われ迷ふ(蒲原有明)

迷ひぬ、ふかき「にるばな」に、
たわやの髮は身を捲きぬ、
たゆげのよる煩惱ぼんなう
れてむつみぬ、「にるばな」に。

壁にゑがけるしふの花――
ねや一室ひとまの濃きにほひ、
しき花びら、花しべに、
火影ほかげも、ねたし、たはれたる。

夢の私語ささやき、たわやげる
瑪瑙めなう甘寢うまい、「にるばな」よ、
艶もあてなる敷皮に
なよびしなゆるあえかさや。

愛欲のつるまつはれる
窓の夜あけを梵音ぼんおん
祕密の鸚鵡あうむいましめぬ、――
ああ「にるばな」よ、あけの星。

鏡は曇る、薫香くんかう
まじる一室ひとま呼息いきごもり、
鏡は晴れぬ、影と影、
覺めし素膚すはだにわれ迷ふ。

われ迷ふ(蒲原有明)」への2件のフィードバック

  1. phrh205455 投稿作成者

    豹の血(小曲八篇)

    智慧の相者は我を見て

    智慧ちゑ相者さうじやは我を見て今日けふかたらく、
    眉目まみぞこはさがしく日曇ひなぐもる、
    心弱くも人を戀ふおもひの空の
    雲、疾風はやちおそはぬさきにのがれよと。

    ああのがれよと、たをやげる君がほとりを、
    緑牧みどりまき草野くさのの原のうねりより
    なほ柔かき黒髮のわがねの波を、――
    こを如何いかに君は聞ききたまふらむ。

    眼をしとづれば打續くいさごのはてを
    黄昏たそがれ頸垂うなだれてゆくもののかげ、
    飢ゑてさまよふけものかととがめたまはめ、

    その影ぞ君を遁れてゆける身の
    乾ける旅に一色ひといろの物憂き姿、――
    よしさらば、にほひ渦輪うづわあやの嵐に。

    若葉のかげ

    薄曇りたる空の日や、日もやはらぎぬ、
    木犀もくせいの若葉の蔭のかけ椅子いす
    もたれてあれば物なべておぼめきわたれ、
    夢のうちの歌の調しらべびらかに。

    ひとりかここに我はしも、ひとりか胸の
    浪をふ――常世とこよの島の島が根に
    つばさやすめむ海の鳥、遠き潮路の
    浪枕なみまくらうつらうつらの我ならむ。

    なかばひらけるわが心、半閉ぢたる
    眼を誘ひ、げに初夏はつなつ芍藥しやくやくの、
    薔薇さうびの、罌粟けしうまし花舞ひてぞ過ぐる、

    えんだちてしなゆる色の連彈つれびき
    たゆらに浮ぶ幻よ――蒸して匂へる
    ずゐの星、こは戀の花、吉祥きちじやうの君。

    靈の日の蝕

    時ぞともなくくらうなるいのち※(「戸の旧字+炯のつくり」、第3水準1-84-68)とぼそ、――
    こはいかに、四方あたりのさまもけすさまじ、
    こはまた如何いかに我胸の罪の泉を
    何ものかうなじさしのべひた吸ひぬ。

    しと匂へる花瓣はなびらあだしぼみて、
    しきえてちたりおのづから
    わが掌底たなぞこに、生温なまぬるきそのをかげば
    唇のいやふまじき渇きかな。

    聞け、物の音、――飛びがふいなご羽音はおとか、
    むらむらと大沼おほぬの底をきのぼる
    毒の水泡みなわの水のはじく響か、

    あるはまたえやみのさやぎ、野の犬の
    たはれの宮に叫ぶにか、噫、仰ぎ見よ、
    かすかなる心の星や、たまの日のしよく

    月しろ

    よどみ流れぬわが胸にうれひ惱みの
    浮藻うきもこそひろごりわたれくろずみて、
    いつもいぶせき黄昏たそがれの影をやどせる
    池水いけみづに映るは暗き古宮ふるみやか。

    石のきざはしくづれ落ち、水際みぎはに寂びぬ、
    沈みたる快樂けらくを誰かまためむ、
    かつてたどりし佳人よきひとの歌を
    その石になほ慕ひ寄る水の夢。

