ただの人間とは

石牟礼道子は『西南役伝説』の「あとがき」に、「目に一丁字もない人間が、この世をどう見ているか、それが大切である」と書いている。そして、そのあとに続く言葉が、私はとても気になる。「権威も肩書も地位もないただの人間がこの世の仕組みの最初のひとりであるから」というのである。『西南役伝説』は、西南戦争の戦場となった南九州の古老たちの語りを聞き書きの形で残した作品であり、石牟礼道子自身、「人ひとり」から家ができ、村ができ、町や社会や文化が生まれていく、その「文化の根っこ」を考えようとしていたという。

「この世の仕組みの最初のひとり」という言葉は不思議である。普通なら、この世の仕組みをつくるのは、王であり、政治家であり、官僚であり、学者であり、何かを決める力を持った人間だと思う。ところが石牟礼道子はそう考えない。権威も肩書も地位もない、それどころか文字さえ知らないかもしれない、ごく普通のひとりの人間から、この世の仕組みを考えようとする。

Tamingについて長く考えてきたせいだろうか、この「最初のひとり」という言葉が、私には以前とは少し違って聞こえる。

人間の文明は、ものに名前をつけ、分類し、関係を定めることによって大きくなってきた。土地を測り、境界を引き、所有者を決める。人が生まれれば名前をつけ、家族や国家の一員として登録する。学校へ行けば学年がつき、試験を受ければ成績がつき、大人になれば職業や肩書がつく。国家から見れば国民になり、企業から見れば労働者や消費者になり、統計のなかでは年齢、所得、職業、居住地などによって分類される。こうしたことがなければ、何千万、何億という人間が一緒に暮らす社会をつくることは難しい。

それもまたTamingなのだと思う。

Tamingとは、荒々しいものをおとなしくすることではない。予測不能なものを、その性質を完全には失わせることなく、ある関係のなかで予測可能なものへ変えていくことである。そう考えるなら、文明は自然をTameしてきただけではない。火をTameし、水をTameし、土地をTameし、植物や動物をTameすると同時に、人間をも、そして人間が経験した過去までも、理解し、分類し、予測し、取り扱うことのできるものへ変えてきた。

歴史もそうなのだろう。

現実に起きた出来事は、もともとは雑然としている。同じ戦争を経験しても、ある人には国家の命運を決めた戦争であり、別の人には父親を失った出来事であり、また別の人には家を捨てて逃げた日の記憶でしかないかもしれない。それら無数の経験を、後世の人間は年代順に並べ、原因と結果を考え、勝者と敗者を定め、一つの名前をつける。そうすることによって、ばらばらだった無数の経験は「歴史」という理解可能なものになっていく。

それは必要なTamingである。そうしなければ、私たちは過去について他人と話すことさえ難しい。しかし、歴史が理解可能になるとき、同時にそこからこぼれ落ちるものがある。歴史にとって重要なことと、それを生きた一人の人間にとって重要だったことは、必ずしも同じではないからである。

だから石牟礼道子は、出来上がった歴史をもう一度、名もない一人の人間のところまで戻してみたのではないだろうか。『西南役伝説』では、教科書に名前を残した人物だけではなく、その時代の日々を生きた市井の人々の声や語りを通して西南戦争が描かれている。 そこへ戻ると、歴史は再び少し曖昧になる。公的な記録とは違う記憶があるかもしれず、人から人へ伝わるうちに伝説になった話もあるかもしれない。それでも、ある人には世界がそう見えていたという事実が残る。

そう考えると、石牟礼道子がやっていたことは、Tameされた歴史を再びUntameすることだった、と言えるのかもしれない。

もちろん歴史を壊すという意味ではない。正確な年代や史料に基づく歴史を否定することでもない。ただ、整然とした歴史の外側に、そこには収まりきらない人間の経験を残しておくのである。

そして、これは歴史だけの問題ではない。

人間についても同じことが起きている。私たちは生きているあいだに、いくつもの名前を与えられる。国籍、学歴、職業、所得、思想、世代、性格。現代なら検索履歴や購買履歴や位置情報や人間関係からも、その人がどんな人間なのかを推測することができる。それらを集めれば集めるほど、人間は「分かるもの」になっていく。これも文明が人間をTameしていく一つの方法なのだろう。

けれども、どれほど多くの情報を集めても、その人と完全に同じものにはならない。肩書を取り去り、学歴を取り去り、職業を取り去り、思想や国籍や統計上の属性まで一度脇へ置いてみたあとにも、何かを見ている一人の人間が残る。

おそらく石牟礼道子がいう「ただの人間」は、そこにいる。

文字を知らないことそのものが尊いということではない。無知を美化する必要もない。そうではなく、誰かによって世界の説明を与えられるより前に、自分自身の眼で何かを見ている人間がいるということである。

ここから考えると、教育についても少し違ったものが見えてくる。人は教育によって世界について多くのことを知る。しかし同時に、世界をどのように見るべきかも覚えていく。国家、文明、発展、正常、異常、成功、失敗、中心、周縁。そうした言葉を獲得することによって初めて見えるものがある一方、その言葉を通してしか見えなくなるものもある。知識を持つこととは、世界を見る眼を増やすことであると同時に、ときには一つの見方に世界をTameしていくことでもある。

国家も科学も学校も、そしてAIも、人間についてますます多くのことを知るようになるだろう。それによって社会は安全になり、便利になり、病気を予測し、犯罪を防ぎ、一人ひとりに適した教育やサービスを提供できるようになるかもしれない。それはTamingの大きな成果であり、ただ否定すればいいものではない。

しかし、人間について知る能力が大きくなればなるほど、逆に問わなければならなくなることがある。

人間は、どこまで「分かるもの」になっていいのだろう。

以前、Tamingについて考えるなかで、成熟した文明とは、Tamingする能力を極限まで高めた文明ではなく、どれほどその能力を手に入れても、あえてTameしない場所を残すことのできる文明ではないかと考えたことがある。すべてを測定できるからといって測定せず、すべてを記録できるからといって記録せず、すべてを予測できるようになったとしても、人間の未来をあらかじめ決まったものとして扱わない。その不完全さは文明の未熟さではなく、むしろ文明が成熟したからこそ選び取ることのできる抑制なのかもしれない。

そして、その最後までTameしない場所がどこにあるのかを考えていると、石牟礼道子の「最初のひとり」という言葉へ戻ってくる。

社会がその人を国民と呼ぶ前に、人間がいる。学校が成績をつける前に、人間がいる。会社が職業や役職を与える前に、人間がいる。統計が属性に分類する前に、人間がいる。そして歴史が「庶民」「住民」「被害者」「兵士」と名づける前にも、世界を見ていた一人の人間がいる。

その人が見ている世界を、制度が完全に代理してしまわないこと。国家が「あなたはこういう人間だ」と言っても、それがその人のすべてにはならないこと。AIがその人の次の行動をかなり正確に予測できるようになったとしても、その予測から外れる余地がその人自身に残されていること。そこまで含めて初めて、「Tameしない場所を残す」ということの意味が見えてくるように思う。

文明にはTamingが必要である。人間は、何も分類せず、何も予測せず、何の規則も持たずに何億人もの社会を営むことはできない。だから問題は、Tamingするか、しないかではない。どこまでTameし、どこから先をTameしないでおくかなのである。

権威も肩書も地位も取り去ったところに、それでもこの世界を見ている一人の人間がいる。その眼に映る世界まで、国家や社会や学問やAIの眼に置き換えてしまわないこと。説明できないものを、ただ説明が足りないものとして埋め尽くしてしまわないこと。そして、一人の人間のなかに、その人自身にもまだ分からない部分を残しておくこと。

「ただの人間」とは、文明が最後までTameしてはいけない場所の名前なのかもしれない。

Tameしない場所を残してゆく

人間には、Tamingを成立させやすい心理的な傾向が、長い進化のなかで組み込まれてきたのではないだろうか。そう考えると、人間がなぜこれほど大きな社会をつくることができたのか、そして同時に、なぜこれほど容易に社会のなかへ取り込まれてしまうのかという、一見すると反対方向を向いている二つの現象が、実は同じところから生まれているように見えてくる。

これは、人間が生まれながらにして誰かに支配されたがっているということではないだろう。人間はむしろ、何も予測できない世界のなかで生きることを苦手としているのかもしれない。何をしてよく、何をしてはいけないのか、誰を信頼でき、誰を警戒しなければならないのか、今日交わした約束が明日も守られるのか。そうしたことが何も分からなければ、大勢の人間が一緒に暮らすことは難しい。周囲の人間の表情を読み、集団の規範を理解し、自分の行動をそれに合わせ、相手もまた同じ規則に従うだろうと期待する。人間が長い集団生活のなかで、そうした能力を身につけてきたとしても不思議ではない。

そしてそれは、人間に途方もなく大きな力を与えた。血縁関係のない人間と食物を分け、共同で子どもを守り、仕事を分担し、約束を交わし、知識を伝え、ついには互いに顔を見ることさえない膨大な数の人間が、ひとつの社会をつくれるようになった。しかし、ここには奇妙な反転がある。文明を可能にした能力そのものが、その文明によって人間をTameする能力にもなったことである。

人間は規範を理解できるから法律に従うことができ、他人の評価を想像できるから世間の目を気にする。共同体への帰属を求めるからその価値を自分の価値として受け入れ、物語を共有できるから、宗教や民族や国家のような目には見えないもののためにも行動できる。しかもTamingが進んでいくと、人間は外側から命令されなくても、自分で自分をTameするようになり、やがて他人をTameする側にも回っていく。警察が見ていなくても隣人が隣人を見て、教師がいなくても子ども同士で「普通」を要求し、国家が命令しなくても「まともな人ならこうする」と人々自身が互いの行動を修正する。Tameされた人間自身が、いつの間にかTaming装置の一部になっていく。

けれども、ここでTameされた人間を「おとなしい人間」と考えてしまうと、Tamingという現象の大切な部分を見失う。Tameされることは、おとなしくなることではない。攻撃性と協力性は人間のなかで必ずしも対立しておらず、家族には優しく、隣人には親切で、仲間のためには自分を犠牲にできる人間が、共同体の外に置かれた者に激しい攻撃性を示すことは十分にありうる。むしろ仲間への忠誠心や責任感が強いからこそ、「仲間を守れ」という気持ちと「敵を攻撃せよ」という命令が結びついたとき、その協力性そのものが攻撃する力に変わることさえある。

文明は、人間から攻撃性をなくしたのではないのかもしれない。個人的な復讐を裁判や刑罰へ変え、ばらばらの暴力を軍隊へ変え、いつ噴き出すか分からなかった攻撃性を社会的な規則の内部へ取り込み、必要とされる場所へ向けられるようにした。そう考えれば、人間の恐ろしさは攻撃性を持っていることだけにあるのではない。人間は協力して攻撃することができる。文明は暴力を消し去ったのではなく、暴力さえTameしてきたのである。

こう考えてくると、Tamingという言葉に最初から「支配」や「抑圧」という価値判断を含ませることにも無理があるように思えてくる。人間は火をTameし、植物をTameし、動物をTameし、水をTameし、土地をTameしてきた。しかし火をTameするということは、火から燃える力を奪うことではない。馬をTameすることも、馬から走る力を奪うことではない。その力を残しながら、人間との関係のなかで、それまで予測できなかった振る舞いをある程度予測できるものへ変えていく。その意味でTamingとは、予測不能なものを、その性質を完全には失わせることなく、ある関係のなかで予測可能なものへ変えていく過程と考えるほうがいいのではないだろうか。

そう定義すれば、Tamingそのものには善も悪もない。火を必要なときに燃やし、植物を決まった季節に収穫し、水を必要な場所へ運び、人間が互いの行動をある程度予測しながら暮らせるようにする。その意味では、文明とは世界を一方的に征服してきた歴史というより、世界に満ちていた予測不能性を少しずつTameしてきた歴史だったと見ることができる。

しかも、その関係は一方向ではない。人間が麦を変えれば、麦を育てる生活が人間を定住させ、人間の暮らしを変える。人間が馬をTameすれば、馬によって人間の移動距離が延び、戦争や物流や国家の形まで変わっていく。人間がコンピューターをつくれば、人間自身の働き方や考え方がコンピューターに合わせて変わっていく。Tamingとは一方が他方を完全に支配することではなく、互いが互いを変えていく関係であり、その相互作用の力が常に対称とは限らない、と考えたほうが実際の文明に近い。

そうなると、本当に問わなければならないのは、Tamingが善か悪かということではなく、どのようなTamingが望ましく、どこからTamingが危険になるのかということになる。

火をTameしても、火の力そのものを消す必要はない。馬をTameしても、馬の能力を奪ってしまえば意味がない。そして人間についても、おそらく同じことが言える。教育によって言葉や規則を教え、衝動を制御することを覚えたとしても、好奇心や遊びや異議申し立てまで消してしまう必要はない。法律によって暴力を抑え、知らない人間同士でも安心して暮らせる社会をつくったとしても、人間の行動のすべてを法律が決める必要はない。望ましいTamingとは、対象をある程度予測可能にしながら、その対象が自ら変わっていく可能性まで奪わないTamingなのだろう。

だとすれば、危険なのはTamingそのものではなく、Tamingが完全になろうとすることなのかもしれない。

国家が土地を測量して住所をつけ、出生を記録し、人から税を集めるからこそ、郵便や学校や病院や道路や社会保障といった仕組みをつくることができる。しかし、その仕組みが、人がどこへ行き、何を読み、誰と付き合い、何を考えているのかまで完全に知ろうとし、その人の未来の行動さえ決めようとするようになれば、同じTamingでありながら、その性質は変わってくる。危険なのはTamingが強いことそれ自体よりも、そこから別のあり方へ移る可能性が閉じてしまうことなのだと思う。

学校に入っても別の学校へ移ることができる。会社に勤めても辞めることができる。共同体に属してもそこから離れることができる。ある思想を信じても、いつかそれを疑うことができる。そうした可逆性が残っているかぎり、人間はTameされながらも、Tamingとの間にわずかな距離を保つことができる。しかし、入ることはできても出ることができず、従うことはできても疑うことができなくなったとき、Tamingは閉じていく。

だから、社会には「余白」が必要になる。

すべてを規則にしなくてもいい。すべての人間を完全に理解しなくてもいい。人間には、国家にも会社にも学校にも家族にも、そして時には自分自身にも説明できない部分が残っていてい。行政から見れば無駄に見え、企業から見れば分類不能に見え、AIから見れば予測できない行動として現れるかもしれない。しかし、その「分からなさ」を、すべて解消されるべき未熟さとして扱う必要はない。誰にも知られないこと、役に立たないこと、予想とは違う行動をすること、昨日までの自分とは違う人間になることができる余地は、人間の自由を支えている一部分だからである。

