アセンブリ理論が明かす生命とその起源(サラ・イマリ・ウォーカー)

一般的に自由意志は、あなたの現在の状態や歴史とは関係なしに、自らの自由裁量で行動する能力とみなされている。
しかし少なくとも現在の理解によれば、物理法則によって記述される宇宙は、初めから完全に決定されている。あらゆる出来事が文字どおり、素粒子と場のダイナミクスによって展開する。
あなたの思考や感情が、あなたを含む現実に影響をおよぼすことはいっさいない。自由意志の余地は存在せず、あなたに関する事柄はすべて、この宇宙の初期状態によって完全に決定されている。これで話は終わりだ。いや、はたしてそうだろうか?
多くの科学者は、どのような原因作用も現実のもっともミクロな物理的階層、すなわち素粒子の根源的スケールで起こるとみなしている。そのため、大スケールにおいて、より高次の原因作用とでも呼べるものが生じる余地はない。
たとえば、私たちがこの宇宙と意味のある形で関わることはいっさいできない。あなたは自分の思考が自分の振る舞いをコントロールしていると考えているかもしれないが、グリーンが言い切ったとおり、それに対しては次のように反論できる。
思考も実際には、何千個ものニューロンの相互作用から創発する情報のパターンにすぎない。その個々のニューロンも、相互作用し合う何万個もの分子でできていて、その分子一つ一つもまた原子の集合体であり、その原子もさらに素粒子から構成されている。そしていずれも(既知の)物理学に従っている。
このように思考は、特定の化学物質やニューロンの配置が取る一つのパターンであって、素粒子レベルにおけるもっとも基本的な原因作用に還元できる。
物理法則が十分な説明力を備えていて、現実を構成する低レベルの存在に何が起こるかを記述できるとしたら、あらゆる現実を物理法則だけで説明できてしまうだろう。物理法則以外の事柄は、その法則の制約下で起こる結果にすぎないのだ。

アセンブリ理論が明かす生命とその起源(サラ・イマリ・ウォーカー)」への3件のフィードバック

  1. phrh205455 投稿作成者

    誰も知らない生命: アセンブリ理論が明かす生命とその起源

    サラ・イマリ・ウォーカー 著

    2025/5/14

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    Life as No One Knows It: The Physics of Life’s Emergence

    by Sara Imari Walker

    August 6, 2024

     
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    「思考や感情」も物理法則によって説明できるのか

    by サラ・イマリ・ウォーカー

    https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/思考や感情-も物理法則によって説明できるのか/ar-AA1FeNsJ

    自由意志とは何か?

    生きているとはどういうことなのかと尋ねられたとき、私たち人間がたいてい挙げるもっとも特徴的な要素は、主体性と自由意志という概念に関係したものだろう。

    専門用語としてこれらの言葉を定義したり説明したりすることは、いまだ容易ではない。現段階では、科学的知識によって表現されているというよりも、この世界における私たちの経験に基づいているにすぎない。

    自由意志は一般の人々の議論でも馴染み深いテーマなので、そこからスタートすることにしよう。おそらくあなたは、自分には自由意志があると感じていることだろう。私もそうだ。私は自分がこの本を書くことを選んだと感じているし、あなたも自分がこの本を読むことを選んだと感じているだろう。

    しかし物理学における現在の一般的な説明では、そんなことはありえないという。

    たとえば、著名な科学コミュニケーターで弦理論学者のブライアン・グリーンは、「生命のプロセスは分子のとりとめのない運動にほかならず、それを完全な形で記述する物理法則は、同時に、情報に基づくハイレベルのストーリーを語っている」と記している。

    彼の最近の著作に収められたこの一節に私が初めて出会ったのは、朝食を作りながらツイッター(現X)の投稿をスクロールしているときだった。

    私の両手を凍りつかせたのは(料理と画面のスクロールを同時にやるのは危険だ)、グリーンの著作の愛読者によるその投稿自体ではない。それに対するグリーン本人の次のような返信だ。

    「生命や心を分子レベルまで還元しても、生命や心が軽視されることなどけっしてなく、逆にどちらの価値も高まる。素粒子が成し遂げることのできるこの驚くべき見事な事象の数々を見よ」

    以前観た動画の中でグリーンは次のように論じていた。物理学にとって自由意志は必要ないのだから、私たちにも必要ないはずだ。そして現在の物理学によって、この宇宙は十分にエレガントに記述できる、と。

    しかし、私たちは何ものであってなぜ存在するのかという疑問に対して、歴史上のこの瞬間に物理学が究極の答えを出してくれるなんて、誰が本当に信じられるだろうか?

    すべては初めから決定されている?

    一歩下がって、自由意志と現在の物理学の対立に光を当ててみよう。一般的に自由意志は、あなたの現在の状態や歴史とは関係なしに、自らの自由裁量で行動する能力とみなされている。

    しかし少なくとも現在の理解によれば、物理法則によって記述される宇宙は、初めから完全に決定されている。あらゆる出来事が文字どおり、素粒子と場のダイナミクスによって展開する。

    あなたの思考や感情が、あなたを含む現実に影響をおよぼすことはいっさいない。自由意志の余地は存在せず、あなたに関する事柄はすべて、この宇宙の初期状態によって完全に決定されている。これで話は終わりだ。いや、はたしてそうだろうか?