    花の思ひをさながらのいのりの言葉、
    ぬかづきしおもわのかげのえがてに
    この世ならざるえにしこそ不思議のちから、

    追憶おもひでの遠き昔のみ空より
    池のこころに懷かしき名殘なごりの光、
    月しろぞ今もをりをり浮びただよふ。

    蠱の露

    文目あやめもわかぬよるむろに濃き愁ひもて
    みにたる酒にしあれば、唇に
    そのささやきを日もすがらあぢはひ知りぬ、
    わが君よ、絶間もあらぬ誄辭しぬびごと

    何の痛みか柔かきこのゑひにしも
    まさらむや、嘆き思ふは何なると
    占問うらどひますな、夢の夢、君がみその
    ありもせば、こは蜉蝣かげろふのかげのかげ。

    見おこせたまへさかづきを、げにうるはしき
    おんこそつばさうるめる乙鳥つばくらめ
    透影すいかげにして浮びひ映りとほりぬ、

    いみじさよ、濁れる酒も今はとて
    輝きづれ、うらうへに、たまりする
    まじの露。――いざ諸共にしてあらなむ。

    茉莉花

    むせび嘆かふわが胸の曇り物憂き
    しやとばりしなめきかかげ、かがやかに、
    或日はうつる君がおもこびの野にさく
    阿芙蓉あふようなまめけるその匂ひ。

    たまをもらす私語ささめきに誘はれつつも、
    われはまた君をいだきて泣くなめり、
    極祕の愁、夢のわな、――君がかひなに、
    痛ましきわがただむきはとらはれぬ。

    また或宵は君見えず、生絹すずしきぬ
    きぬずれの音のさやさやすずろかに
    ただ傳ふのみ、わが心この時裂けつ、

    茉莉花まつりくわよる一室ひとまのかげに
    まじれる君が微笑ほほゑみはわが身のきず
    もとめ來てみてかをりぬ、あてにしみらに。

    寂靜

    えて落ちたるこのみかと、ああよ、空に
    日はゆらぎ、濃くもあざれし光明くわうみやう
    あへぎ黄ばみていりうみの中にしたたり、
    波にけ、波はむせびぬたゆたげに。

    磯回いそわのすゑの圓石まろいしはかくれてぞ吸ふ、
    飽き足らひ耀かがやめる夕潮ゆふじほを、
    石のひたへは物うげの瑪瑙めなうのおもひ、
    かくてこそ暫時しばしを深く照らしぬれ。

    風にもあらず、浪の音、それにもあらで、
    天地あめつちは一つ吐息といきのかげに滿ち、
    いさごの限りあやもなく暮れてゆくなり。

    たづきなさ――わが魂はうづもれぬ、
    こゝに朽ちゆくよるの海のにほひをかぎて、
    寂靜じやくじやうの黒き眞珠またまの夢を護らむ。

    晝のおもひ

    晝のおもひの織り出でしあやのひときれ、
    歡樂くわんらくぬきに、苦悶のたての絲、
    れて亂るるすぢの色、あるは叫びぬ、
    あるはまたれてこそめくるめけ。

    今、よるの膝、やすらひのともしもとに、
    卷き返し、その織りざまをつくづくと
    見ればおぼろあやふげに、ねぶれるけもの
    める鳥――物のかたちことやうに。

    ちて縫はさむかこのきれを、うたげのをりの
    身のかざり、ふさはじそれも、つひの日の
    棺衣かけぎぬれう、それもはた物狂ほしや。

    せいにはあはれ死のころも、死にはよせい
    ※(「火+(麈-鹿)」、第3水準1-87-40)そらだきの匂ひをとめて、うつつなく、
    夢はゆらぎぬ、柔かき火影ほかげの波に。

    偶感

    寄せては返す浪もなく、ただたひらかに
    なごみたる海にもしほ滿干みちひあり、
    げにその如くさわだたぬ常の心を
    朝夕におもひは溢れ、また沈む。

