われ迷ふ(蒲原有明) 2件の返信 迷ひぬ、ふかき「にるばな」に、 たわやの髮は身を捲きぬ、 たゆげの夜(よる)を煩惱(ぼんなう)は 狎(な)れてむつみぬ、「にるばな」に。 壁にゑがける執(しふ)の花―― 閨(ねや)の一室(ひとま)の濃きにほひ、 奇(く)しき花びら、花しべに、 火影(ほかげ)も、嫉(ねた)し、たはれたる。 夢の私語(ささやき)、たわやげる 瑪瑙(めなう)の甘寢(うまい)、「にるばな」よ、 艶も貴(あて)なる敷皮に 嫋(なよ)びしなゆるあえかさや。 愛欲の蔓(つる)まつはれる 窓の夜あけを梵音(ぼんおん)に 祕密の鸚鵡(あうむ)警(いまし)めぬ、―― ああ「にるばな」よ、曉(あけ)の星。 鏡は曇る、薫香(くんかう)に まじる一室(ひとま)の呼息(いき)ごもり、 鏡は晴れぬ、影と影、 覺めし素膚(すはだ)にわれ迷ふ。
phrh205455 投稿作成者2026年5月18日 4:09 PM 豹の血(小曲八篇) 智慧の相者は我を見て 智慧(ちゑ)の相者(さうじや)は我を見て今日(けふ)し語(かた)らく、 汝(な)が眉目(まみ)ぞこは兆(さが)惡(あ)しく日曇(ひなぐも)る、 心弱くも人を戀ふおもひの空の 雲、疾風(はやち)、襲(おそ)はぬさきに遁(のが)れよと。 噫(ああ)遁(のが)れよと、嫋(たを)やげる君がほとりを、 緑牧(みどりまき)、草野(くさの)の原のうねりより なほ柔かき黒髮の綰(わがね)の波を、―― こを如何(いか)に君は聞き判(わ)きたまふらむ。 眼をし閉(とづ)れば打續く沙(いさご)のはてを 黄昏(たそがれ)に頸垂(うなだ)れてゆくもののかげ、 飢ゑてさまよふ獸(けもの)かととがめたまはめ、 その影ぞ君を遁れてゆける身の 乾ける旅に一色(ひといろ)の物憂き姿、―― よしさらば、香(にほひ)の渦輪(うづわ)、彩(あや)の嵐に。 若葉のかげ 薄曇りたる空の日や、日も柔(やは)らぎぬ、 木犀(もくせい)の若葉の蔭のかけ椅子(いす)に 靠(もた)れてあれば物なべておぼめきわたれ、 夢のうちの歌の調(しらべ)と暢(の)びらかに。 獨(ひとり)かここに我はしも、ひとりか胸の 浪を趁(お)ふ――常世(とこよ)の島の島が根に 翅(つばさ)やすめむ海の鳥、遠き潮路の 浪枕(なみまくら)うつらうつらの我ならむ。 半(なかば)ひらけるわが心、半閉ぢたる 眼を誘ひ、げに初夏(はつなつ)の芍藥(しやくやく)の、 薔薇(さうび)の、罌粟(けし)の美(うま)し花舞ひてぞ過ぐる、 艶(えん)だちてしなゆる色の連彈(つれびき)に たゆらに浮ぶ幻よ――蒸して匂へる 蘂(ずゐ)の星、こは戀の花、吉祥(きちじやう)の君。 靈の日の蝕 時ぞともなく暗(くら)うなる生(いのち)の(とぼそ)、―― こはいかに、四方(あたり)のさまもけすさまじ、 こはまた如何(いか)に我胸の罪の泉を 何ものか頸(うなじ)さしのべひた吸ひぬ。 善(よ)しと匂へる花瓣(はなびら)は徒(あだ)に凋(しぼ)みて、 惡(あ)しき果(み)は熟(つ)えて墜(お)ちたりおのづから わが掌底(たなぞこ)に、生温(なまぬる)きその香(か)をかげば 唇のいや堪(た)ふまじき渇きかな。 聞け、物の音、――飛び過(す)がふ蝗(いなご)の羽音(はおと)か、 むらむらと大沼(おほぬ)の底を沸(わ)きのぼる 毒の水泡(みなわ)の水の面(も)に彈(はじ)く響か、 あるはまた疫(えやみ)のさやぎ、野の犬の 淫(たはれ)の宮に叫ぶにか、噫、仰ぎ見よ、 微(かす)かなる心の星や、靈(たま)の日の蝕(しよく)。 月しろ 淀(よど)み流れぬわが胸に憂(うれ)ひ惱みの 浮藻(うきも)こそひろごりわたれ黝(くろ)ずみて、 いつもいぶせき黄昏(たそがれ)の影をやどせる 池水(いけみづ)に映るは暗き古宮(ふるみや)か。 石の階(きざはし)頽(くづ)れ落ち、水際(みぎは)に寂びぬ、 沈みたる快樂(けらく)を誰かまた讃(ほ)めむ、 かつてたどりし佳人(よきひと)の足(あ)の音(と)の歌を その石になほ慕ひ寄る水の夢。 花の思ひをさながらの祷(いのり)の言葉、 額(ぬか)づきし面(おも)わのかげの滅(き)えがてに この世ならざる縁(えにし)こそ不思議のちから、 追憶(おもひで)の遠き昔のみ空より 池のこころに懷かしき名殘(なごり)の光、 月しろぞ今もをりをり浮びただよふ。 蠱の露 文目(あやめ)もわかぬ夜(よる)の室(むろ)に濃き愁ひもて 釀(か)みにたる酒にしあれば、唇に そのささやきを日もすがら味(あぢは)ひ知りぬ、 わが君よ、絶間もあらぬ誄辭(しぬびごと)。 何の痛みか柔かきこの醉(ゑひ)にしも まさらむや、嘆き思ふは何なると 占問(うらど)ひますな、夢の夢、君がみ苑(その)に ありもせば、こは蜉蝣(かげろふ)のかげのかげ。 見おこせたまへ盞(さかづき)を、げに美(うる)はしき おん眼(め)こそ翅(つばさ)うるめる乙鳥(つばくらめ)、 透影(すいかげ)にして浮び添(そ)ひ映り徹(とほ)りぬ、 いみじさよ、濁れる酒も今はとて 輝き出(い)づれ、うらうへに、靈(たま)の欲(ほ)りする 蠱(まじ)の露。――いざ諸共に乾(ほ)してあらなむ。 茉莉花 咽(むせ)び嘆かふわが胸の曇り物憂き 紗(しや)の帳(とばり)しなめきかかげ、かがやかに、 或日は映(うつ)る君が面(おも)、媚(こび)の野にさく 阿芙蓉(あふよう)の萎(ぬ)え嬌(なま)めけるその匂ひ。 魂(たま)をも蕩(た)らす私語(ささめき)に誘はれつつも、 われはまた君を擁(いだ)きて泣くなめり、 極祕の愁、夢のわな、――君が腕(かひな)に、 痛ましきわがただむきはとらはれぬ。 また或宵は君見えず、生絹(すずし)の衣(きぬ)の 衣(きぬ)ずれの音のさやさやすずろかに ただ傳ふのみ、わが心この時裂けつ、 茉莉花(まつりくわ)の夜(よる)の一室(ひとま)の香(か)のかげに まじれる君が微笑(ほほゑみ)はわが身の痍(きず)を もとめ來て沁(し)みて薫(かを)りぬ、貴(あて)にしみらに。 寂靜 熟(つ)えて落ちたる果(このみ)かと、噫(ああ)見(み)よ、空に 日は搖(ゆら)ぎ、濃くも腐(あざ)れし光明(くわうみやう)は 喘(あへ)ぎ黄ばみて灣(いりうみ)の中に滴(したた)り、 波に溶(と)け、波は咽(むせ)びぬたゆたげに。 