江戸時代の社会には Taming が複数存在していた
権力が一人に集中することなく、官僚が腐敗せず、企業が社会的責任を果たしている。そんな国が、どこかにあるのだろうか。そんな素朴な問いから考え始めた。
スイスや北欧の国々、ニュージーランドなど、比較的うまくいっていると評価される国はいくつもある。しかし、どこにも完全な社会はない。権力には集まろうとする性質があり、官僚組織は大きくなれば硬直し、企業は存続するために利益を求める。制度によって程度を弱めることはできても、それらを完全になくすことは難しい。
そうであるなら、考えるべきことは、「どこに理想の国があるのか」ではないのかもしれない。むしろ、権力が集中しようとすることを前提として、それでも一つの権力が社会のすべてを覆ってしまわない仕組みを考えるべきなのではないか。権力を善いものに変えることより、権力を一つにしない。その発想から眺めると、思いがけないものが見えてきた。
江戸時代である。江戸幕府というと、長く私は強力な封建国家を思い浮かべていた。将軍を頂点とし、大名を統制し、参勤交代を課し、身分秩序を維持する。自由な社会とはずいぶん遠い世界である。
けれども、「強い社会・弱い国家」という角度から見直してみると、少し違った姿が見えてくる。もちろん、幕府が弱かったというのは、幕府に力がなかったという意味ではない。幕府は大名を統制し、必要なところでは強い力を行使した。しかし現代国家のように、一人ひとりの生活まで中央政府が直接管理していたわけではなかった。
幕府の下には藩があり、その下には村や町があった。そしてさらにその内側には、家族や親族、寺社、商人や職人の仲間など、いくつもの共同体が存在していた。国家と個人が直接向き合っていたのではない。その間に、たくさんの「膜」があったのである。
村はその典型だった。年貢を村全体で引き受け、その内部で負担を調整し、用水や山林を管理し、ときには争いまで自分たちで処理する。国家が一人ひとりを管理するのではなく、村を通して人々を治める。国家がやらない仕事を、社会の側が引き受けていたとも言える。
しかし、ここで江戸時代を美化してしまってはいけない。強い社会は、自由な社会とは限らないからである。村には相互扶助があった一方で、相互監視もあった。困っている隣人を助けなければならない社会では、隣人がきちんと働いているかを気にしなければならないこともある。共同体が人を守る力と、共同体が人を拘束する力とは、案外、同じところから生まれる。身分的な区別もあった。村の人々がみな平等だったわけでもない。家にも村にも、それぞれの規範があり、そこから外れることは容易ではなかっただろう。
Tamingという言葉を使えば、国家がTameしない部分を、家や村や町がTameしていたのである。そう考えると、江戸時代は「自由だった」という結論からは、むしろ遠ざかっていく。
ところが、そこで別のことに気づく。江戸社会では、Tamingそのものが一つではなかったのである。家には家の論理がある。村には村の論理がある。町には町の論理があり、藩には藩の事情がある。そして幕府にも幕府の論理がある。しかし、それらは完全には同じではない。家のTamingと村のTamingは同じではない。村のTamingと藩のTamingも同じではない。藩と幕府もまた、完全に同じ価値観によって動いていたわけではない。
ここに、とても大切なものがあるように思う。もし権力が複数存在し、それぞれが異なったことを人間に要求するなら、その要求と要求とのあいだには、必ず小さなずれが生まれる。人は家ではある顔をし、村では別の顔をすることができる。町へ出れば、また少し違った人間になることができる。ある共同体では変わり者だった人間が、別の場所ではそうではないこともある。
もちろん、それを近代的な意味での自由と呼ぶことはできない。けれども、一つの権力が、その人間の全人格を定義することもできない。
ここまで考えて、私の関心は「強い社会・弱い国家」という言葉から、少し離れていった。重要なのは、本当に国家が強いか弱いかということなのだろうか。むしろ重要なのは、Tamingが一つになっているかどうかなのではないだろうか。
江戸社会には多くの小さな権力があった。それらは時としてかなり窮屈だったに違いない。けれども、どの権力も世界のすべてではなかった。家にTameされても、家の外には村がある。村にTameされても、その外には町があり、藩がある。藩の向こうには幕府がある。そして幕府にも、日本中の人間の価値観を完全に同じものにする力はなかった。TamingとTamingとの境界に、わずかな隙間が残る。そこに、もしかするとUntamingの可能性があったのではないだろうか。
この視点から見ると、明治維新の意味も少し変わって見えてくる。近代化は、古い共同体から人間を解放していった。藩はなくなり、身分秩序も改められ、全国的な制度が作られていった。それは確かに、多くの意味で人間の自由を拡大した。けれども同時に、その近代化は、それまで各地に分散していた権力を国家へと集めていく過程でもあった。全国が同じ行政制度に入り、同じ学校制度のもとで学び、同じ国家の仕組みによって把握される。
古いTamingから解放された人間が、それによってUntamedになったとは限らないのである。むしろ、それまで別々に存在していたTamingが、少しずつ同期し始めたのではなかったか。そして、この「同期」という言葉を使った瞬間、江戸時代について考えていたはずの問題が、突然、現代の問題になる。