    秋のこころ

    きばみゆく木草きぐさの薫り淡々あはあは
    野の原に、みづにただよひわたる
    秋の日は、清げの尼のおこなひや、
    懴悔のだんかうしんの心の
    香木かうぼくずゐあぶら※(「火+(麈-鹿)」、第3水準1-87-40)ゆし、
    きらびやかなる打敷うちしきは夢の解衣ときぎ
    過ぎし日の被衣かつぎ遺物かたみ、――靜やかに
    垂れて音なきぬひの花、またひだごとに、
    ときめきし胸の名殘なごりの波のかげ、
    搖めきぬとぞ見るひまを聲は直泣ひたなく――
    看經かんぎんの、ああ、秋の聲、歡樂と
    くい念珠ねんじゆと幻と、いづれをわかず、
    ひとつらに長きうらみの節細く、
    雲のかげりにあともなくえてはゆけど、
    きはみなき輪廻りんねごふのわづらひは
    落葉のもとに、草の根に、潜みも入るや、――
    そのゆふべ、愁の雨は梵行ぼんぎやう
    亂れを痛みさめざめとしじにそそぎぬ。

    大河

    ゆるやかにただ事もなく流れゆく
    大河たいがの水の薄濁り――ふかき思ひを
    夢みつつちりどうじてまどはざる
    智識のすがたこれなめり、おぞしや、われら
    面澁おもしぶおしひつじともがら
    堤の上をとみかうみわづらひありく。
    しかすがに聲なき聲のちからり、
    眞晝かがよふのりく流を見れば、
    經藏きやうざう螺鈿らでんはこふたをとり、
    悲願ひぐわんの手もて智慧ちゑの日の影にひもどく
    卷々まきまきの祕密の文字のこぼれ散る、――
    げに晴れ渡る空のもと、河のおもて
    紺青こんじやう黄金こがねの光きらめくよ、
    かかる折こそけがれたる身も世もかをれ、
    時さらず、れがましさや、醜草しこぐさ
    毒になやみてめくるめき、あさりみぬる
    むさぼりの心を悔いてうちあへぎ、
    深くも吸へる河水かはみづの柔かきかな、
    おもちち、甘くふくめる悲みは
    ゑひのここちにいつとなくみ入りにけり。
    みなもとは遠き苦行くぎやうの山を出で、
    平等海びやうどうかいにそそぎゆく久遠くをんの姿、
    たゆみなく、音なく移るながれには
    解けては結ぶ無我むがの渦、思議しぎほかなる
    深海ふかうみの眞珠をさぐる船の帆ぞ
    今照りわたる、――さとりなき身にもひらくる
    心眼しんがんはなのしまらくかがやきて、
    さてこそ沈め、靜かなる大河たいがの胸に。

    甕の水

    かめの水濁りて古し、
    このゆふべ、くつがへしぬる、
    甕の水、
    惜しげなきはやりごころに。

    にぶし、水はあへなく、
    あざれたるみぞに這ひ寄り、
    音鈍し、
    つぶやける「夢」のくちばみ。

    ねよ、わが古きは去ねよ、
    水甕の濁き底濁り、
    去ねよ、わが――
    ああ、なべてをどめるおもひ。

    耀かがやきぬ雲の夕映ゆふばえ
    いやはての甕の雫に、
    耀きぬ、――
    わがこころかくて驚く。

    「戀」なりや、雫の珠は、
    げに清し、ふるびぬにほひ、
    「戀」なりや、
    珠は、あな、闇きに沈む。

    となりき、嘆くも果敢はかな、
    空しかる甕をいだきて、
    となりき、
    あやなくもこころぞ渇く。

    朱のまだら

    日射しの
    緑ぞここちよき。
    あやしや
    みたち樹蔭路こかげみち

    よろこび
    あふるる、それか、君、
    彼方かなたを、
    虚空こくうを夏の雲。

    あかしや
    枝さすひまびまを
    まろがり
    耀かがやく雲の色。

    君、われ、
    二人が樹蔭路、
    緑の
    匂ひここちよき。

    軟風なよかぜ
    あふぎて、あかしやの
    葉は皆
    たゆげにひるがへり、

    さゆらぐ
    日影のしゆまだら
    ふとこそ
    みだるれわが思。

    君はも
    白帆のみを入りや、
    わが身に
    あだなる戀のかし

    軟風なよかぜ
    あふぎてみをれぬ、
    いづくへ
    君ゆく、あな、うたて。

    思ひに
    みだるる時の間を
    夏雲
    重げに崩れぬる

    緑か、
    朱か、君、あかしやの
    かげに
    あやしき胸の汚染しみ

    坂路

    あへぎてのぼるなだら坂――わが世の坂の中路なかみちや、
    並樹の落葉熱き日に燒けて乾きて、時ならで
    痛み衰へ、たゆらかに梢離れて散り敷きぬ。

    落葉を見れば、片焦かたこげて※(「金+肅」、第3水準1-93-39)び赤らめるそのおもて
    はしに殘れる緑にも蟲づき病めるきずあと
    黒斑くろふひずみていたましく鮮明あざやかにこそされたれ。