磯回(いそわ)のすゑの圓石(まろいし)はかくれてぞ吸ふ、 飽き足らひ耀(かがや)き倦(う)める夕潮(ゆふじほ)を、 石の額(ひたへ)は物うげの瑪瑙(めなう)のおもひ、 かくてこそ暫時(しばし)を深く照らしぬれ。 風にもあらず、浪の音、それにもあらで、 天地(あめつち)は一つ吐息(といき)のかげに滿ち、 沙(いさご)の限り彩(あや)もなく暮れてゆくなり。 たづきなさ――わが魂は埋(うづも)れぬ、 こゝに朽ちゆく夜(よる)の海の香(にほひ)をかぎて、 寂靜(じやくじやう)の黒き眞珠(またま)の夢を護らむ。 晝のおもひ 晝の思(おもひ)の織り出でし紋(あや)のひときれ、 歡樂(くわんらく)の緯(ぬき)に、苦悶の經(たて)の絲、 縒(よ)れて亂るる條(すぢ)の色、あるは叫びぬ、 あるはまた醉(ゑ)ひ痴(し)れてこそ眩(めくる)めけ。 今、夜(よる)の膝、やすらひの燈(ともし)の下(もと)に、 卷き返し、その織りざまをつくづくと 見れば朧(おぼろ)に危(あやふ)げに、眠(ねぶ)れる獸(けもの)、 倦(う)める鳥――物の象(かたち)の異(こと)やうに。 裁(た)ちて縫はさむかこの巾(きれ)を、宴(うたげ)のをりの 身の飾(かざり)、ふさはじそれも、終(つひ)の日の 棺衣(かけぎぬ)の料(れう)、それもはた物狂ほしや。 生(せい)にはあはれ死の衣(ころも)、死にはよ生(せい)の 空(そらだき)の匂ひをとめて、現(うつつ)なく、 夢はゆらぎぬ、柔かき火影(ほかげ)の波に。 偶感 寄せては返す浪もなく、ただ平(たひ)らかに 和(なご)みたる海にも潮(しほ)の滿干(みちひ)あり、 げにその如く騷(さわ)だたぬ常の心を 朝夕に思(おもひ)は溢れ、また沈む。 秋のこころ 黄(きば)みゆく木草(きぐさ)の薫り淡々(あはあは)と 野の原に、將(は)た水(みづ)の面(も)にただよひわたる 秋の日は、清げの尼のおこなひや、 懴悔の壇(だん)の香(かう)の爐(ろ)に信(しん)の心の 香木(かうぼく)の膸(ずゐ)の膏(あぶら)を(た)き燻(く)ゆし、 きらびやかなる打敷(うちしき)は夢の解衣(ときぎ)、 過ぎし日の被衣(かつぎ)の遺物(かたみ)、――靜やかに 垂れて音なき繍(ぬひ)の花、また襞(ひだ)ごとに、 ときめきし胸の名殘(なごり)の波のかげ、 搖めきぬとぞ見るひまを聲は直泣(ひたな)く―― 看經(かんぎん)の、噫(ああ)、秋の聲、歡樂と 悔(くい)と念珠(ねんじゆ)と幻と、いづれをわかず、 ひとつらに長き恨(うらみ)の節細く、 雲の翳(かげり)にあともなく滅(き)えてはゆけど、 窮(きは)みなき輪廻(りんね)の業(ごふ)のわづらひは 落葉の下(もと)に、草の根に、潜みも入るや、―― その夕(ゆふべ)、愁の雨は梵行(ぼんぎやう)の 亂れを痛みさめざめと繁(しじ)にそそぎぬ。 大河 ゆるやかにただ事もなく流れゆく 大河(たいが)の水の薄濁り――邃(ふか)き思ひを 夢みつつ塵(ちり)に同(どう)じて惑(まど)はざる 智識のすがたこれなめり、鈍(おぞ)しや、われら 面澁(おもしぶ)る唖(おし)の羊(ひつじ)の輩(ともがら)は 堤の上をとみかうみわづらひ歩(あり)く。 しかすがに聲なき聲の力(ちから)足(た)り、 眞晝かがよふ法(のり)を布(し)く流を見れば、 經藏(きやうざう)の螺鈿(らでん)の凾(はこ)の蓋(ふた)をとり、 悲願(ひぐわん)の手もて智慧(ちゑ)の日の影にひもどく 卷々(まきまき)の祕密の文字の飜(こぼ)れ散る、―― げに晴れ渡る空の下(もと)、河の面(おもて)の 紺青(こんじやう)に黄金(こがね)の光燦(きら)めくよ、 かかる折こそ汚(けが)れたる身も世も薫(かを)れ、 時さらず、癡(し)れがましさや、醜草(しこぐさ)の 毒になやみて眩(めくるめ)き、あさり食(は)みぬる 貪(むさぼり)の心を悔いてうち喘(あへ)ぎ、 深くも吸へる河水(かはみづ)の柔かきかな、 母(おも)の乳(ちち)、甘くふくめる悲みは 醉(ゑひ)のここちにいつとなく沁(し)み入りにけり。 源(みなもと)は遠き苦行(くぎやう)の山を出で、 平等海(びやうどうかい)にそそぎゆく久遠(くをん)の姿、 たゆみなく、音なく移る流(ながれ)には 解けては結ぶ無我(むが)の渦、思議(しぎ)の外(ほか)なる 深海(ふかうみ)の眞珠をさぐる船の帆ぞ 今照りわたる、――智(さとり)なき身にもひらくる 心眼(しんがん)の華(はな)のしまらくかがやきて、 さてこそ沈め、靜かなる大河(たいが)の胸に。 甕の水 甕(かめ)の水濁りて古し、 このゆふべ、覆(くつが)へしぬる、 甕の水、 惜しげなき逸(はや)りごころに。 音鈍(にぶ)し、水はあへなく、 あざれたる溝(みぞ)に這ひ寄り、 音鈍し、 呟(つぶ)やける「夢」のくちばみ。 去(い)ねよ、わが古きは去ねよ、 水甕の濁き底濁り、 去ねよ、わが―― 噫(ああ)、なべて澱(をど)めるおもひ。 耀(かがや)きぬ雲の夕映(ゆふばえ)、 いやはての甕の雫に、 耀きぬ、―― わがこころかくて驚く。 「戀」なりや、雫の珠は、 げに清し、ふるびぬにほひ、 「戀」なりや、 珠は、あな、闇きに沈む。 夜(よ)となりき、嘆くも果敢(はか)な、 空しかる甕を抱(いだ)きて、 夜(よ)となりき、 あやなくもこころぞ渇く。 朱のまだら 日射しの 緑ぞここちよき。 あやしや 並(な)みたち樹蔭路(こかげみち)。 よろこび あふるる、それか、君、 彼方(かなた)を、 虚空(こくう)を夏の雲。 あかしや 枝さすひまびまを まろがり 耀(かがや)く雲の色。 君、われ、 二人が樹蔭路、 緑の 匂ひここちよき。 軟風(なよかぜ) あふぎて、あかしやの 葉は皆 たゆげに飜(ひるがへ)り、 さゆらぐ 日影の朱(しゆ)の斑(まだら)、 ふとこそ みだるれわが思。 君はも 白帆の澪(みを)入りや、 わが身に あだなる戀の杙(かし)。 軟風(なよかぜ) あふぎて澪(みを)逸(そ)れぬ、 いづくへ 君ゆく、あな、うたて。 思ひに みだるる時の間を 夏雲 重げに崩れぬる 緑か、 朱か、君、あかしやの 樹(こ)かげに あやしき胸の汚染(しみ)。 