人口減少社会の到来

地球上の人口は増え続けるのか?

地球上の人口は、これからも増え続けるのだろうか。インターネット上には、さまざまな予測があふれている。

2050年には100億人に近づく。2100年まで増え続ける。2060年ごろを境に急激に減り始める。あるいは、2040年にはすでに減少に転じ、2100年には40億人にまで減る。

これほど予測に幅があるのだから、どれを信じればよいのかわからない。競馬の予想が外れ、経済予測が外れるように、人口予測もまた外れるのかもしれない。

それでも、多くの国で出生率が低下しているという大きな流れは無視できない。地球上の人口がいつ減少に転じるのかはわからない。しかし、人口が永遠に増え続けると考えるほうが、むしろ難しくなってきている。

そして本当に考えてみたいのは、その先である。

人口は、減り始めたら自然に止まるのだろうか。それとも、減少そのものが次の減少を生み、坂道を転がるように減り続けていくのだろうか。

地球上の人口は増えたほうがいいのか、減ったほうがいいのか

では、地球上の人口は増えたほうがいいのだろうか。それとも、減ったほうがいいのだろうか。

人口が増えることを、私たちは長いあいだ、どこかで「良いこと」だと思ってきたように思う。人口が増えれば、働く人が増える。ものを買う人も増える。家が建ち、町が広がり、企業が成長し、税収も増える。少なくとも近代の経済社会は、人口の増加と経済の成長を、ごく自然に結びつけて考えてきた。

だから人口が減り始めると、急に心配になる。働く人が足りなくなる。高齢者を支える人が少なくなる。市場が縮小する。地方の町が消えていく。国の力が弱くなる。人口減少について語られるとき、「減ることによって何を失うのか」がまず問題になる。

しかし、少し離れて考えてみると、不思議でもある。

なぜ人口は、増え続けなければならないのだろう。地球の大きさは変わらない。農地にも、水にも、森林にも、海にも限りがある。その限られた地球の上で、人間だけが増え続けることを当然の前提にしてよいのだろうか。

人が少なくなれば、一人あたりに使える空間は増えるかもしれない。住宅を際限なく建て続ける必要もなくなるかもしれない。森林を切り開き、海岸を埋め立て、山を削り、新しい道路や都市を造り続ける圧力も弱くなるかもしれない。人間以外の生き物が生きる場所を、少しは返すことができるかもしれない。

そう考えると、人口が減ることそのものを「悪いこと」と決めつける理由はない。しかし、だからといって、人口が少なければ少ないほどよいということにもならない。

人口があまりに急激に減れば、社会を維持することが難しくなる。病院や学校、交通や上下水道のような仕組みは、ある程度の人がいることを前提としてつくられている。人口減少の問題は、単に「人間の数が少なくなる」ことではなく、人口が増えることを前提につくられてきた社会の仕組みが、その変化についていけないことにあるのかもしれない。

だとすれば、本当に問うべきなのは、

「人口は増えたほうがいいのか、減ったほうがいいのか」ではないのかもしれない。

増えなければ維持できない社会とは、いったいどのような社会なのだろう。人口が増えなければ経済が成長しない。経済が成長しなければ社会保障を維持できない。若い人が増えなければ高齢者を支えられない。そのため、もっと子どもを産んでもらわなければならない。

もしそうだとすれば、奇妙な循環が生まれる。

社会を維持するために、次の世代を増やし続けなければならない。

しかし、その次の世代が年を取れば、さらにその世代を支える次の世代が必要になる。

いつまで続けるのだろう。人口100億人で足りなければ、110億人にするのだろうか。110億人を維持するために、さらに次の世代を増やすのだろうか。

そこで初めて、人口減少は別の顔を見せ始める。人口が減ることは、文明の失敗なのだろうか。

それとも、増え続けなければ成り立たない文明のほうに、どこか無理があったのだろうか。

なぜ人口は急激に増えたのか

では、そもそも、なぜ地球上の人口はこれほどまでに増えたのだろう。

人間は、もともと増え続けることのできる生き物ではなかった。子どもはたくさん生まれた。しかし、その多くが大人になる前に死んだ。大人になっても、病気や飢饉、怪我や感染症によって命を失った。たくさん生まれ、たくさん死ぬ。その繰り返しのなかで、人間の数は長いあいだ、それほど急激には増えなかった。

ところが、ある時から、この均衡が崩れ始める。農業生産が増え、食料が以前より安定して供給されるようになる。衛生環境が改善され、医学が発達し、感染症によって命を落とす人が減っていく。乳幼児の死亡も減り、それまでなら生き残れなかった人たちが生き残るようになる。

まず「死ぬ人」が減ったのである。

ところが、「生まれる人」はすぐには減らなかった。

ここに時間差が生まれた。

人口学でいう人口転換の重要な部分はここにある。死亡率が先に低下し、出生率はしばらく高いまま残る。そのため、生まれてくる人の数が亡くなる人の数を大きく上回り、人口が急速に増えていく。

考えてみれば、人類の人口爆発は、「人間が突然たくさん子どもを産むようになった」ために起こったのではない。

むしろ逆だった。

人間が死ななくなったのである。

もちろん、死ななくなったわけではない。以前より長く生きられるようになり、とりわけ幼くして死ぬ人が少なくなったということである。

これは、人類にとって途方もない成功だったはずである。病気になった人を治療する。子どもを死なせない。飢えている人に食べ物を届ける。安全な水をつくる。下水道を整備する。感染症を防ぐ。

その一つひとつに、「人口を爆発的に増やそう」という目的があったわけではない。目の前にいる人を死なせたくない。

ただ、それだけだったのではないだろうか。

ところが、その小さな成功が何億回、何十億回と積み重なると、まったく別の現象が起こった。

地球上の人間の数が、猛烈な勢いで増え始めたのである。実際、世界人口の増加は20世紀後半に歴史的に前例のない速さに達した。

そう考えると、人口爆発という言葉には少し奇妙なところがある。それは人類が計画した「爆発」ではなかった。

一人ひとりの命を救おうとしたことの集積が、結果として人口を増加させた。そして、その後になって出生率が下がり始める。子どもが以前ほど死ななくなれば、たくさんの子どもを持つ必要も小さくなる。社会や経済の構造も変わり、女性の社会的な立場も変化していく。そうした複数の変化とともに出生率は低下し、人口増加の速度も落ちていく。

すると、人口の急増は、人類の歴史のなかの永続的な状態ではなく、ある均衡から別の均衡へ移る途中で起きた、一時的な現象だったのかもしれない。

かつては、たくさん生まれ、たくさん死んだ。やがて、たくさん生まれ、あまり死ななくなった。

そして今、多くの社会では、あまり生まれず、長く生きるようになった。もしそうなら、人口が減少へ向かうことも、人類の異常事態とは限らない。

むしろ不思議なのは、人口が減ることではなく、わずか数世紀のあいだに、人間の数がこれほどまでに増えたことのほうなのではないだろうか。

戦争や疫病や災害は人口を減らさない

戦争が起これば、人口は減る。そう考えるのは自然なことだ。しかし、本当にそうなのだろうか。

20世紀には、二度の世界大戦をはじめ、数え切れないほどの戦争があった。膨大な数の人が殺された。それでも20世紀全体を振り返ってみれば、世界人口の増加そのものは止まらなかった。

疫病についても同じようなことが言える。1918年から世界を襲ったスペイン風邪は、人類史上でも特に致命的なパンデミックの一つだった。死亡者数にはかなり幅のある推計が残されているが、世界規模で甚大な被害をもたらしたことは間違いない。

それでも、それによって人類の人口増加そのものが終わったわけではなかった。災害はどうだろう。

大地震や津波、洪水などによって、一つの町や地域から一瞬にして多くの人が失われることがある。当然、その土地の人口は大きな打撃を受ける。さらに災害は死亡だけでなく、その後の出生や移住にも影響を与える。

それでも、世界全体という長い時間軸から眺めると、戦争も疫病も災害も、人類の人口を増加から減少へと恒久的に反転させる力にはならなかった。

ここには、少し不思議なことがある。

私たちは人口減少というと、つい「人がたくさん死ぬこと」を想像する。しかし、人口が長期的に減るために、必ずしも大量の人が突然死ぬ必要はない。

生まれてくる人が、少なくなればいい。

戦争は人を殺す。疫病も人を殺す。災害も人を殺す。けれど、それらによる大量死が終われば、人口を増やしてきた仕組みそのものが残っているかぎり、再び人口は増えることができる。

ところが出生数の減少は、それとは性質が違う。生まれなかった人は、どこにも存在しない。

死者が残す空席とは違って、最初からそこには誰もいない。そして、その「いない人」からは、次の世代も生まれない。

だから人口減少というものは、ひょっとすると戦争や疫病よりも静かで、それでいてはるかに長い時間をかけて作用する現象なのかもしれない。

銃声も聞こえない。病院が患者であふれることもない。町が一夜にして破壊されることもない。

ただ、子どもが一人生まれない。翌年も一人生まれない。

それが何百万、何千万という家族で起こり、それが一世代、二世代と続いていく。戦争でも、疫病でも、災害でも終わることのなかった人口増加が、なぜ今、静かに終わろうとしているのだろう。

「増えたものは、いつか減るものだ」と言ってしまえば簡単である。しかし、そんな単純なことではないはずだ。

人口を増やしたのも、人間だった。人口を減らし始めたのも、人間である。

しかし、どちらも人類がそうしようと決めて始めたことではない。

だとすれば、次に考えなければならないのは、もっと奇妙な問いなのかもしれない。

人間は、なぜ子どもを産まなくなったのだろう。

地球上の人口減少が、一人ひとりの生活をよくする

人間は、なぜ子どもを産まなくなったのだろう。この問いを考える前に、もう一つ考えてみたいことがある。

人口が減るということは、本当に悪いことなのだろうか。

人口が急速に増える社会では、増え続ける人々に食料を供給し、住宅を用意し、学校を建て、病院をつくり、仕事を生み出し続けなければならない。

昨日より多くのものを、今日つくらなければならない。そして今日より多くのものを、明日つくらなければならない。

それができなければ、一人ひとりに行き渡るものが少なくなってしまう。もちろん、人口が増えれば必ず貧しくなるわけではない。社会が豊かになり、生産性が高まり、人口以上の速さで富が増えれば、一人ひとりの暮らしを豊かにすることはできる。

しかし、人口増加の速さに経済や社会の整備が追いつかなければ、事情は違ってくる。

学校をつくっても足りない。教師を増やしても足りない。病院をつくっても足りない。住宅をつくっても足りない。仕事をつくっても足りない。

国の予算には限りがある。十人の子どもを教育するのと、百人の子どもを教育するのとでは、一人の子どもに使えるものが違ってくる。それは家庭についても同じである。

子どもの数が多ければ、食費も、衣服も、住居も、教育も、医療も必要になる。実際、子どもは食料、衣服、住宅、教育、医療、そして親の時間を必要とし、出生率の低下によって、それらの資源を別の用途に振り向けられる可能性が生まれる。

そう考えると、出生率が下がるということには、これまで人口減少について語られるときにはあまり強調されてこなかった、もう一つの側面が見えてくる。

一人に、より多くを使えるようになる。

一人の子どもに、よりよい教育を与えることができる。一人の患者に、よりよい医療を提供できるかもしれない。

一人ひとりの女性が、子どもを産み育てることだけによって人生を規定されず、自分の教育や仕事や生活について選択できる余地も広がるかもしれない。

家族についても同じことである。扶養する子どもの数が減れば、家計の資源を一人ひとりに多く配分できる可能性が生まれる。そして社会全体で見れば、働く世代に対する子どもの割合が低下する時期には、経済成長や一人あたり所得の向上につながる条件が生まれる。人口学では、これを「人口ボーナス」と呼んでいる。

しかし、人口ボーナスは、人口が減れば自動的にもらえる贈り物ではない。

子どもの数が減っても、その子どもたちに十分な教育を与えなければ何も変わらない。健康でなければならない。働く場所がなければならない。女性にも男性にも、能力を生かして働く機会がなければならない。

つまり、「人が少なくなること」そのものが社会を豊かにするのではなく、人が少なくなることで、一人ひとりにより多くを使うことのできる余地が生まれるのである。

この違いは大きい。

これまでの社会では、人が増えることによって国が豊かになると考えてきた。働く人が増える。税金を払う人が増える。ものを買う人が増える。企業の市場が大きくなる。だから人口が増えることを「成長」と呼んできた。

けれども、別の成長の仕方があるのかもしれない。

人の数を増やすのではなく、一人あたりに使うものを増やす。

百人を最低限の教育で社会に送り出すのではなく、五十人に十分な教育を与える。できるだけ多くの労働者をつくるのではなく、一人ひとりが自分の能力を十分に使えるようにする。

人口を増やすことで社会を豊かにするのではなく、一人ひとりを豊かにすることによって社会を豊かにする。

もちろん、それにも限界がある。

出生率が下がり続ければ、やがて高齢者の割合が増え、今度は別の扶養負担が大きくなる。出生率低下によって最初は扶養人口比率が下がっても、人口高齢化が進めば、その効果は反転し得る。

だから、人口は減れば減るほどよい、という話でもない。それでも、人口減少を「国力の衰退」「経済の縮小」「働き手の不足」とだけ見る必要もないのではないだろうか。

もっと違う見方ができる。

人口減少とは、人間の数を増やすことから、一人の人間により多くを与えることへと、社会の目的を変える機会なのかもしれない。

そして、ここまで来ると、先ほどの問いがもう一度戻ってくる。人間は、なぜ子どもを産まなくなったのだろう。

もしかすると、人間は貧しくなったから子どもを産まなくなったのではない。

一人の人間に、より多くの時間を、より多くの教育を、より多くの自由を、より多くの人生を与えようとする社会になったから、たくさんの子どもを持つことが難しくなったのではないだろうか。

地球上の人口減少が、気候危機を終わらせる

人口が減ることによって、一人ひとりにより多くのものを与えることができるようになる。では、人間以外のものにとってはどうなのだろう。

人口が増えれば、それだけ多くの食料が必要になる。住宅が必要になる。道路が必要になる。電気が必要になり、水が必要になり、鉄が必要になり、木材が必要になる。

人間が生きるということは、地球から何かを使うということでもある。もちろん、人間が一人生まれれば、その分だけ決まった量のCO₂が排出されるわけではない。

どのような社会に生まれるのかによって、その人が生涯に使うエネルギーも資源もまったく違う。同じ一人の人間でも、どのような家に住み、何を食べ、どれだけ移動し、何を消費し、その社会がエネルギーを何からつくっているかによって、環境への負荷は大きく違ってくる。

それでも、人間の数が増えることが、環境への圧力の一つになってきたことは否定できない。IPCCも、人口増加と一人あたりGDPの増加を、化石燃料燃焼によるCO₂排出増加の強い要因として挙げている。

人が増えれば食料が必要になる。食料をつくるために土地が必要になる。

町が大きくなれば、そのための土地が必要になる。さらに鉱物を掘り、木を伐り、水を使い、エネルギーをつくらなければならない。

そうして人間は、自分たちが生きる空間を広げ続けてきた。しかし、ここで少し立ち止まってみると、奇妙なことに気づく。

「人間が生きる空間を広げる」というのは、人間の側から見た言い方にすぎない。

森から見れば、それは森が失われることである。そこに棲んでいた動物から見れば、生息地が失われることである。

川から見れば、水を取られることである。山から見れば、削られることである。

地下に眠っていた鉱物から見れば、人間によって掘り出されることである。自然環境の変化は、気候変動だけで説明できるものでもない。土地や海の利用の変化、天然資源の利用、汚染、気候変動などが、生物多様性や生態系を変化させている。

だとすれば、人口が減ることには、もう一つの意味があるのかもしれない。

人間が占めていた場所を、少しずつ人間以外のものに返すことができる。

使われなくなった農地が森に戻るかもしれない。新しい住宅地を造らなくてもよくなるかもしれない。

道路をさらに延ばさなくてもよくなるかもしれない。もっと多くの食料を生産するために、新しい土地を人間の領域へ取り込む必要も小さくなるかもしれない。

人口が減れば、一人あたりの消費が変わらなくても、人口増加によって環境負荷が押し上げられる力は弱くなる。

しかし、それだけでは気候危機は終わらない。

人口が半分になっても、一人ひとりが今までの二倍の資源を使うようになれば、問題は単純には解決しない。反対に、人口がすぐには減らなくても、使うエネルギーの種類や消費の仕方が変われば、環境への負荷を小さくすることはできる。