    また折々は風の呼息いき、吹くとしもなく辻卷つじまきて、
    燒けただれたる路の砂、なやみからの葉とともに、
    燃ゆる死滅の灰を揚ぐ、ああ、わりなげの悲苦ひく遊戲ゆげ

    一群ひとむら毎に埃がちいこふに堪へぬ惡草あくさう
    かわきをとめぬ鹽海しほうみの水にも似たり。ひとむきに
    られてのぼりゆく路はなだらに盡きもせず。

    夢のしなへの逸樂いつらくは、今、貴人あてびとの車にぞ
    搖られながらにねぶりゆく、その車なる紋章は
    うんくるめくわがにも由緒よしありげなる謎の花。

    身も魂もくづをれぬ、いでこのままに常闇とこやみ
    餌食ゑじきとならばなかなかに心安かるこの日かな、
    惱盡きせぬなだら坂、路こそあらめはてもなし。

    不安

    人は今地に俯してためらひゆけり、
    うとましや、頸垂うなだるる影を、軟風なよかぜ
    掻撫かいなづるひとふきに、桑の葉おもふ
    かひこかと、人は皆かうべもたげぬ。

    何處いづこより風は落つ、身もをののかれ、
    我しらずおもかへし空を仰げば、
    常に飢ゑ、※(「厭/(餮-殄)」、第4水準2-92-73)きがたき心の惱み、
    物の慾、重たげにひきまとひぬる。

    地は荒れて、見よ、ここに「饑饉ききん」の足穗たりほ
    うつぶせる「人」を利鎌とがまの富と
    世の秋に刈り入るる、ああ、さもあれや、
    おそるるはそれならであめのおとづれ。

    たまさかに仰ぎ見る空の光の
    がくの海、浮ぶ日の影のまばゆさ、
    をののける身はかくてしんなき瞳
    射ぬかれて、更にまたあくがれまどふ。

    何處いづこへか吹きわたりにける風ぞ、
    人は皆いぶせくもおもてを伏せて、
    めしひたるうをかとぞあへげる中を
    安からぬわがおもひ、思をみぬ。

    失ひし翼をば何處いづくに得べき、
    あくがるる甲斐もなきこの世のさだめ、
    わがたまは痛ましき夢になぐさむ、
    わが靈は、あな、朽つるししむらに。

    絶望

    うつつこそしらけたれ、香油にほひあぶら
    艶もせ、物なべてほほけて立てば、
    夢映すわが心、鏡に似てし
    さがさへも、うつけたる空虚うつろに病みぬ。

    在るがまま、便たづきなき、在るを忍びて、
    あやもなし、曲もなし、唯あらはなり、
    臥房ふしどなき人の裸形らぎやうの「痛み」、
    さあれ身に惱みなし、涙もれて。

    追想おもひでよ、ここにして追想ならじ、
    燈火ともしびえにたる過去の火盞ほざら
    すすびたり、そのかみの物はかなさを、
    悦びを、などかまた照らし出づべき。

    のあたり佗しげのこみちくづれ、
    悲みのあまそそぎ洗ひさらして、
    土のはだすさめるを、まひろき空は、
    さりげなき無情つれなさに晴れ渡りぬる。

    狼尾草ちからしばここかしこ、光射かへす。
    貝の殼、すゑものの小瓶をがめの碎け――
    あるは藍、あるはに描ける花の
    幾片いくひらは、朽ちもせで、路のほとりに。

    たまゆる海の色、うたげのゑまひ、
    皆ここにあだの名や、噫、望なし、
    匂ひなし、このうつつわれをとらへて、
    日はをりの外よりぞむごくも臨む。