坂路 喘(あへ)ぎて上(のぼ)るなだら坂――わが世の坂の中路(なかみち)や、 並樹の落葉熱き日に燒けて乾きて、時ならで 痛み衰へ、たゆらかに梢離れて散り敷きぬ。 落葉を見れば、片焦(かたこ)げて(さ)び赤らめるその面(おもて)、 端(はし)に殘れる緑にも蟲づき病める瘡(きず)の痕(あと)、 黒斑(くろふ)歪(ひず)みて慘(いた)ましく鮮明(あざやか)にこそ捺(お)されたれ。 また折々は風の呼息(いき)、吹くとしもなく辻卷(つじま)きて、 燒け爛(ただ)れたる路の砂、惱(なやみ)の骸(から)の葉とともに、 燃ゆる死滅の灰を揚ぐ、噫(ああ)、わりなげの悲苦(ひく)の遊戲(ゆげ)。 一群(ひとむら)毎に埃がち憩(いこ)ふに堪へぬ惡草(あくさう)は 渇(かわき)をとめぬ鹽海(しほうみ)の水にも似たり。ひとむきに 心焦(い)られて上(のぼ)りゆく路はなだらに盡きもせず。 夢の萎(しな)への逸樂(いつらく)は、今、貴人(あてびと)の車にぞ 搖られながらに眠(ねぶ)りゆく、その車なる紋章は 倦(うん)じ眩(くる)めくわが眼(め)にも由緒(よし)ありげなる謎の花。 身も魂も頽(くづ)をれぬ、いでこのままに常闇(とこやみ)の 餌食(ゑじき)とならばなかなかに心安かるこの日かな、 惱盡きせぬなだら坂、路こそあらめ涯(はて)もなし。 不安 人は今地に俯してためらひゆけり、 疎(うと)ましや、頸垂(うなだ)るる影を、軟風(なよかぜ) 掻撫(かいな)づるひと吹(ふき)に、桑の葉おもふ 蠶(かひこ)かと、人は皆頭(かうべ)もたげぬ。 何處(いづこ)より風は落つ、身も戰(をのの)かれ、 我しらず面(おも)かへし空を仰げば、 常に飢ゑ、(あ)きがたき心の惱み、 物の慾、重たげにひきまとひぬる。 地は荒れて、見よ、ここに「饑饉(ききん)」の足穗(たりほ)、 うつぶせる「人」を誰(た)が利鎌(とがま)の富と 世の秋に刈り入るる、噫(ああ)、さもあれや、 畏(おそ)るるはそれならで天(あめ)のおとづれ。 たまさかに仰ぎ見る空の光の 樂(がく)の海、浮ぶ日の影のまばゆさ、 戰(をのの)ける身はかくて信(しん)なき瞳 射ぬかれて、更にまた憧(あくが)れまどふ。 何處(いづこ)へか吹きわたり去(い)にける風ぞ、 人は皆いぶせくも面(おもて)を伏せて、 盲(めし)ひたる魚(うを)かとぞ喘(あへ)げる中を 安からぬわが思(おもひ)、思を食(は)みぬ。 失ひし翼をば何處(いづく)に得べき、 あくがるる甲斐もなきこの世のさだめ、 わが靈(たま)は痛ましき夢になぐさむ、 わが靈は、あな、朽つる肉(ししむら)の香(か)に。 絶望 現(うつつ)こそ白(しら)けたれ、香油(にほひあぶら)の 艶も失(う)せ、物なべて呆(ほほ)けて立てば、 夢映すわが心、鏡に似てし 性(さが)さへも、痴(うつ)けたる空虚(うつろ)に病みぬ。 在るがまま、便(たづ)きなき、在るを忍びて、 文(あや)もなし、曲もなし、唯あらはなり、 臥房(ふしど)なき人の生(よ)や裸形(らぎやう)の「痛み」、 さあれ身に惱みなし、涙も涸(か)れて。 追想(おもひで)よ、ここにして追想ならじ、 燈火(ともしび)の滅(き)えにたる過去の火盞(ほざら)と 煤(すす)びたり、そのかみの物はかなさを、 悦びを、などかまた照らし出づべき。 眼(ま)のあたり佗しげの徑(こみち)の壞(くづ)れ、 悲みの雨(あま)そそぎ洗ひさらして、 土の膚(はだ)すさめるを、まひろき空は、 さりげなき無情(つれな)さに晴れ渡りぬる。 狼尾草(ちからしば)ここかしこ、光射かへす。 貝の殼、陶(すゑ)ものの小瓶(をがめ)の碎け―― あるは藍、あるは丹(に)に描ける花の 幾片(いくひら)は、朽ちもせで、路のほとりに。 靈(たま)燻(く)ゆる海の色、宴(うたげ)のゑまひ、 皆ここに空(あだ)の名や、噫、望なし、 匂ひなし、この現(うつつ)われを囚(とら)へて、 日は檻(をり)の外よりぞ酷(むご)くも臨む。 燈火 人の世はいつしか たそがれぬ、花さき 香(か)に滿ちし世も、今、 たそがれぬ靜かに。 滅(き)えがてに、見はてぬ 夢の影、裾ひく 薄靄の眼のうち あなうつろなるさま。 人の世の燈火(ともしび)、 ほのぐらき樹(こ)の間を、 わびしらに嘆くか、 燈火の美鳥(うまどり)。 母の鳥――天(あめ)なる 日のゆくへ慕ひて 泣きいさち嘆かふ 聲のうらがなしさ。 燈火のうま鳥、 うらぶれの細音(ほそね)に かずかずの念(おもひ)の 珠(たま)をこそ聞け、今。 闇(やみ)墜(お)ちぬ、にほひも はた色もひとつの 音に添ひぬ、燈火 遠ながき笛の音(ね)…… 返信 ↓
phrh205455 投稿作成者2026年5月18日 4:10 PM 草びら 向日葵(ひぐるま)の蘂(ずゐ)の粉の黄金(こがね)にまみれ、 あな、夕まぐれ、 朽ちはつる草びらや、 草びらは唯わびしらに。 この夕、雲明(あか)き空には夏の あな、榮(はえ)もあれ、 薄ぐらき物かげを 草びらは終りの寢所(ふしど)。 誓願(せいぐわん)は向日葵(ひぐるま)に――菩提(ぼだい)の東、 あな、涅槃(ねはん)の西、 宿縁(しゆくえん)は草びらに、 草びらは靜かに默(もだ)す。 向日葵は蘂の粉の黄金の雨の あな、涙もて 朽ちはてて壞(くづ)れゆく 草びらの胸を掩ひぬ。 孤寂 椶櫚(しゆろ)の葉音に暮れてゆく夏の夕暮、 たゆまるる椶櫚のはたはた、 裂葉(さけば)よ、あはれ莖長く葉末は折れて垂(た)れ顫(ふる)へ、 天(あめ)に捧げし掌(たなごころ)、――絶入(ぜつじゆ)の悶(もだ)え。 さもこそあらめ、淨念(じやうねん)の信士(しんし)その人、 孤獨なる祈誓(きせい)に喘(あへ)ぎ、 胸に籠めたる幻(まぼろし)を雲に痛みて、地のほめき―― そをだに香(かう)の燻(く)ゆるかと頼めるけはひ。 偉(おほい)なるかな空(そら)の宵、天(あめ)の廣葉は 圓(まど)かにて、呼息(いき)ざし深く、 物皆かげに搖めきて暗うなる間を明星(みやうじやう)や、 見よ、永劫(とことは)の嚴(いづ)の苑(その)、光のにほひ。 ここにては、噫、晝の濤(なみ)、夜(よる)の潮(うしほ)と 捲きかへるこころの鹹(から)さ、 信(しん)の涙か、憧憬(あくがれ)の孤寂の闇の椶櫚(しゆろ)の花 幹を傳ひてほろほろと根にぞこぼるる。 