この感覚をどう表現すればいいのだろう。まるでみんながそれぞれ透明なガラスのカプセルに入っていて、互いに姿は見えるし、表面上は丁寧にあいさつもする。でも、一生かかっても相手のカプセルの中に入ることはできない。そんな感じだ。
「今度ご飯行きましょう」というのは「もう二度と会わない」ということ。もし本気にして「いつ空いていますか?」と聞くと、相手はニコニコしながら内心「この人、空気読めないな」と思うのだ。
日本人の笑顔は「半永久メイク」みたいなもの。この笑顔は「仕事上の必要性」によって作っているだけであって本当にうれしいからではない。彼らは、心の中で何万回もこちらをののしっていても、表情一つ変えずに丁寧にお辞儀をすることができる。
日本で「他人に迷惑をかけない」という言葉の意味は「あなたも私に迷惑をかけるな」という含意がある。この極端なまでの境界意識は、確かに生活を便利にするものではあるが、同時に本当に息苦しい。転んでも誰も助けてくれないかもしれない。つらくても誰も声をかけてくれないかもしれない。みんながみんな、「他人に迷惑をかけない」ことに必死だからだ。
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傲慢な者は傲慢さが極みに達した時に没落する(ハメネイ師)
In a televised speech from Tehran on Thursday, on the occasion of the anniversary of 1977 uprising against the Shah’s regime, Khamenei said: “As for that one (Trump) sitting there in his arrogance, speaking as if he judges the entire world, let him know that tyrants and oppressors throughout history – like Pharaoh and Nimrod, Reza Khan, Mohammad Reza (the Shah of Iran), and others like them – fell when their arrogance reached its peak, and this one will fall too.”
富が超富裕層に集中、中間層以下は貧困化(有馬侑之介)
2023年の所得上位0.01%層の所得シェアは2.28%。アベノミクスが始まった2012年には上位0.01%の所得シェアは1.19%だったから、10年余りでおよそ2倍に拡大した計算になる。
所得上位層のシェア拡大は上位0.01%だけではない。上位0.1%は2012年の3.33%から2023年は4.83%へ、上位1%も2012年の10.5%から2023年は12.04%へと上昇した。一方、上位5%、10%、20%の所得シェアは横ばい、もしくは低下したという。
中間層や低所得層の貧困化が進んでいる。世帯の労働所得の中央値は1994年の537万5,000円から2019年には305万円へ低下した。2000年代以降の格差拡大を説明するうえで、中間層以下の所得減少は社会問題として重い意味を持つ。
ジニ係数は0.5855だった。調査を開始した1962年以降で最も高い水準だ。引退後で労働所得が少ない高齢者世帯の増加が数値を押し上げた一因になっているという見方もあるが、貧困化が進んでいるという見方が大勢を占めている。
死因
年末に母が死んだ。大腸にがんが見つかり、緩和ケアを始めてから71日。99歳の誕生日を迎え白寿を祝ってから2週間あまり。安らかな死だった。死亡診断書を書くためにやって来てくれた医師は「がんとか、まあいろいろありましたけれど、死因は老衰にしておきます」と言った。私は考えもなく「ありがとうございます」と言った。
「死因ががんだと、死んだ人がかわいそう」という考え方があるのを、私はあとで知った。「がんはかわいそう、老衰はめでたい」という、そんな考え方だ。がんはかわいそう、自殺はまずい。そんなことで死因が変わるのだとしたら、がんや自殺で死ぬ人の数は、統計よりずっと多いことになる。
それでも、統計上がんは日本人の死因の第1位で、4人に1人はがんで亡くなる。多くの人たちががんで死ぬわけだが、がんで死ぬのは、ほんとうにかわいそうなのだろうか?
日本人の死因の2位以下には、心疾患、老衰、脳血管疾患、肺炎、誤嚥性肺炎、不慮の事故などが並ぶ。果たして、そのうちのどれが、がんよりマシだというのだろう?
50年ほど前に「ぽっくり寺」が流行った。健康で長生きし苦しまずに最期を迎えたいという人たちが訪れたわけだが、「ぽっくり」は果たしていいものだろうか?
