2024年10月18日(金)
数学の「無」、物理学の「無」
今週の書物/
『ニュートン式 超図解 最強に面白い!! 無』
和田純夫 監修
ニュートンプレス、2020年刊
「無」とか「空」とか「ゼロ」とかは、気にしだすと気になってしまう。「無」や「空」や「ゼロ」のことは、考えても仕方のないことで、考えても何の答えも出ない。
「無」と「空」と「ゼロ」は、時には同じ意味を持ち、時にはまったく違う意味を持つ。哲学の問題として考えているうちは楽しいが、仕事のなかに入ってくると その扱いは難しい。
昔、統計の仕事に関わったことがあって、その時の難題のひとつが「無」と「ゼロ」だった。まったく無い「ゼロ」、値が小さすぎて「ゼロとしか表示できない(Not zero, but less than half of the unit)」、マイナスの値が小さすぎて「ゼロとしか表示できない(Not zero, but negative and less than half of the unit)」、その他にも「該当しない(not applicable)」とか「入手不可能(not available)」なんていうのもあって、いろいろ苦労したのをよく覚えている。
数学で「ゼロ(0)」は特別だ。0 は最小の非負整数で、0 の後続の自然数は 1。0 より前に自然数は存在しない。0 が自然数なのかどうかは わからないが、0 は整数で、有理数で、実数で、複素数で、いやそんなことよりも、割れなかったり 特異点だったり、とにかく特別だ。
で今週は、数学や物理学においての「無」について書かれた一冊を読む。『ニュートン式 超図解 最強に面白い!! 無』(和田純夫 監修、ニュートンプレス、2020年刊)だ。科学雑誌の Newton(ニュートン)を出している ニュートンプレス が発行元で、監修者の名前は書いてあっても、著者の名前は書いてない。最後のページに見えないような小さな字で「Editotial Management 木村直之」「Editorial Staff 井手 亮」と書いてある。ニュートンプレス の社員が仕事の一環として書いただけで、社員は著者ではないと言いたいのだろうか。
まあそんなことはともかく、表紙に「数字の無ゼロから物理の無まで 無がわかる決定版!!」と書いてある通り、数学や物理の分野にしぼって「無」のことを解説している興味深い本ではある。
説明はやや乱暴だ。原子の動きがほぼとまったときが「絶対 0度」という温度の下限。電気抵抗がゼロ(無)の「超電導」でリニアモーターカーが走る。液体の粘り気がゼロになり 力を加えなくても スルリと通り抜ける「超流動現象」。質量ゼロの「光子」は 重力の影響を受けて 曲がる。大きさゼロに向かって縮んでいる「ブラックホール」は宇宙に 無数 存在していて、その近くでは速度がゼロに見える。そんなことが、自然界にある「無」の例として挙げられる。
また、「無」の空間には 何かが満ちているといって、「真空は 完全な無ではない」「宇宙空間は 私たちに見えない光で 満ちている」「光は 物質ではなく 真空の場をゆらして伝わる」「真空を埋めつくす何かが 素粒子にまとわりつく」「真空では 素粒子が生まれては消える」「陽子のなかは 混み合った真空状態」「陽子のなかは ほとんどからっぽ」「陽子のなかでは たくさんの仮想粒子が生じている」「からっぽの無の空間も 曲がったり 波打ったりする」「重力の正体は 時空のゆがみ」「無の空間でも 実態をもつ」「普通の物質をとりのぞいてもダークマターが残る」「ダークマターは 見ることができない」「真空には 宇宙を膨張させるエネルギーが満ちている」なんていうことを、次から次へと書き連ねる。
どのページを読んでも「そうなのかなあ」「そうとは思えないけど」「でも そうなんだろうなあ」というような よくわからない感想しか 持つことができない。それはまるで「この世は神が作り出した」とか「輪廻転生」といった話を聞いた時の感想だ。数学や物理学においての「無」についての本といいながら、アプローチは宗教そのものではないか。
最後の章の≪時空の「無」が宇宙を生んだ≫になると、宗教っぽさはより激しさを増す。「宇宙は 時間も空間もない 究極の無から生まれた」「時間をさかのぼると 宇宙空間は 特異点という 一つの点になってしまう」「10>-20以下の短い時間では 物質が ある ない という存在自体も定まらなくなる」「宇宙が 10-33cm よりも小さいときには 宇宙の存在自体がゆらいでいて 生成と消滅をくりかえしていた」というような説明は、にわかには受け入れられない。
「トンネル効果」の説明を読み、「小さな宇宙は 非常に高いエネルギーをもっている」「誕生直後の宇宙には 虚数時間が流れていた」「3次元空間の宇宙は 高次元空間に浮かぶ膜」というような 怪しい話 に付き合わされているうちに、我慢の限度を超え、私はこの本に対して敵愾心を抱く。
なんという本を読んでしまったのだろうという後悔と、物理学者の方々への憐憫の情とで、いっぱいになる。こんな荒唐無稽な理論を、ひとつひとつ「それは違う」といって否定していくのは、人生の無駄ではないか。この本を読んで、そんなことを考えた。本のなかの一つ一つの話は面白い。でも、この本を読んでも、無はわからない。少なくとも私には、物理の無はわからない。
優秀な人たちが物理学の分野に集まり、CERN (Conseil européen pour la recherche nucléaire, 欧州原子核研究機構) や ALMA (Atacama Large Millimeter/submillimeter Array, アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計) といった巨大研究施設が作られるようになると、物理学の知識の集積は膨大な量になる。
物理学の領域があまりにも大きく広がり、複雑になりすぎて、もう誰にも全体を把握することができない。理論物理学の考察を行なうために習得しなければならない数学的手法や既存の物理理論も膨大な量になり、メインストリームの理論をすべて理解している人など、ひとりもいない。
メインストリームの理論のなかでも、標準モデル(Standard Model)、量子複雑性理論(Quantum complexity theory)、量子色力学(Quantum chromodynamics)、物理宇宙論(Physical cosmology)、曲がった時空における量子場の理論(Quantum field theory in curved spacetime)といった分野では、日々定説が覆されている。
標準モデルひとつとっても、標準モデルは一般相対性理論と矛盾していて、ある条件下(例えば、ビッグバンのような既知の時空特異点や事象の地平線を越えたブラックホールの中心など)では、一方または両方の理論が破綻してしまう。多くの研究者たちがこの問題を解決したと言ってきたが、いまだにコンセンサスは得られていない。
あたりまえのことだが、物理学には 強い CP 問題(strong CP problem)、ニュートリノ質量(neutrino mass)、物質と反物質の非対称性(matter–antimatter asymmetry)、暗黒物質と暗黒エネルギーの性質(nature of dark matter and dark energy)など、わかっていないことが数多くある。
今回 取り上げた本は、数多くの わかっていないことについて、まるで わかったことのように書いている。いくら 門外漢のための本だからといって、というか門外漢のための本だからこそ、わからないことは いまだにわかっていないと 書くべきではないか。
わかっていないことについて考え 探求するのが物理だとするならば、いや 科学だとするならば、この本は科学的ではない。まるで受験参考書のように、答えはこれだよというような本の作りは、教育的ではあっても科学的ではない。もっとも、今の日本人が望んでいるのが この本のようなものだと言われれば、返す言葉はない。
断定的なものの言い方や、短絡的に答えを求めようとする態度が、社会を覆っている。考えることが嫌われる社会に、明日はない。