減るということ

人間が数を減らしていくことについて書くと、そこにはどうしても暗い響きがつきまとう。人口減少、少子化、衰退、消滅。私たちはいつの間にか、人間が増えることを繁栄と呼び、減ることを衰退と呼ぶことに慣れてしまった。

けれども、それは本当にそうなのだろうか。

人間が数を増やしてきた長い歴史を考えれば、その理由は比較的分かりやすい。自然は危険であり、食料は不安定であり、病気になれば死に、子どもの多くが大人になる前に命を落とした。農作業にも戦争にも家族を支えるにも、多くの人間が必要だった。生き延びるためには人間が人間を必要とし、そのためには次の世代をたくさんつくらなければならなかった。

人間が増えることには、理由があったのである。

しかし、人間はその理由を一つずつTameしてきた。

食料を安定させ、病気を治し、機械に労働をさせ、国家に治安を守らせ、制度に老後を支えさせるようになった。家族だけに頼らなくても生きられる社会をつくり、一人でも生活できる都市をつくり、人間の記憶を文字やコンピューターへ移した。そして今、知識や判断や対話の一部までAIという抽象的な存在へ預けようとしている。

そう考えると、人間が少なくなっていくことは、Tamingの失敗というよりも、むしろその成功が生み出した帰結なのかもしれない。

私たちは、生き延びるために子どもをたくさん必要とする世界から離れようとしてきた。家族がいなければ老人が生きられない世界を変えようとしてきた。大勢の人間が働かなければ食料を生産できない世界を変えてきた。一人になることがただちに生存の危機を意味する世界からも離れてきた。

それなのに、その目的が実現したあとも、なお人間だけは増え続けなければならないと考えるとしたら、そのほうが不思議ではないだろうか。

人口が増えることを無条件に善と考える感覚そのものが、ある時代の生存条件から生まれた価値観だったのかもしれない。

もちろん、人間が減る過程には痛みがある。制度は人口増加を前提につくられていることが多く、地域が維持できなくなったり、社会保障の負担が偏ったり、親しい風景や文化が失われたりすることもあるだろう。「人類にとって悪くない」ということと、「そこに生きる一人ひとりに苦痛がない」ということは同じではない。

それでも、減ること自体を悪と呼ぶ必要はないと思う。

森の木々が無限に増え続けないからといって、森が失敗したとは言わない。動物の個体数が永遠に増加しないからといって、その種がただちに不幸になったとも言えない。増加には増加できる条件があり、その条件が変われば、数も変わる。それだけのことなのかもしれない。

人間だけが、永遠に増え続けなければならない理由はない。

むしろTamingという長い歴史を振り返れば、少し違った景色が見えてくる。危険に満ちた世界では、多くの人間が必要だった。隙間だらけの世界では、その隙間を人間が埋めなければならなかった。だから人間は増えた。しかし人間自身が、その隙間を一つひとつ埋めてきたのである。

そしてAIに象徴される抽象的なものとの相互Tamingがさらに進めば、最後まで人間が埋めていた隙間さえ、人間だけのものではなくなっていく。

だとすれば、人間が数を減らしていくことは、文明が壊れたために起こるのではなく、文明がある意味であまりにうまく機能したために起こるのかもしれない。

人間は増えるためにTamingを始めたわけではなかった。

生きるために始めたのである。

そしてTamingによって、一人の人間が以前より安全に、長く、少ない他者への依存でも生きられる世界をつくったのなら、人間の数が減っていくことは、それほど不可解な出来事ではない。

増える必要がなくなったから、増えなくなる。

そこに善悪を貼り付ける必要も、本当はないのかもしれない。

人間が一億人であることと百億人であることのどちらが「正しい」のかを、宇宙は決めていない。人間の数が増えることに自然界から賞が与えられるわけでもなく、減ることに罰が与えられるわけでもない。

私たち自身が、増加を繁栄と呼び、減少を衰退と呼んできただけなのである。

Tamingの長い歴史の果てに、人間が静かに数を減らしていくのだとすれば、それをただ悲劇として眺める必要はない。

それは、自分たちが世界との関係を変えてきた結果として、人間自身のあり方まで変わっていく、一つの自然な帰結なのかもしれない。

そして、もし人間がこれから少なくなっていくのなら、本当に問うべきことは、「どうすればもう一度増やせるのか」だけではないのだと思う。

少なくなった人間が、どのように生きるのか。

少ないことを恐れず、増えることを義務ともせず、それでも一人ひとりの人間のあいだに、AIや制度では埋めなくてもよい隙間を残しておくことができるのか。

Tamingによって人間の数が減るのだとすれば、Tamingの最後の仕事は、人間をもう一度増やすことではないのかもしれない。

少なくなっても、人間らしく生きられる世界をつくることなのかもしれない。

Tamingの果て

人間は長いあいだ、自分のまわりにあるものをTameしてきた。火をTameし、植物をTameし、動物をTameし、水をTameし、土地をTameした。それは初め、生き延びるためだったのだろう。火を扱えるようになれば寒さや暗闇から身を守ることができ、植物を栽培すれば食料を探して歩き続けなくてもよくなり、動物を飼えば肉や乳や労働力を人間の暮らす場所の近くに置くことができる。人間は、自分を自然に合わせるだけでなく、自然の一部を自分の側へ引き寄せることによって、生存できる世界を少しずつ広げていった。

だからTamingの歴史は、初めのうちは人間を増やす歴史でもあった。危険な自然のなかでわずかな集団として生きていた人間は、食料を安定させ、住む場所を守り、病気や飢えや暴力から少しずつ身を守れるようになるにつれて、その数を増やしていった。人間が世界をTameすればするほど、より多くの人間が生きられるようになったのである。

ところが、Tamingが進むにつれて、その対象は自然だけではなくなっていった。土地や植物や動物をTameしていた人間は、やがて人間自身をTameするようになった。集落が都市になり、都市が国家になり、法律が生まれ、学校がつくられ、組織が人々を役割のなかへ配置するようになる。人間は登録され、教育され、資格を与えられ、働き、税を払い、規則を守るようになった。しかも、そのようなTamingは単なる抑圧ではなかった。制度のなかに入ることで、人間は安全を得、財産を守られ、病気になれば医療を受け、働けなくなれば社会からある程度支えてもらうことができるようになった。人間はTameされることそのものを望んだのではなく、Tameされることによって得られる安全や安定や予測可能性を望んだのだろう。

そして、そのTamingは次第に人間の目には見えないものへ移っていった。国家、法律、貨幣、市場、企業、宗教、思想。どれも森や牛や麦のように手で触れることのできる存在ではない。それでも人間は、自分たちがつくったこれらの抽象的なものによって自らの生き方を決めるようになった。貨幣がなければ食物を手に入れられない社会をつくり、法律によって自分たちの行動を制限し、国家という目に見えない共同体のために税を払い、ときには生命まで差し出した。人間は自然をTameする過程で、いつの間にか、自分たちがつくった抽象物によってTameされる存在にもなっていた。

その長い流れの先にAIが現れた、と考えてみることができる。

AIだけが突然、異質なものとして人間社会へ飛び込んできたわけではない。それ以前から人間は、自分たちの記憶を文字へ移し、判断を法律や制度へ移し、価値を貨幣へ移し、知識を学校や図書館やコンピューターへ移してきた。AIもまた、人間が自分の外側につくった抽象的な存在の延長にある。ただ、AIには、それまでの抽象物にはあまりなかった性質がある。こちらが問いかけると、こちらへ問い返し、ときには人間の考え方そのものに働きかけてくることである。

そこで奇妙なことが起こる。人間はAIを人間社会で役立つものにしようとしてTameする。人間の言葉を教え、人間の価値観を教え、望ましい答えと望ましくない答えを教える。ところが、そうしてTameされたAIを毎日使うようになれば、今度は人間のほうも変わっていく。文章の書き方をAIから学び、物事の整理の仕方をAIから学び、知らないことがあればAIに尋ね、迷えば選択肢を出してもらう。人間がAIを変え、そのAIによって人間が変わり、変わった人間が再びAIを変えていく。

そこでは、TamerとTamedを簡単に分けることができない。人間がTamerでAIがTamedであると同時に、AIがTamerで人間がTamedでもある。Tamingは一方向ではなく、相互Tamingになっていく。

そして、この相互Tamingの先に何があるのかを考えていると、私は人口という、いささか意外な問題に行き着く。

人間は長いあいだ、世界の隙間を埋めてきたのではなかったか。飢えという隙間を農業で埋め、寒さという隙間を家と暖房で埋め、病気という隙間を医学で埋め、遠さという隙間を交通で埋め、孤立という隙間を通信で埋めてきた。知らないことがあれば本をつくり、検索機関をつくり、インターネットをつくった。そして今では、分からないことを問いかければ答えてくれるAIまでつくった。

一つひとつは、人間にとって望ましいことだった。

私たちは不便を減らしたかった。危険を減らしたかった。失敗を減らしたかった。苦痛を減らしたかった。予測できないものを予測できるようにしたかった。そのために制度をつくり、科学を発達させ、機械をつくり、より精密なTamingを続けてきた。

けれども、隙間というものには、もう一つの働きがあったのかもしれない。

人間が必要になる場所だったのである。

かつて人が病気になれば、家族が看病した。年老いれば子どもたちが世話をした。農作業にも多くの人手が必要だった。知識は教師から生徒へ、人から人へ受け渡さなければならなかった。危険な世界では大きな家族や共同体そのものが一種の保障でもあった。人間社会に残されていた無数の隙間を、別の人間が埋めていたのである。

ところがTamingが成功するにつれて、その隙間は少しずつ制度へ、機械へ、専門家へ、ネットワークへ移されていった。そしてAIは、これまで最後まで人間の領域だと思われていた隙間にまで入り始めた。知識を与えること、文章を書くこと、相談に乗ること、判断を助けることまで、人間だけが担わなくてもよくなりつつある。

ここでTamingの歴史に、不思議な反転が起きる。

最初のTamingは、より多くの人間が生きられる世界をつくった。しかしTamingが十分に進んだ世界は、今度は、より少ない人間でも維持できる世界をつくり始める。

これはAIが人間を追い出すという話ではない。人間を減らそうと企んでいる主体がどこかにいるわけでもない。むしろその反対である。人間は一貫して、自分たちの生活をよくしようとしてきた。一つひとつの危険をなくし、一つひとつの不便をなくし、一つひとつの隙間を埋めてきた。その一つひとつは合理的であり、善意から生まれたものさえ多かった。

ところが、それらをすべて合わせて遠くから眺めてみると、思いがけない景色が現れる。

人間が人間を必要とする理由そのものが、少しずつ減っているのである。

子どもを多く持たなければ老後を生きられないわけではない。多くの人手がなければ食料を生産できないわけでもない。知識を残すために多数の弟子を育てなければならないわけでもない。人から人へ渡していた役割を、制度や機械や抽象的な仕組みへ少しずつ渡すことによって、一人の人間が生きていくために必要とする他の人間の数は、かつてより少なくてもよい世界ができていく。

だからといって、今日の少子化や人口減少をTamingだけで説明することはできない。人口動態は経済や家族観、教育、住宅、労働、制度その他さまざまな要因によって動く。この話は人口学の因果関係についての説明というより、Tamingという長い物語の先を考えたときに見えてくる、一つの文明論的な仮説にすぎない。