その意味では、いいTamingとは予測可能性を高めながら、予測不能性をゼロにしようとはしないTamingなのだと思う。

そしてこれは、自由のためだけに必要なのではない。多様性を残すためにも必要になる。畑にまったく同じ性質の作物だけを植えれば管理は容易になるが、一つの環境変化によって畑全体が影響を受ける可能性も大きくなる。同じように、すべての人が同じ教育を受け、同じ情報に接し、同じ価値を信じ、同じように行動する社会は管理しやすいだろうが、それが強い社会だとは限らない。予想したことのない変化が起きたとき、それまで非合理的だと思われていた知識や、役に立たないと思われていた人間や、周縁に残されていた古い生活の仕方が、新しい環境に適応するための可能性になるかもしれない。完全にTameされた社会は、完成された社会であるどころか、変化する能力を失った脆い社会なのかもしれない。

ここまで来ると、Untamingもまた、単純に「解放」や「自由」と同じものではなくなる。固定され予測可能になった関係から、再び自律性や不確実性や多様性が生まれてくることをUntamingと呼ぶなら、それもまた善とも悪とも決められない。会社を辞めて別の生き方を始めることもUntamingなら、国家が崩壊して秩序が失われることもUntamingになりうる。Tamingは安定や協力を生み、知識や富の蓄積を可能にするが、進みすぎれば固定化と均質化へ向かう。Untamingはそこから自由や多様性や創造性を取り戻す一方、予測不能性や混乱や暴力を呼び戻すこともある。

人間の歴史は、自由からTamingへ、Tamingから不自由へと進む一本道だったわけではないのだろう。人間はTamingによって秩序をつくり、その秩序が硬直するとそこから逃れようとし、そのUntamingが生み出した新しい可能性に、また別の秩序を与えてきた。文明とは、TamingとUntamingのどちらかを最終的に勝たせることではなく、その二つの間を行き来しながら形を変え続ける運動そのものなのかもしれない。

そう考えると、自由な社会というものの姿も少し違って見えてくる。自由社会とは、人間をTameしない社会ではない。むしろ法律、所有権、契約、学校、貨幣、行政、課税といった、きわめて強力なTamingの仕組みを持っている。それでもそこに自由がありうるのは、その仕組みを修正する回路があり、人間がTamingとの間に距離を置くことのできる余地が残されているからだろう。言論の自由、信教の自由、移動の自由、私生活、権力分立、異議申し立て、少数者の権利といったものは、単なる「自由の一覧」ではなく、Tamingが人間の存在全体を覆い尽くすことを防ぐために、文明の内部へ意識的につくられたUntamingの余白と見ることもできる。

ところが文明は、その一方で、長い時間をかけてTamingする能力を高め続けてきた。土地を測り、時間を測り、人間を数え、行動を分類し、制度を合理化し、生産を効率化し、情報を蓄積し、未来を予測しようとしてきた。そしてAIを手にした私たちは、これまでなら知ることのできなかったものを知り、予測できなかったものを予測し、複雑すぎて扱えなかったものまで扱えるようになろうとしている。

それ自体が悪いわけではない。むしろ、それもまた人間が長い時間をかけて続けてきたTamingの延長にある。しかし、Tamingする能力が大きくなればなるほど、「できること」と「するべきこと」を区別する必要も大きくなる。知ることができるからといって、すべてを知らなくてもいい。予測できるからといって、すべてを予測しなくてもいい。管理できるからといって、すべてを管理する必要もない。

文明がこれから学ばなければならないのは、さらに上手にTameする方法だけではなく、Tameできるものを、あえてTameしないという技術なのではないだろうか。

人間が隠し事を持てること。役に立たないことをしていられること。間違えること。規則から少し外れること。皆と違う生き方を選ぶこと。昨日まで信じていたものを疑うこと。そして、どうしても息苦しくなったなら、今いる場所から離れてしまえること。そうした余白を、文明の遅れや制度の欠陥と考えないほうがいい。それは完成できなかった部分なのではなく、完成させないために残しておく部分なのかもしれない。

Tamingは世界に形を与える。しかし、すべての形をあらかじめ決めてしまえば、世界は新しい形になることができない。だからUntamingは、Tamingによってできた形をただ破壊するためにあるのではなく、その形が永久に固定されるのを防ぎ、別のものになりうる可能性を世界のなかに残しておく。文明に必要なのはTamingかUntamingかという二者択一ではなく、秩序をつくりながらも、秩序の外側を消してしまわないことなのだろう。

そうであるなら、文明の成熟とは、世界のすべてをTameできるようになることではない。むしろ、Tameする力を手に入れながら、その力をどこまで使うのかを自ら決め、あえて手をつけないところを残せるようになることなのだと思う。

成熟した文明とは、自分自身のTaming能力がどれほど強くなっても、あえてTameしない場所を残せる文明なのではないだろうか。AIの時代になり、人間が世界をTameする能力がこれまで以上に大きくなるのなら、なおさら、その場所は自然に残るものではなく、人間が意識して残していかなければならない。Tameしない場所を残してゆく。それは、これからの人間に残された大切な仕事の一つなのではないかと思う。

ただ一人分の人生を返してあげたい

歴史を読んでいると、ときどき不思議な気持ちになる。そこに名前を残している人の多くは、国をつくった人であり、戦争をした人であり、領土を広げた人であり、大きな制度をつくった人である。つまり何らかの力を持ち、その力によって世界を動かした人たちである。それに対して、その力によって動かされてしまった側の人間について、歴史は驚くほど少ししか語らない。

ある国が別の土地へ侵入したと書かれていても、その土地で暮らしていた一人一人に何が起きたのかは、ほとんど書かれない。町が陥落した、住民の何人が殺された、何万人が故郷を追われた、と数字や短い言葉で語られるだけである。しかし「住民一万人」と書かれたその一万人には、一万の人生があったはずで、その一人一人に好きな食べ物があり、苦手な人があり、愛する人があり、どうでもいい心配事があり、翌日にしようと思っていたことがあった。その人たちは「歴史の犠牲者」になるために生きていたわけではなく、歴史のほうが、ある日突然、その人たちの生活へ入り込んできたのである。

私は、侵略者の無念より、住民の無念のほうに心を動かされる。侵略者には物語があり、国を守れなかった、戦いに敗れた、理想を実現できなかった、志半ばで倒れたと後世の人々がその無念を語り継ぎ、英雄として墓や記念碑までつくられることすらある。しかし名もない人の無念には、そんな物語は残らない。その人は国を救おうとしていたわけでも、歴史を変えようとしていたわけでもなく、ただ生きていたかったに違いない。家に帰りたかった、子どもを助けたかった、もう一度家族に会いたかった、あるいはただ昨日と同じように明日も暮らしたかった。それくらいの願いだったのかもしれないが、むしろ私は、その「それくらい」に心を動かされる。

考えてみると、これまで考えてきたTamingというものには、ここにもう一つ重要な働きがあるように思える。Tamingとは、人を従わせることや、人間を社会にとって役に立つ存在へ変えることだけではなく、一人一人のばらばらな人生を、その人よりも大きな物語の中へ配置し直すことでもあるのではないだろうか。

国家は戦争を祖国防衛と呼ぶことがあり、帝国は征服を文明化と呼ぶことがあり、宗教は犠牲を信仰の物語として語ることがある。そうして大きな物語ができあがると、そこに生きていた一人一人も、その物語の中で役割を与えられる。ある人は兵士となり、ある人は難民となり、ある人は先住民となり、ある人は捕虜となり、ある人は英雄という名の侵略者なり、ある人は犠牲者となる。こうした人を形容する言葉は歴史を理解するためには必要なのだろうが、その一方で、一人の人間から、その人にしかなかった細かな部分を削り落としてしまう。

その人は「難民」である以前に、昨日まで家の前を掃いていた人だったかもしれない。「戦争犠牲者」である以前には、翌週の娘の誕生日をどうしようかと考えていた人だったかもしれない。「先住民」と呼ばれる以前には、好きな人がいて、嫌いな食べ物があり、隣の家の人と仲が悪く、夕方になればいつもの場所から空を眺めていた一人の人だったかもしれない。けれども歴史はそのほとんどを書かないし、後世の私たちも、その人を歴史が与えた名前によってしか知ることができない。

そう考えると、Tamingとは人間の行動を支配するだけでなく、その人が生きた人生の意味をまで支配することがあるのだと思えてくる。ある人が戦争で殺され、その死を後世が「国家建設のための犠牲」と呼んだ瞬間、その死は国家という大きな物語の一部分になる。しかし、その人自身は国家建設のために死にたかったわけではなく、その日の夕方には家へ帰り、いつもの食事をし、愛する人と話し、翌朝また目を覚ましたかっただけなのかもしれない。後世から与えられる大きな意味と、その人自身が望んでいた小さな人生とのあいだには、埋めることのできない距離がある。

だから「敗者の歴史を取り戻そう」というだけでも、私には少し違うように感じられる。「勝者」に対して「敗者」を置けば、歴史を見る方向は逆転するけれど、勝者と敗者という同じ物差しを使い続けることになる。「無用な人にも価値がある」と言うだけでは、まだ有用と無用という尺度に捕らわれていたのと同じように、「歴史の敗者にも価値がある」と言うだけでは、まだ勝敗という歴史の尺度から抜けていない。本当に想像してみたいのは、その人が敗者になる以前に生きていた時間であり、勝者か敗者かという区別そのものがまだ存在していなかった生活なのである。

後世から見れば、その人は戦争の敗者だったのかもしれない。しかし、その日の朝、本人はまだ敗者ではなかった。朝食を食べ、家族と言葉を交わし、今日は雨になるだろうかと空を見て、帰りに何を買おうかと考えていたかもしれない。その人にとって本当に重要だったのは、そのような毎日の続きだったのだろう。ところがそこへ、戦争や征服や革命という歴史の巨大な出来事が入り込み、その続きを突然断ち切ってしまう。

私が想像力によって取り戻したいと思うのは、まさにその「続き」なのだと思う。

それは、名もない犠牲者を新しい英雄に仕立て直すことではない。彼らこそ真の英雄だったと言った途端、その人たちは侵略者と同じ存在になり、また別の大きな物語へ回収されてしまう。聖人にする必要もなければ、殉教者にする必要もなく、その死に必ず歴史的な意味を見つけてやる必要もない。その人は英雄になる必要などなく、ただ一人の人間として生き続けたかったのだと考えたい。

ここで、以前考えた「何も書かなかった人」が、もう一度心に浮かんでくる。ある人が、何の目的もなく三時間ほど海を眺めていた。詩を書かず、写真も撮らず、その経験を人生の成長にも幸福にも変換せず、風が冷たくなったので家へ帰り、愛する人と夕食を食べた。歴史から見れば、その三時間には何の意味もない。国家にも宗教にも市場にも、その三時間を記録する理由はなく、本人自身さえ「あれは人生にとって重要な時間だった」とは思っていなかったかもしれない。

もし翌日に戦争が始まり、その人が故郷を追われたとすれば、歴史書には「住民が避難した」と書かれるだろう。その瞬間から、その人は「住民」となり「避難民」となり、戦争史の一部となる。しかし、その前の日、その人は海を見ていたのである。

私は、このことを忘れたくない。

「避難民」という言葉からは、その海は見えない。その人がどんな海を見ていたのか、誰を愛していたのか、何を嫌っていたのか、その日の夕食は何だったのか、食卓でどんなくだらない話をしたのか、その夜眠る前に何を考えたのか、それらのほとんどを私たちは永久に知ることができない。しかし知られないことと、存在しなかったことは違う。その人の生活が歴史に記録されなかったのは、その人生が小さかったからではなく、歴史という記録装置のほうが、一人の人間の人生を捉えるにはあまりにも粗いからなのだろう。

これは、深海にいる、人間の知らない生き物のことを考えたときに感じたことにもよく似ている。誰にも発見されず、人間から一度も名前を与えられないまま一生を終えた生き物にも、一つの生があった。人間に知られなかったから存在しなかったわけではなく、人間に何の役にも立たなかったから、その一生が空虚だったわけでもない。それと同じように、歴史に名前を残さなかった人にも、一つの世界があり、その人が何も成し遂げなかったように後世から見えるとしても、そのことと、その人が何も生きなかったということとはまったく違う。

歴史とは、残ったものから作られる。そのため、残らなかったものの大きさを見えにくくするところがある。作品が残った人、国家を残した人、制度を残した人、戦争に勝った人、記録を書いた人は見えるけれど、何も残さなかった人、その日常を途中で奪われた人、最後まで誰にも知られなかった人は見えない。そして見えないものが多すぎるため、私たちはいつのまにか、見えているものだけが歴史だったように感じてしまう。

私が名もない人々に心を引かれるのは、弱い人のほうが善良だと思っているからでも、敗者のほうが正しいと思っているからでもないのだろう。強者や侵略者には、歴史がすでに多くの言葉を与えている。英雄としての名前があり、記念碑があり、「勇敢だった」「祖国のために戦った」「志半ばで倒れた」という物語がある。それに対して、逃げ場を失った名もない人については、歴史は「死者何人」という数字しか残してくれないことがある。その人が何を恐れ、誰を愛し、何をやり残し、もしあと一日生きることができたら何をしたかったのか、ほとんど何も教えてくれない。

だから、想像力がそこへ向かう。

歴史がその人について語ってくれないからこそ、想像力によって、その人を「犠牲者」という集合的な言葉の中からもう一度一人の人間へ戻してみるのである。ただし、これは過去について好き勝手な物語を作るという意味ではない。個々の人が実際に何を考えていたのかは分からない以上、そこを事実のように埋めてはならない。そうではなく、記録の沈黙の向こう側にも、こちらと同じように生活を持った人間がいたということを忘れないための想像力なのである。

そう考えると、想像力にはTamingとは反対方向の働きがあるように思えてくる。Tamingは人を分類し、役割を与え、「兵士」「難民」「先住民」「犠牲者」といった大きな言葉の中へ配置する。それに対して想像力は、その分類から一人をそっと取り出し、その人に失われた生活の厚みを返そうとする。歴史によって「敗者」にされた人を、敗者という言葉だけから解き、犠牲者とされた人を犠牲者という役割だけから解き、英雄へ格上げすることも殉教者として意味づけることもせず、その人にも愛する人があり、どうでもいい悩みがあり、何の意味もない時間があり、そして本当なら明日もその続きを生きたかったのだろうと想像する。

