文明の歴史とは、人間がTameされ続けた歴史ではない

牧畜を生業にしている人々が、二十年ぶりにかつて使っていた牧草地へ戻ってきたところ、そこではすでに農耕を生業とする人々が土地を開墾して畑をつくり、作物を育てながら暮らしていたとする。牧畜民は、自分たちが昔から使ってきた牧草地を勝手に畑に変えられたと思い、こんなひどいことがあるものかと牛や馬を放って畑を荒らし、そのまま去っていく。農耕民の側からすれば、突然現れた人々によって苦労してつくった畑を荒らされたのだから、とんでもない話で、壊された畑をふたたび整備して農業を続ける。そしてさらに二十年ほど経つと、かつての牧畜民か、その子どもたちがまた戻ってきて、同じ争いが繰り返される。

こんな話を考えていると、土地を「使う」とか「所有する」というのは、私たちが思っているほど単純なことではないように思えてくる。牧畜民が二十年に一度戻ってくる土地も、農耕民から見れば(長いあいだ誰もやって来なかった土地は)使われていない土地に見えるし、そこを苦労して開墾し、毎年種を蒔き、作物を育ててきたのだから、自分たちの土地だと考えるのも自然なことだろう。しかし牧畜民から見れば、その土地は二十年間放置されていたわけではなく、二十年に一度戻ってくることまで含めて、自分たちが利用してきた場所だったのかもしれない。

牧畜民が生きている世界では、土地は場所だけで成り立っているわけではない。春に使う場所があり、夏に使う場所があり、冬に使う場所があり、さらに十年、二十年に一度の厳しい干ばつのときにだけ利用する場所があるとすれば、その土地に長い間誰もいなかったからといって、使われていなかったことにはならない。いつ来るかわからない厳しい年のために残してある牧草地なら、使わない時間まで含めて利用していることになるからだ。一方、農耕民は同じ土地を毎年耕し、そこに種を蒔き、収穫することで暮らしているので、土地との関係はどうしても固定的になる。そう考えると、牧畜民と農耕民の衝突は、単に二つの民族や二つの生業が同じ土地を奪い合っているというだけのことではなく、一つの土地の上に異なる時間の感覚が重なってしまったことから生まれる争いとも言える。

だから農耕民の側に記録が残れば、「ある日突然、牧畜民がやって来て畑を荒らした」と書かれるだろうし、牧畜民の記憶の中では、「久しぶりに自分たちの牧草地へ戻ってみると、知らない人間が勝手に畑をつくっていた」という話になるだろう。奇妙なことに、どちらも嘘をついているわけではないのに、双方が「侵略されたのは自分たちだ」と感じることができる。

ところが、ここに国家が入ってくると、この微妙な均衡は少しずつ崩れていく。移動する牧畜民の土地利用は地図の上に線を引きにくく、誰が、いつ、どこの土地を使うのかも、季節や降雨や草の状態によって変わってしまう。それに対して農地なら、この畑はここからここまでと境界を決め、面積を測り、所有者を記録し、土地台帳に載せ、そこから税を取ることもできる。国家という仕組みは、どうしても後者の世界と相性がいい。

こうして土地を測量し、境界線を引き、用途を定め、所有者を登録していくと、それまで「ある季節になったら誰かがやって来て使う場所」だった土地が、「一年を通して特定の誰かに属する区画」へと変わっていく。昨日まで当然のようにそこを通り、家畜を放していた人々が、いつの間にか他人の土地へ入り込んだ「侵入者」と呼ばれるようになるとすれば、変わったのは牧畜民のほうではなく、むしろ制度によって土地の意味が変えられたのだと考えたほうがいいのかもしれない。

ここから、国家が人間をTameしていくとき、最初から人間そのものを直接Tameする必要はないのではないか、という考えが浮かんでくる。複雑で流動的だった空間を測り、そこに境界線を引き、用途を決め、所有者や利用者を明らかにし、国家から読み取ることのできる空間へと変えてしまえば、その空間の中で暮らしている人間の行動も自然に変わっていく。牧草地を区画して、その外では家畜を放せないようにすれば家畜の移動範囲は狭くなり、家畜が動けなくなれば、それを追って暮らしていた人間も動きにくくなる。人間に直接「ここから動くな」と命じなくても、人間が移動できる空間そのものを小さくしてしまえばいい。

