2024年4月5日(金)
来るべき社会
今週の書物/
『人口減少社会のデザイン』
広井良則著、東洋経済新報社、2019年刊
もう10数年前にポール・ケネディが書いた「世界中で最も魅力のない求人広告」が、いま読んでも面白い。
「急募・約1700万平方キロ(その大半は居住不能)に及ぶ国土の経営及び改革に必要な多くの資質を持つ人物。ただしこの国は、深刻な人口減少と、弱体化した軍隊と、巨大な社会・環境問題と、国内の不和と、嫉妬深い隣国を抱え、アジアと地球規模のパワー・バランスの面でも、恐らく急速な地位低下に向かっている」
というように、日本の経営と改革という不可能なミッションが書いてある。そんなことは誰もやりたがらないかと思いきや、日本の内閣総理大臣になりたいという政治家は多い。
予算の多くは借金の返済と社会保障に費やされ、まともなことをしようにも手段がない。利率が上がれば政府の借金がかさむから、中央銀行は利率を上げることができない。過疎化が進んでいるとかシャッター通りが増えているというようなことは、もはやニュースではないし、経済再生という言葉はただの呪文と化している。
「追いつけ追い越せ」だった日本は、いつの間にか「追いつかれ追い越され」になり、少子高齢化の中、意味のない国の支出が増大し続けている。高度経済成長が再び訪れることはないし、一億総中流は幻想でしかなかった。低成長が続き、中間層でさえ暮らしを確保することに汲々としている。。
若い人たちのなかに、国のことに興味を持つ人は少ない。「国のため」などと言う発想は、もう誰も持たない。欲望も少ない。結婚をしない、子供を産まない、消費をしない。家もクルマも欲しがらない。米屋や八百屋が消え、酒屋や本屋が減っていったように、デパートやスーパーも危機に瀕している。不動産業者やクルマのディーラーが消えてゆくのも時間の問題だろう。
多くの人たちが、産業の衰退を、それぞれの会社の実力のせいだとは思いたくないし、教育が時代に合わないせいだとも思いたくないし、ましてや政策の失敗だとは思いたくないから、が産業の衰退の原因を、人口の減少のせいにする。人口減少で経済が縮小する。人口減少で労働力が不足する。人口減少で社会保障制度が維持できなくなる。なんでもかんでも人口減少のせいになる。
都合よく災害がくれば、産業の衰退は災害のせいになるのだろうが、災害はそうは都合よくやってこない。とりあえず、人口減少がスケープゴートになり続ける。でも、人口減少は、ほんとうにそんなに悪いことなのだろうか。
そもそも、人口減少は日本だけに起きるわけではない。韓国や中国の人口はすでに減り始めているし、近い将来にインドネシアやインドでさえ人口が減り始める。人口は一旦減り始めると、とめどなく減り続ける。世界中で、人口はどんどん減る。
減ってゆくのを悪いこととしてとらえて抵抗しても、減るものは減る。移民を受け入れても、うまくはいかない。たくさん働いても、努力しても、人口減少は止まらない。抵抗しても無駄。減ってゆくのを受け入れるしかないのだ。
受け入れるしかないのなら、人口減少を悪いこととして捉えたりせず、よいこととして捉える。増えているときに沁みついてしまった論理を見直し、新しい論理を見つける。企業の収益は増えて行かない。パイは大きくならない。税収は減り続ける。公務員の数は減り続ける。そういったことを受け入れる。
仕事はAIに任せ、あまり働かない。努力しない。競争しない。バランスをとることに重点を置く。そんな変化が必要なのかもしれない。私たちが慣れ親しんだ社会が、まったく違う社会になるのかもしれない。
で今週は「人口減少に関する漠然とした考えを、はっきりしたものにしてくれるかもしれない」一冊を読む。『人口減少社会のデザイン』(広井良則著、東洋経済新報社、2019年刊)だ。人口減少社会をポジティブに捉えた本ということで、手に取った。拡大や成長にこだわらず、持続可能な社会を目指すために、何をしていったらいいのか。それを提言というかたちで書いた本だという。