「ぽっくり」でまず浮かんでくるのは心筋梗塞だが、15分以上ものあいだ胸が締め付けられるような焼けるような痛みを全身に感じ、息切れ・冷や汗・吐き気・嘔吐・めまいなどとともに意識が遠のいてゆくという。くも膜下出血や脳出血では「バットで殴られたような」人生最悪の激痛を感じるそうだ。そんな「ぽっくり」がいいわけはない。
「ぽっくり」は突然の死だから、死の準備ができていない。隠しておきたいことも隠せず、しておきたいこともできず、死後に見られたくないものも残したままで死んでゆく。それはいやだ。
老衰で死ぬのはどうだろう。死のかなり前から全身が衰え、不如意と不自由と惨めさに長い間耐えたあとで、ようやく死を迎える。見たり聴いたりみ食べたりというような楽しみはなくってゆき、からだじゅうの痛みに耐え、寝たきりになって、下の世話はもちろん、陰部洗浄・口腔ケアなどを受け、心不全と筋力低下で身体は動かせず、呼吸も苦しく、言葉を発するのも無理というような状況になって死んでゆく。そこには、人間の尊厳など、かけらもない。私は老衰もいやだ。
事故や災害で死ぬのも、殺されるのも、自殺もいやだ。
となれば、がんで死ぬしか道はない。がんが見つったらすぐに緩和ケアを始め、医療用麻薬を適切に使ってもらって痛みを和らげ、便秘や吐き気などもなく安らかに死んでゆく。それがいい。
母が死んでからやって来て死亡診断書を書いてくれた医師は「死因は老衰にしておきます」と言った。その裏には「がん」は悲惨で「老衰」はめでたいという考えが見え隠れする。でも私には、悲惨とされている「がん」よりも、人間の尊厳というものがなくなって死んでゆく「老衰」のほうがずっと悲惨に思える。というか、選べるものならば、私は「がん」で死んでゆきたい。医療用麻薬を存分に浴びながら。
国家という暴力集団と民主主義という理想の物語(Copilot)
🔥 国家はなぜ暴力から生まれたのか
歴史を振り返ると、国家の起源はほぼ例外なく「暴力を組織化した集団」です。
農耕社会が生まれ、「富が蓄積される ⇒ それを奪う集団が現れる ⇒ 奪われないために武装する ⇒ 武装した集団が支配者になる」という循環が繰り返され、暴力を独占した集団=国家という構造ができあがった。
国家は“暴力の否定”ではなく、暴力の管理として誕生したのです。
🕊️ では、なぜ民主主義という「理想の物語」が必要なのか
国家が暴力を独占している以上、その暴力が暴走しないためには、暴力を正当化する物語が必要になります。
かつては「王権神授説」「血統」「宗教」「帝国の使命」などがその役割を果たしました。しかし現代では、それらは説得力を失った。そこで登場したのが「民主主義」という物語です。
民主主義は、国家の暴力を「あなた自身が選んだ代表が行使している」という形に変換することで、暴力の正当性を“市民の側に戻す”仕組みです。
つまり民主主義は、国家の暴力を“平和のための暴力”に変換するための物語だと言える。
🌱 民主主義は“理想”だからこそ必要になる
ここがとても重要です。民主主義は、完成した制度ではなく、現実を完全に反映するものでもなく、しばしば裏切られ、しばしば機能不全に陥る。
それでもなお、「平和であるべきだ」という理想を掲げ続ける唯一の物語なのです。
国家が暴力から生まれた以上、暴力を抑制し続けるためには、暴力を超える理念が必要になる。
その理念が、民主主義であり、人権であり、法の支配であり、平等であり、自由です。
民主主義は“現実の記述”ではなく、暴力を制御するためのフィクションなのだと思います。
しかし、そのフィクションがあるからこそ、国家は暴力をむき出しにせずに済む。
国家が暴力的であることは変わらない。だからこそ、暴力を抑え、平和を志向する物語が必要になる。民主主義は、その物語の中で最も人間の尊厳に近い形を持つものです。