その想像は歴史を書き換えるためのものではない。むしろ、歴史という大きな物語によって削り落とされた「人間の余白」を、わずかでもその人に返すためのものなのだと思う。

そして、このことは過去の人間だけの問題ではない。私たち自身もまた、国家、家族、職業、宗教、思想、民族、階級といったさまざまな大きな物語の中で生きている。そうしたものから完全に自由になる必要はないし、おそらくそんなことはできない。国家の中で生きてもよく、宗教を信じてもよく、家族を愛してもよく、仕事に誇りを持ってもいい。ただ、自分の人生のすべてを、そのどれか一つへ渡してしまわないことはできるのではないだろうか。

国家のために生きていても、国家だけの人間にならない。家族を愛していても、家族だけの人間にならない。仕事を大切にしていても、職業だけによって自分を説明しない。何かの思想を信じていても、その思想によって自分の経験のすべてを理解しようとしない。そのどれにも説明できない自分だけの時間があり、三時間海を眺めていたというような、歴史にも社会にも自分自身にも特別な意味を持たない時間が残っていていい。

もしかすると、これがTamingに対する最も静かな抵抗なのかもしれない。

Tamingとは、人間を服従させることだけではなく、その人の人生に「国家のため」「宗教のため」「文明のため」「歴史のため」と意味を与え、その物語の中へ回収していくことでもある。そうだとすればUntamingとは、それらの大きな物語をすべて拒絶することではなく、どんな物語の中で生きている人にも、その物語では最後まで説明できない部分が残っていることを忘れないことなのだろう。

国家がその人を兵士と呼んでも、その人には兵士ではなかった時間がある。歴史がその人を敗者と呼んでも、その人には敗者ではなかった人生がある。後世がその人を犠牲者と呼んでも、その人は犠牲者になるために生まれ、生きていたのではない。その人には、その人自身のためだけに流れた時間があり、その大部分は何の意味にも変換されないまま失われていった。

だから私は、歴史からこぼれ落ちた人々を想像してみたいのだと思う。それは彼らを歴史の中心へ引き上げ、新しい英雄にするためではなく、大きな物語によって奪われた一人分の人生を、ほんの少しだけその人へ返すためである。歴史が「犠牲者」としか書かなかった人を、犠牲者になる前の一人の人間へ戻し、「敗者」としか呼ばなかった人に、敗者になる前の日々があったことを思い出す。その人たちの本当の声を知ることはできなくても、大きな歴史の背後に無数の小さな人生が存在し、その一つ一つが歴史の目的とは無関係に、それ自身の続きへ向かって生きていたことだけは忘れずにいることができる。

そして自分自身についても、同じようにありたいと思う。自分の人生を大きな物語に全部渡してしまわず、社会から与えられた名前や役割によって自分のすべてを説明しようとせず、どこにも回収されない小さな余白を残しておく。歴史のなかで名を残すことがなくても、何か大きなものを成し遂げることがなくても、誰かを愛し、くだらないことで笑い、海を眺め、次の日を迎えたいと思いながら生きている、その一回限りの人生そのものを、大きな物語よりも大切にする。

おそらく私が歴史に詳しく書かれなかった人々に感じているものは、敗者への同情というより、大きな物語によって最後まで回収しきれなかった、一人の人間の「残り」への共感なのだと思う。そして、その「残り」を想像することによって、歴史からこぼれ落ちてしまった人たちに、名前でも功績でも歴史的意義でもなく、ただ一人分の人生を返してあげたい。

知られざるもの、知られざること

深い海の底には、まだ人間の知らない生き物がいる。それがどれほどいるのかを正確に知ることはもちろんできない。知らないものの数を数えることには、そもそも矛盾があるからだ。それでも海洋では現在も新しい種の記載が続いており、Ocean Censusの取り組みでは2025年だけでも1,121種が新たに記載されたというのだから、海について人間が知っていることは、私たちが思っている以上に限られているのだろう。

そう考えると、深海の暗闇のなかで、これまで一度も人間に見つけられたことのない小さな生き物が、今この時間にも動いているのではないかという想像が浮かんでくる。その生き物には人間がつけた名前がなく、図鑑にも載っておらず、写真もないのだろうが、もちろんその生き物自身は、自分が人間に知られていないことなど知らない。静かな海底で生まれ、何かを食べ、何かから逃げ、おそらく仲間と出会い、やがて死んでいく。そしてそのように、人間に発見されることもなく生まれて死んでいった生命は、これまで無数にあったはずであり、その一生について私たちは永遠に何も知ることができない。

ここで、その生き物を「無用な生き物」と呼びたくなるけれど、少し考えてみると、それさえ違うように思えてくる。無用というのは人間の言葉であり、何かを「役に立たない」と判断するためには、その前に、それが役に立つかどうかを考えなければならない。ところが、人間に一度も発見されたことのない深海の生き物には、その問いそのものが向けられておらず、食べられるのか、薬になるのか、研究に使えるのか、生態系にどんな価値を持つのかと尋ねる人さえいない。その生き物は有用なのでも無用なのでもなく、人間がつくった「有用」と「無用」という一本の線の上に、まだ置かれていないのである。

このことを考えていると、これまで考えてきたTamingというものが、少し違った姿に見えてくる。人間は世界にあるものを発見すると名前をつけ、分類し、その性質を調べてきた。それは世界を理解するための大切な営みであり、それだけを支配と呼ぶべきではない。しかしその先で私たちは、理解したものを利用する方法もしばしば考えてきた。植物を見つければ食べられるかを試し、薬になるかを調べ、栽培できるものなら栽培する。動物についても、食料にできるか、働かせることができるか、人間の近くで繁殖させることができるかを試してきた。そうして、それまで人間の世界の外側にあったものが、名前を与えられ、分類され、性質を記述され、人間が理解できる世界のなかに場所を与えられ、その一部はさらに資源となり、食料となり、商品となり、労働力となっていった。Tamingを広い意味で捉えるなら、その長い流れのなかには、世界を人間にとって理解可能なものへ変え、やがて利用可能なものへ変えていく運動も含まれているのかもしれない。

しかし深海には、まだその運動が届いていないところがある。そこにいる名もない生き物は、人間から自由になろうとしているわけでも、人間に抵抗しているわけでも、Untamingされようとしているわけでもなく、ただ人間との関係自体がまだ始まっていないのである。その意味では、それはUntamedというより、まだ一度もTamedされたことがなく、しかも自分がそのような状態にあることさえ知らない存在なのだろう。

そんな生き物のことを考えていると、以前想像した「何も書かなかった人」のことを思い出す。その人は詩人でも思想家でもなく、歴史に名前を残すような人でもなかったが、ある日の午後、海辺へ行って三時間ほど海を眺め、風が冷たくなったので家へ帰った。海について詩を書くことも、写真を残すこともなく、その三時間について人生の意味を考えることもなかった。家には愛する人がいて、「どこにいたの」と聞かれれば「海を見ていた」と答え、二人で夕食を食べたかもしれない。その人が何を考えていたのかと聞かれても、「別に何も」と答え、それ以上説明することなく一日が終わったのかもしれない。私たちはその人の名前を知らず、これからも知ることはないけれど、人間の歴史の大部分を生きたのは、おそらくそのような人たちだったのではないだろうか。

私たちが知っているのは、詩を書いた人、国を作った人、戦争をした人、建物を建てた人、発明した人、思想を残した人であり、何かを残したからこそ、その人が存在したことを後世の私たちは知ることができる。そのため歴史を眺めていると、人間は何かを成し遂げるために生きてきたような錯覚が生まれる。しかし実際には、名前も記録も残らなかった膨大な数の人々も、それぞれの一生を生きていた。誰かを好きになったこともあれば、嫌いな人もいただろうし、朝の寒さを感じ、雨の匂いを嗅ぎ、食べ物がおいしいと思い、子どものころの記憶をふと思い出し、誰かとくだらないことで笑い、ときには一人でぼんやり空や海を眺めたこともあっただろう。そして、そのほとんどは何にも記録されず、その人とともに消えていったけれど、記録されなかったからといって、その時間が存在しなかったわけではない。

ここで、深海の名もない生き物と、何も書かなかった人が、不思議に重なって見えてくる。深海の生き物には人間がつけた名前がなく、その人にも歴史に残る名前はなく、深海の生き物が人間の役に立ったかどうかを誰も知らないように、その人が文明にどれほど貢献したかも後世の誰にもわからない。しかし、未知の生き物が人間に発見されなかったからといって生きていなかったわけではないのと同じように、人間もまた、何も残さなかったからといって何も生きなかったわけではなく、この二つの違いは、私にはとても大切なものに思える。

文明は、残ったものによって過去を記憶する。作品が残り、建築が残り、記録が残り、名前が残るため、「残す」ということと「生きる」ということが、いつのまにか同じ方向に並べられてしまう。何かを成し遂げた人生は豊かで、何も残さなかった人生は空白だったように感じられるけれど、生きるということは本来、記録されることとは関係がないはずである。深海の生き物が誰にも観察されなくても一生を生きるように、人間の内側で起こった無数の出来事も、誰にも知られず、何にも変換されず、その人自身とともに消えていっていいのであり、それを惜しいと思うこと自体、残すことに慣れすぎた私たちの側の感覚なのかもしれない。

現代では、以前にも増して多くのものを残すようになった。旅行へ行けば写真を撮り、食事をすれば記録し、考えたことを書き、歩いた距離を測り、眠った時間まで保存する。もちろん人生の一部を記録することは楽しいし、後から振り返ることにも意味があるけれど、あらゆる時間を記録へ変えてしまえば、いつのまにか私たちは、生きたことと残したことを区別できなくなるかもしれない。しかし記録しなかった時間も生きた時間であり、誰にも話さなかった喜びも確かに喜びであったはずで、名前のつかなかった感情もそこにあり、自分自身でさえ忘れてしまった午後も、そのときには疑いなく自分の人生の一部だった。

Tamingとは、世界にあるものを人間の世界へ引き寄せ、名前を与え、意味を与え、ときには用途を与えていく営みだったと考えることができる。しかし世界のすべてがそこへ入らなければならないわけではなく、それは人間の一生についても同じなのだろう。自分の経験のすべてに名前をつけ、すべてを意味へ変え、すべてを記憶や作品や成長へ変換する必要はなく、人間の内側にも、まだ誰にも発見されていない深海のような場所が少しくらい残されていていい。

しかも、その場所は他人に対して隠されているだけではなく、自分自身にさえ利用されていなくていいのだと思う。自分を知るための時間でもなければ、心を癒やすための時間でも、人生を豊かにするための時間でもなく、ただ生きているうちに静かに過ぎていく時間であっていい。海を眺めていた三時間について、後になって「あの時間のおかげで自分は変わった」と語る必要もなく、愛する人にその意味を説明する必要もない。その時間は何かに変わることなく、そのまま本人の内側を流れて消えていっていいのだ。

だから、深海の暗闇のどこかで、人間に一度も発見されることなく一生を終える小さな生き物を想像すると、私は少し安らかな気持ちになる。その生き物は人間にとって役に立つ存在でも、役に立たない存在でもなく、そのような評価そのものと無関係なところで生きている。その生き物が人間のことを知らないように、人間もその生き物のことを知らないまま、二つの世界は交わることなく、それぞれに存在している。

そして人間にも、そのような部分が少しくらい残っていていいのではないだろうか。社会に知られている自分があり、愛する人に知られている自分があり、自分自身がよく知っている自分もあるけれど、それらだけで人間のすべてを埋め尽くす必要はない。そのどこにも属さず、自分でさえ意味を見つけようとしない時間が、人生の奥のほうに小さな深海のように残されていてよく、そこには有用か無用かという問いも、自分を成長させたかどうかという問いも届かないまま、その人だけの時間が静かに流れていていい。

もしUntamingというものがあるとすれば、それはTamingされた世界から完全に逃げ出すことではなく、自分の人生のすべてを発見し尽くし、意味づけ尽くし、利用し尽くそうとしないことなのかもしれない。誰にも知られなかった深海の生き物が、それでも一つの生を生きたように、人間にも、誰にも知られず、何にも変換されず、何も残さないまま消えていく時間があっていいのであり、何も残さなかったことと何も生きなかったこととは、本来まったく違うことなのだろう。

人間の知らない生命が今もどこかの深い海の底で静かに生き、人間から名前を与えられることも、役に立つかどうかを問われることもないまま、その生を生きているかもしれないという想像は、だから私にはどこか救いのように感じられる。人間もまた、自分という存在の隅々まで社会や他人や自分自身の眼差しにさらし、その一瞬一瞬を意味や成果へと変えていく必要はなく、人生のどこかには、誰にも発見されず、何のためにも使われず、何にもならないまま静かに過ぎていく時間を残しておいていい。その時間もまた、ほかのどの時間にも劣らず、その人が確かに生きていた時間なのだ。

そばにいても恋しい

韓国の詩人류시화(リュ・シファ)の詩集に、『그대가 곁에 있어도 나는 그대가 그립다(君がそばにいても僕は君が恋しい)』という作品がある。蓮류시화の代表作を集めたこの詩集について、韓国の書店は、彼の詩を貫くものを「対象への愛」と「透明な凝視」と表現し、その詩は何かを作り出す「発明」というより、すでにそこにあるものを見出す「発見」に近いと紹介している。

류시화の作品世界には、木や花、鳥、雨、星、旅、傷、愛といったものが繰り返し現れる。別の詩集『외눈박이 물고기의 사랑(片目魚の愛)』にも、蝶、木、花、霧、雲、鳥、星といった身近な存在をめぐる作品が並んでおり、その作品についても、日常の言葉を通して見慣れたものの中にある未知のものを発見するところに特徴があると紹介されている。

この「発明ではなく発見」という言葉が、Tamingについて考えてきた私には妙に気にかかる。

Tamingとは、世界にあるものを人間の側へ引き寄せる運動だったのではないかと思うからである。植物を作物にし、動物を家畜にし、森を資源にし、水を灌漑や発電に利用し、土地に境界を引く。そこでは、まだ人間のものではない何かに働きかけ、それを理解可能で、予測可能で、利用可能なものへと変えていく。

人間同士の関係にも、それと似たところがある。

最初に出会ったとき、相手はほとんど未知の人である。何を考えているのかわからず、何を喜び、何を恐れ、どんな過去を生きてきたのかも知らない。その知らなさが相手への関心を生み、もっと知りたいという気持ちを起こす。しかし親しくなれば、相手について多くのことを知るようになり、いつしか恋人、妻、夫、親、子、友人といった名前が関係に与えられる。そして名前には役割が伴い、「この人はこういう人だ」「この人ならこう考える」「この人ならこんなときこうする」という理解ができあがっていく。

そのこと自体が悪いわけではない。人が一緒に暮らすためには、ある程度まで互いを知り、互いの振る舞いを予測できなければならない。しかし、知ることと、相手を知り尽くしたと思うこととのあいだには、小さいようでいて大きな違いがある。