    燈火

    人の世はいつしか
    たそがれぬ、花さき
    に滿ちし世も、今、
    たそがれぬ靜かに。

    えがてに、見はてぬ
    夢の影、裾ひく
    薄靄の眼のうち
    あなうつろなるさま。

    人の世の燈火ともしび
    ほのぐらきの間を、
    わびしらに嘆くか、
    燈火の美鳥うまどり

    母の鳥――あめなる
    日のゆくへ慕ひて
    泣きいさち嘆かふ
    聲のうらがなしさ。

    燈火のうま鳥、
    うらぶれの細音ほそね
    かずかずのおもひ
    たまをこそ聞け、今。

    やみちぬ、にほひも
    はた色もひとつの
    音に添ひぬ、燈火
    遠ながき笛の……

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  2. phrh205455 投稿作成者

    草びら

    向日葵ひぐるまずゐの粉の黄金こがねにまみれ、
     あな、夕まぐれ、
    朽ちはつる草びらや、
    草びらは唯わびしらに。

    この夕、雲あかき空には夏の
     あな、はえもあれ、
    薄ぐらき物かげを
    草びらは終りの寢所ふしど

    誓願せいぐわん向日葵ひぐるまに――菩提ぼだいの東、
     あな、涅槃ねはんの西、
    宿縁しゆくえんは草びらに、
    草びらは靜かにもだす。

    向日葵は蘂の粉の黄金の雨の
     あな、涙もて
    朽ちはててくづれゆく
    草びらの胸を掩ひぬ。

    孤寂

    椶櫚しゆろの葉音に暮れてゆく夏の夕暮、
     たゆまるる椶櫚のはたはた、
    裂葉さけばよ、あはれ莖長く葉末は折れてふるへ、
    あめに捧げしたなごころ、――絶入ぜつじゆもだえ。

    さもこそあらめ、淨念じやうねん信士しんしその人、
     孤獨なる祈誓きせいあへぎ、
    胸に籠めたるまぼろしを雲に痛みて、地のほめき――
    そをだにかうゆるかと頼めるけはひ。

    おほいなるかなそらの宵、あめの廣葉は
     まどかにて、呼息いきざし深く、
    物皆かげに搖めきて暗うなる間を明星みやうじやうや、
    見よ、永劫とことはいづその、光のにほひ。

    ここにては、噫、晝のなみよるうしほ
     捲きかへるこころのからさ、
    しんの涙か、憧憬あくがれの孤寂の闇の椶櫚しゆろの花
    幹を傳ひてほろほろと根にぞこぼるる。

    この時

    紺瑠璃こんるり
    潮滿ちに、なぎさ
    ふちさへも
    ひびわれむばかりや。

    風はぎ、
    浪は伏す深海ふかうみ
    天津日あまつひ
    輝きぬ、まどかに。

    いづこをか
    もとめゆく、この時、
    船の帆よ、
    おもむろに、彼方かなたへ。

    さちか、船、
    帆章ほじるしわかたね、――
    生もはた
    死の如し、この時。

    あまりにも
    足らひたり、海原うなばら
    靜けさは
    嵐にも似たりや。

    天津日あまつひ
    うるほひて、日のかさ
    暈の
    にじもこそあやなせ。

    紺瑠璃こんるり
    しほみて浸しぬ、
    素胎すばらには
    あらぬ海、なじかは……

    素胎には
    あらぬ海、不祥ふじやう
    るる、――
    虹の色かつゆ。

    幸か船、
    帆じるしはわかたね、
    いづこをか
    もとめゆく、この時。

    音もなし

    光のとばりぎぬ
    ゆららに風わたる。
    まひろく、はた青き
    皐月さつきの空のもと。

    いのちの一雫ひとしづく
    めぐみぬ、わが胸の
    きざはし、かぎろひを
    きざめるそのほとり。

    めぐみぬ、花さきぬ、
    耀かがよふ玉のその
    かすかに花くんじ、
    かすかにくづれゆく。

    ※(「日/咎」、第3水準1-85-32)ひかげはゆるやかに
    うつりて、きざはし
    垂れ曳くたけの髮、
    ※(「日/咎」、第3水準1-85-32)ひかげぞ夢みぬる。