この時 紺瑠璃(こんるり)の 潮滿ちに、渚(なぎさ)の 縁(ふち)さへも ひびわれむばかりや。 風は和(な)ぎ、 浪は伏す深海(ふかうみ)、 天津日(あまつひ)は 輝きぬ、まどかに。 いづこをか もとめゆく、この時、 船の帆よ、 徐(おもむろ)に、彼方(かなた)へ。 幸(さち)か、船、 帆章(ほじるし)は判(わか)たね、―― 生もはた 死の如し、この時。 あまりにも 足らひたり、海原(うなばら)、 靜けさは 嵐にも似たりや。 天津日(あまつひ)は うるほひて、日の暈(かさ)、 暈の環(わ)を 虹(にじ)もこそ彩(あや)なせ。 紺瑠璃(こんるり)の 潮(しほ)熟(う)みて浸しぬ、 素胎(すばら)には あらぬ海、なじかは…… 素胎には あらぬ海、不祥(ふじやう)の 兒(こ)や生(あ)るる、―― 虹の色かつ滅(き)ゆ。 幸か船、 帆じるしは判(わか)たね、 いづこをか もとめゆく、この時。 音もなし 光のとばりぎぬ ゆららに風わたる。 まひろく、はた青き 皐月(さつき)の空のもと。 いのちの一雫(ひとしづく) めぐみぬ、わが胸の 階(きざはし)、かぎろひを きざめるそのほとり。 めぐみぬ、花さきぬ、 耀(かが)よふ玉の苑(その)、 かすかに花くんじ、 かすかにくづれゆく。 (ひかげ)はゆるやかに うつりて、階(きざはし)を 垂れ曳く丈(たけ)の髮、 (ひかげ)ぞ夢みぬる。 さもあれ戀の、嗚呼(ああ)、 みなしご――わが魂(たま)は いのちの花かげに 痛みて聲もなし。 夏の歌 薄ぐもる夏の日なかは 愛欲の念(おもひ)にうるみ 底もゆるをみなの眼(め)ざし、 むかひゐてこころぞ惱む。 何事の起るともなく、 何ものかひそめるけはひ、 執(しふ)ふかきちからは、やをら、 重き世をまろがし移す。 窓の外(と)につづく草土手、 きりぎりす氣まぐれに鳴き、 それも今、はたと聲絶え、 薄ぐもる日は蒸し淀む。 ややありて茅(かや)が根を疾(と)く 青蜥蜴(あをとかげ)走りすがへば、 ほろほろに乾ける土は ひとしきり崖をすべりぬ。 なまぐさきにほひは、池の 上(うは)ぬるむ面(おも)よりわたり、 山梔(くちなし)の花は墜(お)ちたり、―― 朽ちてゆく「時」のなきがら。 何事の起るともなく、 何ものかひそめるけはひ、 眼(ま)のあたり融けてこそゆけ 夏の雲、――空は汗ばむ。 秋の歌 柔らかき苔に嘆かふ 石だたみ、今眞ひるどき、 たもとほる清らの秋や、 しめやげる精舍(しやうじや)のさかひ。 並び立つ樅(もみ)の高樹(たかぎ)は、 智識めく影のふかみに 鈍(ね)びくゆる紫ごろも、 合掌(がつしやう)の姿をまねぶ。 しめやげる精舍のさかひ、―― 石だたみ音もかすかに 飜る落葉は、夢に すすり泣く愁(うれひ)のしづく。 かぎりなき秋のにほひや、 白蝋(びやくらふ)のほそき焔(ほのほ)と わがこころ、今し、靡(なび)かひ、 ふと花の色にゆらめく。 花の色――芙蓉(ふよう)の萎(しな)へ、 衰への眉目(まみ)の沈默(もだし)を。 寂(さび)の露しみらに薫(くん)ず、 かにかくに薄きまぼろし。 しめやげる精舍に秋は しのび入り滅(き)え入るけはひ、 ほの暗きかげに燦(きら)めく 金色(こんじき)のみ龕(づし)の光。 苦惱 傳へ聞く彼(か)の切支丹(キリシタン)、古(いにしへ)の惱(なやみ)もかくや―― 影深き胸の黄昏(たそがれ)、密室(みつしつ)の戸は鎖(さ)しもせめ、 戰(をのの)ける想(おもひ)の奧に「我」ありて伏して沈めば、 魂(たましひ)は光うすれて塵と灰「心」を塞(ふさ)ぐ。 懼(おそろ)しき「疑(うたがひ)」は、噫(ああ)、自(みづから)の身にこそ宿れ、 他(あだ)し人責めも來なくに空しかる影の戲(たは)わざ、 こは何ぞ、「畏怖(ゐふ)」の黨(ともがら)群(む)れ寄せて我を圍むか。 脅(おびやか)す假(かり)裝(よそほ)ひに松明(たいまつ)の焔(ほのほ)つづきぬ。 聖(サンタ)麻利亞(マリヤ)、かくも弱(よわ)かる罪人(つみびと)に信(しん)の潮(うしほ)の 甦(よみがへ)り、かつめぐり來て、「肉(ししむら)」の渚(なぎさ)にあふれ、 俯伏(うつぶせ)に干潟(ひがた)をわぶる貝の葉の空虚(うつろ)の我も 敷浪(しきなみ)の法喜(ほふき)傳へて御惠(みめぐみ)に何日かは遇(あ)はむ。 さもあれや、わが「性欲(せいよく)」の里正(むらをさ)は窺(うかが)ひ寄りて、 禁制(きんぜい)の外法(げほふ)の者と執(しふ)ねくも罵(ののし)り逼(せま)り、 ひた強(し)ひに蹈繪(ふみゑ)の型を蹈(ふ)めよとぞ、あな淺ましや、 我ならで叫びぬ、『神よ此身をば磔(き)にも架(か)けね』と。 硫黄(いわう)沸(わ)く煙(けぶり)に咽び、われとわが座より轉(まろ)びて、 火の山の地獄の谷をさながらの苦惱に疲れ、 死(う)せて又生くと思ひぬ、――夢なりき、夜(よる)の神壇、 蝋の火を點(とも)して念ず、假名文(かなぶみ)の御經(みきやう)の祕密。 待たるるは高き洩るる啓示(みさとし)の聲の耀(かがや)き、―― 信(しん)のみぞ其(その)證人(あかしびと)、罪深き内心ながら われは待つ、天主の姫が讃頌(さんしよう)の聲朗かに、 事果(はて)て、『汝(なれ)を恕(ゆる)す』と宣(のたま)はむその一言(ひとこと)を。 癡夢 陰濕(いんしつ)の「嘆(なげき)」の窓をしも、かく うち塞(ふさ)ぎ眞白にひたと塗り籠(こ)め、 そが上に垂れぬる氈(かも)の紋織(あやおり)、―― 朱(あけ)碧(みどり)まじらひ匂ふ眩(まば)ゆさ。 これを見る見惚(みほ)けに心惑(まど)ひて、 誰を、噫(ああ)、請(しやう)ずる一室(ひとま)なるらむ、 われとわが願(ねがひ)を、望を、さては 客人(まらうど)を思ひも出でず、この宵。 唯(ただ)念(ねん)ず、しづかにはた圓(まど)やかに 白蝋(びやくらふ)を黄金(こがね)の臺に點(とも)して、 その焔(ほのほ)いく重の輪をしめぐらし 燃えすわる夜すがら、われは寢(い)ねじと。 