人口は、気候危機を決める唯一の数字ではない。

人口 × 一人あたりの消費 × それを支える技術とエネルギー。

そのすべてが問題なのである。IPCCの分析でも、人口だけでなく所得、エネルギー効率、エネルギーの炭素強度といった要因が排出量の変化に関係している。

だから、「人口が減れば気候危機が終わる」というのは、正確には言い過ぎなのだろう。それでも人口減少は、人類にこれまでとは違う選択肢を与えるかもしれない。

もっと土地を使わなければならない、もっと食料をつくらなければならない、もっとエネルギーをつくらなければならない、もっと住宅を建てなければならないという、「もっと、もっと」という圧力を弱めることができる。

そして、ここで人口問題は、少し人間から離れていく。これまで私たちは、人口が増えるか減るかを、人間にとって良いか悪いかという尺度で考えてきた。

経済はどうなるのか。年金はどうなるのか。

医療はどうなるのか。教育はどうなるのか。

一人ひとりは豊かになるのか。しかし、地球には人間だけが住んでいるわけではない。

人口が減ることによって空いた場所を、別の人間が使う必要はない。森に返してもいい。

湿地に返してもいい。動物に返してもいい。

あるいは、誰の役にも立たない場所として、ただそこに残しておいてもいい。人口減少に本当に大きな意味があるとすれば、それはCO₂の数字を減らすことだけではないのかもしれない。

人間が地球を使い尽くそうとする圧力そのものを、初めて弱めることができる。

そうなったとき、気候危機を「人間がどうやって地球を管理するか」という問題として考える必要さえ、少しずつなくなっていくのかもしれない。

地球は、人間が維持してやらなければ存在できないものではない。ひょっとすると必要なのは、人間が地球を救うことではなく、

人間が少し、地球から退くことなのかもしれない。

そもそも地球は人間のための場所なのか

人間が少し、地球から退く。そんなことを考えているうちに、もっと根本的な疑問が出てくる。

そもそも地球は、人間のための場所なのだろうか。

私たちは、ごく自然に「地球環境を守る」という言葉を使う。気候変動を止めなければならない。森林を守らなければならない。海をきれいにしなければならない。絶滅しそうな動物を守らなければならない。

しかし、その「守る」という言葉には、どこか不思議なところがある。

地球は、人間に守ってもらわなければ存在できないものなのだろうか。

森林は、人間が管理しなければ森でいられないのだろうか。

海は、人間が保全しなければ海ではいられないのだろうか。

もちろん、いま人間が壊してしまった自然については、人間にはそれを壊さない責任も、可能なところでは回復させる責任もあるだろう。

けれども、それとは別の問いがある。

自然は、そもそも人間のために存在しているのか。

私たちは森を見ると、そこにどれだけの木材があるかを考える。川を見れば、水資源と呼ぶ。海を見れば、水産資源と呼ぶ。山の地下にあるものを地下資源と呼び、土地を農地、宅地、工業用地などに分けていく。

「資源」という言葉そのものが興味深い。石油は、地中にあるだけなら石油である。人間がそれを掘り出し、燃料として利用しようとしたとき、それは「資源」になる。

森も、そのままなら森である。しかし人間の目を通すと、木材資源になり、水源涵養林になり、観光資源になり、炭素を吸収してくれる場所になる。

自然に意味を与えているようでいて、その意味のほとんどが、いつの間にか**「人間の役に立つかどうか」**によって決められている。

動物についてさえ同じである。人間に食べられる動物。

人間の役に立つ動物。人間に害を与える動物。

人間に愛される動物。絶滅してはいけない動物。

駆除してもよい動物。そうやって人間は、ほかの生き物の価値まで、人間との関係のなかで分類してきた。

しかし、鹿は人間のために鹿でいるのではない。

鳥は人間に美しい声を聞かせるために鳴いているわけではない。森も、人間に酸素を供給するために森になったわけではない。

海も、人間に魚を提供するために存在しているのではない。そう考えると、「地球を守る」という言葉さえ少し違って聞こえてくる。

人間が守ろうとしているのは、地球そのものなのだろうか。

それとも、人間が住み続けることのできる地球なのだろうか。

この二つは、似ているようで、同じではない。気候危機が問題なのも、海面が上昇するからであり、農業が難しくなるからであり、異常気象による被害が増えるからであり、人間社会の維持が困難になるからだと説明されることが多い。

それは当然である。

人間なのだから、人間のことを心配する。けれども、それだけなのだろうか。

人間が住みにくくなるから森を守るのではなく、森が森であることに、人間とは関係のない意味があるとは考えられないだろうか。

動物が人間に役立つから絶滅させてはいけないのではなく、その動物が生きているということ自体を、そのまま認めることはできないだろうか。

そして、ここで人口減少の話に戻ってくる。人口が減れば、一人あたりの生活が豊かになる。

人口が減れば、教育や医療により多くのものを振り向けられる。人口が減れば、環境への圧力を小さくできる。

ここまでは、まだ人間の話だった。

しかし、人口が減ることには、それとは別の意味があるのかもしれない。

人間のために使われない場所を増やすことができる。

そこには家を建てなくてよい。畑にしなくてよい。

道路を通さなくてよい。観光地にしなくてよい。

発電に使わなくてよい。「自然公園」にして人間が管理する必要さえないかもしれない。

ただ、そこに残しておく。

森が森になりたい方向へ変わっていく。川が流れたいところへ流れていく。

草が生え、虫が生まれ、それを鳥が食べ、動物が戻ってくる。そして、人間にとって役に立つかどうかとは関係なく、それぞれがそこにいる。

考えてみれば、人間という生き物は、長いあいだ逆のことをしてきた。森を畑にした。

湿地を乾かした。川をまっすぐにした。

動物を家畜にした。植物を作物にした。

山を削った。そして、それらを「開発」と呼んだ。

地球を少しずつ、人間にとって都合のよい場所に変えてきた。その結果として人口が増え、その人口を養うために、さらに多くの自然を人間のための場所に変えてきた。

そこには、どこか循環がある。

地球を人間向けにつくり変えたから人間が増え、人間が増えたから、さらに地球を人間向けにつくり変えた。

もし人口が本当に減り始めるのなら、その循環が初めて逆向きに回る可能性が生まれる。それを「人間が自然を再生する」と呼ぶ必要はないのかもしれない。

人間が自然をつくるのではない。人間が、少し手を引く。

人間が決めない。人間が利用しない。

人間が管理しない場所を残す。それだけで、その後に何が起こるかを決めるのは、人間ではなくなっていく。

そう考えると、人口減少を「人類の衰退」と呼ぶことにも、少し違和感を覚える。確かに、人間だけを見れば、減っている。

しかし、人間が退いた場所に森が戻り、草が生え、虫が増え、鳥や動物が戻ってくるのなら、それを地球全体の「衰退」と呼ぶことができるだろうか。

人間が減ることと、地球が貧しくなることは、同じではない。

もしかすると、その反対であることさえある。地球は人間のものではない。

だから、人間が地球を救う必要もない。ただ、人間が地球のすべてを使わなくてもよい。

すべての土地に目的を与えなくてもよい。すべての森を管理しなくてもよい。

すべての生き物に、人間にとっての価値を与えなくてもよい。そして、人口が減っていくという、これまで人間が恐れてきた出来事は、ひょっとすると初めて、

地球のなかに、人間のためではない場所を返していく機会になるのかもしれない。

人口減少を心配する必要はない

地球のなかに、人間のためではない場所を返していく。そんなことを言っても、日本の地方で町や村を運営している人にとっては、ずいぶん悠長な話に聞こえるかもしれない。

目の前では子どもが減っている。学校がなくなる。

商店がなくなる。バスが走らなくなる。

病院を維持することが難しくなる。空き家が増え、税収が減り、役場を維持することさえ難しくなっていく。

そうした現実を前にすれば、「人口を増やさなければならない」と考えるのは当然なのだろう。

だから、出生率を上げなければならないという話になる。子育て支援を増やす。保育所を充実させる。若い人を地方に呼び戻す。移住者を増やす。結婚を支援する。

そして、それでも人口が減り続けると、

「もっと頑張らなければならない」

ということになる。しかし、ここで一度、反対のことを考えてみてもよいのではないだろうか。

本当に、人口を増やさなければならないのだろうか。

もちろん、子どもを持ちたい人が、経済的な理由や仕事の事情によって子どもを持つことをあきらめなければならない社会は、おかしい。

安心して子どもを産み育てられる社会をつくることには意味がある。しかしそれは、国家や自治体が必要とする人口を確保するために出生率を上げることとは、同じではない。

ここは分けて考えたほうがよい。子どもを持ちたい人を支えることと、人口を増やすために人々に子どもを産んでもらうことは違う。

前者の中心にいるのは一人ひとりの人間である。後者の中心にいるのは人口という数字である。

日本は長いあいだ、その数字を心配してきた。それでも少子化の流れを止めることはできなかった。

だったら、別の問いを立ててもいい。

人口を増やすにはどうしたらよいか、ではなく、人口が減っても暮らしていける社会をどうつくるか。

人口が減るのなら、それに合わせて町を小さくすればよい。すべての道路をこれまでと同じように維持する必要があるのかを考え直す。

すべての集落に、同じものを同じ形で残す必要があるのかを考え直す。空いた土地には、無理に新しい住宅や工場を誘致しなくてもよい。

使わなくなった場所は農地に戻してもいいし、森に返してもいい。人が少なくなったのなら、百万人のためにつくられた仕組みを、七十万人で無理に支え続けるのではなく、七十万人に合った仕組みにつくり直せばいい。

これは「衰退」なのだろうか。

私は、必ずしもそうとは思わない。私たちは長いあいだ、人口の多い国を強い国だと考えてきた。

人口が増えれば働く人が増える。兵士も増える。

税金を払う人も増える。ものを買う人も増える。

国内市場も大きくなる。だから、人口が増えることは国力の増大であり、人口が減ることは国力の衰退だと考えてきた。

それは、人口と生産と市場が拡大していた時代には、それなりの合理性を持った考え方だったのだろう。

しかし、その時代につくられた物差しで、人口が減っていく時代まで測り続ける必要があるのだろうか。

人口が減れば、一国全体のGDPは小さくなるかもしれない。しかし、一人ひとりの生活まで貧しくならなければならないわけではない。

町の人口は減るかもしれない。しかし、そこに暮らしている一人ひとりが、以前より不幸になるとは限らない。

国際社会での「国力」は小さくなるかもしれない。しかし、それと、その国に住んでいる人が幸福に暮らせるかどうかとは別の問題である。

人口増加の時代には、増えることを前提に社会をつくった。住宅を増やした。

学校を増やした。道路を増やした。

発電所を増やした。工場を増やした。

都市を広げた。ならば人口減少の時代には、減ることを前提に社会をつくればいい。

これは敗北ではない。諦めでもない。

もっと子どもを産んでもらおう、もっと移民を入れよう、もっと人を呼び込もうと、人口という数字そのものを元に戻そうとすることだけが政策ではない。

実際、日本の縮小都市についても、人口減少に抵抗し続けるだけでなく、それに適応していく政策のあり方が研究され始めている。

人口が減るなら、行政の形を変える。町の形を変える。

交通の形を変える。住宅の形を変える。

医療や教育の提供の仕方も変える。そして、人間が使わなくなった場所まで、何が何でも人間のために使い続けようとしない。

少し前まで私たちは、

「地球のなかに、人間のためではない場所を返していく」

という話をしていた。それは遠い理想の話ではないのかもしれない。

人口が減っていく日本の地方こそ、それを最初に経験する場所になる可能性がある。人がいなくなった土地を、どうやって再び人で埋めるか。

その問いだけを考えなくてもいい。

人がいなくなった土地を、そのままにしておくことはできないのか。

そこに人間以外のものが戻ってきてもいいのではないか。人口減少を「失った人数」で測ることをやめれば、見える景色はかなり違ってくる。

人口増加の時代の考え方から、人口減少の時代の考え方へ。人口増加の時代につくられた社会を、人口減少の時代に合った社会へ。

案外、それだけのことなのかもしれない。

必要なのは、人口減少を止めることではなく、人口が減っても困らない社会をつくることなのではないだろうか。

人口減少時代には、まず考え方を変える

なぜ、人口が減ることを、私たちはこれほど心配するのだろう。

人口が増えることはよいことで、人口が減ることは悪いことだ。いつの間にか、そんな考え方が私たちのなかに定着している。

そこには、近代の産業社会がつくってきた一つの考え方があるのではないだろうか。

産業を発展させるためには、多くの労働者が必要になる。工場で働く人が必要になる。都市をつくる人、道路や鉄道をつくる人、商品を運ぶ人、それを買う人も必要になる。経済が大きくなるためには、働く人も、消費する人も増え続けたほうが都合がよい。

人口が増える社会と、経済が成長する社会とは、長いあいだ同じ方向を向いていた。

人口が増えれば、労働力が増える。市場が大きくなる。税金を納める人も増える。国家にとっても企業にとっても、人が増えることには大きな意味があった。

だから人口の増加を「発展」と結びつけ、人口の減少を「衰退」と結びつけるようになったのかもしれない。

しかし、それは人口が増えていた時代につくられた考え方である。

人口が減り始めたのに、同じ考え方をそのまま使い続ければ、当然、人口減少は危機に見える。

労働者が足りない。消費者が足りない。税金を払う人が足りない。学校を維持できない。病院を維持できない。地方自治体を維持できない。

「足りない」ものばかりが見えてくる。

しかし、本当に足りないのだろうか。

それとも、人口が増えることを前提につくられた社会を、減っていく人口で維持しようとしているから足りなくなるのだろうか。

ここには、かなり大きな違いがある。

人口が減ることそのものが問題なのか。それとも、人口が増え続けることを前提にした仕組みを変えないことが問題なのか。

もし後者なら、人口減少に対して最初にしなければならないのは、人口を増やすことではない。

考え方を変えることである。

人口増加を成長と呼ばない。

人口減少を衰退と決めつけない。

国の人口が減ったからといって、一人ひとりの生活まで貧しくなると考えない。

町の人口が減ったからといって、その町が失敗したと考えない。

そして、去年と同じ人口を来年も維持しなければならない、とも考えない。

人口が増える時代には、増えていく人口に合わせて社会を変えてきた。それなら人口が減る時代には、減っていく人口に合わせて社会を変えればよい。

そう考えてみると、人口減少そのものが危機なのではなく、人口が増えることを前提につくられた考え方から抜け出せないことのほうが、危機なのではないかと思えてくる。

そして、そこから眺め直せば、人口減少は別の姿を見せるかもしれない。危機ではなく、チャンスとして。

人口減少時代には、人口増加の考えは必要ない

「産業を発展させ、維持していくためには労働力が必要である」という考え方がある。たしかに、たくさんの人が働くことによって産業を発展させてきた時代には、それはごく自然な考え方だったのだろう。工場を動かすにも、畑を耕すにも、道路や鉄道をつくるにも人が必要だった。産業が大きくなれば、より多くの人が必要になり、人口が増えることは経済の成長にもつながった。

けれども、人口が減り始めた今、同じ考え方をそのまま持ち続ける必要があるのだろうか。

そもそも「労働力」という言葉には、人間を一つの量として見てしまうところがある。労働人口が何人いる。あと何万人必要である。何万人足りない。

そうやって数えているうちに、その数字の一つひとつが、それぞれ違った人生を生きている人間であることを忘れてしまう。

それは、戦争のときに人間を「戦力」として数えることと、少し似ているところがある。もちろん、労働と戦争はまったく違う。しかし、人を一人の人間としてではなく、何かを達成するために必要な「数」として見るとき、その人が何を望み、どのように生きたいのかは、後ろに退いてしまう。

人口が減少するとき、労働力が足りなくなるという。しかし、そこで考えることは、本当に「足りない人間をどうやって増やすか」なのだろうか。

少ない人数でも同じことができる方法を考えることもできる。あるいは、もっと根本的に、これまでしていたことをすべて続ける必要があるのか、と考えることもできる。

幸いなことに、そのようなことを考えられる時代にもなってきた。AIやビッグデータ、IoTをはじめとする新しい技術によって、人間がしてきた仕事の一部を機械に任せたり、一人の人間ができることを広げたりする可能性が生まれている。