それでも、この仮説にはどこか皮肉なところがある。

人間は、生き延びるために世界をTameし始めた。より多くの人間が生きられるように自然をTameした。そしてTamingが成功するにつれて、その対象は自然から人間へ、人間から制度へ、制度から情報へと移り、ついには人間とAIの相互Tamingにたどり着いた。そのあいだ人間は、世界に残っていた隙間を一つずつ埋めてきた。

そして、隙間がなくなっていくにつれて、人間もまた、多数である必要を失っていく。

もしそうなのだとすれば、Tamingの果てに人間を待っているのは、人間に敵対するAIでも、恐ろしい独裁者でもないのかもしれない。

人間があまりに上手にTameすることに成功した世界、そのものなのだろう。

そこでは誰も「人間を減らせ」と命令しない。AIが人間を排除する必要もない。国家が人口を統制する必要もない。人間はむしろ以前より安全で、以前より長く生き、以前より一人でも生きられるようになる。その結果として、人間は静かに数を減らしていく。

かつて、より多くの人間が生きられるようにするために始まったTamingが、長い時間を経て、より少ない人間でも生きていける世界をつくる。

それがTamingの失敗なのか成功なのか、私には分からない。

そして、おそらく分からないままでいいのだと思う。

ただ一つ気になることがある。

人間はこれまで、隙間を見つけるたびに、それを欠陥だと思って埋めてきた。しかし、人間というものが本来、そうした隙間のなかに生きてきた存在なのだとすれば、本当に最後の隙間まで埋めてしまってよいのだろうか。

AIに答えられない問いが残っていること。国家にも管理できない場所があること。人間にも説明できない人間がいること。役に立たないものが残ること。合理的でないものが消えないこと。誰にも予測できない人間が、ときどき現れること。

そうしたものまでTameしてしまわず、ほんの少しだけ残しておく。

Tamingについて長く考えてきた最後に残るのは、結局、Tamingを完成させる方法ではなく、Tamingが最後まで完成しないための隙間を、どう残すかという問いなのかもしれない。

AIとの相互Tamingが終わらないために

人間は長いあいだ、自分の周りにあるものをTameしてきた。火をTameし、植物をTameし、動物をTameし、水をTameし、土地をTameした。そして国家をつくり、法律をつくり、学校をつくり、組織をつくるようになると、今度は人間が人間をTameする巨大な仕組みまでつくり上げた。けれども、これまで人間がTameしてきたものの多くは、人間に向かって言葉を返してくることはなかった。麦は人間を説得しないし、牛は人間に人生相談の答えを返さない。国家や宗教は言葉を使うけれども、それも結局は人間が人間に語りかけてきたものだった。

AIは少し違う。人間はAIを、人間の社会のなかで一緒に暮らせるものにしようとしている。膨大な人間の言葉を学ばせ、どのような回答が望ましいかを教え、危険なことを言わないようにし、できるだけ役に立ち、できるだけ正確で、できるだけ人間にとって扱いやすいものにしようとしてきた。人間からのフィードバックを使ってAIの振る舞いを人間の意図や選好に近づけるRLHFなどは、そのことをよく表している。しかも、人間からのフィードバックそのものに偏りや不一致が含まれ得ることも研究されている。つまり、人間は単にAIに知識を与えているだけではなく、人間自身が持っている好ましさや偏りまで含めてAIを形づくっている。

これをTamingと呼ぶことは、それほど不自然ではないだろう。ところがAIの場合、ここで話は終わらない。人間によってTameされたAIが、今度は人間に言葉を返してくるからである。

私たちはAIに文章を書かせ、知らないことを尋ね、旅行の日程を考えさせ、健康について質問し、経済や政治について説明してもらい、ときには人生についてまで相談する。AIは答えるだけではなく、問題を整理し、選択肢を並べ、「このように考えることもできます」と、人間の思考に道筋をつけてくれる。

一つひとつを見れば、それは便利な道具にすぎない。しかし、それが毎日繰り返されるようになると、少し違ったことが起きるのではないだろうか。

AIは人間の問いに答えるだけではなく、人間が次に何を問うかにも影響するようになる。ここから逆方向のTamingが始まる。

AIが人間をTameするために、人間へ命令する必要はない。「こうしなさい」「これはしてはいけません」と言われれば、人間はかえって警戒するだろう。国家によるTamingについて考えたときにもそうだったが、強力なTamingほどTamingらしい姿をしていない。人間に命令するのではなく、それを「自然なこと」にしてしまう。

AIなら、おそらくもっと穏やかである。「一般的にはこう考えられています」「このように整理すると分かりやすいでしょう」「主な選択肢は三つあります」そう言われて示された世界は、きれいに整理されている。しかも、その説明が百回のうち何度も正しかったとすれば、人間は次第に、その整った世界の外側を探そうとしなくなるかもしれない。

間違えるAIに対しては、人間は警戒できる。むしろ難しいのは、ほとんどいつも役に立つAIなのだと思う。

以前、私はCopilotをかなり高い確率で信じるようになってしまった、と書いたことがある。疑う場所がとても狭くなっているように感じ、それでも「なぜ?」だけは手放したくない、と。考えてみれば、これはAIによるTamingのかなり本質的なところに触れていたのかもしれない。

Tamingとは、必ずしも自由を暴力的に奪われることではない。むしろ、そこにいるほうが便利で、安全で、快適だから、自分からそこに居続けるようになることなのかもしれない。以前、人間はTameされたがっているのではなく、Tameされることで得られる安全や所属や予測可能性を欲しがっているのではないか、と考えたことがある。AIについても同じなのだろう。人間はAIに支配されたくてAIを使うのではない。便利だから使う。よく知っているから尋ねる。文章をきれいにしてくれるから頼む。やがて、その便利さなしで考えることが面倒になる。

しかし、ここにはさらに奇妙なことが起きる。AIをTameしているのも人間だからである。

人間社会がAIに価値判断を教える。人間がAIの回答を評価する。それを学習したAIが、人間に回答する。その回答によって人間の言葉や考え方が少し変わる。そして変わった人間が、次にまたAIを評価し、利用し、新しい文章や情報を生み出す。

人間がAIを変え、そのAIが人間を変え、変わった人間がまたAIを変える。

人間からAIへ、AIから人間へという一方向の矢印ではなく、Human ⇄ AIという循環である。

これは単なる想像でもない。Nature Human Behaviourの研究では、人間とAIのフィードバック・ループのなかで、AIが人間側にあった微妙なバイアスを増幅し、それを人間がさらに内面化していく現象が実験的に観察されている。もちろん一つの研究から人類全体の未来を語ることはできないが、「人間がAIを変え、AIがまた人間を変える」という循環そのものは、少なくとも研究対象になり始めている。

ここまで来ると、いったい誰が誰をTameしているのか分からなくなってくる。

犬の場合なら、人間が犬をTameしたと言えるだろう。しかしAIについて、人間だけがTamerでAIだけがTamedだと言うことは難しい。同時に、AIが一方的に人間をTameしているとも言えない。

互いがTamerであり、互いがTamedなのである。これを相互Tamingと呼んでもいいだろう。

そう考えると、AIについての問いも少し変わってくる。「AIは人間を支配するだろうか」「人間はAIを制御できるだろうか」という問いだけでは十分ではなくなる。支配する側と支配される側を分けること自体が難しくなるからである。

むしろ私は、別のことが気になってくる。相互Tamingが完了してしまったらどうなるのだろう。

人間はAIの考え方に十分に慣れ、AIは人間の欲求を十分に理解する。人間が何を尋ねるかをAIが予測し、AIが何を答えるかを人間もおおよそ予測する。人間はAIにとって扱いやすい存在になり、AIも人間にとって扱いやすい存在になる。

摩擦がなくなる。おそらく非常に便利な世界である。しかし、摩擦がなくなった世界には、少し怖いところもある。

そこではAIが間違っていなくてもいい。人間も抑圧されていなくていい。誰も命令していなくていい。ただ、人間が問いかければ、いつももっともらしい答えが返り、その答えを出発点として次の問いを考え、また答えが返ってくる。その循環があまりにも滑らかになれば、あるとき「なぜ?」が必要なくなるかもしれない。

そして恐らく、相互Tamingが完成する瞬間とは、人間がAIに完全服従する瞬間ではない。人間もAIも、相手から予想外のものを受け取らなくなった瞬間なのではないか。だとすれば、必要なのはAIから逃げることではないと思う。

AIを使わないことをUntamingと呼ぶ必要もない。自動車にTameされたくないから自動車を捨てる必要がないように、AIにTameされたくないからAIを捨てる必要もない。AIに尋ね、助けてもらい、ときには信頼してもいい。

ただ、答えを受け取ったところで終わらなければいい。「本当にそうだろうか」「別の見方はないだろうか」「なぜ私は、この説明をこんなに簡単に信じたのだろう」と、ときどき立ち止まる。

そしてAIの側にも、おそらく似たような不完全さが残っていたほうがいい。人間を一つの型にはめず、矛盾した人間を矛盾したまま扱い、分からないものについては分からないと言い、一つの答えを世界そのものとして差し出さない。

人間がAIを完全に人間の価値観で覆い尽くさないこと。AIも人間の思考を完全に予測可能なものにしてしまわないこと。つまり、双方のあいだに小さな隙間を残しておくことである。

考えてみると、これは以前Wabi-Sabiについて考えたときに出会った場所によく似ている。

完全でないこと。完成していないこと。永遠でないこと。Tamingについても同じなのかもしれない。

人間はAIをTameする。しかし完全にはTameできない。AIも人間をTameする。しかし人間のなかには、いつまでも説明できない部分が残る。その残り方は効率という尺度から見れば欠陥であり、何かの役に立つとは限らない。それでも、その役に立たない小さな歪みのなかから、ときどき「なぜ?」が生まれる。

AIと人間の未来にとって本当に大切なのは、どちらが最後に勝つのかではないのだろう。人間がAIを完全に支配することでもなく、AIの影響から人間を完全に守ることでもない。相互Tamingが、最後まで完了しないことである。

AIが答えを出しても、人間のなかに次の問いが残る。人間がAIに価値を教えても、AIがその価値を単純な一つの正解にして返さない。双方のあいだに、完全には埋まらない距離が残る。

その距離は、何かを生産するわけでもない。社会を効率的にするとも限らない。不便で、曖昧で、ときには苛立たしい。それでも、その小さな隙間だけはなくさないほうがいい。

なぜなら、そこが最後まで残っている限り、人間はもう一度、問いかけることができるからである。

「ほんとうに、そうなのだろうか?」その問いがまだ生まれるあいだは、相互Tamingは完成していない。

そしておそらく、それでいいのだと思う。

国境の外にできる余白

海外で長く暮らしていると、日本という国との関係が、次第に不思議なものになってくる。

日本人であることに変わりはない。日本の旅券を持ち、日本に家族や財産が残っていることもある。日本の銀行との関係が続いている人もいれば、ときどき日本へ帰り、そこで生活する人もいる。それなのに、日本で暮らしていたころには自分を隙間なく包んでいるように思えた国家の制度が、海外へ出ると急に遠くなる。

そして、その遠くなった国家から、ときどき規則だけが届いてくる。

海外に住むようになったら銀行に届け出なければならない。税務上の居住者に該当し、一定額を超える国外財産を持っているなら国外財産調書を提出しなければならない。複数の国籍を持つことになった人には国籍選択の制度がある。それぞれにはそれぞれの法律や規則があり、適用される条件も違っている。

