国家は反抗する個人には強いが、関わらない個人には驚くほど無力だ

国家は「反抗する個人」には強い。国家は、反抗を“例外”として扱う。例外は排除しやすい。国家が強く出られるのは、反抗が国家のルールの中に入ってしまうからだ。反抗すれば法律の枠に入れられ、反抗すれば監視の対象になり、反抗すれば国家は「正当な権力行使」として動くことができ、反抗すれば国家は敵として扱える。つまり、反抗した瞬間、個人は国家の土俵に上がってしまう。土俵に上がった個人は、国家の巨大な力の前ではどうしても不利になる。
国家は「関わらない個人」には驚くほど無力だ。国家の力は、関わる人間にしか及ばない。国家は、税、登録、監視、法律、社会制度、国籍、住民票、金融システムといった接点を通じて個人を管理する。しかし接点を最小限にすると、国家は個人に触れられなくなる。たとえば、国籍を複数に分散したり、住む場所を固定しなかったり、資産を一国に集中させなかったり、国家の制度に依存しなかったり、争わず、主張せず、ただ距離を置くというような生き方をする人に対して、国家は驚くほど手が出せない。
国家は「反抗する個人」には強いが、“つかまえようとしてもつかまらない個人”には弱い。これは、国家の構造的な限界だ。国家と戦わず、国家に飲み込まれることもなく、国家のルールの外側に立ち、必要なときだけ最小限関わり、あとは静かに距離を置くというような人を、国家は捕まえることができない。国家のゲームに参加していないというのは、戦わずに自由と尊厳を守るという高度な技術なのだ。

国家は反抗する個人には強いが、関わらない個人には驚くほど無力だ” に1件のフィードバックがあります

  1. phrh205455 投稿作成者

    歴史を見れば、国家が個人に干渉するとき、順番はほぼ決まっている。

    1. まず自由を制限する。税、移動、言論、制度、監視。自由を制限し、選択肢を奪う。
    2. 次に尊厳の侵食。個人を番号化し、制度の一部として扱い、歯車であることを思い知らせる。
    3. そして家族への介入。教育、徴兵、相続、医療、福祉。家族の形や生き方に国家が入り込む。

    国家とは戦わない。国家に飲み込まれることもない。国家のゲームには参加しない。正義を掲げて戦わない。国家に期待しない。国家に依存しない。国家の外側に自分の領域を作る。必要なときにだけ最小限に関わる。争いを避け、静かに距離を置く。これは、弱さではなく、自分の自由と尊厳を守るための賢さだ。

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