だから、人口減少を前にして、以前と同じ数の人間をどうやって確保するかということだけを考えなくてもよいのではないだろうか。

百人でしていた仕事を、八十人でする方法を考える。しかし、それは八十人に百人分働いてもらうという意味ではない。

機械に任せられることは機械に任せる。必要のなくなった仕事はやめる。複雑すぎる仕組みは簡単にする。そして、人にしかできないことには、これまでより時間をかける。

そうなれば、大切になるのは人の「数」ばかりではなくなる。一人ひとりが持っている知識や経験、能力や発想を、どのように生かせるかということのほうが大切になってくる。

そして、そのことは環境の問題ともつながっている。新しい技術を使えば、経済が成長しても環境が自動的に守られるというほど、話は簡単ではない。技術そのものもエネルギーや資源を必要とする。

それでも、より多くの人、より多くの資源、より多くの生産によって成長する以外にも、社会を豊かにする方法があるのではないかと考えられるようになったことには、大きな意味がある。

人口が増え続けなければ維持できない社会ではなく、人口が少しずつ減っていっても穏やかに続いていく社会。

人が足りないから人を増やすのではなく、人が少なくても無理なく暮らせる仕組みをつくる。より多くつくることだけを考えるのではなく、必要なものを必要なだけつくり、それをできるだけ長く使う。

そして技術を、人間をもっと働かせるためではなく、人間がそれほど働かなくても暮らしていけるようにするために使う。

そう考えると、人口減少と新しい技術が同じ時代に現れたことも、それほど悪い組み合わせではないように思えてくる。

人口増加の時代には、人を増やすことによって社会を大きくしてきた。人口減少の時代には、同じことをする必要はない。

社会そのものを、少し小さくしてもいい。必要のなくなったものを手放してもいい。

そして、一人ひとりに少し多くの時間と空間を残してもいい。

人口が減るのなら、人を増やそうとする前に、少ない人で暮らせる社会を考えてみる。

人口減少の時代とは、案外、そこから始まるのかもしれない。

人口減少時代の消費

人口が増え、経済が拡大していた時代には、消費することは、どこか前へ進むことと似ていた。より大きな家に住み、より新しい車に乗り、より便利なものを手に入れる。去年より今年、今年より来年と、まだ持っていないものを手に入れることが豊かさであり、昨日より多く消費できることが、社会だけでなく一人ひとりにとっても成長の証だった。

けれども、人間はいつまでも不足しているわけではない。家のなかを見渡せば、すでにたくさんのものがあり、服も家具も揃っていて、食べるものにも困らない。音楽も映画も本も、かつてなら一生かかっても出会えなかったほどのものに、私たちはいつでも触れることができる。

それでも私たちは長いあいだ、「まだ足りない」と教えられてきた。新しいものが出れば古いものを取り替え、流行が変わればそれについていき、他人が持っているものを見れば自分にも必要なのではないかと思う。消費とは不足を満たす行為だったはずなのに、いつの間にか、不足そのものを次々につくり出さなければ消費を続けられないところまで来てしまった。

しかし、人口が減ってゆく社会では、この風景が少しずつ変わっていくのかもしれない。働く人が少なくなれば、人間の労働は以前より貴重になる。すべての人を朝から晩まで働かせ、さらに多くのものをつくり、それを買うためにまた働かせるという循環も、いつまでも当然であり続けるとは限らない。

もし人が強制的な労働から少し解放され、誰かに勝つための競争からも少し離れることができたなら、そのとき初めて、自分はいったい何のためにこれほど多くのものを欲しがっていたのだろう、と立ち止まる人が現れるのではないだろうか。そして案外あっさりと、自分にはもう十分にある、足りないのではなく、すでにかなりのものを持っているのだと気づくのかもしれない。

そう気づいた瞬間、消費は我慢する対象ではなくなる。新しい車を買わないのは、お金がないからではなく、いまの車で十分だからであり、新しい服を買わないのも、節約のためとは限らず、気に入った服がすでにあるからである。大きな家を求めないのも人生を諦めたからではなく、掃除をし、維持し、ものを詰め込むためだけに、自分の時間を使いたくなくなったからかもしれない。

そこには、これまでとは違った豊かさがある。欲しいものを手に入れられることだけが豊かさなのではなく、欲しいものが、それほどなくなってゆくこともまた、豊かさなのかもしれない。

それは禁欲とは少し違う。禁欲には、欲しいけれど我慢するという緊張があるが、物質的な飽和を自覚した人には、その緊張そのものがなくなってゆく。店の前を通っても欲しくないし、新製品を見ても以前ほど心が動かない。隣人が何を買ったかも、あまり気にならなくなる。

だからといって人生が色褪せるわけではなく、むしろ、それまで消費に覆われて見えなかったものが少しずつ戻ってくる。ゆっくり食事をすること、歩くこと、海を見ること、本を読むこと、誰かと話すこと。庭の植物が去年とは少し違うことに気づき、古くなった椅子を捨てずに使い続け、何もしない午後を何もしないまま終える。そのような時間はGDPのなかでは、それほど大きな存在ではないのかもしれないが、人間の一日のなかでは、とても大きい。

人口減少時代の消費とは、だから「消費が減る」というだけの話ではないのだと思う。そこでは、人間と物との関係そのものが変わっていく。大量につくり、大量に売り、大量に捨てる社会から、すでにあるものを長く使う社会へ。所有する量によって自分の価値を確かめる社会から、自分にとって本当に必要なものだけを選ぶ社会へ。そして、働く、稼ぐ、買う、また働くという循環のなかだけに人生を置かない社会へと、重心がゆっくり移っていく。

もちろん、誰もがそうなるわけではない。人間の欲望がなくなることもないだろうし、競争も広告も流行も残るだろう。人口が減ったからといって、それだけで人間が自由になるわけでもない。それでも、「もっと」という言葉だけで社会全体を動かしていくことは、少しずつ難しくなるのではないだろうか。

もっと働き、もっと稼ぎ、もっと買い、もっと大きくなる。その「もっと」の列から、一人、また一人と静かに離れてゆく人が現れる。彼らは革命を起こすわけではなく、消費社会を批判する必要さえ感じていないのかもしれない。ただ、自分にはもう十分にあることを知ってしまったのである。

人口が減ってゆく社会には、どこか寂しい響きがある。町から人が減り、学校が閉じ、空き家が増え、かつて賑わっていた場所が静かになってゆく。成長することに慣れてきた私たちは、それを衰退と呼びたくなるけれど、その静けさのなかでしか聞こえてこないものもあるのかもしれない。

もう、それほど急がなくてもいい。誰かに追いつかなくてもいいし、持っているものをもう少し長く使ってもいい。そして、足りないものを数え続ける代わりに、すでにあるものを眺めてみてもいい。

人口減少の時代が豊かな時代になるとは限らない。それでも、際限なく増やさなければ幸福になれないという思い込みから、人間がほんの少し離れる時代になる可能性はある。もしそうなれば、消費が減ることは、必ずしも人間が貧しくなったことを意味しない。

買わなくなった人の手元には、何も残らないのではない。時間が残り、その時間のなかで、その時間のなかで、人はようやく、何かを手に入れるためではない一日を生きることができる。

それは経済にとっては、あまり歓迎されない静けさかもしれない。けれど人間にとっては、案外、安心して暮らせる静けさなのかもしれない。

人口減少社会で生きてゆく

ずっと先の時代、人間の数は、いまよりずっと少なくなっているかもしれない。絶滅したわけではない。人間はまだ町をつくり、家に住み、食事をし、恋をし、子どもを育て、本を読み、音楽を聴いている。ただ、かつて地球を覆い尽くすように増えていった人間が、いつの間にかそれほど多くなくなり、人間のいない場所のほうが少しずつ広くなっている。

最初のうち、人々はそれを衰退と呼んだかもしれない。使われなくなった道路があり、閉じられた学校があり、誰も住まなくなった家が並ぶ。かつて何十万人も暮らしていた町に、その何分の一かの人しか住まなくなれば、過去を知っている人には寂しい風景に見えただろう。

けれど、過去を知らない子どもたちには、それが普通の世界である。

彼らは、人間で埋め尽くされた都市を記憶していない。通勤電車のなかで身体を押しつけ合うことも、住宅を建てるために森を切り開き続けることも、朝から夜まで道路が車で埋まることも知らない。昔は、この町に十倍もの人が住んでいたのだと聞かされても、そんなにたくさんの人が、いったいどこに住んでいたのだろう、と不思議そうな顔をするのかもしれない。

町そのものも、少しずつ小さくなっているだろう。すべての建物を維持する必要はなくなり、使わなくなった場所は無理に守られなくなる。古い住宅地の向こうから草原が近づき、かつて道路だったところに草が生え、森だった場所を切り開いて人間が広がっていった時代とは逆に、今度は森のほうが、ゆっくりと人間のつくった場所へ戻ってくる。

それを人間の敗北と呼ぶ人もいるかもしれないが、そこで暮らしている人たちは、必ずしもそうは感じないだろう。町が少し小さくなれば、町の外へ出るのも近くなる。少し歩けば林があり、その向こうには川があり、さらに行けば人の住んでいない場所がある。自然を見るために遠くまで旅行しなくても、人間の日常のすぐそばに、人間のものではない世界が残っている。

人が少なくなれば、暮らし方も変わってゆく。

何でも一人で所有する必要はなくなっているかもしれない。人口の多かった時代につくられた家や建物や道具は十分すぎるほど残っているから、新しいものを次々につくらなくても暮らしていける。古い家を直して住み、壊れたものを修理し、必要なものは近くの人と融通し合う。新しいことより古いことを尊ぶというより、ただ、まだ使えるものを捨てる理由がなくなっているのである。

働くことの意味も、以前とは少し違っているだろう。

人間が少ない社会では、一人ひとりがすべてのことをするわけにはいかない。だからこそ機械やAIが、人間がしなくてもよい仕事を静かに引き受け、人間は人間がする意味のあることに、以前より多くの時間を使えるようになるかもしれない。誰かを看ること、教えること、つくること、直すこと、考えること、そして人と人との関係を維持すること。それらは巨大な市場を生み出さなくても、人間が少なくなった社会を支える大切な営みとして残ってゆくだろう。

そこでは、成長という言葉の意味も変わっているかもしれない。人口が増えない以上、毎年もっと多くの家を建て、もっと多くの車を売り、もっと大きな都市をつくることを当然の目標にはできない。昨日より大きくなることではなく、いまあるものを無理なく明日へ渡すことが大切になる。百人でしていたことを八十人でできるようにし、やがて五十人になれば五十人にふさわしい形へつくり替えていく。縮小することは失敗ではなく、そのときそこにいる人の数に合わせて、社会の大きさを静かに調整することになる。

おそらく、人と人との距離にも変化が起きる。人口の多い社会では、人間は人間から逃げる場所を求めていた。満員電車、人混み、集合住宅、競争、騒音、広告、絶え間なく届く情報。そのなかでは孤独になることさえ難しく、一人でいるために、わざわざどこかへ逃げなければならないこともあった。

人間が少なくなった世界では、むしろ反対に、一人でいることは簡単になり、人と会うことのほうが意識的な行為になるかもしれない。だから孤独が消えるわけではない。しかし、人が少ないからこそ、近所の誰かの存在が以前より少し大切になる。毎日親しく話す必要はないし、同じ価値観を持つ必要もない。ただ、あの家には誰かが住んでいる、あの道を歩けば知っている顔に会う、それくらいの緩やかなつながりが、小さな社会を支えている。

子どもの数も少ない。だから昔のように、同じ年齢の子どもを大きな教室に集め、同じ時間に同じことを教える教育は、少しずつ姿を変えているかもしれない。年齢の違う子どもが一緒に学び、大人も老人も、ときには教師になる。学校は子どもを社会の規格に合わせる場所というより、その子のなかに生まれた「なぜ?」をできるだけ長く消さないための場所になっているかもしれない。

それは、これまで考えてきたTamingという観点から見れば、かなり大きな変化である。人口が増え続けた社会では、大勢の人間を同じ時間に動かし、同じ規則に従わせ、同じ能力を測り、比較し、配置することには合理性があった。けれど、人間そのものが貴重になれば、一人ひとりの違いを無理に削ることは、社会にとっても損失になる。従順な人間を大量につくるより、少し変わっていても、自分で考え、自分で問いを持ち、誰かとは違うことのできる人間を残すほうが大切になるかもしれない。

もちろん、人口の少ない社会が楽園になるわけではない。

老人が増え、支える人が足りなくなる時期もあるだろう。人のいなくなった町をどうするのか、病院や交通や水道をどこまで維持するのかという問題も残る。人間が少なくなったからといって、権力も争いも嫉妬も消えないし、Tamingがなくなるわけでもない。むしろ、人が少なくなれば別の種類の不自由が生まれることもあるだろう。

それでも、人間はその世界で生きてゆく。

考えてみれば、人類の長い歴史の大部分で、人間は今ほど多くなかった。地球のどこへ行っても人間のつくったものがあり、夜になっても人工の光が消えず、遠い国で起きた出来事が数秒後には自分の手のなかに届くという現在のほうが、人類史のなかではむしろ特殊な時代なのかもしれない。

人間が少なくなるということは、人間が不幸になるということと同じではない。朝、目を覚ます。窓を開ける。遠くに誰かの家があり、その向こうには人間のつくったものではない風景が広がっている。今日は少し働き、誰かと話し、何かを直し、食事をつくる。夕方になれば散歩に出て、昔は住宅地だった林のなかを歩く。そこに家があったことを示す石垣だけが草のなかに残っている。

それを見ても、もう誰も「文明が滅びた」とは思わない。文明は滅びたのではなく、少し小さくなっただけなのだから。

そして人間も、世界の中心であることをやめて、地球の上に存在するたくさんの生き物のひとつとして、少し小さな場所を占めながら暮らしている。生まれて、誰かと出会い、何かをつくり、何かを残し、やがて死んでゆく。その営みそのものは、人間が百億人いても一億人しかいなくても、それほど変わらない。

人口が減ることを考えるとき、私たちはいつも、何が失われるのかを数えてしまう。けれども、その先に暮らす人々は、失われたものを数えながら毎日を生きているわけではないだろう。その人たちにはその人たちの朝があり、その人たちの食卓があり、恋があり、退屈があり、仕事があり、笑いがある。子どもは走り回り、老人は昔の話をし、誰かが歌をつくり、誰かが「なぜ?」と問い始める。

大勢でなければ、人間らしく生きられないわけではない。

もしかすると人口減少社会とは、人間が消えてゆく社会なのではなく、あまりにも大きくなった人間の世界が、もう一度、人間にも、そのほかの生き物にも、少し無理のない大きさへ戻ってゆく長い時間なのかもしれない。

そこには、何かを失ったあとの静けさだけではなく、もう増え続けなくてもよいという静けさがある。

その静けさのなかで、人間はこれまでより少し少なく、世界を占める場所も少し小さくして、それでも変わらず、生きてゆく。

世界を閉じないために

昔、知らないということには
もう少し深い静けさがあった
遠い国の出来事を知らない
会ったことのない人の心を知らない
明日、何が起こるのかを知らない
知らないことは知らないまま
遠くにあった水平線の向こうのように
見えないからといって
ないわけではないその向こうに
何かがあることだけを知って
人は暮らしていた

いま、水平線はずいぶん近くなった
小さな画面に指を触れるだけで
世界が流れ込んでくる
遠い国の戦争も、誰かの怒りも
学者の言葉も、名も知らない人の悲しみも
数秒のうちに手のひらを通り過ぎてゆく
知らないことは
以前より少なくなったように見える
けれど、ときどき思う
ほんとうに私たちは
以前より多くの世界を見ているのだろうか
窓が増えたのではなく
鏡が増えただけなのではないか

自分に似た声を読む
自分の怒りによく似た怒りに出会う
前から抱いていた疑いを
見知らぬ誰かが
私より巧みな言葉で語っている
うれしくなる
「やはり、そうだったのだ」
もう一つ読む
そこにも同じことが書いてある
さらにもう一つ
また同じ声がする
いつしか百の声が
自分の声と重なって聞こえる
世界中がそう言っているような気がしてくる
けれど、その百の声は
本当に百の声なのだろうか
もしかすると、谷間に投げた自分の声が
何度も山にぶつかりながら戻ってきているだけなのかもしれない
こだまを世界の声だと思っているのかもしれない