そこに「君がそばにいても僕は君が恋しい」という言葉を置いてみると、とても不思議な景色が見えてくる。

普通なら、恋しさは距離によって生まれる。遠くにいるから会いたくなり、いないから恋しくなる。しかし、ここでは相手はすでにそばにいる。それなのに恋しい。身体の距離はなくなっているのに、その人と自分との間には、なお埋めることのできない距離が残っているのである。

それを愛の不完全さと考えることもできるだろう。しかしTamingという視点から眺めると、むしろ反対に見えてくる。そばにいるのに恋しいということは、そばにいる相手が、まだ自分のものになりきっていないということなのではないだろうか。

何十年か一緒に暮らしていても、その人のすべてを知っているわけではない。朝、窓辺で外を見ている相手が何を考えているのか、自分にはわからないことがある。昔の誰かを思い出しているのかもしれないし、昨日の出来事を考えているのかもしれないし、本当に何も考えず、ただ鳥を見ているだけなのかもしれない。

「何を考えていたの」と尋ねて、「別に何も」と言われたら、その「別に何も」をそのままにしておくこともできる。

これは思っているより難しい。愛していればいるほど、その人を理解したいと思うからである。悲しんでいれば理由を知りたいし、黙っていれば心の中を知りたい。その人の喜びには自分も加わりたいし、その人が自分とは関係のないところで幸せそうにしていれば、ときには寂しさを感じることさえある。

けれども、愛には「理解する」という方向だけではなく、理解できないものを残しておくという方向もあるのではないだろうか。

以前、「何も書かなかった人」のことを考えた。その人はある午後、一人で海辺へ行き、三時間ほど海を眺め、風が冷たくなったので家へ帰る。家には愛する人がいて、二人で夕食を食べる。「どこに行っていたの」と聞かれ、「海を見ていた」と答える。「何を考えていたの」と尋ねられ、「別に何も」と答える。

そこで、相手がそれ以上聞かない。

その三時間を愛の中へ取り込もうとしないのである。

海を眺めた経験について話してもらう必要もなく、その時間が二人の関係にとってどんな意味を持っていたかを確かめる必要もない。相手には、自分の知らない三時間があり、その三時間については、自分が愛している人にさえ説明する必要がない。二人は一緒に暮らしているけれど、互いの人生のすべてを共有しているわけではない。

それは愛の不足ではなく、むしろ愛の一つの成熟した形なのかもしれない。

誰かを愛すれば、その人に少しTameされる。待っている人がいれば帰ろうと思い、病気になれば心配し、苦しんでいれば自分の時間を差し出す。だからUntamingを、誰からも自由になることだと考える必要はないだろう。愛する人からも、家族からも、友人からも自由になり、誰にも必要とされず、誰をも必要としない人間になることが、自由の完成とは思えない。

むしろ、誰かと深く結びつきながら、それでも互いのなかに、相手によってTameされない場所を残しておくことができる。その場所では、相手の喜びが必ずしも自分のためにある必要はなく、相手が考えていることをすべて知る必要もなく、その人の時間のすべてを「私たちの時間」に変えなくてもいい。

そこに、愛の中の小さなUntamingがある。

だから류시화の詩について語られる「対象への愛」と「透明な凝視」という言葉が興味深いのである。 見ることは、必ずしも所有することではない。理解することでも、説明することでも、対象にこちら側の意味を与えることでもない。そこにあるものを、そこにあるものとして見ていることもできるのだとしたら、その眼差しは、世界を次々と人間の用途の中へ取り込んできたTamingとは少し違った方向を向いている。

そして、それが木や鳥や花に対して可能ならば、愛する人に対しても可能なのではないだろうか。

相手を「私の妻」「私の夫」「私の恋人」という言葉の中に収めきらない。もちろん妻であり、夫であり、恋人なのだけれど、その関係によってその人の全体を説明しない。その人には自分と出会う前の時間があり、自分の知らない記憶があり、自分の理解とは関係なく続いていく感覚や思考があり、その人自身にも説明できない内面があることを認める。

そうすると、愛することの意味も少し変わってくる。

愛することは、二人のあいだにある距離を完全になくすことではない。近づけば近づくほど相手について多くを知りながら、それでもなお、その人が自分とは別の世界であることを忘れないことである。愛によって二人が一つになるのではなく、二人のまま、できるだけ近くにいる。

そこまで考えると、「君がそばにいても僕は君が恋しい」という言葉は、単なる恋愛の切なさ以上のものに聞こえてくる。

そばにいるから、もう知っている、とは思わない。長く一緒にいるから、もうわかっている、とも思わない。声を知り、癖を知り、過去を知り、同じ家で眠り、人生の長い時間を共有していてもなお、その人の内部には、自分の知らない場所が残っている。そのわずかな遠さを愛の失敗として埋めようとするのではなく、むしろその人が自分とは別の存在であり続けている証として大切にする。

Tamingが、未知なるものを既知のものへ変え、違うものをこちら側へ取り込み、名前をつけ、役割を与え、予測可能なものにしていく運動なのだとしたら、愛の中のUntamingは、その逆を静かに引き受けることなのかもしれない。相手を知らないままでいるのではなく、どれほど知っても知らないところが残ることを受け入れ、どれほど近づいても最後の距離を消そうとせず、愛しているからこそ、その人の内部に自分の入っていかない場所を残しておく。

そこには所有を拒絶するという強い言葉よりも、もっと静かな自由がある。海を眺めて帰ってきた人に、「何を考えていたの」と尋ね、「別に何も」と答えられたとき、その答えを不足だと思わず、その人のなかに残しておく。そして二人で食卓につき、別の話をしながら夜を過ごす。その三時間について知らないままでも、二人は十分に近くにいる。

もしかすると、それが「そばにいても恋しい」ということなのだろう。

愛する人は、そばにいる。それでも、その人のすべてがこちら側へやって来ることはない。相手の内側には、自分の知らない海があり、自分がその海の所有者になる必要もない。その海を埋めず、名前をつけず、ただ近くにいることができるなら、相手をTameしない愛というものも、わずかながら可能なのかもしれない。

そして、いつまでたっても残っているその距離こそが、寂しさではなく恋しさを生むのだとすれば、류시화の『그대가 곁에 있어도 나는 그대가 그립다』という言葉は、不思議なほど深く響いてくる。 そばにいてもなお恋しいということは、愛する人がいまも自分の所有物にも、自分の理解にもなりきらず、一つの未知の世界として生き続けているということなのかもしれない。

何も残さなかった人

海を見ていた人がいた。

三時間ほど、海辺に座っていた。海について考えようとしていたわけではなく、波の意味を探していたわけでもない。まして、それを文章にしようとも、詩にしようとも思わなかった。ただ海を見ているうちに時間が過ぎ、風が少し冷たくなってきたので、立ち上がって家へ帰った。

私たちは、そんな人のことを知らない。当然である。その人は何も残さなかったからだ。文学の歴史に残っているのは、海を見て詩を書いた人であり、旅をして紀行を書いた人であり、孤独を経験して、それを思想へ変えた人である。何かを感じ、それを言葉に変えた人の名前は残るけれど、何かを感じたまま、それを何にも変えなかった人の名前は残らない。

だからときどき、何も書かなかった詩人がいたのではないか、と考えたくなる。しかし、それではおかしい。何も書かなかったのなら、その人は詩人ではない。ただの人だったのである。

朝起きて食事をし、誰かと言葉を交わし、ときには働き、ときには何もせず、ある日の午後には海を眺めていた。その人の内側にも、光や匂いや記憶や喜びがあっただろう。しかし、それらを作品にする必要を感じなかった。自分の感じたことを誰かに伝えようとも、自分の人生から何かを取り出して後世に残そうとも思わなかったのかもしれない。

私たちは、何かを残した人のことばかりを知っている。その人が建てたもの、その人が書いたもの、その人が発見したもの、その人が作った制度を通して過去を知る。そのため歴史を眺めていると、人間とは何かを作り、何かを成し遂げ、何かを後世へ残してきた存在であるように思えてくる。しかし実際には、名も残らず、作品も残らず、思想も残さず、それでも一日の光を感じ、雨の匂いを感じ、誰かとの会話を楽しみ、ときには一人で何時間も空や海を眺め、そのまま死んでいった人のほうが、はるかに多かったのではないだろうか。その人たちは何も残さなかった。しかし、何も生きなかったわけではない。この二つは、まったく違う。

もちろん、その人も一人だけで生きていたのではない。その人にも愛する人がいて、その人を愛する誰かがいたのだろう。海から帰れば、家に灯りがついていて、夕食を用意している人がいたかもしれない。「今日はずいぶん遅かったね」と言われ、「ちょっと海を見ていた」と答え、そのまま二人で食事をしたのかもしれない。相手が何をしていたのかを尋ね、その日の小さな出来事を聞きながら、自分が海辺で過ごした三時間については、それ以上説明しなかったかもしれない。

けれど、それでも二人は一緒に暮らしていた。

誰かを愛すれば、その人のことが気にかかり、自分の時間の一部をその人に差し出すことになる。病気になれば心配し、困っていれば助け、待っている人がいれば帰ろうと思う。その意味では、愛もまた人を結びつけ、人を少しTameするのだろう。しかし、だからといって愛する人からまで自由になる必要はない。人間の自由とは、あらゆる関係を断ち切り、誰にも必要とされず、誰のことも必要としない状態になることではないはずである。

むしろ大切なのは、愛する人同士であっても、互いの時間のすべてを所有しないことなのかもしれない。相手が海を見ていた三時間について、「何を考えていたの」と尋ね、「別に何も」と答えたなら、その「別に何も」を、そのまま残しておく。愛しているからといって、その人が感じたもののすべてを共有し、その人の時間のすべてに意味を与え、自分との関係の中へ回収しなくてもいい。愛する人の内側にも、自分が知らないままの小さな場所が残っていていいのである。

文明は長い時間をかけて、世界にあるものを何かの役に立つものへと変えてきた。土地を耕し、植物を作物にし、動物を家畜にし、水を利用し、森を資源にし、人間の時間を労働へ変えてきた。Tamingとは、世界に向かって「お前は何の役に立つのか」と問い、その答えを引き出し続ける営みだった、と考えることもできる。そしてやがて、その問いは人間自身にも向けられるようになった。何ができるのか、誰の役に立っているのか、何を生み出したのか、何を残したのか、と自分自身にまで問い続けるようになったのである。

その問いは仕事の時間だけにとどまらない。本を読めば何を学んだかを考え、歩けば健康への効果を期待し、旅に出れば経験を蓄えようとし、海を眺めれば心が癒やされたと説明する。友人との時間には人間関係という意味を与え、家族との時間には愛情という意味を与え、一人でいる時間にさえ自己成長や心の回復という理由を探そうとする。私たちはいつのまにか、自分の時間をそのまま使うことが難しくなり、何でも何か別のものへ変換しなければ落ち着かなくなってしまった。

けれど、遠い昔に海辺に座っていた名もない人は、少なくともその午後だけは、そんなことを考えなかったかもしれない。その人にとって海を見ることは健康のためでも、教養のためでも、創造性のためでもなく、あとで愛する人に話すための経験ですらなかった。ただそこに海があり、しばらく見ていたかったので見ていた。それだけの時間が、その人の人生の中にあった。

そこには作品もなければ成果もなく、人生を豊かにしたという証明さえない。しかし、作品がないことも成果がないことも欠落ではないと考えるなら、そこに小さなUntamingが見えてくる。Untamingとは、何ものにも縛られないことではなく、仕事を拒み、家族を捨て、社会から逃げて一人になることでもない。誰かを愛し、誰かから愛され、働き、社会のさまざまな仕組みに支えられながら生きていても、その人生のどこかに、何かに変換されない時間を残しておくことはできる。

人は完全にはUntameされないのだろう。生きているかぎり、家族や友人との関係、社会の決まり、身体の必要、生活のためのさまざまな条件に結びつけられている。しかも、その結びつきのすべてが人を不自由にするわけでもない。愛する人のために家へ帰ることを、単純に束縛と呼ぶことはできないし、自分の時間を誰かのために使うことが、必ずしも自由を失うことでもない。人間の生活は、TamingとUntamingとにきれいに二分できるほど単純ではなく、むしろ数えきれないほどの結びつきの間に、ところどころ小さな余白が残されているものなのかもしれない。

その余白では、時間を仕事に変えなくてもよく、作品にも思い出にも自己成長にも変えなくていい。愛する人のために役立てなくても、自分の将来のために蓄えておかなくても、その時間は失敗した時間にはならない。ただ自分の内側を流れ、誰にも利用されず、本人にさえ利用されないまま消えていく時間があってよく、それを豊かだったとも有意義だったとも呼ばずに、そのままにしておいていいのである。

何も書かなかった人について、私たちは何も知らない。名前も、その人が愛した人の名前も、その人を愛した人の名前も残っていないだろう。それでも、ある日の午後、その人が海を眺めている時間があり、風が冷たくなったころに立ち上がり、待っている人のいる家へ帰ったのかもしれない。そして食卓について、その日の海を詩にすることも、その三時間に意味を与えることもなく、何気ない話をしながら一日を終えたのかもしれない。

その人生が何のためにあったのか、と尋ねる必要はないのだと思う。誰かを愛したことさえ人生の目的として持ち出す必要はなく、海を眺めたことにも、その人の心を豊かにしたという意味を与える必要はない。人間はさまざまなものに結びつけられながら生きているけれど、その人生のすべてを仕事や愛や文化や成長や幸福のために差し出さなければならないわけではない。その結びつきと結びつきの間に、ほんの少しでも、何のためでもない時間が残っていればいい。

もしかするとUntamingとは、あらゆるTamingから逃げ切って完全に自由になることではなく、Tamingに満ちた人生のなかにも、何にも変えられず、誰にも使われず、自分自身にさえ利用されない時間を残しておくことなのかもしれない。そして人間にとって本当に贅沢な自由とは、何かを成し遂げる自由でも、一人きりになる自由でもなく、愛する人たちとともに生きながら、それでも自分が生きた時間のすべてを何かに変えなくていいという、そんなささやかな自由なのかもしれない。

人間が取り戻すもの

社会の中で生きていると、人はいつのまにか「何者か」であることを求められる。子どものころには何になりたいのかと聞かれ、大人になると何をしている人なのかと尋ねられる。会社員、医師、教師、作家、主婦、退職者、無職といった言葉によって、人は社会の中に居場所を与えられ、同時に、その言葉にふさわしい振る舞いを期待される。

考えてみれば、これはかなり不思議なことである。一人の人間の内部には、そのときどきでまったく違った感情や欲望があり、昨日考えていたことと今日考えていることが違っていてもおかしくない。それなのに社会は、一人の人間をできるだけ一貫した存在として理解しようとする。あなたは誰なのか、何をしているのか、何ができるのか、何を信じているのか、と問い、その答えを一つの人物像へまとめようとする。

