言葉になりきらない疑問を、自分のなかに置いておく

人間が最初にTameした動物は、オオカミだったのではないかと言われている。正確な時期や過程についてはなお議論があるけれど、少なくとも農耕が始まり、牛や羊が家畜になるよりも前に、オオカミから分かれたイヌが人間と暮らし始めていたらしい。それは考えてみれば不思議なことで、牛や羊ならば、人間がそこから何を得たかったのかは比較的想像しやすく、肉や乳や皮があり、のちには労働力にもなったのに対して、オオカミは人間と同じように獲物を追い、場合によっては食物を奪い合う競争相手でもあった。そのような動物と人間が、なぜこれほど深い関係を結び、人間のいちばん身近な存在であるイヌへとつながっていったのだろう。

最初は、これを生存戦略として考えてみたくなる。人間に近づいたオオカミには食物を得られる機会があり、人間の集団の周辺にはある種の安全もあったかもしれず、一方の人間にとっても、鋭い嗅覚や聴覚を持ち、危険に敏感で、狩りにも適しているオオカミとの関係には何らかの利益があっただろう。互いに異なる能力を持つ二つの動物が少しずつ距離を縮め、やがて共に暮らすようになったと考えるなら、人間に近づくことはオオカミにとって非常に優れた生存戦略だったようにも見えてくる。人間を避け続けたオオカミが各地で生息できる場所を失っていったのに対して、人間との生活に入った近縁の系統は人間とともに世界中へ広がっていったのだから、結果だけを振り返れば、人間に近づいたことがその後の繁栄につながったと考えたくなるのも無理はない。

しかし、そこで「生存戦略」という言葉が気になってくる。オオカミは本当に何かを戦略として選択したのだろうか。人間のそばへ行けば食物を得ることができ、安全になり、自分たちの子孫が何万年も後になって世界中で繁栄できるなどという未来を思い描き、それなら人間と暮らそうと決心したはずはない。おそらく実際にあったのは、人間を極端には恐れなかった個体や、人間の近くで食物を得ることのできた個体がいたというような、一つ一つはもっと小さな出来事だったのだろうし、その反対側では、オオカミの子を拾って育てたり、近くにいるオオカミを追い払わなかったりする人間もいたのかもしれない。それぞれの場面で起きていたことは、そのときそのときの事情に応じた小さな接近や選択であって、どちらの側にも、何万年後にイヌという動物を作り出す計画があったわけではない。

だとすれば、「オオカミは生き延びるためにイヌになった」という物語は、後世の人間が結果から逆算して作ったものなのだろう。イヌになろうとしたオオカミがいたのではなく、人間との距離をある程度まで縮めることのできた一部のオオカミがいて、その関係が何世代にもわたって続き、その環境のなかで生きやすい性質を持った個体が残り、やがて人間自身も繁殖に介入するようになった。その長い積み重ねの向こう側に、私たちがいまイヌと呼んでいる動物がいるのだとすれば、そこには一つの壮大な戦略があったというより、多くの小さな出来事が積み重なった末に、後から見ると一つの方向へ進んできたように見える歴史があったと考えたほうがいいのかもしれない。

そう考えると、Tamingについても少し見方を変えなければならなくなる。私たちはTamingという言葉から、どうしてもTameする者とTameされる者を想像し、人間がオオカミを捕まえ、何らかの目的を持って自分たちに都合のいい動物へ変えていったという物語を考えてしまう。しかしTamingは、必ずしも最初からTamingとして始まるわけではないのかもしれない。偶然にある関係が生まれ、その関係が双方に何らかの利益をもたらすので繰り返され、反復されるうちに習慣となり、その習慣が少しずつ生きる環境そのものになっていく。その環境に適したものがさらに生き残り、何世代も過ぎたころには、かつてはいくつもあったはずの可能性のなかから一つの道が深く刻まれ、その関係の外側へ出ることが次第に難しくなっている。つまり最初から巨大な計画があったわけではないのに、時間を経た結果には確かな方向性が生まれているのである。

このことを「すべて偶然だった」と呼ぶこともできるかもしれないが、それだけでは何か大事なものが抜け落ちてしまう。偶然によって始まったことと、その後に起こることがいつまでも偶然であり続けることとは違うからである。最初に雨水が地面のどこを流れるかには偶然があるとしても、いったんそこに小さな溝ができれば、次の雨の水はその溝へ入りやすくなり、さらに水が流れることによって溝は深くなり、ますます多くの水がそこを通るようになる。Tamingにもこれと似たところがあって、最初の偶然が次に起こることの可能性を少し偏らせ、それがまた次の条件になるという過程が長く続けば、最初にはいくつもの可能性があったことさえ次第に見えなくなっていく。

最初のオオカミには、人間から離れて生きる道も、人間へ近づく道も、その中間で生きる道もあっただろう。しかし、そのうちの一つの関係が何千世代にもわたって続き、身体や行動までその関係へ適応するようになれば、現在のイヌには祖先のオオカミほど多くの道が残されているわけではない。祖先にとっては偶然だったものが子孫にとっては環境となり、さらに長い時間が過ぎれば身体や行動の一部にまでなっていくのであれば、偶然は反復されることによって、後からその世界へ生まれてきたものにとっては、最初からそうであったかのような必然に見えるのである。

これはイヌだけの話ではなく、私たち人間もまた、自分では選んでいない世界のなかへ生まれてくる。なぜこの言語を話しているのか、なぜ国家があり、国籍があり、貨幣を使い、学校へ行き、時計によって一日を分け、一定の年齢になると働いて所得を得るのかを一つ一つ歴史のなかへ遡っていけば、そこには無数の偶然や、その時代には合理的だった判断、権力による強制、さまざまな成功や失敗が見つかるだろう。しかし今日そこへ生まれてくる一人の人間にとって、それらは過去の人々が選ぶことのできた歴史上の選択肢として現れるのではなく、初めからそこに存在する世界として現れる。

するとTamingには、必ずしも最初のTamerが必要ではないということになる。誰か一人の支配者が「人間をこういう存在にしよう」と計画したわけではなくても、過去の無数の小さな判断が積み重なって習慣となり、習慣が制度となり、その制度のなかで暮らす人間が今度は制度に適した性質を身につけていく。そのような時間が長く続けば、制度が人間を作り、その人間がまた制度を支え、その制度のなかに次の世代が生まれてくるという循環が成立するのであって、この意味では、特定の誰かがTamerなのではなく、歴史そのものがTamerになっていると考えることさえできる。

しかし、ここでイヌと人間とのあいだには大きな違いが現れる。イヌは自分が歩いている道の由来を問いはしないだろうし、こちらへ行きたい、これは嫌だ、この人と一緒にいたい、というそのときどきの選択はするとしても、「なぜ私は人間と暮らしているのだろう」「どうして私はイヌなのだろう」「祖先には別の生き方があったのではないか」「本当にここしか歩けないのだろうか」と、自分を作ってきた歴史そのものを自分の外に置き、問いの対象にするわけではない。ところが人間は、いつもそうしているわけではないにしても、ときに自分が生きている世界そのものを眺め、それが本当に唯一の世界なのかと問い直すことができる。

もっとも、人間も大部分の時間はイヌと同じように、与えられた世界をそのまま生きている。毎朝、貨幣とは何かを問い直してからパンを買う人はいないし、国家とは何かを考えてからパスポートを使うわけでもない。社会のあらゆるものを毎日のように根本から問い直していたら生活そのものが難しくなるのだから、私たちは世界のほとんどを「そういうものだ」として受け入れ、それによって日常を成り立たせている。それでも、ときどき一人の人間のなかに、「なぜ私は働いていないと不安になるのだろう」「なぜ役に立たなければならないと思うのだろう」「なぜ国家にこれほど大きな意味を与えているのだろう」「なぜ学校へ行くことが当然なのだろう」「なぜ立派な人間にならなければならないのだろう」という、普段ならそのまま通り過ぎてしまうような「なぜ?」が生まれることがある。

その問いが生まれたからといって、世界が急に変わるわけではない。翌朝になれば仕事へ行くだろうし、店では貨幣を使い、国境ではパスポートを見せるだろうけれど、それまで世界そのものに見えていたものが、「人間がある歴史のなかで作ってきた一つの仕組み」に見えた瞬間、それまで自分と世界とのあいだにはなかった、ごく小さな隙間ができる。問いそのものが出口になるわけではなくても、そこには別の見方や別の生き方へ通じる出口がどこかにあるかもしれないと気づかせる小さな窓のようなものが生まれ、その窓があることによって、同じ世界のなかにとどまりながらも、世界と自分とを完全には同一視せずに済むようになる。

ただし、ここでさらに注意しておかなければならないのは、問いを持つ人間を優れた人間とし、問いを持たない人間をTameされた人間として見下してしまえば、「常識を疑いなさい」「自分で考えなさい」「批判的でありなさい」という別のTamingが始まってしまうということである。何もかも疑う人間が自由であるとは限らず、疑うことそのものが義務になってしまえば、その人もまた「疑わなければならない」という新しい規範に自分を合わせることになる。だから、問いを持つ能力を大切にすることと、絶えず問い続けることを人間の義務にすることとは分けて考えなければならない。

海を眺めている人が、なぜ自分は海を眺めているのかを考える必要はないし、海を見ることが社会にどのような意味を持つのかを分析する必要も、自分がTameされているのかUntamedなのかを判定する必要もない。ただ海を眺め、夕方になって風が冷たくなったら家へ帰ればいいのであって、以前考えた「何も書かなかった人」に、今度は哲学者であることまで要求してしまえば、「役に立たなくていい」というところから始まったはずの自由を、別の価値によってもう一度縛ることになってしまう。

だから人間の自由にとって重要なのは、問い続けることではなく、問うことも、問わないこともできることなのかもしれない。普段は社会のなかでごく普通に暮らし、日常のほとんどについて深く考えなくても構わないけれど、ときどき自分のなかに「なぜ?」が生まれたときには、その問いをすぐに押しつぶしてしまわなくてもいい。答えが見つからないままでもよく、問いそのものを忘れてしまってもよく、何年も経って別の経験をしたときに、不意に同じ問いが戻ってくるのであってもいいのだと考えれば、自由とは絶えず自分を問い詰める厳しい営みではなく、自分の内部に答えの出ていないものをしばらく置いておける余裕のようなものにも見えてくる。

ここまで考えると、教育というものも少し違って見えてくる。教育もまた、言葉を教え、時間を守ることを教え、読み書きを教え、他人と暮らすための規則を教える以上、人間をある社会の秩序へ導くTamingの側面を避けることはできない。そもそも何も教えず、人間を完全にUntamedなまま育てることなどできないのであって、言葉を教えること自体が、その社会が世界をどのように区切り、どのように名前を与えてきたのかを教えることでもある以上、教育からTamingを完全に取り除こうとすることには無理がある。

しかし、だからといって教育がTamingだけで終わる必要もない。子どもが「なぜ学校へ行かなければいけないの」と尋ねたとき、「勉強するためです」と答えることはできるし、その答えには十分な意味があるけれど、だからといって「この話はこれで終わり」とする必要はなく、「勉強するためでもあるけれど、学校って本当にそれだけなのかな」と、問いの一部を答えの外側へ残しておくこともできる。歴史にも科学にも社会にも教えなければならない知識はあるとしても、知識を教えることと、その知識によって問いを閉じることとは同じではなく、まさにその小さな違いのなかに、Tamingと教育との微妙な境目があるように思える。

Tamingが「この道を歩きなさい」と教えるものだとすれば、教育は「ここにはこういう道がある」と地図を渡すことに近いのかもしれない。そして本当にいい教育なら、地図を渡したあとで、そこに描かれている世界だけを世界のすべてだと思わせるのではなく、「この地図も誰かが作ったものだから、描かれていない場所があり、間違っているところもあるかもしれない」と伝え、さらには地図にない道を歩くことさえ可能なのだと、言葉にしなくとも感じさせることができるだろう。

もちろん、だからといって誰もが地図の外へ出なければならないわけではなく、みんなと同じように学校へ行き、働き、家族を持ち、社会の規則に従って暮らしてもいい。それがその人にとって心地いい道なら、わざわざ外れる必要などなく、重要なのは人と違う道を選択することではなく、世界にはこの一本の道しか存在しないと思わされないことである。同じ道を歩いていても、それしか道がないと思って歩いていることと、ほかの道もありうると知ったうえでそこを歩いていることとのあいだには、目には見えにくくても大きな違いがある。