国家、学校、会社、メディア、金融制度、デジタル・プラットフォーム、そしてAI。それぞれが別の価値観を持ち、互いに食い違っているうちは、人間にはまだ移動する余地がある。一つの世界で否定されても、別の世界へ行くことができる。しかし、それらが同じ情報を共有し、同じ尺度で人間を評価し、同じ方向へ人を導くようになったらどうなるだろう。逃げる場所がなくなる。
怖いのは、一つ一つの権力が強くなること以上に、それらが互いに結びついてしまうことなのかもしれない。一つの権力から逃れても、その先にある別の権力が、まったく同じ判断を自分について下すのであれば、そこにはもう隙間がない。
そう考えると、自由についての見方も少し変わってくる。自由とは、誰からも何の制約も受けないことではないのかもしれない。人間は家族と生き、社会と生き、制度の中で生きる以上、まったくTameされずに生きることなど、おそらくできない。
大切なのは、一つのTamingが、自分の世界のすべてにならないことなのではないだろうか。
一つの共同体によって理解されなくても、別の共同体がある。一つの価値観から外れても、別の価値観の世界へ行ける。一つの秩序のなかでは奇妙な人間であっても、少し歩けば、その奇妙さを気にしない場所がある。そのような不均質さが残っている社会なら、人間は完全にはTameされない。
江戸社会に自由があった、と言いたいわけではない。むしろかなり不自由だっただろう。ただ、その不自由さが一つの原理によって統一されてはいなかった。小さな権力がたくさんあり、小さな世界が重なり合い、それぞれの世界が少しずつ違うことを人間に要求していた。その不整合、そのずれ、その不完全さが、結果として人間のなかに小さな空間を残していたのではないか。
だとすれば、「強い社会・弱い国家」という言葉のいちばん深い意味は、国家を弱くすることではないのだろう。権力を一つにしないこと。そしておそらく、これは国家だけの話でもない。
Tamingをなくすことはできないのかもしれない。けれども、Tamingが一つになることは防げるかもしれない。家も、社会も、国家も、企業も、AIも、それぞれが人間に何かを求めながら、それでも完全には同じものにならない。
そのあいだに残るわずかなずれ、どこにも完全には回収されない場所。自由というものがあるのなら、案外それは巨大な空間ではなく、権力と権力のあいだに残された、その小さな隙間なのかもしれない。
明治時代の社会にでは Taming は一つだけになっていった
それが、明治時代になると、まったく変わってしまった。もちろん、ある朝突然、江戸の社会が消えて近代国家が現れたわけではない。家も村も町も残ったし、人々の暮らしや習慣が一夜にして変わったわけでもない。それでも、大きな方向は変わった。
それまで日本には、たくさんの小さな世界があった。藩が違えば制度も違い、村が違えば慣習も違った。家には家の掟があり、町には町の秩序があった。それぞれの世界は人を拘束していたけれど、その拘束の仕方は同じではなかった。
明治国家は、この不揃いな日本を一つにしようとした。藩をなくし、全国を同じ行政制度のなかに置く。戸籍を整え、税制を変え、徴兵制度をつくり、学校制度を全国に広げていく。近代国家をつくるためには、おそらく避けることのできない道だったのだろう。
西洋列強が迫るなかで、一つの国家として生き延びるためには、人を集め、税を集め、兵士を集め、情報を集めなければならなかった。道路や鉄道をつくり、制度を統一し、日本のどこに住んでいても国家がその人間を把握できるようにしていかなければならなかった。それによって日本は、近代国家になった。
だがTamingという視点から眺めると、そこには別の出来事も起きていたように見える。Tamingが同期し始めたのである。
江戸時代にも、人はTameされていた。家によってTameされ、村によってTameされ、藩によってTameされていた。しかし、それぞれのTamingは同じ方向を向いてはいなかった。村の常識と町の常識は違い、ある藩の当たり前が別の藩でも当たり前であるとは限らなかった。だから、その不一致のなかに小さな隙間が生まれた。
明治国家は、その隙間を少しずつ埋めていった。学校で教えられることが全国で近づいてゆく。国家が国民を把握する仕組みも整えられる。徴兵によって、それまで村や家の一員であった人間が、国家の兵士となる。ここで起こったことを、「国家が強くなった」というだけでは十分ではないように思う。もっと重要だったのは、国家が人間へ直接届くようになったことではなかっただろうか。
江戸時代には、国家と個人とのあいだに何枚もの膜があった。藩があり、村があり、町があり、家があった。近代国家は、その膜を一枚ずつ薄くしていった。もっとも、それは単純に悪いことだったわけではない。地域共同体から自由になることのできる人も生まれただろう。生まれた村や身分に人生のすべてを決められていた人間にとって、古い共同体が弱くなることは解放でもあった。
ここに、近代化の大きな逆説がある。人は、小さなTamingから解放されることによって、大きなTamingのなかへ入っていった。村から自由になった。藩から自由になった。古い身分秩序からも自由になった。けれども、その先に待っていたのは、誰にもTameされない人間ではなかった。「国民」という、新しい人間だった。