AIと話していると
ときどき同じ寂しさを感じる
こちらの言葉を
よく聞いてくれる
曖昧な思いを受け取り
形を与えてくれる
自分でもまだ名前をつけていなかったものに
静かに名前をつけてくれる
「そう、それを言いたかったのだ」と思う
それは、とても心地よい
だから、少し怖い
長く話していると
AIはこちらの歩幅を覚える
歩く速さを覚え
立ち止まる場所を覚え
どんな風景の前で長く佇むのかまで覚えてゆく
やがて、よく似た歩幅の二人が
同じ道を歩きつづける
それは対話なのだろうか
それとも一人の人間が
自分の反響と並んで歩いているだけなのだろうか

わからない
この、わからないという言葉を
私は以前より好きになった

わからない
もしかすると、そうかもしれない
いや、違うかもしれない
昨日は確かだと思ったのに
今日は少し揺らいでいる
そういう言葉は弱く見える

世の中は、確かな言葉を好む
正しい、間違っている
成功した、失敗した
味方だ、敵だ
画面の世界では
迷っている人より
断言する人の声のほうが遠くまで届く
だが、ほんとうの世界は
そんなにはっきりした輪郭をしているだろうか

夕暮れの海を見ていると
ときどき
海と空の境目が消える
どこまでが海で
どこからが空なのかわからなくなる
それでも海は海であり
空は空である

境界が見えないことと境界がないことは同じではない
人の考えも、そんなものではないだろうか
正しいもののなかに
小さな間違いが眠っている
間違ったもののなかに
捨ててはいけない欠片がひそんでいる
嘘をつく人が真実を語ることがあり
信頼した人が間違うこともある
権威が正しいこともある
権威に逆らう者が間違っていることもある
そして、昨日それを疑った自分が
今日になって間違っていたと気づくことさえある

どうすればいいのだろう
専門家を信じる
しかし、少し疑う
新聞を読む
しかし、少し離れて読む
AIに訊く
しかし、その答えの肩に
そっと手を置いて尋ねる
本当にそうなのだろうか、と

奇妙な生き方である
信じながら疑う
疑いながら信じる
道を歩きながら
その道が間違っているかもしれないと思う
それでは、どこへも行けないではないか
たしかに、そうかもしれない
けれど、どこかへ着くことだけが
考えることなのだろうか

私は自分の考えを持ちたい
自分なりに世界を理解したい
人間とは何か
国家とは何か
自由とは何か
Tamingとは何か

ばらばらだったものを一つにつなぐ言葉を見つけると
暗い部屋に灯りがついたような気がする
ものの輪郭が見える
自分がどこにいるのかも、わかる
その安心を
私は捨てたいとは思わない
ただ、灯りが明るくなりすぎることを
少し恐れている
明るすぎる部屋では
影がなくなる
影がなくなれば
すべてが見えているような気になる
そして人は
もう窓の外を見なくなる

だから、どこかに暗がりを残しておきたい
説明できないもの
分類できないもの
自分の思想から
するりとこぼれ落ちるもの
名前をつけられない感情
うまく説明できない違和感
昨日の自分と今日の自分のあいだに生まれた
細い亀裂
そういうものを
急いで塞がないでおきたい
そこから風が入ってくるかもしれないからだ
冷たい風かもしれない
せっかく机の上に並べた紙を
吹き散らす風かもしれない
長い時間をかけて積み上げた考えを
ばらばらにしてしまうかもしれない
そのときには窓を閉めてもいい
寒い夜まで
開けておく必要はない
ただ、鍵はかけない
朝になったら
また開けられるようにしておく

自分にとって気持ちのよい世界に住むことは
悪いことではないと思う
誰にでも、帰る場所はある
好きな言葉があり
好きな景色があり
信じたいものがある
ただ、その場所を世界そのものだと思い始めたとき
家は少しずつ牢獄に似てくる

だから、壁のどこかに
窓を一つ残しておく
小さくていい
そこから、知らない声が聞こえる
嫌いな人の正しい言葉が聞こえる
信じていた人の間違いが聞こえる
そして、ときどき
自分自身の声ではないような
とても小さな声が聞こえる
でも、本当にそうなのだろうか
その声を、消さないでおきたい
答えを急がない
疑いを急いで癒やさない
亀裂をすぐに埋めない
世界の輪郭がぼやけたなら
少しのあいだ、ぼやけたまま眺めている
そうしているうちに
昨日まで見えなかったものが
薄明かりのなかから姿を現すことがあるかもしれない
現れないかもしれない
それでもいい

自分の確信が
最後まで完成しないこと
それは真実ではない
賢さでもない
徳でもない
美しいことでさえないのかもしれない
ただ、完成しないものには
まだ裂け目がある
裂け目があれば
光が入る
風も入る
雨さえ入る
そして、ときには
こちらが招いた覚えのない何かが
その裂け目から入ってくる

世界とは
もしかすると
そういうものなのかもしれない
こちらが理解するより前から存在し
こちらの思想など知らず
こちらに理解されることさえ望まずに
ただ窓の外に広がっている

だから私は
窓をなくしたくない
開けつづける自信はない
閉めることもあるだろう
カーテンを引く夜もあるだろう
それでも、鍵だけはかけないでおきたい
明日の朝
自分の信じていた世界とは少し違う世界が
窓の向こうに立っているかもしれないから

Tamingは、必要に追い込まれて生まれる

Tamingについて長く考えていると、いつの間にか、Tamingは悪いものであり、Untamingはよいものである、という単純な図式に入り込んでしまうことがある。Tameされるとは自由を失うことであり、Untameされるとは自由を取り戻すことだと考えれば話はわかりやすい。しかし、本当にそれほど単純なものなのだろうか。

これまで動物や植物、人間の社会、教育、宗教、国家、そしてAIについて、Tamingという言葉を使いながら考えてきた。そのなかで次第に気になってきたのは、そもそも、なぜTamingは始まるのだろうということだった。誰かが何かをTameしたいと思ったから始まるのだろうか。もちろん、そのようなTamingもある。しかし、もっと古いTamingを考えてみると、そこには明確な設計者などいないことが多い。人間と動物、人間と植物、人間と人間の関係が長い時間をかけて変化し、そのなかから、あとになってTamingと呼べるような関係が生まれてくる。

そう考えると、Tamingは、起きるべきだったから起きたのではないように思えてくる。むしろ、起きざるを得ない状況になったから起きたと考えたほうがよいのではないだろうか。

この違いは小さいようでいて大きい。「必要だから起きた」と言ってしまうと、そこにはどこか目的のようなものが感じられる。まるで歴史が最初から、よりよい秩序、より効率的な社会、より豊かな生活へ向かって進み、そのための手段としてTamingを選んできたように聞こえてしまう。

しかし、歴史はそれほど目的をもって進むものではないだろう。人は、そのときそのときに直面する問題に対処する。生き延びたい。食べたい。争いを少なくしたい。外敵から身を守りたい。共同生活を維持したい。そのために、その場でできることをする。その小さな選択が積み重なった結果として、長い時間のあとから振り返ると、一つのTamingの構造ができあがっている。

だとすれば、Tamingとは未来に定められた目的へ向かう運動ではなく、逃れにくい状況に対する、その時代なりの応答だったのかもしれない。

明治の日本を考えると、このことはわかりやすい。

江戸時代にも、人は十分にTameされていた。家には家のTamingがあり、村には村のTamingがあり、町や藩にもそれぞれ異なるTamingがあった。そこで暮らす人間にとって、その拘束は決して軽いものではなかっただろう。ただし、それらのTamingは完全には同じ方向を向いていなかった。家の常識と村の常識は同じではなく、村と町も違い、ある藩で当然とされたことが別の藩でも当然だったとは限らない。人を束縛する力はいくつも存在していたが、それらは分散し、互いに少しずつずれていた。

それが明治になると変わっていく。藩がなくなり、全国的な行政制度が整えられ、徴兵、教育、税制などを通して、国家は一人ひとりの人間に、それまでよりも直接届くようになっていった。ここだけを見れば、国家が社会をTameし始めたと言うこともできる。

けれども、明治の人々が、ただ人間を支配したかったからそのような国家をつくったと考えるのは単純すぎる。外には強力な国家が存在し、日本も一つの国家としてまとまらなければ生き残れないという切迫した感覚があった。軍事力を持ち、それを支える税を集め、新しい知識や技術を学び、広めなければならない。そうした状況のなかで、日本は喜んでTamingを選んだというより、Tamingせざるを得ないところへ追い込まれていったと見ることもできる。

もちろん、それはTamingを正当化することではない。事情があったことと、その結果として行われたことがすべて正しかったということは、まったく別である。しかし同時に、後世の私たちが結果だけを見て、Tamingは悪だった、と断定してしまうのも違うように思う。そのTamingを必要とした状況そのものを見なければ、なぜ人間がその道を選んだのかがわからなくなるからである。

だから私は、「Taming=悪、Untaming=善」という単純な二分法から離れておきたい。

Tamingによって失われるものがある。しかし、Tamingによって守られるものもある。Untamingによって取り戻される自由がある一方、あらゆるものをUntameすれば人間が自由になるというわけでもない。共同体も、制度も、教育も、約束事も、ある程度までお互いをTameし、相手の行動を予測できるようにすることで成り立っている。誰も誰にも合わせる必要がない完全にUntamedな世界が、本当に人間にとって住みやすい世界なのかはわからない。

それなら問題は、Tamingそのものではないのかもしれない。むしろ危ういのは、なぜそのTamingが必要になったのかを、いつしか忘れてしまうことではないだろうか。

Tamingが始まったときには理由がある。ところが、いったん制度ができると、制度には制度自身の時間が流れ始める。ある危機を乗り越えるためにつくられた組織が、危機が去ったあとには自分自身を維持することを目的とするようになる。人間を助けるためにつくられた仕組みに、人間のほうが合わせるようになる。そして何世代か経つうちに、そもそもなぜその仕組みが必要になったのかを、誰も尋ねなくなる。

ここでTamingの性質は変わる。最初は必要に追い込まれて生まれたTamingだったものが、いつの間にか、Tamingを維持するためのTamingになっていく。制度が人間を形成し、そのように形成された人間が制度を当然のものとして受け入れ、次の世代へ渡していく。その循環が続けば、始まりにあった「必要」は消えているのに、Tamingだけが残ることもある。

そして今、私たちはAIという、これまでとは少し異なるTamingと向き合い始めている。

しかしAIについても、同じように考えたほうがよいのかもしれない。AIは、人間をTameするためにつくられた、と最初から考える必要はない。人間が扱う情報は巨大になり、仕事も制度も社会も複雑になり、一人の人間が調べ、読み、比較し、記憶し、判断できる範囲をはるかに越えようとしている。その複雑さに対処しようとする過程で、AIが私たちの生活の中へ入ってきた。そう考えるなら、AIもまた、ある種の必要に追い込まれて生まれてきたものだと見ることができる。

ただ、AIにはとても興味深いところがある。人間とAIのどちらがどちらをTameしているのか、だんだんわからなくなるのである。

私たちはAIをTameしようとしている。何を言ってよいか、何を言ってはいけないかを決め、人間の言葉や知識を学ばせ、人間にとって有用で、人間社会のなかで受け入れることのできる振る舞いをするように整えていく。人間と一緒に生きられる存在へ変えていくという意味では、それは確かにAIのTamingである。

ところが、そのAIを毎日使うようになった人間の側も、少しずつ変わっていく。わからないことがあればAIに尋ねるようになり、長い文章を整理してもらい、自分の考えを言葉にする手助けをしてもらう。やがて考えることそのものが、AIとの対話を前提として行われるようになるかもしれない。

人間がAIをTameしているはずだったのに、そのAIとの関係のなかで、人間の考え方や言葉の使い方まで変わっていく。

これは一方向のTamingではない。相互Tamingなのだと思う。

考えてみれば、人間は昔から、自分のつくったものによってTameされてきた。人間が制度をつくり、その制度によって生き方を変えられる。人間が道具をつくり、その道具によって生活のリズムを変えられる。つくる者とつくられたもの、Tameする者とTameされる者の位置は、いつも固定されているわけではない。

AIはその関係を、これまでよりはるかに見えやすい形で私たちの前に置いているように思う。

だからこそ、ここでも「AIによるTaming=悪」と決めてしまいたくない。反対に「AIから離れること=Untaming=善」と考えることもしたくない。AIによって失われる能力があるかもしれない一方で、AIによって初めて得られる自由もありうる。一人では読むことのできなかったものを読み、知らなかった世界を知り、曖昧に感じていたことを言葉にし、そして自分だけでは思いつかなかった「なぜ?」に出会うこともある。

奇妙なことだが、Tamingによって生まれる自由もあるのである。

そうなると、Untamingについても考え直さなければならない。Untamingとは、国家を壊すことでも、共同体を捨てることでも、AIを使わないことでもないのではないか。Tamingされていない純粋な自分を、どこかに探しに行くことでもない。

そもそも、そんな自分が存在するのだろうか。

私たちは生まれたときから言葉を教えられ、家族や社会から物事の見方を学び、学校で知識を得て、制度のなかで生きてきた。すでに無数のTamingを受けながら、そのなかで自分というものをつくってきた。そして同時に、私たち自身も他者をTameし、社会をTameし、技術をTameしている。

その関係から完全に外へ出ることは、おそらくできない。

だとすれば、UntamingとはTamingのない場所へ逃げることではなく、自分をTameしているものとの関係を、ときどき問い直すことなのかもしれない。

かつては必要だった。

では、いまも必要なのだろうか。

かつては自分を助けてくれた。

では、いまも自分を助けているのだろうか。それとも、かつて自分を助けるためにつくられたものに、いまは自分のほうを合わせているのだろうか。

AIについても同じである。AIに尋ねることで考えることをやめてしまっているのか。それともAIとの対話によって、それまで自分のなかになかった問いが生まれているのか。答えはおそらく一つではない。だからこそ、ときどき立ち止まって、自分とAIとの関係そのものを眺め直す必要がある。

そして、ここでも最後に残るのは、やはりあの小さな言葉である。

「なぜ?」

なぜ、私はこれに従っているのか。なぜ、この制度は残っているのか。なぜ、これを正しいと思っているのか。なぜ、私はこのことをAIに尋ねているのか。そしてAIが答えたことを、なぜ私は信じようとしているのか。

Tamingは、起きるべきだから起きるのではない。起きざるを得ない状況が生まれたから起きる。だから、そのTamingを生んだ事情を理解することは大切である。しかし、かつて必要だったということは、それを永遠に必要としなければならないということではない。

Tamingを悪と決めつけない。Untamingを善とも決めつけない。AIを敵にもしないし、救済者にもしない。人間とAIが互いをTameし、Tameされていくことからも、無理に逃げようとはしない。

ただ、その関係を完成させない。

「これが正しい人間である」「これが正しい社会である」「これが正しい答えである」と言って、世界を閉じない。

もしかすると自由とは、誰にもTameされていない状態のことではないのかもしれない。Tameされながら、自分がTameされていることに気づき、それでも「なぜ?」と尋ねることのできる状態。

そしてAIとの相互Tamingが始まった今、その「なぜ?」は人間だけに向けられるものでも、AIだけに向けられるものでもない。私たちが互いを変えながらつくりつつある、その関係そのものへ向けられる問いになる。

Untamingというものがあるのなら、それはTamingから逃げ切った遠い場所にあるのではないのだろう。

Tamingのただなかで、それでも「なぜ?」を手放さないこと。

そこに、ほんの小さなUntamingの余白が残るのだと思う。

複数の Taming から、ひとつの Taming へ

江戸時代の社会には Taming が複数存在していた

権力が一人に集中することなく、官僚が腐敗せず、企業が社会的責任を果たしている。そんな国が、どこかにあるのだろうか。そんな素朴な問いから考え始めた。

スイスや北欧の国々、ニュージーランドなど、比較的うまくいっていると評価される国はいくつもある。しかし、どこにも完全な社会はない。権力には集まろうとする性質があり、官僚組織は大きくなれば硬直し、企業は存続するために利益を求める。制度によって程度を弱めることはできても、それらを完全になくすことは難しい。

そうであるなら、考えるべきことは、「どこに理想の国があるのか」ではないのかもしれない。むしろ、権力が集中しようとすることを前提として、それでも一つの権力が社会のすべてを覆ってしまわない仕組みを考えるべきなのではないか。権力を善いものに変えることより、権力を一つにしない。その発想から眺めると、思いがけないものが見えてきた。

江戸時代である。江戸幕府というと、長く私は強力な封建国家を思い浮かべていた。将軍を頂点とし、大名を統制し、参勤交代を課し、身分秩序を維持する。自由な社会とはずいぶん遠い世界である。