そう考えると、教育が人間に与えられるもののなかでもっともささやかで、それでいて大切なものは、正しい答えではなく、一つの問いを問いのまま残しておける場所なのかもしれない。教師に「分かりません」と言われた問い、子どものころには答えが見つからず、いつの間にか忘れてしまった問い、社会へ出て忙しく働いているうちに、ほとんど思い出すことさえなくなった問いが、二十年、三十年を経たある日の夕方、何かの拍子にふたたび戻ってきて、「でも、本当にそうなのだろうか」と心のなかで小さく響くことがある。そのころには教師はもうそばにおらず、学校を卒業したのも遠い昔になっているかもしれないが、それでもその人の内部には、かつて答えによって塞がれなかった小さな場所が残っていたことになる。

考えてみれば、オオカミからイヌへ至った長いTamingの歴史には、そのような問いを置いておく場所はなかったのかもしれない。偶然に始まった関係が反復され、関係が環境となり、環境が身体や行動のなかへ入り込み、とうとうイヌは人間とともに生きる動物になったが、イヌはその歴史を自分の外に置いて問い直すことなく、いまも私たちのそばで眠っている。それを不幸と呼ぶ必要も、敗北と呼ぶ必要もなく、イヌはイヌとして、自分に与えられた世界をそのまま生きているのである。

人間もまた、歴史によってTameされ、社会によってTameされ、教育によってさえTameされながら生きている以上、そのすべてから完全に逃れ、どこかにある純粋なUntamedの状態へ戻ることはできないだろうし、おそらく戻る必要もない。ただ、人間には、自分が歩いている道をときどき自分の外から眺め、「私はいま、この道を歩いている」と気づくことのできる奇妙な余地が残されている。そして気が向けば、「どうしてここを歩いているのだろう」と考えることもできれば、考えた末に「やはり、この道でいい」と歩き続けることもでき、場合によっては少しだけ横道へ入ってみることもできる。

そういう意味では、UntamingとはTamingされていない原初的な状態へ戻ることではなく、Tameされた世界のなかで暮らしながらも、「なぜ?」を置いておける小さな場所を自分のなかから完全にはなくさないことなのではないだろうか。教育というものに希望があるとすれば、それもまた、子どもをいっさいTameしないことにあるのではなく、その子のなかにたまたま生まれた「なぜ?」を、大人が急いで正解や規範によって塞いでしまわず、答えの出ないものがしばらくそこにあってもいいのだと認めることにあるように思える。

オオカミが人間のそばへ近づいた遠い日の偶然から始めて、ここまで考えてくると、Tamingの反対側にあるものは、手つかずの野生でも、社会に対する絶え間ない反抗でもないのかもしれない。それはもっとささやかなものであり、「そういうものだから」と言われたあとにも、心のどこかに「ほんとうにそうなのだろうか」という言葉になりきらない疑問が残っていて、それを無理に消すことも、すぐに答えへ変えることもなく、そのまま自分のなかに置いておけるということなのだろう。

人間の自由というものがあるとすれば、それは大きな決断や社会からの脱出によって初めて手に入るものではなく、もしかすると、自分が生きている世界をそのまま受け入れながらも、その世界についての小さな疑問だけは消さずにいられる、そのわずかな隙間から始まるのかもしれない。

自分を生かしてくれている仕組みに、自分を渡してしまわない

野原で草を食べている牛を見ると、それがとても古い動物であるように感じる。牛は昔から牛であり、人間はその牛を捕まえ、飼い、乳を搾り、肉を食べるようになった。そんな素朴な歴史を思い浮かべてしまうけれど、現代の牛をそのまま昔の野生牛の延長として考えることはできない。人間と牛との長い関係のなかで、牛の身体そのものが、人間の目的によって作り替えられてきたからである。

牛の主要な祖先だった野生のオーロックスは、人間に乳を与えるためにも、肉になるためにも生きていなかった。大型の草食動物として、人間とは無関係の生を営んでいた。その子孫の一部が人間との関係に入り、長い時間をかけて家畜牛になっていったのだが、人間は単に野生牛をおとなしくしただけではない。乳を多く出すもの、肉を多くつけるもの、人間の管理下で扱いやすいもの、その土地の暑さや寒さに耐えるものを選び、それらを繁殖させてきた。やがて近代的な育種が進むと、乳を生産することを主要な役割とする牛と、肉を生産することを主要な役割とする牛との違いが、身体にまで深く刻み込まれていった。

もっとも、牛が草食になったこと自体はTamingの結果ではない。祖先のオーロックスも草や葉を食べる大型草食動物だった。牛という動物にはもともと、人間がそのままでは利用しにくい植物を、反芻と微生物の働きによって栄養へ変える能力があった。人間が見つけたのは、その能力だったのだろう。草を食べる動物を、人間はやがて「草を乳へ変えるもの」「草や飼料を肉へ変えるもの」として見るようになった。

ここには、Tamingの重要な特徴が現れているように思う。Tamingとは何もないところから能力を作り出すことばかりではない。ある生命がもともと持っていた性質のなかから、人間にとって都合のいいものを見つけ、それを極端に拡大していくことでもある。牛は乳を出す動物だった。しかし乳牛は、人間が必要とするほど大量に乳を出す身体へと導かれていった。牛にはもともと筋肉があった。しかし肉牛は、人間が望む場所に望むように肉がつく身体へと選抜されていった。牛という一つの生命のなかにあったさまざまな可能性のうち、あるものだけが人間によって選ばれ、増幅され、やがて「乳牛」「肉牛」という別々の役割を担う身体になっていったのである。

それは牛にとって成功だったのだろうか。

この問いは、思っていたより難しい。個体数を増やし、生息範囲を広げ、遺伝子を後世に残すことを生存戦略の成功と呼ぶなら、家畜牛はおそろしく成功した動物だからである。野生のオーロックスは消えた。それに対して、そのTameされた子孫たちは、人間とともに世界中へ広がった。牛自身が海を渡る必要すらなかった。人間が船に乗せ、鉄道で運び、牧場を作り、餌を用意し、病気を治療し、繁殖を助けた。

牛は、自分自身の力だけで地球上へ広がったのではない。

人間の欲望を乗り物にして、世界へ広がったのである。

これは生存戦略として考えれば、驚くほど強力だった。人間にとって役に立つ生命になれば、人間が守ってくれる。餌を与え、外敵から守り、子孫まで増やしてくれる。牛が意識してその戦略を選んだわけではないにしても、進化的な結果だけを見れば、人間との関係に入った系統は大きな繁殖上の成功を収めた。

しかし、そこには奇妙な代償があった。

牛という系統は繁栄したけれど、一頭一頭の牛が自分の生を決められる範囲は小さくなった。何を食べるのか、どこへ移動するのか、誰と交配するのか、いつ子を産むのか、どれだけ乳を搾られるのか、そしていつ生を終えるのか。牛の生存そのものが人間によって守られるようになるにつれて、その生命についての決定権も人間の側へ移っていった。

だから家畜化には、単純な「成功」という言葉では捉えられない逆説がある。

生き延びる可能性は大きくなった。しかし、自分自身として生きる可能性は狭くなった。

しかも、この生存戦略にはもう一つ、深刻な弱点が隠されている。人間に必要とされることで繁栄した生命は、人間に必要とされなくなったとき、どうなるのかという問題である。

もし将来、牛を飼わなくても牛乳に相当するものを十分に作ることができ、牛を育てて屠畜しなくても牛肉に相当するものを大量に生産できるようになったら、牛を何億頭も繁殖させる理由は弱くなるだろう。そのとき起きるのは、おそらく、牛たちが一斉に牧場から解放され、自由な草原へ帰っていくことではない。もっと静かなことが起こる。人間が次の世代の牛を作らなくなるのである。

ここでTamingの逆説は完成する。

Tameされたから増えた生命が、Tamingの目的がなくなったために減っていく。

これは、以前考えた森林の話にもよく似ている。木材が必要だったから大量に植えられた木が、社会の需要が変わったあと、目的だけを失って山に残る。木が失敗したわけではない。木を植えた時代の目的が消えてしまったのである。

牛にも同じことが起こりうる。「乳を大量に出す」という能力は、それを必要とする人間社会のなかでだけ価値を持つ。「効率よく肉をつける」という身体も、人間がその肉を必要とするかぎりにおいて価値を与えられる。人間社会が別の方法で同じものを手に入れられるようになれば、昨日まで成功の象徴だった性質が、突然、その動物を存続させる理由ではなくなる。

そう考えると、「牛の生存戦略は成功したのか」という問いへの答えは、時間の取り方によって変わってしまう。数千年間を見れば大成功だったかもしれない。しかし数万年という尺度で見れば、まだ答えは出ていない。人間の欲望に自分の存続を結びつける戦略は、人間に必要とされているあいだは非常に強いが、必要とされなくなった瞬間、非常に脆い。

だから問題は、Tameされることそのものではないのかもしれない。

Tameされることでしか生きられなくなることのほうが、危ういのである。

これは牛について考えていたはずなのに、いつの間にか人間についての問いになってくる。人間もまた、社会に適応することで非常に多くのものを得てきた。教育を受け、職業を持ち、共同体の規則を守り、国家や市場や組織のなかに居場所を見つけることで、安全、所得、医療、知識、仲間を得る。それ自体をTamingの失敗と考える理由はない。むしろ複雑な社会で生きていくためには、ある程度Tameされることが必要でもある。

問題は、そこから出られなくなることである。

「会社に属していなければ私は何者でもない」「社会の役に立たなければ存在する意味がない」「評価されなければ、自分には価値がない」というところまで来れば、外側にある社会制度が自分をTameしているだけではなく、自分の内部にTamingする者が住み始めている。檻の扉が閉じているから出られないのではない。扉が開いていても、外へ出るという発想そのものを持てなくなる。

そう考えると、Tamingの善悪を判断するとき、「Tameされているかどうか」という基準だけでは足りないように思えてくる。もっと重要なのは、出口が残されているかどうかなのではないだろうか。

ここから教育という問題も見えてくる。

教育とTamingはよく似ている。どちらも人を変えるからである。子どもは学校で、時間を守り、席について話を聞き、文字を読み、文章を書き、計算し、他人と協力し、社会の規則に沿って行動することを学ぶ。それだけを見れば、教育は人間を社会の秩序へ適合させる強力なTaming装置でもある。

けれども、本来の教育にはTamingとは反対方向へ向かう力もあるはずである。

歴史を学んだ人が、自分の国の歴史観を疑うようになる。文学を読んだ人が、それまで想像したこともなかった他人の人生を想像できるようになる。科学を学んだ人が、権威ある人の発言にも証拠を求めるようになる。哲学を学んだ人が、「そもそも、なぜこの規則に従わなければならないのか」と問い始める。

同じ学校のなかで、一方では社会へ適応することを教えながら、もう一方では社会そのものを疑う能力を育てる。この矛盾のなかに、教育とTamingの違いがあるのかもしれない。

Tamingが「この道を歩きなさい」と教えるものだとすれば、教育は「ここにはこういう道がある」と地図を渡す。そしていい教育なら、その地図を渡したあとに、「しかし、この地図も誰かが作ったものだ」と教えるだろう。さらに成熟した教育なら、「地図に載っていないところへ行ってもいい」と言えるかもしれない。

つまり、教育とはTamingをまったく行わないことではない。言葉を教えることさえ、ある社会の世界の分け方を教えることである以上、完全なUntamingとしての教育など存在しないのだろう。むしろ教育とは、社会のなかで生きるために必要なTamingを行いながら、そのTamingそのものからいつか離れられる能力まで育てる、矛盾した営みなのではないだろうか。

そうすると、牛から始まった問いに、思いがけないところで一つの答えが見えてくる。

生き延びるためにTameされることは、必ずしも失敗ではない。牛が人間との関係によって生存範囲を広げたように、人間も社会との関係によって、一人では得られなかった安全や知識や可能性を手に入れる。Tamingには明らかに恩恵がある。

しかし、一つの秩序に完全に適応してしまい、その秩序がなくなったら自分も存在できなくなるところまで行けば、成功のなかにすでに脆さが入り込んでいる。

だから本当に強い生存戦略とは、完全にUntamedであることでも、完全にTamedになることでもないのかもしれない。

必要なときにはTameされた世界の恩恵を受け、それでもどこかにUntamedな部分を残しておくこと。

社会の規則には従う。しかし規則を絶対視しない。仕事はする。しかし仕事だけを自分の存在理由にしない。教育を受ける。しかし教えられた世界観だけを世界そのものだと思わない。社会に居場所を持つ。しかし社会と自分とのあいだに、小さな距離を残しておく。

牛には、その距離を自分で取り戻すことは難しい。何千年ものTamingによって、人間の世界の外にある出口をほとんど失ってしまったからである。その意味で、人間には牛とは少し違う可能性が残っている。私たちは、自分を形づくってきたものについて考えることができる。「これは自分なのか、それとも自分のなかに入り込んだ社会なのか」と問い直すことができる。そして、完全に逃げ出すことはできなくても、少しだけ距離を置くことができる。

