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(28)山本静山『花のこころ―奈良円照寺尼門跡といけばな』

2024年6月28日(金)

卓上の花も生きている

今週の書物/
『花のこころ―奈良円照寺尼門跡といけばな』
山本静山著、主婦の友社、1968年刊

サッカーの中継を興奮して見る。最近のテレビ中継は、リプレイもあって面白い。でも結局は、テレビ観戦の域を出はしない。画面に映らないことは見ることができないし、マイクが拾わない音は聞こえてこない。その場の雰囲気は感じられないし、暑いか寒いかすらもわからない。スタジアムにいないとわからないことは多い。

演奏会も展覧会も同じで、出かけて行かないと味わえない感動っていうものが間違いなくある。演奏者が演奏の合間に見せるはにかみの表情とか、演奏中のちょっとした仕草とかは、その場にいなければわからないし、美術作品の大きさや質感なども、作品を前にしなければ、わかりはしない。

朝、雨戸を開けて、遠くに見える山や空を眺め、庭にやってくる鳥や咲いている花を見て味わう小さな感動なども、写真や映像には変換できない。そもそも感動は、どう伝えようと、他人には伝わらない。自分にしかわからないもののような気がする。分かち合うことは難しい。

物理学者の Carlo Rovelli は「時間は存在しない」と言うけれど、時間は間違いなくあって、ひとりひとりが生きている限られた時間のなかで、自分にしかわからないことが、少なからずあるように思える。

谷崎潤一郎の『雪後庵夜話』の最初に出てくる歌「我という人の心はただひとりわれより他に知る人はなし」は、中学のサッカー仲間の手塚研一さんがその存在を教えてくれた歌だが、まさにそのとおりだと思う。憧れとか、寂しさとか、悲しみとか、喜びとかは、自分にしかわからない。

残りの短い時間のなかで、自分に正直になって、素直に、わがままにして、多くの感動を味わいたいと、生意気なことを考える。そんなことをしていれば、いつかはバチが当たるだろう。それでも、生きているあいだは、生きたい。

そんなことを考えていたら、部屋のなかに飾られた花が目に入った。地面から切り離され、土を纏うこともなく、少しの水を与えられ飾られている卓上の花は、いったい何を感じているのだろう。

で今週は、花についての一冊、『花のこころ―奈良円照寺尼門跡といけばな』(山本静山著、主婦の友社、1968年刊)だ。私の家の本棚には、山本静山の本が 4冊並んでいる。いずれも主婦の友社から出版されていて、年代順に『花のこころ (1968年)』『花のすがた (1973年)』『花のむれ (1981年)』『花のながれ (1992年)』。『花のこころ』だけが山本静山が書いた本という感じで、あとの 3冊は 山本静山によって生けられた花の写真集という作りの本だ。とはいっても、4冊とも素晴らしく、好きな本が並ぶ本棚に置かれている。

山本静山は、『昭和天皇の妹君: 謎につつまれた悲劇の皇女』(河原敏明著、ダイナミックセラーズ出版、1991年刊)によれば、三笠宮の双子の妹だったというが、真実は誰にもわからない。わかる必要もない。わかっているのは、十世圓照寺門跡住職としての役割を果たし、山村御流家元としていけばなを極めた人ということで、昭和天皇の妹であったかどうかなどということは、知る必要はない。

山本静山が始めた山村御流は、ひとことで言えば「野に咲いているように生ける」。そのことに尽きる。もっとも、そんなことが集まってくる人たちに伝わるはずもなく、いま巷にある山村御流にとって大事なのは、師事であり、免状であり、もっと言えば、華美であり、虚飾である。そんなことを思わせるほど『花のこころ』は、そしてそれを書いた山本静山は、自然に近い。

大和には 3つの尼門跡があるという。門跡は皇族・公家が住職を務める特定の寺院(あるいはその住職)のことで、法隆寺と僧寺・尼寺の関係にあった中宮寺門跡、総国分尼寺だった法華寺門跡、そして奈良の南東 4kmのところにある円照寺門跡がこれにあたる。

尼門跡には一般の尼寺にはない特別な行儀作法があり、活動にもいろいろな制約がある。そのなかで、いのちについて考え続け、野の花や草を生け続けてきたのだから、生けられた花には、自然の持つ力が溢れている。

山本静山の言葉を少し紹介する。

秋の千草がにおっている野や山のほとりには、点々と小松が美しい緑を輝かせながら生えています。一方、秋の野を飾る七草の葉や茎は、松のように深い緑の色ではなくて、こがねなす秋の色をたたえています。その輝くような色で、この秋を限りにと生きる七草と、小さいながらにも力強く、やがては大空へとそびえたってゆく松の緑との対照は、味わいがあります。美しい調和でもあり、必然の美であると思います。

自然を眺める目が独特なのに気がつく。

人間の世界には、ずいぶんとむだが多いように思えますが、そのむだが、なかなかたいせつなのです。 山へ登り、野にさまよい、または旅の車中から、ただ何とはなしに、あたりの風景をながめている。そのなにげなくながめているということが、数多く重なってゆくにつれて、自然の美しさ、草や木の在り方が、心の目に写されてゆくのです。そうして花を生けるときに、いつとはなしにそのことが、大きく役立っていることに気がつきます。おもしろいことです。

おもしろいことですという山本静山の顔が、浮かんでくるようだ。

本のなかで、山本静山は、「花へのこころが、美しい自然の姿とともに、いつまでも清く、かぐわしく、人の世のつづく限り、咲きつづき、人によき幸を与えてくれますよう、花に祈りつつ」などという恥ずかしくなるような文章とともに、「花は野にあるように———」という言葉を繰り返す。こんなことをてらいなく書くなんていうことは山本静山にしかできない。

この本のなかでは、春夏秋冬は何よりも重要で、その変化は特別な意味を持つ。ただ、四季は円照寺のまわりの自然の四季で、カレンダーに書かれた四季でもなければ、季語などといって決められた四季でもない。実際に外に出て花を摘み草を摘みして感じた四季は。どんな四季よりリアルだ。、

季節感あふれる本の作りと山本静山という人とが、不思議と合っている。作られてから56年という時が経っているというのに、書かれていることはみずみずしい。ゆっくりと読むにふさわしい本に久々に出合った気がした。

本から目を上げ、改めて卓上の花を眺める。卓上の花が、私に話しかける。そう、飾られている花は、間違いなく生きている。

(27)東郷克美『佇立する芥川龍之介』

2024年7月21日(金)

みんな佇立している

今週の書物/
『佇立する芥川龍之介』
東郷克美著、双文社出版、2006年刊

誰にでも「先生」と呼べる人が ひとりはいるというが、私にとっての「先生」は東郷克美先生。高等学校3年間の担任だ。東郷先生(1936年12月9日生まれ)は、先週「めぐりあう書物たちもどき」で取り上げた寺山修司(1935年12月10日生まれ)の(早稲田大学教育学部国文学科での)1年後輩にあたる。

寺山修司のほうが 1歳年上なのにもかかわらず、私のなかでは 東郷先生のほうが年長に思える。高校生という多感な時期に3年間にわたって影響を受け続けた先生だから、そう思えるのかもしれない。

私たちの担任をしたのがよほどいやだったのか、私たちが卒業した1年後には成城短期大学の専任講師になり、成城大学文芸学部の助教授・教授、そして早稲田大学教育学部の教授・名誉教授を務めてきた。

大学を出てから一貫して「先生」であり続けたわけだが、では東郷先生は「先生」だったのかというと、いささか疑問が残る。高校の生徒たちに慕われ 大学の学生たちに頼りにされてきたとはいえ、教育者・指導者には見えないのだ。

定年を迎え帰国した後に 新聞で東郷先生の講座を見つけた私は、「かわさき市民アカデミー」の講座に申し込み、はるばる武蔵小杉にある「川崎市生涯学習プラザ」まで10回ほど 出かけて行った。

東郷先生は驚くほど変わっていなかった。文学作品を深読みし、筆者について調べ、それを受講者に語り掛ける。受講者の多くは高齢者だったが、熱心さでは東郷先生に負けてはおらず、東郷先生が取り上げる本を何度も読み返してきていた。

東郷先生の解説を聞いていて私は、鉄道が好きで写真撮影が好きな「マニア」の人たちや ゲームが好きでアニメが好きな「オタク」の人たちのことを考えていた。「マニア」は「1つのものごとに集中する人」を指し、「オタク」は「1つのものごとにしか興味がない人」を指すというが、東郷先生は「先生」である前に「文学オタク」ではなかったのか。

先生が石牟礼道子の作品を解説すると、話は石牟礼道子が幼少期に住んでいた水俣の話になり、近所の店や公共施設が描かれた地図が配られ、用意されたスクリーン上に映し出される「水俣の海に捧げる能(石牟礼道子作「不知火」)」を見ることになる。

梨木果歩の解説では、非日常的な不思議な作品の世界のことを語るでもなく、作中の不自然な会話のことに触れるわけでもない。いきなり物語のなかに受講者を投げ込み、東郷先生の深読みに付き合わせる。

「かわさき市民アカデミー」の講座が、東郷先生という「文学オタク」が作り出す作品になっている。そう思った私は、その講座の観察を始めた。と同時に、東郷先生の文学作品に向き合う姿勢や作者への対し方に思いを馳せた。

『井伏鱒二全集』の編纂を行い、泉鏡花や太宰治などを論じて来た東郷先生にとって、講座の受講者たちをうっとりさせることなど、なんていうことはない。作者に実生活の中で起きたことと その前後に書かれた作品をシンクロさせて解説すれば、どんなに深読みをした受講者も太刀打ちできない。文学評論のプロの凄さを見せつけられた気がした。