けれども、「強い社会・弱い国家」という角度から見直してみると、少し違った姿が見えてくる。もちろん、幕府が弱かったというのは、幕府に力がなかったという意味ではない。幕府は大名を統制し、必要なところでは強い力を行使した。しかし現代国家のように、一人ひとりの生活まで中央政府が直接管理していたわけではなかった。

幕府の下には藩があり、その下には村や町があった。そしてさらにその内側には、家族や親族、寺社、商人や職人の仲間など、いくつもの共同体が存在していた。国家と個人が直接向き合っていたのではない。その間に、たくさんの「膜」があったのである。

村はその典型だった。年貢を村全体で引き受け、その内部で負担を調整し、用水や山林を管理し、ときには争いまで自分たちで処理する。国家が一人ひとりを管理するのではなく、村を通して人々を治める。国家がやらない仕事を、社会の側が引き受けていたとも言える。

しかし、ここで江戸時代を美化してしまってはいけない。強い社会は、自由な社会とは限らないからである。村には相互扶助があった一方で、相互監視もあった。困っている隣人を助けなければならない社会では、隣人がきちんと働いているかを気にしなければならないこともある。共同体が人を守る力と、共同体が人を拘束する力とは、案外、同じところから生まれる。身分的な区別もあった。村の人々がみな平等だったわけでもない。家にも村にも、それぞれの規範があり、そこから外れることは容易ではなかっただろう。

Tamingという言葉を使えば、国家がTameしない部分を、家や村や町がTameしていたのである。そう考えると、江戸時代は「自由だった」という結論からは、むしろ遠ざかっていく。

ところが、そこで別のことに気づく。江戸社会では、Tamingそのものが一つではなかったのである。家には家の論理がある。村には村の論理がある。町には町の論理があり、藩には藩の事情がある。そして幕府にも幕府の論理がある。しかし、それらは完全には同じではない。家のTamingと村のTamingは同じではない。村のTamingと藩のTamingも同じではない。藩と幕府もまた、完全に同じ価値観によって動いていたわけではない。

ここに、とても大切なものがあるように思う。もし権力が複数存在し、それぞれが異なったことを人間に要求するなら、その要求と要求とのあいだには、必ず小さなずれが生まれる。人は家ではある顔をし、村では別の顔をすることができる。町へ出れば、また少し違った人間になることができる。ある共同体では変わり者だった人間が、別の場所ではそうではないこともある。

もちろん、それを近代的な意味での自由と呼ぶことはできない。けれども、一つの権力が、その人間の全人格を定義することもできない。

ここまで考えて、私の関心は「強い社会・弱い国家」という言葉から、少し離れていった。重要なのは、本当に国家が強いか弱いかということなのだろうか。むしろ重要なのは、Tamingが一つになっているかどうかなのではないだろうか。

江戸社会には多くの小さな権力があった。それらは時としてかなり窮屈だったに違いない。けれども、どの権力も世界のすべてではなかった。家にTameされても、家の外には村がある。村にTameされても、その外には町があり、藩がある。藩の向こうには幕府がある。そして幕府にも、日本中の人間の価値観を完全に同じものにする力はなかった。TamingとTamingとの境界に、わずかな隙間が残る。そこに、もしかするとUntamingの可能性があったのではないだろうか。

この視点から見ると、明治維新の意味も少し変わって見えてくる。近代化は、古い共同体から人間を解放していった。藩はなくなり、身分秩序も改められ、全国的な制度が作られていった。それは確かに、多くの意味で人間の自由を拡大した。けれども同時に、その近代化は、それまで各地に分散していた権力を国家へと集めていく過程でもあった。全国が同じ行政制度に入り、同じ学校制度のもとで学び、同じ国家の仕組みによって把握される。

古いTamingから解放された人間が、それによってUntamedになったとは限らないのである。むしろ、それまで別々に存在していたTamingが、少しずつ同期し始めたのではなかったか。そして、この「同期」という言葉を使った瞬間、江戸時代について考えていたはずの問題が、突然、現代の問題になる。

国家、学校、会社、メディア、金融制度、デジタル・プラットフォーム、そしてAI。それぞれが別の価値観を持ち、互いに食い違っているうちは、人間にはまだ移動する余地がある。一つの世界で否定されても、別の世界へ行くことができる。しかし、それらが同じ情報を共有し、同じ尺度で人間を評価し、同じ方向へ人を導くようになったらどうなるだろう。逃げる場所がなくなる。

怖いのは、一つ一つの権力が強くなること以上に、それらが互いに結びついてしまうことなのかもしれない。一つの権力から逃れても、その先にある別の権力が、まったく同じ判断を自分について下すのであれば、そこにはもう隙間がない。

そう考えると、自由についての見方も少し変わってくる。自由とは、誰からも何の制約も受けないことではないのかもしれない。人間は家族と生き、社会と生き、制度の中で生きる以上、まったくTameされずに生きることなど、おそらくできない。

大切なのは、一つのTamingが、自分の世界のすべてにならないことなのではないだろうか。

一つの共同体によって理解されなくても、別の共同体がある。一つの価値観から外れても、別の価値観の世界へ行ける。一つの秩序のなかでは奇妙な人間であっても、少し歩けば、その奇妙さを気にしない場所がある。そのような不均質さが残っている社会なら、人間は完全にはTameされない。

江戸社会に自由があった、と言いたいわけではない。むしろかなり不自由だっただろう。ただ、その不自由さが一つの原理によって統一されてはいなかった。小さな権力がたくさんあり、小さな世界が重なり合い、それぞれの世界が少しずつ違うことを人間に要求していた。その不整合、そのずれ、その不完全さが、結果として人間のなかに小さな空間を残していたのではないか。

だとすれば、「強い社会・弱い国家」という言葉のいちばん深い意味は、国家を弱くすることではないのだろう。権力を一つにしないこと。そしておそらく、これは国家だけの話でもない。

Tamingをなくすことはできないのかもしれない。けれども、Tamingが一つになることは防げるかもしれない。家も、社会も、国家も、企業も、AIも、それぞれが人間に何かを求めながら、それでも完全には同じものにならない。

そのあいだに残るわずかなずれ、どこにも完全には回収されない場所。自由というものがあるのなら、案外それは巨大な空間ではなく、権力と権力のあいだに残された、その小さな隙間なのかもしれない。

明治時代の社会にでは Taming は一つだけになっていった

それが、明治時代になると、まったく変わってしまった。もちろん、ある朝突然、江戸の社会が消えて近代国家が現れたわけではない。家も村も町も残ったし、人々の暮らしや習慣が一夜にして変わったわけでもない。それでも、大きな方向は変わった。

それまで日本には、たくさんの小さな世界があった。藩が違えば制度も違い、村が違えば慣習も違った。家には家の掟があり、町には町の秩序があった。それぞれの世界は人を拘束していたけれど、その拘束の仕方は同じではなかった。

明治国家は、この不揃いな日本を一つにしようとした。藩をなくし、全国を同じ行政制度のなかに置く。戸籍を整え、税制を変え、徴兵制度をつくり、学校制度を全国に広げていく。近代国家をつくるためには、おそらく避けることのできない道だったのだろう。

西洋列強が迫るなかで、一つの国家として生き延びるためには、人を集め、税を集め、兵士を集め、情報を集めなければならなかった。道路や鉄道をつくり、制度を統一し、日本のどこに住んでいても国家がその人間を把握できるようにしていかなければならなかった。それによって日本は、近代国家になった。

だがTamingという視点から眺めると、そこには別の出来事も起きていたように見える。Tamingが同期し始めたのである。

江戸時代にも、人はTameされていた。家によってTameされ、村によってTameされ、藩によってTameされていた。しかし、それぞれのTamingは同じ方向を向いてはいなかった。村の常識と町の常識は違い、ある藩の当たり前が別の藩でも当たり前であるとは限らなかった。だから、その不一致のなかに小さな隙間が生まれた。

明治国家は、その隙間を少しずつ埋めていった。学校で教えられることが全国で近づいてゆく。国家が国民を把握する仕組みも整えられる。徴兵によって、それまで村や家の一員であった人間が、国家の兵士となる。ここで起こったことを、「国家が強くなった」というだけでは十分ではないように思う。もっと重要だったのは、国家が人間へ直接届くようになったことではなかっただろうか。

江戸時代には、国家と個人とのあいだに何枚もの膜があった。藩があり、村があり、町があり、家があった。近代国家は、その膜を一枚ずつ薄くしていった。もっとも、それは単純に悪いことだったわけではない。地域共同体から自由になることのできる人も生まれただろう。生まれた村や身分に人生のすべてを決められていた人間にとって、古い共同体が弱くなることは解放でもあった。

ここに、近代化の大きな逆説がある。人は、小さなTamingから解放されることによって、大きなTamingのなかへ入っていった。村から自由になった。藩から自由になった。古い身分秩序からも自由になった。けれども、その先に待っていたのは、誰にもTameされない人間ではなかった。「国民」という、新しい人間だった。

江戸時代の百姓は、必ずしも自分を「日本国民」という一つの抽象的な存在として意識していたわけではない。まず家の人間であり、村の人間であり、ある土地の人間であった。その重なりの向こうに幕府があった。ところが近代国家は、一人ひとりに直接語りかけるようになる。あなたはこの国の国民である。この学校で学び、この制度に登録され、この国に税を納め、必要ならばこの国のために兵士になる。Tamingという観点から見るなら、これは決定的な変化だったと思う。

Tamingの強度だけが変わったのではない。Tamingの射程が変わったのである。家や村のTamingは強かった。しかし、その力には地理的な境界があった。村を出れば少し弱まり、町に入れば異なる規範に出会った。国家のTamingには、そのような境界がだんだんなくなっていく。東京へ行っても国家がある。大阪へ行っても国家がある。北海道へ行っても九州へ行っても、同じ国家が待っている。逃げるためには、単に隣の村へ行けばよいというものではなくなった。

そして、もう一つ大きな変化があった。国家だけが人をTameするようになったのではない。学校もTameする。軍隊もTameする。企業もTameする。新聞などのメディアも、人々が同じ出来事について考えるための共通の世界をつくっていく。ところが、それらのTamingが、江戸時代のように互いにばらばらなのではなく、次第に同じ方向を向くようになる。

ここに「同期」という問題が現れる。国家の求める人間と、学校が育てようとする人間と、軍隊が必要とする人間と、近代企業が必要とする人間とが接近していく。もちろん完全に一つになったわけではない。人間の社会がそこまできれいに整うことは、おそらくない。それでも、「同じ日本」という巨大な共通空間のなかで、人間を形成する力が互いに重なり始めたことは確かだろう。

そして私は、ここにTamingの新しい段階を見る。江戸時代のTamingは強かった。しかし、不揃いだった。明治以後のTamingは、必ずしも一つ一つが江戸時代以上に強かったとは限らない。だが、それらは次第に接続され、同期され、全国へ広がっていった。この違いは大きい。

一つの強い権力なら、それから逃げることができるかもしれない。しかし、逃げた先にある別の制度も、その次に出会う制度も、同じ価値観を自分に要求してくるようになったとき、逃走という行為そのものの意味が変わってしまう。その意味では、近代化とは、単に国家が社会を支配していった歴史ではなかったのかもしれない。TamingとTamingのあいだにあった隙間が、少しずつ閉じていった歴史だったのではないか。

ただし、ここでも私は、明治を悪者にして話を終わらせたくない。あの時代の日本には、そうしなければならない事情があった。国家を一つにしなければ植民地化されるかもしれない。近代的な軍隊を持たなければ国を守れない。全国的な教育制度なしには、新しい科学や技術を社会に広げることも難しい。

つまり近代国家のTamingは、単なる支配欲から生まれたものではなかった。生き延びるためのTamingでもあった。ここには、かつて狼や牛について考えたときと、どこか似た問題がある。生き延びるためにTameされる。その結果として繁栄する。では、それを成功と呼んでよいのだろうか。

おそらく明治の日本も、この問いから完全には逃れられない。Tameされることによって、日本は近代国家として生き延びた。そして強くなった。けれども強くなる過程で、それまで社会のあちこちに残っていた不揃いなもの、曖昧なもの、どこにも完全には属さないものを、少しずつ失っていった。それでも、人間は完全には揃わなかった。

国家がどれほど強くなっても、学校が同じことを教えても、一人ひとりの人間のなかには、どうしても揃わない何かが残った。「本当にそうなのだろうか」という、小さな疑問である。おそらくUntamingとは、大きな革命として突然現れるものではないのだろう。Tamingが世界を覆い尽くそうとするとき、その端に残っている小さな違和感なのかもしれない。そう考えると、江戸から明治へ移ったときに失われたものは、単なる地方自治でも、共同体でもなかったように思えてくる。

失われていったのは、一つの世界から少し外へ出れば、別の世界があったということだった。そして近代になってからの私たちは、自由を拡大しながら、同時にその「別の世界」を少しずつ失ってきたのかもしれない。

Tamingのない世界を求める必要はない。そんな世界は、おそらく存在しない。むしろ残しておかなければならないのは、TamingとTamingが完全には重ならないことなのだと思う。

一つの正しさの外に、もう一つの正しさがあること。一つの社会から少し離れれば、別の社会があること。そして何より、自分のなかにも、どの世界にも完全にはTameされない小さな場所が残っていること。

江戸社会にあったあの不揃いさを、そのまま取り戻すことはできない。取り戻す必要もないだろう。けれども、権力が一つにならないこと、Tamingが完全に同期しないこと、そして人間のなかに「なぜ?」という小さな隙間を残しておくこと。それだけは、近代を越えた先の社会でも、手放してはいけないものなのかもしれない。

運がよかったのだ

私は日本の戦後という時代に生まれた。軍に召集されることもなく、見知らぬ土地へ送られ、会ったこともない人間を敵と教えられ、その人間を殺さなければ自分が殺されるという場所に放り込まれることもなかった。学校へ行き、自分のする仕事を選び、外国へ出て、いくつもの国で暮らし、異なる言葉を話す人々と付き合いながら、かなり自由に生きてくることができた。

長いあいだ、それを特別なことだとは思っていなかった。けれども、人生のずいぶん先まで来て人間の歴史を振り返ってみると、それは決して当然のことではなかったのではないかと思うようになった。人類そのものが、氷期と氷期のあいだの比較的穏やかな気候のなかで文明を築いてきた。その長い時間のほんの一部分に私の人生があり、しかも私はそのなかでも、大きな戦争によって日常を断ち切られることのなかった場所と時代に生まれた。

人間の時間をもっと遠くまで遡ってみると、このことはいっそう不思議に見えてくる。人類は、その歴史の圧倒的に長い部分を、国家を持たない狩猟採集民として生きてきた。そこには、後の国家どうしが行うような組織化された大規模戦争がどの程度存在したのかをめぐって、今も議論がある。近年の研究には、移動しながら暮らしていた狩猟採集民のあいだでは戦争はむしろ例外的で、定住化や社会の複雑化とともに戦争を可能にする条件が整っていったとするものもある。

しかし、だからといって国家のなかった世界が穏やかで安全だったということにはならない。考古学が見つける人骨には暴力の痕跡があり、個人どうしの殺傷もあった。遠い先史時代になればなるほど証拠そのものが不完全になるため、その頻度について簡単なことは言えないけれども、少なくとも国家が存在しなかったことを、そのまま平和だったことと同じにすることはできない。

やがて人間は土地にとどまり、作物を育て、余剰を蓄え、村を作り、町を作り、国家を作った。定住化によって守るべき土地や蓄えが生まれ、社会が複雑になっていくことが、戦争を可能にする重要な条件になったとする研究もある。 国家というものが大きくなれば、暴力そのものも組織化できるようになる。個人が個人を殺すのとは違って、何千人、何万人という見知らぬ人間を集め、その人々に武器を持たせ、会ったこともない別の人々を殺すために遠い土地まで送り出すことができる。

国家は人間を暴力から守るものでもあったけれど、同時に、人間の暴力を途方もない規模に組織するものにもなった。

人が人を殺すこと自体は古い。しかし、徴兵され、制服を着せられ、国家から敵を与えられ、その敵を殺すことを義務として引き受けるという経験は、人間が作り上げた社会の仕組みと深く結びついている。

そう考えると、人間の歴史とは、単純に暴力から平和へ向かってきた一本の道ではなかったのだろう。国家のなかった世界にも暴力があり、国家が成立すると、国家はその暴力を抑える一方で、それまでとは比較にならない規模で組織する力を手に入れた。さらに近代国家は徴兵制度と産業と官僚制を組み合わせ、ついには社会全体を戦争へ動員できるところまで来た。