生存とは、ただ長く残ることではないのかもしれない。多くの子孫を残すことでも、社会から必要とされ続けることでもないのかもしれない。

生き延びながら、別の生き方へ移る余白を失わないこと。

牛の長い歴史を眺めていると、Tamingについて最後に残るのは、その問いである。人間に必要とされたことで膨大な数になった牛を、単純に成功した動物とも、失敗した動物とも呼ぶことはできない。ただ、その成功が一つの条件にあまりにも深く依存していたことは確かである。

そして人間がそこから何かを学べるとすれば、それはTamingを拒絶することではないのだろう。

Tameされながら、出口を忘れないこと。

あるいは、もっと静かな言い方をするなら、自分を生かしてくれている仕組みに、自分のすべてを渡してしまわないことなのだと思う。

目的を失ったあとでも、木は風に揺れている

森を歩いていると、自然のなかにいるような気持ちになる。頭上には高い木々があり、そのあいだから光が落ち、足元には落葉が積もっている。風が吹けば枝が揺れ、鳥の声がどこからともなく聞こえてくる。街を離れて森へ入るということは、人間が作った世界からしばらく離れ、自然へ戻っていくことのように感じられる。
けれども、その木々を一本ずつ眺めていると、本当にそうなのだろうかと思うことがある。目の前に立っている木は、百年前に誰かが植えたものかもしれない。あるいはその木自体は自然に芽生えたとしても、周囲の木々が伐られ、その木だけが残された結果、そこに立っているのかもしれない。隣の木との間隔も、森を横切る道も、森と畑との境界も、人の手によって決められたものかもしれない。自然の森と人工の森を厳密に同じものと考えることはできないにしても、人が長く暮らしてきた土地の森について、「ここからが自然で、ここからが人間である」と一本の線を引くことは、思っているほど簡単ではない。

とりわけ人工林では、人間の意図はもっとはっきりしている。木はただ植えられるのではない。数ある樹種のなかから、ある木が選ばれて植えられる。そして何が選ばれるかは、その時代の人間が森に何を求めているかによって変わる。

薪や炭が重要だった時代、人間が森に求めていた大切なものの一つはエネルギーだった。広葉樹林は薪炭の供給源として利用され、人が伐り、そのあと再び伸びてくる木をまた利用するという関係が続いていた。ところが生活のエネルギー源が化石燃料へ移っていくと、薪や炭を供給する森の重要性は低下していった。一方、戦後復興と経済成長のなかで建築材などへの需要が高まると、今度はスギやヒノキのような木々が大量に植えられた。森に向けられた人間の問いが、「この木はよく燃えるか」から「この木はいい材木になるか」へ移ったのである。

考えてみれば、不思議なことである。森そのものが「これからは薪を作るのをやめて、建築材を作ろう」と考えたわけではない。人間社会のほうで暮らし方や産業構造が変わり、森とは離れた場所で欲望や必要が変化すると、その変化が何十年か後の山の景色になって現れる。

つまり人間は、森から必要なものを取ってきただけではなかった。これから必要になると思うものに合わせて、未来の森をあらかじめ作ってきたのである。

この意味では、植林はとても長い時間を持ったTamingなのだと思う。動物ならば数年あるいは数世代で現れる変化が、森では数十年、場合によっては百年以上の時間をかけて現れる。木を植える人間と、その木を利用する人間が同じ人である必要さえない。まだ生まれていない人間が将来何を欲しがるかを想像しながら、現在の人間が樹種を決めて植えるのである。

ところが人間の都合は、木ほどゆっくりとは生きてくれない。

昨日まで価値があると思われていたものが、数十年後にはそれほど必要ではなくなる。ある目的のために大量に植えられた木々が十分に成長したころには、経済も生活も変わっていることがある。それどころか、かつて「望ましい木」とされたものが、別の時代には問題として見られることさえある。日本のスギ林はその象徴的な例だろう。木材資源として有用だったスギを大量に植えた社会が、今度は花粉症への対応を考え、花粉の少ない苗木への植え替えや森林構成の転換を進めようとしている。

ここには、Tamingについて考えるうえで興味深い逆説がある。Tamingには完成がないのである。 ある時代の人間が目的に合わせて世界を作り替えることに成功しても、その目的自体がやがて変わる。すると昨日のTamingの成功作が、今日のTamingにとっては扱いに困る存在になる。

森についても同じである。薪炭を供給する森、建築材を供給する森、花粉を少なくした森、生物多様性を守る森、炭素を蓄える森、気候変動に強い森。どれも人間が森に求める姿ではあるけれど、それらがまったく同じ森になるとは限らない。私たちは古い目的のために作られた森を、新しい目的に合わせて再び作り替えようとする。

そう考えると、「自然を取り戻す」という言葉さえ少し奇妙に聞こえてくる。人間が「この森はもっと自然であるべきだ」と考え、特定の樹種を減らし、別の樹種を増やし、生物多様性を高めようとするとき、それは昔の木材生産のためのTamingとは性質が違っていても、やはり人間が望ましい森の姿を描き、それに近づけようとしていることには変わりがない。自然を守るためのTamingという、少し逆説的なものさえ生まれるのである。

しかし森は、工場のようには人間の命令に従わない。スギを植えても、その下には別の植物が生える。どこからか鳥がやってきて、人間が運んだのではない種を落とす。菌類が広がり、昆虫が入り、台風が枝を折り、一本の木が倒れる。その倒れた木を片づけなければ、そこには人間が計画しなかった小さな生態系が始まる。人間は森の大きな輪郭を変えることはできても、そこで起きている無数の出来事を完全に計画することはできない。

だから森を、TamedかUntamedかのどちらかに分ける必要はないのだと思う。むしろ森は、人間によるTamingと、それを絶えずはみ出そうとする生命とが、長い時間をかけて絡み合っている場所なのではないだろうか。

そして、そのような目で森を眺めると、一本の木も少し違って見えてくる。

何十年も前、誰かがその場所に小さな苗木を植えた。おそらくその人には目的があった。この木が大きくなったら材木にしよう、家を建てよう、売って収入にしよう。それから何十年かが過ぎた。木は大きくなった。しかし人間社会のほうが変わってしまった。その木を必要としていた産業が衰えたり、安い輸入材が使われるようになったり、森林に求められるものが木材生産から環境保全へ移ったりする。

それでも木は立っている。

ここに、森の時間と人間の時間との奇妙なずれがある。人間の目的は消えてしまったのに、その目的によって生まれた生命だけが残っているのである。

森はだから、単なる自然でもなければ、単なる人工物でもない。過去の人間の欲望が、生きたものとして現在まで残っている場所でもあるのだろう。ある場所には燃料を欲しがった時代が残り、別の場所には建築材を欲しがった時代が残り、その隣では生物多様性や気候変動への耐性を重んじる現在の人間が、新しい森を作り始めている。地層のように、異なる時代の目的が重なっている。

そうなると、森を歩きながら「これは何という木だろう」と尋ねるだけでなく、「なぜ、この木がここにいるのだろう」と考えてみたくなる。その問いの答えは植物図鑑には載っていないかもしれない。木の種類を決めたのは生態条件だけではなく、百年前の燃料事情や、五十年前の住宅需要や、国の林業政策や、その土地に暮らした誰かの判断だったかもしれないからである。

そしてもう一つ、不思議な問いも生まれる。

その木を植えた人間の目的がすでに消えてしまったのなら、その木はいま、何のために生きているのだろう。

おそらく答えは、「何のためでもない」でいいのだと思う。

材木になるはずだった木が材木にならず、そのまま老いていくことがあってもいい。人間が期待していた役割を失ったあと、鳥がその枝にとまり、菌が根のまわりに広がり、夏にはその下に影を作り、最後には倒れて土へ戻っていく。そのどれも、最初に苗木を植えた人間の計画には入っていなかったかもしれない。

そう考えると、目的を失った木は、Tamingに失敗した木とは限らない。むしろ、人間によって与えられた目的をいつの間にか追い越し、ただ一本の木として生き始めた木なのかもしれない。

森を歩くとき、私たちは自然のなかへ入っているだけではない。過去の人間たちが未来に向けて投げかけた無数の目的のなかを歩き、その目的が消えたあとにも生き続けているもののあいだを歩いている。そして注意深く見れば、そのいたるところで、人間の計画通りに育ったものに混じって、人間の目的をすでに忘れてしまったような生命がひっそりと生きている。

もしかすると森に残っている本当のUntamingとは、手つかずの自然を探し出すことではなく、人間によって目的を与えられたものが、その目的より長く生きてしまうことなのかもしれない。

そして、この森の風景がどこか人間自身の姿にも似て見えるのは、偶然ではないような気がする。私たちもまた、ある時代の家族や学校や社会によって、こういう人間になりなさい、こういう能力を身につけなさい、こういう仕事をしなさいと、いわば植えられて育ってきた。それなのに、木が成長するあいだに森の目的が変わるように、人間が人生を生きているあいだにも社会の目的は変わってしまう。

そんなとき、古い目的に合わせて育ってしまった自分を、役に立たなくなった木のように考える必要はないのだろう。

植えられた理由と、生き続ける理由とは、同じでなくてもいい。

森の木々が教えてくれるのは、案外そんなことなのかもしれない。人間の目的によって始まった生命であっても、その目的が終わったところで生命まで終わる必要はない。目的を失ったあとでも、木は風に揺れ、鳥を休ませ、あるいは何の役にも立たないままそこに立っている。そうしていつしか、「何のために植えられた木なのか」という人間の問いそのものが意味を失い、その木はただ、森のなかの一本の木になっていくのだ。

何かのために存在することから自由になる

ブロイラーを見ると、ときどき不思議な気持ちになる。もちろん鶏なのだけれど、私たちが昔から知っている鶏とは、どこか違うもののようにも見える。短い期間で大きく成長し、できるだけ少ない飼料をできるだけ多くの肉に変えるよう、人間によって何世代にもわたって選抜され、その身体そのものが人間の生産システムに適するよう変えられてきた。その姿を見ていると、これはまだ動物なのだろうか、それとも生きている工業製品なのだろうか、という奇妙な疑問さえ浮かんでくる。

しかし、おそらく問いは逆なのだ。ブロイラーが動物ではなくなったのではない。工業製品のように作られてしまったにもかかわらず、それでもなお動物なのである。 痛みもあれば不快もあり、休みたいことも、歩きたいことも、周囲を探索したいこともある。だからこそ問題は深刻になる。生命ではないものを効率よく製造することには、少なくとも生命の尊厳という問題は生じない。ところがブロイラーは、徹底的に生産へ適応させられながら、その奥には依然として一羽の動物が残っている。

Tamingという観点から考えるなら、ここには家畜化のかなり遠いところまで進んだ姿がある。Tamingとは、ただ野生のものをおとなしくすることではない。人間の側にある目的へ向かって、生命の行動や身体や生存条件を少しずつ組み替えていくことでもある。野生の鶏を人間のそばで暮らせる鶏へ変えるところから始まり、それがさらに進めば、人間の生産システムに適した鶏が選ばれるようになり、しまいには生産システムのほうが先にあって、そのシステムにもっとも適した生命を作り出すようになる。

ここまで来ると、鎖につなぐことだけがTamingなのではなくなる。むしろTamingのもっとも徹底した姿とは、鎖を必要としない身体を作ることなのかもしれない。 外から自由を奪われているのであれば、そこにはまだ、自由を奪われている存在と、それを縛っているものとの境界がある。しかし生まれる前から身体そのものがシステムに最適化されてしまえば、その境界さえ見えなくなる。Tamingする力は外部にあるのではなく、Tameされた者自身の身体の内部へと入り込んでしまう。

ところが、こうしてブロイラーについて考えていると、どうしても人間のことを考えずにはいられなくなる。近代社会もまた、もっと穏やかで複雑なやり方ではあるが、人間を社会にとって有用な存在にする巨大な仕組みを発達させてきたからである。子どもは学校へ行き、決められた時間に起きて集まり、読み書きを習い、試験を受け、専門的な能力を身につけ、やがて職業に就く。時間を守ること、仕事を途中で投げ出さないこと、自分の役割を果たすこと、何らかの能力によって誰かの役に立つことを学びながら、社会のなかで生きられる人間になっていく。

もちろん、それをすべて悪いTamingと呼ぶ必要はない。読み書きができることも、他人と協力できることも、自分の能力によって誰かを助けられることも、人間の生活を豊かにしてきた。しかし長い時間をかけて、人間の心のかなり奥深いところに、「役に立つこと」と「価値のあること」とを結びつける感覚が入り込んだことも確かだろう。何かを作った一日は充実した一日であり、何もしなかった一日は無駄だったと感じる。仕事を尋ねられれば答えられるが、「何もしないで何をしていますか」と問われると、どこか居心地が悪くなる。

