameする能力がこれまで以上に大きくなるのなら、なおさら、その場所は自然に残るものではなく、人間が意識して残していかなければならない。Tameしない場所を残してゆく。それは、これからの人間に残された大切な仕事の一つなのではないかと思う。