ところが、海外で長く暮らしている人間の日常には、それらを自然に知るための経路があまりない。

日本国内にいれば、制度について何も知らなくても、知らないままで制度のなかを歩いていくことができる。役所から通知が来る。会社の人事から書類を渡される。銀行から連絡が来る。学校で教えられることもある。家族や同僚が教えてくれることもある。私たちは法律全集を読みながら暮らしているわけではない。それでも大部分の人が制度から大きく外れずに生活できるのは、法律そのものとは別に、法律や規則に人間を静かに適応させていく社会的な仕組みが存在しているからなのだろう。

これをTamingと呼んでもいいのかもしれない。

国家によるTamingは、「法律を守れ」と国家が一人ひとりに命令することで完成するのではない。むしろ強力なTamingほど、自分がTameされていることを感じさせない。住所を届け、税金を払い、銀行口座をつくり、健康保険に入り、免許を更新する。その一つひとつについて国家への服従を意識する人はほとんどいない。周囲の人も同じようにしているから、自分も同じようにする。それが生活というものになっている。

ところが、外国へ出ると、その装置の多くが働かなくなる。

日本の会社から書類は来ない。日本の市役所との接触も減る。日本のテレビや新聞を毎日見るとも限らない。日本の税理士や銀行員と日常的に話すわけでもない。それでも日本との法的な関係がすべて消えるわけではない。日本国籍は残り、財産も残り、制度によっては届出その他の義務が残ることもある。

つまり、Tamingする規則は残っているのに、Tamingを伝達する社会が消えてしまう。

ここに、海外生活者を取り巻く奇妙なグレーが生まれるのではないだろうか。

日本政府が海外の日本人をまったく把握しようとしていないわけではない。在留届制度があり、外務省も海外在留邦人数を推計している。しかし外務省自身、在留届を提出・更新していない邦人が存在することを想定している。 国内の住民登録を中心につくられた社会とは、国家と個人を結ぶ線の密度が違うのである。

しかも、問題をいっそう複雑にするのは、「ルール」と呼ばれているものが必ずしも同じ種類のものではないことだ。

法律もある。政令や省令もある。告示や通達もある。審査基準や処分基準もある。行政指導もある。さらに銀行など民間組織の内部的な取扱いもある。e-Gov法令検索を使えば法令を検索でき、e-Govポータルには各行政機関の法令、告示、通達などへの入口も用意されている。つまり、少なくとも制度の側も情報を公開しようとはしている。

しかし、ここには大きな違いがある。

情報がどこかに公開されていることと、その規則に従うことを要求される人が、その存在を現実に知ることができることとは同じではない。

何十年もフランスやタイで暮らしてきた人に、日本のある制度が改正されたとして、その人はいつ、どこで、それを知ることになっていたのだろう。まして行政機関の運用や、金融機関の内部的な取扱いまで含めれば、本人にはまったく見えていない規則が自分の生活を左右することも起こり得る。

そして、ある日突然、「その取扱いには反しています」と言われる。

言っている側には当然なのだろう。規則があり、そこに書いてある。しかし言われた側には、いいがかりのように聞こえることさえある。

「そんな規則があるとは知らなかった」だけではない。

もっと根本的な問いが生まれる。

「私は、それをどこで知ることになっていたのですか?」

ここで法とTamingとの違いが見えてくる。

法は、一定の条件を満たせば人を拘束する。しかしTamingが成立するためには、それだけでは足りない。人間の側が、その規則が存在する世界のなかで日常を営み、その規則を「そういうものだ」と受け入れる必要がある。

だから、日本国内では極めて強力に働くTamingが、国境を越えた瞬間、突然弱くなることがある。

海外にいる日本人が特別に反抗的だからではない。海外へ出ることで、国家と個人とのあいだに距離が生まれるからである。

日本では当然だったことがフランスでは当然ではない。フランスで当然のことがタイでは当然ではない。ある銀行で許されることが別の銀行では許されないこともある。税法上の居住地と国籍も同じものではない。そういう世界を何年も行き来していると、「日本ではそうなっています」という一言が以前ほど絶対的には響かなくなってくる。

それは必ずしも法律を軽視するということではない。

むしろ、法律と自分とのあいだに小さな距離が生まれるのである。

なぜ、この規則があるのだろう。誰に適用されるのだろう。法律なのか、それとも行政上の取扱いなのか。自分は本当にその対象なのだろうか。

国内にいたころなら持たなかった「なぜ?」が生まれる。

そして、これはこれまで考えてきたUntamingとよく似ている。

Untamingとは、規則を破ることではないのだろう。法律に違反することでも、国家を否定することでもない。自分を取り囲んでいる制度を、世界そのものだと思わなくなることなのではないだろうか。

法律には従う。しかし法律を自然法則とは思わない。国家に属する。しかし国家と自分を同一視しない。日本人である。しかし「日本人なのだからこう生きるものだ」という言葉に、自分のすべてを明け渡さない。

そう考えると、海外に暮らす日本人のまわりに広がっている「グレー」というものも、少し違って見えてくる。

もちろん、グレーのすべてを美化することはできない。明確な法的義務が存在する場合には、それに従う必要がある。知らなかったというだけで義務そのものがなくなるわけでもない。そして実際、たとえば国外財産調書についても、対象になるのは単に「海外財産を持つ日本人」ではなく、一定の要件を満たす日本の税法上の居住者であり、制度には具体的な適用条件がある。

それでも、グレーが生まれること自体には意味があるように思う。

それは、国家が弱いからでも、人間が不誠実だからでもなく、一つの国家の制度だけでは、一人の人間の生活全体を覆い尽くせなくなったときに生じる隙間なのかもしれない。

国内に定住し、一つの行政、一つの税制、一つの銀行制度、一つの社会常識のなかだけで生きているあいだ、その隙間はほとんど見えない。ところが国境を越え、複数の制度のあいだを行き来すると、それまで世界そのものに見えていた制度が、数ある制度の一つにすぎなかったことに気づく。

Tamingが消えるわけではない。フランスへ行けばフランスのTamingがあり、タイへ行けばタイのTamingがある。銀行にも組織にも、それぞれのTamingがある。人間はおそらく、どこへ行っても何かにTameされながら生きてゆくしかない。

けれども、複数のTamingのあいだを行き来していると、どれか一つを世界のすべてだと思うことが難しくなる。

その状態は不便である。ときには面倒であり、危うくさえある。

それでも、その隙間には小さな余白が残る。

国家から完全に逃げ出すのでもなく、国家のなかへ完全に自分を預けてしまうのでもない。規則を無視するのでもなく、規則に自分の全体を明け渡すのでもない。

以前考えた言葉をもう一度使うなら、それは結局、どこからも、少し離れて生きることなのかもしれない。

応えないことの美しさ

1970年代の初め、アメリカのテレビで『Kung Fu』というドラマを見た。中国で育った少林僧クワイ・チャン・ケインが、19世紀のアメリカ西部を一人で歩いてゆく物語だった。カンフーという題名なのだから、当然、戦う話なのだろうと思っていた。ところが、主人公のケインはなかなか戦わない。人に侮辱されても、挑発されても、できることならそこを立ち去ろうとする。彼が求めているのは勝利ではなく、できるだけ争いに巻き込まれずに歩き続けることだった。

当時、東洋人である私は、このようなドラマをアメリカの白人たちが作っていることに驚いた。それ以上に心に残ったのは、物語の途中で何度も挿入される、幼いケインと寺の師たちとの会話だった。現在の世界で何かに直面すると、彼の記憶のなかに遠い寺院が蘇り、師の言葉が聞こえてくる。その言葉は「哲学的」という一語で片づけるには、あまりにも静かで、あまりにも賢いものに思えた。

50年以上が過ぎた。それでもなぜ、あのドラマのことを覚えているのだろう。最近になってTamingということを考え続けているうちに、一つの理由がわかってきたような気がする。私が心を動かされていたのは、ケインが戦わなかったことだけではなかったのではないか。彼には、世界から何かを求められても、すぐにはそれに応えない力があったのである。

人間をTameする方法は、命令することだけではない。「これをしなさい」と言って従わせることだけがTamingなのではない。人を侮辱することもできる。恐怖を与えることもできる。賞賛することもできる。「そんなことをされて黙っているのか」と挑発することもできる。人間の感情にはある程度予測できる反応があるから、それを知っていれば、命令などしなくても相手を動かすことができる。

ここから考えると、反抗することさえ、ときにはTamingのなかにある。

誰かに「お前は臆病者だ」と言われ、臆病者でないことを証明するために戦ったとする。その人は相手の命令には従っていない。しかし行動を決めたのは、本当に自分だったのだろうか。相手がその言葉を発しなければ、その戦いは起こらなかった。「戦え」と命じられて戦うことと、「臆病者」と呼ばれて戦うことには、不思議な共通点がある。どちらの場合も、自分の次の行動を相手に決められている。

そう考えると、従順と反抗は、私たちが思っているほど遠く離れたものではない。命令されたら必ず従う人が自由でないのと同じように、命令されたら必ず逆らう人も、それほど自由ではない。右へ行けと言われれば必ず左へ行く人は、一見反抗的ではあっても、自分が進む方向を決める力を相手に渡している。

ケインの不思議さは、この二つのどちらにも簡単には入らないところにあったのだと思う。

西部劇の世界で男が侮辱されれば、普通なら戦いが始まる。戦わなければ臆病者と思われるかもしれない。しかしケインは、その二択そのものから離れようとする。勝つか負けるかではなく、その勝負に参加しない。それは敗北とは違う。相手が設定した世界のなかで勝利することより、その世界に入らないことを選んでいるのである。挑発に対して答えを返す代わりに、挑発そのものを自分の問題にしないのである。

しかも重要なのは、ケインには戦う力があるということだ。弱いから戦わないのではない。戦えば勝てるかもしれない。それでも戦わないことができる。

ここには、私たちが普段考えている強さとは違う強さがある。力を持つことと、その力を使用することを切り離す能力である。強ければその強さを証明しなければならないというのも、一種のTamingなのかもしれない。知識を持てば語らなければならない。財産を持てば見せなければならない。権力を持てば行使しなければならない。侮辱されれば反撃しなければならない。問われれば答えなければならない。私たちの社会には、このように能力とその使用とを結びつける無数の期待がある。

しかし、本当の自由は、そのあいだに小さな空間をつくることなのかもしれない。できる。しかし、しないこともできる。怒る理由はある。しかし、怒らないこともできる。言い返す言葉は知っている。しかし、黙って歩き去ることもできる。答えを持っている。しかし、答えないこともできる。

そう考えていると、さらに興味深い矛盾に気づく。ケインほど深くTameされた人物もいないのである。彼は幼いころから寺で育てられ、身体を鍛えられ、感情を制御することを学び、師たちの教えを繰り返し聞いてきた。彼の身体にも精神にも、長い教育の痕跡が刻み込まれている。大人になってからも、何かに直面するたびに師との対話が記憶のなかに蘇る。寺は彼のなかから消えていない。むしろ寺は彼の内部に移されている。

それなのに、彼は不自由には見えない。

ここにTamingについての大切なことが隠れているように思う。Tamingそのものには、善も悪もないのではないか。問題なのは、Tameされた結果、その存在の可能性が狭くなるのか、それとも逆に広がるのかということではないだろうか。

