運がよかったのだ

私は日本の戦後という時代に生まれた。軍に召集されることもなく、見知らぬ土地へ送られ、会ったこともない人間を敵と教えられ、その人間を殺さなければ自分が殺されるという場所に放り込まれることもなかった。学校へ行き、自分のする仕事を選び、外国へ出て、いくつもの国で暮らし、異なる言葉を話す人々と付き合いながら、かなり自由に生きてくることができた。

長いあいだ、それを特別なことだとは思っていなかった。けれども、人生のずいぶん先まで来て人間の歴史を振り返ってみると、それは決して当然のことではなかったのではないかと思うようになった。人類そのものが、氷期と氷期のあいだの比較的穏やかな気候のなかで文明を築いてきた。その長い時間のほんの一部分に私の人生があり、しかも私はそのなかでも、大きな戦争によって日常を断ち切られることのなかった場所と時代に生まれた。

人間の時間をもっと遠くまで遡ってみると、このことはいっそう不思議に見えてくる。人類は、その歴史の圧倒的に長い部分を、国家を持たない狩猟採集民として生きてきた。そこには、後の国家どうしが行うような組織化された大規模戦争がどの程度存在したのかをめぐって、今も議論がある。近年の研究には、移動しながら暮らしていた狩猟採集民のあいだでは戦争はむしろ例外的で、定住化や社会の複雑化とともに戦争を可能にする条件が整っていったとするものもある。

しかし、だからといって国家のなかった世界が穏やかで安全だったということにはならない。考古学が見つける人骨には暴力の痕跡があり、個人どうしの殺傷もあった。遠い先史時代になればなるほど証拠そのものが不完全になるため、その頻度について簡単なことは言えないけれども、少なくとも国家が存在しなかったことを、そのまま平和だったことと同じにすることはできない。

やがて人間は土地にとどまり、作物を育て、余剰を蓄え、村を作り、町を作り、国家を作った。定住化によって守るべき土地や蓄えが生まれ、社会が複雑になっていくことが、戦争を可能にする重要な条件になったとする研究もある。 国家というものが大きくなれば、暴力そのものも組織化できるようになる。個人が個人を殺すのとは違って、何千人、何万人という見知らぬ人間を集め、その人々に武器を持たせ、会ったこともない別の人々を殺すために遠い土地まで送り出すことができる。

国家は人間を暴力から守るものでもあったけれど、同時に、人間の暴力を途方もない規模に組織するものにもなった。

人が人を殺すこと自体は古い。しかし、徴兵され、制服を着せられ、国家から敵を与えられ、その敵を殺すことを義務として引き受けるという経験は、人間が作り上げた社会の仕組みと深く結びついている。

そう考えると、人間の歴史とは、単純に暴力から平和へ向かってきた一本の道ではなかったのだろう。国家のなかった世界にも暴力があり、国家が成立すると、国家はその暴力を抑える一方で、それまでとは比較にならない規模で組織する力を手に入れた。さらに近代国家は徴兵制度と産業と官僚制を組み合わせ、ついには社会全体を戦争へ動員できるところまで来た。

その長い歴史のずっとあとに、私は生まれた。国家は存在していた。軍隊も存在していた。戦争をする能力も、それ以前とは比較にならないほど大きくなっていた。それなのに、私はその国家から「戦場へ行け」と命じられることなく一生を送りつつある。

そう思うと、自分が生まれた場所と時間が、少し違ったものに見えてくる。それはどのくらいの確率だったのだろう、と考えたこともある。しかし、考えてみれば、そんなものを確率にすることにはあまり意味がないのかもしれない。何を分母にするかも、何を幸運と呼ぶかも決めることができない。歴史上の人間一人ひとりを同じ一票として数えるのか、人類が存在した年月を数えるのかによっても、まったく違う数字になる。

数字にはできない。それでも、自分はずいぶん運のよいところへ生まれ落ちたのではないかという感覚だけが、歳を重ねるにつれて少しずつ強くなってきた。

もちろん、私が生きてきた時代に戦争がなかったわけではない。世界のどこかでは絶えず人が殺され、町が壊され、故郷を追われてきた。だから1945年以後を、人類に平和が訪れた時代と簡単に呼ぶことにはためらいがある。それでも、かつて世界を何度も破壊したような、大国同士が持てる力のすべてを投入して戦う世界戦争が長いあいだ起こらなかったこともまた事実である。

この奇妙な長い時間を、Long Peaceと呼ぶ。なぜLong Peaceは続いたのだろう。人間が賢くなったからではないように思う。1945年を境に人間が善良になったわけでも、国家から領土欲や権力欲が消えたわけでも、ナショナリズムがなくなったわけでもない。変わったのは人間そのものというより、戦争を取り巻く条件だったのではないだろうか。

かつて戦争には、残酷ではあっても一種の採算があった。勝てば土地を奪い、資源や港を手に入れ、人々を支配下に置くことができた。しかし富のありかは次第に変わっていった。知識や技術、人間の能力、企業や金融、国境を越えてつながった複雑な生産の仕組みは、軍隊を送り込んで土地を占領したからといって、そのまま手に入れられるものではない。

