2024年10月4日(金)
ロスト・イン・数学
今週の書物/
『Lost in Math』
Sabine Hossenfelder 著
Basic Books (2018)
『数学に魅せられて、科学を見失う』
ザビーネ・ホッセンフェルダー 著、吉田三知世 訳
みすず書房、2021年刊
物理学はもう何十年ものあいだ、顕微鏡でもとらえられない小さい量子と、望遠鏡でもとらえられない遠くの宇宙とを追いかけてきた。理論物理学者たちは数学を使って自然現象を説明しようとし、実験物理学者が観測によって理論物理学者たちの説明の妥当性を検討する。ほとんどの場合、実験物理学者の検討は、理論物理学者の言うことの否定で終わる。
小さいものの観測は、CERN (Conseil européen pour la recherche nucléaire、欧州原子核研究機構) の LHC (Large Hadron Collider、大型ハドロン衝突型加速器) に代表される さまざまな加速器で行われている。
陽子や中性子といった粒子は、「電子顕微鏡でぎりぎり見ることのできることのできる原子」の 10万分の1 というとてつもなく小さいものなので、直接観察することができない。そこで加速器で粒子と粒子を衝突させ、衝突後の粒子の崩壊の軌跡を観測することで 粒子のことをわかろうとしているわけだ。
量子力学の世界は、superposition(重ね合わせ)や quantum entanglement(量子もつれ)のことを持ち出すまでもなく、私たちのいる力学の世界とは、なにからなにまで違う。力学の世界にいる私たちが、力学の世界の実験装置を使い、量子力学の世界のことをわかろうというのだから、加速器を使っての実験はとても難しいものになる。
遠いものの観測は、ALMA (Atacama Large Millimeter/submillimeter Array、アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(アルマ望遠鏡)) に代表される電波干渉計や、JWST (James Webb Space Telescope、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡) に代表される宇宙望遠鏡で行われている。
ALMA を用いた大規模探査の観測データの中から、131億年前の宇宙で塵に深く埋もれた銀河が発見されたという。131億光年離れた天体が放った電磁波(光や電波)は、131億年の時間をかけて地球に届くので、観測されたものは、その銀河の131億年前の姿だ。
宇宙で遠くを見ることは、昔を見ることと同じ。131億年前のその場所に塵に埋もれた銀河があったからといって、今その場所に同じものがあるわけではない。46億年前に太陽ができ、45億4000万年前に地球ができたということだから、(ビッグバンからたった7億年しか経っていない)131億年前の宇宙がこうでしたといわれても 素直に「はい、そうですか」とは言えない。
小さい量子を追いかけてきた物理学者たちも、遠くの宇宙とを追いかけてきた物理学者たちも、どちらも行き詰った感じに見える。Standard Model (標準モデル) とか Grand Unified Theory (大統一理論) とか、夢のようなことが話されるようになって久しいが、今のところ何のブレークスルーも示されてはいない。
で、今週は、物理学の現在を考える本を読む。『Lost in Math』(Sabine Hossenfelder 著、Basic Books、2018年刊)だ。日本語訳も『数学に魅せられて、科学を見失う』(ザビーネ・ホッセンフェルダー 著、吉田 三知世 訳、みすず書房、2021年刊)として出版されている。
本を開いて はじめに出てくる「Preface」が強烈だ。数十億ドル(数千億円)を使いながら、物理学者たちは もう何十年も「もうすぐ素晴らしい発見がある」と言い続けてきた。加速器を建設し、人工衛星を打ち上げ、地下や山頂に観測機器を据えてきたが、新しい事実が明らかになることはなかったということを、まず書いている。
その上で、物理学者たちを裏切ったのは数学ではなく、数学の選び方だったという。自然はエレガントでシンプルだと信じていた物理学者たちは、結局 エレガントでシンプルな数式にたどり着くことはなかった。どんな法則が宇宙を支配していようが、それは物理学者たちが期待していたものとは違っていた。そういう結論を「Preface」で書いてしまっているのだ。
