シリアでアサド政権が倒れたら、社会はアサド政権の時より混乱し良くはならなかった。悪いと思われた政権が倒れても社会は良くはならない。「悪が倒れれば善が来る」という物語は、私たちが願いたい“希望の形式”であって、現実の歴史はもっと残酷で、もっと複雑で、もっと人間的だ。
アサド政権のように、強権的であっても国家の骨格を維持していた体制が崩れると、その空白を埋めようとする勢力が一斉に動き出す。『旧支配層』、『反政府武装勢力』、『宗派勢力』、『外国の代理勢力』、『犯罪組織』。これらが同時に動くと、国家という「秩序の容器」そのものが壊れてしまう。その結果、「悪い政権」よりも、「政権そのものがない状態」の方が、はるかに悲惨になる。権力の空白は、必ず“暴力の競争”を呼ぶのだ。
倒すことはできても治めることはできない。これはアラブの春でもアフガニスタンでもイラクでもリビアでも繰り返された。悪を倒すことと社会を運営する能力は別の問題ということだ。
選挙を導入すれば民主主義が生まれるわけではない。民主主義は、『妥協の文化』、『少数派の権利を守る倫理』、『暴力を使わないという合意』、『法を信頼する習慣』といった「目に見えない文化」があって初めて成立する。これが育っていない社会で政権だけ変えても、制度は形だけで、中身が追いつかない。民主主義は制度ではなく文化なのだ。
悪い政権が倒れても社会は良くならない
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