    さもあれ戀の、嗚呼ああ
    みなしご――わがたま
    いのちの花かげに
    痛みて聲もなし。

    夏の歌

    薄ぐもる夏の日なかは
    愛欲のおもひにうるみ
    底もゆるをみなのざし、
    むかひゐてこころぞ惱む。

    何事の起るともなく、
    何ものかひそめるけはひ、
    しふふかきちからは、やをら、
    重き世をまろがし移す。

    窓のにつづく草土手、
    きりぎりす氣まぐれに鳴き、
    それも今、はたと聲絶え、
    薄ぐもる日は蒸し淀む。

    ややありてかやが根を
    青蜥蜴あをとかげ走りすがへば、
    ほろほろに乾ける土は
    ひとしきり崖をすべりぬ。

    なまぐさきにほひは、池の
    うはぬるむおもよりわたり、
    山梔くちなしの花はちたり、――
    朽ちてゆく「時」のなきがら。

    何事の起るともなく、
    何ものかひそめるけはひ、
    のあたり融けてこそゆけ
    夏の雲、――空は汗ばむ。

    秋の歌

    柔らかき苔に嘆かふ
    石だたみ、今眞ひるどき、
    たもとほる清らの秋や、
    しめやげる精舍しやうじやのさかひ。

    並び立つもみ高樹たかぎは、
    智識めく影のふかみに
    びくゆる紫ごろも、
    合掌がつしやうの姿をまねぶ。

    しめやげる精舍のさかひ、――
    石だたみ音もかすかに
    飜る落葉は、夢に
    すすり泣くうれひのしづく。

    かぎりなき秋のにほひや、
    白蝋びやくらふのほそきほのほ
    わがこころ、今し、なびかひ、
    ふと花の色にゆらめく。

    花の色――芙蓉ふようしなへ、
    衰への眉目まみ沈默もだしを。
    さびの露しみらにくんず、
    かにかくに薄きまぼろし。

    しめやげる精舍に秋は
    しのび入りえ入るけはひ、
    ほの暗きかげにきらめく
    金色こんじきのみづしの光。

    苦惱

    傳へ聞く切支丹キリシタンいにしへなやみもかくや――
    影深き胸の黄昏たそがれ密室みつしつの戸はしもせめ、
    をののけるおもひの奧に「我」ありて伏して沈めば、
    たましひは光うすれて塵と灰「心」をふさぐ。

    おそろしき「うたがひ」は、ああみづからの身にこそ宿れ、
    あだし人責めも來なくに空しかる影のたはわざ、
    こは何ぞ、「畏怖ゐふ」のともがられ寄せて我を圍むか。
    おびやかかりよそほひに松明たいまつほのほつづきぬ。

    サンタ麻利亞マリヤ、かくもよわかる罪人つみびとしんうしほ
    よみがへり、かつめぐり來て、「ししむら」のなぎさにあふれ、
    俯伏うつぶせ干潟ひがたをわぶる貝の葉の空虚うつろの我も
    敷浪しきなみ法喜ほふき傳へて御惠みめぐみに何日かははむ。

    さもあれや、わが「性欲せいよく」の里正むらをさうかがひ寄りて、
    禁制きんぜい外法げほふの者としふねくもののしせまり、
    ひたひに蹈繪ふみゑの型をめよとぞ、あな淺ましや、
    我ならで叫びぬ、『神よ此身をばにもけね』と。

    硫黄いわうけぶりに咽び、われとわが座よりまろびて、
    火の山の地獄の谷をさながらの苦惱に疲れ、
    せて又生くと思ひぬ、――夢なりき、よるの神壇、
    蝋の火をともして念ず、假名文かなぶみ御經みきやうの祕密。

    待たるるは高き洩るる啓示みさとしの聲の耀かがやき、――
    しんのみぞその證人あかしびと、罪深き内心ながら
    われは待つ、天主の姫が讃頌さんしようの聲朗かに、
    はてて、『なれゆるす』とのたまはむその一言ひとことを。

    癡夢

    陰濕いんしつの「なげき」の窓をしも、かく
    うちふさぎ眞白にひたと塗りめ、
    そが上に垂れぬるかも紋織あやおり、――
    あけみどりまじらひ匂ふまばゆさ。

    これを見る見惚みほけに心まどひて、
    誰を、ああしやうずる一室ひとまなるらむ、
    われとわがねがひを、望を、さては
    客人まらうどを思ひも出でず、この宵。