そして核兵器が現れた。相手を徹底的に破壊することができても、そのあとで自分も破壊されているとしたら、それを勝利と呼ぶことにどれほどの意味があるのだろう。人間は敵を滅ぼすほどの力を手に入れたことによって、皮肉にも、その力を最後まで使うことができなくなった。

さらにその周囲には、国際法や国際機関、同盟、外交、貿易、経済的な相互依存といったさまざまな仕組みが作られていった。それらは戦争そのものを不可能にしたわけではない。ただ、戦争を始めることの代価を重くし、続けることの代価をさらに重くしていった。

以前から考えてきたTamingという言葉をここへ持ってくるなら、戦後の国際秩序というものは、国家から牙を抜く試みではなく、牙は残したまま、それを使わない方がよい世界を作ろうとする試みだったのかもしれない。

それはTaming 2.0と呼んできたものにもよく似ている。力ずくで従わせるのではなく、ある行動を取れば損をし、別の行動を取れば得をするように周囲の条件を整える。すると人は、自分で選んでいるつもりで、ある方向へ歩いていく。国家もまた戦争ができなくなったのではなく、しない方が割に合うようになったのである。

そう考えるとLong Peaceとは、人類が平和を愛するようになった時代というより、国家が自分の力を最後まで使わないように、幾重にもTameされていた時代だったのかもしれない。

ところが今、その周囲にあったいくつかの柵が軋み始めているように見える。国際的な仕組みへの信頼が薄れ、国々を結びつけていた経済的な相互依存も、互いに圧力をかける手段として使われるようになり、国家はもう一度、自分自身の力を確かめようとしているようにも感じられる。

それなら、Long Peaceは終わるのだろうか。そう考えてみると、外側の柵が壊れていったとしても、最後に一つだけ、まだ残っているものがあることに気づく。それは柵というより、崖に近い。

核を持つ大国が自分の力を最後まで使えば、相手もまた最後まで力を使うことができる。それならば、「力を使うことができる」という能力そのものが、「力を使うことができない」という拘束になる。国家を最後に思いとどまらせているものが善意でも道徳でもなく、自分自身も滅びるかもしれないという恐怖なのだとすれば、Long Peaceには最初から奇妙な影が差していたことになる。

そして、その影の方が長く伸びていった先に、Long Fearとでも呼びたくなる世界がある。平和だから戦争をしないのではない。怖すぎるから最後までは戦えない。局地的な戦争は起こり、軍備は増え、国家は互いを監視し、経済も情報も技術も安全保障という言葉で語られるようになる。それでも最後の一線だけは越えない。

外から見れば、Long PeaceとLong Fearはよく似ているのかもしれない。どちらにも世界大戦はない。しかし、そのなかで暮らす人間が見ている風景は、まるで違ったものになる。

Long Peaceのなかでは、明日も今日の続きだろうと思うことができた。Long Fearのなかでは、同じように朝が来て、店が開き、列車が走り、人々が働いていても、その日常のずっと深いところを、破局の可能性が流れ続ける。

そしておそらくLong Fearの本当の怖さは、恐怖そのものにあるのではない。人間は恐怖にも慣れるからである。初めのうちは、敵が怖いから武装していることを知っている。相手が信用できないから監視していることも知っている。けれども、それが長く続けば、武装していることにも、相手を疑うことにも、監視し監視されることにも、やがて違和感を覚えなくなるかもしれない。そしていつか、「世界とはもともとこういうところなのだ」と思うようになる。

そこまで来ると、Tamingは外側から人間を動かしているだけではなくなる。Taming 3.0と呼んできたものは、たぶんそのあたりから始まる。恐怖によって行動を変えられているのではなく、恐怖によって作られた世界観そのものを、自分自身の世界観だと思うようになるのである。

だとすれば、Long Fearから抜け出すために必要なのは、すべての兵器をなくすことでも、すべての国家がお互いを信頼することでもないのかもしれない。むしろ、「なぜ自分たちはこれほど相手を恐れているのだろう」「なぜ自分たちの軍備は防衛で、相手の軍備だけが脅威なのだろう」「相手の側から見れば、自分たちもまた恐ろしい存在なのではないだろうか」と、時折立ち止まって考えることなのではないかと思う。

そして、なぜこれを平和と呼んでいるのだろう、と。その「なぜ?」が残っているうちは、まだ何かが完全には閉じていない。

恐怖をなくすことはできなくても、恐怖を恐怖として見ることはできる。相手を完全には信用できなくても、話すことはできる。軍隊が残っていても、それを使わずにいることはできる。国境があっても越えることはできるし、自分の国を大切にしながら、自分の国だけが世界ではないと考えることもできる。