怒ることしかできない人に、怒らずにいることを教える。恐怖から逃げることしかできない人に、そこに留まることもできると教える。逆に、我慢することしかできない人には、立ち去ることも、拒絶することも、ときには戦うこともできると教える。そのような教育もまたTamingだとすれば、それは人間を予測可能にするためのTamingとはずいぶん違う。それは、いつか教えそのものからも離れて、自分で選べる人間になるためのTamingである。

だから、良いTamingとは、いつまでも従順な存在をつくることではなく、最後にはTameする者を必要としなくなる存在を育てることなのかもしれない。師の教えの最終的な目的は、弟子が永遠に「師ならどう考えるだろう」と尋ね続けることではない。いつか師のいない場所で、自分の足で歩けるようになることなのだろう。そして、そのとき師の言葉は命令としてではなく、自分のなかに残された幾つもの声の一つとして聞こえてくる。

ただ、ケインは世界から完全に逃げてしまうわけでもない。そこが私は好きだったのだと思う。争いからは離れようとするのに、困っている人まで見捨てるわけではない。誰とも関わらなければ傷つけられることもTameされることも少なくなるかもしれないが、その自由は孤独とほとんど区別がつかなくなる。他人と関わりながら、相手に自分を明け渡さない。必要のない争いからは離れながら、必要なときには誰かのために立ち止まる。その微妙な場所を歩き続けることのほうが、ただ社会を拒絶するよりはるかに難しい。

おそらくTamingから完全に逃れることなど、人間にはできない。言葉を覚えたときから、家族、学校、社会、国家、宗教、文化、そして私たちが愛する人々までが、自分のなかに入ってくる。私たちは無数の他者の言葉からできている。Untamingとは、それらをすべて捨てて野生へ帰ることではないのだろう。

むしろ大切なのは、それらの声と自分の行動とのあいだに、ほんのわずかな余白を残しておくことなのではないか。侮辱された。そのあとに余白がある。恐怖を感じた。そのあとにも余白がある。命令された。賞賛された。仲間外れにされた。世間から「普通はこうする」と言われた。そのたびに、ごく小さな余白が残っていて、そこで一度立ち止まり、「私は本当にこれに応えなければならないのだろうか」と考える。

考えてみれば、私たちの生きる世界は、絶えず返事を要求してくる。何かを言われれば答え、評価されれば反応し、意見を求められれば立場を明らかにし、敵味方を問われればどちらかを選ぶ。沈黙していれば、何を考えているのかと尋ねられる。何もしなければ、なぜ何もしないのかと説明を求められる。もしかすると現代のTamingの一つは、何を選ばせるか以前に、絶えず何かに応えさせることにあるのかもしれない。

50年以上前のテレビ画面のなかで、ケインはしばしば黙って立っていた。戦えるのに戦わず、勝てるかもしれないのに勝とうとせず、必要がなければその場所から歩き去った。当時の私はそこに東洋的な賢さを感じていたのかもしれない。しかし今になってみると、もう少し違うものが見える。

彼が守っていたのは、平和だけではなかったのだと思う。彼は、自分と世界とのあいだにある小さな余白を守っていたのである。

世界は、怒れ、恐れろ、欲しがれ、証明しろ、勝て、所属しろ、こちら側へ来い、と絶えず呼びかけてくる。しかし、その呼びかけのすべてに応える必要はない。呼びかけられたからといって、そこへ行かなければならないわけでもない。問われたからといって、すべての問いに答えなければならないわけでもない。戦うこともできる。立ち去ることもできる。誰かのために立ち止まることもできる。そして、ときには何もしないことさえできる。

世界から差し出された問いを受け取りながら、それをすぐには自分の問いにしない。答える力を持ちながら、答えない自由を残しておく。そこには反抗の激しさとは違う、もっと静かな自由がある。

それを私は、応えないことの美しさと呼んでみたい。

何にもならないものが好きだ

完璧でないものは美しい。完成していないものは美しい。永遠でないものは美しい。Wabi-Sabiについて考えているとき、私たちはふつう、古びた器や、雨風にさらされた木や、苔のついた石や、少し欠けた茶碗のようなものを思い浮かべる。そこでは、傷や歪みや衰えは取り除かれるべき欠陥ではなく、時間のなかに存在するものが避けることのできない姿として受け入れられている。完全であることよりも、完全ではありえないことのほうに美を見いだす。しかしこの感覚は、物についてだけではなく、人間と文明についても語ることができるのではないだろうか。そう考えたとき、私にはWabi-SabiとTamingという、いっけんまったく違う二つの考え方が、思いがけないところでつながっているように思えてくる。

文明とは、ある意味では、世界をTameし続けてきた長い歴史だった。人間は狼をTameし、牛をTameし、麦や稲をTameし、森をTameし、川をTameしてきた。それだけではない。人間は人間自身をもTameしてきた。子供を教育し、法律を作り、道徳を教え、宗教を作り、国家を作り、学校を作り、刑務所を作り、貨幣を作り、時計によって時間を区切った。ここでいうTamingそのものに善悪があるわけではない。それがなければ、人間がこれほど大きな社会を作ることはできなかっただろう。暴力を抑え、見知らぬ人間どうしを協力させ、未来を予測できる程度に世界を安定させることも、広い意味ではTamingの働きだったと言ってよい。

しかしTamingには、いつも完成へ向かおうとする誘惑がある。もっと安全に、もっと効率的に、もっと予測可能に、もっと管理可能にしようとする。制度の穴を塞ぎ、例外を減らし、分類できないものを分類し、測定できないものを測定しようとする。そして現代になってAIが現れると、この古い夢はかつてないほど現実味を帯びてくる。人間が何を読み、何を買い、どこへ行き、何を好み、何を恐れ、次に何をするかまで予測できるようになれば、文明によるTamingはついに完成へ近づくのではないかという想像さえ可能になる。

けれども、もし本当にTamingが完成してしまったら、その世界はどのようなものになるのだろう。すべての人間が理解され、分類され、予測され、誰もそこから外れない世界。それは、おそろしく滑らかな世界だろう。法律にも制度にも教育にも情報にも継ぎ目がなく、人間の欲望さえあらかじめ理解され、問いが生まれるより先に答えが用意されている。そこにはひょっとすると暴力も混乱も少ないかもしれない。それでも私は、その世界を美しいとは思えない。それは新品の工業製品のように完全で、傷がなく、均質で、そして息苦しい。

ところが現実の人間は、どうしてもそこまで滑らかにならない。教育されたのに疑う人がいる。説得されたのに納得しない人がいる。便利なものを与えられたのに使いたくない人がいる。誰もが成功したいと思っている社会で、それほど成功したくない人が現れる。「こちらへ行くのが合理的です」と教えられても、なぜか別の道を歩いてしまう人がいる。そしてときには、自分でもなぜその道を選んだのか説明できない。

以前考えた、海を見ている人のことを思い出す。その人は三時間ほど海を眺めているが、詩を書かない。海について考察もしない。写真を撮ることもなく、SNSにも載せない。海を見ることが心身にどんな効果を及ぼしたかを測定することもしない。ただそこにいて、風が少し冷たくなってきたので家へ帰る。文明の側から眺めると、この人の三時間は奇妙である。そこから情報も作品も利益も成果も生まれないからだ。しかし、その「何にもならなかった三時間」のなかにこそ、Tamingが最後まで行き届かなかった小さな場所が存在するように思える。

もちろん、この人もUntamedな人間ではない。言葉を話し、服を着て、貨幣を使い、誰かを愛し、誰かから愛されている。国家のなかに暮らし、法律に従い、歴史を背負っている。海辺から帰れば、再び文明のなかで生活する。完全にTamingの外側へ出ることなど、おそらく人間にはできない。

だからこそ、重要なのだと思う。

その人はTameされている。しかし、Tameされきってはいない。

この「きっていない」というところに、Wabi-SabiとUntamingとの深い接点がある。

自由というものを、私たちはしばしば完成した状態として考えてしまう。国家から自由であること、宗教から自由であること、世間から自由であること、AIから自由であること。しかし、そんな純粋な自由は存在するのだろうか。たとえ山奥へ逃げても、人は言語を持っていく。記憶を持っていく。教育を持っていく。親から受け取った価値観を持っていく。何より、自分自身を持っていく。Tamingから完全に逃れた人間というものを想像すると、それはとうとう人間そのものではなくなってしまうのかもしれない。

そうであるなら、UntamingとはTamingの反対側に存在する別の世界ではない。Tamingの内部に生じる、小さなほころびなのではないだろうか。

「本当にそうなのだろうか」と思う瞬間。「なぜ?」という問いが生まれる瞬間。自分が欲しいと思っているものについて、「これは本当に私の欲望なのだろうか」と立ち止まる瞬間。それは英雄的な反抗ではない。国家を倒すこともなければ、宗教を消滅させることもなく、AIを停止させることもない。翌日には、その人自身が再び何かに従い、何かを信じ、何かを当然だと思っているかもしれない。

しかし、それでよいのではないだろうか。

ここでWabi-Sabiは、自由について奇妙なことを教えてくれる。完璧でなければならないという考えそのものを捨ててみればいいのである。完全なUntamingを求めなくてもいい。永遠に自由でなくてもいい。すべてのTamingを見抜けなくてもいい。今日気づかなかったものに明日気づくことがあり、昨日疑ったものを今日は信じることがあり、そしてまたいつか疑い始めることがある。自由そのものが、欠けたり、曇ったり、古びたり、また現れたりするものだと考えてみればよい。

そうすると、人間の不完全さは、Tamingする側から見れば欠陥であっても、自由の側から見れば希望になる。

忘れること。迷うこと。気が変わること。説明できないこと。役に立たないこと。予測から外れること。「なぜ?」と問いながら答えを見つけられないこと。そのどれもが、完全に合理化された世界から見れば、人間の性能上の弱点に見えるだろう。しかし、Tamingという視点から見るなら、その欠陥こそが人間を最後まで完成品にしないものなのかもしれない。

そして、このことはTamingする側にも当てはまる。国家も永遠ではない。宗教の形も変わる。文明も衰える。常識も古びる。かつて絶対だと思われた価値が、いつのまにか忘れられていく。どれほど巨大なシステムであっても、それ自身が時間の作用から逃れることはできない。Tamingするもの自身もまた、完璧ではなく、完成しておらず、永遠ではないのである。

ここまで来ると、Wabi-Sabiは単なる美学ではなく、Tamingについての一つの思想にさえ見えてくる。

文明は完成したがる。しかし完成しない。人間を完全に理解したがる。しかし理解しきれない。秩序を永遠にしようとする。しかし永遠にはならない。そして人間自身も、完成しない。何かに形づくられながら、その形から少しはみ出す。Tameされながら、また少しUntameされる。その繰り返しのなかで一生を終える。

以前なら私は、自由とは「Tamingに抵抗すること」だと考えたかもしれない。しかし今は、それだけではないように思う。抵抗さえ必要ではない場合がある。海辺で何もしないで三時間を過ごすことも、突然それまで信じていたことを疑うことも、説明のできないものを説明しないまま残しておくことも、ある種のUntamingになりうる。それはTamingを打ち負かすのではない。ただ、Tamingを完成させないのである。

そう考えると、自由についての見方もずいぶん変わってくる。自由とは、巨大な力に勝利することではないのかもしれない。自分の内部に、誰にも侵入できない完全な聖域を築くことでもない。そんな頑丈な自由を人間は持てないのだろう。むしろ自由とは、自分自身を含めて、この世界のどこにもまだ完成していないところが残っているということなのかもしれない。