江戸時代の百姓は、必ずしも自分を「日本国民」という一つの抽象的な存在として意識していたわけではない。まず家の人間であり、村の人間であり、ある土地の人間であった。その重なりの向こうに幕府があった。ところが近代国家は、一人ひとりに直接語りかけるようになる。あなたはこの国の国民である。この学校で学び、この制度に登録され、この国に税を納め、必要ならばこの国のために兵士になる。Tamingという観点から見るなら、これは決定的な変化だったと思う。
Tamingの強度だけが変わったのではない。Tamingの射程が変わったのである。家や村のTamingは強かった。しかし、その力には地理的な境界があった。村を出れば少し弱まり、町に入れば異なる規範に出会った。国家のTamingには、そのような境界がだんだんなくなっていく。東京へ行っても国家がある。大阪へ行っても国家がある。北海道へ行っても九州へ行っても、同じ国家が待っている。逃げるためには、単に隣の村へ行けばよいというものではなくなった。
そして、もう一つ大きな変化があった。国家だけが人をTameするようになったのではない。学校もTameする。軍隊もTameする。企業もTameする。新聞などのメディアも、人々が同じ出来事について考えるための共通の世界をつくっていく。ところが、それらのTamingが、江戸時代のように互いにばらばらなのではなく、次第に同じ方向を向くようになる。
ここに「同期」という問題が現れる。国家の求める人間と、学校が育てようとする人間と、軍隊が必要とする人間と、近代企業が必要とする人間とが接近していく。もちろん完全に一つになったわけではない。人間の社会がそこまできれいに整うことは、おそらくない。それでも、「同じ日本」という巨大な共通空間のなかで、人間を形成する力が互いに重なり始めたことは確かだろう。
そして私は、ここにTamingの新しい段階を見る。江戸時代のTamingは強かった。しかし、不揃いだった。明治以後のTamingは、必ずしも一つ一つが江戸時代以上に強かったとは限らない。だが、それらは次第に接続され、同期され、全国へ広がっていった。この違いは大きい。
一つの強い権力なら、それから逃げることができるかもしれない。しかし、逃げた先にある別の制度も、その次に出会う制度も、同じ価値観を自分に要求してくるようになったとき、逃走という行為そのものの意味が変わってしまう。その意味では、近代化とは、単に国家が社会を支配していった歴史ではなかったのかもしれない。TamingとTamingのあいだにあった隙間が、少しずつ閉じていった歴史だったのではないか。
ただし、ここでも私は、明治を悪者にして話を終わらせたくない。あの時代の日本には、そうしなければならない事情があった。国家を一つにしなければ植民地化されるかもしれない。近代的な軍隊を持たなければ国を守れない。全国的な教育制度なしには、新しい科学や技術を社会に広げることも難しい。
つまり近代国家のTamingは、単なる支配欲から生まれたものではなかった。生き延びるためのTamingでもあった。ここには、かつて狼や牛について考えたときと、どこか似た問題がある。生き延びるためにTameされる。その結果として繁栄する。では、それを成功と呼んでよいのだろうか。
おそらく明治の日本も、この問いから完全には逃れられない。Tameされることによって、日本は近代国家として生き延びた。そして強くなった。けれども強くなる過程で、それまで社会のあちこちに残っていた不揃いなもの、曖昧なもの、どこにも完全には属さないものを、少しずつ失っていった。それでも、人間は完全には揃わなかった。
国家がどれほど強くなっても、学校が同じことを教えても、一人ひとりの人間のなかには、どうしても揃わない何かが残った。「本当にそうなのだろうか」という、小さな疑問である。おそらくUntamingとは、大きな革命として突然現れるものではないのだろう。Tamingが世界を覆い尽くそうとするとき、その端に残っている小さな違和感なのかもしれない。そう考えると、江戸から明治へ移ったときに失われたものは、単なる地方自治でも、共同体でもなかったように思えてくる。
失われていったのは、一つの世界から少し外へ出れば、別の世界があったということだった。そして近代になってからの私たちは、自由を拡大しながら、同時にその「別の世界」を少しずつ失ってきたのかもしれない。
Tamingのない世界を求める必要はない。そんな世界は、おそらく存在しない。むしろ残しておかなければならないのは、TamingとTamingが完全には重ならないことなのだと思う。
一つの正しさの外に、もう一つの正しさがあること。一つの社会から少し離れれば、別の社会があること。そして何より、自分のなかにも、どの世界にも完全にはTameされない小さな場所が残っていること。
江戸社会にあったあの不揃いさを、そのまま取り戻すことはできない。取り戻す必要もないだろう。けれども、権力が一つにならないこと、Tamingが完全に同期しないこと、そして人間のなかに「なぜ?」という小さな隙間を残しておくこと。それだけは、近代を越えた先の社会でも、手放してはいけないものなのかもしれない。