で今週は、東郷先生の文学評論の一冊を読む。『佇立する芥川龍之介』(東郷克美 著、双文社出版、2006年刊)だ。「早世の天才」と言われ 太宰治が憧れたという「芥川龍之介」に東郷先生がどう切り込むか。楽しみな一冊だと思って、読み始めた。

ところが、まず、言葉で躓いた。東郷先生のボキャブラリーは、私のボキャブラリーとはまったく違う。わからない言葉に出くわすと調べなければ先に進まない。読書の速度は、英語やフランス語の本を読むのより遅くなり、中国語やロシア語の本を読むときのように時間がかかる。

「ラツフ」という言葉が出てくる。芥川龍之介が、井川恭宛の手紙に、

此頃僕はだんだん人と遠くなるやうな氣がする 殆誰にもあはうと云ふ氣がおこらない 時々は隨分さびしいが仕方がない 其代り今までの僕の傾向とは反對なものが興味をひき出した 僕は此頃ラツフでも力のあるものが面白くなつた 何故だか自分にもよくわからない たゞさう云ふものをよんでゐるとさびしくない氣がする さうして高等學校にゐた時よりも大分ピユリタンになつた

と書いている。しばらく読んでいると「ラツフ」は、英語の「rough」だということがわかる。なあんだ「rough」か。そうわかるまで、10分くらいたっている。ひとつの言葉に10分使っていては、なかなか読み進めることができない。

次に、知識で躓いた。私には、芥川龍之介が生きた時代(1892年〈明治25年〉から 1927年〈昭和2年〉まで)の知識が欠如している。読みながら、知らないことを痛切に感じた。トルコの作家、たとえば オルハン・パムク の本を読んだときと同じ感じだ。

その歌は明らかに吉原登楼をうたったもので「薄唇醜かれどもしかれどもしのびしのびに口触りにけり」「これはこの新吉原の小夜ふけて辻占売の声かよひ来れ」というようなものを含んでいる。

という文章を読んでも、当時の吉原についての知識がないせいか、何の情景も浮かんでこない。知識がないということは、読む楽しみも半減ということになる。

芥川龍之介が生きた時代についての知識はなくても、それが幸せな時代でなかったことぐらいはわかる。関東大震災で打ち壊された東京には、江戸という平和な時代を懐かしむ風潮が残っていたようだし、苦しい生活のなかで 社会には閉塞感が漂っていた。実際、芥川龍之介の死から18年後に日本中が廃墟になることを、私たちは知っている。芥川龍之介が佇んでしまうのも、時代背景を考えると自然のことと言えるのではないか。、

さて、言葉で躓き 知識で躓きながらも半分近くを読み終えた私を、新たな試練が襲う。まさかの、泉鏡花なのだ。芥川龍之介について読んでいた私が、気が付けば泉鏡花について読まされている。

「あとがき」に「前半には芥川龍之介に関する6篇を、後半には、芥川と関わりの深かった鏡花、犀星についての作品論と同時代の文学史的粗描の一端を収めた」とあるのだが、そんなことはつゆも思わない私は、『佇立する芥川龍之介』を最初から読み始め、半分近く読んだところで突然、芥川龍之介でないものに出くわすのだ。

考えてみればこの本は、物理学者が書くものに似て、読者に優しくない。と考えて、私は「あっ」と気が付いた。そもそもこの本は、一般向けの本ではないのだ。そして東郷先生は「文学オタク」などではなく「文学者」だったのだ。

専門家向けの本を 一般向けの本と勘違いして読み進んでしまった私は、「文学者」を「文学オタク」と勘違いしてしまっていた自分に気づいた。東郷先生は思った以上に「文学者」だったのだ。

後半の泉鏡花についての2篇と室井犀星についての2篇、そして一高の校友会雑誌や大正10年の文壇についての東郷先生の文章を読んでいて、私はあることに気が付いた。芥川龍之介の作品のなかだけでなく 泉鏡花の作品のなかでも 室井犀星の作品のなかでも、人は みんな 佇立しているではないか。

文字通り、佇んで立っている。自分のベーシスを失って、静かななかで たたずんでいる。その状況がどうであれ、静寂は美しい。呆然と立ちすくすにしても、立ち止まるにしても、佇立する人の繊細さは いつも美しい。『佇立する芥川龍之介』という題を付けた東郷先生は、詩人でもあった。

**

東郷先生の『佇立する芥川龍之介』ではあまり言及されていないが、芥川龍之介は「英語の人」だった。英語を学び、英語を教え、英語で書かれた作品に大きな影響を受け続けている。

ウィリアム・モリスの詩、バーナード・ショーの戯曲、オスカー・ワイルドの評論、コナン・ドイルの推理小説など、幅広い分野の英語の作品を読み込んでいるし、アナトール・フランスや ギ・ド・モーパッサンのフランス語の作品、それに イワン・ツルゲーネフ のロシア語の作品なども、すべて英訳を読み込んでんでいる。

だから自然と、文章の構成も英語的になるし、文章自体も論理的で、簡潔、平明なものになる。英語を日本語に翻訳する際に翻訳しきれないものがあると、日本の古典から単語を持ってきたり、カタカナを使うなどして単語を作ったりもしている。

「芥川龍之介の作品は、英訳がしやすい」と、あちらこちらに書いてあるが、それもそのはず、作品自体が英語的なのだ。その割には、翻訳文と違って読みやすい。なぜだろう。

芥川龍之介は「英語の人」でありながら、日本語を極めようとしていた節がある。日本の古典だけでなく、新聞の文章や、作家ではない一般人の文章にまで興味を持ち、研究していた。『鼻』『芋粥』『羅生門』は『今昔物語集』に材をとっているし、『トロッコ』は力石平蔵という雑誌記者の原稿をもとに書かれている。

英語で書かれた文章群から題材やヒントを得ようが、一般人の文章を下書きにしようが、日本の古典に材をとろうが、出来上がりは 誰も真似のできない芥川龍之介の作品になっている。それが芥川龍之介の凄さなのだろう。

東郷先生が芥川龍之介の作品について書くときには、どんなところからヒントを得たというような表面的なことではなく、比較文学の観点からの英日比較というようなことでもなく、あくまで芥川龍之介の内的な心情と作品との関係に的を絞って書く。それこそが、東郷先生の深読みの極意だ。

偶然かどうか、東郷先生が『佇立する芥川龍之介』のなかで取り上げた作品には、『今昔物語集』に材をとったものが多い。芥川龍之介本人の作品『今昔物語鑑賞』も、当然のように参考にされている。

でも東郷先生は、芥川龍之介の失恋に焦点を当て、さらには芥川龍之介のいちばんの問題であったさまざまの因襲との葛藤について考えるなかで、作品の評論を進めてゆく。表面的なことには惑わされない。それこそが、東郷先生の流儀なのだ。

(26)寺山修司『ポケットに名言を』

2024年6月14日(金)

言葉は薬でなければならない

今週の書物/
『ポケットに名言を』
寺山修司著、角川文庫、2005年刊

本棚には、寺山修司の本が並んでいる。横尾忠則のイラストが付いた『書を捨てよ、町へ出よう』や 宇野亞喜良のイラストが付いた『ひとりぼっちのあなたに』『壜の中の鳥』などのなかに、何冊か目立たない文庫本がある。

横尾忠則のイラストと寺山修司の文章とは、そんなには似合わない。人気イラストレーターと人気作家を組み合わせたから 確かに『書を捨てよ、町へ出よう』は売れたが、その組み合わせはどこかしっくりこなかった。そもそも本の作りが雑で、ページを開いても すぐに閉じたくなった記憶がある。

それに対し、宇野亞喜良のイラストと寺山修司の文章とは、とてもよく似合う。宇野亞喜良が寺山修司の舞台美術や宣伝美術を手がけていたことは よく知られているが、そういうことよりも、恥じらいとか慎ましさといったふたりが持つ共通の属性が、一緒になったときにとてもいい感じを醸し出すように思える。

でも、なんだかんだいっても、寺山修司には 文庫本が似合う。そして ひとりが似合う。トレンチコートのポケットに手を入れて、背をかがめて歩く寺山修司が、僕は好きだ。誰かといる寺山修司より、ひとりでいる寺山修司のほうが、いい文章を書く。劇作家の寺山修司より、詩人の寺山修司のほうが、きらきらしている。

で、今週取り上げるのは、きらきらした文章が際立つ文庫本『ポケットに名言を』(寺山修司著、角川文庫、2005年刊)だ。本としては慎ましい感じがするし、題名も軽い感じがするのだが、中身はなかなか強烈だ。

私は古いノートをひっぱり出して、私の「名言」を掘り出し、ここに公表することにした。

という文章からわかる通り、この本に収められた文章は、ノートに書き留められたものだ。インターネットでサーチしたものなのではない。だから、ある意味、「そのまま」という正確さより、よっぽど真髄をついている。

寺山修司は、本気でボクサーになりたいと思っていた。でもボクサーにはなれないと知り、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思ったという。

私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。
だが、同時に言葉は薬でなければならない。。。。どんな深い裏切りにあったあとでも、その一言によってなぐさむような言葉。

こんな文章からわかるように、寺山修司は、言葉の持つ力を信じていた。言葉は人を傷つけることができると同時に、人の心の傷を癒すこともできる。使い方次第で違う効能を持つ。。

「名台詞はどこにでも転がっている」と、寺山修司は言う。「名台詞などというものは生み出すものではなくて、探し出すものなのである」とも言う。

少年時代、私は映画館の屋根裏で生活していた。その頃の私の話相手はスクリーンの中の登場人物しかいなかった。孤独だった私は、映画の中の話相手の言葉から人生を学んだ。それからというもの、映画を観るたのしみは、いわば「言葉の宝さがし」に変ったのである。

