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It changed how I lived (Pico Iyer)

And though many of us in Southern California know we’re fortunate compared with most of our global neighbors facing environmental disaster, we also sense we’re living where humans are probably not meant to live, and the fire, flood and mudslide warnings will only become more frequent.
In the months after the fire, I’d noticed that some of my neighbors remained captive to what they had lost, while others were thinking more about how they could begin anew. It’s a matter of circumstances and temperament, perhaps, but the world’s increasing threats mean that we have to learn to ground ourselves amid the constant reminders of impermanence.

Anthem (Leonard Cohen)

The birds they sang
at the break of day
Start again
I heard them say
Don’t dwell on what
has passed away
or what is yet to be.
Ah the wars they will
be fought again
The holy dove
She will be caught again
bought and sold
and bought again
the dove is never free.

Ring the bells that still can ring
Forget your perfect offering
There is a crack in everything
That’s how the light gets in.

Breaking Together (Jem Bendell)

If similar to myself, then you are still largely insulated from the increasing difficulties in the world. The daily reality we live is not one that either witnesses or feels, fully and constantly, the horrific suffering and destruction that is involved in producing our everyday comforts or our sense of safety and superiority. Therefore, we don’t experience any relief or even elation from knowing this system of destruction is being disrupted, will be reduced, and may even come to an end. If we fully felt the pain of our entanglement with that obscenity, we would be open to an openness and curiosity to that breaking down, including the instabilities, difficulties and hardships that will typify the rest of our lives. This does not mean we are against the industrial consumer societies that dominate humanity today or are even anti-civilization in our sentiment. It simply means that we are not only grieving their loss but we also do not see a useful role in trying to prop them up any longer. The multiple foundations of modern societies that are all breaking together, at the same time, mean we can choose for ourselves to be either breaking together or breaking apart. When I say ‘breaking together’ I mean allowing the breakdowns in our privileges, comforts, worldviews and identities, to allow a new openness for connection with people, nature and even the eternal. We can also allow this breaking to reconnect us with aspects of who we are that have been hidden under the social conditioning we’ve experienced since birth. We have tended to cling to the products of that conditioning, in order to feel safe, respected, capable and able to have fun in ways we already know. But we’ve got to let go and begin breaking together.

Mirror life (Kate Adamala)

All known life is homochiral. DNA and RNA are made from “righthanded” nucleotides, and proteins are made from “left-handed” amino acids. Driven by curiosity and plausible applications, some researchers had begun work toward creating lifeforms composed entirely of mirror-image biological molecules. Such mirror organisms would constitute a radical departure from known life, and their creation warrants careful consideration. The capability to create mirror life is likely at least a decade away and would require large investments and major technical advances; we thus have an opportunity to consider and preempt risks before they are realized.

It would grow persistently, and we would have no way of eating it [or] fighting it. So the consequences for the environment could be catastrophic.
Unless compelling evidence emerges that mirror life would not pose extraordinary dangers, we believe that mirror bacteria and other mirror organisms … should not be created.

(46)ヘルタ・ミュラー『澱み』

2024年11月1日(金)

言論の自由なんて じつは どこにもない

今週の書物/
『ヘルタ・ミュラー短編集  澱み
ヘルタ・ミュラー 著、山本浩司 訳
三修社、2010年刊

偶然めぐりあう本というのは、思いのほか多い。今日取り上げる本も、そんな一冊。ある日の夕方、散歩の途中でトイレに行きたくなったときに、目の前にあらわれたのが、市の図書館。用事を済ませ、はじめに目に入ったのが、ヘルタ・ミュラーの『澱み』。表紙には「ヘルタ・ミュラー短編集」と書いてある。

目次を見ると「澱み」が全ページ数の半分ぐらいの 114ページを占めていて、残りの 18の短編は、2ページとか 3 ページとか 長くても 15ページとかと、どれも短い。興味を持って借りて帰り、家に着いてから ヘルタ・ミュラーのことを調べてみた。

ヘルタ・ミュラーは1953年にルーマニア西部のニツキドルフ (Nițchidorf) で生まれた。ニツキドルフからセルビア国境まで車で1時間もかからない。この地方は、第一次世界大戦まではオーストリア帝国領だったのが、ルーマニア・ハンガリー・セルビアの三カ国に分断統治された。