書いてあることは、そう難しくない。複雑でもない。にもかかわらず、すんなりとは受け入れられない。なぜか? それは、私たちが身に着けてしまった「あたりまえ」を根底から覆されるから。私たちがやってきたことと正反対のことをしろと言われるから。そして、未知の世界に入っていくことが不安だから。いや、全部違う。何かが違うのだ。
広井良則は、私たちの「増税などを急がなくても、やがて「景気」が回復して経済が成長していくから、税収はやがて自ずと増え借金も減っていく」という考えが間違っていると言う。高度経済成長時代に染みついた考え方を今でも根強く引きずっているというのだ。私たちは「経済成長がすべての問題を解決してくれる」という思考様式から抜け出せていない。そんな論理展開はしごくまっとうだ。
広井良典の「10の提言」は以下のようなものだ。
- 将来世代への借金のツケ回しを解消する
- 人生前半の社会保障を充実させ、若い世代への支援を強化する
- 多極集中社会を実現し、歩いて楽しめるまちづくりをする
- 再分配システムを導入し、都市と農村の持続可能な相互依存を実現する
- 企業行動や経営理念の軸足を拡大・成長から持続可能性に変換する
- 生命を軸としたポスト情報化分散型社会システムを実現する
- 定常型社会のフロントランナーとしての日本をアピールする
- 環境・福祉・経済が調和した持続可能な福祉社会モデルを実現する
- 福祉思想を再構築し、鎮守の森に近代的個人を融合した倫理を確立する
- 人類史3度目の定常化時代に合った新たな地球倫理を創発し深化させる
それぞれの論点について「ふむふむ」と思いながら読み続けたが、はて、これで、本当に持続可能な社会が実現するのだろうかと考えると、まことに心もとない。なぜだろうか?
まず、国の政策というものについての過剰な評価がある。広井良典は「高度成長期の前半期には工業化を国是とする政策によって、農村から都市への人口大移動が起こった」とか「1990年代以降の政策によって、地方都市の空洞化が起こった」というような論理展開をするが、農村から都市への人口移動や地方都市の空洞化の原因は国の政策なのだろうか。私には、国の政策がそんなに大きな力を持っているとは思えない。
次に、デジタルトランスフォーメーションについての記述がないことがある。AI 、ブロックチェーン、ビッグデータ、IoTといった技術革新をビジネスに結びつけることができなければ、これからの競争からは脱落してゆかざるを得ない。技術革新についてゆくことが出来る人がいなければ、その社会に将来はない。
デジタルトランスフォーメーションがなくても、それに代わるものがあればいいのだが、それもない。そもそも、培養肉を積極的に取り入れていくのかどうか、細胞農業を容認するのかどうか、そういうことが、はっきりしていない。「近代的個人を融合した倫理」とか「定常化時代に合った新たな地球倫理」などと「倫理」をいうのなら、遺伝子操作を認めるのか認めないのかを、まず、はっきりしてほしい。
iPS細胞の倫理的・法的・社会的問題を議論し尽くすことなく、iPS細胞のいい面ばかりに目を向けていっていいのだろうか。同じことが培養肉についても細胞農業についても言える。社会が倫理的合意なしで間違った方向に進めば、待っているのは破滅だ。
日本の社会が今必要としているのは、広井良典が本のなかで書いているような綺麗ごとの倫理ではなく、もっと根源的な生命倫理であり、倫理に関する社会的合意ではないだろうか。
この本を読んで、人口減少に対する私の考えが大きく変わった。広井良典が書いたこととはだいぶ違うのだが、著者が意図しない方向に読者が導かれるというのも、読書の醍醐味だろう。以下にこの本のおかげで持つに至った私の考えを書く。