『ポケットに名言を』は「言葉の宝さがし」の延長線上にある。旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気づいたとき、寺山修司は「言葉を友人に持ちたい」と思ったというが、寺山修司と言葉との関係は友人以上のものだったように思える。なんともうらやましい。

この本になかの「言葉は薬でなければならない」というフレーズは、まさに名言だ。名言であふれたこの文庫本をポケットに入れて歩くとき、『ポケットに名言を』という軽いと思った題名が、ずっしりと重たい。なんという本だろう。

(25)ビョンチョル・ハン『透明社会』

2024年6月7日(金)

今さらながら社会に憤る

今週の書物/
『透明社会』
ビョンチョル・ハン 著、守 博紀 訳、花伝社、2021年刊

『疲労社会』
ビョンチョル・ハン 著、守 博紀 訳、花伝社、2021年刊

『情報支配社会』
ビョンチョル・ハン 著、守 博紀 訳、花伝社、2022年刊

何も引き換えにせずに資本を獲得することを、盗みと言っていいだろう。だとすれば、政府や中央銀行がしていることは、盗みではないか。

快楽に身を委ね 欲望や消費にはしることを、堕落とみなす人もいる。そういう見方からすれば、多くの男や多くの女は、堕落してはいないか。

現実を大げさに歪めて伝え 不安におびえさせることを、俗に恐喝と言う。だとすれば、報道機関や広告代理店がしていることは、恐喝ではないか。

好況のあとに不況を言いつのり 不況のあとに好況を言いつのるのは、躁鬱に似ている。ビジネスや株に携わる人たちは、みな躁鬱ではないか。

うまくいくかどうかわからないのにカネを動かし カネが膨らむのを期待することを、博打という。だとすれば、金融市場に集まってくる人は、みな博打をしていることになる。

他人を思いやることを忘れ 他人を出し抜くことしか考えないことを、倫理観の欠如という。だとすれば、組織に身を委ね 回し車のハムスターになっている人たちは、みな倫理観が欠如しているといえる。

悪いと知っているのに 悪いことをし 嘘と知っているのに 嘘の説明をするのを、人でなしという。だとすれば、高い地位に就いている人たちや その周りにいる人たちは、みな 人ではない。

社会が、盗賊と 犯罪者と 恐喝者と 躁鬱患者と 中毒患者と 倫理観がない人と 人でなしとで 出来ていると思えば、腹も立たない。社会に憤っても、社会は良くならないし、社会を変えようと思っても、誰にも社会は変えられない。社会は強固で狡猾だ。

とはいっても、社会に住んでいる私たちが 社会の餌食にならないためには、社会について もっと知る必要がある。社会では、何があたりまえなのかを知る。心が痛まない方法を知る。そうすることで、社会で生きてゆく。

自らが消費という中毒にかかっていることを認め、自分たちが奪う側にいることを認め、奪うことを止め、奪われることも止める。汚れていることを認め、きれいになろうとする。

などと、10代の私が書きそうなことを書いてみて、70代の私が顔を出す。70代の私は冷静だ。「何億人もの個人が社会を形作るのだから、社会が個人にとって都合の良いものであるわけがない。自分の思うような社会を作ろうなどという考えは、捨てたほうがいい」と言う。「社会を構成しているのは そのほとんどが善良な人たちなのだ」とも言う。

「社会を良くしてゆく努力を続けなければ 社会は衰退してしまう」という声に、70代の私は「そんな努力は無駄だ」と言う。そう言いながら、70代の私は社会について、憤っている。不平等、不公平 ー 理不尽なことが多すぎる。優しくない、報われない ー 閉塞感に満ちている。実際、私は、社会に対して怒りのようなものを持っている。怒りのようなものの正体は、わからない。

それにしても私たちは、私たちの社会を知らない。社会についてもっと知ろう。そう思って手に取ったのが、今週取り上げる『透明社会』(ビョンチョル・ハン 著、守 博紀 訳、花伝社、2021年刊)だ。同じ著者・訳者・出版社で、『疲労社会』(2021年刊)と『情報支配社会』(2022年刊)も出版されている。

なんでもわかってしまう透明社会(The Transparency Society)、予期された答えしかない肯定社会(The Society of Positivity)、教育や訓練で秩序が保たれる規律社会(The Disciplinary Society)、なんでも根拠になってしまうエビデンス社会(The Society of Evidence)、愛も恋も消えてしまったポルノ社会(The Society of Pornography)、変わり続けることで成り立つ加速社会(The Society of Acceleration)、ほかの世界と隔絶している親密社会(The Society of Intimacy)、大量の情報に価値をおく情報社会(The Society of Information)、知識が重要な価値を占める知識社会(The Knowledge Society)、誰もが自分のことを見せる展示社会(The Society of Exhibition)、絶え間なく成果を求められる疲労社会(The Society of Tiredness)、プライバシーのないポストプライバシ、ー社会(The Post-Privacy Society)、深い退屈に彩られた倫理社会(The Society of Moral)、精神的暴力が支配する監視社会(The Surveillance Society)、忘れたことまで暴き出す暴露社会(The Society of Unveiling)、他人に寛容で優しい繋がる社会(The Connected Society)、人間が管理されるようになった管理社会(The Society of Control)。そんなふうに ビョンチョル・ハンは、今の社会をさまざまな側面から説明する。その説明のひとつひとつは、恐ろしいほどに、見事に的を射ている。

今日は多くの社会の側面のなかから、本の題名にもなっている「透明社会(The Transparency Society)」について書いてみる。私が読み取ったことは、たぶん ビョンチョル・ハンが言いたいこととは違う。そんなことは承知の上で、書く。

トランスペアレントという言葉がよく使われるが、トランスペアレントな社会、つまり透明性が高く隠し事のない社会は、道徳か倫理社会の教科書のなかにしか存在しない。隠し事のない人がいないように、隠し事のない社会もありはしない。隠し事をしてはいけないという建前が先に立てば、人間の本音は居場所をなくしてしまう。はたしてそれは、いいことなのだろうか。

トランスペアレントな社会からは、暴露も消える。隠し事がなくなれば、暴露することもなくなってしまう。隠し事のない息の詰まるような社会では、どんな事情も考慮されない。AI がすべてを明らかにし、説明できないことをなくしてゆく。

トランスペアレントな社会を作りだすテクノロジーには心がない。だから、真理や道徳を考えたり思ったりはしない。利益をもたらすことや、注目されることで、より多くの収益をあげる。テクノロジーによって現れたトランスペアレントな社会では「良い悪い」よりも「儲かる儲からない」が重要なのだ。

トランスペアレントな社会からは、プライバシーも消えてしまう。隠し事のない社会では、プライバシーを保とうとすれば隠し事をしていると言われ、まるで悪いことをしているかのように扱われてしまう。より多くのビッグデータを得るために、そしてまたシステムをより効率的に運用するために、プライバシーの放棄が勧められる。

人間という元来透明性の似合わない生き物に透明性を求めた結果、人間という不可解で非論理的・非合理的な存在は、行き場を失っている。監視され、自由を完全に失ってしまったのだ。トランスペアレントな社会は決していい社会ではない。

トランスペアレントな社会は、モラルやエシックスから生まれたものではない。世界中に人の数を越えて存在している IoT端末と、Google に代表されるインターネット検索と、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)と、ブロックチェーンと、ビッグデータと、ブロックチェーンと、AI とかが、束になってトランスペアレントな社会を作り出している。

人は相変わらず隠し事をする。それが習性だと言わんばかりに隠し事をしたがる。ところが世界中の IoT端末とそれを繋ぐネットワークによって「いつ」「どこ」にいて「なに」をしたかが分かってしまう。インターネット上の情報は、高度に発達した検索で簡単に見つかる。自己顕示欲が強い人や承認欲求が強い人は、自分をアピールするため、人から認めてもらうため、そして人と繋がるために SNS に自分についての過剰な情報を載せるが、それもトランスペアレントな社会の広がりを助長している。関連した事実が時系列に並んでいるブロックチェーンを前にして「それは違う」と言える人はひとりもいないし、個人情報は守られているというビッグデータのなかにも関連情報は潜んでいる。そして AI が、バラバラの情報をあっという間にまとめ、どんなに隠したいことも白日の下にさらしてしまう。テクノロジーが隠し事を不可能にし、社会はどんどんトランスペアレントになってゆく。

誰もテクノロジーの進歩を止められないなかで、社会はますますトランスペアレントになり、隠し事をひとつも持てない恐ろしい世の中がやってくる。その先に待っているのは、何もしていないのに、そして何も言っていないのに、考えただけで、思っただけで、それが知られてしまう社会。なんと恐ろしいことだろう。

私はそんな社会はいやだ。そう思ってみても、社会はどんどん トランスペアレントになってゆく。人のいない山の中とか海辺とかに住んだとしても、個人は「透明社会」に絡めとられてしまう。

社会の流れから距離を置き、静かに暮らしたい。ビョンチョル・ハンの本を読んで、心からそう思った。

**

タイの田舎の海岸の町で、まだ暗い浜辺に出て日の出を待つ。托鉢をする僧がひとり、歩いている。朝日の昇る気配がしてくる。途切れることのない波の音が心地いい。

托鉢僧には最新のテクノロジーなど関係ないだろうし、その目にはテクノロジーによる社会の変化など見えてはいまい。でもテクノロジーによる社会の変化は確実に起きている。

学校では、テクノロジーに囲まれて育っている子どもたちに、何も知らない大人たちが、テクノロジーを教える。そんなある意味滑稽な状況が、あたりまえのように見られる。

会社では、テクノロジーを使うことが日常になっている部下を前にして、テクノロジーをあまり利用したことのない上司が、テクノロジーについての決定をくだす。決定の意味のなさを部下たちが指摘しても、上司には何がおかしいのかがわからない。