これもまた、人間をTameする方法の一つなのかもしれない。

野生の植物を作物にするとき、人間はその植物が持っていた多くの可能性の中から、自分たちに都合のいい性質を選び出してきた。動物を家畜にするときにも、扱いやすさ、従順さ、繁殖しやすさ、肉や乳や労働力としての有用性を選び取ってきた。そして社会が人間をTameするときにも、それと少し似たことが起こる。人間の内部にある曖昧さや矛盾や気まぐれをできるだけ抑え、その人が何者であり、何ができ、どこに所属し、どのような役割を果たすのかを明確にしていく。一人の人間は、社会にとって理解可能で、予測可能で、したがって利用可能な存在へと変えられていく。

そのことを考えていると、Fernando Pessoa(フェルナンド・ペソア)というポルトガルの詩人が、とても奇妙な存在として浮かび上がってくる。

Fernando Pessoaは、単に複数の筆名を使った作家ではなかった。彼が heteronym と呼んだ異名者たちは、それぞれに独自の経歴や性格、思想、美学、文体を持つ別個の作者として構想されていた。主要な異名者にはAlberto Caeiro、Ricardo Reis、Álvaro de Camposがおり、さらにBernardo Soaresという半異名者がいる。Fernando Pessoa自身も、これらを単なる偽名とは区別していた。

Alberto Caeiroは田園の詩人として、Ricardo Reisは医師として、Álvaro de Camposは海洋技師として人物像を与えられている。しかも違うのは職業だけではなく、ものの考え方や詩の書き方まで異なっていた。 Fernando Pessoaは、一つの身体の中から次々と異なる作者を生み出し、それぞれに違う世界を見せたのである。

これを「多重人格」のような心理学的な話として考える必要はないだろう。むしろ興味深いのは、一人の人間は本当に一人でなければならないのか、という問いである。

私たちは普通、一貫していることを望ましいものだと考える。昨日言ったことと今日言っていることが違えば、「言っていることが変わった」と非難される。ある思想を持つ人なら、それにふさわしい発言を続けることを期待される。会社員には会社員らしさがあり、教師には教師らしさがあり、親には親らしさがある。社会的な役割が明確になるほど、「その人らしさ」まで固定されていく。

社会にとって、それは便利なのだろう。この人はこういう人間だと分かれば、その人が明日どのように振る舞うのかを予測できる。その人に何を任せられるのかも分かる。人格の一貫性は信頼を生み、信頼は組織を可能にし、組織は大勢の人間を協働させる。

つまり、一貫した「私」は社会生活にとって非常に有用なのである。

しかし、それは同時にTamingでもある。

Fernando Pessoaの異名者たちは、この一貫した「私」を奇妙な仕方で壊してしまう。Fernando Pessoaは、一人の自分を作り上げ、それを守り続けるかわりに、自分の内部に複数の書き手を置いた。それぞれが異なる思想を持ち、異なる文体で語り、互いに完全に一致する必要もなかった。彼自身は異名者たちの作品を、一人の作者が名前だけを替えて書いたものではなく、作者自身とは別の人物が書いたものとして説明している。

このあり方をTamingという視点から眺めると、とても面白い。

私たちはこれまで、Tamingとは土地や植物や動物や人間を「役に立つもの」へ変えていくことだと考えてきた。しかし、役に立つためには、それ以前にもう一つ必要なことがある。

何であるかを確定しなければならない。

馬なら馬としての用途があり、土地なら土地の用途があり、会社員なら会社員としての役割がある。分類できなければ、うまく利用できない。名前を与え、境界を作り、性質を定義し、その存在に期待される働きを決めることによって、初めて社会はそれを安定して利用できるようになる。

そう考えると、Tamingとは有用化だけではなく、固定化でもあるのではないだろうか。

そしてFernando Pessoaのおもしろさは、その固定化から逃げ続けたところにあるように見える。

そのことはAlberto Caeiroを考えると、さらに興味深くなる。Alberto Caeiroは学校教育をほとんど受けていない田園の詩人として造形されている。 もちろん、彼を単純に「無用な人間」と呼ぶのは正確ではない。しかし彼の世界は、私たちがここまで考えてきた「有用性から離れた世界」を連想させる。

文明は、目の前にあるものをそのままにしておくことが苦手である。

土地を見れば何を作れるかを考え、森を見ればどれほど木材を得られるかを考え、水を見れば灌漑や発電に利用できないかと考える。そして人間を見れば、この人には何ができるのか、どんな教育を受け、どの仕事に向いているのかを考える。現代になると、その視線は自分自身にも向けられ、私たちは自分の時間、自分の身体、自分の能力、自分の経験まで、できるだけ有効に使おうとするようになった。

何でも何かに変換するのである。

時間を成果へ、知識を資格へ、経験を経歴へ、人間関係を人脈へ、趣味を自己実現へ、散歩を健康へ、読書を教養へ変換していく。何かをただ経験するだけではどこか落ち着かず、その経験が何につながるのかを考えずにはいられない。

しかし、世界にあるものは、本当にそのように別の何かへ変換されなければならないのだろうか。

木は、木のままであってはいけないのだろうか。海は海のままでは足りず、癒やしや観光資源や美的経験に変換されなければならないのだろうか。そして人間も、ただそこにいるだけでは足りず、職業や能力や成果へ変換されなければならないのだろうか。

ここでBernardo Soaresの存在も興味深く見えてくる。Fernando PessoaはBernardo Soaresを自分に近い半異名者として説明し、その散文を「終わりのない夢想」と結びつけている。 この人物を考えていると、外の世界で大きな出来事を起こす人生だけが豊かな人生なのではない、という当たり前のことに気づかされる。外から見れば、ほとんど何も起こっていない時間であっても、人間の内部では記憶や想像や感覚や夢想が絶えず動き続けているからである。

そして、このことは「無用」という問題にもつながってくる。

唐木順三が『無用者の系譜』で見つめたのは、世俗的な有用性から身を外しながら、結果として日本の思想や文学や文化に深いものを残した人々だった。しかし、「無用者こそ偉大な文化を生み出した」と言えば、無用者は再び別の意味で有用な存在になってしまう。世俗には役に立たなかったが、文化には役に立った、ということになるからである。

Fernando Pessoaについても、同じ罠がある。これほど巨大な文学を残した人物を「無用な人」と呼ぶことはできない。しかし重要なのは、Fernando Pessoaが有用だったか無用だったかを判定することではなく、むしろ人間を有用と無用に分ける発想そのものから、少し離れてみることなのではないだろうか。

私たちは「無用であってもいい」と言う。しかし、その言葉にはまだ「本来なら有用であることが望ましい」という影が残っている。「文化を生み出さなくてもいい」と言うときにも、文化を生み出した人を上に置き、何も生み出さなかった人を下に置いたうえで、下にいる人も許そうとしているようなところがある。

そこからもう一歩外へ出ると、有用と無用という区別そのものが必要なくなる。

人間が海を眺めている。その人は詩を書かない。海について考察もしない。写真を撮ることもなく、SNSにも載せない。海を見ることが心身の健康にどのような効果をもたらしたのかも測らない。三時間ほどそこに座り、風が少し冷たくなったので家へ帰る。

その三時間は何だったのか。

何でもない。

そして、何でもないままでいい。

ここで初めて、Tamingとは違う世界がわずかに見えてくる。

Tamingされていないということは、社会から逃亡することではないのだろう。仕事を拒否することでも、国家や経済から完全に独立することでもない。社会保障を利用してもいいし、道路を使っても、病院へ行っても、銀行を利用してもいい。AIを使うことにも何の矛盾もない。Tamingから少し離れるということは、社会との関係を断つことではなく、社会によって自分の全体を説明されない余白を残しておくことなのではないだろうか。

会社員ではある。しかし会社員だけではない。親ではある。しかし親だけではない。日本人である。しかし日本人であることがその人のすべてではない。作家であっても、一日中作家でいる必要はない。昨日ある思想を信じていても、今日それを疑っていい。そして何者でもない午後があってもいい。

ここまで来ると、Fernando Pessoaの異名者たちは、単なる文学的な技巧とは違って見えてくる。もちろん、heteronymはFernando Pessoa自身が作り上げた文学的構想であって、これをそのまま政治的・社会的なTamingへの抵抗として彼自身が唱えた、と言うことはできない。しかしTamingというこちら側の視点から彼を読めば、一人の人間を一つの「私」に固定しない彼の文学は、人間の中には社会的役割では使い切ることのできない広大な余白があることを思い出させてくれる。

そして、ここでAIの問題が思いがけずつながってくる。

AIが多くの仕事を人間から引き受けるようになれば、私たちはまず、「これから人間にはどんな仕事が残るのか」と考えるだろう。そして、「AIにはできない人間らしい仕事とは何か」を探そうとする。しかし、この問いそのものが、まだTamingの内部にあるのかもしれない。AIに計算や検索や文章作成を任せる代わりに、人間には創造性、共感、芸術、コミュニケーションといった別の機能を割り当てようとしているからである。

つまり、「人間を何に使えるか」という問いをやめていない。

AIが実務を担うなら、人間は文化を担え。AIが合理性を担うなら、人間は感情を担え。AIが生産を担うなら、人間は創造性を担え。そうやって新しい役割を与えれば、人間は再び社会にとって「有用」になる。

しかし、それでは人間はTamingから解放されたことにはならない。厩舎が変わっただけである。

本当のUntamingがあるとすれば、人間に新しい役割を割り当てることではなく、役割を持たない時間があってもいいと考えられることなのではないだろうか。何者かであることをやめるのではない。必要なときには教師になり、親になり、友人になり、働く人にもなる。しかし、それらのどれによっても自分の全体を説明しない。

Fernando Pessoaは、一人の人間のなかに一人だけを置かなかった。

そのことを考えていると、Untamingというものの姿も少し違って見えてくる。それは「本当の自分」を社会のTamingから救い出すことですらないのかもしれない。なぜなら、その発想にはまだ、社会によって歪められる以前の純粋で一貫した「本当の私」がどこかに存在するという前提があるからである。

しかし、もともと一人の人間の内部には、いくつもの自分があっていいのではないだろうか。働いている自分、何かを考えている自分、誰かを愛している自分、昨日とは違うことを考えている自分、海を眺めて何も考えていない自分。それらを一つの思想、一つの職業、一つの人生目的のもとへ無理に統合しなくてもいい。

そう考えると、Tamingの反対側にあるものは、「自由な人間」という完成された人格ですらないのかもしれない。

もっと曖昧で、移ろいやすく、説明しにくい存在である。

今日は文章を書き、明日は何も書かず、昨日は世界について考え、今日は海を眺めている。それを一つの物語へまとめ、「私の人生の目的はこれだった」と説明する必要もない。人生が一貫した作品にならなくても、自分という人間が完成しなくても構わない。

もしかするとFernando Pessoaが私たちに見せてくれる最も面白い風景は、何人もの人格を作り出したという奇抜さそのものではなく、一人の人間は、一人の「役に立つ人間」へ整理されなくてもいいという可能性なのではないだろうか。

Tamingする文明は、「あなたは何者か」と問い、その答えをできるだけ確定しようとする。それに対するUntamingは、必ずしも「私はこういう人間だ」と別の答えを返すことではない。

問いそのものから、少し離れてみることである。

何者なのかと聞かれても、いつも答えを持っている必要はない。何の役に立つのかと聞かれても、自分の人生全体を使って答える必要はない。そして誰にも聞かれない午後には、何者でもないまま海を眺めていてもいい。

その時間には名前がなくてもいいし、役割もなくていい。そこから文化が生まれなくても、思想が生まれなくても、明日の仕事に役立つ何かを得られなくてもいい。

ただその人の内側を、誰にも利用されない時間が流れている。

Tamingから人間が取り戻すものとは、結局、そのような「誰にも使われない自分」なのかもしれない。

自分が役に立つと、説明しなければならなくなった時

役に立っているあいだ、その存在は、自分が役に立っていることを説明する必要がない。むしろ、自分の有用性について説明を求められるようになったとき、すでにその存在は社会の中心から少しずつ周縁へ押し出され始めているのではないだろうか。

図書館のことを考えると、そのことがよくわかる。かつて indexing や cataloguing、reference service は、図書館が図書館であるために当然必要な仕事だった。それらがどれほどの利益を生み、投入した費用に見合う価値を生み出しているかを、一つ一つ説明する必要はなかった。ところが検索エンジンやオンライン・データベース、自動化された目録システムが現れると、「どうすればもっといい reference service ができるか」という問いは、いつのまにか「そもそも reference service は必要なのか」という問いへと変わっていった。

存在が当然であるあいだ、存在理由は問われない。ところが代替物が現れると、存在は機能へと読み替えられ、やがてコストとして計算されるようになる。reference librarian も、一人の人間としてではなく「質問に答える機能」として見られるようになり、この質問一件にいくらかかるのか、データベース検索ではいけないのか、利用者自身が検索すればいいのではないか、といった比較が始まる。そうなったとき、人はすでに交換可能な部品に近づいている。

そこには少し残酷な逆説がある。周縁へ追いやられ始めたものほど、自分がどれほど有用であるかを盛んに説明しなければならなくなる。「図書館員にはこんな価値がある」「紙の本にはこんな長所がある」「人間の教師にしかできないことがある」「人間の医師だからできないことのない仕事がある」「人間の翻訳者にしかわからないニュアンスがある」といった主張が現れる。もちろん、それらの主張が間違っているわけではない。しかし本当に興味深いのは、その主張の正しさではなく、なぜ突然そんな説明をしなければならなくなったのかということである。

馬が交通の中心だったころ、馬に自動車にはない価値があると主張する必要はなかった。馬が輸送システムそのものだったからである。その価値をあらためて説明しなければならなくなるのは、馬が交通の中心から外れ始めてからだった。役に立つから使われていたものが、やがて失いたくないから残されるものへと変わり、そのあとになって文化、伝統、人間らしさといった名前を与えられ、保護されるようになる。

駅の切符切りやバスの車掌もそうだった。コンピュータへデータを入力するためのパンチャーやオペレーターもそうだったし、弁護士事務所で判例を探していた人々にも似たことが起きた。そしてこれから、市役所の窓口や医療事務をはじめ、多くの仕事にも同じような変化が起こるかもしれない。

ただし、職業はある日突然消えるわけではない。その前に、職業を構成していた仕事が、一枚ずつ人間から剥がされていく。人間が駅の改札に立っているあいだ、その人の仕事はかなり曖昧で、切符を見て穴を開けるだけでなく、道を聞かれれば答え、異常が起これば判断し、子どもや老人を助け、駅の様子にも目を配っている。ところが合理化が始まると、「この人はいったい何をしているのか」が分析され、その曖昧な仕事が確認、認証、精算、案内、監視、例外処理といった個々の機能へと分解される。そして一度機能として定義されれば、それを人間の身体から切り離し、別のものに担わせることが可能になる。

