人間が数を減らしていくことについて書くと、そこにはどうしても暗い響きがつきまとう。人口減少、少子化、衰退、消滅。私たちはいつの間にか、人間が増えることを繁栄と呼び、減ることを衰退と呼ぶことに慣れてしまった。
けれども、それは本当にそうなのだろうか。
人間が数を増やしてきた長い歴史を考えれば、その理由は比較的分かりやすい。自然は危険であり、食料は不安定であり、病気になれば死に、子どもの多くが大人になる前に命を落とした。農作業にも戦争にも家族を支えるにも、多くの人間が必要だった。生き延びるためには人間が人間を必要とし、そのためには次の世代をたくさんつくらなければならなかった。
人間が増えることには、理由があったのである。
しかし、人間はその理由を一つずつTameしてきた。
食料を安定させ、病気を治し、機械に労働をさせ、国家に治安を守らせ、制度に老後を支えさせるようになった。家族だけに頼らなくても生きられる社会をつくり、一人でも生活できる都市をつくり、人間の記憶を文字やコンピューターへ移した。そして今、知識や判断や対話の一部までAIという抽象的な存在へ預けようとしている。
そう考えると、人間が少なくなっていくことは、Tamingの失敗というよりも、むしろその成功が生み出した帰結なのかもしれない。
私たちは、生き延びるために子どもをたくさん必要とする世界から離れようとしてきた。家族がいなければ老人が生きられない世界を変えようとしてきた。大勢の人間が働かなければ食料を生産できない世界を変えてきた。一人になることがただちに生存の危機を意味する世界からも離れてきた。
それなのに、その目的が実現したあとも、なお人間だけは増え続けなければならないと考えるとしたら、そのほうが不思議ではないだろうか。
人口が増えることを無条件に善と考える感覚そのものが、ある時代の生存条件から生まれた価値観だったのかもしれない。
もちろん、人間が減る過程には痛みがある。制度は人口増加を前提につくられていることが多く、地域が維持できなくなったり、社会保障の負担が偏ったり、親しい風景や文化が失われたりすることもあるだろう。「人類にとって悪くない」ということと、「そこに生きる一人ひとりに苦痛がない」ということは同じではない。
それでも、減ること自体を悪と呼ぶ必要はないと思う。
森の木々が無限に増え続けないからといって、森が失敗したとは言わない。動物の個体数が永遠に増加しないからといって、その種がただちに不幸になったとも言えない。増加には増加できる条件があり、その条件が変われば、数も変わる。それだけのことなのかもしれない。
人間だけが、永遠に増え続けなければならない理由はない。
むしろTamingという長い歴史を振り返れば、少し違った景色が見えてくる。危険に満ちた世界では、多くの人間が必要だった。隙間だらけの世界では、その隙間を人間が埋めなければならなかった。だから人間は増えた。しかし人間自身が、その隙間を一つひとつ埋めてきたのである。
そしてAIに象徴される抽象的なものとの相互Tamingがさらに進めば、最後まで人間が埋めていた隙間さえ、人間だけのものではなくなっていく。
だとすれば、人間が数を減らしていくことは、文明が壊れたために起こるのではなく、文明がある意味であまりにうまく機能したために起こるのかもしれない。
人間は増えるためにTamingを始めたわけではなかった。
生きるために始めたのである。
そしてTamingによって、一人の人間が以前より安全に、長く、少ない他者への依存でも生きられる世界をつくったのなら、人間の数が減っていくことは、それほど不可解な出来事ではない。
増える必要がなくなったから、増えなくなる。
そこに善悪を貼り付ける必要も、本当はないのかもしれない。
人間が一億人であることと百億人であることのどちらが「正しい」のかを、宇宙は決めていない。人間の数が増えることに自然界から賞が与えられるわけでもなく、減ることに罰が与えられるわけでもない。
私たち自身が、増加を繁栄と呼び、減少を衰退と呼んできただけなのである。
Tamingの長い歴史の果てに、人間が静かに数を減らしていくのだとすれば、それをただ悲劇として眺める必要はない。
それは、自分たちが世界との関係を変えてきた結果として、人間自身のあり方まで変わっていく、一つの自然な帰結なのかもしれない。
そして、もし人間がこれから少なくなっていくのなら、本当に問うべきことは、「どうすればもう一度増やせるのか」だけではないのだと思う。
少なくなった人間が、どのように生きるのか。
少ないことを恐れず、増えることを義務ともせず、それでも一人ひとりの人間のあいだに、AIや制度では埋めなくてもよい隙間を残しておくことができるのか。
Tamingによって人間の数が減るのだとすれば、Tamingの最後の仕事は、人間をもう一度増やすことではないのかもしれない。
少なくなっても、人間らしく生きられる世界をつくることなのかもしれない。