変化があまりにも速いため、個人がそれについていけない。社会もついてゆけない。法律もついていけていないし、倫理はもちろんついていけていない。

テクノロジーの進化による社会の変化を放っておけば、混乱すら生まれず、「変化の先端にいる人たちだけが変化を享受し、変化に気づかない人たちが失い続ける」というアンフェアな状態が定着してしまう。

テクノロジーのアセスメントにもっと真剣にならないと、社会は変な方向に向かってしまう。いや、アセスしようとしまいと、変な方向に向かうことに変わりはあるまい。

そんなことは、テクノロジーが進化する前から見られていたというかもしれない。でも、今起きていることには、戻れないという特徴がある。不可逆的でない。もう戻れない。もう元のようにはならない。そう思うと、いま社会に起きていることが、ずっしりと重たく感じられるのではないだろうか。

(24)류시화『그대가 곁에 있어도 나는 그대가 그립다』

2024年5月31日(金)

君がそばにいても 僕は君が恋しい

今週の書物/
『그대가 곁에 있어도 나는 그대가 그립다』
류시화著、푸른숲、1991年刊

『君がそばにいても 僕は君が恋しい』
リュ・シファ著、蓮池薫訳、集英社クリエイティブ、2006年刊

韓国は詩の国といわれる。詩作が盛んで、詩の同人クループがたくさんあり、本屋に行けば詩集がたくさん並んでいる。韓国の詩に触れることが韓国の社会や文化を知る近道だと、多くの人が書いている。

キム・グァンソプ​(김광섭)とか ユン・ドンジュ(윤동주)といった戦前の詩人が書いた詩を読むのは、日本人である私には つらい。日本統治下で詩を書けば、日本の警察に逮捕される。ふたりの詩は、特に政治的なわけではない。それなのに、キム・グァンソプもユン・ドンジュも収監され、ユン・ドンジュは獄死している。

戦後の詩人はバラエティーに富んでいる。ナ・テジュ(나태주)は、抒情的な詩を書く。アン・ドヒョン(안도현)は、生活に根差した詩を書く。イム・ジェボム(임재범)は、詩をロックのバラードにのせる。イ・ユンハク(이윤학)は、些細なことを詩にする。そして リュ・シファ(류시화)は、強烈な印象を残す詩を書く。戦後の韓国に、ありとあらゆるタイプの詩人が溢れ出した。

それは キム・インユク(김인육)とか ハ・テワン(하태완)といった 若い詩人に受け継がれ、多くの詩集が出版される今日の「詩の国」韓国に続いている。楽しい詩も明るい詩も見られるが、その底には悲しさや苦しさや寂しさや怒りが流れ続けている。

そんな数多の韓国の詩人のなかでも、リュ・シファ(류시화)は、私のなかで特別なひかりを放っている。たったひとつだけのフレーズで、読む者を虜にする。長髪、サングラス、瞑想。そんなイメージとはかけ離れた言葉が、紙の上に並ぶ。

そう、今週は、そんな 류시화 が文字にした膨大な言葉のなかから一つの詩を選んで味わう。『그대가 곁에 있어도 나는 그대가 그립다』(류시화著、푸른숲、1991年刊)だ。日本語訳も『君がそばにいても 僕は君が恋しい』(リュ・シファ著、蓮池薫訳、集英社クリエイティブ、2006年刊)として出版されている。訳者の蓮池薫さんは色眼鏡で見られることが多いが、この訳を読むかぎり。真摯な人だと感じられる。

この詩集の題名にもなっている『그대가 곁에 있어도 나는 그대가 그립다』は強烈な詩だ。『君がそばにいても 僕は君が恋しい』、『Even Though You Are Next To Me I Miss You』、『Même si tu es à mes côtés, tu me manques』、『Хоть ты и рядом со мной, я скучаю по тебе』、『即使你在我身边,我还是想念你』。。。 何語に訳しても、その強烈さは失われない。

 물 속에는
 물만 있는 것이 아니다
 하늘에는 그 하늘만 있는 것이 아니다
 그리고 내 안에는
 나만이 있는 것이 아니다
  
 내 안에 있는 이여
 내 안에서 나를 흔드는 이여
 물처럼 하늘처럼 내 깊은 곳 흘러서
 은밀한 내 꿈과 만나는 이여
 그대가 곁에 있어도
 나는 그대가 그립다

 In the water
 It’s not just water
 There is more than just the sky
 And inside me
 It’s not just me.
  
 Who is inside me
 You who shake me from within
 Like water, like the sky, flowing deep inside me
 The one who meets my secret dream
 Even though you are next to me
 i miss you

 水のなかに
 水だけがあるわけではない
 空にはあの空だけがあるわけではない
 そして僕のなかに
 僕だけがいるわけではない
  
 僕のなかにいる人
 僕のなかで僕を揺さぶる
 水のように 空のように 僕の深いところを流れて
 秘密の僕の夢と出会う君
 君がそばにいても
 僕は君が恋しい

君がそばにいても 僕は君が恋しい。人を好きでいるときの感情をこれほど端的に表した言葉が、ほかにあるだろうか。

僕のなかにいる君。僕のなかを流れている水のように、僕のなかに広がる空のように、僕のなかにいて、僕を揺さぶり続ける君。僕の秘密の夢に出会う君。

류시화 の詩のなかの「君」は、류시화 の「君」ではない。読者ひとりひとりが「僕」であり「君」なのだ。

詩人は、読む人を、その気にさせる。류시화 の詩を読む人は、読むときに誰もが 詩人 になる。

詩が 韓国で ますます盛んになり、詩は 日本では 見向きもされない。それはいいことなのだろうが、ちょっと寂しい。

**

류시화 の詩について、少しだけ書き加えたくなった。それは「あるもの」と「ないもの」のことだ。

私たちは、「あるもの」を、あってあたりまえと考えてしまう。「あるもの」があることが、どれだけ有難いことか。それを忘れてしまう。「あるもの」があることが、どれだけ運のいいことか、それを、류시화 が改めて考えさせてくれる。「ないもの」のことも同じ。失ったものについて嘆いたり、失うかもしれないと恐れたり、そんなことには意味がないと、気づかせてくれる。

家を失くした人は、家が恋しい。家を持っている人は、空き地の風が恋しい。恋人を失くした人は、恋人が忘れられない。恋人といる人は、自由が恋しい。人生では何も失われず、何も得られない。すべてはたぶん、空の野原に吹く風のようなものに違いない。

泣きながら、笑える日々を懐かしむ人がいる。笑いながら、いつか泣く日が来るのを恐れている人がいる。私は何のために生きていたのか。何のために生きなかったのか。

生きている人の多くは、死を恐れる。死にゆく人のなかには、早く死ねばよかったと思う人もいる。自由ではない人は自由を逃していることに気付かない。旅人のなかには、自由に疲れて道に倒れてしまう人もいる。

そしてなんといっても、류시화 の詩といえば、「あるもの」への感謝と思いやりだ。

雨が降ったとき、そして雨が止んだとき、君の前に立っていたい。木になりたい。君のまえで、ずっと緑でいたい。鳥たちを集めて、君と一緒に、沈む夕空を眺めていたい。

一度も傷つかなかったように 愛するといい.

そんなことを書きつらねる 류시화 は、いったいどんな暮らしをしているのだろう。いったいどんなふうに人を愛しているのだろうか。류시화 は普通の人だという。普通ということは、どんなに特別なことなのだろう。

詩人に会うことがあったら、馬鹿げたことを言ってみよう。詩人がどんな反応をするか。それを楽しむのも、悪くない気がする。

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最後に、류시화らしい言葉を。

새는 날아가면서 뒤돌아보지 않는다(鳥は飛びながら振り返らない)』から。

 나무에 앉은 새는 가지가 부러질까 두려워하지 않는다.
 새는 나무가 아니라 자신의 날개를 믿기 때문이다.

 A bird perched on a tree is not afraid of the branch breaking.
 That’s because the bird trusts its own wings, not the tree.