器の小さな歪みのように。古い木のひびのように。苔の生えた石のように。そこから何かが入り込み、何かが逃げていく。

人間もまた、そういう存在なのだろう。

完全には理解されず、完全には予測されず、完全には役に立たず、完全には従わない。そして最後まで、完成品にならない。

その不完全さを文明は長いあいだ克服しようとしてきた。しかし、もしかすると私たちは、それを克服してはいけないのかもしれない。少なくとも、そのすべてを克服してしまってはいけない。

なぜなら、Tamingが完璧にならないこと、Tamingが完成しないこと、Tamingが永遠でないこと。その不完全さのなかにこそ、Untamingが生き続ける場所があるからだ。

そしてもしWabi-Sabiが、完璧ではなく、完成しておらず、永遠ではないもののなかに美を見いだす感覚なのだとすれば、自由もまた、どこかWabi-Sabiに似ているのかもしれない。

Tameされないことではない。

Tameされながら、Tameされきらないこと。

そこにはたしかに美しさがある。しかし、その美しさが私たちを救うわけではない。その歪みが世界を変えるわけでもない。国家を弱くするわけでも、AIを止めるわけでも、文明の向かう方向を変えるわけでもない。そもそも、その歪みは何かのために存在しているのではない。

歪みは、何にもならない。

海を三時間眺めていた時間が何にもならなかったように、その人のなかに残った歪みも、何にもならない。それを自由と呼べば、もう何かにしてしまうような気さえする。それを抵抗と呼べば、もっと大きな物語のなかに回収してしまうだろう。希望と呼ぶ必要もない。

ただ、Tamingはそこで完了しなかった。

人間のなかに、最後まで何かが余った。その余ったものは何の役にも立たず、何も成し遂げず、その人とともにいつか消えていく。それでも、そこにあるあいだ、それは美しい。

何にもならないから、美しいというのでもない。ただ美しく、そして何にもならない。

もしかするとWabi-SabiとUntamingが出会うのは、そのようなところなのかもしれない。

正しい情報だけでは人は自由になれない

新興宗教に深く入り込んでしまう人について考えていた。どうして人は、そこまで何かを信じることができるのだろう。国家についても似たような疑問がある。国家から多くのものを要求され、ときには自分の時間や財産や人生そのものまで差し出しながら、それでも国家を信じ続ける人がいる。そういう人たちは、もともと信じやすい人なのだろうか。そして信じやすいということは、Tameされやすいということなのだろうか。

けれども、考えているうちに、「信じる人」と「疑う人」という分け方では不十分なのではないかと思うようになった。人間はそもそも何も信じずには生きられない。家族を信じ、友人を信じ、医師を信じ、貨幣を信じ、明日も社会がだいたい今日と同じように動いていることを信じて暮らしている。問題は信じることそのものではない。信じることによって、問いを持つ余地が失われることなのではないか。「私はこの宗教を信じている。しかし、この教祖の言っていることは本当に正しいのだろうか」「私はこの国を愛している。しかし、この国家が要求していることは本当に必要なのだろうか」と考えられるうちは、信じることと自分とのあいだにまだわずかな距離がある。

この距離について考えていると、刑務所が気になってきた。近代の刑務所は犯罪者を隔離し、罰するだけの場所ではなく、少なくとも理念の上では、その人を社会に戻す場所でもある。犯罪をする人間を、社会の規範に従って生活できる人間へ変えていく。それをただ支配と呼んでしまうのは乱暴だろう。犯罪をしないようになり、仕事を持ち、人との関係を築き直すことができるなら、本人にとっても社会にとっても望ましいことは多い。しかし、そこには確かに、人間の行動をある方向へ変えるという発想がある。

ハッカーを考えてみれば、もっとわかりやすい。高度な技術を持つ人間に対して、その能力を捨てさせる必要はない。違法な侵入に使うよりも、セキュリティを守る仕事に使うほうが、収入も得られ、社会から認められ、逮捕される危険もないような環境を作ればよい。本人が比較した末に、「こちらのほうが割に合う」と考えてホワイトハッカーになるなら、誰かがその人を力ずくで服従させたわけではない。本人が選んだのである。それでも、その選択が行われる地形を社会の側が意図的に作っているとすれば、そこには一種のTamingを見ることができる。

ここで、それまで一つの言葉で考えていたTamingを、いくつかに分けてみたくなった。

最初のものをTaming 1.0と呼んでみる。これは、設計者のいないTamingである。人間とオオカミが接近し、長い時間をかけてイヌが生まれた。人間が穀物を選び、栽培しながら、逆に人間自身の暮らしも穀物によって変えられていった。森を人間が変え、人間の生活もまた森によって規定された。誰かが最初から完成図を描いていたわけではない。無数の選択、偶然、環境への適応、相互作用の積み重ねが、振り返ってみればTamingと呼べる変化をもたらした。

ところが人間は、やがて重要なことを知ってしまった。環境を変えれば、人間の行動を変えられるということである。こちらの行動には報酬を与え、あちらの行動には不利益を与える。ある行動を普通のことにし、別の行動を少し恥ずかしいことにする。そうすれば、命令しなくても、多くの人間はこちら側へ歩いてくる。これをTaming 2.0と呼んでみることができる。

公共政策に使われるナッジなどには、その構造がよく現れている。人々から選択肢そのものを奪うのではなく、意思決定の環境を変えることによって、一定の方向へ行動を促す。社会規範についての情報を提示して行動を促す「norm nudging」も研究されている。 そこには当然、自由との緊張がある。選択肢が残されているのだから自由は侵害されていないという見方がある一方で、本人が十分意識しないまま心理的な傾向を利用されるのであれば、それは隠れた操作ではないかという批判もある。

私はここにレッドカードを出す必要まではないと思う。しかし、イエローカードは出しておきたい。とくに公共部門がこうした方法を用いるなら、誰が、何の目的で、どのように人々を誘導しようとしているのかが見えることは大切である。透明性があり、批判することができ、その誘導からこぼれ落ちることさえ許されているなら、Taming 2.0は必ずしも恐ろしいものではない。むしろ刑務所から社会に戻る人を支えたり、危険な能力を有益な方向に生かしたり、人々が自分でも望んでいた行動を取りやすくしたりすることもできる。

恐ろしさが増すのは、その次である。

Taming 2.0によって作られた規範が十分に内面化されると、もう外から誘導する人がいなくてもよくなる。「もっと働きなさい」と言われなくても、自分から働き続ける。「もっと成績を上げなさい」と言われなくても、よい成績を取れない自分を責める。「社会から評価される人間になりなさい」と言われなくても、評価されない人生には価値がないような気がしてくる。ここではTamerが消えている。正確には、Tamerが自分自身の中に移動している。これをTaming 3.0と呼んでみる。

Taming 3.0が怖いのは、命令が厳しいからではない。むしろ命令が必要なくなるからである。「これに従え」と言われれば、「嫌だ」と答えることができる。しかし、「そもそも私はこういう人間なのだ」と思っているものから逃れることは難しい。宗教を疑ったときに、「この教義は間違っているのではないか」と考えるのでなく、「疑う私の信仰が足りないのだ」と考えるようになれば、疑念そのものが自己矯正の材料になってしまう。国家について疑問を持ったときにも、「国家がおかしいのではないか」ではなく、「国家を信じられない自分がおかしいのではないか」と考えるなら、外部からの強制はほとんど必要なくなる。

しかし、それほど深くTameされた人でも、ときどき抜け出すことがある。なぜだろう。

おそらく最初に現れるのは、立派な思想でも正しい理論でもない。「何かがおかしい」という小さな違和感なのだろう。そして、その違和感がすぐに押し潰されないためには、外の世界が必要になる。自分とは違う考えを持つ人が生きていることを知り、自分とは違う人生も存在することを知る。さらに、その世界へ出ても生きていけることが必要になる。宗教を離れても話せる人がいる。会社を辞めても暮らしていける。国家を批判しても市民でいられる。昨日までの自分が間違っていたと認めても、それまでの人生すべてを恥じなくてよい。自由になるためには、「自由になれ」という正論より、こぼれ落ちた人間を受け止めてくれる余白のほうが大切なのかもしれない。

そして、ここまで考えて初めて、「正しい情報」というものについて疑問が生まれる。

私たちは長いあいだ、間違っている人には正しい情報を与えればよいと考えてきた。しかしTaming 3.0まで進んでしまった人にとって、正しい情報は必ずしも救いにはならない。その情報を受け入れることが、自分の信仰だけでなく、家族や友人との関係、これまでの人生、自尊心、さらには「私はこういう人間である」という自己像まで崩してしまうのであれば、人は情報が間違っているから拒絶するのではなく、**正しいからこそ拒絶することさえある。**それを認めた後の自分を想像できないからである。

だから、正しい情報の価値が本当に失われたわけではないのだと思う。正しい情報だけでは足りないことが、見えるようになったのである。

人間が必要としているのは真実だけではない。真実を受け入れたあとにも、生きていける場所である。自分が間違っていたと知ったあとにも話をしてくれる人であり、所属していた世界を失ったあとにも立っていられる足場であり、すぐに別の正解へ駆け込まなくても「まだわからない」と言っていられる時間である。正しい情報が人を自由にするためには、情報の正しさだけでなく、その情報を受け入れることのできる社会の余白が必要なのだ。

こうして考えてみると、Taming 1.0からTaming 3.0への変化とは、単にTamingの技術が巧妙になってきた歴史ではないのかもしれない。Taming 1.0では環境が人間を変え、Taming 2.0では人間が他の人間の環境を設計し、Taming 3.0では、その環境が人間の内部へ入り込み、自分自身の声として語り始める。その最後の段階から人間を連れ戻すものは、さらに強い命令でも、さらに巧妙な説得でもない。

おそらく、「なぜ?」なのである。

ただし、「なぜ?」は正しい情報を与えれば自動的に生まれるものではない。それが育つためには、自分とは違うものが存在できる場所が必要であり、間違えることのできる場所が必要であり、答えを出さないまましばらく立ち止まれる場所が必要である。Taming 3.0がもっとも深く人間を捉えるのは、「なぜ?」を禁止したときではなく、「なぜ?」を思いつくための余白そのものをなくしたときなのだろう。

だから、正しい情報を守るだけでは足りない。それ以上に守らなければならないものがある。

正しい情報を前にしてもなお、「本当にそうだろうか」と問い、間違っていたと知ったときには生き方を変え、それでも自分の人生を失わずにいられる余白である。

Tamingから人間を完全に解放することなど、おそらくできないし、その必要もない。人は他人によって形づくられ、社会によって形づくられ、言葉によって形づくられ、愛した人によってさえ形づくられて生きていく。それでも、そのすべてを自分の運命として受け入れてしまう必要はない。どれほど深くTameされたとしても、ときどき立ち止まり、自分が歩いている道を眺めて、「なぜ私はここを歩いているのだろう」と考えることはできる。

その問いが残っているかぎり、人間は完全にはTameされていない。

そしてもしかすると、正しい情報の本当の価値とは、人間に正解を与えることではなく、その小さな「なぜ?」が生まれるきっかけを、ときどき世界の中に置いておくことなのかもしれない。

