2024年6月14日(金)
言葉は薬でなければならない
今週の書物/
『ポケットに名言を』
寺山修司著、角川文庫、2005年刊
本棚には、寺山修司の本が並んでいる。横尾忠則のイラストが付いた『書を捨てよ、町へ出よう』や 宇野亞喜良のイラストが付いた『ひとりぼっちのあなたに』『壜の中の鳥』などのなかに、何冊か目立たない文庫本がある。
横尾忠則のイラストと寺山修司の文章とは、そんなには似合わない。人気イラストレーターと人気作家を組み合わせたから 確かに『書を捨てよ、町へ出よう』は売れたが、その組み合わせはどこかしっくりこなかった。そもそも本の作りが雑で、ページを開いても すぐに閉じたくなった記憶がある。
それに対し、宇野亞喜良のイラストと寺山修司の文章とは、とてもよく似合う。宇野亞喜良が寺山修司の舞台美術や宣伝美術を手がけていたことは よく知られているが、そういうことよりも、恥じらいとか慎ましさといったふたりが持つ共通の属性が、一緒になったときにとてもいい感じを醸し出すように思える。
でも、なんだかんだいっても、寺山修司には 文庫本が似合う。そして ひとりが似合う。トレンチコートのポケットに手を入れて、背をかがめて歩く寺山修司が、僕は好きだ。誰かといる寺山修司より、ひとりでいる寺山修司のほうが、いい文章を書く。劇作家の寺山修司より、詩人の寺山修司のほうが、きらきらしている。
で、今週取り上げるのは、きらきらした文章が際立つ文庫本『ポケットに名言を』(寺山修司著、角川文庫、2005年刊)だ。本としては慎ましい感じがするし、題名も軽い感じがするのだが、中身はなかなか強烈だ。
私は古いノートをひっぱり出して、私の「名言」を掘り出し、ここに公表することにした。
という文章からわかる通り、この本に収められた文章は、ノートに書き留められたものだ。インターネットでサーチしたものなのではない。だから、ある意味、「そのまま」という正確さより、よっぽど真髄をついている。
寺山修司は、本気でボクサーになりたいと思っていた。でもボクサーにはなれないと知り、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思ったという。
私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。
だが、同時に言葉は薬でなければならない。。。。どんな深い裏切りにあったあとでも、その一言によってなぐさむような言葉。
こんな文章からわかるように、寺山修司は、言葉の持つ力を信じていた。言葉は人を傷つけることができると同時に、人の心の傷を癒すこともできる。使い方次第で違う効能を持つ。。
「名台詞はどこにでも転がっている」と、寺山修司は言う。「名台詞などというものは生み出すものではなくて、探し出すものなのである」とも言う。
少年時代、私は映画館の屋根裏で生活していた。その頃の私の話相手はスクリーンの中の登場人物しかいなかった。孤独だった私は、映画の中の話相手の言葉から人生を学んだ。それからというもの、映画を観るたのしみは、いわば「言葉の宝さがし」に変ったのである。
『ポケットに名言を』は「言葉の宝さがし」の延長線上にある。旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気づいたとき、寺山修司は「言葉を友人に持ちたい」と思ったというが、寺山修司と言葉との関係は友人以上のものだったように思える。なんともうらやましい。
この本になかの「言葉は薬でなければならない」というフレーズは、まさに名言だ。名言であふれたこの文庫本をポケットに入れて歩くとき、『ポケットに名言を』という軽いと思った題名が、ずっしりと重たい。なんという本だろう。