2024年8月9日(金)
西のほうから 理解不能な人たちが 襲ってきた
今週の書物/
『Les Croisades vues par les Arabes』
Amin Maalouf 著、
éditions Jean-Claude Lattès (1983), J Ai Lu Editions (1999/2023)
『アラブが見た十字軍』
アミン・マアルーフ著、牟田口義郎・新川雅子訳
リブロポート、1986年刊/ちくま学芸文庫、2001年刊
何のせいか、最近「西欧の視点が世界を覆っている」と感じることが多くなってきた。アメリカを含めた西ヨーロッパの視点が正しいとされ、それ以外の視点は正しくないとされる。私たちはそんな世界に生きているのではないか。少なくとも日本は、そんな場所になってしまったのではないか。
世界は広い。だから西欧の視点を否定する人たちは多い。中国やロシアの人たちはもちろん、東欧や中東の人たちのなかには、西欧に対する複雑な感情があるように思う。それは否定する気持ちであり、憧れでもある。
感情が複雑になれば、西欧の視点への対処の仕方も複雑になる。デモクラシーというやり方に賛成しながら 内心はそれがいいものとは思っていなかったり、人権という価値が普遍的だと言っていても 内心ではそうは思っていなかったりする。
アフリカや東南アジア・南アジアの国々の指導者たちの多くは(そして富裕層の人たちの多くは)アメリカ・西ヨーロッパの教育を受けていて、西欧の視点を否定する気持ちはあまりないかもしれない。でも、そういう国々の民衆のほとんどは否定の気持ちを持っている。
日本ではあたりまえのようにウクライナを支援する空気が社会を覆っているが、そんな空気があたりまえでない場所は多い。西欧の視点を否定する人たちには、それなりの論理がある。
非西欧側の視点を持つ人の数は、地球上で間違いなく多数派を占めている。その人たちの論理を軽んじていると、いつか大きなしっぺ返しにあうのではないか。そういう問題意識を持ってインターネットに接してみると、驚くほど多くの非西欧側の視点で書かれたウェブページが出てくる。
読んでみると、書いてあることの切実さに打たれる。私たちがあたりまえと思ってきた西欧の視点のおかしさや さまざまな不条理に気づくのだ。
そう、今週は、そんな非西欧側の視点で書かれた代表的なエッセイを味わう。『アラブが見た十字軍』(アミン・マアルーフ著、牟田口義郎・新川雅子訳、リブロポート (1986年刊)/ちくま学芸文庫 (2001年刊))だ。『Les Croisades vues par les Arabes』(Amin Maalouf著、éditions Jean-Claude Lattès (1983) / J Ai Lu Editions (1999/2023))の日本語訳で、翻訳作業を想像するだけで訳者たちには頭が下がる。
この本を読み始めたのは はじめてではないが、最後まで読んだのは はじめてで、おかげで「終章 アラブのコンプレックス」のなかの「十字軍が残した傷跡」で素晴らしい文章に出会うことができた。
Alors que pour l’Europe occidentale l’époque des croisades était l’amorce d’une véritable révolution, à la fois économique et culturelle, en Orient, ces guerres saintes allaient déboucher sur de longs siècles de décadence et d’obscurantisme. Assailli de toutes parts, le monde musulman se recroqueville sur lui-même. Il est devenu frileux, défensif, intolérant, stérile, autant d’attitudes qui s’aggravent à mesure que se poursuit l’évolution planétaire, par rapport à laquelle il se sent marginalisé. Le progrès, c’est désormais l’autre. Le modernisme, c’est l’autre. Fallait-il affirmer son identité culturelle et religieuse en rejetant ce modernisme que symbolisait l’Occident ? Fallait-il, au contraire, s’engager résolument sur la voie de la modernisation en prenant le risque de perdre son identité ? Ni l’Iran, ni la Turquie, ni le monde arabe n’ont réussi à résoudre ce dilemme ; et c’est pourquoi aujourd’hui encore on continue d’assister à une alternance souvent brutale entre des phases d’occidentalisation forcée et des phases d’intégrisme outrancier, fortement xénophobe.
