投稿者「phrh205455」のアーカイブ

医師一患者関係(吉田李佳)

日本の医療が患者本位になりきれない要因の一つとして、「個の尊盤」を促す契機の欠如が挙げられる。キリスト教倫理に基づく人権思想は、人間の個別性の尊重や弱者の権利の保護という発想の契機となり得る。しかし思想的基盤を異にする日本では、欧米的な個人蓉重の考え方は十分に消化されておらず、医療においても西欧近代の科学的合理性のみか積極的に受容されている感がある。
日本における「個」の概念の薄弱さは、医師への過度の依存という派生的事情を生み易い。医療への期待と信頼の医師への投影が、医療的判断や処置の一切を医師に委ね切る態度として表われる。病名告知に関する社会的合意形成の困難さの背後にも、このような日本人の自律性の未熟さか潜んでいると思われる。医師に対する従属的、依存的な態度は、医療におけるバターナリズム(強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること)と、個々人の生の質を捨象した延命至上主義的な医療の傾向を助長し、医療における非人間性を惹起することになる。しかし、日本の精神的風土においては、弱者(息者)が自分の希望ないし権利を主張することには、今なお心理的な規制がかかりやすい。医療が真に患者本位のものとなるためには、このような事情ヘの認識と、実情に即した対応が必要となる。

WENN RUSSLAND GEWINNT (Carlo Masala)

Wir haben uns daran gewöhnt, dass am Ende alles gut ausgeht. Aber was, wenn nicht?
私たちは結局すべてがうまくいくと信じることに慣れてしまった。だがもしそうでなかったら?

Die Friedensdividende war bequem. Aber sie hat uns blind gemacht.
平和の配当は心地よかった。だが、それは私たちを盲目にした。

萍水相逢

「萍水相逢」は、萍(根のない浮き草)が水の流れの中で偶然出会うように、人が思いがけず出会うことをたとえた言葉。唐の詩人 王勃が書いた《滕王閣序》に「萍水相逢,盡是他鄉之客」(萍水相逢うのは、みんな他郷の客だ)と書かれている。偶然性と儚さ、そして他者との縁の不思議さが込められている。根を持たず漂うもの同士がふと交差する瞬間―――それは、偶然でありながら、どこか必然のような気配を帯びている。この言葉には、儚さと縁の深さが同居している。

Les Misérables (Victor Hugo)

Tant qu’il existera, par le fait des lois et des mœurs, une damnation sociale créant artificiellement, en pleine civilisation, des enfers, et compliquant d’une fatalité humaine la destinée qui est divine ; tant que les trois problèmes du siècle, la dégradation de l’homme par le prolétariat, la déchéance de la femme par la faim, l’atrophie de l’enfant par la nuit, ne seront pas résolus ; tant que, dans certaines régions, l’asphyxie sociale sera possible ; en d’autres termes, et à un point de vue plus étendu encore, tant qu’il y aura sur la terre ignorance et misère, des livres de la nature de celui-ci pourront ne pas être inutiles.

国民の大多数は灰色である(東條英機)

国民の大多数は灰色である。一部少数の者がとかく批判的言動を弄するものである。そこで国民を率ひてゆく者としては、此の大多数の灰色の国民をしっかり掴んでぐんぐん引きずってゆくことが大切である。大多数の灰色は指導者が白と云へば又右と云へばその通りに付いてくる。自然に白になる様に放っておけば百年河清を待つものである。

だます・だまされる(伊丹万作)

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

What can we do? (Burton G. Malkiel)

No one can know for sure where the stock market will go next. But there are worrisome signs that investor optimism may have gotten out of hand. The recent exuberance of investors raises the question of whether they are making the same mistakes they made in the past — errors that could prove very costly down the line. If history is repeating itself, what can we do to protect our financial futures?

Is this the time to slash the amount of common stock? Despite all the legitimate worries, my answer is no. Trying to invest your money by guessing exactly when stocks may rise or fall all but invariably leads to poor results.
Market timing can ruin a well thought out investment plan. Just because the market is bipolar doesn’t mean you should be too.