かつて機械が代行しやすかったのは、繰り返す、計算する、運ぶ、穴を開ける、決められたものを確認するといった仕事だった。ところがコンピュータとAIの登場によって、検索する、分類する、比較する、要約する、翻訳する、文章を書く、質問に答えるといった認知的な仕事まで、人間から切り離すことが可能になりつつある。最初は「この仕事をもっと効率的にしよう」と言われていたものが、やがて「この仕事の一部を自動化できないか」となり、「人間でなければできない部分はどこなのか」と問われ、最後には「そもそも、ここに人間を置いておく必要があるのか」という問いへと変わっていく。

考えてみれば、馬にも同じことが起きた。馬という生命そのものが自動車に敗れたのではなく、運ぶ、引く、移動するという機能が馬の身体から切り離されたのである。だから馬そのものは残ったが、馬の仕事は消えた。そして同じようなことが人間に起こるためには、人間そのものが消滅する必要などない。人間から、社会的に必要とされていた機能が一枚ずつ剥がされていけば、それでいのである。

そう考えると、問題はAIが人類を滅ぼすかどうかではなくなる。一人の人間を社会の中心に置いておく理由が、一枚ずつ剥がされていったあと、人間はどこへ行くのか。こちらのほうが、はるかに現実的な問いに思えてくる。

ところが、ここで奇妙な反転が起こる。仕事を失うということは、文明によるTamingから放り出されることかもしれないが、同時にそれは、「役に立たなければ存在してはいけない」という、もっと古くて深いTamingから解放される入口にもなりうるのではないだろうか。

人間は農耕社会以来、働き、生産し、所得を得、その所得によって生きるという長い鎖の中へ少しずつ組み込まれてきた。近代になると職業は所得を得る方法であるだけでなく、人間が社会の中で何者であるかを示すものにもなった。「何をしていますか」と尋ねられれば、私たちはたいてい自分の職業を答える。それほどまでに人間の存在と職業は結びついてしまったため、仕事を失うということは、所得を失うだけではなく、社会のなかで自分が何者であるかを失うことにもなってしまった。

だからAIの時代に本当に必要なのは、人間にしかできない新しい仕事を必死に探し続けることではないのかもしれない。それでは、「人間は役に立つから存在を許される」という古い論理を、新しい仕事によって延命しているだけだからである。むしろ必要なのは、生きることと役に立つことを切り離すことではないだろうか。

AIやロボットによって一人の人間がかつての十人、百人分の仕事をできるようになったとしても、そこから「だから残りの人間は不要だ」という結論が自然に導かれるわけではない。その生産力を誰が所有し、誰に分配し、そこから生まれた余剰を何のために使うのかは、人間が決める社会制度の問題である。

AIには、したがって正反対の二つの未来がある。一つは、AIが働くようになったために人間が不要とされ、仕事と所得を失い、社会の周縁へ追いやられていく未来であり、これは馬がたどった道に近い。もう一つは、AIが働くようになったことによって、人間が生存のために働かなければならない時間そのものが減り、それまで労働に差し出していた時間を自分へ取り戻していく未来である。「人間が役に立たなくなった」と「人間は役に立たなくてもよくなった」は、言葉としてはよく似ているが、そこにはまったく異なる二つの文明がある。前者は人間の周縁化であり、後者は人間のUntamingである。

後者の社会を想像してみるといい。朝起きても会社へ行く必要はないが、それを「失業」と呼ぶ人はいない。社会を維持するために必要な人間労働そのものが少なくなり、職業を持っていないことが特別な状態ではなくなっている。食料、住宅、医療、エネルギーなど、生きるために必要なものへのアクセスも、本人が労働市場でどれほど価値を持っているかということから、ある程度切り離されている。

朝食のあと散歩に出て、本を読みたければ読み、庭に出たければ庭仕事をし、文章を書きたくなれば書く。何もしたくなければ、何もしなくてもいい。午後になって近所の子どもがやって来て歴史について尋ねるので、面白くなって二時間ほど話したとしても、それを「仕事」と呼ぶ必要はない。授業時間を記録する必要もなければ料金を取る必要もなく、ただ話したいから話す。夕方には友人がやって来て、一緒に料理をし、酒を飲みながら取りとめもない話をしているうちに一日が終わる。経済統計から見れば、ほとんど何も生産していない一日かもしれないが、本人にとっては、それでも十分に悪くない一日だったと思える。

これまでの社会では、時間は労働になり、労働は生産になり、生産が所得となって、ようやく生存へとつながっていた。それが反転し、生存がまず保障され、その人の前に時間があり、その時間をどう過ごすかを本人が決められるようになる。実は私たちは、その小さな模型をすでに知っている。十分な年金や資産を持って退職した人である。庭仕事をしてもよく、本を読んでもよく、旅行しても孫と遊んでも昼寝をしてもいい。ただし、いまの社会ではそこに「長いあいだ働いたのだから、これからは好きにしていい」という条件がついている。未来のUntamingがそこからさらに進むとするならば、その自由な時間を、若いころ十分に働いた人への褒美としてではなく、最初から人間自身に属する時間として考えることになるのだろう。

けれども、それだけでは十分ではない。制度が人間を労働から解放したとしても、人間自身が「今日は何もしなかった」「誰からも必要とされなかった」「何も生み出さなかった」ということに耐えられなければ、Tamingは終わらない。外側に主人がいなくなったあとも、自分自身の内側に主人を飼い続けることになるからである。

私たちは幼いころから、何になりたいのか、何が得意なのか、今日は何をしたのか、と繰り返し尋ねられる。学校では成績がつき、仕事では成果を測られ、社会では肩書や所得によって人間を説明することに慣れている。そうして長い時間をかけて、自分は何かをし、その結果を誰かに評価してもらうことで初めて価値を持つ、という回路が心の内側につくられていく。そのため、制度によって「もう働かなくてもいい」と言われたところで、私たちは簡単には自由になれない。

承認欲求そのものをなくす必要はないだろう。他人に認めてもらいたいと思うことは自然なことである。ただ、認められなければ自分には価値がない、とまで考える必要はない。誰にも見せない文章を書き、写真を撮っても投稿せず、本を読んでも何を学んだかを説明せず、散歩をしても歩数を測らず、旅行をしてもその経験を誰かに示す材料にしない。庭に花を植えても誰にも見せず、何も残らなくてもかまわないと思える時間を少しずつ持つことは、内側に住みついた主人から離れていく小さなUntamingなのかもしれない。

しかもUntamingとは、社会から逃げ出すことでもない。社会保障を利用し、道路を使い、病院へ行き、銀行もAIも飛行機も使えばいい。社会という巨大な仕組みに守られ、その恩恵を受けながら、それでも社会が用意した尺度だけで自分自身の価値を測らない。そのくらい柔らかな自由であってもいい。

そこには、かつての「主婦」という存在を思わせるものもある。有給の職業を持っていなくても、社会の中に居場所を持つことのできる人間である。ただし、かつての主婦は決して「無用」だったわけではなく、家事をし、子どもを育て、老人を世話し、夫を支えるという別の有用性を強く求められていた。賃金労働によるTamingから外れていたとしても、家族制度という別のTamingの内側にいたのである。

未来がそこからさらに進むとするならば、家事や育児といった別の有用性さえ、人間が存在するための条件にはならない社会になるだろう。職業を持たないことが欠落ではなくなり、「無職」という言葉そのものが意味を失い、仕事をしている人もいれば、していない人もいて、必要なときだけ仕事をする人もいる。それだけの違いになる。

ここで唐木順三の『無用者の系譜』を思い出す。そこでは、世俗から離れた「無用者」たちが、結果として日本の文学や思想や文化を担った。しかし、「無用者こそ文化を生み出した」と考えた瞬間、実は私たちは無用者をもう一度、有用な存在へと戻してしまう。芭蕉は俳諧を残し、良寛は詩歌や書を残したから、その人生には価値があったのだと考えるなら、結局のところ、人間は何かを残さなければならないというところへ戻ってしまう。

ならば、もう一歩先まで行ってみてもいいのではないだろうか。文化さえ生み出さなくてもいい、と考えてみるのである。俳句を書かなくても、本を書かなくても、思想を残さなくてもいい。地域社会への貢献や若い人への教育、創造的な活動によって自分の存在を正当化する必要もない。朝起きてコーヒーを飲み、庭に鳥が来ればしばらく眺め、昼になったら何か食べ、暑くなったら昼寝をし、夕方になったら海まで歩く。水平線を眺めているうちに日が暮れたので家へ帰り、眠りにつく前に「今日の夕焼けはきれいだったな」と思う。その一日が何も生み出さなかったとしても、本人にとってそれが悪い一日でなかったなら、それでいいのではないだろうか。

しかも、それを「そうすれば幸福になれる」という言葉によって正当化する必要さえない。幸福度を高めるためでも、健康寿命を延ばすためでも、認知症を予防するためでもなく、創造性を高めるためでもない。海を眺めていた三時間がストレス軽減に役立ったと説明した瞬間、その三時間はまた別の目的のために動員され、有用性の世界へ連れ戻されてしまう。だから海を見ていた時間には、何の効果もなくてもいい。

市場から見れば何も起こっておらず、国家から見ても何も起こっておらず、SNSにも何一つ記録されていない。それでも本人の内側では、風が気持ちいい、雲の形がおもしろい、あの鳥は何という鳥なのだろう、そういえば昔もこんな海を見たことがあった、という小さな出来事が静かに起きている。そしてその出来事は、作品にも情報にも経験談にも変換されず、外部へ出力されないまま、その人の内側だけで生まれて消えていっていい。

考えてみれば、文明は長いあいだ、世界に存在するものを次々と役立てる方向へ進んできた。土地を耕し、植物を作物にし、動物を労働力や食料に変え、水を管理し、森を資源として利用し、時間を労働時間にし、人間の能力を職業へ組み込み、さらには知識や情報まで利用可能な資源へと変えてきた。Tamingとは、世界に向かって絶えず「お前を何に使えるか」と問い続ける文明の運動だった、と見ることもできる。そしてその問いが最後には人間自身に向かい、何ができるのか、社会にどんな価値を提供できるのか、何を生み出したのか、何を残したのか、どれほど成長したのかと問い続けるようになり、ついには幸福であることまで人生の成果の一つとして測定されるようになった。

けれども、そうした問いを一つずつ手放していくと、その先に残るものは驚くほど単純なのかもしれない。人間は生きており、それだけである。それは何もしないことを理想にするという意味ではない。本を読みたければ読めばよく、文章を書きたければ書けばよく、木を植えたければ植え、人を助けたければ助け、働きたければ働けばいい。その結果として作品が生まれ、誰かの役に立ち、文化と呼ばれるものまで生まれるかもしれないが、それはあくまで結果であって、自分が存在する資格を証明するための条件ではない。「私は文章を書いている。だから私には価値がある」のではなく、「私は文章を書いている。書きたいから」と言って、そこで終わることができる。

こう考えると、Untamingとは壮大な解放運動でも、文明から逃げ出すことでもないのだろう。「これは何の役に立つのか」という問いを、世界のすべてに向けて発し続けなくてもよくなり、最後には自分自身についても、自分を余すところなく利用し、能力も時間も人生も使い切らなければならないとは考えなくなる。自分を使い切らなくてもいいという感覚を持つことこそ、Tamingから少し離れることなのかもしれない。

そう考えるところまで来ると、AIによって人間の仕事がなくなっていく未来も、これまでとは少し違った姿に見えてくる。私たちはAIが人間から仕事を奪い、機械に仕事を奪われた馬と同じように人間も文明の周縁へ追いやられるのではないかと恐れてきた。その危険は確かにある。しかし同じ技術が、正反対の可能性を開くこともありうる。AIが人間から奪うものは仕事だけではなく、「生きるためには何かの役に立たなければならない」という条件そのものかもしれないからである。

もしそうなれば、AIによって仕事を失った人々が、新たに「人間にしかできない仕事」を探して再び有用性を証明し合うのではなく、そもそも職業を持っていることが成人の標準ではない社会へ移っていくことも考えられる。もちろんそのためには、AIや自動化が生み出した富が少数の所有者に集中し、仕事を失った人間が所得まで失う社会にしてはならない。「仕事をしなくてもいい」と「仕事をさせてもらえず、生きる手段も与えられない」とでは、外から見れば似ていても、その意味はまったく反対である。前者はUntamingになりうるが、後者はただの排除でしかない。

けれども、生存が労働からある程度切り離されたうえで、さらに人間の内側からも「役に立たなければならない」という強迫が少しずつ薄れていくなら、私たちは人類史でもかなり珍しい社会を見ることになるかもしれない。そこでは本を読むことを教養のためと説明せず、身体を動かすことを健康のためと説明せず、人に会うことを人脈のためと説明せず、旅を経験の獲得と考えず、何もしない時間についてさえ何か別の価値へ変換する必要がなくなる。暇になれば自己啓発をし、散歩をすれば歩数を測り、本を読めば何を学んだかを考え、旅をすれば写真を残し、眠れば睡眠の質まで測るという、何でも何かの「ため」にしてしまう習慣から、人間が少しずつ離れていくのである。

その意味では、AIによる本当のUntamingとは、労働時間がゼロになることではなく、人生を覆っていた「ため」が少しずつなくなっていくことなのかもしれない。AIが実用的な仕事を引き受けるようになったからといって、その代わりに人間は芸術を作らねばならない、創造的でなければならない、人間らしい感性を示さなければならないと考えたなら、それも「経済を生産せよ」という命令を「文化を生産せよ」という命令に置き換えただけで、Tamingの構造そのものは変わらない。何かを創造することも、誰かの役に立つことも、それをしたい人がすればいいのであって、誰もが芭蕉や良寛にならなければならないわけではなく、何者にもならず、何も残さず、昨日とほとんど同じ一日を過ごしたとしても、それによって人生そのものの価値が減るわけではない。

そうなったとき、「人間が役に立たなくなった」という出来事は、「人間は役に立たなくてもよくなった」というまったく別の意味へと読み替えられるだろう。前者が人間を文明の中心から周縁へ追いやる言葉だとすれば、後者は人間を「有用でなければ存在してはいけない」という長いTamingから解いていく言葉である。その違いを決めるのはAIそのものではなく、AIが生み出す富をどのように分けるかという社会制度であり、他人を何によって評価するかという文化であり、そして最後には、自分自身を何によって認めるのかという一人一人の内面なのだろう。

