永遠とか、完成とか、完璧とかは、決して美しくはない。永遠でないこと、未完成、完璧でないこと、そんなことに美しさやいとしさを感じる。変わり続けることにも心惹かれる。
好戦的な国家はみな、永遠や完璧を求める。変わることもない。それを見て、暗澹たる気持ちになるのは自然なことなのだろう。
永遠や完璧を求める国家は、しばしば「変わらないこと」「揺らがないこと」を正義にしてしまう。『永遠の国家』、『完璧な民族』、『絶対の正義』、『不変の指導者』、そういった“硬い理念”は、人間の柔らかさや曖昧さを許さない。
硬い国家は、その力を誇示し、『移ろい』、『未完成』、『不完全』、『変化』、『儚さ』といった人間の柔らかさを押しつぶそうとする。
歴史を見ると、「永遠」を掲げた国家ほど、内部から腐り、外部に暴力を向け、最後は自ら崩れていった。永遠を求める国家は、永遠を守るために暴力を使う。未完成を受け入れる社会は、変化を恐れないから、暴力に頼らない。
硬いものは、必ず割れる。柔らかいものは、形を変えて生き残る。竹はしなるから折れない。ガラスは硬いから割れる。硬さを誇る国家ほど、長期的には持続できない。歴史のなかで、「永遠」を名乗った帝国はすべて消え、「未完成」を受け入れた社会だけが、形を変えながら生き残った。だから、いまの好戦的な国家も、その硬さゆえに長くは続かない。
『未完成の美しさ』、『永遠を求めない姿勢』、『変化を受け入れる柔らかさ』。そういうものが、いまの世界の暴力的な硬さに対する静かな抵抗だ。国家は好戦的でも、人間は必ずしもそうではない。
硬い国家
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