ヘルタ・ミュラーの先祖は18世紀にこの地方にやってきて、第一次世界大戦後もそこに残ったドイツ系ルーマニア人のシュワーベン人だ。シュワーベン人はルーマニアの統治下にあっても、民族的矜持を持ち、純血主義をつらぬき、独自のドイツ方言を母語としていた。

第二次世界大戦でルーマニアがドイツ側につき、シュワーベン人はソ連侵略の先兵にされ、戦争末期には連合国側についたルーマニア政府に見放され、ソ連軍によって多くの若者が強制収容所ラーゲリに連れてゆかれた。ヘルタ・ミュラーの父親はドイツ軍の武装親衛隊に動員され、母親はラーゲリ抑留の経験を持つ。

戦後、シュワーベン人はナチスの影響からドイツ系民族のアイデンティティを主張することが難しくなった。「故郷喪失の風景」とは、独裁によって故郷を追われたことと、故郷に対する矜持を持ち出すことが歴史的事実によって憚られることとを指し示している。

ヘルタ・ミュラーは、ティミショアラ大学でドイツ学とルーマニア文学を学んだのち金属工場で技術翻訳に携わるが、共産体制下の秘密警察・セクリタテアへの協力を拒否したため職を追われた。その後幼稚園の代用教員やドイツ語の私教師をしながら生活し、小説を書いた。

それが1982年に公表された短編集『澱み』だ。『澱み』は当時の多くの書物と同様検閲を受けて、大きく改竄されたものが出版されたが、後にドイツで未検閲のものが発表された。

1984年に体制への批判が危険視されて出版活動を禁じられ、1987年に夫と共にドイツに移住。1989年にルーマニア革命が起きてチャウシェスクが失脚したあともドイツに残り、今でもドイツで暮らしている。

『澱み』のなかで特に興味深いのが、検閲で削られた短編。そのひとつ、『意見(Die Meinung; The opinion)』という短編では、一匹のカエルという主人公(つまり著者)が組織からはじき出される様が描かれる。

自分の意見を持つことは悪いこと。みんなと同じ意見を持つのは(つまり意見を持たないのは)いいこと。みんなの意見は正しい意見。みんなと違う意見は間違った意見。そんななかで、主人公は、自分の意見を持ったために左遷され、消えてゆく。

上司は言う。「他人から受け継いだどんな意見も自分自身の意見なのだ」「自分自身の意見を持つためには、他人の意見を正しく我がものにするということが肝心なんだ」「そもそもどんな自分の意見であっても、自分の心にだけとどめておけば、いくらでも取り替えられるじゃないか」と。

著者がこういう目にあって、違う国に移り住まなければならなかったことを考えれば、この短編は重い。政府の言っていることと違うのは いけない。党の方針に従わないのは いけない。そんなふうにして、国や宗教、それに組織は、個人から自由を奪う。まるで 自由を奪うことが 私たちの本能であるかのように。

「著者」の話や「みんな」の話をしなくてもいい。「自分」について考えても、私たちはひとりひとり何がしかの不自由を感じて生きている。どの国にいても、どの組織に属していても、言いたいことが言えないという不自由を感じている。

だから、ヘルタ・ミュラーの極端なケースの話が、多くの人に読まれる。多くの人が不自由を感じている。

『世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)』 の 第19条 に、「すべて人は、意見及び表現の自由を享有する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」と書いてあっても、そんな権利を持っている人は実際には少ない。

日本の社会のなかで自分の考えを素直に言える人が どれだけいるだろう。韓国の社会では? 台湾では? 違うふうに考えて、東南アジアのどこに 自由にものが言える場所があるだろう? 中近東のどこで? アフリカのどこで? 中国にいて共産党と違うことが言える? ロシアでプーチンに、北朝鮮で金正恩に、逆らえる?

確かにヘルタ・ミュラーのケースは特殊かもしれない。いや、特殊だ。チャウシェスク政権の秘密警察に目を付けられて仕事を奪われ ルーマニアから逃れるなんていうことは、だれもが経験することではない。でも、言えないことの不自由は、世界中の人が感じているのではないか?