徒然(つれづれ)の慰(なぐ)さに愛の一曲(ひとふし) 奏(かな)でむとためらふ思ひのひまを、 忍び寄る影あり、誰(た)そや、――畏怖(おそれ)に わが脈の漏刻(ろうこく)くだちゆくなり。 長き夜を盲(めしひ)の「嘆(なげき)」かすかに 今もなほ花文(けもん)の氈(かも)をゆすりて、 呼息(いき)づかひ喘(あへ)げば盛りし燭(しよく)の 火影(ほかげ)さへ、益(やく)なや、しめり靡(なび)きぬ。 癡(し)れにたる夢なり、こころづくしの この一室(ひとま)、あだなる「悔(くい)」の蝙蝠(かはほり) 氣疎(けうと)げにはためく羽音(はおと)をりをり 音なふや、噫(ああ)などおびゆる魂(たま)ぞ。 滅の香 やはらかき寂(さ)びに輝く 壁の面(おも)、わが追憶(おもひで)の 靈(たま)の宮、榮(はえ)に飽きたる 箔(はく)おきも褪(あ)せてはここに 金粉(きんぷん)の塵(ちり)に音なき 滅(めつ)の香(か)や、執(しふ)のにほひや、 幾代々(いくよよ)は影とうすれて 去(い)にし日の吐息かすけく、 すずろかに燻(く)ゆる命の 夢のみぞ永劫(とは)に往(ゆ)き來(か)ひ、 ささやきぬ、はた嘆かひぬ。 あやしうも光に沈む わが胸のこの壁の面(おも)、 惱ましく鈍(ね)びては見ゆれ、 倦(うん)じたる影の深みを 幻は浮びぞ迷ふ、―― つややかに、今、緑青(ろくしやう)の 牧(まき)の氈(かも)、また紺瑠璃(こんるり)の 彩(あや)も濃き花の甘寢(うまい)よ、 更にわが思ひのたくみ、 われとわが宿世(すぐせ)をしのぶ 醉(ゑひ)ごこち、痴(し)れのまどひか、 眼(ま)のあたり牲(にへ)の仔羊(こひつじ)、 朱(あけ)の斑(ふ)の痛(いたみ)と、はたや 愛欲の甘き疲れの 紫の汚染(しみ)とまじらふ 業(ごふ)のかげ、輪廻(りんね)の千歳(ちとせ)、 束の間に過(す)がひて消ゆれ、 幾たびか憧(あく)がれかはる 肉村(ししむら)の懴悔(ざんげ)の夢に 朽ち入るは梵音(ぼんおん)どよむ 西天(さいてん)の涅槃(ねはん)の教―― 埋(うづも)れしわが追憶(おもひで)や。 わづらへる胸のうつろを 煩惱(ぼんなう)の色こそ通へ、 物なべて化現(けげん)のしるし、 默(もく)の華、寂(じやく)の妙香(めうかう)、 さながらに痕もとどめぬ 空相(くうさう)の摩尼(まに)のまぼろし。 底の底 底の底、夢のふかみを あざれたる泥(ひぢ)の香(か)孕(はら)み、 わが思(おもひ)ふとこそ浮べ。 浮(うきなわ)のおもひは夢の 大淀(おほよど)のおもてにむすび、 ゆららかにゑがく渦の輪。 滯(とどこほ)る銹(さび)の緑に 濃き夢はとろろぎわたり、 呼息(いき)づまるあたりのけはひ。 涯もなく、限も知らぬ しづけさや、――聲さへ朽ちぬ、 あなや、この物うきおそれ。 浮(うきなわ)はめぐりめぐりぬ、 大淀のおもてに鈍(ね)びて たゆまるる渦の輪のかげ。 物うげの夢の深みに 魂の失(う)せゆくひまを、 浮(うきなわ)のおもひは破(や)れぬ。 朽ちにたる聲張りあげて わがおもひ叫ぶとすれど、 空し、ただあざれしにほひ。 涯(はて)もなきこの靜けさや、 めくるめくおそはれごこち、 涯もなき夢のとろろぎ。 灰色 なべてのうへに灰いろの 靄こそ默(もだ)せ、日の終(をはり)、 その灰いろに彩(あや)といふ 彩の喘(あへ)ぎを聞くごとし。 冷たく重き冬の靄、 あな、わびしらや、戀も世も 宴(うたげ)も人もひと色に、 信も迷も身も靈(たま)も。 死の林かとあらはなる 木立(こだち)の枝のふしぶしは 痛みぬ、風に――悔(くい)の音、 執着(しふぢやく)の靄灰色に。 過ぎ去りし日の過ぎもかね、 忘れがてなるわが思(おもひ)、 朧のかげのゆきかひに をののかれぬる冬の靄。 われ迷ふ 迷ひぬ、ふかき「にるばな」に、 たわやの髮は身を捲きぬ、 たゆげの夜(よる)を煩惱(ぼんなう)は 狎(な)れてむつみぬ、「にるばな」に。 壁にゑがける執(しふ)の花―― 閨(ねや)の一室(ひとま)の濃きにほひ、 奇(く)しき花びら、花しべに、 火影(ほかげ)も、嫉(ねた)し、たはれたる。 夢の私語(ささやき)、たわやげる 瑪瑙(めなう)の甘寢(うまい)、「にるばな」よ、 艶も貴(あて)なる敷皮に 嫋(なよ)びしなゆるあえかさや。 愛欲の蔓(つる)まつはれる 窓の夜あけを梵音(ぼんおん)に 祕密の鸚鵡(あうむ)警(いまし)めぬ、―― ああ「にるばな」よ、曉(あけ)の星。 鏡は曇る、薫香(くんかう)に まじる一室(ひとま)の呼息(いき)ごもり、 鏡は晴れぬ、影と影、 覺めし素膚(すはだ)にわれ迷ふ。 穎割葉 日は嘆きわぶ、人知れず、 日は荒れはてし花園に、―― 花の幻、陽炎(かぎろひ)や、 あをじろみたる昨(きそ)のかげ。 日は直泣(ひたな)きぬ、花園に、―― 種子(たね)のみだれの穎割葉(かひわれば)、 またいとほしむ、何草(なにぐさ)の かたみともなき穎割葉。 廢れ荒(すさ)みしただなかに 生(お)ひたつ歌のうすみどり、 ああ、穎割葉(かひわれば)、百(もも)の種子 ひとつにまじる香(か)の雫。 斑葉(いさは)の蔓に罌粟(けし)の花、 醉(ゑひ)のしびれの盞(さかづき)を われから賞(め)でむ忍冬(すひかづら)―― 種子のみだれを、日は嘆く。 沙は燬けぬ 沙(いさご)は燬(や)けぬ、蹠(あなうら)のやや痛きかな、 渚(なぎさ)べの慣れし巖(いは)かげに身を避(よ)けて、 磯草の斑(ふ)に敷皮の黄金(こがね)をおもひ、 いざここに限りなき世の夢を見む。 藍(あゐ)や海原(うなばら)、白銀(しろがね)や風のかがやき、―― 眼路(めぢ)の涯絶えて翳(かげ)らふものもなく、 ひろき潮に浮び來て帆ぞ照りわたる 遠(をち)の船、さながら幸(さち)の盞(さかづき)と。 なべての人も我もまた絶えず愁へて 渚べを美(うま)し醉(ゑひ)ならぬ癡(し)れ惑ひ、 どよもし返す浪の音、海の胸なる 言(こと)の葉(は)に暗き思ひを溺(おぼ)らしぬ。 今日や夢みむ、幽玄(いうげん)の象(すがた)をしばし、 心(うら)やすし、愁ひは私(ひそか)に這ひ出でて、 海知らぬ國、荒山(あらやま)の彼方(かなた)の森に、 人住まぬ眞洞(まほら)覓(もと)めて行きぬらむ。 