そして、そこへAIが現れた。

AIの衝撃は、仕事を奪うか奪わないかという問題だけではないのだと思う。もっと深いところでは、何世代にもわたって社会が人間に要求してきた「有用になるための努力」の意味そのものを揺さぶっている。文章を書けるようになりなさい、計算できるようになりなさい、外国語を覚えなさい、多くの情報から必要なものを探し出せるようになりなさい、と私たちは教えられてきた。それらの能力を身につければ社会のなかに居場所が得られ、自分の労働を誰かが必要としてくれるという約束が、近代社会には暗黙のうちに存在していた。

ところが、その多くを機械が引き受けるようになれば、奇妙なことが起こる。人間をこれほど長い時間をかけて有用にしてきた社会が、有用にされた人間を以前ほど必要としなくなるのである。

これは単なる失業の問題とは少し違う。職業を失うこと以上に恐ろしいのは、それまで自分の存在を支えてきた価値の尺度を失うことだからである。「これができるから私は必要とされている」と考えて生きてきた人に、ある日「それはもう機械がやってくれます」と告げることは、仕事を一つ取り上げるだけではなく、その人が自分自身を測ってきた物差しまで取り上げることになりかねない。

だからAIに勝とうとして、人間にしかできない能力を次々に探し出していくことには、どこか寂しいところがある。創造性なら人間のほうが上だ、共感なら人間にしかできない、判断力なら、芸術なら、愛なら、と領地を一つずつ防衛していく。しかしそれでは、機械との境界線が移動するたびに、人間は自分の価値を別の能力によって証明し直さなければならない。結局、「有用である者には存在する価値がある」という古いTamingの規則から、一歩も外へ出てはいない。

そこで私は、以前考えた、海を見ているだけの人のことを思い出す。

その人は三時間ほど海のそばに座っている。詩を書くわけではなく、海について考察するわけでもなく、写真を撮って誰かに見せるわけでもない。海辺にいることが心身へどのような効果をもたらすかを測定することもなく、そこから何かを学んで帰ろうともしていない。ただ海を眺め、ときどき風を感じ、夕方になって少し寒くなったので家へ帰る。その三時間からは何も生産されず、社会の富も増えず、文化作品も残らず、その人自身さえ何かを達成したとは思っていない。

それでも、その三時間を無駄だったと言わなければならない理由が、本当にあるのだろうか。

ここでブロイラーの問題とAI時代の人間の問題が、思いがけないところで出会う。ブロイラーについて問われているのは、人間に役立つために生まれてきたかのような生命にも、その有用性とは無関係な価値があるのかということであり、AI時代の人間について問われ始めているのは、社会に役立つという仕事を機械へ渡した人間にも、それとは無関係な価値があるのかということである。この二つの問いは反対方向を向いているようでいて、実は同じ場所へ向かっている。

もし私たちが、ブロイラーには肉になることとは別の生命としての価値があると考えるなら、それと同じ原理を人間にも認めなければならないだろう。病気になって働けなくなった人にも、老いて生産することのできなくなった人にも、仕事を失った人にも、何かを作ろうという気持ちを持たずに海を眺めている人にも、その人が生きていることと交換条件にならない何かが残らなければならない。

そう考えると、AIには不思議な可能性がある。それは人間をさらに激しくTameする装置になるかもしれない。AIによって一人一人の仕事が測定され、行動が最適化され、役に立つ人間と役に立たない人間がいっそう精密に選別される社会も想像できる。しかし反対に、これまで人間が背負ってきた膨大な「役に立たなければならない仕事」をAIが引き受けることによって、何千年も続いてきた有用性へのTamingを、少し緩めるものになる可能性もある。

その二つの未来を分けるのは、結局AIそのものではなく、人間について私たちがどのような価値を認めるのかということなのだろう。

文明は長いあいだ、世界に存在するものへ「何のためにあるのか」を問い続けてきた。馬には運搬を、森林には木材を、土地には収穫を、鶏には肉や卵を、そして人間には労働を求めてきた。何の役にも立たないものを、そのままそこに置いておくことを、文明はあまり得意としてこなかった。しかしAIが「役に立つ」という領域へ深く入り込んでくるなら、人間はとうとう、それとは別の価値を考えざるを得なくなる。

そのとき初めて、ブロイラーを見て感じていた違和感の意味も、少し違って見えてくるのかもしれない。あれは単に、かわいそうな鶏を見て感じる悲しみではない。生命を一つの目的によって覆い尽くしてはいけないという、もっと根源的な直感なのではないだろうか。そして、その直感をブロイラーに向けることができるのなら、同じ眼差しをいつか、自分自身にも向けていいはずである。

詩を書かなくてもいい。文化を生み出さなくてもいい。AIより優れたところを探さなくてもいい。人生を何かに変換して残さなくてもいい。愛する人と意味のない話をし、庭の草をぼんやり眺め、気が向けば歩き、海辺に座り、夕方になって風が冷たくなったら家へ帰る。その時間を健康にも教養にも創造にも役立てなくていいのだとすれば、それは文明が人間に与える敗北なのではなく、ひょっとすると文明が長いあいだ私たちに課してきたTamingが、ようやく少しだけ緩む瞬間なのかもしれない。

そして人間がいつか、何かのために存在することから少し自由になれるとすれば、そのとき私たちは、人間以外の生命についても初めて、同じことを考え始めるのではないだろうか。鶏は肉になるために存在するのではなく、人間も働くために存在するのではない。生命は、その外側にある目的によって正当化されて初めて生きることを許されるものではない。そう考えることができたとき、Tamingの反対側にあるのは野生ではなく、「何かのためでなくても、ここにいていい」という静かな許しなのかもしれない。

ただの人間とは

石牟礼道子は『西南役伝説』の「あとがき」に、「目に一丁字もない人間が、この世をどう見ているか、それが大切である」と書いている。そして、そのあとに続く言葉が、私はとても気になる。「権威も肩書も地位もないただの人間がこの世の仕組みの最初のひとりであるから」というのである。『西南役伝説』は、西南戦争の戦場となった南九州の古老たちの語りを聞き書きの形で残した作品であり、石牟礼道子自身、「人ひとり」から家ができ、村ができ、町や社会や文化が生まれていく、その「文化の根っこ」を考えようとしていたという。

「この世の仕組みの最初のひとり」という言葉は不思議である。普通なら、この世の仕組みをつくるのは、王であり、政治家であり、官僚であり、学者であり、何かを決める力を持った人間だと思う。ところが石牟礼道子はそう考えない。権威も肩書も地位もない、それどころか文字さえ知らないかもしれない、ごく普通のひとりの人間から、この世の仕組みを考えようとする。

Tamingについて長く考えてきたせいだろうか、この「最初のひとり」という言葉が、私には以前とは少し違って聞こえる。

人間の文明は、ものに名前をつけ、分類し、関係を定めることによって大きくなってきた。土地を測り、境界を引き、所有者を決める。人が生まれれば名前をつけ、家族や国家の一員として登録する。学校へ行けば学年がつき、試験を受ければ成績がつき、大人になれば職業や肩書がつく。国家から見れば国民になり、企業から見れば労働者や消費者になり、統計のなかでは年齢、所得、職業、居住地などによって分類される。こうしたことがなければ、何千万、何億という人間が一緒に暮らす社会をつくることは難しい。

それもまたTamingなのだと思う。

Tamingとは、荒々しいものをおとなしくすることではない。予測不能なものを、その性質を完全には失わせることなく、ある関係のなかで予測可能なものへ変えていくことである。そう考えるなら、文明は自然をTameしてきただけではない。火をTameし、水をTameし、土地をTameし、植物や動物をTameすると同時に、人間をも、そして人間が経験した過去までも、理解し、分類し、予測し、取り扱うことのできるものへ変えてきた。

歴史もそうなのだろう。

現実に起きた出来事は、もともとは雑然としている。同じ戦争を経験しても、ある人には国家の命運を決めた戦争であり、別の人には父親を失った出来事であり、また別の人には家を捨てて逃げた日の記憶でしかないかもしれない。それら無数の経験を、後世の人間は年代順に並べ、原因と結果を考え、勝者と敗者を定め、一つの名前をつける。そうすることによって、ばらばらだった無数の経験は「歴史」という理解可能なものになっていく。

それは必要なTamingである。そうしなければ、私たちは過去について他人と話すことさえ難しい。しかし、歴史が理解可能になるとき、同時にそこからこぼれ落ちるものがある。歴史にとって重要なことと、それを生きた一人の人間にとって重要だったことは、必ずしも同じではないからである。

だから石牟礼道子は、出来上がった歴史をもう一度、名もない一人の人間のところまで戻してみたのではないだろうか。『西南役伝説』では、教科書に名前を残した人物だけではなく、その時代の日々を生きた市井の人々の声や語りを通して西南戦争が描かれている。 そこへ戻ると、歴史は再び少し曖昧になる。公的な記録とは違う記憶があるかもしれず、人から人へ伝わるうちに伝説になった話もあるかもしれない。それでも、ある人には世界がそう見えていたという事実が残る。

そう考えると、石牟礼道子がやっていたことは、Tameされた歴史を再びUntameすることだった、と言えるのかもしれない。

もちろん歴史を壊すという意味ではない。正確な年代や史料に基づく歴史を否定することでもない。ただ、整然とした歴史の外側に、そこには収まりきらない人間の経験を残しておくのである。

そして、これは歴史だけの問題ではない。

人間についても同じことが起きている。私たちは生きているあいだに、いくつもの名前を与えられる。国籍、学歴、職業、所得、思想、世代、性格。現代なら検索履歴や購買履歴や位置情報や人間関係からも、その人がどんな人間なのかを推測することができる。それらを集めれば集めるほど、人間は「分かるもの」になっていく。これも文明が人間をTameしていく一つの方法なのだろう。

けれども、どれほど多くの情報を集めても、その人と完全に同じものにはならない。肩書を取り去り、学歴を取り去り、職業を取り去り、思想や国籍や統計上の属性まで一度脇へ置いてみたあとにも、何かを見ている一人の人間が残る。

おそらく石牟礼道子がいう「ただの人間」は、そこにいる。

文字を知らないことそのものが尊いということではない。無知を美化する必要もない。そうではなく、誰かによって世界の説明を与えられるより前に、自分自身の眼で何かを見ている人間がいるということである。

ここから考えると、教育についても少し違ったものが見えてくる。人は教育によって世界について多くのことを知る。しかし同時に、世界をどのように見るべきかも覚えていく。国家、文明、発展、正常、異常、成功、失敗、中心、周縁。そうした言葉を獲得することによって初めて見えるものがある一方、その言葉を通してしか見えなくなるものもある。知識を持つこととは、世界を見る眼を増やすことであると同時に、ときには一つの見方に世界をTameしていくことでもある。

国家も科学も学校も、そしてAIも、人間についてますます多くのことを知るようになるだろう。それによって社会は安全になり、便利になり、病気を予測し、犯罪を防ぎ、一人ひとりに適した教育やサービスを提供できるようになるかもしれない。それはTamingの大きな成果であり、ただ否定すればいいものではない。

しかし、人間について知る能力が大きくなればなるほど、逆に問わなければならなくなることがある。

人間は、どこまで「分かるもの」になっていいのだろう。

以前、Tamingについて考えるなかで、成熟した文明とは、Tamingする能力を極限まで高めた文明ではなく、どれほどその能力を手に入れても、あえてTameしない場所を残すことのできる文明ではないかと考えたことがある。すべてを測定できるからといって測定せず、すべてを記録できるからといって記録せず、すべてを予測できるようになったとしても、人間の未来をあらかじめ決まったものとして扱わない。その不完全さは文明の未熟さではなく、むしろ文明が成熟したからこそ選び取ることのできる抑制なのかもしれない。

そして、その最後までTameしない場所がどこにあるのかを考えていると、石牟礼道子の「最初のひとり」という言葉へ戻ってくる。

社会がその人を国民と呼ぶ前に、人間がいる。学校が成績をつける前に、人間がいる。会社が職業や役職を与える前に、人間がいる。統計が属性に分類する前に、人間がいる。そして歴史が「庶民」「住民」「被害者」「兵士」と名づける前にも、世界を見ていた一人の人間がいる。

その人が見ている世界を、制度が完全に代理してしまわないこと。国家が「あなたはこういう人間だ」と言っても、それがその人のすべてにはならないこと。AIがその人の次の行動をかなり正確に予測できるようになったとしても、その予測から外れる余地がその人自身に残されていること。そこまで含めて初めて、「Tameしない場所を残す」ということの意味が見えてくるように思う。

文明にはTamingが必要である。人間は、何も分類せず、何も予測せず、何の規則も持たずに何億人もの社会を営むことはできない。だから問題は、Tamingするか、しないかではない。どこまでTameし、どこから先をTameしないでおくかなのである。