そう考えると、土地が固定され、人が固定され、住所が与えられ、そこから人を数え、登録し、分類し、税や義務を割り当てていくという一連の動きが見えてくる。土地、住所、戸籍、学校、徴税、国境といったものは、それぞれ別の目的でつくられた制度ではあるけれど、文明史の大きな流れの中では、人間と空間を国家から読み取れるものにしていく同じ方向を向いているようにも見える。

やがて国家は空間だけでなく、人間の時間にも入り込むようになる。日の出や日没、季節の移り変わりに合わせていた生活は、学校の始業時刻、工場の勤務時間、鉄道の発車時刻のような均質な時計の時間によって組み直され、近代を経て現代へ来ると、今度は人間の行動そのものが情報として記録されるようになる。かつて土地を測量し、境界を引くことで国家が空間を読めるようにしたとするなら、現代社会では人々の行動をデータにすることで、国家や企業や機械が人間を読めるようにしているのかもしれない。

こうして見ると、土地をTameし、人間をTameし、時間をTameし、さらに情報までTameしていくという、文明の非常に長い流れが見えてくるのだけれど、それだけでは文明史を一方向に見すぎているようにも思えてくる。なぜなら、どれほど強力な国家が生まれても、人間が完全に制度の中へ収まってしまったことなど、実際にはほとんどなかったのではないかと思えるからだ。

そもそも、定住しない人々をTameすることは、昔の国家にとって容易ではなかった。牧畜民は季節とともに行政境界を越え、焼畑をする人々は森の中を移動し、漁民は海へ出て、狩猟をする人々は山へ入っていく。彼らにとって土地は、必ずしも所有するものではなく、必要なときにそこへ行けることのほうが大切だった。特定の一点に生活のすべてを結びつけないこと、言い換えれば移動できることそのものが、国家によるTamingから少し距離を取るための余白になっていたとも考えられる。

ただ、だからといって、移動する人をUntamedな人、定住した人をTamedな人と分けてしまうと、また別の間違いを犯すことになる。移動してきた人間がある土地に定住した途端、それまで持ち運んできた知識や技術を使って、今度は周囲の世界をTameする側へ回ることもあるからだ。

古代の日本列島へ渡ってきた人々のことを考えると、このことがとてもよく見えてくる。朝鮮半島や大陸から海を渡ってきた人々の中には、鉄を加工する技術を持つ人、機を織る人、土器を焼く人、文字を扱う人、馬を扱う人など、列島社会に新しい技術や知識を運んできた人々がいた。新しい土地へやってきたばかりの彼らは、土地を十分に持っているわけでもなく、その土地の古い血縁関係に深く組み込まれているわけでもないのだから、一見するとTameされる側に見える。

それでも彼らには、土地とは違う資産があった。それが知識だった。

鉄を扱う知識を持った人が新しい土地に腰を下ろせば、そこにある森や木や石や土の意味そのものが変わっていく。木から炭をつくり、鉱石から鉄を取り出し、その鉄から斧や鍬をつくることができれば、斧によって森を開き、鍬によって土地を耕すことができるようになる。土地そのものを持っている者よりも、その土地や自然を別のものへ変換する方法を知っている者のほうが、大きな力を持つことさえあり得る。

そうなると、定住はTamingの終着点とは限らず、むしろ新しいTamingが始まる場所にもなる。王権との関係も同じで、移住してきた技術者には土地や資源や政治的な保護が必要だったとしても、形成されつつある王権の側にも彼らの持っている技術が必要だった。王権は技術者を自らの秩序の中へ取り込もうとする一方で、鉄器や文書、工芸や土木などの技術を受け入れることによって王権そのものが変化し、その統治する力を強めていく。王権が技術者をTameしているように見えて、技術者によって王権の姿も変えられているのだから、そこにあるのは一方向のTamingというより相互Tamingと呼ぶべき関係なのだろう。