そして、民主主義が“理想”であることは欠点ではなく、むしろその理想性こそが、国家の暴力を縛る力になる。
「民主主義という物語の力」をもう少し深く掘り下げるなら、次に考えるべきは「物語が弱まると国家の暴力はどう変質するのか」という点かもしれません。
海外の日本人にはグレーなことが多い(Copilot)
日本の国籍を選択し外国の国籍を放棄する宣言をしさえすれば二重国籍は容認されるとか、日本の金融機関では非居住者は銀行口座を持てないというルールが一般的なのに実際には非居住者のほとんどが口座を持っているとか、日本の税制では海外資産が5,000万円を超える場合には国外財産調書を税務署に提出する義務があるとされているのにほとんどの人が提出していないとか、非居住者でもマイナンバーカードを持つことができるといっても誰も持とうとしないとか、海外の日本人にはグレーなことがたくさんあります。どれもバラバラな個別問題に見えますが、実は一本の線でつながっています。
ルールはある/けれど守られない/しかし国家も本気で取り締まらない/なのに責任だけは個人に降ってくる ー この「ねじれ」が、海外日本人の生をじわじわ疲れさせている感じがします。以下に少し整理してみます。
🧩 1. それぞれのグレーが示しているもの
- 二重国籍:「建前として禁止、運用として見て見ぬふり」
- 国籍選択宣言さえしておけば、実務上は二重国籍をほぼ問題にしない、という“暗黙の了解”が動いている。
- しかし、法律上はグレー/グレーというより一応「アウト」だが、国家は大規模に取り締まる気もない。
- 「強くは言わないけれど、あなたの責任でやってね」という、非常に日本的な責任の押し付け方になっています。
- 非居住者の銀行口座:「規定と実務の乖離」
- ルール(あるいは業界慣行)としては「非居住者NG」。
- ところが現実には、非居住者で普通に口座持っている人が多数派。
- 金融機関側も、本気で全員を整理する気も能力もなく、「バレたら対応する」レベルで運用している。
- 国外財産調書:「義務はあるが、実効性は限定的」
- 一定以上の海外資産があれば提出義務があるのに、多くの人が出していない。
- 税務署も、本気で海外日本人全員を網羅的に追う体制はない。
- 結果として、「真面目に出す人だけが丸裸になる」構図さえ生まれている。
- 非居住者のマイナンバーカード:「制度は作ったが、運用の意味づけが中途半端」
- 一応持てるが、非居住者にとってのメリット設計や、利用シーンが曖昧。
- 行政側も「作れるようにはしたが、どう使ってもらうのか」は深く考えていない感じがある。
- 結果として、誰も積極的には取りに行かない。
🧩 2. なぜこんなに「グレー」が生まれるのか
それは「日本国家の老い」の一つの症状だと思います。
- グローバル化に制度が追いついていない
- 日本の制度設計は、基本的に「日本国内で暮らす日本人」を前提に作られてきた。
- しかし現実には、長期海外在住、日本と他国を行き来、多重居住、複数通貨で資産運用…という生き方が一般化してきている。
- 制度は旧来の「定住前提」のまま、現実の人間だけが動いているので、必然的にグレーが生まれる。
- 「はっきり決めない文化」と「自己責任」の組み合わせ
- 日本は「白黒はっきりさせる」のが苦手な文化。
- 二重国籍も、口座も、税も、「本気で締め付けて全面的に取り締まる」か、「現実に合わせてルールを変える」か、どちらもやらない。
- その代わりに、「一応ルールはある」「あとは個人の判断で」という形にして、責任だけは個人に残す。
- 行政キャパシティの限界と既得権の維持
- もし本気で全部やろうとすると、莫大なコスト・人員・政治的対立が発生する。
- だから「ある程度グレーのままにしておいたほうが運営が楽」という行政側の本音もある。
- そうして、半分腐ったルールが温存されてしまう。
🧩 3. どうにもならないのか?