 木にとまった鳥は 枝が折れることを恐れない
 鳥は木ではなく 自身の翼を信じているから

(23)キム・スヒョン『私は私のままで生きることにした』

2024年5月24日(金)

自分なりに生きる

今週の書物/
『私は私のままで生きることにした』
キム・スヒョン 著、吉川南 訳、ワニブックス、2019年刊

時代の影響をいちばん受けるのは、「10代のおわりから20代のはじめ」のような気がする。その多感で微妙な時期を、前科がつくこともなく無事に通りすぎることができたのは、幸運だったというほかない。

日本には前科のある人が数百万人いる。前科がつくと、一定の公的な資格の停止・剥奪や、新たに資格取得できなくなるなどの資格制限を受けることになる。また、一度ついた前科は生涯消えることはない。アメリカやカナダ、オーストラリアなどにも行けない。

「10代のおわりから20代のはじめ」には、私はなんにもわかっていなかった。一部の例外を除けば、多くの人は、私と同じようなものだろう。わかっていなかっただけでない。社会のことも、人間のことも、何も知らなかった。

何者でもない自分を持て余し、人間関係で悩む。社会の現実を目にして、社会の不公正に憤る。活字や音楽や映像に触れ、不条理におののく。良くも悪くも不安定で、刺激に弱かった。一言で言えば、若かったのだ。

若い人たちは、いつの時代にも、他人と同じにされるのを嫌う。「誰もがみな、そうしたいわけじゃない」という言葉は、いつの時代の人たちからも聞いてきた気がする。

では今の若い人たちの特徴は、何だろう? 今という時代からどんな影響を受けているのだろう? そんな疑問に答えるのが、今週取り上げる『私は私のままで生きることにした』(キム・スヒョン 著、吉川南 訳、ワニブックス、2019年刊)だ。

この本は6つのパートからなる。
 Part 1 自分を大切にしながら生きていくための To do list
 Part 2 自分らしく生きていくための To do list
 Part 3 不安にとらわれないための To do list
 Part 4 共に生きていくための To do list
 Part 5 よりよい世界にするための To do list
 Part 6 いい人生、そして意味のある人生のための To do list

それぞれのパートに「ごく普通の私が、他人を妬むことなく 冷たい視線に耐えながら、ありのままの自分として生きていくために」することが、10 あまり並んでいる。
 ○ 意地悪な相手にやさしくする必要はない
 ○ 自分からみじめになってはいけない
 ○ もっと堂々と胸を張ろう
 ○ 通りすがりの人たちに傷つけられないこと
 ○ 人生から数字を消そう
 ○ 他人の言葉に惑わされない

そして、それぞれのことについて 数ページの説明がついている。説明はどれも、「自分らしく生きよう」という同じトーンで貫かれている。文章はどこまでも優しい。優しすぎて、弱弱しい。

若い人向きの本なので、読むのは正直、しんどい。『あなたらしく』というような本はだいたいどれも同じで、とくに目新しいことはないのだが、若い人が持つ悩みに付き合うのは、いろいろ思い出されることもあって、つらい。他人から見ればたいした悩みではないのだが、当人にとっては深刻な悩み。それは、どれも痛々しい。

韓国に住んで、食べ物にも住む場所にも困らず、命の危険もない。将来が何となく不安だけど、まあいいか。そんな、そんな諦めに似た感情がバックグラウンドに流れている。普通なら、それで十分に幸せ。他人の生活をうらやましがるのは、よそう。人は人、自分は自分。この先だいたいどんな人生が待っているのか想像できるけれど、そのなかで小さな幸せを探そう。

著者は、
   みんな、不幸をかたくなに隠すからわからないけど、
   あなただけに降りかかる特別な不幸なんて、この世にはない。
なんていうことを、平気で書く。南スーダンに近いケニアのカクマ難民キャンプにいる人たちに降りかかる不幸や、ガザで逃げ惑う人たちに襲いかかる不幸は、きっと著者の想像のうちにはないだろう。世界には想像を越えるような不幸がある。そんな不幸さえも、たいしたことはないという。そんな書き方は、あまりにも酷だ。

この本の読者として著者が想定しているのは、きっとそれほど不幸な境遇にはいない人なのだろう。この本を読んで、読んだ人の状況が好転することはない。ただ、気持ちの持ちようを変えて、安らかな心で、毎日を耐えて生きてゆこう。そんなところか。

幸せな境遇にいるのにそれに気づいていない韓国や日本の若い人にはおススメでも、世界中の若い人におススメかと問われれば、答えは「ノー」だ。戦争のない先進国にいて、命の危険にも飢餓の不安にもさらされることなく生きている人だけにわかる本。SNSで人と自分を比べてしまって気持ちが落ち込んでしまうような人には、とってもいい。

韓国人も日本人とほとんど変わらない価値観や社会の中で生きている。韓国社会の生きづらさ、日本との共通点の多さ。それがわかるだけでも読む価値はある。

**

そうまとめてみて、いや、そんな本ではないという気持ちがどこかにあることに気づいた。「自分との付き合い方」の本はいくらでもあったが、具体的な方法が違っている。

よく「最近の若手社員は、ある日突然退職届を出して辞めてゆく」というような記事を目にするが、この本を読んで気が付くのは「自尊心」というキーワード。東アジア特有の上下関係のせいで我慢しなければならなかったことを、もう誰も我慢しない。

今までの「自分との付き合い方」の本ならば「我慢しよう」というところを、この本は「我慢するのはやめよう」という。「自尊心」を傷つけられたり踏みにじられたりしたら、「そんなところにいてはいけない」というのだ。

今までの「自分との付き合い方」の本が年長者たちに都合のよいものだったのに対し、この本は年長者たちには都合が悪い。優しさを装いながら従順ではない態度は、まるで怖いものがないかのようだ。

工場の流れ作業の一部になって働いたり、オフィスで上司の顔色をうかがいながら仕事をしたりということを「よし」としない人たち。給料よりも「自尊心」を大切にする人たち。そんな人たちが増えていることに気付かされた。

この本がたくさん売れたのは偶然ではない。この本は間違いなく新しい方向を示している。新しい方向は、いままでの人たちにはよくないように見えても、これからの人たちにはとても魅力的に見える。

みんなで戦って変えていく時代から、みんなが協力しないことで変えていく時代へ。いまの年長者たちには理解できない変化が、間違いなく起きている。

(22)名郷直樹『いずれくる死にそなえない』

2024年5月17日(金)

人は死ぬ

今週の書物/
『いずれくる死にそなえない』
名郷直樹著、生活の医療、2021年刊

何も考えないで暮らしていても、医療や死について考えることがある。外国暮らしが長かったので、日本での医療や死について考えることも多い。医療や死についての本はたくさん出ているが、しっくり来る本はそうは多くない。いろいろ読んでみて、しっくり来たのが、名郷直樹という医者が書いた本。医学の本というより、哲学の本に近い。

名郷直樹の本を何冊か読んだ私は、名郷直樹の職場である「Mクリニック」まで出かけていって、高血圧を言いわけにして「名郷先生」の診察を受けることにした。私のなかのバカで単純でミーハーな部分が化学反応を起こしたとしか説明のしようがない。

2回ほど診察を受けたところで「名郷先生」は引退された。その後、診察は「名郷先生」よりずっと若い「I先生」に引き継がれ、私は今も「I先生」に診てもらいに「Mクリニック」に通っている。「I先生」に診てもらうのは楽しい。診察のときの「I先生」の雰囲気からしていいし、「I先生」がインターネット上に書き込んだ言葉:

「臨床はラディカルになるときこそ危険である。ありふれていることが肯定されねばならない。優れた治療者とは凡庸な治療の良さを知る人なのである」

「自分たちが持つ医学的な背景から築かれた認識や価値観よりも、患者の持つ意向や価値観をより尊重した中で、患者にとって最も望ましい方向性をともに見出していく」

もいい。

「I先生」の考えが「名郷先生」の考えと同じとは思えないが、たぶん私は「Mクリニック」が気に入っているのだろう。

で、今週は、「Mクリニック」の「名郷先生」が書いた一冊。『いずれくる死にそなえない』(名郷直樹著、生活の医療、2021年刊)だ。「名郷先生」は、医療現場の現実の矛盾のなかで診療にあたってきた。その矛盾が、とてもよく書かれている。

医者として私が接するのは、当然のことながら、医療に依存して日々を送る人たちが大部分である。そしてその依存度が高ければ高いほど、医療に多くを期待されればされるほど、私自身はそうならないようにしようという気持ちが強くなる。 はっきり言えば、私は医者でありながら、医療に過度に依存したり、大きな期待をするのはばかげていると思っている。より良い医療の恩恵を受けることだけでなく、医療を避けることも重要である。そのバランスをとって生きていかないと、定年後の人生を、あるいは長生きによって得た多くの時間を、台無しにしてしまうかもしれない。そのためには、医療を上手に避け、さらにその先に待つ、動けなくなることを受け入れ、死を避けないで生きることを考えなくてはいけない。

多くの患者と日々接する毎日である。その一人ひとりの患者を、病名ではなく、別の角度で書き直せば、もともと元気であったり、放っておいても勝手によくなったり、薬を飲んでも飲まなくても日々の生活に大きな変わりがながったり、一方で良くなる可能性が小さかったり、どうやっても死んでしまう、という人たちである。私が何か医療を提供すれば良くなる、という人たちは少ない。
ワクチンによる予防接種の効果は社会全体としては大きいが、個々のレベルではもともと元気な人が元気で居続けるだけのことだ。かぜを疑う患者の診療も、かぜに似た重症の病気を見逃さないようにするという点では大きな仕事だが、大部分は医療機関に来る必要もない人である。
高血圧や高コレステロール、糖尿病の患者も大部分は元気である。もちろんその治療により、将来の合併症が幾分少なくなっているという面はある。しかし、これも健診や予防接種と同様、元気な人が元気なままということだ。今の時点で元気な人に、放っておくと病気になってしまいますよと、定かではない未来の不幸の可能性を強調して、脅かしをかけているだけかもしれない。

自らのことを「自然と良くなってしまうかぜのような病気ばかりを診て、どうやっても死んでしまうような人たちの診療を仕事にしている私」と形容する著者は、「死を避けるのは不可能だが、避けなければ少なくとも無力ではない」「人が死んでしまうから無料なのではなく、死ぬことを避けようとするから無力なのである」と書く。

圧巻は、グラフを用いての説明だ。
  「高血圧患者に対する脳卒中の先送り効果」
  「高血圧患者に対する死の先送り効果」
  「虚弱老人の血圧と死亡の関係」
  「高齢者に対するコレステロール治療の脳卒中や心筋梗塞の先送り効果」
  「コレステロール治療の死の先送り効果」
  「コレステロール治療の心筋梗塞に対する効果」
  「血糖治療の脳卒中、心筋梗塞に対する効果」
  「インスリン治療中患者のHbA1cと死亡の関係」
  「抗血小板薬の脳卒中に対する効果」
  「抗血小板薬の死亡に対する効果」
  「認知症の薬の認知症スコアに対する治療効果」
というようなグラフから読み取れるのは、現在の医療への疑問だ。「先送りで得られた時間が、更なる先送りのための医療につぎ込まれるだけ」とか、「高齢者が高血圧とコレステロールを治療したところで、治療しない人と寿命にそれほど大きな差はない」というようなことをグラフから読み取れば、疑問を持つのも当然だ。