さもあらばあれ如何(いかが)せむ、心しらへの 益(やく)なさを嘲(あざ)み顏なる薫習(くんじふ)や、 劫初(ごふしよ)の朝の森の香(か)はなほも殘りて 染(し)みぬらし、わが素膚(すはだ)なる肉(ししむら)に。 更にたどれば神の苑(その)、噫(ああ)そこにしも 晶玉(しやうぎよく)は活きていみじく歌ひけめ、 木(こ)の葉囁(ささや)き苔薫(くん)じ、われも和毛(にこげ)の おん惠み、深き日影に臥(こや)しけめ。 なべては壞(くづ)れ亂されき、人と生れて、 爭ひて、海の邊(ほとり)に下り來ぬ、 なべては破(や)れし榮(はえ)の屑、(顧みなせそ) 人は皆ここに劃(かぎ)られ、あくがれぬ。 大和田(おほわだ)の原、天の原、二重(ふたへ)の帷(とばり) 徒(いたづ)らにこの彩(あや)もなき世をつつみ、 風の光の白銀(しろがね)に、潮の藍に、 永劫(えいごふ)は經緯(たてぬき)にこそ織られたれ。―― 幽玄(いうげん)の夢さもあらめ、待つに甲斐なき 現(うつ)し世に救ひの船は通ひ來ず、 (帆は照せども)、身は疲れ、崩れ崩るる 浪頭(なみがしら)、蠱(まじ)の羽とぞ飜る。 虚(うつろ)の靈(たま)は涯知らぬ淵に浮びて、 身はあはれ響動(どよも)す海の渚べに、―― またも此時わが愁、森を出でたる 獸(けもの)かと跫音(あしおと)忍びかへり來ぬ。 海蛆 ひき潮(じほ)ゆるやかに、 見よ、ひきゆくけはひ、 堀江に船もなし、 船人(ふなびと)、船歌も。 濁れる鈍(にび)の水脈(みを) くろずむひき潮(じほ)に、 堀江のわびしらや、 そこれる水脈(みを) 返信 ↓
豹の血(小曲八篇)
智慧の相者は我を見て
心弱くも人を戀ふおもひの空の
雲、
なほ柔かき黒髮の
こを
眼をし閉 れば打續く沙 のはてを
黄昏 に頸垂 れてゆくもののかげ、獸 かととがめたまはめ、
飢ゑてさまよふ
その影ぞ君を遁れてゆける身の一色 の物憂き姿、――香 の渦輪 、彩 の嵐に。
乾ける旅に
よしさらば、
若葉のかげ
薄曇りたる空の日や、日も柔 らぎぬ、
木犀 の若葉の蔭のかけ椅子 に
靠 れてあれば物なべておぼめきわたれ、調 と暢 びらかに。
夢のうちの歌の
浪を
眼を誘ひ、げに
たゆらに浮ぶ幻よ――蒸して匂へる
靈の日の蝕
時ぞともなく暗 うなる生 の
、――四方 のさまもけすさまじ、如何 に我胸の罪の泉を頸 さしのべひた吸ひぬ。
こはいかに、
こはまた
何ものか
わが
唇のいや
聞け、物の音、――飛び過 がふ蝗 の羽音 か、大沼 の底を沸 きのぼる水泡 の水の面 に彈 く響か、
むらむらと
毒の
あるはまた疫 のさやぎ、野の犬の
淫 の宮に叫ぶにか、噫、仰ぎ見よ、
微 かなる心の星や、靈 の日の蝕 。
月しろ
いつもいぶせき
石の階 頽 れ落ち、水際 に寂びぬ、快樂 を誰かまた讃 めむ、佳人 の足 の音 の歌を
沈みたる
かつてたどりし
その石になほ慕ひ寄る水の夢。
花の思ひをさながらの祷 の言葉、
額 づきし面 わのかげの滅 えがてに縁 こそ不思議のちから、
この世ならざる
池のこころに懷かしき
月しろぞ今もをりをり浮びただよふ。
蠱の露
そのささやきを日もすがら
わが君よ、絶間もあらぬ
何の痛みか柔かきこの醉 にしも
占問 ひますな、夢の夢、君がみ苑 に蜉蝣 のかげのかげ。
まさらむや、嘆き思ふは何なると
ありもせば、こは
見おこせたまへ盞 を、げに美 はしき眼 こそ翅 うるめる乙鳥 、
透影 にして浮び添 ひ映り徹 りぬ、
おん
いみじさよ、濁れる酒も今はとて出 づれ、うらうへに、靈 の欲 りする
蠱 の露。――いざ諸共に乾 してあらなむ。
輝き
茉莉花
或日は
われはまた君を
極祕の愁、夢のわな、――君が
痛ましきわがただむきはとらはれぬ。
また或宵は君見えず、生絹 の衣 の
衣 ずれの音のさやさやすずろかに
ただ傳ふのみ、わが心この時裂けつ、
まじれる君が
もとめ來て
寂靜
日は
波に
飽き足らひ
石の
かくてこそ
風にもあらず、浪の音、それにもあらで、
天地 は一つ吐息 のかげに滿ち、
沙 の限り彩 もなく暮れてゆくなり。
たづきなさ――わが魂は埋 れぬ、夜 の海の香 をかぎて、
寂靜 の黒き眞珠 の夢を護らむ。
こゝに朽ちゆく
晝のおもひ
晝の思 の織り出でし紋 のひときれ、
歡樂 の緯 に、苦悶の經 の絲、
縒 れて亂るる條 の色、あるは叫びぬ、醉 ひ痴 れてこそ眩 めけ。
あるはまた
今、夜 の膝、やすらひの燈 の下 に、朧 に危 げに、眠 れる獸 、
倦 める鳥――物の象 の異 やうに。
卷き返し、その織りざまをつくづくと
見れば
身の
夢はゆらぎぬ、柔かき
偶感
寄せては返す浪もなく、ただ平 らかに
和 みたる海にも潮 の滿干 あり、騷 だたぬ常の心を思 は溢れ、また沈む。
げにその如く
朝夕に
秋のこころ
野の原に、
秋の日は、清げの尼のおこなひや、
懴悔の
きらびやかなる
過ぎし日の
垂れて音なき
ときめきし胸の
搖めきぬとぞ見るひまを聲は
ひとつらに長き
雲の
落葉の
その
亂れを痛みさめざめと
大河
ゆるやかにただ事もなく流れゆく
大河 の水の薄濁り――邃 き思ひを塵 に同 じて惑 はざる鈍 しや、われら
面澁 る唖 の羊 の輩 は歩 く。力 足 り、法 を布 く流を見れば、
經藏 の螺鈿 の凾 の蓋 をとり、
悲願 の手もて智慧 の日の影にひもどく
卷々 の祕密の文字の飜 れ散る、――下 、河の面 の
紺青 に黄金 の光燦 めくよ、汚 れたる身も世も薫 れ、癡 れがましさや、醜草 の眩 き、あさり食 みぬる
貪 の心を悔いてうち喘 ぎ、河水 の柔かきかな、
母 の乳 、甘くふくめる悲みは
醉 のここちにいつとなく沁 み入りにけり。
源 は遠き苦行 の山を出で、
平等海 にそそぎゆく久遠 の姿、流 には無我 の渦、思議 の外 なる
深海 の眞珠をさぐる船の帆ぞ智 なき身にもひらくる
心眼 の華 のしまらくかがやきて、大河 の胸に。
夢みつつ
智識のすがたこれなめり、
堤の上をとみかうみわづらひ
しかすがに聲なき聲の
眞晝かがよふ
げに晴れ渡る空の
かかる折こそ
時さらず、
毒になやみて
深くも吸へる
たゆみなく、音なく移る
解けては結ぶ
今照りわたる、――
さてこそ沈め、靜かなる