話を本に戻そう。表題作の長い短編『澱み』をはじめ、どの短編もつらい。そして悲しい。ヘルタ・ミュラーのまわりの抑圧された人々のことが描かれていると思うと、胸が締め付けられる。ユーモアすら(もしそれがユーモアだとしたらの話だが)つらく悲しい。

ひとつだけ、どうしてもわからない短編がある。『あの五月には(Damals im Mai)』だ。ヘルタ・ミュラーが2009年のノーベル文学賞を受賞したとき、理由として「故郷喪失の風景を濃縮した詩的言語と事実に即した散文で描いた」という説明が書かれていたが、『あの五月には』は「故郷喪失の風景を濃縮した詩的言語と事実に即した散文」なのだろうか?

『あの五月には』は「あの年の五月は何もかもが美しかった」という文章で始まる。そして「まずマス。いや、本物のマスはいなかった。しかし持ち合わせていた本のなかにニジマスが載っていた。姿が見えないマスたちが群れをなして泳ぎ回っていた」と続く。

はじめから最後まで、5ページにわたって、23のどの段落にも「美しい」という単語があらわれる。美しいといっても「貝の美しい白い実は苦痛にのたうちまわり」「酒場にたむろする老いた漁師たちは美しく落ちぶれ」という具合に 決して美しくはない。それでも、たとえ逆説的でも、それが皮肉であっても、「美しい」という単語が出てくるのだ。美しいと書けば書くほど、それは美しくないのだ。

『あの五月には』は、なんだかわからないのだけれど、すばらしい。わからないのに好きな文章なんて、はじめてだ。こんな文章を書くことのできるヘルタ・ミュラーが、絶望の文章を数多く書かなければならなかったのは、やはり悲しい。

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ここで見方を変えて、この短編集を、そしてヘルタ・ミュラーを見てみよう。

ヘルタ・ミュラーは故郷を美しく書かない。同胞を魅力的に書くこともしない。シュワーベンの人たちは強欲で、時に残忍で、アルコールに依存していたり、嘘をつき続けたりもする。ヘルタ・ミュラーは、子どもだった頃に見たままを書くのだ。

『シュワーベン風呂(Das schwäbische Bad)』がシュワーベンの人たちの目に触れたとき、つまり彼らが初めてヘルタ・ミュラーが書いたものに接したとき、彼らは心の底から怒った。と同時に、自分たちへの裏切りだと感じた。

『シュワーベン風呂』を掲載した新聞社には、編集長宛てに怒りの手紙が殺到した。ヘルタ・ミュラーは、はじめから、地元のみんなの敵だったのだ。

怒りの手紙に対するヘルタ・ミュラーの新聞紙上での返事がすごい。

私が書いたのは、まさにシュワーベンの人たちが感じたように、彼らを中傷する文章です。彼らはテキストの中に自分たちの姿を見たろうし、登場人物に自分の姿を重ね合わせた人も少なくないはずです。だからそんな人たちが侮辱、脅迫、匿名の手紙などといった反応を示すのは、ごく普通のことだと思います。文学が田舎を描けば、オーストリアでも、スイスでも、同じような反応が返ってくるのだと思っています。

火に油を注ぐとはまさにこのことだ。ヘルタ・ミュラーの小説が検閲を受けたり、一部削除されたのは、政治的な理由などではなく、書かれた人たちを守るためだったのではないか。

そう考えるとき、話は逆に見えてくる。『シュワーベン風呂』はとても短い。ページ数にして2ページ。段落も2つだけ。1つの長い段落でシュワーベンの家族がお湯を入れかえることなく代わるがわる風呂に入る。2つ目の(最後の)段落は、

シュワーベン人の家族はお風呂あがりには揃ってテレビの前に陣取ります。シュワーベン人の家族はお風呂あがりの「土曜映画劇場」を楽しみにしているのです。

という短いものだ。

シュワーベンの人たちが「自分たちが馬鹿にされた」と思ったのは、容易に想像できる。私がシュワーベン人だったら、検閲を支持するだろう。そればかりか、ヘルタ・ミュラーの本を全部燃やしてしまうだろう。

ヘルタ・ミュラーは2009年のノーベル文学賞を受賞したあと、2012年に莫言がノーベル文学賞を受賞したことについて「莫言氏は中国政府による検閲を称賛しており、授与決定は破滅的だ」と批判したという。私がシュワーベン人だったら「ミュラー氏は私たちマイノリティーの権利を蹂躙しており、授与決定は破滅的だ」と抗議しただろう。

ある人が素晴らしいと言ったとき、他の人は壊滅的だと言う。それが現実なのだろう。