という一節だ。日本語訳は、
西ヨーロッパにとって、十字軍時代が真の経済的・文化的革命の糸口であったのに対し、オリエントにおいては、これらの聖戦は衰退と反開化主義の長い世紀に通じてしまう。四方から攻められて、ムスリム世界はちぢみあがり、過度に敏感に、守勢的に、狭量に、非生産的になるのだが、このような態度は世界的規模の発展が続くにつれて一層ひどくなり、発展から疎外されていると思いこむ。
以来、進歩とは相手側のものになる。近代化も他人のものだ。西洋の象徴である近代化を拒絶して、その文化的・宗教的アイデンティティを確立せよというのか。それとも反対に、自分のアイデンティティを失う危険を冒しても、近代化の道を断固として進むべきか。イランも、トルコも、またアラブ世界も、このジレンマの解決に成功していない。そのために今日でも、上からの西洋化という局面と、まったく排外的で極端な教条主義という局面とのあいだに、しばしば急激な交代が続いて見られるのである。
というものなのだが、この一節が この本の結論だと言えなくもない。西洋が絶え間ない侵略のあとムスリムは見事に立ち直って、オスマントルコの旗のもと、ヨーロッパの征服に出かけるまでになる。だがそれは、うわべにすぎなかったと アミン マアルーフ は書く。
なぜこんな結論めいたことを先に書くのかというと、読み進むうちに混乱していったからだ。渇き、飢え、大軍、同盟、合戦、勝利、惨敗、攻撃、襲撃、突撃、守備、防衛、自衛、死守、内紛、陥落、出陣、奮戦、抵抗、寛容、残虐、惨劇、復讐、圧勝、捕縛、奇襲、夜襲、戦死、陰謀、暗殺、処刑、略奪、攻略、滅亡、壊滅、消滅、公正、完全、待伏せ、裏切り、人殺し、人殺し、人殺し。くらくらしてくる。
「ひとつひとつの戦闘に勝つということと 長いあいだの争いに勝つということとは、あまり関連ないんじゃないか」「社会が活性化するか 衰退するかも、戦いにはあまり関係ないのではないか」というような疑問は、読んでいるうちに消えるどころか、膨らみ続けた。
フランクに狙われたのはエルサレムだけではない。普通の街が狙われる。狙われた街の人たちには、なぜ襲われるのかがわからない。襲う側には異教徒の殲滅というという理由があるのだが、襲われる側にはそんな理由は想像もつかない。
フランクがやって来るまでは、侵略には領土拡張という明確な理由があった。侵略する側にも 侵略される側にも、民間人をむやみに殺さないとか、抵抗しない者に暴力をふるわないといった暗黙の了解があった。そんな暗黙の了解など持たないフランクの侵略は、災害でしかなかった。
正義という言葉があるが、そんな言葉はフランクを前にしたとき、ただただむなしい。読んでいて、すっきりしないのだ。
「国が細分化され、互いに争っている」という状態ほど、読者をいらいらさせるものはない。隣国を助けるとか、協同してことにあたるとかいう発想が、誰にもないのだ。「隣国が弱くなることは、いいことだ」と みんなが思っているところに攻め入るのは、そう難しいことではない。
フランクという災害は、繰り返しやってくる。忘れたときに再びやって来るというのは、自然災害に似ている。防ぎようがないというところも、自然災害のようだ。
災害に遭った記憶が地域全体に共有されると、フランクを過大評価して恐れたり、必要以上に用心深くふるまうようになる。侵略が 100年・200年と続いたとき、地域の人たちの記憶がどのようなものになっていったのか、地域の人たちにどんな影響を与えたのか、そんなことを考えていると、この本一冊ではなにも見えてこないように思えてくる。
人権や民主主義などといった理想が戦争の正当な理由として認められるならば、十字軍のようなものまでが正当化されてしまう。理想のための戦争は十字軍的なものとして否定されるべきだと思い知らされる。そんなふうに、読んでいるときに自然といまのことに思いが飛ぶ。
フランクの侵略がなければ、いまの シリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルといった国々の混乱はなかっただろう。そう考えるとき、フランクの侵略を災害に例えるのは、どこか違っていると感じる。
侵略した側の責任とともに、侵略された側の責任も大きいと気づいた。そんな読書だった。侵略された側のメンタリティーは、どこかいまの若い日本人のメンタリティーに通じるものがある。日本はいったい何に侵略されたのだろう。
Les Croisades vues par les Arabes
Amin Maalouf
éditions Jean-Claude Lattès
(1983)
J Ai Lu Editions
(1999/2023)
Juillet 1096 : il fait chaud sous les murailles de Nicée. À l’ombre des figuiers, dans les jardins fleuris, circulent d’inquiétantes nouvelles : une troupe formée de chevaliers, de fantassins mais aussi de femmes et d’enfants marche sur Constantinople. On raconte qu’ils portent, cousues sur le dos, des bandes de tissu en forme de croix. Ils clament qu’ils viennent exterminer les musulmans jusqu’à Jérusalem et déferlent par milliers. Ce sont les “Franj”. Ils resteront deux siècles en Terre sainte, pillant et massacrant au nom de Dieu. Cette incursion barbare de l’Occident au coeur du monde musulman marque le début d’une longue période de décadence et d’obscurantisme. Elle est ressentie aujourd’hui encore, en terre d’islam, comme un viol.
アラブが見た十字軍
アミン・マアルーフ著
牟田口義郎・新川雅子訳
リブロポート、1986年
ちくま学芸文庫、2001年
1096年7月: ニカイアの壁の下は暑い。イチジクの木陰、花畑で、不穏なニュースが流れた。騎士、歩兵だけでなく女性や子供も含む部隊がコンスタンティノープルに進軍している。背中に十字架の形をした布を縫い付けている。彼らはイスラム教徒を殲滅するためにエルサレムまで来ており、数千人規模で押し寄せている。それが「フランジ(フランク)」だ。彼らは二世紀にわたって聖地に留まり、神の名において略奪と虐殺を行うことになる。イスラム世界の中心部への西側諸国によるこの野蛮な侵入は、長い退廃と隠蔽主義の時代の始まりを示している。イスラムの国では今日でもそれは一種の強姦(レイプ)のように感じられている。
『アラブから見た十字軍』 — 千年のトラウマと今の争い
by vaivie
https://provaiciao.jp/leggere/arab-2/