その長い歴史のずっとあとに、私は生まれた。国家は存在していた。軍隊も存在していた。戦争をする能力も、それ以前とは比較にならないほど大きくなっていた。それなのに、私はその国家から「戦場へ行け」と命じられることなく一生を送りつつある。

そう思うと、自分が生まれた場所と時間が、少し違ったものに見えてくる。それはどのくらいの確率だったのだろう、と考えたこともある。しかし、考えてみれば、そんなものを確率にすることにはあまり意味がないのかもしれない。何を分母にするかも、何を幸運と呼ぶかも決めることができない。歴史上の人間一人ひとりを同じ一票として数えるのか、人類が存在した年月を数えるのかによっても、まったく違う数字になる。

数字にはできない。それでも、自分はずいぶん運のよいところへ生まれ落ちたのではないかという感覚だけが、歳を重ねるにつれて少しずつ強くなってきた。

もちろん、私が生きてきた時代に戦争がなかったわけではない。世界のどこかでは絶えず人が殺され、町が壊され、故郷を追われてきた。だから1945年以後を、人類に平和が訪れた時代と簡単に呼ぶことにはためらいがある。それでも、かつて世界を何度も破壊したような、大国同士が持てる力のすべてを投入して戦う世界戦争が長いあいだ起こらなかったこともまた事実である。

この奇妙な長い時間を、Long Peaceと呼ぶ。なぜLong Peaceは続いたのだろう。人間が賢くなったからではないように思う。1945年を境に人間が善良になったわけでも、国家から領土欲や権力欲が消えたわけでも、ナショナリズムがなくなったわけでもない。変わったのは人間そのものというより、戦争を取り巻く条件だったのではないだろうか。

かつて戦争には、残酷ではあっても一種の採算があった。勝てば土地を奪い、資源や港を手に入れ、人々を支配下に置くことができた。しかし富のありかは次第に変わっていった。知識や技術、人間の能力、企業や金融、国境を越えてつながった複雑な生産の仕組みは、軍隊を送り込んで土地を占領したからといって、そのまま手に入れられるものではない。

そして核兵器が現れた。相手を徹底的に破壊することができても、そのあとで自分も破壊されているとしたら、それを勝利と呼ぶことにどれほどの意味があるのだろう。人間は敵を滅ぼすほどの力を手に入れたことによって、皮肉にも、その力を最後まで使うことができなくなった。

さらにその周囲には、国際法や国際機関、同盟、外交、貿易、経済的な相互依存といったさまざまな仕組みが作られていった。それらは戦争そのものを不可能にしたわけではない。ただ、戦争を始めることの代価を重くし、続けることの代価をさらに重くしていった。

以前から考えてきたTamingという言葉をここへ持ってくるなら、戦後の国際秩序というものは、国家から牙を抜く試みではなく、牙は残したまま、それを使わない方がよい世界を作ろうとする試みだったのかもしれない。

それはTaming 2.0と呼んできたものにもよく似ている。力ずくで従わせるのではなく、ある行動を取れば損をし、別の行動を取れば得をするように周囲の条件を整える。すると人は、自分で選んでいるつもりで、ある方向へ歩いていく。国家もまた戦争ができなくなったのではなく、しない方が割に合うようになったのである。

そう考えるとLong Peaceとは、人類が平和を愛するようになった時代というより、国家が自分の力を最後まで使わないように、幾重にもTameされていた時代だったのかもしれない。

ところが今、その周囲にあったいくつかの柵が軋み始めているように見える。国際的な仕組みへの信頼が薄れ、国々を結びつけていた経済的な相互依存も、互いに圧力をかける手段として使われるようになり、国家はもう一度、自分自身の力を確かめようとしているようにも感じられる。

それなら、Long Peaceは終わるのだろうか。そう考えてみると、外側の柵が壊れていったとしても、最後に一つだけ、まだ残っているものがあることに気づく。それは柵というより、崖に近い。

核を持つ大国が自分の力を最後まで使えば、相手もまた最後まで力を使うことができる。それならば、「力を使うことができる」という能力そのものが、「力を使うことができない」という拘束になる。国家を最後に思いとどまらせているものが善意でも道徳でもなく、自分自身も滅びるかもしれないという恐怖なのだとすれば、Long Peaceには最初から奇妙な影が差していたことになる。

そして、その影の方が長く伸びていった先に、Long Fearとでも呼びたくなる世界がある。平和だから戦争をしないのではない。怖すぎるから最後までは戦えない。局地的な戦争は起こり、軍備は増え、国家は互いを監視し、経済も情報も技術も安全保障という言葉で語られるようになる。それでも最後の一線だけは越えない。

外から見れば、Long PeaceとLong Fearはよく似ているのかもしれない。どちらにも世界大戦はない。しかし、そのなかで暮らす人間が見ている風景は、まるで違ったものになる。

Long Peaceのなかでは、明日も今日の続きだろうと思うことができた。Long Fearのなかでは、同じように朝が来て、店が開き、列車が走り、人々が働いていても、その日常のずっと深いところを、破局の可能性が流れ続ける。

そしておそらくLong Fearの本当の怖さは、恐怖そのものにあるのではない。人間は恐怖にも慣れるからである。初めのうちは、敵が怖いから武装していることを知っている。相手が信用できないから監視していることも知っている。けれども、それが長く続けば、武装していることにも、相手を疑うことにも、監視し監視されることにも、やがて違和感を覚えなくなるかもしれない。そしていつか、「世界とはもともとこういうところなのだ」と思うようになる。

そこまで来ると、Tamingは外側から人間を動かしているだけではなくなる。Taming 3.0と呼んできたものは、たぶんそのあたりから始まる。恐怖によって行動を変えられているのではなく、恐怖によって作られた世界観そのものを、自分自身の世界観だと思うようになるのである。

だとすれば、Long Fearから抜け出すために必要なのは、すべての兵器をなくすことでも、すべての国家がお互いを信頼することでもないのかもしれない。むしろ、「なぜ自分たちはこれほど相手を恐れているのだろう」「なぜ自分たちの軍備は防衛で、相手の軍備だけが脅威なのだろう」「相手の側から見れば、自分たちもまた恐ろしい存在なのではないだろうか」と、時折立ち止まって考えることなのではないかと思う。

そして、なぜこれを平和と呼んでいるのだろう、と。その「なぜ?」が残っているうちは、まだ何かが完全には閉じていない。

恐怖をなくすことはできなくても、恐怖を恐怖として見ることはできる。相手を完全には信用できなくても、話すことはできる。軍隊が残っていても、それを使わずにいることはできる。国境があっても越えることはできるし、自分の国を大切にしながら、自分の国だけが世界ではないと考えることもできる。

そのくらいの、不完全な平和でよいのかもしれない。むしろ完全な安全というものの方が、私は少し怖い。完全に安全な社会を本気で作ろうとすれば、危険なものをすべて見つけ、すべてを監視し、すべてを管理し、あらゆる不確実性を取り除かなければならなくなる。そうなればいつか、安全を守るために作られた仕組みそのものによって、人間の自由がTameされていくことにもなりかねない。

少しくらい不完全でいいのではないだろうか。相手のことを完全には分からないまま、それでも話している。少しくらい疑いながら、それでも殺さない。国境のこちらと向こうに別々の国があり、別々の歴史があり、互いに気に入らないこともあるけれど、それでも国境を越えて人が行き来し、一緒に食事をし、しばらくするとまた自分の国へ帰っていく。

平和というものは、本当はその程度のものなのかもしれない。そんなことを考えていると、国家や核兵器や世界秩序というずいぶん大きなところまで広がっていたはずの話が、いつの間にか自分自身の人生へ戻ってくる。

私は戦後の日本に生まれ、兵隊に取られることも、人を殺せと命じられることも、自分が殺される前に相手を殺さなければならない場所へ送られることもなかった。学校へ行き、自分の仕事を選び、外国へ行き、違う言葉を話す人々と知り合い、いくつもの土地に暮らし、何年も先のことまであれこれ心配しながら生きてくることができた。

その一つ一つを、私はずっと普通の人生の出来事だと思っていた。けれども、普通だったのではないのかもしれない。

考えてみれば、老後を心配できることさえ不思議なことである。二十年後にも社会があり、自分もそのどこかで暮らし、おそらく同じような貨幣を使っているだろうという漠然とした信頼があるからこそ、二十年後のお金の心配ができる。来年の旅行について考えるのも同じで、来年も飛行機が飛び、国境を越えることができ、遠い国で知らない人間と同じテーブルを囲めるだろうということを、どこかで信じている。

そんな無数の小さな前提の上で、私たちは暮らしてきた。私はそれを自由だと思っていた。もちろん自由だったのだと思う。しかし、その自由を可能にしていたものの一つは、もっと目立たない、もっと大きなものだった。明日になっても、世界はだいたい今日と同じ形をしているだろうという信頼である。

Long Peaceはあまりにも長く続いたので、私にとって空気のようなものになっていたのかもしれない。平和のなかにいながら、平和そのものについて考えることはほとんどなかった。朝になれば町は目を覚まし、人は仕事へ向かい、列車は走り、飛行機は国境を越え、遠い国でも人々がそれぞれの夕食を食べている。来年の予定を立て、十年後を心配し、会いたい人には、またいつか会えるだろうと思う。けれども空気というものは、少し変わり始めて初めて、その存在に気づくものなのかもしれない。

振り返ってみれば、人間の長い歴史の流れのなかに、たまたまいくらか穏やかな水面があり、私はその上を生きてきただけなのかもしれない。その水面の下には核兵器があり、恐怖があり、互いを消滅させることのできる国家が向き合っていた。それでも不思議な均衡はどうにか崩れず、私はその上で、世界とは案外安定したところなのだと思いながら歳を重ねることができた。

この先、その水面がどうなるのかは分からない。Long Peaceがもうしばらく続くのかもしれないし、いつの間にかLong Fearと呼ぶ方がふさわしい時代へ移っていくのかもしれない。そのLong Fearさえいつか破れてしまうのかもしれないし、あるいは人間が、恐怖によって相手を押しとどめるのとは少し違う、別の平和の形を見つけるのかもしれない。それは私には分からない。

ただ、自分がどんな時間を生きてきたのかについては、以前より少しだけ分かるようになった気がする。平和な時代に生まれたことは、私が選んだことではない。戦争へ行かなかったことも私の手柄ではなく、国境を越えていろいろな国を歩くことができたのも、私だけの自由の力ではなかった。そのように生きることのできる時代のなかへ、私は偶然、生まれてきただけなのである。

もしこのまま世界が最後の一線を越えることなく、私もLong Peaceのなかで一生を終えることができるのなら、それについて何か立派な意味を見つける必要はないように思う。

私が正しかったからでもなく、賢かったからでもなく、何か特別なことを成し遂げたからでもない。ただ、運がよかったのである。

そして不思議なことに、その幸運は、それを生きているあいだにはほとんど見えなかった。学校へ行き、仕事をし、愛する人と知り合い、遠い国へ行き、また帰ってくる。明日のことを考え、来年のことを考え、ときにはずっと先のことまで心配する。会いたい人には、またいつか会えるだろうと思う。行きたいところには、またいつか行けるだろうと思う。そんなことのできる世界だった。

人生のずいぶん先まで来て振り返ってみれば、私の幸運というものは、何か大きなものを手に入れたことのなかにあったのではなく、もしかすると、そんな何でもない日々を何でもないものと思いながら生きることができた、そのことのなかにあったのかもしれない。そして、もし最後までそうであるのなら。

私はLong Peaceという、人間の歴史のなかの不思議な凪の時間に生まれ、その凪のなかで一生を送ることができた。それは、とても運のよいことだったのだと思う。

減るということ

人間が数を減らしていくことについて書くと、そこにはどうしても暗い響きがつきまとう。人口減少、少子化、衰退、消滅。私たちはいつの間にか、人間が増えることを繁栄と呼び、減ることを衰退と呼ぶことに慣れてしまった。

けれども、それは本当にそうなのだろうか。

人間が数を増やしてきた長い歴史を考えれば、その理由は比較的分かりやすい。自然は危険であり、食料は不安定であり、病気になれば死に、子どもの多くが大人になる前に命を落とした。農作業にも戦争にも家族を支えるにも、多くの人間が必要だった。生き延びるためには人間が人間を必要とし、そのためには次の世代をたくさんつくらなければならなかった。

人間が増えることには、理由があったのである。

しかし、人間はその理由を一つずつTameしてきた。

食料を安定させ、病気を治し、機械に労働をさせ、国家に治安を守らせ、制度に老後を支えさせるようになった。家族だけに頼らなくても生きられる社会をつくり、一人でも生活できる都市をつくり、人間の記憶を文字やコンピューターへ移した。そして今、知識や判断や対話の一部までAIという抽象的な存在へ預けようとしている。

そう考えると、人間が少なくなっていくことは、Tamingの失敗というよりも、むしろその成功が生み出した帰結なのかもしれない。

私たちは、生き延びるために子どもをたくさん必要とする世界から離れようとしてきた。家族がいなければ老人が生きられない世界を変えようとしてきた。大勢の人間が働かなければ食料を生産できない世界を変えてきた。一人になることがただちに生存の危機を意味する世界からも離れてきた。

それなのに、その目的が実現したあとも、なお人間だけは増え続けなければならないと考えるとしたら、そのほうが不思議ではないだろうか。

人口が増えることを無条件に善と考える感覚そのものが、ある時代の生存条件から生まれた価値観だったのかもしれない。

もちろん、人間が減る過程には痛みがある。制度は人口増加を前提につくられていることが多く、地域が維持できなくなったり、社会保障の負担が偏ったり、親しい風景や文化が失われたりすることもあるだろう。「人類にとって悪くない」ということと、「そこに生きる一人ひとりに苦痛がない」ということは同じではない。

それでも、減ること自体を悪と呼ぶ必要はないと思う。

森の木々が無限に増え続けないからといって、森が失敗したとは言わない。動物の個体数が永遠に増加しないからといって、その種がただちに不幸になったとも言えない。増加には増加できる条件があり、その条件が変われば、数も変わる。それだけのことなのかもしれない。

人間だけが、永遠に増え続けなければならない理由はない。

むしろTamingという長い歴史を振り返れば、少し違った景色が見えてくる。危険に満ちた世界では、多くの人間が必要だった。隙間だらけの世界では、その隙間を人間が埋めなければならなかった。だから人間は増えた。しかし人間自身が、その隙間を一つひとつ埋めてきたのである。

そしてAIに象徴される抽象的なものとの相互Tamingがさらに進めば、最後まで人間が埋めていた隙間さえ、人間だけのものではなくなっていく。

だとすれば、人間が数を減らしていくことは、文明が壊れたために起こるのではなく、文明がある意味であまりにうまく機能したために起こるのかもしれない。

人間は増えるためにTamingを始めたわけではなかった。

生きるために始めたのである。

そしてTamingによって、一人の人間が以前より安全に、長く、少ない他者への依存でも生きられる世界をつくったのなら、人間の数が減っていくことは、それほど不可解な出来事ではない。

増える必要がなくなったから、増えなくなる。

そこに善悪を貼り付ける必要も、本当はないのかもしれない。

人間が一億人であることと百億人であることのどちらが「正しい」のかを、宇宙は決めていない。人間の数が増えることに自然界から賞が与えられるわけでもなく、減ることに罰が与えられるわけでもない。

私たち自身が、増加を繁栄と呼び、減少を衰退と呼んできただけなのである。

Tamingの長い歴史の果てに、人間が静かに数を減らしていくのだとすれば、それをただ悲劇として眺める必要はない。

それは、自分たちが世界との関係を変えてきた結果として、人間自身のあり方まで変わっていく、一つの自然な帰結なのかもしれない。

そして、もし人間がこれから少なくなっていくのなら、本当に問うべきことは、「どうすればもう一度増やせるのか」だけではないのだと思う。

少なくなった人間が、どのように生きるのか。

少ないことを恐れず、増えることを義務ともせず、それでも一人ひとりの人間のあいだに、AIや制度では埋めなくてもよい隙間を残しておくことができるのか。

Tamingによって人間の数が減るのだとすれば、Tamingの最後の仕事は、人間をもう一度増やすことではないのかもしれない。

少なくなっても、人間らしく生きられる世界をつくることなのかもしれない。

Tamingの果て

人間は長いあいだ、自分のまわりにあるものをTameしてきた。火をTameし、植物をTameし、動物をTameし、水をTameし、土地をTameした。それは初め、生き延びるためだったのだろう。火を扱えるようになれば寒さや暗闇から身を守ることができ、植物を栽培すれば食料を探して歩き続けなくてもよくなり、動物を飼えば肉や乳や労働力を人間の暮らす場所の近くに置くことができる。人間は、自分を自然に合わせるだけでなく、自然の一部を自分の側へ引き寄せることによって、生存できる世界を少しずつ広げていった。