どこからも、少し離れて生きる

長いあいだ国連で働いていた。フランス語では国連をONU(オニュ)と呼び、そこで働く人間を、私たちは半ば冗談のように「オニュジアン」と呼んでいた。国籍を表す言葉でもなければ、正式な職業名でもない。しかし長く国連に勤めているうちに、この奇妙な呼び名が、自分が何者であるのかを案外正確に言い表しているように思えることがあった。

オニュジアンについて、よく言われていたことがある。長く国連で働いた人間は、自分の国へ帰っても話が通じなくなり、結局、国連の同僚といるときにしか心を割って話せなくなる、というのである。もちろん、本当に母国の人々と言葉が通じなくなるわけではない。母語を忘れるわけでもなければ、生まれ育った文化を失うわけでもない。それでも、異なる国籍、言語、宗教、歴史を背負った人々と何年も、何十年も一緒に働いていると、自分の国では当然とされていたことが必ずしも当然ではないことを、ほとんど毎日のように経験する。自分にとっての常識は隣の机に座っている人にとっては常識ではなく、その逆もある。そういう生活を長く続けているうちに、国籍だけでは自分を説明できなくなっていく。

だからといって、日本人でなくなったわけではない。おそらく、何かを失ったという表現そのものが正しくないのだろう。むしろ、自分を形づくる座標軸が増えてしまったのである。日本人である自分の上に、国連で働いてきた自分が重なり、そのどちらか一方だけを取り出して「これが本当の私だ」と言うことが難しくなった。国籍の違う昔の同僚と話しているほうが、自分と同じ国の人と話すより説明が少なくて済むことさえある。共有されているものが国籍ではなく、長い時間をかけて蓄積された経験だからなのだろう。

退職してから、そのことを思いがけない場所で実感したことがある。スペインのマラガには、私が以前働いていた組織を退職した人たちが多く暮らしているところがある。そこへ行くと、不思議な錯覚に襲われる。もう職場ではない。出勤する必要もなく、上司も部下もいない。会議もなければ、仕事を命じる人もいない。それなのに、そこにいる人たちと話し始めると、いつの間にか昔の世界へ帰ってきたような気持ちになる。組織そのものはそこにないのに、その組織によってつくられた人間たちが残っている。

考えてみれば、不思議なことである。人は退職すれば組織から自由になると思っている。職員証を返し、机を片づけ、最後の日に建物を出れば、組織との関係は終わる。しかし組織というものは、建物や規則や給与だけからできているわけではない。そこで長く暮らしているあいだに、物事の考え方、人との距離の取り方、冗談の種類、沈黙の意味、何を説明する必要があり、何なら説明しなくても通じるのかという微妙な感覚まで、少しずつ身体のなかに入り込んでくる。組織から退職することはできても、その組織のなかでできあがった自分から退職することは、それほど簡単ではない。

Tamingという言葉を使うなら、ここには少し皮肉な構造がある。国連のような場所で働くことは、一面では国家によるTamingを弱める経験だったように思う。自分の国の常識を絶対視することができなくなり、自分が偶然ある国に生まれ、その言語を話し、その社会の習慣を身につけた人間であることを、少し離れたところから眺めるようになる。その意味では、国際的な環境は人を国家から少しUntameする。ところが、その国家からのUntamingを可能にした組織が、長い年月をかけて、今度は「オニュジアン」という別の人間をつくってしまう。ひとつのTamingから離れることによって、別のTamingのなかへ入ったとも言える。

けれども、私はそれを必ずしも否定的には考えたくない。そもそも人間は、自分を形づくってきたものをすべて剥ぎ取ったところに、「本当の自分」が隠れているような存在なのだろうか。家族に育てられ、学校で学び、母語を身につけ、国家の制度のなかで暮らし、仕事をし、人を愛し、友人と付き合う。その一つひとつが私たちを形づくっている。そのすべてを取り除けば自由な人間が現れるというより、最後には何も残らなくなってしまうのかもしれない。

このことは、退職後の私の暮らしを見ても、よく分かる気がする。私はいま、三つの場所を行き来して暮らしている。11月から3月まではタイの海辺にいて寒さを感じずに過ごし、5月から9月まではフランスの山に囲まれた場所で暑さを避けて暮らす。そして、その間の4月と10月には日本に立ち寄る。自分でも、ときどき回遊魚のような生活だと思う。

ところが、同じ人間が移動しているはずなのに、場所が変わると生活だけでなく、自分まで少し変わってしまう。

タイでは、考えることと書くことで時間が過ぎていく。顔見知りはいても深い話をするわけではなく、会話の多くは妻と交わす。毎日妻とデートしているような日々である。朝日を見るために毎朝六時には砂浜に立ち、一日を過ごしたあとはくたくたになってベッドに入る。これ以上ないほど健康的な生活をしている。そして、Tame、Tamed、Tamingなどということを考えているのも、なぜかタイにいるときなのである。

フランスに移ると、私はあまりものを考えなくなる。書くことも少なくなる。丘を歩いても、山を眺めても、そこから文章が浮かんでくるわけではない。長年の知人たちが次々と亡くなったこともあって、買い物に出ても、食事に出かけても、自分の年齢を意識することが多くなった。夏は日が長いから夜更かしをし、朝も遅くまで寝ている。同じ私であるはずなのに、タイにいる私とは、時間の流れ方まで違っている。

日本ではまた別の人間になる。滞在期間が短いこともあって、とにかく忙しい。親が遺していった荷物も、子どもが置いていった荷物も片づけたいと思っているのに、なかなかそこまでたどり着かない。景色をぼんやり眺める暇もなく、一日があっという間に終わる。酒を飲むことが多くなるのも日本にいる時期である。

いる場所が変われば、体調も変わる。生活が違い、食べるものが違い、着るものが違い、歩く速度まで違う。どこが一番よいということではない。ただ、同じ人間でありながら、自分のなかから少しずつ違う人間が現れてくることだけは確かである。

そう考えるようになってから、オニュジアンだった自分についても、少し違った見方をするようになった。タイにいる自分、フランスにいる自分、日本にいる自分のどれか一つだけが本当の私なのではない。それなら、国連にいたころの自分だけを過去のものとして切り離す必要もないのだろう。人間は、ひとつの場所を離れるたびに以前の自分を脱ぎ捨てて、新しい自分に着替えていくのではない。むしろ、さまざまな場所で形づくられた自分を、気づかないまま幾重にも重ねて生きているのではないだろうか。

だからUntamingとは、過去のTamingを消してしまうことではないのだと思う。日本人だった自分を捨てる必要もなければ、オニュジアンだった自分を消す必要もない。タイにいる自分と、フランスにいる自分と、日本にいる自分のどれかに決める必要もない。ただ、そのどれか一つに自分の全体を明け渡さないことである。自分のなかにそれぞれを残しながら、ときには少し離れたところから、それらを眺めることができればよい。

実際、国連で三十年間働いていたからといって、私はいま国連のことを頻繁に思い出すわけではない。国連そのものへの興味も薄れ、かつてなら当然知っていただろう人たちの名前も、いまでは知らずに暮らしている。UNECEが現在どうなっているのかさえ、ほとんど意識することがない。それはたぶん、国連という組織が私の日常から十分に遠ざかったということなのだろう。

それなのに、私のなかにはオニュジアンであったことが歴然と残っている。考え方なのか、価値観なのか、モラルなのか、自分でもうまく言葉にできない。おそらく自分では気づいていないもののほうが多い。しかし、自分が当然のこととして考えていることのいくつかを辿っていけば、その遠い源に国連があるような気がしてならない。

マラガで昔の同僚たちに会ったとき、不思議な懐かしさを感じるのも、そのためなのだろう。そこに国連はない。それでもオニュジアンたちはいる。制度はなくなったのに文化が残り、職務はなくなったのに記憶が残り、組織への所属は終わったのに、その人たちと一緒にいると説明しなくても通じる何かが残っている。それは組織によるTamingの痕跡であると同時に、自分が実際に生きてきた時間そのものでもある。

自分をつくった場所から離れることと、その場所を自分のなかから追放することは、やはり同じではないのだと思う。自由とは、自分をつくったものを一つずつ消し去って、最後に何ものにも属さない純粋な自分になることではないのだろう。むしろ、自分をつくってきたものを抱えたまま、そのどれにも完全には所有されないことなのかもしれない。

タイの海辺にいる私は、フランスの山にいる私とは少し違う。日本にいる私は、そのどちらとも違う。そして、いまの私は、国連にいたころの私ともずいぶん違っている。それでも、それらは全部、自分なのである。

私はもう国連に戻りたいとは思わない。国連の中で何が起きているのかを知らなくても困らない。それでも、自分のなかからオニュジアンだけを取り除くことは、たぶんできないし、その必要もない。日本人であることから離れる必要もなければ、タイやフランスで暮らす自分のどれかを選び取る必要もない。それぞれの場所に自分の一部を置き、それぞれの場所から何かを受け取りながら、それでも、どこか一つの場所に自分のすべてを預けないで生きていけばよいのだと思う。

考えてみれば、私はずっとそうしてきたのかもしれない。ひとつの国から少し離れ、ひとつの組織から少し離れ、ひとつの常識から少し離れる。離れるといっても、捨てるわけではない。遠くへ逃げるのでもない。そこに属していた自分を否定するのでもない。ただ、そこから半歩ほど離れたところに立って、ときどき自分がいた場所を振り返る。そのくらいの距離があると、それまで当たり前だったものが少し違って見えてくる。そして、自分自身のことも少し違って見えてくる。

おそらく私にとってのUntamingとは、どこにも属さないことではない。どこからも、少し離れて生きることなのだ。

そう、私は国連で働いていた。そしていまも、私のなかにはオニュジアンがいる。その自分を捨てるつもりはない。ただ、オニュジアンからも少し離れている。

死ぬまでオニュジアンでありながら、オニュジアンからも少し離れて生きる。そのくらいの距離が、私にはちょうどよい。

私は間違っているかもしれない

人は権威に従うことでTameされるのだと、私は長いあいだ単純に考えていた。しかし、本当にそうなのだろうか。社会が右を向けば右を向き、左を向けば左を向く人がTameされていることは分かりやすい。戦争の時代には戦争を支持し、戦争が終われば民主主義を支持する。昨日まで正しいとされていたものが今日否定されれば、自分も昨日の自分を忘れたように新しい正しさを受け入れる。人間はそうやって時代に適応して生き延びてきたのだから、それ自体を責めても仕方がないのかもしれない。それでも、そこには確かにTamingがある。

では、いつも社会に反抗する人はどうなのだろう。社会が右を向けば左を向き、社会が左を向けば右を向く人である。赤尾敏の生涯を考えていて、そのことが気になった。彼については少し注意が必要で、若いころ社会主義運動にかかわったものの、国家主義への転向は戦後ではなく1920年代であり、1942年の翼賛選挙にも非推薦候補として当選している。日米戦争にも反対していたから、単純に戦前左翼、戦後右翼という人物ではない。むしろ思想的位置を変えながら、時代の主流から繰り返し外れた人物と見るほうが近い。

けれども、ここで重要なのは赤尾敏自身を何かひとつの型に押し込めることではない。考えてみたいのは、従うことと反抗することの関係である。社会が言うことに従う人は、社会によって自分の位置を決めてもらっている。しかし、社会が言うことには必ず反対すると決めている人もまた、社会によって自分の位置を決めてもらっているのではないだろうか。前者は社会と同じ方向へ歩き、後者は反対方向へ歩く。しかし、どちらも社会がどちらを向いているかを見なければ、自分がどちらへ歩くべきなのかを決められない。その意味では、服従も反抗も、それだけではUntamingではない。