現実は、高齢者ほど血圧やコレステロールを気にする。でも事実は、高齢になるほど、血圧もコレステロールも大して重要でなくなってゆく。にもかかわらず、世の中に流れている情報は「高齢者ほど健康に気をつけよう」だ。医者の説明は「降圧薬を飲まないと脳卒中になってしまいますよ、死んでしまいますよ」というものだ。そしてその先に「死を避ける社会」が現れている。

「名郷先生」は、「高齢者は血圧など気にせず、もっと別なことに関心を持って生きたほうがいい」と書き、「血糖を正常化させるような厳しい血糖治療は、合併症予防こうかも意外にわずかで、寿命に関しては縮める可能性さえある」と書く。その一方で、患者に通り一遍の医療を提供する。矛盾しているようだが、他に方策は見当たらない。

患者である私も、「名郷先生」と何ら変わらない。降圧剤の服用に意味がないと思いながら、降圧剤を服用し続けている。「寝たきり」とか「死」ということについても、同じだ。「名郷先生」も私も、矛盾に満ちている。

最後に著者は、「生きがい」から「死にがい」へ、「死に絶望するする」から「死をことほぐ」へ、「死を避ける」から「死を避けない」へという社会の変化が必須だという。「人は年老いて死ぬのではない。人はとにかく死ぬのである」という言葉が印象的だった。

(21)ミュリエル・バルベリ『京都に咲く一輪の薔薇』

2024年5月10日(金)

フランス人の京都

今週の書物/
『Une rose seule』
Muriel Barbery著、Actes Sud、2022年刊

『京都に咲く一輪の薔薇』
ミュリエル・バルベリ著、永田千奈訳、早川書房、2022年刊

京都をプロモートするのは、たいていの場合、外の人か、外からやってきて入り込んだ人だ。そして京都はいつも、ただの素材でしかない。上品な人がプロモートすれば京都は上品になり、下品な人がプロモートすれば京都は下品になる。雅に憧れた人の京都はどこまでも雅で、わびさびに憧れた人の京都はどこまでもわびさびだ。

以前の京都は、欧米の文化人たちが好む京都たっだ。いまの京都は、中国の若い人たちが好むTikTok映えする京都だ。昔々中国に似せて作られた街が、千年以上経って 若い中国人だらけになっている。観光という言葉が街を変え、いまの人にしかわからない街が浮かび上がる。

私のような年代の者には、若い人たちが好きな「映える」京都より、一昔前の「文化的な」京都のほうがいい。その「文化的な」京都の象徴のような施設が、京都の東山にある。「ヴィラ九条山」というフランス人のための滞在施設だ。30年以上前から現代芸術や人文社会科学などの幅広い分野の400名以上のフランス人たちを受け入れてきた。

「ヴィラ九条山」の歴史は100年前に遡る。オーギュスト・ロダンと、その弟子であり愛人でもあったカミーユ・クローデルのことは、よく知られている。カミーユ・クローデルの弟のポール・クローデルが、駐日フランス大使としての日本に来ていたことも、まあまあ知られている。外交官のほかに劇作家や詩人の顔を持つポール・クローデルは、日本の伝統文化とフランスの伝統文化をリンクさせたい一心で募金を募り、1925年に京都の東山に関西日仏学館を完成させた。学館は京都大学の近くに移転し、50年近く放置された東山の建物の跡地に作られたのが「ヴィラ九条山」なのだ。

「ヴィラ九条山」に滞在した人がフランスに帰り、作品を発表したり、話をしたりする。作品に触れたり、話を聞いたり読んだりした人たちが「日本」に興味を持つ。そういう流れが30年以上続いているのだから、その影響力ははかり知れない。

今週取り上げる『Une rose seule』(Muriel Barbery著、Actes Sud、2022年刊)も、そんな流れのなかから出てきた本だ。和訳も『京都に咲く一輪の薔薇』(ミュリエル・バルベリ著、永田千奈訳、早川書房、2022年刊)として出ている。

著者の Muriel Barbery(ミュリエル・バルベリ)は、2008年から2009年にかけて、夫の Stéphane Barbery(ステファン・バルベリ)とともに「ヴィラ九条山」に滞在した。バルベリ夫婦が2年近くの京都での滞在で感じたことが『Une rose seule』のなかに反映されている。

第一章から第十二章まで、各章の最初に古い伝承のような前置きがあり、植物の名を入れた題があり、物語がある。題になった植物を第一章から並べていくと、芍薬、撫子、ツツジ、あやめ、松、梅、すみれ、椿、ナンテン、苔、桜、紅葉。季節を感じさせる植物が並んでいる。それなのに、『京都に咲く一輪の薔薇』のなかでは、季節の感じが少し薄れている。

それにしても、翻訳は難しい。前置きを、訳者の永田千奈さんのように「いにしえの中国、北宋の時代のことでございます」と訳すのと、翻訳ソフトのように「古代中国の北宋の時代」と訳すのとでは、読者の受ける感じはまったく違ってくる。「Un carré de mille pivoines」という題を、「見渡す限りの芍薬の花」と訳すのと。「千本の牡丹の一画」と訳すのとでは、印象はずいぶん違う。

永田千奈さんの翻訳は、正しいし、とてもいい。ところが、『Une rose seule』を読んだ人の持つ印象と、『京都に咲く一輪の薔薇』を読んだ人の持つ印象が、とても違うのだ。

そもそも、フランス人が京都で感じることは、日本人が京都で感じることと、ずいぶん違う。興味の持ち方も、景色の切り取り方も違う。

翻訳の難しさは、逆のシチュエーションを想像すれば合点がいく。フランスのことをあまり知らない日本人の作家がボルドーで2年近くをすごし、『一輪の薔薇』という本を日本で出版したとしよう。それがフランス語に訳されて『Une rose seule à Bordeaux』という本をフランス人が読んだとして、果たしてすんなり読めるだろうか?

日本のことが好きになったフランス人の持つ特殊さは、フランスのことが好きになった日本人の持つ特殊さに似て、なかなか理解され難い。

じつは、私はこの本を読みながら、翻訳のことばかり考え続けた。

永田千奈さんの訳は、学校で教えてくれる訳のような「原文の構文を尊重し決まった訳し方で訳す」仏文和訳ではない。よくある「構文や単語・熟語の一対一対応を追求する」翻訳調でもないし、「漢字の代わりにカタカナを散りばめた」カタカナ調でもない。各章のはじめに物語り文学のような口調を持って来たり、長い段落と短い段落を使い分けたりと、さまざまな工夫をしているし、明らかに著者に問い合わせただろうと思われる律義さも見られる。

それなのに、何かが狂ってしまった感じがぬぐえない。翻訳が良くなれば良くなるほど、元の話から遠ざかっていく。どろどろとした心の中が消え、5月の風のように爽やかな京都探訪になっている。そのことは、表紙を見れば明らかだ。


 
(左)
Une rose seule
de Muriel Barbery

 

(右)
京都に咲く一輪の薔薇
ミュリエル・バルベリ 著
永田千奈 訳

 
 
フランス語の本のなかの 内面にいろいろ抱えた中年女性「Une rose seule (ひとりぼっちのローズ)」は、日本語の本のなかでは 清々しい「京都に咲く一輪の薔薇」に 変身してしまっている。物語の深みが、漫画チックな軽みに変わっているのだ。
なぜそんなことが起こったか、間違えて翻訳してもいいという「度胸」と、完璧な翻訳なんかないのだという「いい加減さ」と、行間を見極める「勘」とが(つまり、優等生にはないところが)永田千奈さんには欠けていたのではないか。

素晴らしい訳をすることに努めた永田千奈さんの訳が原著から離れ、五木寛之が訳した(正確には、國重純二が下訳をしたものを、五木寛之が書き直した)『かもめのジョナサン』のように、原文を読まず、キリスト教的な著者に反感を感じながら創作に徹したもののほうが、原著に近いのは、皮肉だ。

Muriel Barbery は、この話を、墓地で終わらせる。主人公のローズは生まれ変わったと感じる。隣でポールが言う。「人生には ふたつしかない 愛すること そして死ぬこと」と。

(20)Harry Cliff『How to Make an Apple Pie from Scratch』

2024年5月3日(金)

宇宙創造から始めて、アップルパイを作る

今週の書物/
『How to Make an Apple Pie from Scratch』
Harry Cliff 著、Doubleday、2021年刊

私たちは何でできているのか? 私たちのまわりのものは何でできているのか? 人はそんなことを、ずっと昔から考え、説明してきた。魂とか肉体とか、こころとかからだとか、神とか自然とか、あの世とかこの世とか、天国とか地獄とか、天使とか悪魔とか、霊だとかいったものが、宗教とか学問とか政治とか芸術とか言い伝えとかのなかに現れ、そして消えていった。

ここ何百年かは、真実と神という言葉が少しだけ後退し、事実を科学で探ることが主流になってきた。医学が変わり解剖技術が発達すると、センチメートルやミリメートルの世界のことがわかるようになり、脳とか 肺とか 心臓とか 胃腸とか 肝臓とか 膵臓とか 脾臓とか 腎臓とかの臓器とかが明瞭に説明されるようになる。