権威も肩書も地位も取り去ったところに、それでもこの世界を見ている一人の人間がいる。その眼に映る世界まで、国家や社会や学問やAIの眼に置き換えてしまわないこと。説明できないものを、ただ説明が足りないものとして埋め尽くしてしまわないこと。そして、一人の人間のなかに、その人自身にもまだ分からない部分を残しておくこと。

「ただの人間」とは、文明が最後までTameしてはいけない場所の名前なのかもしれない。

Tameしない場所を残してゆく

人間には、Tamingを成立させやすい心理的な傾向が、長い進化のなかで組み込まれてきたのではないだろうか。そう考えると、人間がなぜこれほど大きな社会をつくることができたのか、そして同時に、なぜこれほど容易に社会のなかへ取り込まれてしまうのかという、一見すると反対方向を向いている二つの現象が、実は同じところから生まれているように見えてくる。

これは、人間が生まれながらにして誰かに支配されたがっているということではないだろう。人間はむしろ、何も予測できない世界のなかで生きることを苦手としているのかもしれない。何をしてよく、何をしてはいけないのか、誰を信頼でき、誰を警戒しなければならないのか、今日交わした約束が明日も守られるのか。そうしたことが何も分からなければ、大勢の人間が一緒に暮らすことは難しい。周囲の人間の表情を読み、集団の規範を理解し、自分の行動をそれに合わせ、相手もまた同じ規則に従うだろうと期待する。人間が長い集団生活のなかで、そうした能力を身につけてきたとしても不思議ではない。

そしてそれは、人間に途方もなく大きな力を与えた。血縁関係のない人間と食物を分け、共同で子どもを守り、仕事を分担し、約束を交わし、知識を伝え、ついには互いに顔を見ることさえない膨大な数の人間が、ひとつの社会をつくれるようになった。しかし、ここには奇妙な反転がある。文明を可能にした能力そのものが、その文明によって人間をTameする能力にもなったことである。

人間は規範を理解できるから法律に従うことができ、他人の評価を想像できるから世間の目を気にする。共同体への帰属を求めるからその価値を自分の価値として受け入れ、物語を共有できるから、宗教や民族や国家のような目には見えないもののためにも行動できる。しかもTamingが進んでいくと、人間は外側から命令されなくても、自分で自分をTameするようになり、やがて他人をTameする側にも回っていく。警察が見ていなくても隣人が隣人を見て、教師がいなくても子ども同士で「普通」を要求し、国家が命令しなくても「まともな人ならこうする」と人々自身が互いの行動を修正する。Tameされた人間自身が、いつの間にかTaming装置の一部になっていく。

けれども、ここでTameされた人間を「おとなしい人間」と考えてしまうと、Tamingという現象の大切な部分を見失う。Tameされることは、おとなしくなることではない。攻撃性と協力性は人間のなかで必ずしも対立しておらず、家族には優しく、隣人には親切で、仲間のためには自分を犠牲にできる人間が、共同体の外に置かれた者に激しい攻撃性を示すことは十分にありうる。むしろ仲間への忠誠心や責任感が強いからこそ、「仲間を守れ」という気持ちと「敵を攻撃せよ」という命令が結びついたとき、その協力性そのものが攻撃する力に変わることさえある。

文明は、人間から攻撃性をなくしたのではないのかもしれない。個人的な復讐を裁判や刑罰へ変え、ばらばらの暴力を軍隊へ変え、いつ噴き出すか分からなかった攻撃性を社会的な規則の内部へ取り込み、必要とされる場所へ向けられるようにした。そう考えれば、人間の恐ろしさは攻撃性を持っていることだけにあるのではない。人間は協力して攻撃することができる。文明は暴力を消し去ったのではなく、暴力さえTameしてきたのである。

こう考えてくると、Tamingという言葉に最初から「支配」や「抑圧」という価値判断を含ませることにも無理があるように思えてくる。人間は火をTameし、植物をTameし、動物をTameし、水をTameし、土地をTameしてきた。しかし火をTameするということは、火から燃える力を奪うことではない。馬をTameすることも、馬から走る力を奪うことではない。その力を残しながら、人間との関係のなかで、それまで予測できなかった振る舞いをある程度予測できるものへ変えていく。その意味でTamingとは、予測不能なものを、その性質を完全には失わせることなく、ある関係のなかで予測可能なものへ変えていく過程と考えるほうがいいのではないだろうか。

そう定義すれば、Tamingそのものには善も悪もない。火を必要なときに燃やし、植物を決まった季節に収穫し、水を必要な場所へ運び、人間が互いの行動をある程度予測しながら暮らせるようにする。その意味では、文明とは世界を一方的に征服してきた歴史というより、世界に満ちていた予測不能性を少しずつTameしてきた歴史だったと見ることができる。

しかも、その関係は一方向ではない。人間が麦を変えれば、麦を育てる生活が人間を定住させ、人間の暮らしを変える。人間が馬をTameすれば、馬によって人間の移動距離が延び、戦争や物流や国家の形まで変わっていく。人間がコンピューターをつくれば、人間自身の働き方や考え方がコンピューターに合わせて変わっていく。Tamingとは一方が他方を完全に支配することではなく、互いが互いを変えていく関係であり、その相互作用の力が常に対称とは限らない、と考えたほうが実際の文明に近い。

そうなると、本当に問わなければならないのは、Tamingが善か悪かということではなく、どのようなTamingが望ましく、どこからTamingが危険になるのかということになる。

火をTameしても、火の力そのものを消す必要はない。馬をTameしても、馬の能力を奪ってしまえば意味がない。そして人間についても、おそらく同じことが言える。教育によって言葉や規則を教え、衝動を制御することを覚えたとしても、好奇心や遊びや異議申し立てまで消してしまう必要はない。法律によって暴力を抑え、知らない人間同士でも安心して暮らせる社会をつくったとしても、人間の行動のすべてを法律が決める必要はない。望ましいTamingとは、対象をある程度予測可能にしながら、その対象が自ら変わっていく可能性まで奪わないTamingなのだろう。

だとすれば、危険なのはTamingそのものではなく、Tamingが完全になろうとすることなのかもしれない。

国家が土地を測量して住所をつけ、出生を記録し、人から税を集めるからこそ、郵便や学校や病院や道路や社会保障といった仕組みをつくることができる。しかし、その仕組みが、人がどこへ行き、何を読み、誰と付き合い、何を考えているのかまで完全に知ろうとし、その人の未来の行動さえ決めようとするようになれば、同じTamingでありながら、その性質は変わってくる。危険なのはTamingが強いことそれ自体よりも、そこから別のあり方へ移る可能性が閉じてしまうことなのだと思う。

学校に入っても別の学校へ移ることができる。会社に勤めても辞めることができる。共同体に属してもそこから離れることができる。ある思想を信じても、いつかそれを疑うことができる。そうした可逆性が残っているかぎり、人間はTameされながらも、Tamingとの間にわずかな距離を保つことができる。しかし、入ることはできても出ることができず、従うことはできても疑うことができなくなったとき、Tamingは閉じていく。

だから、社会には「余白」が必要になる。

すべてを規則にしなくてもいい。すべての人間を完全に理解しなくてもいい。人間には、国家にも会社にも学校にも家族にも、そして時には自分自身にも説明できない部分が残っていてい。行政から見れば無駄に見え、企業から見れば分類不能に見え、AIから見れば予測できない行動として現れるかもしれない。しかし、その「分からなさ」を、すべて解消されるべき未熟さとして扱う必要はない。誰にも知られないこと、役に立たないこと、予想とは違う行動をすること、昨日までの自分とは違う人間になることができる余地は、人間の自由を支えている一部分だからである。

その意味では、いいTamingとは予測可能性を高めながら、予測不能性をゼロにしようとはしないTamingなのだと思う。

そしてこれは、自由のためだけに必要なのではない。多様性を残すためにも必要になる。畑にまったく同じ性質の作物だけを植えれば管理は容易になるが、一つの環境変化によって畑全体が影響を受ける可能性も大きくなる。同じように、すべての人が同じ教育を受け、同じ情報に接し、同じ価値を信じ、同じように行動する社会は管理しやすいだろうが、それが強い社会だとは限らない。予想したことのない変化が起きたとき、それまで非合理的だと思われていた知識や、役に立たないと思われていた人間や、周縁に残されていた古い生活の仕方が、新しい環境に適応するための可能性になるかもしれない。完全にTameされた社会は、完成された社会であるどころか、変化する能力を失った脆い社会なのかもしれない。

ここまで来ると、Untamingもまた、単純に「解放」や「自由」と同じものではなくなる。固定され予測可能になった関係から、再び自律性や不確実性や多様性が生まれてくることをUntamingと呼ぶなら、それもまた善とも悪とも決められない。会社を辞めて別の生き方を始めることもUntamingなら、国家が崩壊して秩序が失われることもUntamingになりうる。Tamingは安定や協力を生み、知識や富の蓄積を可能にするが、進みすぎれば固定化と均質化へ向かう。Untamingはそこから自由や多様性や創造性を取り戻す一方、予測不能性や混乱や暴力を呼び戻すこともある。

人間の歴史は、自由からTamingへ、Tamingから不自由へと進む一本道だったわけではないのだろう。人間はTamingによって秩序をつくり、その秩序が硬直するとそこから逃れようとし、そのUntamingが生み出した新しい可能性に、また別の秩序を与えてきた。文明とは、TamingとUntamingのどちらかを最終的に勝たせることではなく、その二つの間を行き来しながら形を変え続ける運動そのものなのかもしれない。

そう考えると、自由な社会というものの姿も少し違って見えてくる。自由社会とは、人間をTameしない社会ではない。むしろ法律、所有権、契約、学校、貨幣、行政、課税といった、きわめて強力なTamingの仕組みを持っている。それでもそこに自由がありうるのは、その仕組みを修正する回路があり、人間がTamingとの間に距離を置くことのできる余地が残されているからだろう。言論の自由、信教の自由、移動の自由、私生活、権力分立、異議申し立て、少数者の権利といったものは、単なる「自由の一覧」ではなく、Tamingが人間の存在全体を覆い尽くすことを防ぐために、文明の内部へ意識的につくられたUntamingの余白と見ることもできる。

ところが文明は、その一方で、長い時間をかけてTamingする能力を高め続けてきた。土地を測り、時間を測り、人間を数え、行動を分類し、制度を合理化し、生産を効率化し、情報を蓄積し、未来を予測しようとしてきた。そしてAIを手にした私たちは、これまでなら知ることのできなかったものを知り、予測できなかったものを予測し、複雑すぎて扱えなかったものまで扱えるようになろうとしている。

それ自体が悪いわけではない。むしろ、それもまた人間が長い時間をかけて続けてきたTamingの延長にある。しかし、Tamingする能力が大きくなればなるほど、「できること」と「するべきこと」を区別する必要も大きくなる。知ることができるからといって、すべてを知らなくてもいい。予測できるからといって、すべてを予測しなくてもいい。管理できるからといって、すべてを管理する必要もない。

文明がこれから学ばなければならないのは、さらに上手にTameする方法だけではなく、Tameできるものを、あえてTameしないという技術なのではないだろうか。

人間が隠し事を持てること。役に立たないことをしていられること。間違えること。規則から少し外れること。皆と違う生き方を選ぶこと。昨日まで信じていたものを疑うこと。そして、どうしても息苦しくなったなら、今いる場所から離れてしまえること。そうした余白を、文明の遅れや制度の欠陥と考えないほうがいい。それは完成できなかった部分なのではなく、完成させないために残しておく部分なのかもしれない。

Tamingは世界に形を与える。しかし、すべての形をあらかじめ決めてしまえば、世界は新しい形になることができない。だからUntamingは、Tamingによってできた形をただ破壊するためにあるのではなく、その形が永久に固定されるのを防ぎ、別のものになりうる可能性を世界のなかに残しておく。文明に必要なのはTamingかUntamingかという二者択一ではなく、秩序をつくりながらも、秩序の外側を消してしまわないことなのだろう。

そうであるなら、文明の成熟とは、世界のすべてをTameできるようになることではない。むしろ、Tameする力を手に入れながら、その力をどこまで使うのかを自ら決め、あえて手をつけないところを残せるようになることなのだと思う。

成熟した文明とは、自分自身のTaming能力がどれほど強くなっても、あえてTameしない場所を残せる文明なのではないだろうか。AIの時代になり、人間が世界をTameする能力がこれまで以上に大きくなるのなら、なおさら、その場所は自然に残るものではなく、人間が意識して残していかなければならない。Tameしない場所を残してゆく。それは、これからの人間に残された大切な仕事の一つなのではないかと思う。