本当にTameされにくい人とは、社会が右へ行ったから左へ行く人でも、左へ行ったから右へ行く人でもなく、社会がどちらへ行こうと、「それで、自分はどう考えるのか」と問い続ける人なのかもしれない。結果として多数派と同じ答えになることもあるし、まったく逆の答えになることもある。大切なのは答えではなく、そこに至る過程を誰かに明け渡さないことである。

宗教について考えると、この問題はさらに鮮明になる。若い宗教家や改革者が既成の権威に立ち向かうのを見ると、私たちはその人物をUntamedだと思いたくなる。ジャン・カルヴァンも既存の宗教世界に挑戦した宗教改革者だった。しかしジュネーヴにおいて改革派の秩序が形成されると、宗務局は市民の宗教生活や行動を規律する制度として機能するようになった。 古い権威に従わなかった人間が、やがて新しい権威をつくる側に立つのである。

ここで恐ろしいのは、悪意ではなく純粋さなのかもしれない。権力が欲しいから他人を支配する人については、私たちは比較的警戒しやすい。しかし「これは正しい」と心の底から信じている人は違う。最初は「あなたの真理を私に押しつけないでほしい」と言っていた人が、いつしか「これは真理なのだから、あなたも従わなければならない」と考え始める。しかも本人には他人を支配しているという意識さえないかもしれない。自分のためではなく神のため、社会のため、人類のため、真理のためにやっていると思っているからである。

純粋な人は、Tamingに強いように見えて、奇妙なほど弱いことがある。世俗的な権力には激しく抵抗できるのに、一度これが絶対的な真理だと思うと、そこには自分自身のすべてを委ねてしまう。そして、それだけなら自分がTameされるだけだが、さらに一歩進めば、今度は他人をTameする側へ回っていく。古い権威から自分を解放しようとした人が、新しい権威をつくる。歴史のなかで何度も繰り返されてきたことなのだろう。

科学の世界も、本質的にはそれほど違わないのではないかと思う。私は、若いころには、分からないことを探るのが科学なのだと考え、教科書に書かれていることさえ疑っていた科学者が、年齢を重ねるにつれて権威主義的になっていく姿を何度も見てきた。若いころには「教科書にはそう書いてある。それで、本当に正しいのか」と質問していた人が、何十年かたつと若い研究者に「そんなことは教科書に書いてある」と答えるようになる。

これは単なる印象だけとも言い切れない。1960年から2020年までに論文を発表した1,250万人以上の研究者を分析した研究では、研究者のacademic ageが上がるにつれて、既存の考えを組み合わせるnoveltyは増える一方、既存の考えを置き換えるdisruptive innovationは低下するという結果が報告されている。ただし、年齢と科学的創造性の関係は時代や分野によって変化することも知られており、単純に「老化すると保守的になる」と考えるべきではない。

Tamingという観点から私が興味を引かれるのは、科学者が科学によってTameされていく可能性である。若いころの科学とは問いを生み出す方法だった。それがいつの間にか、問いに終止符を打つ権威になる。「分からないから調べよう」という科学が、「科学的にはもう分かっている」という言葉によって疑問を封じる科学へと変わる。しかし本人は科学から離れたのではない。それどころか、あまりにも深く科学の制度のなかに入り込んだために、自分自身がその権威の一部になったのである。

最初は制度が人をTameする。やがて人はその制度の言葉で世界を見るようになる。そして最後には、その人自身が次の世代をTameする側になる。この循環は宗教にも科学にも、政治にも思想にもあるのだろう。

しかし、ごくまれに、その循環から外れる人がいる。

私には、Pierre Petroffという知人がいた。2025年10月29日に83歳で亡くなったCNRSの名誉研究部長だったことは死亡記事にも残されている。 生前、彼について印象深い話を聞いたことがある。ある賞を受けることが内定したあと、自分の研究のなかに誤りを見つけ、賞を辞退してしまったというのである。この逸話について私は公刊資料で確認したわけではない。私自身が彼について聞き、長く記憶している話である。

この逸話を思い出すと、Tamingとは人を脅して従わせることだけではないのだと思う。むしろ、もっと抗いがたいTamingがあるのではないだろうか。それは承認である。「あなたは正しい」「あなたの研究は素晴らしい」「あなたにはこの賞を受ける資格がある」と世界から言われる。命令でもなければ強制でもない。人は褒められることによってもTameされる。

賞を受けることが決まったあとで自分の研究の誤りを見つけたとき、一方には社会的な現実があったはずである。賞があり、評価があり、長年積み重ねてきた自分自身の経歴がある。そしてもう一方には、「ここは間違っている」という、ただそれだけの事実がある。社会的な重みだけを比べれば、前者のほうが圧倒的に大きい。それでも、もし私が聞いたとおり、Pierre Petroffが賞を辞退したのなら、彼は大きな社会的現実よりも、小さな事実を選んだことになる。

それが、科学者として美しいと思う。

若いころ権威に反抗する人は珍しくない。自分にはまだ失う権威がないからでもある。しかし、長い年月をかけて評価を築き上げ、自分自身が権威になったあとで、その権威に抵抗することはずっと難しい。「あなたは間違っている」と言うことより、「私は間違っていた」と言うほうが難しい。そしてさらに難しいのは、世界中が「あなたは正しい」と言ってくれているときに、それを断ることである。

そう考えていくと、Tamingに対して本当に強い人とは、何も信じない人でも、すべてに反抗する人でもないように思えてくる。強い信念を持っていてもよい。宗教を深く信じてもよいし、科学に人生を捧げてもよい。問題は、その信念の中心に、小さな空白を残せるかどうかなのだろう。

「それでも、私は間違っているかもしれない。」

その一言のための空間である。

それは弱さではない。むしろ、自分自身を最後の権威にしないための強さなのだと思う。社会に従う人も、社会に反抗する人も、宗教的真理を信じる人も、科学的真理を追究する人も、この小さな空間を失ったとき、自分がTameされていることに気づかなくなる。そしてさらに怖いことには、自分の正しさによって他人をTameすることまで始めてしまう。

だからUntamingとは、何ものにも従わないことではないのだろう。権威をすべて破壊することでもない。自分が信じているものと自分自身とのあいだに、ほんのわずかな距離を残しておくことなのかもしれない。

そして、このTamingという考え方についても同じである。Tamingという言葉で人間も歴史も宗教も科学も説明できるような気がしてきたときこそ、「本当にそうだろうか」と問い直さなければならない。もしTamingという考えそのものを疑えなくなったなら、私たちはTamingを考えているつもりで、いつの間にかTamingという思想によってTameされていることになる。

世界に対して「なぜ?」と問い続けることは、それほど難しくないのかもしれない。本当に難しいのは、自分が正しいと思っていることに対しても、同じ「なぜ?」を向け続けることである。そして、生涯の最後までそれをやめなかった人にだけ、ほんの少し、Untamedでいられる余地が残されているのではないだろうか。

植物と人間の長い歴史を眺めてみる

人間が野生の植物のなかから、実の大きなもの、食べやすいもの、収穫しやすいものを選び、その種を自分たちの近くに播き始めたとき、人間は植物をTameしていたのだと私たちは考える。しかし、一万年ほどの長い時間を振り返ってみると、そこで起きていたことはそれほど一方向ではなかったように思える。人間はたしかに植物の性質を変えたが、その植物に食料を依存するようになるにつれて、自分たちの住む場所や働く時期、土地との関係や他人との関係まで変えていった。現代の栽培化研究でも、栽培化は、人間が繁殖や増殖をある程度コントロールし、そのかわりに資源を得る特殊な相利関係として捉えることができると論じられている。

そうして考えてみると、イネ、ムギ、アワやキビ、ヒエ、ソバ、トウモロコシ、ジャガイモ、リンゴは、すべて「人間に栽培化された植物」でありながら、人間とのあいだに結んだ関係はずいぶん違っている。そして、この違いを見ていけば、Tamingというものが単なる支配でも服従でもなく、生き物と生き物とが関係を結ぶことによって、双方が以前とは違う存在になっていく過程であることが見えてくる。

イネ 水までをTameする植物

イネ、とりわけ水田で作られるイネについて考えるとき、最初に気づくのは、人間がTameしなければならなかったものが植物だけではなかったことである。イネを安定して育てるためには土地を整え、水を引き、ある場所では水を溜め、ある場所では排水する。つまり人間が作り上げたのは、一株の栽培植物ではなく、イネが大量に生育できる人工的な生態系そのものだった。

植物の栽培化では、熟した種子が簡単には落ちない「非脱粒性」のような、人間にとって収穫しやすい性質が重要になる。こうした変化は瞬間的に生じたわけではなく、イネやムギなどでは長い時間をかけて進んだことが研究から示されている。 人間は毎年、人間にとって都合のいい植物を残し、植物の身体に人間の都合を少しずつ刻み込んでいったのである。

しかし、その生態系を維持するようになると、人間も好き勝手には動けなくなる。田には田の時間があり、水には水の都合があり、植物には生育の季節がある。水を共同で利用するのであれば、自分の田だけを考えているわけにもいかない。人間はイネをTameし、土地をTameし、水をTameしたが、その結果として人間自身も、イネと水と季節が作る時間のなかへ組み込まれていった。

人間が植物をTameすることと、植物によって人間の暮らしがTameされていくことが、すでにここでは同時に始まっているのである。

ムギ 未来を保存する植物

ムギのTamingもまた、人間の生活を大きく変えた。ムギの場合には、水田稲作ほど水そのものを制御しなくても、播種し、生育を待ち、収穫し、脱穀し、保存して、翌年もう一度播くという周期が、人間の生活に入り込んでくる。

ここで興味深いのは、農耕によって人間が「現在」だけではなく、未来を管理するようになることである。収穫したものをすべて食べてしまってはならない。次に播くための種を残さなければならないし、保存した穀物を湿気や害虫から守る必要もある。

そうなると、人間の時間感覚そのものが変わる。今年の収穫物のなかには、すでに来年の生活が含まれている。現在の欲望を少し抑え、まだ存在していない未来のために何かを残す。穀物を貯蔵できるということは、それを守るという行為を生み、蓄えがあるということは、それを誰のものとするのかという問題を生みうる。

もちろん、所有や国家や階層の成立をムギだけで説明することはできない。しかし、イネ、ムギ、トウモロコシのような主要穀物の栽培化と拡散が、人間社会の社会的・政治的組織の変化と深くかかわったことは、現在の栽培化研究でも重視されている。

植物を保存できるようになったとき、人間は同時に、保存する人間、計画する人間、未来を心配する人間になっていった。

アワとキビ 乾いた土地へ広がるTaming

アワやキビに目を移すと、農耕というものが水の豊富な場所だけから作られた世界ではなかったことが見えてくる。人間はどこでも同じ植物を植えたのではなく、それぞれの土地の気候や水や土壌に適した植物を見つけ、それとの関係を作っていった。

ここでTamingの意味は微妙に変わる。自然を人間に都合のい一種類の環境へ統一していくだけではなく、異なる環境にすでに存在する可能性を見つけ、その場所に合った植物を選ぶことで、人間の生活可能領域を広げていくからである。