甕の水
このゆふべ、
甕の水、
惜しげなき
音鈍 し、水はあへなく、溝 に這ひ寄り、
呟 やける「夢」のくちばみ。
あざれたる
音鈍し、
水甕の濁き底濁り、
去ねよ、わが――
いやはての甕の雫に、
耀きぬ、――
わがこころかくて驚く。
「戀」なりや、雫の珠は、
げに清し、ふるびぬにほひ、
「戀」なりや、
珠は、あな、闇きに沈む。
空しかる甕を
あやなくもこころぞ渇く。
朱のまだら
日射しの
並 みたち樹蔭路 。
緑ぞここちよき。
あやしや
よろこび
彼方 を、
虚空 を夏の雲。
あふるる、それか、君、
あかしや
耀 く雲の色。
枝さすひまびまを
まろがり
君、われ、
二人が樹蔭路、
緑の
匂ひここちよき。
あふぎて、あかしやの
葉は皆
たゆげに
さゆらぐ朱 の斑 、
日影の
ふとこそ
みだるれわが思。
君はも澪 入りや、杙 。
白帆の
わが身に
あだなる戀の
あふぎて
いづくへ
君ゆく、あな、うたて。
思ひに
みだるる時の間を
夏雲
重げに崩れぬる
緑か、
樹 かげに汚染 。
朱か、君、あかしやの
あやしき胸の
坂路
並樹の落葉熱き日に燒けて乾きて、時ならで
痛み衰へ、たゆらかに梢離れて散り敷きぬ。
落葉を見れば、
また折々は風の
燒け
燃ゆる死滅の灰を揚ぐ、
心
夢の
搖られながらに
身も魂も
惱盡きせぬなだら坂、路こそあらめ
不安
人は今地に俯してためらひゆけり、
疎 ましや、頸垂 るる影を、軟風
掻撫 づるひと吹 に、桑の葉おもふ
蠶 かと、人は皆頭 もたげぬ。
我しらず
常に飢ゑ、
物の慾、重たげにひきまとひぬる。
地は荒れて、見よ、ここに「饑饉 」の足穗 、誰 が利鎌 の富と噫 、さもあれや、
畏 るるはそれならで天 のおとづれ。
うつぶせる「人」を
世の秋に刈り入るる、
たまさかに仰ぎ見る空の光の
樂 の海、浮ぶ日の影のまばゆさ、
戰 ける身はかくて信 なき瞳憧 れまどふ。
射ぬかれて、更にまた
人は皆いぶせくも
安からぬわが
失ひし翼をば何處 に得べき、靈 は痛ましき夢になぐさむ、肉 の香 に。
あくがるる甲斐もなきこの世のさだめ、
わが
わが靈は、あな、朽つる
絶望
艶も
夢映すわが心、鏡に似てし
在るがまま、便 きなき、在るを忍びて、
文 もなし、曲もなし、唯あらはなり、
臥房 なき人の生 や裸形 の「痛み」、涸 れて。
さあれ身に惱みなし、涙も
悦びを、などかまた照らし出づべき。
悲みの
土の
さりげなき
貝の殼、
あるは藍、あるは
皆ここに
匂ひなし、この
日は
燈火
人の世はいつしか
香 に滿ちし世も、今、
たそがれぬ、花さき
たそがれぬ靜かに。
夢の影、裾ひく
薄靄の眼のうち
あなうつろなるさま。
人の世の燈火 、樹 の間を、美鳥 。
ほのぐらき
わびしらに嘆くか、
燈火の
母の鳥――天 なる
日のゆくへ慕ひて
泣きいさち嘆かふ
聲のうらがなしさ。
燈火のうま鳥、細音 に念 の
珠 をこそ聞け、今。
うらぶれの
かずかずの
はた色もひとつの
音に添ひぬ、燈火
遠ながき笛の
草びら
あな、夕まぐれ、
朽ちはつる草びらや、
草びらは唯わびしらに。
この夕、雲明 き空には夏の榮 もあれ、寢所 。
あな、
薄ぐらき物かげを
草びらは終りの
あな、
草びらは靜かに
向日葵は蘂の粉の黄金の雨の壞 れゆく
あな、涙もて
朽ちはてて
草びらの胸を掩ひぬ。
孤寂
たゆまるる椶櫚のはたはた、
さもこそあらめ、
孤獨なる
胸に籠めたる
そをだに
物皆かげに搖めきて暗うなる間を
見よ、
ここにては、噫、晝の
捲きかへるこころの
幹を傳ひてほろほろと根にぞこぼるる。
この時
潮滿ちに、
ひびわれむばかりや。
風は和 ぎ、深海 、
天津日 は
浪は伏す
輝きぬ、まどかに。
いづこをか
徐 に、彼方 へ。
もとめゆく、この時、
船の帆よ、
生もはた
死の如し、この時。
あまりにも海原 、
足らひたり、
靜けさは
嵐にも似たりや。
うるほひて、日の
暈の
あらぬ海、なじかは……
素胎には不祥 の
兒 や生 るる、――滅 ゆ。
あらぬ海、
虹の色かつ
幸か船、判 たね、
帆じるしは
いづこをか
もとめゆく、この時。
音もなし
光のとばりぎぬ
皐月 の空のもと。
ゆららに風わたる。
まひろく、はた青き
いのちの一雫
階 、かぎろひを
めぐみぬ、わが胸の
きざめるそのほとり。
めぐみぬ、花さきぬ、
耀 よふ玉の苑 、
かすかに花くんじ、
かすかにくづれゆく。
うつりて、
垂れ曳く
さもあれ戀の、嗚呼 、魂 は
みなしご――わが
いのちの花かげに
痛みて聲もなし。
夏の歌
薄ぐもる夏の日なかは念 にうるみ眼 ざし、
愛欲の
底もゆるをみなの
むかひゐてこころぞ惱む。
何事の起るともなく、
執 ふかきちからは、やをら、
何ものかひそめるけはひ、
重き世をまろがし移す。
窓の外 につづく草土手、
きりぎりす氣まぐれに鳴き、
それも今、はたと聲絶え、
薄ぐもる日は蒸し淀む。
ややありて茅 が根を疾 く
青蜥蜴 走りすがへば、
ほろほろに乾ける土は
ひとしきり崖をすべりぬ。
なまぐさきにほひは、池の
上 ぬるむ面 よりわたり、
山梔 の花は墜 ちたり、――
朽ちてゆく「時」のなきがら。
何事の起るともなく、
眼 のあたり融けてこそゆけ
何ものかひそめるけはひ、
夏の雲、――空は汗ばむ。
秋の歌
柔らかき苔に嘆かふ精舍 のさかひ。
石だたみ、今眞ひるどき、
たもとほる清らの秋や、
しめやげる
並び立つ樅 の高樹 は、
鈍 びくゆる紫ごろも、
合掌 の姿をまねぶ。
智識めく影のふかみに
しめやげる精舍のさかひ、――愁 のしづく。
石だたみ音もかすかに
飜る落葉は、夢に
すすり泣く
かぎりなき秋のにほひや、
白蝋 のほそき焔 と靡 かひ、
わがこころ、今し、
ふと花の色にゆらめく。
花の色――芙蓉 の萎 へ、眉目 の沈默 を。
寂 の露しみらに薫 ず、
衰への
かにかくに薄きまぼろし。
しめやげる精舍に秋は滅 え入るけはひ、燦 めく
金色 のみ龕 の光。
しのび入り
ほの暗きかげに
苦惱
傳へ聞く彼 の切支丹 、古 の惱 もかくや――黄昏 、密室 の戸は鎖 しもせめ、
戰 ける想 の奧に「我」ありて伏して沈めば、
魂 は光うすれて塵と灰「心」を塞 ぐ。