    ただねんず、しづかにはたまどやかに
    白蝋びやくらふ黄金こがねの臺にともして、
    そのほのほいく重の輪をしめぐらし
    燃えすわる夜すがら、われはねじと。

    徒然つれづれなぐさに愛の一曲ひとふし
    かなでむとためらふ思ひのひまを、
    忍び寄る影あり、そや、――畏怖おそれ
    わが脈の漏刻ろうこくくだちゆくなり。

    長き夜をめしひの「なげき」かすかに
    今もなほ花文けもんかもをゆすりて、
    呼息いきづかひあへげば盛りししよく
    火影ほかげさへ、やくなや、しめりなびきぬ。

    れにたる夢なり、こころづくしの
    この一室ひとま、あだなる「くい」の蝙蝠かはほり
    氣疎けうとげにはためく羽音はおとをりをり
    音なふや、ああなどおびゆるたまぞ。

    滅の香

    やはらかきびに輝く
    壁のおも、わが追憶おもひで
    たまの宮、はえに飽きたる
    はくおきもせてはここに
    金粉きんぷんちりに音なき
    めつや、しふのにほひや、
    幾代々いくよよは影とうすれて
    にし日の吐息かすけく、
    すずろかにゆる命の
    夢のみぞ永劫とはひ、
    ささやきぬ、はた嘆かひぬ。
    あやしうも光に沈む
    わが胸のこの壁のおも
    惱ましくびては見ゆれ、
    うんじたる影の深みを
    幻は浮びぞ迷ふ、――
    つややかに、今、緑青ろくしやう
    まきかも、また紺瑠璃こんるり
    あやも濃き花の甘寢うまいよ、
    更にわが思ひのたくみ、
    われとわが宿世すぐせをしのぶ
    ゑひごこち、れのまどひか、
    のあたりにへ仔羊こひつじ
    あけいたみと、はたや
    愛欲の甘き疲れの
    紫の汚染しみとまじらふ
    ごふのかげ、輪廻りんね千歳ちとせ
    束の間にがひて消ゆれ、
    幾たびかあくがれかはる
    肉村ししむら懴悔ざんげの夢に
    朽ち入るは梵音ぼんおんどよむ
    西天さいてん涅槃ねはんの教――
    うづもれしわが追憶おもひでや。
    わづらへる胸のうつろを
    煩惱ぼんなうの色こそ通へ、
    物なべて化現けげんのしるし、
    もくの華、じやく妙香めうかう
    さながらに痕もとどめぬ
    空相くうさう摩尼まにのまぼろし。