自然法則は美しいものなのだと信じてしまったホッセンフェルダーが、何かを信じるということは、科学者がやってはならないことではないのかという思いにたどり着く。探求し続けるという科学が、信じるという宗教になってしまってはいけない。そのメッセージは重い。
ホッセンフェルダーは、第1章から第5章まで、もはや物理学が理解できていない自分に気づき(第1章)、カッコいいアイデアが時にはひどく失敗すると知り(第2章)、教育を通して学んだことをまとめ(第3章)、物理学者として生きていくことの難しさに直面し(第4章)、理論物理学者たちの想像力に驚く(第5章)。
第6章から第9章までの「量子力学という魔術のようなもの・理解できないはずのものが、いったいなぜ理解できてしまうのか(第6章)」「もし自然法則が美しくなかったら(第7章)」「ひとりの弦理論研究者を理解しようと試み、ほぼ成功しそうになる(第8章)」「あるとされる さまざまな粒子を誰も見ていないのはなぜか(第9章)」というような話も、それぞれに興味深い。
そしてたどり着いた第10章で、ホッセンフェルダーは第1章から第9章までの説明をする。「私は九つの章を使い、理論物理学者たちは過去の美の理想に固執して袋小路にいるということを証拠を挙げながら主張してきた」というのだ。「えっ」と思って読み返してみると、確かにそうだ。それを読み取れなかった私は、何を読んでいたのだろう。がっかりは大きい。
そんなことはともかく、ホッセンフェルダーは「ヒッグス粒子の質量の問題」「強いCP問題」「宇宙定数が小さいという問題」などが、矛盾ではなく、数の一致に関するもの・美に関する懸念なのだという。
ホッセンフェルダーは思索の後、三つの教訓を得る。「問題を数学で解決したいなら、それが本当に問題であるか確かめる」「仮定を明言する」「観測による導きが必要だ」という教訓は、言い換えれば「物理学は数学ではない」ということになる。「物理学は自然を記述する数式を選択する学問だ」というあたりまえの結論にたどり着く。そんなことが教訓として語られなければならないほどに、今の理論物理はずれたものになっているのだろう。
ホッセンフェルダーは最後に「やるべきことが たくさんある」「物理学の次のブレイクスルーは、今世紀に起こるだろう」と書く。そしてこの本を「それは美しいだろう」という言葉で終える。
どんなに否定的なことを書いても、『Lost in Math』という本を出版しても、ホッセンフェルダーは物理学者であることを諦めてはいない。『Lost in Math』という本は、もしかしたら、とてもポジティブな本なのかもしれない。
個人的には、この本は救いだった。今までの長いあいだのモヤモヤが一気に晴れた。そんな気がした。ホッセンフェルダーがこの本を書いてくれたことに、心から感謝している。。。のだが、細かいことを言えば、突っ込みどころの多い本でもあった。
例えば、先ほども取り上げた「Preface」の「数十億ドル(数千億円)を使いながら、物理学者たちは もう何十年も「もうすぐ素晴らしい発見がある」と言い続けてきた。加速器を建設し、人工衛星を打ち上げ、地下や山頂に観測機器を据えてきたが、新しい事実が明らかになることはなかった」という部分。ALMA の建設費用だけで 14億ドル(2千億円)、CERN の LHR の建設費用にいたっては 90億ドル(1兆2千億円)とも 300億ドル(4兆円)とも言われていることを考えれば、物理学者たちが使ってきたお金は数千億ドル(数十兆円)に及ぶ。桁が二つも違うことに驚く。
ホッセンフェルダーだけでなく、多くの物理学者たちが、自分たちがどれだけのお金を使っているのかということについての意識に乏しい。ほとんどの物理学者たちは、自分たちにあてがわれた予算しか眼中にない。電気技術者の人件費やセキュリティーにいくらかかるかとか、施設の建設にいくらかかったとか、知っている物理学者は少ない。
この本の記述のなかには、物理学者たちの世間知らずのところとか常識のないところが垣間見られる。もっともそれは物理学者たちのいいところでもあるので、あまり突っ込まないでおいたほうがいいのだろう。
たとえ突っ込みどころが多くても、この本がいいことに変わりはない。何度も手に取って開く。そのたびに新しい発見がある。こんな本はめずらしい。