懼 しき「疑 」は、噫 、自 の身にこそ宿れ、
他 し人責めも來なくに空しかる影の戲 わざ、畏怖 」の黨 群 れ寄せて我を圍むか。
脅 す假 裝 ひに松明 の焔 つづきぬ。
聖 麻利亞 、かくも弱 かる罪人 に信 の潮 の
甦 り、かつめぐり來て、「肉 」の渚 にあふれ、
俯伏 に干潟 をわぶる貝の葉の空虚 の我も
敷浪 の法喜 傳へて御惠 に何日かは遇 はむ。
性欲 」の里正 は窺 ひ寄りて、
禁制 の外法 の者と執 ねくも罵 り逼 り、強 ひに蹈繪 の型を蹈 めよとぞ、あな淺ましや、磔 にも架 けね』と。
硫黄 沸 く煙 に咽び、われとわが座より轉 びて、
死 せて又生くと思ひぬ、――夢なりき、夜 の神壇、點 して念ず、假名文 の御經 の祕密。
啓示 の聲の耀 き、――
信 のみぞ其 證人 、罪深き内心ながら讃頌 の聲朗かに、果 て、『汝 を恕 す』と宣 はむその一言 を。
影深き胸の
こは何ぞ、「
さもあれや、わが「
ひた
我ならで叫びぬ、『神よ此身をば
火の山の地獄の谷をさながらの苦惱に疲れ、
蝋の火を
待たるるは高き洩るる
われは待つ、天主の姫が
事
癡夢
うち
そが上に垂れぬる
これを見る見惚 けに心惑 ひて、噫 、請 ずる一室 なるらむ、願 を、望を、さては
客人 を思ひも出でず、この宵。
誰を、
われとわが
その
燃えすわる夜すがら、われは
忍び寄る影あり、
わが脈の
長き夜を盲 の「嘆 」かすかに花文 の氈 をゆすりて、
呼息 づかひ喘 げば盛りし燭 の
火影 さへ、益 なや、しめり靡 きぬ。
今もなほ
この
音なふや、
滅の香
やはらかき寂 びに輝く面 、わが追憶 の
靈 の宮、榮 に飽きたる
箔 おきも褪 せてはここに
金粉 の塵 に音なき
滅 の香 や、執 のにほひや、
幾代々 は影とうすれて
去 にし日の吐息かすけく、燻 ゆる命の永劫 に往 き來 ひ、面 、鈍 びては見ゆれ、
倦 じたる影の深みを緑青 の
牧 の氈 、また紺瑠璃 の
彩 も濃き花の甘寢 よ、宿世 をしのぶ
醉 ごこち、痴 れのまどひか、
眼 のあたり牲 の仔羊 、
朱 の斑 の痛 と、はたや汚染 とまじらふ
業 のかげ、輪廻 の千歳 、過 がひて消ゆれ、憧 がれかはる
肉村 の懴悔 の夢に梵音 どよむ
西天 の涅槃 の教――
埋 れしわが追憶 や。
煩惱 の色こそ通へ、化現 のしるし、
默 の華、寂 の妙香 、
空相 の摩尼 のまぼろし。
壁の
すずろかに
夢のみぞ
ささやきぬ、はた嘆かひぬ。
あやしうも光に沈む
わが胸のこの壁の
惱ましく
幻は浮びぞ迷ふ、――
つややかに、今、
更にわが思ひのたくみ、
われとわが
愛欲の甘き疲れの
紫の
束の間に
幾たびか
朽ち入るは
わづらへる胸のうつろを
物なべて
さながらに痕もとどめぬ
底の底
底の底、夢のふかみを泥 の香 孕 み、思 ふとこそ浮べ。
あざれたる
わが
ゆららかにゑがく渦の輪。
濃き夢はとろろぎわたり、
涯もなく、限も知らぬ
しづけさや、――聲さへ朽ちぬ、
あなや、この物うきおそれ。
大淀のおもてに
たゆまるる渦の輪のかげ。
物うげの夢の深みに失 せゆくひまを、
浮
のおもひは破 れぬ。
魂の
朽ちにたる聲張りあげて
わがおもひ叫ぶとすれど、
空し、ただあざれしにほひ。
めくるめくおそはれごこち、
涯もなき夢のとろろぎ。
灰色
なべてのうへに灰いろの默 せ、日の終 、彩 といふ喘 ぎを聞くごとし。
靄こそ
その灰いろに
彩の
冷たく重き冬の靄、
宴 も人もひと色に、靈 も。
あな、わびしらや、戀も世も
信も迷も身も
死の林かとあらはなる
木立 の枝のふしぶしは悔 の音、
執着 の靄灰色に。
痛みぬ、風に――
過ぎ去りし日の過ぎもかね、思 、
忘れがてなるわが
朧のかげのゆきかひに
をののかれぬる冬の靄。
われ迷ふ
迷ひぬ、ふかき「にるばな」に、夜 を煩惱 は
狎 れてむつみぬ、「にるばな」に。
たわやの髮は身を捲きぬ、
たゆげの
壁にゑがける執 の花――
閨 の一室 の濃きにほひ、
奇 しき花びら、花しべに、
火影 も、嫉 し、たはれたる。
夢の私語 、たわやげる
瑪瑙 の甘寢 、「にるばな」よ、貴 なる敷皮に
嫋 びしなゆるあえかさや。
艶も
愛欲の蔓 まつはれる梵音 に鸚鵡 警 めぬ、――曉 の星。
窓の夜あけを
祕密の
ああ「にるばな」よ、
鏡は曇る、薫香 に一室 の呼息 ごもり、素膚 にわれ迷ふ。
まじる
鏡は晴れぬ、影と影、
覺めし
穎割葉
日は嘆きわぶ、人知れず、陽炎 や、昨 のかげ。
日は荒れはてし花園に、――
花の幻、
あをじろみたる
日は直泣 きぬ、花園に、――
種子 のみだれの穎割葉 、何草 の
またいとほしむ、
かたみともなき穎割葉。
廢れ荒 みしただなかに
生 ひたつ歌のうすみどり、穎割葉 、百 の種子香 の雫。
ああ、
ひとつにまじる
われから
種子のみだれを、日は嘆く。
沙は燬けぬ
磯草の
いざここに限りなき世の夢を見む。
ひろき潮に浮び來て帆ぞ照りわたる
なべての人も我もまた絶えず愁へて美 し醉 ならぬ癡 れ惑ひ、
言 の葉 に暗き思ひを溺 らしぬ。
渚べを
どよもし返す浪の音、海の胸なる
今日や夢みむ、幽玄 の象 をしばし、
心 やすし、愁ひは私 に這ひ出でて、荒山 の彼方 の森に、眞洞 覓 めて行きぬらむ。
海知らぬ國、
人住まぬ
さもあらばあれ如何 せむ、心しらへの
益 なさを嘲 み顏なる薫習 や、
劫初 の朝の森の香 はなほも殘りて
染 みぬらし、わが素膚 なる肉 に。
更にたどれば神の苑 、噫 そこにしも
晶玉 は活きていみじく歌ひけめ、
木 の葉囁 き苔薫 じ、われも和毛 の臥 しけめ。
おん惠み、深き日影に
なべては壞 れ亂されき、人と生れて、邊 に下り來ぬ、破 れし榮 の屑、(顧みなせそ)劃 られ、あくがれぬ。
爭ひて、海の
なべては
人は皆ここに
風の光の
(帆は照せども)、身は疲れ、崩れ崩るる
身はあはれ
またも此時わが愁、森を出でたる
海蛆
ひき潮 ゆるやかに、
船人 、船歌も。
見よ、ひきゆくけはひ、
堀江に船もなし、
濁れる鈍 の水脈 潮 に、水脈
くろずむひき
堀江のわびしらや、
そこれる