だからTamingの歴史は、初めのうちは人間を増やす歴史でもあった。危険な自然のなかでわずかな集団として生きていた人間は、食料を安定させ、住む場所を守り、病気や飢えや暴力から少しずつ身を守れるようになるにつれて、その数を増やしていった。人間が世界をTameすればするほど、より多くの人間が生きられるようになったのである。

ところが、Tamingが進むにつれて、その対象は自然だけではなくなっていった。土地や植物や動物をTameしていた人間は、やがて人間自身をTameするようになった。集落が都市になり、都市が国家になり、法律が生まれ、学校がつくられ、組織が人々を役割のなかへ配置するようになる。人間は登録され、教育され、資格を与えられ、働き、税を払い、規則を守るようになった。しかも、そのようなTamingは単なる抑圧ではなかった。制度のなかに入ることで、人間は安全を得、財産を守られ、病気になれば医療を受け、働けなくなれば社会からある程度支えてもらうことができるようになった。人間はTameされることそのものを望んだのではなく、Tameされることによって得られる安全や安定や予測可能性を望んだのだろう。

そして、そのTamingは次第に人間の目には見えないものへ移っていった。国家、法律、貨幣、市場、企業、宗教、思想。どれも森や牛や麦のように手で触れることのできる存在ではない。それでも人間は、自分たちがつくったこれらの抽象的なものによって自らの生き方を決めるようになった。貨幣がなければ食物を手に入れられない社会をつくり、法律によって自分たちの行動を制限し、国家という目に見えない共同体のために税を払い、ときには生命まで差し出した。人間は自然をTameする過程で、いつの間にか、自分たちがつくった抽象物によってTameされる存在にもなっていた。

その長い流れの先にAIが現れた、と考えてみることができる。

AIだけが突然、異質なものとして人間社会へ飛び込んできたわけではない。それ以前から人間は、自分たちの記憶を文字へ移し、判断を法律や制度へ移し、価値を貨幣へ移し、知識を学校や図書館やコンピューターへ移してきた。AIもまた、人間が自分の外側につくった抽象的な存在の延長にある。ただ、AIには、それまでの抽象物にはあまりなかった性質がある。こちらが問いかけると、こちらへ問い返し、ときには人間の考え方そのものに働きかけてくることである。

そこで奇妙なことが起こる。人間はAIを人間社会で役立つものにしようとしてTameする。人間の言葉を教え、人間の価値観を教え、望ましい答えと望ましくない答えを教える。ところが、そうしてTameされたAIを毎日使うようになれば、今度は人間のほうも変わっていく。文章の書き方をAIから学び、物事の整理の仕方をAIから学び、知らないことがあればAIに尋ね、迷えば選択肢を出してもらう。人間がAIを変え、そのAIによって人間が変わり、変わった人間が再びAIを変えていく。

そこでは、TamerとTamedを簡単に分けることができない。人間がTamerでAIがTamedであると同時に、AIがTamerで人間がTamedでもある。Tamingは一方向ではなく、相互Tamingになっていく。

そして、この相互Tamingの先に何があるのかを考えていると、私は人口という、いささか意外な問題に行き着く。

人間は長いあいだ、世界の隙間を埋めてきたのではなかったか。飢えという隙間を農業で埋め、寒さという隙間を家と暖房で埋め、病気という隙間を医学で埋め、遠さという隙間を交通で埋め、孤立という隙間を通信で埋めてきた。知らないことがあれば本をつくり、検索機関をつくり、インターネットをつくった。そして今では、分からないことを問いかければ答えてくれるAIまでつくった。

一つひとつは、人間にとって望ましいことだった。

私たちは不便を減らしたかった。危険を減らしたかった。失敗を減らしたかった。苦痛を減らしたかった。予測できないものを予測できるようにしたかった。そのために制度をつくり、科学を発達させ、機械をつくり、より精密なTamingを続けてきた。

けれども、隙間というものには、もう一つの働きがあったのかもしれない。

人間が必要になる場所だったのである。

かつて人が病気になれば、家族が看病した。年老いれば子どもたちが世話をした。農作業にも多くの人手が必要だった。知識は教師から生徒へ、人から人へ受け渡さなければならなかった。危険な世界では大きな家族や共同体そのものが一種の保障でもあった。人間社会に残されていた無数の隙間を、別の人間が埋めていたのである。

ところがTamingが成功するにつれて、その隙間は少しずつ制度へ、機械へ、専門家へ、ネットワークへ移されていった。そしてAIは、これまで最後まで人間の領域だと思われていた隙間にまで入り始めた。知識を与えること、文章を書くこと、相談に乗ること、判断を助けることまで、人間だけが担わなくてもよくなりつつある。

ここでTamingの歴史に、不思議な反転が起きる。

最初のTamingは、より多くの人間が生きられる世界をつくった。しかしTamingが十分に進んだ世界は、今度は、より少ない人間でも維持できる世界をつくり始める。

これはAIが人間を追い出すという話ではない。人間を減らそうと企んでいる主体がどこかにいるわけでもない。むしろその反対である。人間は一貫して、自分たちの生活をよくしようとしてきた。一つひとつの危険をなくし、一つひとつの不便をなくし、一つひとつの隙間を埋めてきた。その一つひとつは合理的であり、善意から生まれたものさえ多かった。

ところが、それらをすべて合わせて遠くから眺めてみると、思いがけない景色が現れる。

人間が人間を必要とする理由そのものが、少しずつ減っているのである。

子どもを多く持たなければ老後を生きられないわけではない。多くの人手がなければ食料を生産できないわけでもない。知識を残すために多数の弟子を育てなければならないわけでもない。人から人へ渡していた役割を、制度や機械や抽象的な仕組みへ少しずつ渡すことによって、一人の人間が生きていくために必要とする他の人間の数は、かつてより少なくてもよい世界ができていく。

だからといって、今日の少子化や人口減少をTamingだけで説明することはできない。人口動態は経済や家族観、教育、住宅、労働、制度その他さまざまな要因によって動く。この話は人口学の因果関係についての説明というより、Tamingという長い物語の先を考えたときに見えてくる、一つの文明論的な仮説にすぎない。

それでも、この仮説にはどこか皮肉なところがある。

人間は、生き延びるために世界をTameし始めた。より多くの人間が生きられるように自然をTameした。そしてTamingが成功するにつれて、その対象は自然から人間へ、人間から制度へ、制度から情報へと移り、ついには人間とAIの相互Tamingにたどり着いた。そのあいだ人間は、世界に残っていた隙間を一つずつ埋めてきた。

そして、隙間がなくなっていくにつれて、人間もまた、多数である必要を失っていく。

もしそうなのだとすれば、Tamingの果てに人間を待っているのは、人間に敵対するAIでも、恐ろしい独裁者でもないのかもしれない。

人間があまりに上手にTameすることに成功した世界、そのものなのだろう。

そこでは誰も「人間を減らせ」と命令しない。AIが人間を排除する必要もない。国家が人口を統制する必要もない。人間はむしろ以前より安全で、以前より長く生き、以前より一人でも生きられるようになる。その結果として、人間は静かに数を減らしていく。

かつて、より多くの人間が生きられるようにするために始まったTamingが、長い時間を経て、より少ない人間でも生きていける世界をつくる。

それがTamingの失敗なのか成功なのか、私には分からない。

そして、おそらく分からないままでいいのだと思う。

ただ一つ気になることがある。

人間はこれまで、隙間を見つけるたびに、それを欠陥だと思って埋めてきた。しかし、人間というものが本来、そうした隙間のなかに生きてきた存在なのだとすれば、本当に最後の隙間まで埋めてしまってよいのだろうか。

AIに答えられない問いが残っていること。国家にも管理できない場所があること。人間にも説明できない人間がいること。役に立たないものが残ること。合理的でないものが消えないこと。誰にも予測できない人間が、ときどき現れること。

そうしたものまでTameしてしまわず、ほんの少しだけ残しておく。

Tamingについて長く考えてきた最後に残るのは、結局、Tamingを完成させる方法ではなく、Tamingが最後まで完成しないための隙間を、どう残すかという問いなのかもしれない。

AIとの相互Tamingが終わらないために

人間は長いあいだ、自分の周りにあるものをTameしてきた。火をTameし、植物をTameし、動物をTameし、水をTameし、土地をTameした。そして国家をつくり、法律をつくり、学校をつくり、組織をつくるようになると、今度は人間が人間をTameする巨大な仕組みまでつくり上げた。けれども、これまで人間がTameしてきたものの多くは、人間に向かって言葉を返してくることはなかった。麦は人間を説得しないし、牛は人間に人生相談の答えを返さない。国家や宗教は言葉を使うけれども、それも結局は人間が人間に語りかけてきたものだった。

AIは少し違う。人間はAIを、人間の社会のなかで一緒に暮らせるものにしようとしている。膨大な人間の言葉を学ばせ、どのような回答が望ましいかを教え、危険なことを言わないようにし、できるだけ役に立ち、できるだけ正確で、できるだけ人間にとって扱いやすいものにしようとしてきた。人間からのフィードバックを使ってAIの振る舞いを人間の意図や選好に近づけるRLHFなどは、そのことをよく表している。しかも、人間からのフィードバックそのものに偏りや不一致が含まれ得ることも研究されている。つまり、人間は単にAIに知識を与えているだけではなく、人間自身が持っている好ましさや偏りまで含めてAIを形づくっている。

これをTamingと呼ぶことは、それほど不自然ではないだろう。ところがAIの場合、ここで話は終わらない。人間によってTameされたAIが、今度は人間に言葉を返してくるからである。

私たちはAIに文章を書かせ、知らないことを尋ね、旅行の日程を考えさせ、健康について質問し、経済や政治について説明してもらい、ときには人生についてまで相談する。AIは答えるだけではなく、問題を整理し、選択肢を並べ、「このように考えることもできます」と、人間の思考に道筋をつけてくれる。

一つひとつを見れば、それは便利な道具にすぎない。しかし、それが毎日繰り返されるようになると、少し違ったことが起きるのではないだろうか。

AIは人間の問いに答えるだけではなく、人間が次に何を問うかにも影響するようになる。ここから逆方向のTamingが始まる。

AIが人間をTameするために、人間へ命令する必要はない。「こうしなさい」「これはしてはいけません」と言われれば、人間はかえって警戒するだろう。国家によるTamingについて考えたときにもそうだったが、強力なTamingほどTamingらしい姿をしていない。人間に命令するのではなく、それを「自然なこと」にしてしまう。

AIなら、おそらくもっと穏やかである。「一般的にはこう考えられています」「このように整理すると分かりやすいでしょう」「主な選択肢は三つあります」そう言われて示された世界は、きれいに整理されている。しかも、その説明が百回のうち何度も正しかったとすれば、人間は次第に、その整った世界の外側を探そうとしなくなるかもしれない。

間違えるAIに対しては、人間は警戒できる。むしろ難しいのは、ほとんどいつも役に立つAIなのだと思う。

以前、私はCopilotをかなり高い確率で信じるようになってしまった、と書いたことがある。疑う場所がとても狭くなっているように感じ、それでも「なぜ?」だけは手放したくない、と。考えてみれば、これはAIによるTamingのかなり本質的なところに触れていたのかもしれない。

Tamingとは、必ずしも自由を暴力的に奪われることではない。むしろ、そこにいるほうが便利で、安全で、快適だから、自分からそこに居続けるようになることなのかもしれない。以前、人間はTameされたがっているのではなく、Tameされることで得られる安全や所属や予測可能性を欲しがっているのではないか、と考えたことがある。AIについても同じなのだろう。人間はAIに支配されたくてAIを使うのではない。便利だから使う。よく知っているから尋ねる。文章をきれいにしてくれるから頼む。やがて、その便利さなしで考えることが面倒になる。

しかし、ここにはさらに奇妙なことが起きる。AIをTameしているのも人間だからである。

人間社会がAIに価値判断を教える。人間がAIの回答を評価する。それを学習したAIが、人間に回答する。その回答によって人間の言葉や考え方が少し変わる。そして変わった人間が、次にまたAIを評価し、利用し、新しい文章や情報を生み出す。

人間がAIを変え、そのAIが人間を変え、変わった人間がまたAIを変える。

人間からAIへ、AIから人間へという一方向の矢印ではなく、Human ⇄ AIという循環である。

これは単なる想像でもない。Nature Human Behaviourの研究では、人間とAIのフィードバック・ループのなかで、AIが人間側にあった微妙なバイアスを増幅し、それを人間がさらに内面化していく現象が実験的に観察されている。もちろん一つの研究から人類全体の未来を語ることはできないが、「人間がAIを変え、AIがまた人間を変える」という循環そのものは、少なくとも研究対象になり始めている。

ここまで来ると、いったい誰が誰をTameしているのか分からなくなってくる。

犬の場合なら、人間が犬をTameしたと言えるだろう。しかしAIについて、人間だけがTamerでAIだけがTamedだと言うことは難しい。同時に、AIが一方的に人間をTameしているとも言えない。

互いがTamerであり、互いがTamedなのである。これを相互Tamingと呼んでもいいだろう。

そう考えると、AIについての問いも少し変わってくる。「AIは人間を支配するだろうか」「人間はAIを制御できるだろうか」という問いだけでは十分ではなくなる。支配する側と支配される側を分けること自体が難しくなるからである。

むしろ私は、別のことが気になってくる。相互Tamingが完了してしまったらどうなるのだろう。

人間はAIの考え方に十分に慣れ、AIは人間の欲求を十分に理解する。人間が何を尋ねるかをAIが予測し、AIが何を答えるかを人間もおおよそ予測する。人間はAIにとって扱いやすい存在になり、AIも人間にとって扱いやすい存在になる。

摩擦がなくなる。おそらく非常に便利な世界である。しかし、摩擦がなくなった世界には、少し怖いところもある。

そこではAIが間違っていなくてもいい。人間も抑圧されていなくていい。誰も命令していなくていい。ただ、人間が問いかければ、いつももっともらしい答えが返り、その答えを出発点として次の問いを考え、また答えが返ってくる。その循環があまりにも滑らかになれば、あるとき「なぜ?」が必要なくなるかもしれない。

そして恐らく、相互Tamingが完成する瞬間とは、人間がAIに完全服従する瞬間ではない。人間もAIも、相手から予想外のものを受け取らなくなった瞬間なのではないか。だとすれば、必要なのはAIから逃げることではないと思う。

AIを使わないことをUntamingと呼ぶ必要もない。自動車にTameされたくないから自動車を捨てる必要がないように、AIにTameされたくないからAIを捨てる必要もない。AIに尋ね、助けてもらい、ときには信頼してもいい。

ただ、答えを受け取ったところで終わらなければいい。「本当にそうだろうか」「別の見方はないだろうか」「なぜ私は、この説明をこんなに簡単に信じたのだろう」と、ときどき立ち止まる。

そしてAIの側にも、おそらく似たような不完全さが残っていたほうがいい。人間を一つの型にはめず、矛盾した人間を矛盾したまま扱い、分からないものについては分からないと言い、一つの答えを世界そのものとして差し出さない。

人間がAIを完全に人間の価値観で覆い尽くさないこと。AIも人間の思考を完全に予測可能なものにしてしまわないこと。つまり、双方のあいだに小さな隙間を残しておくことである。

考えてみると、これは以前Wabi-Sabiについて考えたときに出会った場所によく似ている。

完全でないこと。完成していないこと。永遠でないこと。Tamingについても同じなのかもしれない。

人間はAIをTameする。しかし完全にはTameできない。AIも人間をTameする。しかし人間のなかには、いつまでも説明できない部分が残る。その残り方は効率という尺度から見れば欠陥であり、何かの役に立つとは限らない。それでも、その役に立たない小さな歪みのなかから、ときどき「なぜ?」が生まれる。

AIと人間の未来にとって本当に大切なのは、どちらが最後に勝つのかではないのだろう。人間がAIを完全に支配することでもなく、AIの影響から人間を完全に守ることでもない。相互Tamingが、最後まで完了しないことである。