そのくらいの、不完全な平和でよいのかもしれない。むしろ完全な安全というものの方が、私は少し怖い。完全に安全な社会を本気で作ろうとすれば、危険なものをすべて見つけ、すべてを監視し、すべてを管理し、あらゆる不確実性を取り除かなければならなくなる。そうなればいつか、安全を守るために作られた仕組みそのものによって、人間の自由がTameされていくことにもなりかねない。

少しくらい不完全でいいのではないだろうか。相手のことを完全には分からないまま、それでも話している。少しくらい疑いながら、それでも殺さない。国境のこちらと向こうに別々の国があり、別々の歴史があり、互いに気に入らないこともあるけれど、それでも国境を越えて人が行き来し、一緒に食事をし、しばらくするとまた自分の国へ帰っていく。

平和というものは、本当はその程度のものなのかもしれない。そんなことを考えていると、国家や核兵器や世界秩序というずいぶん大きなところまで広がっていたはずの話が、いつの間にか自分自身の人生へ戻ってくる。

私は戦後の日本に生まれ、兵隊に取られることも、人を殺せと命じられることも、自分が殺される前に相手を殺さなければならない場所へ送られることもなかった。学校へ行き、自分の仕事を選び、外国へ行き、違う言葉を話す人々と知り合い、いくつもの土地に暮らし、何年も先のことまであれこれ心配しながら生きてくることができた。

その一つ一つを、私はずっと普通の人生の出来事だと思っていた。けれども、普通だったのではないのかもしれない。

考えてみれば、老後を心配できることさえ不思議なことである。二十年後にも社会があり、自分もそのどこかで暮らし、おそらく同じような貨幣を使っているだろうという漠然とした信頼があるからこそ、二十年後のお金の心配ができる。来年の旅行について考えるのも同じで、来年も飛行機が飛び、国境を越えることができ、遠い国で知らない人間と同じテーブルを囲めるだろうということを、どこかで信じている。

そんな無数の小さな前提の上で、私たちは暮らしてきた。私はそれを自由だと思っていた。もちろん自由だったのだと思う。しかし、その自由を可能にしていたものの一つは、もっと目立たない、もっと大きなものだった。明日になっても、世界はだいたい今日と同じ形をしているだろうという信頼である。

Long Peaceはあまりにも長く続いたので、私にとって空気のようなものになっていたのかもしれない。平和のなかにいながら、平和そのものについて考えることはほとんどなかった。朝になれば町は目を覚まし、人は仕事へ向かい、列車は走り、飛行機は国境を越え、遠い国でも人々がそれぞれの夕食を食べている。来年の予定を立て、十年後を心配し、会いたい人には、またいつか会えるだろうと思う。けれども空気というものは、少し変わり始めて初めて、その存在に気づくものなのかもしれない。

振り返ってみれば、人間の長い歴史の流れのなかに、たまたまいくらか穏やかな水面があり、私はその上を生きてきただけなのかもしれない。その水面の下には核兵器があり、恐怖があり、互いを消滅させることのできる国家が向き合っていた。それでも不思議な均衡はどうにか崩れず、私はその上で、世界とは案外安定したところなのだと思いながら歳を重ねることができた。

この先、その水面がどうなるのかは分からない。Long Peaceがもうしばらく続くのかもしれないし、いつの間にかLong Fearと呼ぶ方がふさわしい時代へ移っていくのかもしれない。そのLong Fearさえいつか破れてしまうのかもしれないし、あるいは人間が、恐怖によって相手を押しとどめるのとは少し違う、別の平和の形を見つけるのかもしれない。それは私には分からない。

ただ、自分がどんな時間を生きてきたのかについては、以前より少しだけ分かるようになった気がする。平和な時代に生まれたことは、私が選んだことではない。戦争へ行かなかったことも私の手柄ではなく、国境を越えていろいろな国を歩くことができたのも、私だけの自由の力ではなかった。そのように生きることのできる時代のなかへ、私は偶然、生まれてきただけなのである。

もしこのまま世界が最後の一線を越えることなく、私もLong Peaceのなかで一生を終えることができるのなら、それについて何か立派な意味を見つける必要はないように思う。

私が正しかったからでもなく、賢かったからでもなく、何か特別なことを成し遂げたからでもない。ただ、運がよかったのである。

そして不思議なことに、その幸運は、それを生きているあいだにはほとんど見えなかった。学校へ行き、仕事をし、誰かと知り合い、遠い国へ行き、また帰ってくる。明日のことを考え、来年のことを考え、ときにはずっと先のことまで心配する。会いたい人には、またいつか会えるだろうと思う。そんなことのできる世界だった。

人生のずいぶん先まで来て振り返ってみれば、私の幸運というものは、何か大きなものを手に入れたことのなかにあったのではなく、もしかすると、そんな何でもない日々を何でもないものと思いながら生きることができた、そのことのなかにあったのかもしれない。そして、もし最後までそうであるのなら。

私はLong Peaceという、人間の歴史のなかの不思議な凪の時間に生まれ、その凪のなかで一生を送ることができた。それは、とても運のよいことだったのだと思う。

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