こうして考えていくと、移動するということの意味も変わってくる。移動とは支配から逃れることだけではなく、異なる世界の間を行き来し、一方の世界では当たり前だった知識を、まだそれを知らない別の世界へ運んでいくことでもある。朝鮮半島から日本列島へ、山から平地へ、農村から都市へ、ある国から別の国へと境界を越えるたび、人間は複数の世界を見ることになり、その一つの世界ではありふれた知識が、別の世界では珍しく価値のある知識になることがある。そうだとすれば、文明を動かしてきた重要な存在は、定住者か移動者かという二分法では捉えられず、むしろ境界を越えて知識を運ぶ人々だったのかもしれない。

そこまで考えると、TamedとUntamedも人間の固定した属性ではなくなってくる。ある人は国家の制度にはTameされながら、その制度から得た保護や資源を利用して鉄をTameし、土地をTameし、他の人々の暮らしを変え、その結果として国家が人々をTameする力まで強めることがある。Tameする者とTameされる者は別々の人間ではなく、ときには同じ人間の中に同時に存在し、その位置は絶えず入れ替わっていく。

そして、国家の側もどれほど制度を整えたところで、その内側に暮らす人間を完全に包み込めたわけではなかった。江戸幕府が日本列島のかなり広い範囲に統治の網を広げていた時代でさえ、山や深い森林、離島、海、街道から外れた場所へ行けば、その網の目は粗くなっていた。秋田のマタギのような人々も、もちろん幕府や藩とは無関係な世界で生きていたわけではなく、村や市場とつながり、ときには農業や林業にも携わりながら暮らしていたけれど、山へ入れば平地の村とは違った秩序の中で生きることができた。

ここで面白いのは、彼らが制度の内側にいたのか外側にいたのかと二者択一で考える必要がなくなることだろう。村にいれば制度との結びつきは濃くなり、山へ入ればその結びつきが少し薄くなり、獲物を売れば再び市場経済につながり、そこから森の奥へ入れば国家の視線から遠ざかっていく。人は制度に片足を置いたまま、もう片方の足を制度の届きにくい場所へ置くことができたのであり、そこに生まれる曖昧な領域こそ、文明が完全には埋め尽くすことのできない「余白」だったのではないか。

そう考えると、Untamingもまた、Tamingから完全に脱出するという劇的な出来事でなくていいことになる。農民が山へ入り、職人が旅に出て、漁民が海へ出て、商人が国境を越えるとき、人間と制度との距離は少しずつ変化する。国家そのものから逃げ出さなくても、その内部に暮らしながら、国家には完全には記述されない部分を自分の中に残すことはできる。

このことは、現代の海外移住を考えるともっと面白くなる。今では東京からバンコクへ移ったところで国家から姿を消せるわけではなく、パスポートや在留資格、税、銀行口座、通信、社会保障などを通じて、どこへ行ってもさまざまな制度との関係を持ち続けることになる。昔の国家が人を土地に固定することでTameしようとしていたのに対して、現代の国家や企業は、人間が国境を越えて移動しても制度とのつながりを維持できるようになっているという意味では、Tamingの力はむしろ強くなっているのかもしれない。

その一方で、国境を越えることによって初めて得られる自由もある。一つの社会の中だけで長く暮らしていると、その社会の制度や価値観がいつしか自然法則のように思えてくるけれど、別の国で生活してみれば、働き方も家族との関係も、宗教との距離も、国家との付き合い方も必ずしも同じではないことに気づく。「人間とはこういうものだ」「社会とはこうでなければならない」と思っていたものが、実は「この社会ではこうしている」にすぎなかったと気づくことができるなら、複数の制度を比較できること自体が現代のUntamingの一つなのかもしれない。

もちろん、海外移住そのものをUntamingと呼ぶことはできない。日本を離れて別の国へ移り、そこで仕事を持ち、家を持ち、その国の制度に深く組み込まれて暮らすようになれば、一つのTamingから別のTamingへ移っただけと見ることもできる。それに対してデジタルノマドの面白さは、仕事と場所との結びつきを弱め、「この場所に住まなければこの仕事ができない」という制約を小さくしたところにある。