だから未来のUntamingを象徴する風景を描くとすれば、巨大なAIの施設や無人の工場よりも、もっと静かな情景のほうがふさわしいように思う。平日の午後、海辺のベンチに一人の人が座り、仕事をしているわけでも、勉強をしているわけでも、自己投資をしているわけでもなく、写真を撮って誰かに見せようともせず、健康や創造性のためという理由すら持たずに、ただ海を眺めている。その人は社会を捨ててそこへ来たのではなく、その社会がつくった道路を使い、病院や銀行を利用し、AIの恩恵を受け、多くの人と同じように社会の仕組みに守られながら暮らしている。それでも社会に対して、自分がなぜ生きていていいのかを有用性によって説明する必要がなく、さらに自分自身に対しても、海を眺めていた三時間を正当化するための理由を探す必要がない。

その三時間からは作品も生まれず、文化も生まれず、誰かの役に立つ知識も残らないかもしれない。それでも夕方になり、海の向こうに沈んでいく光を眺めながら、今日は悪くなかったと思って家へ帰ることができるなら、その時間はそれだけで十分なのではないだろうか。何かのためではない時間を、自分の時間として生きることができるということ、それこそが、AIによって人間に返される可能性のある、これまで私たちが豊かさと呼んできたものとは少し違う、静かで深い贅沢なのかもしれない。

そしてそこまで行けば、もはや「無用者」という言葉さえ必要なくなる。有用であるか無用であるかという区別そのものが意味を失い、人間は何かを生産するためでも、文化を残すためでも、社会に貢献するためでもなく、ただ生きていることができる。Tamingの長い歴史の果てにあるUntamingとは、社会の外へ脱出することではなく、社会に守られながらも、自分の人生を何かの「ため」に差し出さなくてもよくなることなのだろう。そして、もし人間がいつかそんなところまでたどり着くことができるなら、それは文明が人間を必要としなくなった瞬間ではなく、人間がようやく、自分自身を「役に立つもの」として扱わなくてもよくなった瞬間なのかもしれない。

そのくらいの自由でいい

人は、Tameされたいのだろうか。長いあいだTamingについて考えているうちに、この問いが気になるようになった。文明とは、人間が自然をTameしてきた歴史であると同時に、人間自身がTameされてきた歴史でもある。人は植物を栽培し、動物を家畜にし、水を制御し、森を管理し、金属を加工し、やがて自然のありとあらゆるものを人間に都合のいい形へ変えてきた。その一方で、人間自身もまた、家族や共同体や宗教や国家や学校や会社によって、社会の中で生きられるように絶えず形を整えられてきた。そう考えると、人間にはもともとTameされたいという欲望があるようにも思えるのだが、どうもそうではないような気がする。

人が欲しいのはTamingそのものではなく、Tameされることによって手に入るものなのではないだろうか。安全であること、明日の食べ物があること、仲間がいること、誰かに認めてもらえること、家や財産を守ってもらえること、そして明日もだいたい今日と同じような世界が続くだろうと思えること。人は何よりも、安心して生きたい。その安心を求めて共同体に入り、共同体が大きくなると、いつの間にか制度の中で生きるようになる。土地を登録し、税を払い、学校へ行き、試験を受け、資格を取り、会社に入り、法律を守る。最初から服従したかったわけではない。安心して暮らしたかっただけなのに、その安心を手に入れようとして制度の内部へ入り、制度の内部で生き続けるうちに、いつしか制度の作法が自分の作法になり、制度に従っているという感覚さえなくなってゆく。そして最後には、それが「普通」になる。

制度の中で生きていくためには、それなりのものを差し出さなければならない。人は長い年月をかけて勉強し、試験を受け、時間を守り、規則に従い、ときには理不尽なことを我慢し、自分の欲望を抑え、周囲の人々に合わせながら「ちゃんとした人間」になっていく。考えてみれば、それには人生のかなりの部分が使われている。だから、あとからやってきた人が、自分ほど苦労することなく同じ場所へ入ってくるように見えると、穏やかではいられなくなる。「私はこれだけ我慢してここまで来たのだから、あなたも我慢しなければならない」という感情が生まれるのは、単なる意地悪とは少し違う。自分が受けてきたTamingに意味がなかったと認めてしまえば、それまで自分が払ってきた犠牲は何だったのかという問いに直面しなければならないからである。

そう考えると、Tamingを最も熱心に守ろうとするのは、Tameした側とは限らないのかもしれない。むしろ、苦労してTameされ、その内側に自分の人生を築いてしまった人ほど、Tamingを守ろうとすることがある。 自分が身につけてきた規則や社会的な作法は、その人にとって単なる規則ではなく、自分が費やしてきた年月や努力と結びついている。制度を守ることは自分の人生を肯定することにもなり、制度を否定されることは、自分の生き方そのものを否定されることにもなりかねない。だから人は、自分を縛ってきた制度であっても、それを守り、さらに次の世代にも受け渡そうとするのだろう。

ここからTamingは、それまでとは違った強さを持ち始める。最初は権力が人間をTameしていたものが、やがてTameされた人間自身が、次にやってくる人間をTameするようになるからである。親は子どもに「ちゃんとしなさい」と言い、教師は生徒に「みんなと同じようにしなさい」と教え、会社の先輩は若い人に「私たちの若い頃はもっと大変だった」と言う。そこには必ずしも悪意があるわけではない。むしろ、その子や若者が社会の中で苦労しないように、「ちゃんとした人間」にしてあげなければならないという善意さえある。しかしその善意を通じて、社会の規範は次の人間へとコピーされてゆく。こうして、Tameされた人間自身がTaming装置になる。

最初のTamingは分かりやすい。「そうしなければ罰する」という外からの強制である。しかし、それが長く続くと、権力がそこにいなくても人は「そんなことをしてはいけない」と自分自身を監視するようになる。さらに進めば、自分を監視するだけではなく、「そんなことをする人を許してはいけない」と他人まで規律するようになる。そこまで行けば、もう誰かが命令する必要さえない。「なぜ、そうしなければならないのですか」と尋ねても、「誰かに命令されたからではない。普通そうするでしょう」という答えが返ってくる。この「普通でしょう」という言葉ほど、強いTamingはないのかもしれない。王が命令しているなら王に抵抗することができるし、独裁者が命令しているなら独裁者に抵抗することができる。ところが「みんな」が命令しているときには、どこへ向かって抵抗すればいいのかわからない。しかも、その「みんな」の中には、自分自身まで含まれている。

では、自分の中にTamingが入り込んでいることに気づいたとして、普通の人間に何ができるのだろう。会社を辞め、国家から離れ、貨幣を使わず、学校で身につけた考え方をすべて捨てて、社会の外で生きることなど現実にはほとんどできない。仮にどこか遠くへ逃げることができたとしても、自分の内側にすでに入り込んでしまったTamingまで、そこへ置いてくることはできないだろう。そう考えると、UntamingをTamingから完全に脱出することだと考えるかぎり、それはほとんど不可能ということになる。

けれども、そこで一つの違いに気づく。従うことと、絶対視することは違う。 税金を払ってもいいし、法律にも従えばいい。パスポートを持ち、銀行口座を使い、必要であれば会社の規則にも従えばいい。しかし、それらを世界の真理だと思う必要はない。これは自然法則なのではなく、この時代の、この場所の、人間たちが作った仕組みにすぎない。必要だから従っているのであって、正しいと思って従っているとは限らない。ここでは周囲に合わせているけれど、自分の内面まで同じにする必要はない。そのように考えるだけで、制度と自分との間には、ほんのわずかではあっても距離が生まれる。

「規則を守る」ことと「規則に支配される」ことは違う。 ある規則は合理的だから従う。別の規則には納得できないけれど、不必要な衝突を避けるために従っておく。また別の規則については、どうしても受け入れられないので距離を置く。そのすべてを白か黒かに分ける必要はなく、人間は本来、それぞれの規則との間に異なる距離を取りながら社会の中で生きている。そう考えると、「考えていることと、やっていることは一致しなければならない」という言行一致の美徳さえ、少し違って見えてくる。

人間は本来、それほど整然とした存在ではない。嫌だけれどやることもあれば、納得していないけれど黙っていることもあり、今日は従っても明日は従わないかもしれない。こちらではこう振る舞い、別の場所では違う自分になることもあるし、昨日まで信じていたことを今日はもう信じていないこともある。それをすべて不誠実とか矛盾とか呼んで排除してしまう必要はないのではないだろうか。むしろ、その曖昧さや矛盾、建前と本音のずれのようなものの中に、制度が人間を完全には占有できない小さな場所が残されているのかもしれない。

完全に透明で、完全に論理的で、考えていることと言っていることと実際にやっていることがいつでも一致していて、どこから見ても矛盾のない人間を想像すると、立派であるよりも、どこか息苦しいように思えてくる。人間には、もう少し曖昧なところがあっていい。人には説明できないものを持っていてもいいし、昨日と今日で違ってもいい。社会に合わせて振る舞いながら、自分の内側では違うことを考えていてもいい。それは必ずしも不誠実なのではなく、社会と自分との間に少しだけ距離を残しておくことなのである。

そして、自分にそうした余白を認めることができれば、他人にも同じ余白を認められるようになるのではないだろうか。自分はこのように生きているけれど、あなたまで同じように生きる必要はない。自分はこの規則に従っているけれど、あなたにもそれを正しいと信じろとは言わない。自分はずいぶん我慢してここまで来たけれど、あなたまで同じ我慢をしなければならないわけではない。そう考えることができたとき、「Tameされた人間が次の人間をTameする」という連鎖が、ほんの少し途切れる。自分自身は完全には自由になれなくても、他人を自分と同じ檻に入れないことならできる。それは普通の人間にできる、ささやかではあるけれど、とても重要なUntamingなのだと思う。

そう考えると、自由な人とは、何ものにもTameされていない人ではないのかもしれない。そんな人は、おそらくどこにもいない。自由な人とはむしろ、自分がどのようにTameされてきたかを知り、それを絶対視せず、さらにそれを他人にそのまま押しつけない人なのではないだろうか。完全な自由を求めて社会から逃げるのではなく、社会の中にいながら、社会が自分のすべてになってしまうことを拒む。その程度の自由であれば、普通に生きている人にもまだ可能なのかもしれない。

ここまで考えてくると、そもそもの「人はTameされたいのだろうか」という問いにも、少し違った答えが見えてくる。人間の奥深いところにあるのは、Tameされたいという一つの欲望ではなく、おそらく相反する二つの欲求なのだろう。誰かと一緒にいたい。しかし、それでも自分でいたい。 誰かと一緒にいたいから人は社会を作り、仲間から拒絶されたくないから周囲に合わせ、安心したいから規則を受け入れ、明日の世界を予測したいから他人にもある程度同じように振る舞ってもらいたいと思う。その積み重ねの中からTamingが生まれる。

ところが、その同じ人間が、束縛されたくないとも思っている。命令されたくないし、監視されたくもない。自分の人生はできれば自分で決めたいし、いつでもどこかへ行ってしまえる可能性を残しておきたい。誰にも見せず、誰にも説明しなくていい小さな場所を、自分の内側に持っていたい。そこからUntamingが生まれる。だから人は、集団から離れすぎると寂しくなり、集団に近づきすぎると息苦しくなる。少し離れては戻り、戻って安心すると、やがてまた窮屈になって少し離れる。TamingとUntamingとは、どちらか一方を選ぶものではなく、人間の内部に最初からある二つの欲求の間を行き来する運動なのかもしれない。

考えてみれば、それは一人の人間だけではなく、文明そのものにも見られる。人間はTamingによって安定を手に入れるが、その安定が固定化すれば息苦しくなり、そこからUntamingが始まる。自由が広がれば人間の可能性も広がるが、自由があまりに不安定になれば、人は再び安心を求め、新しいTamingへと戻ってゆく。そうであるなら、どちらかを完全になくそうとする必要はないのだろう。完全にUntameされた人間になろうとすれば社会から切り離されてしまうし、完全にTameされれば社会と自分との境界が消えてしまう。私たちにできるのは、その間を行ったり来たりしながら、自分にとって息をしやすい距離を探してゆくことなのだと思う。

だから、少しゆるく生きてもいいのだと思う。規則には従うけれど、規則を神様にはしない。社会には合わせるけれど、社会と自分を同一化しない。役割は果たすけれど、その役割が自分のすべてだとは思わない。昨日そう考えたからといって、明日も同じことを考えなければならないとは思わない。「これは従っておこう」「これは少し距離を置こう」「ここまでは譲ろう」「ここから先は譲らない」と、その都度考え、その都度少しずつ位置を変えていけばいい。ゆるく生きるというのは、無責任に生きることではなく、何もかもを白と黒に分けることをやめ、その間にある無数の灰色の中から、自分が生きられる場所を探し続けることなのだろう。

社会そのものが悪いわけでも、規則そのものが悪いわけでもない。人間が誰かと一緒に生きようとする以上、社会も規則も必要なのだと思う。ただ、それらが人間を隙間なく覆い尽くしてしまわないことが大切なのである。社会と自分との間、自分の役割と自分自身との間、言っていることと考えていることとの間、今日の自分と明日の自分との間に、ほんの少し隙間を残しておく。その隙間では、矛盾していてもいいし、人に説明できなくてもいい。何者でもない時間があってもいい。おそらく、私が長いあいだ探していた「余白」というのは、そういう場所なのだと思う。

自由とは、何にも従わないことではないのかもしれない。自由とはルールがないことではなく、ルールと人間との間に余白が残っていることなのではないだろうか。 そう考えるなら、完全にTameされないで生きる必要もない。Tameされながら、Tameされきらない。従いながら、絶対視しない。誰かと一緒に生きながら、それでもどこかに自分だけの場所を残しておく。その小さな余白さえ失わなければ、社会の内部に生きていても、人は自分自身であり続けることができるのかもしれない。

そして今は、そのくらいの自由でいいのではないかと、私は思っている。

文明の歴史とは、人間がTameされ続けた歴史ではない

牧畜を生業にしている人々が、二十年ぶりにかつて使っていた牧草地へ戻ってきたところ、そこではすでに農耕を生業とする人々が土地を開墾して畑をつくり、作物を育てながら暮らしていたとする。牧畜民は、自分たちが昔から使ってきた牧草地を勝手に畑に変えられたと思い、こんなひどいことがあるものかと牛や馬を放って畑を荒らし、そのまま去っていく。農耕民の側からすれば、突然現れた人々によって苦労してつくった畑を荒らされたのだから、とんでもない話で、壊された畑をふたたび整備して農業を続ける。そしてさらに二十年ほど経つと、かつての牧畜民か、その子どもたちがまた戻ってきて、同じ争いが繰り返される。