さらに、光学顕微鏡が発達したことで、マイクロメートルの世界のことまでがよくわかるようになり、細上皮とか 内皮とか 膜とか 管とかの区分けが進み、それぞれが 上皮細胞とか 内皮細胞とかいった細胞でできているという説明がついていった。

そして、電子顕微鏡が発達するようになると、ナノメートルの世界のことまでがわかるようになり、細胞のなかには 細胞核だとか 細胞膜だとか 細胞質だとかがあって、細胞核には 遺伝情報であるDNAやRNAやタンパク質が含まれているとか、DNAもRNAも糖と核酸と塩基でできているとかということを言うようになった。

「糖は 水素と酸素と炭素、核酸は 水素と酸素とリン、塩基は 水素と酸素と窒素 で出来ている。タンパク質はアルギニン グルタミンといった20種類のアミノ酸で出来ていて、アミノ酸は 炭素と水素と酸素と窒素と硫黄で出来ている」などという説明を聞くようになって、私たちは宗教を捨て、科学を信じるようになった。

分子レベルで考えると、人間はその60%が水、12%~20が脂質、15%がタンパク質といわれている。元素レベルで考えると、水が水素と酸素でできていることもあって、酸素が61%、炭素が23%、水素が10%、窒素が2.6% で、その他に カルシウムが1.4%、リンが1.1%、硫黄が0.2%、カリウムが0.2%、ナトリウムが0.14%、塩素が0.12%、マグネシウムが0.027% と書いてあるけれど、本当かどうかは、自分のからだを見ても触っても、わからない。もはや、科学は信じるものなのだ。

地球の大気や海水のことを調べてみると、大気は、78%が窒素、21%が酸素、そして 0.93%がアルゴン、海水は、酸素が85.9%、水素が10.7%、そして塩分が3.4%。私たちの体が、空気と水の主要元素である酸素、水素、窒素でできているのは、決して偶然ではない。そして炭素。炭素が、糖、タンパク質、脂質、DNA、筋肉など、体内のほぼすべてのものの主成分だというのも、たぶん偶然ではない。私たちがこの地球の一部なのだという思いが、改めて強くなる。

でも、大きさがなかなかピンとこない。これはまずいと思って、Excelで表を作ってみる。米粒の大きさはヒトの大きさの1000分の1。その1000分の1が大腸菌などの細菌の大きさ。その1000分の1が水などの分子の大きさ。その1000分の1のそのまた1000分の1が陽子や中性子の大きさ。そんなふうに並べてみる。

そんなとき、「DNAは1億以上もの塩基対を持った相補的な2本鎖が2重らせん構造をとる長大な巨大分子」という文章に出逢った。調べてみると、1塩基対の直径は2nm、長さは0.34nm。1nmの1億倍は1cm。DNAの大きさが1cmなんて、ありえない。なにがおかしいのか。

そう、私はなんてバカなんだろう。大きさが3次元だということを忘れていたのだ。1mの立方体のなかに10cmの立方体が千個入る。1mの立方体のなかに1cmの立方体が百万個入る。1mの立方体のなかに1mmの立方体が10億個入る。つまり長さが10分の1だと大きさは1000分の1で、長さが100分の1だと大きさは100万分の1で、長さが1000分の1だと大きさは10億分の1ということになる。

ということは、米粒の大きさはヒトの大きさの1000分の1ではなくて、10億分の1。その10億分の1が大腸菌などの細菌の大きさ。その10億分の1が水などの分子の大きさ。その10億分の1のそのまた10億分の1が陽子や中性子の大きさなのだ。

陽子や中性子といったものは、光学顕微鏡でも電子顕微鏡でも見ることがでない。見ることのできないものは、検出するしかない。見ることも、存在を感じることもできない。想像すらつかないのだ。

例えば水素の原子という単純なものでさえ、誰にも想像ができない。長さが10-14 m(大きさが10-42 m3)の原子核と、そのまわりを動き回る長さが10-15 m(大きさが10-45 m3)のたったひとつの電子とが、長さが10-10 m(大きさが10-30 m3)の原子をかたちづくっている。これは、細菌のまわりをたった一つのウイルスが動き回ってピンポン玉をかたちづくっているようなものだ。こんな不思議なことを、どう理解すればいいのか?

そもそも原子はどんなものなのか? 昔の教科書に載っていた「原子核のまわりを電子が回るモデル」は正確ではない。電子に存在するある場所があるわけではなく、電子雲と呼ばれる存在する可能性がある場所があるだけ。存在する確率が高いほど雲は密になる。私たちが知っている世界とは違う量子力学の世界は、不思議なことばかり。わからないのがあたりまえではないか。

量子もつれ(entanglement)という二つの粒子がペアを組んでいるような現象も、とてもじゃないけれど理解できない。電子には上向きと下向きがあるのだけれど、ペアになるとどんなに離れていても、片方を観察して方向が上向きと決まったとたんに、もう片方は下向きに決まる。そんな不思議なことをわかれというほうが無理だろう。

わからないことばかりのせいで、論文には「検証も反証も不可能な仮説や理論やモデル」があふれかえり、科学は事実の探求の場所というよりも、推測や想像や妄想の延長になってしまっている。「科学的なこと」というのが「非科学的なこと」と同義語になりつつある。

私たちの住むこの世界は4次元(3次元空間+時間)ではなく、実は10次元(9次元空間+時間)だったと言われても、素直に「はい、そうですか」とは言えない。理論とか仮説とかが次から次へと現れては消えてゆく。

宇宙はダークマター(Dark Matter)とダークエネルギー(Dark Energy)とでできていると誰もが言うけれど、それが仮説の上に成り立っている物語だと知る人は少ない。存在が想定され、間接的に存在を示唆する観測事実はあるけれど、直接的な観測例はない。そんな正体不明のものを信じるのだから、科学はもはや宗教と同じになってしまっている。「わくわく」を感じられないのだ。

今週は、そんな物理学の現状を整理する一冊。『How to Make an Apple Pie from Scratch』(Harry Cliff 著、Doubleday、2021年刊)だ。『In Search of the Recipe for Our Universe, from the Origins of Atoms to the Big Bang』という副題がついている。日本語訳も出版されている。『物質は何からできているのか』(ハリー・クリフ著、熊谷玲美訳、柏書房、2023年刊)で、こちらには『アップルパイのレシピから素粒子を考えてみた』という副題がついている。

この本の題名は「アップルパイをゼロから作りたいなら、まず宇宙を発明しなければならない」というカール・セーガンという物理学者の言葉からつけられた。アップルパイの究極のレシピを見つけるということは、物質が実際に何でできているのかという疑問に答えることになるというのだ。

ビッグバンの恐ろしい熱の中でどうやって消滅を免れたのか? 私たちは宇宙の誕生の瞬間を理解することができるのだろうか? そして、物質は何からできているのか? そんな疑問にはたして答えられるのか?

著者のハリー・クリフ(Harry Cliff)は物理学者で、素粒子物理の実験を仕事にしているのだが、この本が扱う範囲は驚くほど広い。宇宙について、そして素粒子について、今わかっていることの全体像を示してくれる。それだけではなく、実証されたのか、されてないのか、されているとしたらどのように実証されたのかも書かれている。

ハリー・クリフは、実験物理学者というより、素晴らしい作家だ。なぜ物があるのか? すべてはどこから来たのか? 物質が実際に何であるかをどのようにして学んできたのか? ビッグバンから星の爆発を経て、いまの私たちに至るまでの物語は、どれもすべて興味深い。

私がこの本に出逢う前に持っていた「科学はもはや宗教と同じ」とか「わくわくが消えた」というようなネガティブな感じが一気に吹き飛んだ。まるでSFのような科学のことは、ハリー・クリフのように笑って見ていればいいのだ。

『How to Make an Apple Pie from Scratch』の第1章から第7章まで、「Elementary Cooking(初級クッキング)」「The Smallest Slice(最小のスライス)」 「The Ingredients of Atoms(原子の材料)」「Smashed Nuclei(砕かれた核)」「Thermonuclear Ovens(サーモニュークリア・オーブン)」「Starstuff(スタースタッフ)」「The Ultimate Cosmic Cooker(究極の宇宙調理器)」と続くのだが、どこをとっても明瞭で、曖昧さが微塵もない。論理的に、しかも合理的に組み立てられた文章は説得力にあふれている。

第8章から第14章までの「How to Cook a Proton(プロトンを調理する方法)」「What Is a Particle, Really?(そもそも粒子って何?)」 「The Final Ingredient(最終的な材料)」「The Recipe for Everything(すべてのためのレシピ)」「The Missing Ingredients(足りない材料)」「Invent the Universe(宇宙を発明する)」「The End?(終わり?)」は、がぜん面白くなる。気の合う友たちと語り合うような気分の読書だ。

最後に(第14章のあとに)ご丁寧にも『How to Make an Apple Pie from Scratch(アップルパイをゼロから手作りする方法)』が書いてある。八人分のアップルパイを138億年かかって作る手順だ。まず宇宙を作る。時空を1溝分の1秒(10-32秒)だけ膨張させ、温度を急激に上昇させ、大量の粒子と反粒子を作り出し、電磁場と強い力の場を生成させたあと、引き続き1兆分の1秒(10-12秒)膨張させて、時空をゆっくり冷やす。そしてヒックス場をオンにする。そのあと物質を作るための複雑な手順がいろいろ細かく書かれているのだが、宇宙が作られてから、表面を水素と酸素と窒素と炭素で覆われた惑星がひとつ出来上がるまでのことが、この本を読んで得た知識でよくわかってしまう。そのわかるという快感が、ここまで読んできた読者への著者からのプレゼントなのだろうと思うと、自然と頭が下がる。運が良ければ、そのあと45億年ほどで、リンゴの木と牛と小麦のような生命体と、それにスーパーマーケットなんかもできているだろうから、あとはアップルパイの材料を買ってきて作るだけ。本はそんなふうに終わる。