ただ一人分の人生を返してあげたい

歴史を読んでいると、ときどき不思議な気持ちになる。そこに名前を残している人の多くは、国をつくった人であり、戦争をした人であり、領土を広げた人であり、大きな制度をつくった人である。つまり何らかの力を持ち、その力によって世界を動かした人たちである。それに対して、その力によって動かされてしまった側の人間について、歴史は驚くほど少ししか語らない。

ある国が別の土地へ侵入したと書かれていても、その土地で暮らしていた一人一人に何が起きたのかは、ほとんど書かれない。町が陥落した、住民の何人が殺された、何万人が故郷を追われた、と数字や短い言葉で語られるだけである。しかし「住民一万人」と書かれたその一万人には、一万の人生があったはずで、その一人一人に好きな食べ物があり、苦手な人があり、愛する人があり、どうでもいい心配事があり、翌日にしようと思っていたことがあった。その人たちは「歴史の犠牲者」になるために生きていたわけではなく、歴史のほうが、ある日突然、その人たちの生活へ入り込んできたのである。

私は、侵略者の無念より、住民の無念のほうに心を動かされる。侵略者には物語があり、国を守れなかった、戦いに敗れた、理想を実現できなかった、志半ばで倒れたと後世の人々がその無念を語り継ぎ、英雄として墓や記念碑までつくられることすらある。しかし名もない人の無念には、そんな物語は残らない。その人は国を救おうとしていたわけでも、歴史を変えようとしていたわけでもなく、ただ生きていたかったに違いない。家に帰りたかった、子どもを助けたかった、もう一度家族に会いたかった、あるいはただ昨日と同じように明日も暮らしたかった。それくらいの願いだったのかもしれないが、むしろ私は、その「それくらい」に心を動かされる。

考えてみると、これまで考えてきたTamingというものには、ここにもう一つ重要な働きがあるように思える。Tamingとは、人を従わせることや、人間を社会にとって役に立つ存在へ変えることだけではなく、一人一人のばらばらな人生を、その人よりも大きな物語の中へ配置し直すことでもあるのではないだろうか。

国家は戦争を祖国防衛と呼ぶことがあり、帝国は征服を文明化と呼ぶことがあり、宗教は犠牲を信仰の物語として語ることがある。そうして大きな物語ができあがると、そこに生きていた一人一人も、その物語の中で役割を与えられる。ある人は兵士となり、ある人は難民となり、ある人は先住民となり、ある人は捕虜となり、ある人は英雄という名の侵略者なり、ある人は犠牲者となる。こうした人を形容する言葉は歴史を理解するためには必要なのだろうが、その一方で、一人の人間から、その人にしかなかった細かな部分を削り落としてしまう。

その人は「難民」である以前に、昨日まで家の前を掃いていた人だったかもしれない。「戦争犠牲者」である以前には、翌週の娘の誕生日をどうしようかと考えていた人だったかもしれない。「先住民」と呼ばれる以前には、好きな人がいて、嫌いな食べ物があり、隣の家の人と仲が悪く、夕方になればいつもの場所から空を眺めていた一人の人だったかもしれない。けれども歴史はそのほとんどを書かないし、後世の私たちも、その人を歴史が与えた名前によってしか知ることができない。

そう考えると、Tamingとは人間の行動を支配するだけでなく、その人が生きた人生の意味をまで支配することがあるのだと思えてくる。ある人が戦争で殺され、その死を後世が「国家建設のための犠牲」と呼んだ瞬間、その死は国家という大きな物語の一部分になる。しかし、その人自身は国家建設のために死にたかったわけではなく、その日の夕方には家へ帰り、いつもの食事をし、愛する人と話し、翌朝また目を覚ましたかっただけなのかもしれない。後世から与えられる大きな意味と、その人自身が望んでいた小さな人生とのあいだには、埋めることのできない距離がある。

だから「敗者の歴史を取り戻そう」というだけでも、私には少し違うように感じられる。「勝者」に対して「敗者」を置けば、歴史を見る方向は逆転するけれど、勝者と敗者という同じ物差しを使い続けることになる。「無用な人にも価値がある」と言うだけでは、まだ有用と無用という尺度に捕らわれていたのと同じように、「歴史の敗者にも価値がある」と言うだけでは、まだ勝敗という歴史の尺度から抜けていない。本当に想像してみたいのは、その人が敗者になる以前に生きていた時間であり、勝者か敗者かという区別そのものがまだ存在していなかった生活なのである。

後世から見れば、その人は戦争の敗者だったのかもしれない。しかし、その日の朝、本人はまだ敗者ではなかった。朝食を食べ、家族と言葉を交わし、今日は雨になるだろうかと空を見て、帰りに何を買おうかと考えていたかもしれない。その人にとって本当に重要だったのは、そのような毎日の続きだったのだろう。ところがそこへ、戦争や征服や革命という歴史の巨大な出来事が入り込み、その続きを突然断ち切ってしまう。

私が想像力によって取り戻したいと思うのは、まさにその「続き」なのだと思う。

それは、名もない犠牲者を新しい英雄に仕立て直すことではない。彼らこそ真の英雄だったと言った途端、その人たちは侵略者と同じ存在になり、また別の大きな物語へ回収されてしまう。聖人にする必要もなければ、殉教者にする必要もなく、その死に必ず歴史的な意味を見つけてやる必要もない。その人は英雄になる必要などなく、ただ一人の人間として生き続けたかったのだと考えたい。

ここで、以前考えた「何も書かなかった人」が、もう一度心に浮かんでくる。ある人が、何の目的もなく三時間ほど海を眺めていた。詩を書かず、写真も撮らず、その経験を人生の成長にも幸福にも変換せず、風が冷たくなったので家へ帰り、愛する人と夕食を食べた。歴史から見れば、その三時間には何の意味もない。国家にも宗教にも市場にも、その三時間を記録する理由はなく、本人自身さえ「あれは人生にとって重要な時間だった」とは思っていなかったかもしれない。

もし翌日に戦争が始まり、その人が故郷を追われたとすれば、歴史書には「住民が避難した」と書かれるだろう。その瞬間から、その人は「住民」となり「避難民」となり、戦争史の一部となる。しかし、その前の日、その人は海を見ていたのである。

私は、このことを忘れたくない。

「避難民」という言葉からは、その海は見えない。その人がどんな海を見ていたのか、誰を愛していたのか、何を嫌っていたのか、その日の夕食は何だったのか、食卓でどんなくだらない話をしたのか、その夜眠る前に何を考えたのか、それらのほとんどを私たちは永久に知ることができない。しかし知られないことと、存在しなかったことは違う。その人の生活が歴史に記録されなかったのは、その人生が小さかったからではなく、歴史という記録装置のほうが、一人の人間の人生を捉えるにはあまりにも粗いからなのだろう。

これは、深海にいる、人間の知らない生き物のことを考えたときに感じたことにもよく似ている。誰にも発見されず、人間から一度も名前を与えられないまま一生を終えた生き物にも、一つの生があった。人間に知られなかったから存在しなかったわけではなく、人間に何の役にも立たなかったから、その一生が空虚だったわけでもない。それと同じように、歴史に名前を残さなかった人にも、一つの世界があり、その人が何も成し遂げなかったように後世から見えるとしても、そのことと、その人が何も生きなかったということとはまったく違う。

歴史とは、残ったものから作られる。そのため、残らなかったものの大きさを見えにくくするところがある。作品が残った人、国家を残した人、制度を残した人、戦争に勝った人、記録を書いた人は見えるけれど、何も残さなかった人、その日常を途中で奪われた人、最後まで誰にも知られなかった人は見えない。そして見えないものが多すぎるため、私たちはいつのまにか、見えているものだけが歴史だったように感じてしまう。

私が名もない人々に心を引かれるのは、弱い人のほうが善良だと思っているからでも、敗者のほうが正しいと思っているからでもないのだろう。強者や侵略者には、歴史がすでに多くの言葉を与えている。英雄としての名前があり、記念碑があり、「勇敢だった」「祖国のために戦った」「志半ばで倒れた」という物語がある。それに対して、逃げ場を失った名もない人については、歴史は「死者何人」という数字しか残してくれないことがある。その人が何を恐れ、誰を愛し、何をやり残し、もしあと一日生きることができたら何をしたかったのか、ほとんど何も教えてくれない。

だから、想像力がそこへ向かう。

歴史がその人について語ってくれないからこそ、想像力によって、その人を「犠牲者」という集合的な言葉の中からもう一度一人の人間へ戻してみるのである。ただし、これは過去について好き勝手な物語を作るという意味ではない。個々の人が実際に何を考えていたのかは分からない以上、そこを事実のように埋めてはならない。そうではなく、記録の沈黙の向こう側にも、こちらと同じように生活を持った人間がいたということを忘れないための想像力なのである。

そう考えると、想像力にはTamingとは反対方向の働きがあるように思えてくる。Tamingは人を分類し、役割を与え、「兵士」「難民」「先住民」「犠牲者」といった大きな言葉の中へ配置する。それに対して想像力は、その分類から一人をそっと取り出し、その人に失われた生活の厚みを返そうとする。歴史によって「敗者」にされた人を、敗者という言葉だけから解き、犠牲者とされた人を犠牲者という役割だけから解き、英雄へ格上げすることも殉教者として意味づけることもせず、その人にも愛する人があり、どうでもいい悩みがあり、何の意味もない時間があり、そして本当なら明日もその続きを生きたかったのだろうと想像する。

その想像は歴史を書き換えるためのものではない。むしろ、歴史という大きな物語によって削り落とされた「人間の余白」を、わずかでもその人に返すためのものなのだと思う。

そして、このことは過去の人間だけの問題ではない。私たち自身もまた、国家、家族、職業、宗教、思想、民族、階級といったさまざまな大きな物語の中で生きている。そうしたものから完全に自由になる必要はないし、おそらくそんなことはできない。国家の中で生きてもよく、宗教を信じてもよく、家族を愛してもよく、仕事に誇りを持ってもいい。ただ、自分の人生のすべてを、そのどれか一つへ渡してしまわないことはできるのではないだろうか。

国家のために生きていても、国家だけの人間にならない。家族を愛していても、家族だけの人間にならない。仕事を大切にしていても、職業だけによって自分を説明しない。何かの思想を信じていても、その思想によって自分の経験のすべてを理解しようとしない。そのどれにも説明できない自分だけの時間があり、三時間海を眺めていたというような、歴史にも社会にも自分自身にも特別な意味を持たない時間が残っていていい。

もしかすると、これがTamingに対する最も静かな抵抗なのかもしれない。

Tamingとは、人間を服従させることだけではなく、その人の人生に「国家のため」「宗教のため」「文明のため」「歴史のため」と意味を与え、その物語の中へ回収していくことでもある。そうだとすればUntamingとは、それらの大きな物語をすべて拒絶することではなく、どんな物語の中で生きている人にも、その物語では最後まで説明できない部分が残っていることを忘れないことなのだろう。

国家がその人を兵士と呼んでも、その人には兵士ではなかった時間がある。歴史がその人を敗者と呼んでも、その人には敗者ではなかった人生がある。後世がその人を犠牲者と呼んでも、その人は犠牲者になるために生まれ、生きていたのではない。その人には、その人自身のためだけに流れた時間があり、その大部分は何の意味にも変換されないまま失われていった。

だから私は、歴史からこぼれ落ちた人々を想像してみたいのだと思う。それは彼らを歴史の中心へ引き上げ、新しい英雄にするためではなく、大きな物語によって奪われた一人分の人生を、ほんの少しだけその人へ返すためである。歴史が「犠牲者」としか書かなかった人を、犠牲者になる前の一人の人間へ戻し、「敗者」としか呼ばなかった人に、敗者になる前の日々があったことを思い出す。その人たちの本当の声を知ることはできなくても、大きな歴史の背後に無数の小さな人生が存在し、その一つ一つが歴史の目的とは無関係に、それ自身の続きへ向かって生きていたことだけは忘れずにいることができる。

そして自分自身についても、同じようにありたいと思う。自分の人生を大きな物語に全部渡してしまわず、社会から与えられた名前や役割によって自分のすべてを説明しようとせず、どこにも回収されない小さな余白を残しておく。歴史のなかで名を残すことがなくても、何か大きなものを成し遂げることがなくても、誰かを愛し、くだらないことで笑い、海を眺め、次の日を迎えたいと思いながら生きている、その一回限りの人生そのものを、大きな物語よりも大切にする。

おそらく私が歴史に詳しく書かれなかった人々に感じているものは、敗者への同情というより、大きな物語によって最後まで回収しきれなかった、一人の人間の「残り」への共感なのだと思う。そして、その「残り」を想像することによって、歴史からこぼれ落ちてしまった人たちに、名前でも功績でも歴史的意義でもなく、ただ一人分の人生を返してあげたい。