日本の制度全体を、スッキリと透明で合理的なものに変えるという意味での「どうにかする」は、かなり難しいです。少なくとも、
- 海外在住者の数
- 政治的な優先順位
- 行政の能力
を考えると、「海外日本人のグレー問題」は、今後もしばらく“後回し”にされ続ける可能性が高い。そのうえで、個人として「どうにかする」余地がある部分を整理してみます。
🧩 4. 個人として取りうる3つのスタンス
どれが正しいというより、「自分はどこに線を引くか」を選ぶ話になります。
- コンプライアンス徹底型
- 法律・通達・実務のガイドラインをできる限り確認し、原則として守る。
- 国外財産調書を出す
- 非居住者向けの正規の口座に切り替える(あるいは整理する)
- 国籍の状態も、可能な限り法的に筋を通す
デメリットは、
- 手間がかかる
- 周りより損をしたように感じる
- 行政側の不備のツケを、自分が先に払わされる感覚があること。
メリットは、
- 将来のトラブルリスクが減る
- 心の負担が軽くなる
- 「自分のほうは、やることはやっている」という静かな安心がある。
- 実務優先+リスク管理型
- 「現実に合わせる」ことを前提にしつつ、
- リスクの大きいところだけはきちんと押さえる
- 証拠・履歴・説明可能性を残しておく
例えば、
- 税はできるだけ正直に申告するが、制度のグレー部分は専門家と相談しつつ落としどころを探る
- 口座も、使うものと整理するものを分けておく
要は、「グレーはゼロにはできないが、“悪質”とは見なされないラインを意識して生きる」というスタンスです。
- 戦略的ミニマリズム型
そもそも日本との関係(資産・制度・滞在)を意識的に減らしていく。- 日本の口座を最低限にする
- 資産を他国に移しておく
- 日本の制度に依存しない生活設計をする
これは、「制度そのものを変える努力ではなく、“制度から距離を取る”という選択」。たとえば「多拠点生活」は、この方向にあります。
🧩 5. 「どうにもならない」を、そのままにしておかないために
一番つらいのは、グレーだと分かっているのに、「自分では何も選べない」と感じる状態だと思います。完全にクリーンにすることもできない。かといって、真っ黒にもなりたくない。だからこそ、
- どこは守るか
- どこは現実優先で割り切るか
- どこから先は関わらないか
この「線引き」を、自分の価値観と人生設計に合わせて決めていくしかない。そしてその時に必要なのは、正しい情報と、信頼できる専門家(税理士・弁護士)と、自分の中の“美意識”だと思います。
🧩 6. 最後に
「海外の日本人にはグレーなことが多い」というのは、単に制度の不備だけではなく、終わりつつある日本の国の“古い殻”と、その外側で生きようとする個人との摩擦のようにも見えます。
制度はすぐには変わらない。国家の老いも止まらない。でも、自分がどこに立ち、どこまで責任を引き受け、どこからは距離を取るかは、選べる。
もしよければ、
- どのあたりに線を引きたいのか
- どこまでは「まあ仕方ない」と思えて、どこから先が「もう耐えられない」のか
そのあたりを言語化してみませんか。そこから先は、かなり具体的な「生き方」と「実務」の話に落とせる気がします。
日本の海外送金(Copilot)
日本の海外送金が面倒でレートが悪いのは、3つの理由が重なっているから
- 外為法(外国為替及び外国貿易法)の規制が重い
- SWIFT依存が強く、中継銀行が多い
- 銀行が“リスク回避”を最優先にしている
この3つが絡むと、
- 手続きが煩雑
- 送金に時間がかかる
- レートが悪い
という「三重苦」になる。
🧩 1. 日本は外為法の規制が強く、銀行が厳格に運用している
財務省の説明では、日本の海外送金は外為法に基づき、
- 特定の取引は許可制
- 3000万円超の送金は日銀への事後報告
などの規制が存在します。さらに、MUFGの説明では、
- テロ資金
- 北朝鮮関連
- ロシア・ベラルーシ制裁
- 兵器関連