人口減少は必要だ。可能だ。そして間違いなくいいことだ。でも、うまく減少してゆくのは容易ではない。飢餓や貧困や疫病による大量死亡を避けることができるか。水や食糧をめぐっての紛争や戦争を避けることができるか。労働力の不足、社会保障の財政破綻、経済のマイナス成長などをひとつひとつ解決しながら、持続可能な人口になるまでの何百年もの減少期間をどう生き延びてゆくのか。それは決して容易なことではないはずだ。
人口増加も簡単ではない。例えば、サハラ以南のアフリカでは、今でも人口が増加し続け、そのせいで食料が不足し、ほとんどの子供が満足な教育を受けられず、成人しても仕事が見つからず、社会は安定から程遠い。誰も環境の保護とか人権の擁護などを考える余裕を持っていない。
人口減少も人口増加も容易ではない。要は人口減少や人口増加にどう向き合っていくか、どう対処してゆくかだ。
人口減少は避けられそうにない。だとしたら、どういう社会システムを作ってゆくのかを真剣に考えなければいけない。人口増加に合った社会システムが、人口減少に合うわけがない。だから、まったく違う社会システムを編み出さなければならない。それは「歩いて楽しめるまちづくり」などということではない。
人口減少とともに私たちが直面している危機は、とても大きい。広井良典の「10の提言」のような、まるで日本の学生たちが考えそうな提言では、とても乗り越えられないくらいような危機が迫っている。人口減少を甘く見てはいけない。
(追記)
内閣府や厚生労働省のウェブページを見ていると、「人口減少克服」とか「少子化対策」とかいう言葉が多く出でくるが、そのほとんどが「人口減少に歯止めをかける」と「生活基盤を維持する」いう意味あいを持っている。まるで「人口減少の流れを止めろ」という号令が聞こえてくるようだが、「産めよ殖やせよ」の号令に似て、気持ち悪いことこの上ない。「国家主義が薄れ、人口が減少してゆく」なかで、「国家主義を復活させ、人口をもう一度増加させよう」というのは、時代錯誤ではないか。
国家主義の時代が終わりにきているということを受け入れ、人口減少を受け入れる。そういう態度や考え方に立って政策を立案してゆかなければ、何も解決できない。政治や行政の立場からは、なかなか出てこない考え方かもしれないが、「人口減少社会においては、全体主義的な考え方がとても危険だ」ということは、多くの人口学の専門家が指摘している。
幸いなことに、今の若い人たちは、「国が強いか」「国が豊かか」というようなことにはあまり興味を示さない。若い人の興味は「自分に何ができるか」「自分が暮らしていけるか」ということにあり、「社会のために」と考える人はいても「国のために」と考える人は少ない。政治や行政が何を言っても、全体主義的な傾向は薄れていくといっていいだろう。
だとすれば、なおさら、人口減少時代に合った政策が必要になってくるのではないか。人口減少時代に合った教育や経済システムは、今の教育や経済システムとは違うはずだ。「人口減少に歯止めをかける」や「生活基盤を維持する」というような政策ではなく、「富の分配を再構築する」や「働く意味を問い直す」というような政策を立案していかなければ、将来は見えてこない。
(追記2: 尾関さんへ)
尾関さんが長年にわたりなさってきていた「一週間に一度、書評を発表する」ということが、どれだけ大変なことか。自分でやってみて、その大変さがわかりました。
読み始めた時に考えていたことと、読んでいるときに考えたことと、そして読んだ後に考えたこととが混じり合い、収拾がつかなくなくなったり。。 焦点が定まらず、話題があちこちに飛んでしまったり。。 そんなことがあっても、読んだ後の数日では、それを整えることができない。推敲する時間がないどころか、文章に手を入れる時間すらない。
尾関さんは、そんなことを、いとも簡単にやってきた。そう思うと、自然と頭が下がります。
早く「めぐりあう書物たち」を再開し、また私たちを楽しませてください。心からのお願いです。