    多くの科学者は、どのような原因作用も現実のもっともミクロな物理的階層、すなわち素粒子の根源的スケールで起こるとみなしている。そのため、大スケールにおいて、より高次の原因作用とでも呼べるものが生じる余地はない。

    たとえば、私たちがこの宇宙と意味のある形で関わることはいっさいできない。あなたは自分の思考が自分の振る舞いをコントロールしていると考えているかもしれないが、グリーンが言い切ったとおり、それに対しては次のように反論できる。

    思考も実際には、何千個ものニューロンの相互作用から創発する情報のパターンにすぎない。その個々のニューロンも、相互作用し合う何万個もの分子でできていて、その分子一つ一つもまた原子の集合体であり、その原子もさらに素粒子から構成されている。そしていずれも(既知の)物理学に従っている。

    このように思考は、特定の化学物質やニューロンの配置が取る一つのパターンであって、素粒子レベルにおけるもっとも基本的な原因作用に還元できる。

    物理法則が十分な説明力を備えていて、現実を構成する低レベルの存在に何が起こるかを記述できるとしたら、あらゆる現実を物理法則だけで説明できてしまうだろう。物理法則以外の事柄は、その法則の制約下で起こる結果にすぎないのだ。

    統制には「行為主体」が必要

    心の哲学を研究する著名な哲学者のダニエル・デネットは、評論『無理な相談と自由意志のインフレーション(Herding Cats and Free Will Inflation)』の中で、この緊張関係に関する示唆に富む一つの例を挙げ、原因作用と統制(コントロール)の大きな違いを指摘している。

    その例で注目するのは、同じ山を駆け下る岩とプロスキーヤーの違いである。デネットいわく、その岩は”統制されていない”。その軌道は物理法則で決定されるが、統制されてはいない。

    一方、スキーヤーの軌道も物理法則で決定されるが、スキーヤーは統制されている。自分の決断、スキル、体力、およびスキー板の状態がすべて、スキーヤーの軌道の決定に関わってくる。

    このように、原因作用と統制は同じものではない。すべての事柄には原因があるが、原因のあるすべての事柄が統制されているわけではない。統制には行為主体(エージェント)が必要である。

    行為主体はフィードバックによってプロセスを統制することができる。すなわち、軌道と条件に関する情報を用いて、その作用を制御できるということだ。行為主体は進化と学習によって自己統制を獲得し、それによって自身や環境のいくつかの側面も統制することができる。

    主体性と統制に焦点を当てるという考え方と対立的にとらえるべきが、デネットが”自由意志のインフレーション”と呼んでいる風潮である。これはすなわち、ほとんどの議論において、自由意志がすべてであるか、さもなければ自由意志など存在しないと決めつけられていることを指す。

    「自由意志がすべてである」という立場では、あらゆる状況に自由意志が当てはめられ、あらかじめ決定されているといえる事柄は何一つない。この立場にグリーンは反論して、物理(もっと言うと現実)は、行為主体が好き勝手に決定を下せるランダムな遊び場などではないと訴える。

    事実、とりわけミクロスケールでは、あらかじめ決定された挙動を示すような物体が観察される。一方、「自由意志など存在しない」という立場では、自由意志の可能性を完全に排除して、(統制を伴わない)原因作用だけですべてを記述できると決めつける。この見方では、行為主体が出来事に影響をおよぼしうることは無視されている。

    機械論的な説明の限界

    デネットはこの対立を解消するために、人はすべての原因作用を統制することはできないものの、一部の原因作用は統制できると指摘している。そうだとすると、ときには自由意志を行使できるが、あらゆる事柄を統制することはできないため、つねに自由意志を行使することはできない。自由意志は、ときには持てるが、つねに持てるわけではないのだ。

    このようにデネットは、主体性を原因作用の一カテゴリーとしてとらえることで、自由意志はすべてでもなければ、存在しないわけでもないと言い切った。だが一つ未解決問題が残っている。行為主体がどのようにして、そのような特別な因果的統制力を獲得するのかが不明なのだ。

    グリーンは情報のパターンに関する考え方の中でそれに似た概念に触れているが、やはりその物理を機械論的に説明することはできていない。

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  2. phrh205455 投稿作成者

    アセンブリ理論

    https://ja.wikipedia.org/wiki/アセンブリ理論

    アセンブリ理論(Assembly theory)は、基本的な構成要素から分子や物体を組み立てるのに必要な最小ステップ数を評価することによって、それらの複雑さを定量化するために開発された枠組みである。化学者 Leroy Cronin と彼のチームによって提唱されたこの理論は、分子にアセンブリ指数を割り当て、それを構造的複雑さの測定可能な指標として用いる。このアプローチは実験的検証を可能にし、選択過程、進化、そして宇宙生物学における生命存在指標の同定を理解することに応用できる。

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  3. phrh205455 投稿作成者

    How the Laws of Physics Lie

    by Nancy Cartwright

    Francis Everitt, a distinguished experimental physicist and biographer of James Clerk Maxwell, picks Airy’s law of Faraday’s magneto-optical effect as a characteristic phenomenological law.

    The appearance of truth comes from a bad model of explanation, a model that ties laws directly to reality. As an alternative to the conventional picture I propose a simulacrum account of explanation. The route from theory to reality is from theory to model, and then from model to phenomenological law. The phenomenological laws are indeed true of the objects in reality—or might be; but the fundamental laws are true only of objects in the model.

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