知られざるもの、知られざること

深い海の底には、まだ人間の知らない生き物がいる。それがどれほどいるのかを正確に知ることはもちろんできない。知らないものの数を数えることには、そもそも矛盾があるからだ。それでも海洋では現在も新しい種の記載が続いており、Ocean Censusの取り組みでは2025年だけでも1,121種が新たに記載されたというのだから、海について人間が知っていることは、私たちが思っている以上に限られているのだろう。

そう考えると、深海の暗闇のなかで、これまで一度も人間に見つけられたことのない小さな生き物が、今この時間にも動いているのではないかという想像が浮かんでくる。その生き物には人間がつけた名前がなく、図鑑にも載っておらず、写真もないのだろうが、もちろんその生き物自身は、自分が人間に知られていないことなど知らない。静かな海底で生まれ、何かを食べ、何かから逃げ、おそらく仲間と出会い、やがて死んでいく。そしてそのように、人間に発見されることもなく生まれて死んでいった生命は、これまで無数にあったはずであり、その一生について私たちは永遠に何も知ることができない。

ここで、その生き物を「無用な生き物」と呼びたくなるけれど、少し考えてみると、それさえ違うように思えてくる。無用というのは人間の言葉であり、何かを「役に立たない」と判断するためには、その前に、それが役に立つかどうかを考えなければならない。ところが、人間に一度も発見されたことのない深海の生き物には、その問いそのものが向けられておらず、食べられるのか、薬になるのか、研究に使えるのか、生態系にどんな価値を持つのかと尋ねる人さえいない。その生き物は有用なのでも無用なのでもなく、人間がつくった「有用」と「無用」という一本の線の上に、まだ置かれていないのである。

このことを考えていると、これまで考えてきたTamingというものが、少し違った姿に見えてくる。人間は世界にあるものを発見すると名前をつけ、分類し、その性質を調べてきた。それは世界を理解するための大切な営みであり、それだけを支配と呼ぶべきではない。しかしその先で私たちは、理解したものを利用する方法もしばしば考えてきた。植物を見つければ食べられるかを試し、薬になるかを調べ、栽培できるものなら栽培する。動物についても、食料にできるか、働かせることができるか、人間の近くで繁殖させることができるかを試してきた。そうして、それまで人間の世界の外側にあったものが、名前を与えられ、分類され、性質を記述され、人間が理解できる世界のなかに場所を与えられ、その一部はさらに資源となり、食料となり、商品となり、労働力となっていった。Tamingを広い意味で捉えるなら、その長い流れのなかには、世界を人間にとって理解可能なものへ変え、やがて利用可能なものへ変えていく運動も含まれているのかもしれない。

しかし深海には、まだその運動が届いていないところがある。そこにいる名もない生き物は、人間から自由になろうとしているわけでも、人間に抵抗しているわけでも、Untamingされようとしているわけでもなく、ただ人間との関係自体がまだ始まっていないのである。その意味では、それはUntamedというより、まだ一度もTamedされたことがなく、しかも自分がそのような状態にあることさえ知らない存在なのだろう。

そんな生き物のことを考えていると、以前想像した「何も書かなかった人」のことを思い出す。その人は詩人でも思想家でもなく、歴史に名前を残すような人でもなかったが、ある日の午後、海辺へ行って三時間ほど海を眺め、風が冷たくなったので家へ帰った。海について詩を書くことも、写真を残すこともなく、その三時間について人生の意味を考えることもなかった。家には愛する人がいて、「どこにいたの」と聞かれれば「海を見ていた」と答え、二人で夕食を食べたかもしれない。その人が何を考えていたのかと聞かれても、「別に何も」と答え、それ以上説明することなく一日が終わったのかもしれない。私たちはその人の名前を知らず、これからも知ることはないけれど、人間の歴史の大部分を生きたのは、おそらくそのような人たちだったのではないだろうか。

私たちが知っているのは、詩を書いた人、国を作った人、戦争をした人、建物を建てた人、発明した人、思想を残した人であり、何かを残したからこそ、その人が存在したことを後世の私たちは知ることができる。そのため歴史を眺めていると、人間は何かを成し遂げるために生きてきたような錯覚が生まれる。しかし実際には、名前も記録も残らなかった膨大な数の人々も、それぞれの一生を生きていた。誰かを好きになったこともあれば、嫌いな人もいただろうし、朝の寒さを感じ、雨の匂いを嗅ぎ、食べ物がおいしいと思い、子どものころの記憶をふと思い出し、誰かとくだらないことで笑い、ときには一人でぼんやり空や海を眺めたこともあっただろう。そして、そのほとんどは何にも記録されず、その人とともに消えていったけれど、記録されなかったからといって、その時間が存在しなかったわけではない。

ここで、深海の名もない生き物と、何も書かなかった人が、不思議に重なって見えてくる。深海の生き物には人間がつけた名前がなく、その人にも歴史に残る名前はなく、深海の生き物が人間の役に立ったかどうかを誰も知らないように、その人が文明にどれほど貢献したかも後世の誰にもわからない。しかし、未知の生き物が人間に発見されなかったからといって生きていなかったわけではないのと同じように、人間もまた、何も残さなかったからといって何も生きなかったわけではなく、この二つの違いは、私にはとても大切なものに思える。

文明は、残ったものによって過去を記憶する。作品が残り、建築が残り、記録が残り、名前が残るため、「残す」ということと「生きる」ということが、いつのまにか同じ方向に並べられてしまう。何かを成し遂げた人生は豊かで、何も残さなかった人生は空白だったように感じられるけれど、生きるということは本来、記録されることとは関係がないはずである。深海の生き物が誰にも観察されなくても一生を生きるように、人間の内側で起こった無数の出来事も、誰にも知られず、何にも変換されず、その人自身とともに消えていっていいのであり、それを惜しいと思うこと自体、残すことに慣れすぎた私たちの側の感覚なのかもしれない。

現代では、以前にも増して多くのものを残すようになった。旅行へ行けば写真を撮り、食事をすれば記録し、考えたことを書き、歩いた距離を測り、眠った時間まで保存する。もちろん人生の一部を記録することは楽しいし、後から振り返ることにも意味があるけれど、あらゆる時間を記録へ変えてしまえば、いつのまにか私たちは、生きたことと残したことを区別できなくなるかもしれない。しかし記録しなかった時間も生きた時間であり、誰にも話さなかった喜びも確かに喜びであったはずで、名前のつかなかった感情もそこにあり、自分自身でさえ忘れてしまった午後も、そのときには疑いなく自分の人生の一部だった。

Tamingとは、世界にあるものを人間の世界へ引き寄せ、名前を与え、意味を与え、ときには用途を与えていく営みだったと考えることができる。しかし世界のすべてがそこへ入らなければならないわけではなく、それは人間の一生についても同じなのだろう。自分の経験のすべてに名前をつけ、すべてを意味へ変え、すべてを記憶や作品や成長へ変換する必要はなく、人間の内側にも、まだ誰にも発見されていない深海のような場所が少しくらい残されていていい。

しかも、その場所は他人に対して隠されているだけではなく、自分自身にさえ利用されていなくていいのだと思う。自分を知るための時間でもなければ、心を癒やすための時間でも、人生を豊かにするための時間でもなく、ただ生きているうちに静かに過ぎていく時間であっていい。海を眺めていた三時間について、後になって「あの時間のおかげで自分は変わった」と語る必要もなく、愛する人にその意味を説明する必要もない。その時間は何かに変わることなく、そのまま本人の内側を流れて消えていっていいのだ。

だから、深海の暗闇のどこかで、人間に一度も発見されることなく一生を終える小さな生き物を想像すると、私は少し安らかな気持ちになる。その生き物は人間にとって役に立つ存在でも、役に立たない存在でもなく、そのような評価そのものと無関係なところで生きている。その生き物が人間のことを知らないように、人間もその生き物のことを知らないまま、二つの世界は交わることなく、それぞれに存在している。

そして人間にも、そのような部分が少しくらい残っていていいのではないだろうか。社会に知られている自分があり、愛する人に知られている自分があり、自分自身がよく知っている自分もあるけれど、それらだけで人間のすべてを埋め尽くす必要はない。そのどこにも属さず、自分でさえ意味を見つけようとしない時間が、人生の奥のほうに小さな深海のように残されていてよく、そこには有用か無用かという問いも、自分を成長させたかどうかという問いも届かないまま、その人だけの時間が静かに流れていていい。

もしUntamingというものがあるとすれば、それはTamingされた世界から完全に逃げ出すことではなく、自分の人生のすべてを発見し尽くし、意味づけ尽くし、利用し尽くそうとしないことなのかもしれない。誰にも知られなかった深海の生き物が、それでも一つの生を生きたように、人間にも、誰にも知られず、何にも変換されず、何も残さないまま消えていく時間があっていいのであり、何も残さなかったことと何も生きなかったこととは、本来まったく違うことなのだろう。

人間の知らない生命が今もどこかの深い海の底で静かに生き、人間から名前を与えられることも、役に立つかどうかを問われることもないまま、その生を生きているかもしれないという想像は、だから私にはどこか救いのように感じられる。人間もまた、自分という存在の隅々まで社会や他人や自分自身の眼差しにさらし、その一瞬一瞬を意味や成果へと変えていく必要はなく、人生のどこかには、誰にも発見されず、何のためにも使われず、何にもならないまま静かに過ぎていく時間を残しておいていい。その時間もまた、ほかのどの時間にも劣らず、その人が確かに生きていた時間なのだ。

そばにいても恋しい

韓国の詩人류시화(リュ・シファ)の詩集に、『그대가 곁에 있어도 나는 그대가 그립다(君がそばにいても僕は君が恋しい)』という作品がある。蓮류시화の代表作を集めたこの詩集について、韓国の書店は、彼の詩を貫くものを「対象への愛」と「透明な凝視」と表現し、その詩は何かを作り出す「発明」というより、すでにそこにあるものを見出す「発見」に近いと紹介している。

류시화の作品世界には、木や花、鳥、雨、星、旅、傷、愛といったものが繰り返し現れる。別の詩集『외눈박이 물고기의 사랑(片目魚の愛)』にも、蝶、木、花、霧、雲、鳥、星といった身近な存在をめぐる作品が並んでおり、その作品についても、日常の言葉を通して見慣れたものの中にある未知のものを発見するところに特徴があると紹介されている。

この「発明ではなく発見」という言葉が、Tamingについて考えてきた私には妙に気にかかる。

Tamingとは、世界にあるものを人間の側へ引き寄せる運動だったのではないかと思うからである。植物を作物にし、動物を家畜にし、森を資源にし、水を灌漑や発電に利用し、土地に境界を引く。そこでは、まだ人間のものではない何かに働きかけ、それを理解可能で、予測可能で、利用可能なものへと変えていく。

人間同士の関係にも、それと似たところがある。

最初に出会ったとき、相手はほとんど未知の人である。何を考えているのかわからず、何を喜び、何を恐れ、どんな過去を生きてきたのかも知らない。その知らなさが相手への関心を生み、もっと知りたいという気持ちを起こす。しかし親しくなれば、相手について多くのことを知るようになり、いつしか恋人、妻、夫、親、子、友人といった名前が関係に与えられる。そして名前には役割が伴い、「この人はこういう人だ」「この人ならこう考える」「この人ならこんなときこうする」という理解ができあがっていく。

そのこと自体が悪いわけではない。人が一緒に暮らすためには、ある程度まで互いを知り、互いの振る舞いを予測できなければならない。しかし、知ることと、相手を知り尽くしたと思うこととのあいだには、小さいようでいて大きな違いがある。

そこに「君がそばにいても僕は君が恋しい」という言葉を置いてみると、とても不思議な景色が見えてくる。

普通なら、恋しさは距離によって生まれる。遠くにいるから会いたくなり、いないから恋しくなる。しかし、ここでは相手はすでにそばにいる。それなのに恋しい。身体の距離はなくなっているのに、その人と自分との間には、なお埋めることのできない距離が残っているのである。

それを愛の不完全さと考えることもできるだろう。しかしTamingという視点から眺めると、むしろ反対に見えてくる。そばにいるのに恋しいということは、そばにいる相手が、まだ自分のものになりきっていないということなのではないだろうか。

何十年か一緒に暮らしていても、その人のすべてを知っているわけではない。朝、窓辺で外を見ている相手が何を考えているのか、自分にはわからないことがある。昔の誰かを思い出しているのかもしれないし、昨日の出来事を考えているのかもしれないし、本当に何も考えず、ただ鳥を見ているだけなのかもしれない。

「何を考えていたの」と尋ねて、「別に何も」と言われたら、その「別に何も」をそのままにしておくこともできる。

これは思っているより難しい。愛していればいるほど、その人を理解したいと思うからである。悲しんでいれば理由を知りたいし、黙っていれば心の中を知りたい。その人の喜びには自分も加わりたいし、その人が自分とは関係のないところで幸せそうにしていれば、ときには寂しさを感じることさえある。