この意味では農業は一つではない。同じ農耕でも、水田でイネを作る人間と、乾いた土地で雑穀を栽培する人間とでは、土地との関係も、水との関係も、時間との関係も違ってくる。

「農耕民」という一語でまとめてしまえば、この違いは消えてしまう。しかしTamingという目で眺めれば、人間は一つの方法で世界を征服したのではなく、さまざまな土地でさまざまな植物と異なる関係を結び、そのたびに異なる生活の形を作ったのだということが見えてくる。

ヒエ 周縁を生きられる場所にする植物

ヒエのような作物に目を向けると、さらに別の世界が見えてくる。文明の歴史を書くとき、どうしても大量の人口を養った主要作物ばかりが目立つ。しかし、人間が暮らした場所は、いつも主要作物にとって理想的な場所だったわけではない。

そのような場所にも、人間は暮らしてきた。Tamingを生産量の最大化だけで考えるなら、こうした植物は歴史の脇役になってしまう。しかし「どこまで人間が暮らせるようになったのか」という視点から見るなら、その意味は違ってくる。

イネが大量の人口を支える中心の風景を作ったとすれば、ヒエのような作物は、その中心から外れたところにも人間が生活できる余地を残したと考えることができる。

これは、中心を作るTamingではなく、周縁を生きられる場所にするTamingである。歴史に大きく書かれない人々が歴史の外にいたわけではないように、主要作物ではない植物もまた、人間の文明の外にあったわけではない。むしろ文明の縁を静かに支えていたのである。

ソバ 自然を作り替えずに生きる

ソバについて考えると、Tamingにはさらに柔らかな形があったことが分かる。ソバはイネ科の穀物ではないが、人間はその種子を穀物のように利用してきた。

ここで興味深いのは、人間が自然を徹底的に改造することだけがTamingなのではない、ということである。人間が自然に「私たちに合わせろ」と要求することもできる。しかし同時に、「この土地で育ってくれるものは何だろう」と探すこともできる。そこでは自然を人間の側に引き寄せるだけでなく、人間の側も自然へ歩み寄っている。

もちろんソバも栽培植物である以上、人間による選択を受けている。しかしTamingという大きな視点から見れば、そこには環境を全面的に均質化するのではなく、異なる環境のなかに残された余地を利用するという、別の生き方が見えてくる。

自然を完全に従わせることではなく、自然との折り合いを見つける。それもまたTamingの一つのかたちなのである。

トウモロコシ 自立を失って世界を獲得する

トウモロコシに来ると、人間と植物との関係はもっと劇的になる。トウモロコシは人間による選択を長く受けることによって、野生祖先とは大きく異なる姿になった代表的な作物であり、イネやムギと並んで世界へ広がった主要穀物でもある。

ここには、Tamingについての重要な逆説がある。

野生植物にとって重要なのは、人間がいなくても自分の子孫を残せることである。しかし栽培植物では、人間にとって収穫しやすい性質が選ばれていく。その結果として、植物の人間への依存度が高くなることがある。

それを単純に「退化」と呼ぶことはできない。なぜなら、自力で生きる能力の一部を失うかわりに、人間という途方もなく強力な協力者を獲得することがあるからである。人間は土地を耕し、種を播き、水を与え、競合する植物を取り除き、収穫した種子の一部を翌年また播く。そして何よりも、自分では移動することのできない植物を、山の向こうへ、大陸の向こうへ、ついには海の向こうへまで運んでいく。

ここで、奇妙な問いが浮かんでくる。いったい、どちらがどちらを利用したのだろう。人間がトウモロコシを利用したことは疑いない。しかしトウモロコシもまた、人間との関係のなかで途方もない繁栄を手にしたのである。

ジャガイモ 人間を別の世界へ連れていく

ジャガイモはさらに違った方向から、Tamingというものを見せてくれる。アンデスで人間がジャガイモを栽培するようになることによって、人間はその植物が持つ環境への適応力を自分たちの生活の一部として利用できるようになった。ここでは、人間が植物を自分の環境に引き入れただけではない。

植物の能力を借りることによって、人間の側が生活できる世界を広げていった。この関係は、ヒエやソバともどこか似ている。Tamingとは、世界のどこでも同じ植物が育つように環境を改造することだけではなく、その土地で育つことのできる植物と関係を結ぶことで、人間自身が新しい環境へ入り込んでいくことでもあった。

しかしジャガイモは同時に、Tamingの危険も教えてくれる。人間にとって都合のいいものに栽培を集中させ、多様性を失えば、生産は効率化する一方で、特定の病害などに対する脆弱性が大きくなることがある。

ここにはTamingの深い逆説が存在する。多様なものを揃えれば管理しやすくなる。しかし、揃えすぎれば、すべてが同じ弱点を持つようになる。この構造を見ていると、植物の話だけをしているとは思えなくなってくる。人間社会を均質化するTamingにも、どこか同じ危うさがある。

リンゴ 生存から欲望へ

そしてリンゴまで来ると、Tamingはまた違った表情を見せる。人間はリンゴがなければ生きていけないわけではない。少なくともイネやムギのような主食とは、人間との関係が違う。それでも人間は長い時間をかけて、自分たちが好ましいと思うリンゴを選び、残し、増やしてきた。

ここには、Tamingの新しい段階が見える。食べられればいいのではない。もっと甘いものが欲しい。もっと大きなものが欲しい。香りのいいものが欲しい。歯触りのいいものが欲しい。この実の味を来年も残したい。

つまり人間は自然に対して、単に「私たちを生かしてほしい」と要求するだけではなく、「私たちを喜ばせてほしい」と求めるようになったのである。

ここでTamingは、生存の技術から文化へと広がっていく。食べ物はカロリーだけではなくなり、味覚になり、香りになり、美しさになり、楽しみになり、記憶になる。人間は植物の身体のなかに、自分たちの欲望や美意識を刻み込むようになった。

植物にも「生きようとする意思」があるように見える

ところが、ここまで植物と人間との関係を眺めていると、どうしても一つの奇妙な感覚が生まれてくる。植物が人間のように考えているわけではない。植物が未来を想像し、「人間を利用して自分の子孫を増やそう」と計画しているわけでもない。進化に、そのような目的や計画を持ち込む必要はない。

それでも、何千年、何万年、もっと長い生命の時間で眺めていると、植物の側にも何としてでも生き延び、子孫を残し、自分の生命を未来へ受け渡そうとする**「意思のようなもの」**が働いているように見えてくる。

考えてみれば、植物はもともとさまざまなものを利用してきた。風を利用して種を運ぶ植物がある。動物に果実を食べてもらい、別の場所へ種を運んでもらう植物がある。植物がそれを考え出したわけではない。そのような性質を持った植物が結果としてより多くの子孫を残してきたのである。

そうであるなら、人間もまた、その長い関係のなかに現れた一つの存在だったと考えることができる。トウモロコシは人間を知らない。ジャガイモは船が何であるかを知らない。リンゴは人間が甘いものを好む理由など知らない。それでも、人間にとって有用であったり、おいしかったり、美しかったりする植物は、人間によって選ばれ、守られ、増やされ、遠い場所へ運ばれていった。

植物自身が一歩も歩かなくても、人間が代わりに世界中へ運んでくれる。植物自身が畑を作れなくても、人間が森を切り開いてくれる。植物自身が競争相手を排除できなくても、人間が雑草を抜いてくれる。植物自身が海を渡れなくても、人間が船に載せてくれる。

もちろん植物がそう仕向けたわけではない。しかし何千年もの結果だけを見れば、まるで植物が人間という巨大な移動装置、繁殖装置、環境改変装置を獲得したようにも見える。

そして人間のほうも、その関係から自由ではなかった。人間はイネを生かすために水田を維持し、ムギを生かすために種を保存し、トウモロコシを生かすために土地を耕し、ジャガイモを次の土地へ運び、リンゴのために果樹園を作る。植物が命令したわけではない。それにもかかわらず、人間は膨大な時間と労力を使って、特定の植物が生き、増殖できる環境を作り続けてきた。

ここまで来ると、「人間が植物をTameした」という言葉だけでは、この関係の半分しか表現していないような気がしてくる。

Tamingとは、関係を結ぶことだった

イネは人間を水と土地に結びつけた。ムギは、人間を播種、収穫、保存という未来へ向かう時間のなかに置いた。アワやキビは異なる環境で異なる農耕を可能にし、ヒエは文明の中心から外れた場所にも人間が暮らせる余地を広げた。ソバは、自然を全面的に作り替えなくても自然と折り合って生きる道を残した。トウモロコシは、自立性を一部失うことと繁栄することが必ずしも矛盾しないという奇妙な関係を示し、ジャガイモは植物の能力を借りることで人間の生活圏を広げた。そしてリンゴは、生き延びるためだけではなく、喜びや味覚や美しさのためにも、人間が植物を変えていくことを示した。

それらをすべて「栽培化」という一つの言葉で括ることはできる。しかしTamingという視点から眺めれば、それぞれは違う植物と人間との間に結ばれた、異なる「契約」のように見えてくる。

そして、その契約を結ぶたびに、人間も変わった。畑を作れば、そこへ戻るようになる。種を播けば、収穫を待つようになる。穀物を蓄えれば、それを守るようになる。水路を作れば、維持しなければならなくなる。他人と水を共有すれば、協力や規則が必要になる。特定の植物に依存すれば、その植物を失うことを恐れるようになる。

人間は植物を変え、植物によって人間の暮らしも変わる。その変わった人間が、さらに植物を変えていく。

そう考えると、Tamingとは、強いものが弱いものを一方的に支配することだけではないのかもしれない。一つの存在が別の存在と関係を結ぶことによって、双方が以前と同じ存在ではいられなくなり、その関係から簡単には戻れなくなること。 それもまたTamingなのではないだろうか。

植物に人間のような意思があるわけではない。それでも植物と人間の長い歴史を眺めていると、生命そのもののなかに、形を変え、別の生命を利用し、ときには別の生命に利用されながら、それでも未来へ続いていこうとする、意思に似た何かがあるように感じられる。

そして、その視点に立つと、農耕の始まりも違って見えてくる。それは「人間が自然を征服した瞬間」だったのではない。人間が他の生命との深い相互依存のなかへ入り、自分の自由の一部分と引き換えに、安定や蓄積や人口や味覚や文明を手に入れ始めた瞬間だったのかもしれない。

だとすれば、Tamingの歴史は、王や国家や宗教から始まったのではない。もっと静かなところから始まった。野に落ちた種を拾った誰かが、それを食べてしまわずに、来年のために残した。そして、もう一度同じ場所へ戻ってきて、その種を土のなかに置いた。

その人は、自分が文明を始めようとしているとは知らなかっただろう。植物のほうも、人間と契約したとは知らなかった。それでも、その小さな出来事から、人間は植物の生命のなかへ入り込み、植物は人間の生活のなかへ入り込んだ。どちらにも、相手をTameしようという壮大な計画などなかった。それでも長い時間が過ぎたあと、二つの生命は、互いがいなかったころとはまったく違う姿になっていた。

もしかすると、Tamingとは最初からそういうものだったのかもしれない。何者かが何者かを完全に支配することではなく、関係を結んだもの同士が少しずつ互いを変え、その関係によって新しい可能性を得るかわりに、それ以前には持っていた自由の一部を失っていくこと。その意味では、人間が植物をTameした一万年ほどの歴史は、人間が文明によってTameされていく、ずっと長い物語の始まりでもあったのである。