    底の底

    底の底、夢のふかみを
    あざれたるひぢはらみ、
    わがおもひふとこそ浮べ。

    ※(「さんずい+區」、第3水準1-87-4)うきなわのおもひは夢の
    大淀おほよどのおもてにむすび、
    ゆららかにゑがく渦の輪。

    とどこほさびの緑に
    濃き夢はとろろぎわたり、
    呼息いきづまるあたりのけはひ。

    涯もなく、限も知らぬ
    しづけさや、――聲さへ朽ちぬ、
    あなや、この物うきおそれ。

    ※(「さんずい+區」、第3水準1-87-4)うきなわはめぐりめぐりぬ、
    大淀のおもてにびて
    たゆまるる渦の輪のかげ。

    物うげの夢の深みに
    魂のせゆくひまを、
    ※(「さんずい+區」、第3水準1-87-4)うきなわのおもひはれぬ。

    朽ちにたる聲張りあげて
    わがおもひ叫ぶとすれど、
    空し、ただあざれしにほひ。

    はてもなきこの靜けさや、
    めくるめくおそはれごこち、
    涯もなき夢のとろろぎ。

    灰色

    なべてのうへに灰いろの
    靄こそもだせ、日のをはり
    その灰いろにあやといふ
    彩のあへぎを聞くごとし。

    冷たく重き冬の靄、
    あな、わびしらや、戀も世も
    うたげも人もひと色に、
    信も迷も身もたまも。

    死の林かとあらはなる
    木立こだちの枝のふしぶしは
    痛みぬ、風に――くいの音、
    執着しふぢやくの靄灰色に。

    過ぎ去りし日の過ぎもかね、
    忘れがてなるわがおもひ
    朧のかげのゆきかひに
    をののかれぬる冬の靄。

    われ迷ふ

    迷ひぬ、ふかき「にるばな」に、
    たわやの髮は身を捲きぬ、
    たゆげのよる煩惱ぼんなう
    れてむつみぬ、「にるばな」に。

    壁にゑがけるしふの花――
    ねや一室ひとまの濃きにほひ、
    しき花びら、花しべに、
    火影ほかげも、ねたし、たはれたる。

    夢の私語ささやき、たわやげる
    瑪瑙めなう甘寢うまい、「にるばな」よ、
    艶もあてなる敷皮に
    なよびしなゆるあえかさや。

    愛欲のつるまつはれる
    窓の夜あけを梵音ぼんおん
    祕密の鸚鵡あうむいましめぬ、――
    ああ「にるばな」よ、あけの星。

    鏡は曇る、薫香くんかう
    まじる一室ひとま呼息いきごもり、
    鏡は晴れぬ、影と影、
    覺めし素膚すはだにわれ迷ふ。

    穎割葉

    日は嘆きわぶ、人知れず、
    日は荒れはてし花園に、――
    花の幻、陽炎かぎろひや、
    あをじろみたるきそのかげ。

    日は直泣ひたなきぬ、花園に、――
    種子たねのみだれの穎割葉かひわれば
    またいとほしむ、何草なにぐさ
    かたみともなき穎割葉。

    廢れすさみしただなかに
    ひたつ歌のうすみどり、
    ああ、穎割葉かひわればももの種子
    ひとつにまじるの雫。

    斑葉いさはの蔓に罌粟けしの花、
    ゑひのしびれのさかづき
    われからでむ忍冬すひかづら――
    種子のみだれを、日は嘆く。

    沙は燬けぬ

    いさごけぬ、あなうらのやや痛きかな、
    なぎさべの慣れしいはかげに身をけて、
    磯草のに敷皮の黄金こがねをおもひ、
    いざここに限りなき世の夢を見む。

    あゐ海原うなばら白銀しろがねや風のかがやき、――
    眼路めぢの涯絶えてかげらふものもなく、
    ひろき潮に浮び來て帆ぞ照りわたる
    をちの船、さながらさちさかづきと。

    なべての人も我もまた絶えず愁へて
    渚べをうまゑひならぬれ惑ひ、
    どよもし返す浪の音、海の胸なる
    ことに暗き思ひをおぼらしぬ。

    今日や夢みむ、幽玄いうげんすがたをしばし、
    うらやすし、愁ひはひそかに這ひ出でて、
    海知らぬ國、荒山あらやま彼方かなたの森に、
    人住まぬ眞洞まほらもとめて行きぬらむ。

    さもあらばあれ如何いかがせむ、心しらへの
    やくなさをあざみ顏なる薫習くんじふや、
    劫初ごふしよの朝の森のはなほも殘りて
    みぬらし、わが素膚すはだなるししむらに。

    更にたどれば神のそのああそこにしも
    晶玉しやうぎよくは活きていみじく歌ひけめ、
    の葉ささやき苔くんじ、われも和毛にこげ
    おん惠み、深き日影にこやしけめ。

    なべてはくづれ亂されき、人と生れて、
    爭ひて、海のほとりに下り來ぬ、
    なべてはれしはえの屑、(顧みなせそ)
    人は皆ここにかぎられ、あくがれぬ。

    大和田おほわだの原、天の原、二重ふたへとばり
    いたづらにこのあやもなき世をつつみ、
    風の光の白銀しろがねに、潮の藍に、
    永劫えいごふ經緯たてぬきにこそ織られたれ。――

    幽玄いうげんの夢さもあらめ、待つに甲斐なき
    うつし世に救ひの船は通ひ來ず、
    (帆は照せども)、身は疲れ、崩れ崩るる
    浪頭なみがしらまじの羽とぞ飜る。

    うつろたまは涯知らぬ淵に浮びて、
    身はあはれ響動どよもす海の渚べに、――
    またも此時わが愁、森を出でたる
    けものかと跫音あしおと忍びかへり來ぬ。

    海蛆

    ひきじほゆるやかに、
    見よ、ひきゆくけはひ、
    堀江に船もなし、
    船人ふなびと、船歌も。

    濁れるにび水脈みを
    くろずむひきじほに、
    堀江のわびしらや、
    そこれる水脈みを

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