この感覚をどう表現すればいいのだろう。まるでみんながそれぞれ透明なガラスのカプセルに入っていて、互いに姿は見えるし、表面上は丁寧にあいさつもする。でも、一生かかっても相手のカプセルの中に入ることはできない。そんな感じだ。
「今度ご飯行きましょう」というのは「もう二度と会わない」ということ。もし本気にして「いつ空いていますか?」と聞くと、相手はニコニコしながら内心「この人、空気読めないな」と思うのだ。
日本人の笑顔は「半永久メイク」みたいなもの。この笑顔は「仕事上の必要性」によって作っているだけであって本当にうれしいからではない。彼らは、心の中で何万回もこちらをののしっていても、表情一つ変えずに丁寧にお辞儀をすることができる。
日本で「他人に迷惑をかけない」という言葉の意味は「あなたも私に迷惑をかけるな」という含意がある。この極端なまでの境界意識は、確かに生活を便利にするものではあるが、同時に本当に息苦しい。転んでも誰も助けてくれないかもしれない。つらくても誰も声をかけてくれないかもしれない。みんながみんな、「他人に迷惑をかけない」ことに必死だからだ。
この投稿に、中国のネットユーザーからは「私は『偽りの礼儀正しさ』は好き。『無礼』が嫌い」「『偽りの礼儀正しさ』は『無礼』よりはマシ」「じゃあなたは面と向かって罵倒され、蹴りを入れられたいわけ?」「何と比べるかだろう。『偽りの礼儀正しさ』はもちろん『真の礼儀正しさ』には劣る。でも、『真の無礼』と比べたら…?」「表面的に取り繕うこともなく、距離感なんてまるでない環境の方がよっぽど抑圧的になると思う」といった声が上がった。
また、「相手が『こっちのカプセルに入ってほしくない』って思うことのどこがだめなの?」「そもそも礼儀自体が本来、表面的なものでしょ。初めて会った人に対して心の底から微笑みかける人なんている?」「真の礼儀正しさをなぜ欲する?あなたはすべての人に対して心を開くのか?」といった指摘も。
このほか、「中国だって転んだ人を誰も助けないだろう」「私が日本で転んだ人を見た時は、必ず誰かが助け起こしていた。誰も助けなかったことは一度もない。酔っ払いは例外だけど」「どっちにしても、そこら辺に痰を吐き、列に並ばない(中国のような状況)よりはマシ」「中国では周囲の迷惑も顧みずそこら辺でたばこを吸うし」「悪いけど、日本人は本当に礼儀正しいよ」といったコメントが寄せられている。
日本の「偽りの礼儀正しさ」への批判に反論殺到=「どこがだめ?」「悪いけど日本人は…」
Record China(翻訳・編集/北田)
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/日本の-偽りの礼儀正しさ-への批判に反論殺到-どこがだめ-悪いけど日本人は/ar-AA1U9HGY