けれども、愛には「理解する」という方向だけではなく、理解できないものを残しておくという方向もあるのではないだろうか。

以前、「何も書かなかった人」のことを考えた。その人はある午後、一人で海辺へ行き、三時間ほど海を眺め、風が冷たくなったので家へ帰る。家には愛する人がいて、二人で夕食を食べる。「どこに行っていたの」と聞かれ、「海を見ていた」と答える。「何を考えていたの」と尋ねられ、「別に何も」と答える。

そこで、相手がそれ以上聞かない。

その三時間を愛の中へ取り込もうとしないのである。

海を眺めた経験について話してもらう必要もなく、その時間が二人の関係にとってどんな意味を持っていたかを確かめる必要もない。相手には、自分の知らない三時間があり、その三時間については、自分が愛している人にさえ説明する必要がない。二人は一緒に暮らしているけれど、互いの人生のすべてを共有しているわけではない。

それは愛の不足ではなく、むしろ愛の一つの成熟した形なのかもしれない。

誰かを愛すれば、その人に少しTameされる。待っている人がいれば帰ろうと思い、病気になれば心配し、苦しんでいれば自分の時間を差し出す。だからUntamingを、誰からも自由になることだと考える必要はないだろう。愛する人からも、家族からも、友人からも自由になり、誰にも必要とされず、誰をも必要としない人間になることが、自由の完成とは思えない。

むしろ、誰かと深く結びつきながら、それでも互いのなかに、相手によってTameされない場所を残しておくことができる。その場所では、相手の喜びが必ずしも自分のためにある必要はなく、相手が考えていることをすべて知る必要もなく、その人の時間のすべてを「私たちの時間」に変えなくてもいい。

そこに、愛の中の小さなUntamingがある。

だから류시화の詩について語られる「対象への愛」と「透明な凝視」という言葉が興味深いのである。 見ることは、必ずしも所有することではない。理解することでも、説明することでも、対象にこちら側の意味を与えることでもない。そこにあるものを、そこにあるものとして見ていることもできるのだとしたら、その眼差しは、世界を次々と人間の用途の中へ取り込んできたTamingとは少し違った方向を向いている。

そして、それが木や鳥や花に対して可能ならば、愛する人に対しても可能なのではないだろうか。

相手を「私の妻」「私の夫」「私の恋人」という言葉の中に収めきらない。もちろん妻であり、夫であり、恋人なのだけれど、その関係によってその人の全体を説明しない。その人には自分と出会う前の時間があり、自分の知らない記憶があり、自分の理解とは関係なく続いていく感覚や思考があり、その人自身にも説明できない内面があることを認める。

そうすると、愛することの意味も少し変わってくる。

愛することは、二人のあいだにある距離を完全になくすことではない。近づけば近づくほど相手について多くを知りながら、それでもなお、その人が自分とは別の世界であることを忘れないことである。愛によって二人が一つになるのではなく、二人のまま、できるだけ近くにいる。

そこまで考えると、「君がそばにいても僕は君が恋しい」という言葉は、単なる恋愛の切なさ以上のものに聞こえてくる。

そばにいるから、もう知っている、とは思わない。長く一緒にいるから、もうわかっている、とも思わない。声を知り、癖を知り、過去を知り、同じ家で眠り、人生の長い時間を共有していてもなお、その人の内部には、自分の知らない場所が残っている。そのわずかな遠さを愛の失敗として埋めようとするのではなく、むしろその人が自分とは別の存在であり続けている証として大切にする。

Tamingが、未知なるものを既知のものへ変え、違うものをこちら側へ取り込み、名前をつけ、役割を与え、予測可能なものにしていく運動なのだとしたら、愛の中のUntamingは、その逆を静かに引き受けることなのかもしれない。相手を知らないままでいるのではなく、どれほど知っても知らないところが残ることを受け入れ、どれほど近づいても最後の距離を消そうとせず、愛しているからこそ、その人の内部に自分の入っていかない場所を残しておく。

そこには所有を拒絶するという強い言葉よりも、もっと静かな自由がある。海を眺めて帰ってきた人に、「何を考えていたの」と尋ね、「別に何も」と答えられたとき、その答えを不足だと思わず、その人のなかに残しておく。そして二人で食卓につき、別の話をしながら夜を過ごす。その三時間について知らないままでも、二人は十分に近くにいる。

もしかすると、それが「そばにいても恋しい」ということなのだろう。

愛する人は、そばにいる。それでも、その人のすべてがこちら側へやって来ることはない。相手の内側には、自分の知らない海があり、自分がその海の所有者になる必要もない。その海を埋めず、名前をつけず、ただ近くにいることができるなら、相手をTameしない愛というものも、わずかながら可能なのかもしれない。

そして、いつまでたっても残っているその距離こそが、寂しさではなく恋しさを生むのだとすれば、류시화の『그대가 곁에 있어도 나는 그대가 그립다』という言葉は、不思議なほど深く響いてくる。 そばにいてもなお恋しいということは、愛する人がいまも自分の所有物にも、自分の理解にもなりきらず、一つの未知の世界として生き続けているということなのかもしれない。

何も残さなかった人

海を見ていた人がいた。

三時間ほど、海辺に座っていた。海について考えようとしていたわけではなく、波の意味を探していたわけでもない。まして、それを文章にしようとも、詩にしようとも思わなかった。ただ海を見ているうちに時間が過ぎ、風が少し冷たくなってきたので、立ち上がって家へ帰った。

私たちは、そんな人のことを知らない。当然である。その人は何も残さなかったからだ。文学の歴史に残っているのは、海を見て詩を書いた人であり、旅をして紀行を書いた人であり、孤独を経験して、それを思想へ変えた人である。何かを感じ、それを言葉に変えた人の名前は残るけれど、何かを感じたまま、それを何にも変えなかった人の名前は残らない。

だからときどき、何も書かなかった詩人がいたのではないか、と考えたくなる。しかし、それではおかしい。何も書かなかったのなら、その人は詩人ではない。ただの人だったのである。

朝起きて食事をし、誰かと言葉を交わし、ときには働き、ときには何もせず、ある日の午後には海を眺めていた。その人の内側にも、光や匂いや記憶や喜びがあっただろう。しかし、それらを作品にする必要を感じなかった。自分の感じたことを誰かに伝えようとも、自分の人生から何かを取り出して後世に残そうとも思わなかったのかもしれない。

私たちは、何かを残した人のことばかりを知っている。その人が建てたもの、その人が書いたもの、その人が発見したもの、その人が作った制度を通して過去を知る。そのため歴史を眺めていると、人間とは何かを作り、何かを成し遂げ、何かを後世へ残してきた存在であるように思えてくる。しかし実際には、名も残らず、作品も残らず、思想も残さず、それでも一日の光を感じ、雨の匂いを感じ、誰かとの会話を楽しみ、ときには一人で何時間も空や海を眺め、そのまま死んでいった人のほうが、はるかに多かったのではないだろうか。その人たちは何も残さなかった。しかし、何も生きなかったわけではない。この二つは、まったく違う。

もちろん、その人も一人だけで生きていたのではない。その人にも愛する人がいて、その人を愛する誰かがいたのだろう。海から帰れば、家に灯りがついていて、夕食を用意している人がいたかもしれない。「今日はずいぶん遅かったね」と言われ、「ちょっと海を見ていた」と答え、そのまま二人で食事をしたのかもしれない。相手が何をしていたのかを尋ね、その日の小さな出来事を聞きながら、自分が海辺で過ごした三時間については、それ以上説明しなかったかもしれない。

けれど、それでも二人は一緒に暮らしていた。

誰かを愛すれば、その人のことが気にかかり、自分の時間の一部をその人に差し出すことになる。病気になれば心配し、困っていれば助け、待っている人がいれば帰ろうと思う。その意味では、愛もまた人を結びつけ、人を少しTameするのだろう。しかし、だからといって愛する人からまで自由になる必要はない。人間の自由とは、あらゆる関係を断ち切り、誰にも必要とされず、誰のことも必要としない状態になることではないはずである。

むしろ大切なのは、愛する人同士であっても、互いの時間のすべてを所有しないことなのかもしれない。相手が海を見ていた三時間について、「何を考えていたの」と尋ね、「別に何も」と答えたなら、その「別に何も」を、そのまま残しておく。愛しているからといって、その人が感じたもののすべてを共有し、その人の時間のすべてに意味を与え、自分との関係の中へ回収しなくてもいい。愛する人の内側にも、自分が知らないままの小さな場所が残っていていいのである。

文明は長い時間をかけて、世界にあるものを何かの役に立つものへと変えてきた。土地を耕し、植物を作物にし、動物を家畜にし、水を利用し、森を資源にし、人間の時間を労働へ変えてきた。Tamingとは、世界に向かって「お前は何の役に立つのか」と問い、その答えを引き出し続ける営みだった、と考えることもできる。そしてやがて、その問いは人間自身にも向けられるようになった。何ができるのか、誰の役に立っているのか、何を生み出したのか、何を残したのか、と自分自身にまで問い続けるようになったのである。

その問いは仕事の時間だけにとどまらない。本を読めば何を学んだかを考え、歩けば健康への効果を期待し、旅に出れば経験を蓄えようとし、海を眺めれば心が癒やされたと説明する。友人との時間には人間関係という意味を与え、家族との時間には愛情という意味を与え、一人でいる時間にさえ自己成長や心の回復という理由を探そうとする。私たちはいつのまにか、自分の時間をそのまま使うことが難しくなり、何でも何か別のものへ変換しなければ落ち着かなくなってしまった。

けれど、遠い昔に海辺に座っていた名もない人は、少なくともその午後だけは、そんなことを考えなかったかもしれない。その人にとって海を見ることは健康のためでも、教養のためでも、創造性のためでもなく、あとで愛する人に話すための経験ですらなかった。ただそこに海があり、しばらく見ていたかったので見ていた。それだけの時間が、その人の人生の中にあった。

そこには作品もなければ成果もなく、人生を豊かにしたという証明さえない。しかし、作品がないことも成果がないことも欠落ではないと考えるなら、そこに小さなUntamingが見えてくる。Untamingとは、何ものにも縛られないことではなく、仕事を拒み、家族を捨て、社会から逃げて一人になることでもない。誰かを愛し、誰かから愛され、働き、社会のさまざまな仕組みに支えられながら生きていても、その人生のどこかに、何かに変換されない時間を残しておくことはできる。

人は完全にはUntameされないのだろう。生きているかぎり、家族や友人との関係、社会の決まり、身体の必要、生活のためのさまざまな条件に結びつけられている。しかも、その結びつきのすべてが人を不自由にするわけでもない。愛する人のために家へ帰ることを、単純に束縛と呼ぶことはできないし、自分の時間を誰かのために使うことが、必ずしも自由を失うことでもない。人間の生活は、TamingとUntamingとにきれいに二分できるほど単純ではなく、むしろ数えきれないほどの結びつきの間に、ところどころ小さな余白が残されているものなのかもしれない。

その余白では、時間を仕事に変えなくてもよく、作品にも思い出にも自己成長にも変えなくていい。愛する人のために役立てなくても、自分の将来のために蓄えておかなくても、その時間は失敗した時間にはならない。ただ自分の内側を流れ、誰にも利用されず、本人にさえ利用されないまま消えていく時間があってよく、それを豊かだったとも有意義だったとも呼ばずに、そのままにしておいていいのである。

何も書かなかった人について、私たちは何も知らない。名前も、その人が愛した人の名前も、その人を愛した人の名前も残っていないだろう。それでも、ある日の午後、その人が海を眺めている時間があり、風が冷たくなったころに立ち上がり、待っている人のいる家へ帰ったのかもしれない。そして食卓について、その日の海を詩にすることも、その三時間に意味を与えることもなく、何気ない話をしながら一日を終えたのかもしれない。

その人生が何のためにあったのか、と尋ねる必要はないのだと思う。誰かを愛したことさえ人生の目的として持ち出す必要はなく、海を眺めたことにも、その人の心を豊かにしたという意味を与える必要はない。人間はさまざまなものに結びつけられながら生きているけれど、その人生のすべてを仕事や愛や文化や成長や幸福のために差し出さなければならないわけではない。その結びつきと結びつきの間に、ほんの少しでも、何のためでもない時間が残っていればいい。

もしかするとUntamingとは、あらゆるTamingから逃げ切って完全に自由になることではなく、Tamingに満ちた人生のなかにも、何にも変えられず、誰にも使われず、自分自身にさえ利用されない時間を残しておくことなのかもしれない。そして人間にとって本当に贅沢な自由とは、何かを成し遂げる自由でも、一人きりになる自由でもなく、愛する人たちとともに生きながら、それでも自分が生きた時間のすべてを何かに変えなくていいという、そんなささやかな自由なのかもしれない。