ただし、そこでも国家は黙って見ているわけではない。国境を越えながら仕事を続ける人々が増えれば、やがて「デジタルノマド」という名前が与えられ、その人々のための法的カテゴリーやビザがつくられていく。制度から少しはみ出すようにして始まった生き方が、名前をつけられ、分類され、登録できるものになり、その瞬間から再び制度の内側へ取り込まれ始める。このように考えると、Untamingそのものが、時間とともにTameされていくという少し不思議な循環さえ見えてくる。

けれども、人々はそこからまた新しい余白を見つけていく。一つの国を捨てて別の国へ完全に移住するのでもなく、かといって世界中を絶えず移動し続けるのでもなく、複数の場所に生活の足場をつくり、それぞれの社会にある程度深く関わりながら、どれか一つだけには完全に依存しないという生き方もその一つだろう。一つの場所が窮屈になればもう一つの場所へ重心を移し、そちらに問題が起こればまた戻ることができるなら、世界はもはや「ここで生きるしかない」という閉じた場所ではなく、「ここも、自分が生きることのできる場所の一つ」として見えてくる。

そうなると、現代のUntamingにとって重要なのは、どこにも属さないことではなく、むしろ複数の世界に部分的に属することで、どれか一つの世界に完全には所有されないことなのかもしれない。「ここしかない」という状態を「ここでなくてもいい」という状態へ変えること、その離脱可能性を失わないことが、現代における自由の一つの形になっているように思える。

振り返ってみれば、人間は昔から似たことを繰り返してきた。牧畜民は一つの牧草地ではなく複数の場所へ行けることで生存の余地を残し、マタギは村と山を往復し、職人や商人は土地から土地へ移動し、海を渡ってきた技術者たちは異なる世界から得た知識を新しい土地へ運んだ。移民は国境を越え、現代のデジタルノマドや多拠点生活者は、仕事と居住地、生活と国家との結びつきを少しずつ解きほぐそうとしている。

しかし、そうして新しい余白が生まれるたびに、制度もまたその余白を追いかけてくる。森が測量され、牧草地に境界が引かれ、移動する人間が登録され、移民には在留資格が与えられ、デジタルノマドにも名前とビザが与えられる。そうやって余白が制度の中へ取り込まれていっても、それですべてが終わるわけではなく、人間は再び制度の境界へ移動し、そこで異なる人と出会い、異なる知識を手に入れ、別の場所へ移り、新しい暮らし方をつくり始める。その新しい場所では、昨日までTameされる側にいた人が、今度は自然や技術や他の人間をTameする側へ回ることもあり、そこから生まれた新しい秩序が、やがてまた別の人々をTameし始める。

そう考えるなら、TamingとUntamingは、支配する者と逃げる者という二種類の人間の物語ではなかったのだろう。同じ一人の人間の中にさえ、TameすることとTameされること、制度に入ることとそこからこぼれ落ちることが同居していて、その人は生涯の中で何度もその位置を変えながら暮らしている。

だとすれば、文明の歴史を、かつて自由だった人間が農耕を始め、土地に縛られ、国家に登録され、制度によって次々とTameされ、最後には逃げ場を失っていくという一方向の物語としてだけ見る必要はないのかもしれない。制度が強くなるたび、その制度が覆い尽くすことのできない境界がどこかに生まれ、人間はそこへ移動し、新しい生き方を試し、異なる世界の知識を運び込み、いつかその余白からまた新しい秩序をつくってきたと考えれば、人間の歴史はもっと揺れ動くものとして見えてくる。

文明の歴史とは、人間がTameされ続けた歴史ではない。制度が人間を包み込もうとするたびに、人間がその境界から少しずつこぼれ落ち、新しい余白を見つけ、そこで別の生き方をつくり、やがてその余白も再びTameされていく。その終わりのない往復の歴史なのではないか。

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