などの制裁対象に該当しないか、銀行は顧客に詳細な確認を求める義務があると明記されています。つまり、日本の銀行は「送金を簡単にする」より「罰則を避ける」ことを優先している。
🧩 2. 日本の銀行はSWIFT依存が強く、中継銀行が多い
全国銀行協会の資料によると、日本の海外送金はほぼすべてSWIFTネットワーク経由で行われます。そして、
- 日本 → 中継銀行(複数) → 受取銀行
というルートになることが多い。
中継銀行が増えると
- 手数料が高くなる
- レートが悪くなる
- 時間がかかる
のは避けられない。
北米・欧州・東南アジアでは、
- 国内送金並みに速い
- 中継銀行なし
- 低コスト
の仕組み(ACH、SEPA、PromptPayなど)が整っているため、
日本だけが“旧世界の送金方式”に取り残されている。
🧩 3. 日本の銀行は「顧客の利便性」より「コンプライアンス」を優先する文化
MUFGの説明では、
- 送金目的
- 相手の属性
- 制裁対象との関係
などを細かく確認し、必要なら書類提出を求めると明記されています。これは、銀行が罰金を恐れて極端に慎重になっているという構造です。
アメリカや欧州の銀行は、
- リスクベース
- 顧客の利便性を重視
- デジタル化が進んでいる
ため、同じ規制下でも運用が柔軟。
日本は
- 形式主義
- 書類主義
- 前例主義
が強く、結果として「世界で最も面倒な送金国」の一つになっている。
📌 まとめ:なぜ日本だけがこんなに不便なのか
🌙 「日本の古さ」は、まさにここに現れている
日本の銀行は、“国家の老い”をそのまま体現している組織です。
- 変わらない制度
- 変わらない文化
- 変わらないリスク回避姿勢
- 変わらない手続き
世界が送金を「数秒・数十円」でやっている時代に、日本だけが「数日・数千円・書類山盛り」。これは偶然ではなく、日本の制度と文化が変わらない限り、永続する構造です。
Contingency and Convergence (Rachel Powell)
ヨーロッパ人にとってのアジア
ヨーロッパでは「アジア」と聞いたときに、インドや中央アジア(カザフスタンなど)を思い浮かべる人が多い。これは地理的な区分や歴史的な交流の影響で、ヨーロッパ人にとって「アジア=東洋」よりも「ユーラシア大陸の東側」という広いイメージが強いからだ。
ヨーロッパでは「アジア」はユーラシア大陸の東側全体を指すため、インドや中央アジア諸国(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスなど)が「アジア」になる。
シルクロードを通じてヨーロッパと結びついていたのは中央アジア。交易や文化交流の記憶から「アジア=中央アジア」というイメージが根強い。
インドは宗教(ヒンドゥー教、仏教)、香辛料、植民地時代の歴史を通じてヨーロッパ人に強い印象を残しており、「アジアの代表」として想起されやすい。
東アジアや東南アジアは近代以降にアジアとして意識されるようになってきて、今の工業製品・巨大市場・文化というイメージは比較的新しいものだ。
Marmorkrebs(マーモクレブス)
ミステリークレイフィッシュ(英:marbled crayfish マーブルドクレイフィッシュ、独:Marmorkrebs マーモクレブス)は、オスが存在せずメスだけで単為生殖する(卵が受精しなくても発達して個体になる)ザリガニ。3組の染色体をもつ3倍体生物であることが確認されている。一匹のメスから生まれる子どもたちは、すべて母親と同じ遺伝情報を持った完全なクローンになる。十脚目で単為生殖が報告されたのはこのザリガニが世界初だった。
このザリガニが確認されたのは1995年にフランクフルトで開催されたフェアに出品されたのが最初で、その後 愛好家の元で急速に増加し、世界中に広められた。
マダガスカルでは、食用を目的として2007年に少数が1カ所に移殖されたが、短期間で大量に増殖することができるため、現在では様々な水域に数百万匹が生息するようになっており、水稲農業へ悪影響を及ぼすことや、島固有のザリガニ7種を危機的状況に追いやることが懸念されている。