この本を読んで、物理学について(いまの物理学のメインストリームの人たちから見て)私が間違って理解していたこと、そして(いまの物理学のメインストリームの人たちから見て)私の理解が足りなかったことが、次々に浮かび上がってきた。それだけでない。(いまのメインストリームの)物理学のさまざまなことが整理され、(失われていた私の)「わくわく」が蘇ってきたのだ。久しぶりのいい感覚だった。

(19)Bruno Latour『Face à Gaïa. Huit conférences sur le nouveau régime climatique』

2024年4月26日(金)

ガイアという夢

今週の書物/
『Face à Gaïa. Huit conférences sur le nouveau régime climatique』
Bruno Latour 著、Empêcheurs de penser rond、2015年刊

本屋でめぐり逢い、せっかく買ってきたのに、あまり読まずに棚ざらしになってしまう本がある。棚ざらしになる理由はそれぞれに違うが、なかには本棚のなかで堂々としていて、えばっている本もある。

今週取り上げる『Face à Gaïa. Huit conférences sur le nouveau régime climatique』(Bruno Latour 著、Empêcheurs de penser rond、2015年刊)もそんな本だ。フランスの家の寝室の本棚のなかで、えばっている。その訳の『ガイアに向き合う: 新気候体制を生きるための八つのレクチャー』(ブルーノ・ラトゥール 著、川村久美子 訳、2023年刊)も日本の家の寝室の本棚のなかで、えばっている。

なぜそんなことが起きるのか。いつの頃からか James Lovelock(ジェームズ ラブロック)の『Gaia(ガイア)』があたまの中を占めている。そのせいだ。地球自体がひとつの生命システムなのではないか。地球は生きているのではないか。そんな考えが気に入ったせいか、タイトルに「ガイア」が付くと、つい買ってしまう。家に帰って本を広げ、わくわくした気持ちが消えてしまうと、本は閉じられ、本棚にしまわれる。

『Face à Gaïa』も『ガイアに向き合う』も例外ではなく、真面目に読まれることなく本棚にしまわれた。理由の一つに「内容が期待していたものと違うようだ」ということがある。地球が生きているということ。地球が生物のような一つのシステムだということ。そんなことを読みたいと思って買ったのに、内容はどうもそんなことではなさそうだ。だからしまわれた。

「ガイア」の話は、1958年に46歳のWilliam Golding(ウイリアム・ゴールディング)という小説家がBowerchalke(バウチョーク)という人口400人足らずの小さな村に引っ越したことに始まる。ゴールディングはその村で38歳の物理学者ラブロックに出会い、二人はすぐに一緒に散歩する仲になった。

散歩の途中、二人はよく「地球という惑星は生きていて、まるでひとつの有機体のように思える」というラブロックの考えについて話し合った。物理学者の考えは小説家の空想によって大きく膨らんでゆき、その後のラブロックの「生きている地球」に発展してゆく。

ちなみに、ギリシャ神話の地球の擬人化でありタイタンの母である「ガイア」の名を使ったらどうかと言ったのはゴールディングで、ラブロックはその後ずっと「生きている地球」を「ガイア」と呼び続けた。

ゴールディングは1983年にノーベル文学賞を受賞し、1988年には大英帝国勲章CBEを受章する。ラブロックは「生きている地球=ガイア」の考えを世に出すことに成功する。イギリス南部の小さな村での出会いと散歩は、二人にたくさんのものをもたらした。

ラブロックの「生きている地球=ガイア」の考えが1970年代に論文や本という形で世に出た頃には、「ガイア」はびっくりするくらいロマンティックだった。私たちのような動物はもちろん、草木から細菌に至るまでの生き物や、空気などの表層、海水や地層、そして地殻、マントル、核も含めて「すべてがガイア」なのだというそんな考えは、当時、多くの人の心を揺さぶった。

で、いま、『Face à Gaïa』を本棚から取り出し、改めて読んでみると、これが結構おもしろい。訳本の『ガイアに向き合う』も似たような感じだ。いま流行りの「エコロジー」の本だったのだ。うかつにもそうと思わず、フランス語と日本語の本を本棚に並べていたなんて。とは思ったが、読み進めてみる。エコロジストたちのための本を読むのは初めてだと気づく。

エコロジストたちの特徴のひとつに、結集できないことがある。政治的な対立、社会的な対立、経済的な対立、文化的な対立、宗教的な対立、思想的な対立。ありとあらゆる対立が一緒に活動することを妨げる。会議を何回重ねてもまとまらず、求めることが違いすぎて、お互いを理解することなど夢のまた夢。環境に配慮しているのが売りのファッション・デザイナーと、自然保護運動にまい進している市民活動家とのあいだに、共通の目標などあるはずはないし、地球に優しい最先端技術をアピールする企業が求めるものと、自然に帰れという現代文明否定論者が求めるものが、同じはずもない。

ラトゥールは「私たちは今、単なるエコロジー危機ではなく、人類と自然の関係性が大激変した時代を生きている」というのに「人々は驚くほど冷静に、こうしたニュースを聞いている」と言って危機感をつのらせる。「科学は真実を明らかにするもの」というような旧来の価値観を捨て去り、新しい価値観を持つことで、危機に突入することを防ぎたい。そう思っても、危機感を持たない人々には伝わらない。この分厚い本を書いたのも、人々に危機感を持ってほしかったからだろうか。

そんなことを考えながら読み進むうちに、私は大きな驚きに遭遇する。3つ目のコンファレンスで、ラブロックの「ガイア」が現れたのだ。ガリレオと対比するかたちで、ラブロックへの尊敬が込められた文章がたくさんあらわれたてきた。

三世紀半を経て、ラブロックは、ガリレオには考えも及ばなかった地球のいくつもの特徴を見出した。それは地球の色であったり、匂い、表面、手触り、起源、加齢、死であったりする。そして、まさに私たちが住む地球の表面の薄い膜の上での運動や振る舞いの発見である。
  
ガリレオの動く地球に、ラブロックの動かされる地球をつけ加えることで、説明は完全になる。

そんな文章を読みつつ、私はとても幸せだった。ラブロックが捉えた地球には、内部と外部の差を生き生きと保つ能力がある。さらに、ラトゥールは「ガイア」に向き合えという。私たち生命がいる地上の薄い膜に向き合い、地上の存在(テレストリアル)としての人類のあり方を選択すべきだというのだ。

ここで私は、あることに気がついた。ラトゥールの「ガイア」は、やたら理屈っぽい。ロマンティックではないのだ。

なにかを地球から排除すれば、自分自身の一部を破壊することになる。なぜなら、私たちは「ガイア」の一部だからだ。「ガイア」は単なる地球ではなく、生命システムであり、私たちは皆その一部だ。

そう言って、エコロジストとしての主張を繰り広げる。ガイアの声に耳を傾けている環境保護活動家たちの言うことをもっとよく聞け。ガイアの声に耳を傾けようとしない気候変動否定主義者たちの言うことは聞くな。ラトゥールも、他のエコロジストたちと同じく、他の立場の人たちの言うことを聞こうとはしない。

善悪の二項対立を基本にするから、話がどんどん閉鎖的になってゆく。他人の矛盾を突いてゆけば、自分の矛盾が浮かび上がってくる。「こうあるべき」の泥沼の不果実性を批判しながら、「無制限な土地利用をやめるべき」とか「地上的存在としての人類のあり方を選択すべき」と言ってしまう。いろいろな考えを紹介しすぎることもあって、ラトゥールの議論の矮小性が際立ってしまう。

私のような「ただの人」にとって、生活の快適さを手放すのは、容易な選択ではない。暑ければ冷房の効いた部屋で涼みたいし、寒ければ暖房の効いた部屋で暖まりたい。飛行機や自動車に乗って移動したいし、電子機器を使って毎日の生活を楽しみたい。地球のためだからといって、すぐにこういった快適さをあきらめることはできない。

そもそも、エコロジストたちの言うことだけが正しいと、誰が言えるのだろう。地球温暖化が進んでいるのは確かだとして、それが人間に良くないというのも本当だとして、果たしてそれが地球に悪いと言えるのだろうか。短期的には地球の温暖化が進んだとしても、数万年もすれば地球は間違いなく冷たくなる。それ以前に、温暖化の原因となっている人間の数が大きく減り、温暖化は間違いなく解消される。そう思えば、エコロジストたちの持つ危機感は、杞憂でしかない。

新気候体制といえば、そうかもしれないと思うし、人新世といえば、なるほどなあと思う。でも、それもこれも、人が考えたことではないか。時の終末という言葉が使われても、それは人にとっての時の終末であって、時の終末ではない。「ガイア」を中心に考えるようでいて、人間を中心にしか考えていない。

人間は、いつか、いなくなる。人間がいなくなっても、ガイアは続く。そのガイアも、いつか、なくなる。それでも宇宙は続く。科学を言うならば、そして事実を言うならば、人間がいつかいなくなり、地球がいつかなくなるということを受け入れたらどうなのだ。どこまでも人間中心の『Face à Gaïa』を読んで、心からそう思った。

科学と政治の分離とか、記述と行為の分離とかの議論をいくら深めてみても、何も変わりはしない。この本を読むことで知識の量は格段に増えるが、それで社会が変わったりはしないと思う。ましてや、人間がいなくなるとか、地球がなくなるということに、変わりがあるはずがはない。