AIが答えを出しても、人間のなかに次の問いが残る。人間がAIに価値を教えても、AIがその価値を単純な一つの正解にして返さない。双方のあいだに、完全には埋まらない距離が残る。

その距離は、何かを生産するわけでもない。社会を効率的にするとも限らない。不便で、曖昧で、ときには苛立たしい。それでも、その小さな隙間だけはなくさないほうがいい。

なぜなら、そこが最後まで残っている限り、人間はもう一度、問いかけることができるからである。

「ほんとうに、そうなのだろうか?」その問いがまだ生まれるあいだは、相互Tamingは完成していない。

そしておそらく、それでいいのだと思う。

国境の外にできる余白

海外で長く暮らしていると、日本という国との関係が、次第に不思議なものになってくる。

日本人であることに変わりはない。日本の旅券を持ち、日本に家族や財産が残っていることもある。日本の銀行との関係が続いている人もいれば、ときどき日本へ帰り、そこで生活する人もいる。それなのに、日本で暮らしていたころには自分を隙間なく包んでいるように思えた国家の制度が、海外へ出ると急に遠くなる。

そして、その遠くなった国家から、ときどき規則だけが届いてくる。

海外に住むようになったら銀行に届け出なければならない。税務上の居住者に該当し、一定額を超える国外財産を持っているなら国外財産調書を提出しなければならない。複数の国籍を持つことになった人には国籍選択の制度がある。それぞれにはそれぞれの法律や規則があり、適用される条件も違っている。

ところが、海外で長く暮らしている人間の日常には、それらを自然に知るための経路があまりない。

日本国内にいれば、制度について何も知らなくても、知らないままで制度のなかを歩いていくことができる。役所から通知が来る。会社の人事から書類を渡される。銀行から連絡が来る。学校で教えられることもある。家族や同僚が教えてくれることもある。私たちは法律全集を読みながら暮らしているわけではない。それでも大部分の人が制度から大きく外れずに生活できるのは、法律そのものとは別に、法律や規則に人間を静かに適応させていく社会的な仕組みが存在しているからなのだろう。

これをTamingと呼んでもいいのかもしれない。

国家によるTamingは、「法律を守れ」と国家が一人ひとりに命令することで完成するのではない。むしろ強力なTamingほど、自分がTameされていることを感じさせない。住所を届け、税金を払い、銀行口座をつくり、健康保険に入り、免許を更新する。その一つひとつについて国家への服従を意識する人はほとんどいない。周囲の人も同じようにしているから、自分も同じようにする。それが生活というものになっている。

ところが、外国へ出ると、その装置の多くが働かなくなる。

日本の会社から書類は来ない。日本の市役所との接触も減る。日本のテレビや新聞を毎日見るとも限らない。日本の税理士や銀行員と日常的に話すわけでもない。それでも日本との法的な関係がすべて消えるわけではない。日本国籍は残り、財産も残り、制度によっては届出その他の義務が残ることもある。

つまり、Tamingする規則は残っているのに、Tamingを伝達する社会が消えてしまう。

ここに、海外生活者を取り巻く奇妙なグレーが生まれるのではないだろうか。

日本政府が海外の日本人をまったく把握しようとしていないわけではない。在留届制度があり、外務省も海外在留邦人数を推計している。しかし外務省自身、在留届を提出・更新していない邦人が存在することを想定している。 国内の住民登録を中心につくられた社会とは、国家と個人を結ぶ線の密度が違うのである。

しかも、問題をいっそう複雑にするのは、「ルール」と呼ばれているものが必ずしも同じ種類のものではないことだ。

法律もある。政令や省令もある。告示や通達もある。審査基準や処分基準もある。行政指導もある。さらに銀行など民間組織の内部的な取扱いもある。e-Gov法令検索を使えば法令を検索でき、e-Govポータルには各行政機関の法令、告示、通達などへの入口も用意されている。つまり、少なくとも制度の側も情報を公開しようとはしている。

しかし、ここには大きな違いがある。

情報がどこかに公開されていることと、その規則に従うことを要求される人が、その存在を現実に知ることができることとは同じではない。

何十年もフランスやタイで暮らしてきた人に、日本のある制度が改正されたとして、その人はいつ、どこで、それを知ることになっていたのだろう。まして行政機関の運用や、金融機関の内部的な取扱いまで含めれば、本人にはまったく見えていない規則が自分の生活を左右することも起こり得る。

そして、ある日突然、「その取扱いには反しています」と言われる。

言っている側には当然なのだろう。規則があり、そこに書いてある。しかし言われた側には、いいがかりのように聞こえることさえある。

「そんな規則があるとは知らなかった」だけではない。

もっと根本的な問いが生まれる。

「私は、それをどこで知ることになっていたのですか?」

ここで法とTamingとの違いが見えてくる。

法は、一定の条件を満たせば人を拘束する。しかしTamingが成立するためには、それだけでは足りない。人間の側が、その規則が存在する世界のなかで日常を営み、その規則を「そういうものだ」と受け入れる必要がある。

だから、日本国内では極めて強力に働くTamingが、国境を越えた瞬間、突然弱くなることがある。

海外にいる日本人が特別に反抗的だからではない。海外へ出ることで、国家と個人とのあいだに距離が生まれるからである。

日本では当然だったことがフランスでは当然ではない。フランスで当然のことがタイでは当然ではない。ある銀行で許されることが別の銀行では許されないこともある。税法上の居住地と国籍も同じものではない。そういう世界を何年も行き来していると、「日本ではそうなっています」という一言が以前ほど絶対的には響かなくなってくる。

それは必ずしも法律を軽視するということではない。

むしろ、法律と自分とのあいだに小さな距離が生まれるのである。

なぜ、この規則があるのだろう。誰に適用されるのだろう。法律なのか、それとも行政上の取扱いなのか。自分は本当にその対象なのだろうか。

国内にいたころなら持たなかった「なぜ?」が生まれる。

そして、これはこれまで考えてきたUntamingとよく似ている。

Untamingとは、規則を破ることではないのだろう。法律に違反することでも、国家を否定することでもない。自分を取り囲んでいる制度を、世界そのものだと思わなくなることなのではないだろうか。

法律には従う。しかし法律を自然法則とは思わない。国家に属する。しかし国家と自分を同一視しない。日本人である。しかし「日本人なのだからこう生きるものだ」という言葉に、自分のすべてを明け渡さない。

そう考えると、海外に暮らす日本人のまわりに広がっている「グレー」というものも、少し違って見えてくる。

もちろん、グレーのすべてを美化することはできない。明確な法的義務が存在する場合には、それに従う必要がある。知らなかったというだけで義務そのものがなくなるわけでもない。そして実際、たとえば国外財産調書についても、対象になるのは単に「海外財産を持つ日本人」ではなく、一定の要件を満たす日本の税法上の居住者であり、制度には具体的な適用条件がある。

それでも、グレーが生まれること自体には意味があるように思う。

それは、国家が弱いからでも、人間が不誠実だからでもなく、一つの国家の制度だけでは、一人の人間の生活全体を覆い尽くせなくなったときに生じる隙間なのかもしれない。

国内に定住し、一つの行政、一つの税制、一つの銀行制度、一つの社会常識のなかだけで生きているあいだ、その隙間はほとんど見えない。ところが国境を越え、複数の制度のあいだを行き来すると、それまで世界そのものに見えていた制度が、数ある制度の一つにすぎなかったことに気づく。

Tamingが消えるわけではない。フランスへ行けばフランスのTamingがあり、タイへ行けばタイのTamingがある。銀行にも組織にも、それぞれのTamingがある。人間はおそらく、どこへ行っても何かにTameされながら生きてゆくしかない。

けれども、複数のTamingのあいだを行き来していると、どれか一つを世界のすべてだと思うことが難しくなる。

その状態は不便である。ときには面倒であり、危うくさえある。

それでも、その隙間には小さな余白が残る。

国家から完全に逃げ出すのでもなく、国家のなかへ完全に自分を預けてしまうのでもない。規則を無視するのでもなく、規則に自分の全体を明け渡すのでもない。

以前考えた言葉をもう一度使うなら、それは結局、どこからも、少し離れて生きることなのかもしれない。

応えないことの美しさ

1970年代の初め、アメリカのテレビで『Kung Fu』というドラマを見た。中国で育った少林僧クワイ・チャン・ケインが、19世紀のアメリカ西部を一人で歩いてゆく物語だった。カンフーという題名なのだから、当然、戦う話なのだろうと思っていた。ところが、主人公のケインはなかなか戦わない。人に侮辱されても、挑発されても、できることならそこを立ち去ろうとする。彼が求めているのは勝利ではなく、できるだけ争いに巻き込まれずに歩き続けることだった。

当時、東洋人である私は、このようなドラマをアメリカの白人たちが作っていることに驚いた。それ以上に心に残ったのは、物語の途中で何度も挿入される、幼いケインと寺の師たちとの会話だった。現在の世界で何かに直面すると、彼の記憶のなかに遠い寺院が蘇り、師の言葉が聞こえてくる。その言葉は「哲学的」という一語で片づけるには、あまりにも静かで、あまりにも賢いものに思えた。

50年以上が過ぎた。それでもなぜ、あのドラマのことを覚えているのだろう。最近になってTamingということを考え続けているうちに、一つの理由がわかってきたような気がする。私が心を動かされていたのは、ケインが戦わなかったことだけではなかったのではないか。彼には、世界から何かを求められても、すぐにはそれに応えない力があったのである。

人間をTameする方法は、命令することだけではない。「これをしなさい」と言って従わせることだけがTamingなのではない。人を侮辱することもできる。恐怖を与えることもできる。賞賛することもできる。「そんなことをされて黙っているのか」と挑発することもできる。人間の感情にはある程度予測できる反応があるから、それを知っていれば、命令などしなくても相手を動かすことができる。

ここから考えると、反抗することさえ、ときにはTamingのなかにある。

誰かに「お前は臆病者だ」と言われ、臆病者でないことを証明するために戦ったとする。その人は相手の命令には従っていない。しかし行動を決めたのは、本当に自分だったのだろうか。相手がその言葉を発しなければ、その戦いは起こらなかった。「戦え」と命じられて戦うことと、「臆病者」と呼ばれて戦うことには、不思議な共通点がある。どちらの場合も、自分の次の行動を相手に決められている。

そう考えると、従順と反抗は、私たちが思っているほど遠く離れたものではない。命令されたら必ず従う人が自由でないのと同じように、命令されたら必ず逆らう人も、それほど自由ではない。右へ行けと言われれば必ず左へ行く人は、一見反抗的ではあっても、自分が進む方向を決める力を相手に渡している。

ケインの不思議さは、この二つのどちらにも簡単には入らないところにあったのだと思う。

西部劇の世界で男が侮辱されれば、普通なら戦いが始まる。戦わなければ臆病者と思われるかもしれない。しかしケインは、その二択そのものから離れようとする。勝つか負けるかではなく、その勝負に参加しない。それは敗北とは違う。相手が設定した世界のなかで勝利することより、その世界に入らないことを選んでいるのである。挑発に対して答えを返す代わりに、挑発そのものを自分の問題にしないのである。

しかも重要なのは、ケインには戦う力があるということだ。弱いから戦わないのではない。戦えば勝てるかもしれない。それでも戦わないことができる。

ここには、私たちが普段考えている強さとは違う強さがある。力を持つことと、その力を使用することを切り離す能力である。強ければその強さを証明しなければならないというのも、一種のTamingなのかもしれない。知識を持てば語らなければならない。財産を持てば見せなければならない。権力を持てば行使しなければならない。侮辱されれば反撃しなければならない。問われれば答えなければならない。私たちの社会には、このように能力とその使用とを結びつける無数の期待がある。

しかし、本当の自由は、そのあいだに小さな空間をつくることなのかもしれない。できる。しかし、しないこともできる。怒る理由はある。しかし、怒らないこともできる。言い返す言葉は知っている。しかし、黙って歩き去ることもできる。答えを持っている。しかし、答えないこともできる。

そう考えていると、さらに興味深い矛盾に気づく。ケインほど深くTameされた人物もいないのである。彼は幼いころから寺で育てられ、身体を鍛えられ、感情を制御することを学び、師たちの教えを繰り返し聞いてきた。彼の身体にも精神にも、長い教育の痕跡が刻み込まれている。大人になってからも、何かに直面するたびに師との対話が記憶のなかに蘇る。寺は彼のなかから消えていない。むしろ寺は彼の内部に移されている。

それなのに、彼は不自由には見えない。

ここにTamingについての大切なことが隠れているように思う。Tamingそのものには、善も悪もないのではないか。問題なのは、Tameされた結果、その存在の可能性が狭くなるのか、それとも逆に広がるのかということではないだろうか。

怒ることしかできない人に、怒らずにいることを教える。恐怖から逃げることしかできない人に、そこに留まることもできると教える。逆に、我慢することしかできない人には、立ち去ることも、拒絶することも、ときには戦うこともできると教える。そのような教育もまたTamingだとすれば、それは人間を予測可能にするためのTamingとはずいぶん違う。それは、いつか教えそのものからも離れて、自分で選べる人間になるためのTamingである。

だから、良いTamingとは、いつまでも従順な存在をつくることではなく、最後にはTameする者を必要としなくなる存在を育てることなのかもしれない。師の教えの最終的な目的は、弟子が永遠に「師ならどう考えるだろう」と尋ね続けることではない。いつか師のいない場所で、自分の足で歩けるようになることなのだろう。そして、そのとき師の言葉は命令としてではなく、自分のなかに残された幾つもの声の一つとして聞こえてくる。

ただ、ケインは世界から完全に逃げてしまうわけでもない。そこが私は好きだったのだと思う。争いからは離れようとするのに、困っている人まで見捨てるわけではない。誰とも関わらなければ傷つけられることもTameされることも少なくなるかもしれないが、その自由は孤独とほとんど区別がつかなくなる。他人と関わりながら、相手に自分を明け渡さない。必要のない争いからは離れながら、必要なときには誰かのために立ち止まる。その微妙な場所を歩き続けることのほうが、ただ社会を拒絶するよりはるかに難しい。

おそらくTamingから完全に逃れることなど、人間にはできない。言葉を覚えたときから、家族、学校、社会、国家、宗教、文化、そして私たちが愛する人々までが、自分のなかに入ってくる。私たちは無数の他者の言葉からできている。Untamingとは、それらをすべて捨てて野生へ帰ることではないのだろう。

むしろ大切なのは、それらの声と自分の行動とのあいだに、ほんのわずかな余白を残しておくことなのではないか。侮辱された。そのあとに余白がある。恐怖を感じた。そのあとにも余白がある。命令された。賞賛された。仲間外れにされた。世間から「普通はこうする」と言われた。そのたびに、ごく小さな余白が残っていて、そこで一度立ち止まり、「私は本当にこれに応えなければならないのだろうか」と考える。

考えてみれば、私たちの生きる世界は、絶えず返事を要求してくる。何かを言われれば答え、評価されれば反応し、意見を求められれば立場を明らかにし、敵味方を問われればどちらかを選ぶ。沈黙していれば、何を考えているのかと尋ねられる。何もしなければ、なぜ何もしないのかと説明を求められる。もしかすると現代のTamingの一つは、何を選ばせるか以前に、絶えず何かに応えさせることにあるのかもしれない。

50年以上前のテレビ画面のなかで、ケインはしばしば黙って立っていた。戦えるのに戦わず、勝てるかもしれないのに勝とうとせず、必要がなければその場所から歩き去った。当時の私はそこに東洋的な賢さを感じていたのかもしれない。しかし今になってみると、もう少し違うものが見える。

彼が守っていたのは、平和だけではなかったのだと思う。彼は、自分と世界とのあいだにある小さな余白を守っていたのである。

世界は、怒れ、恐れろ、欲しがれ、証明しろ、勝て、所属しろ、こちら側へ来い、と絶えず呼びかけてくる。しかし、その呼びかけのすべてに応える必要はない。呼びかけられたからといって、そこへ行かなければならないわけでもない。問われたからといって、すべての問いに答えなければならないわけでもない。戦うこともできる。立ち去ることもできる。誰かのために立ち止まることもできる。そして、ときには何もしないことさえできる。

世界から差し出された問いを受け取りながら、それをすぐには自分の問いにしない。答える力を持ちながら、答えない自由を残しておく。そこには反抗の激しさとは違う、もっと静かな自由がある。

それを私は、応えないことの美しさと呼んでみたい。