こんな話を考えていると、土地を「使う」とか「所有する」というのは、私たちが思っているほど単純なことではないように思えてくる。牧畜民が二十年に一度戻ってくる土地も、農耕民から見れば(長いあいだ誰もやって来なかった土地は)使われていない土地に見えるし、そこを苦労して開墾し、毎年種を蒔き、作物を育ててきたのだから、自分たちの土地だと考えるのも自然なことだろう。しかし牧畜民から見れば、その土地は二十年間放置されていたわけではなく、二十年に一度戻ってくることまで含めて、自分たちが利用してきた場所だったのかもしれない。

牧畜民が生きている世界では、土地は場所だけで成り立っているわけではない。春に使う場所があり、夏に使う場所があり、冬に使う場所があり、さらに十年、二十年に一度の厳しい干ばつのときにだけ利用する場所があるとすれば、その土地に長い間誰もいなかったからといって、使われていなかったことにはならない。いつ来るかわからない厳しい年のために残してある牧草地なら、使わない時間まで含めて利用していることになるからだ。一方、農耕民は同じ土地を毎年耕し、そこに種を蒔き、収穫することで暮らしているので、土地との関係はどうしても固定的になる。そう考えると、牧畜民と農耕民の衝突は、単に二つの民族や二つの生業が同じ土地を奪い合っているというだけのことではなく、一つの土地の上に異なる時間の感覚が重なってしまったことから生まれる争いとも言える。

だから農耕民の側に記録が残れば、「ある日突然、牧畜民がやって来て畑を荒らした」と書かれるだろうし、牧畜民の記憶の中では、「久しぶりに自分たちの牧草地へ戻ってみると、知らない人間が勝手に畑をつくっていた」という話になるだろう。奇妙なことに、どちらも嘘をついているわけではないのに、双方が「侵略されたのは自分たちだ」と感じることができる。

ところが、ここに国家が入ってくると、この微妙な均衡は少しずつ崩れていく。移動する牧畜民の土地利用は地図の上に線を引きにくく、誰が、いつ、どこの土地を使うのかも、季節や降雨や草の状態によって変わってしまう。それに対して農地なら、この畑はここからここまでと境界を決め、面積を測り、所有者を記録し、土地台帳に載せ、そこから税を取ることもできる。国家という仕組みは、どうしても後者の世界と相性がいい。

こうして土地を測量し、境界線を引き、用途を定め、所有者を登録していくと、それまで「ある季節になったら誰かがやって来て使う場所」だった土地が、「一年を通して特定の誰かに属する区画」へと変わっていく。昨日まで当然のようにそこを通り、家畜を放していた人々が、いつの間にか他人の土地へ入り込んだ「侵入者」と呼ばれるようになるとすれば、変わったのは牧畜民のほうではなく、むしろ制度によって土地の意味が変えられたのだと考えたほうがいいのかもしれない。

ここから、国家が人間をTameしていくとき、最初から人間そのものを直接Tameする必要はないのではないか、という考えが浮かんでくる。複雑で流動的だった空間を測り、そこに境界線を引き、用途を決め、所有者や利用者を明らかにし、国家から読み取ることのできる空間へと変えてしまえば、その空間の中で暮らしている人間の行動も自然に変わっていく。牧草地を区画して、その外では家畜を放せないようにすれば家畜の移動範囲は狭くなり、家畜が動けなくなれば、それを追って暮らしていた人間も動きにくくなる。人間に直接「ここから動くな」と命じなくても、人間が移動できる空間そのものを小さくしてしまえばいい。

そう考えると、土地が固定され、人が固定され、住所が与えられ、そこから人を数え、登録し、分類し、税や義務を割り当てていくという一連の動きが見えてくる。土地、住所、戸籍、学校、徴税、国境といったものは、それぞれ別の目的でつくられた制度ではあるけれど、文明史の大きな流れの中では、人間と空間を国家から読み取れるものにしていく同じ方向を向いているようにも見える。

やがて国家は空間だけでなく、人間の時間にも入り込むようになる。日の出や日没、季節の移り変わりに合わせていた生活は、学校の始業時刻、工場の勤務時間、鉄道の発車時刻のような均質な時計の時間によって組み直され、近代を経て現代へ来ると、今度は人間の行動そのものが情報として記録されるようになる。かつて土地を測量し、境界を引くことで国家が空間を読めるようにしたとするなら、現代社会では人々の行動をデータにすることで、国家や企業や機械が人間を読めるようにしているのかもしれない。

こうして見ると、土地をTameし、人間をTameし、時間をTameし、さらに情報までTameしていくという、文明の非常に長い流れが見えてくるのだけれど、それだけでは文明史を一方向に見すぎているようにも思えてくる。なぜなら、どれほど強力な国家が生まれても、人間が完全に制度の中へ収まってしまったことなど、実際にはほとんどなかったのではないかと思えるからだ。

そもそも、定住しない人々をTameすることは、昔の国家にとって容易ではなかった。牧畜民は季節とともに行政境界を越え、焼畑をする人々は森の中を移動し、漁民は海へ出て、狩猟をする人々は山へ入っていく。彼らにとって土地は、必ずしも所有するものではなく、必要なときにそこへ行けることのほうが大切だった。特定の一点に生活のすべてを結びつけないこと、言い換えれば移動できることそのものが、国家によるTamingから少し距離を取るための余白になっていたとも考えられる。

ただ、だからといって、移動する人をUntamedな人、定住した人をTamedな人と分けてしまうと、また別の間違いを犯すことになる。移動してきた人間がある土地に定住した途端、それまで持ち運んできた知識や技術を使って、今度は周囲の世界をTameする側へ回ることもあるからだ。

古代の日本列島へ渡ってきた人々のことを考えると、このことがとてもよく見えてくる。朝鮮半島や大陸から海を渡ってきた人々の中には、鉄を加工する技術を持つ人、機を織る人、土器を焼く人、文字を扱う人、馬を扱う人など、列島社会に新しい技術や知識を運んできた人々がいた。新しい土地へやってきたばかりの彼らは、土地を十分に持っているわけでもなく、その土地の古い血縁関係に深く組み込まれているわけでもないのだから、一見するとTameされる側に見える。

それでも彼らには、土地とは違う資産があった。それが知識だった。

鉄を扱う知識を持った人が新しい土地に腰を下ろせば、そこにある森や木や石や土の意味そのものが変わっていく。木から炭をつくり、鉱石から鉄を取り出し、その鉄から斧や鍬をつくることができれば、斧によって森を開き、鍬によって土地を耕すことができるようになる。土地そのものを持っている者よりも、その土地や自然を別のものへ変換する方法を知っている者のほうが、大きな力を持つことさえあり得る。

そうなると、定住はTamingの終着点とは限らず、むしろ新しいTamingが始まる場所にもなる。王権との関係も同じで、移住してきた技術者には土地や資源や政治的な保護が必要だったとしても、形成されつつある王権の側にも彼らの持っている技術が必要だった。王権は技術者を自らの秩序の中へ取り込もうとする一方で、鉄器や文書、工芸や土木などの技術を受け入れることによって王権そのものが変化し、その統治する力を強めていく。王権が技術者をTameしているように見えて、技術者によって王権の姿も変えられているのだから、そこにあるのは一方向のTamingというより相互Tamingと呼ぶべき関係なのだろう。

こうして考えていくと、移動するということの意味も変わってくる。移動とは支配から逃れることだけではなく、異なる世界の間を行き来し、一方の世界では当たり前だった知識を、まだそれを知らない別の世界へ運んでいくことでもある。朝鮮半島から日本列島へ、山から平地へ、農村から都市へ、ある国から別の国へと境界を越えるたび、人間は複数の世界を見ることになり、その一つの世界ではありふれた知識が、別の世界では珍しく価値のある知識になることがある。そうだとすれば、文明を動かしてきた重要な存在は、定住者か移動者かという二分法では捉えられず、むしろ境界を越えて知識を運ぶ人々だったのかもしれない。

そこまで考えると、TamedとUntamedも人間の固定した属性ではなくなってくる。ある人は国家の制度にはTameされながら、その制度から得た保護や資源を利用して鉄をTameし、土地をTameし、他の人々の暮らしを変え、その結果として国家が人々をTameする力まで強めることがある。Tameする者とTameされる者は別々の人間ではなく、ときには同じ人間の中に同時に存在し、その位置は絶えず入れ替わっていく。

そして、国家の側もどれほど制度を整えたところで、その内側に暮らす人間を完全に包み込めたわけではなかった。江戸幕府が日本列島のかなり広い範囲に統治の網を広げていた時代でさえ、山や深い森林、離島、海、街道から外れた場所へ行けば、その網の目は粗くなっていた。秋田のマタギのような人々も、もちろん幕府や藩とは無関係な世界で生きていたわけではなく、村や市場とつながり、ときには農業や林業にも携わりながら暮らしていたけれど、山へ入れば平地の村とは違った秩序の中で生きることができた。

ここで面白いのは、彼らが制度の内側にいたのか外側にいたのかと二者択一で考える必要がなくなることだろう。村にいれば制度との結びつきは濃くなり、山へ入ればその結びつきが少し薄くなり、獲物を売れば再び市場経済につながり、そこから森の奥へ入れば国家の視線から遠ざかっていく。人は制度に片足を置いたまま、もう片方の足を制度の届きにくい場所へ置くことができたのであり、そこに生まれる曖昧な領域こそ、文明が完全には埋め尽くすことのできない「余白」だったのではないか。

そう考えると、Untamingもまた、Tamingから完全に脱出するという劇的な出来事でなくていいことになる。農民が山へ入り、職人が旅に出て、漁民が海へ出て、商人が国境を越えるとき、人間と制度との距離は少しずつ変化する。国家そのものから逃げ出さなくても、その内部に暮らしながら、国家には完全には記述されない部分を自分の中に残すことはできる。

このことは、現代の海外移住を考えるともっと面白くなる。今では東京からバンコクへ移ったところで国家から姿を消せるわけではなく、パスポートや在留資格、税、銀行口座、通信、社会保障などを通じて、どこへ行ってもさまざまな制度との関係を持ち続けることになる。昔の国家が人を土地に固定することでTameしようとしていたのに対して、現代の国家や企業は、人間が国境を越えて移動しても制度とのつながりを維持できるようになっているという意味では、Tamingの力はむしろ強くなっているのかもしれない。

その一方で、国境を越えることによって初めて得られる自由もある。一つの社会の中だけで長く暮らしていると、その社会の制度や価値観がいつしか自然法則のように思えてくるけれど、別の国で生活してみれば、働き方も家族との関係も、宗教との距離も、国家との付き合い方も必ずしも同じではないことに気づく。「人間とはこういうものだ」「社会とはこうでなければならない」と思っていたものが、実は「この社会ではこうしている」にすぎなかったと気づくことができるなら、複数の制度を比較できること自体が現代のUntamingの一つなのかもしれない。

もちろん、海外移住そのものをUntamingと呼ぶことはできない。日本を離れて別の国へ移り、そこで仕事を持ち、家を持ち、その国の制度に深く組み込まれて暮らすようになれば、一つのTamingから別のTamingへ移っただけと見ることもできる。それに対してデジタルノマドの面白さは、仕事と場所との結びつきを弱め、「この場所に住まなければこの仕事ができない」という制約を小さくしたところにある。

ただし、そこでも国家は黙って見ているわけではない。国境を越えながら仕事を続ける人々が増えれば、やがて「デジタルノマド」という名前が与えられ、その人々のための法的カテゴリーやビザがつくられていく。制度から少しはみ出すようにして始まった生き方が、名前をつけられ、分類され、登録できるものになり、その瞬間から再び制度の内側へ取り込まれ始める。このように考えると、Untamingそのものが、時間とともにTameされていくという少し不思議な循環さえ見えてくる。

けれども、人々はそこからまた新しい余白を見つけていく。一つの国を捨てて別の国へ完全に移住するのでもなく、かといって世界中を絶えず移動し続けるのでもなく、複数の場所に生活の足場をつくり、それぞれの社会にある程度深く関わりながら、どれか一つだけには完全に依存しないという生き方もその一つだろう。一つの場所が窮屈になればもう一つの場所へ重心を移し、そちらに問題が起こればまた戻ることができるなら、世界はもはや「ここで生きるしかない」という閉じた場所ではなく、「ここも、自分が生きることのできる場所の一つ」として見えてくる。

そうなると、現代のUntamingにとって重要なのは、どこにも属さないことではなく、むしろ複数の世界に部分的に属することで、どれか一つの世界に完全には所有されないことなのかもしれない。「ここしかない」という状態を「ここでなくてもいい」という状態へ変えること、その離脱可能性を失わないことが、現代における自由の一つの形になっているように思える。

振り返ってみれば、人間は昔から似たことを繰り返してきた。牧畜民は一つの牧草地ではなく複数の場所へ行けることで生存の余地を残し、マタギは村と山を往復し、職人や商人は土地から土地へ移動し、海を渡ってきた技術者たちは異なる世界から得た知識を新しい土地へ運んだ。移民は国境を越え、現代のデジタルノマドや多拠点生活者は、仕事と居住地、生活と国家との結びつきを少しずつ解きほぐそうとしている。

しかし、そうして新しい余白が生まれるたびに、制度もまたその余白を追いかけてくる。森が測量され、牧草地に境界が引かれ、移動する人間が登録され、移民には在留資格が与えられ、デジタルノマドにも名前とビザが与えられる。そうやって余白が制度の中へ取り込まれていっても、それですべてが終わるわけではなく、人間は再び制度の境界へ移動し、そこで異なる人と出会い、異なる知識を手に入れ、別の場所へ移り、新しい暮らし方をつくり始める。その新しい場所では、昨日までTameされる側にいた人が、今度は自然や技術や他の人間をTameする側へ回ることもあり、そこから生まれた新しい秩序が、やがてまた別の人々をTameし始める。

そう考えるなら、TamingとUntamingは、支配する者と逃げる者という二種類の人間の物語ではなかったのだろう。同じ一人の人間の中にさえ、TameすることとTameされること、制度に入ることとそこからこぼれ落ちることが同居していて、その人は生涯の中で何度もその位置を変えながら暮らしている。

だとすれば、文明の歴史を、かつて自由だった人間が農耕を始め、土地に縛られ、国家に登録され、制度によって次々とTameされ、最後には逃げ場を失っていくという一方向の物語としてだけ見る必要はないのかもしれない。制度が強くなるたび、その制度が覆い尽くすことのできない境界がどこかに生まれ、人間はそこへ移動し、新しい生き方を試し、異なる世界の知識を運び込み、いつかその余白からまた新しい秩序をつくってきたと考えれば、人間の歴史はもっと揺れ動くものとして見えてくる。

文明の歴史とは、人間がTameされ続けた歴史ではない。制度が人間を包み込もうとするたびに、人間がその境界から少しずつこぼれ落ち、新しい余白を見つけ、そこで別の生き方をつくり、やがてその余白も再びTameされていく。その終わりのない往復の歴史なのではないか。