国家は、戦争に敗れただけでは滅びないのではないか。Tamingについて考えるなかで、ふとそんなことを思った。
ここでいう国家の消滅とは、国際法上の国家が消えることだけを意味しない。独立した意思を持ち、自らの未来を自ら決めようとする共同体が失われることまで含めて考えてみたい。そう考えるなら、国家は征服されたときではなく、Tameされたときに初めて、本当の意味で滅び始める、と言えるのではないだろうか。
戦争に敗れ、軍隊が崩壊し、首都を占領され、領土を外国軍の管理下に置かれても、それだけで国家が消えるとは限らない。「これは自分たちの国だ」「占領者は外国人だ」「いつか再び自分たちで統治する」という認識が人々のなかに残っているなら、その国家は物理的には支配されていても、まだTameされてはいない。むしろ苛烈な占領ほど、「われわれ」と「彼ら」の境界をはっきりさせ、共同体としての自己認識を強めることさえある。
敗戦とTamingは、同じではない。
逆に、戦争をしなくても国家がTameされていくことはあり得る。ある社会の指導者も国民も、より大きな国や文明圏の制度に合わせることを当然と考え、その安全保障に依存し、経済、法律、教育、技術までその秩序のなかで組み立てるようになれば、国旗や政府や国境が残っていても、その秩序とは異なる未来を構想する力は少しずつ弱くなっていくかもしれない。
そう考えると、国家には二つの死があることになる。一つは制度的な死で、国家としての存在そのものを失い、他国に吸収されたり、複数の国家に解体されたりすることだ。
もう一つは、主体としての死だ。自分たちで制度をつくり、自分たちで未来を決め、必要なら外部の秩序とは異なる道を選ぶ。その能力だけではなく、そうしようとする欲望まで失っていく。
Tamingという言葉で考えたいのは、もちろん後者だ。
国家とは、領土や政府や国民だけでできているのではないのかもしれない。「われわれは自分たちの未来を自分たちで決めることができる」という集団的な想像力も、国家を国家として成り立たせているものの一つではないだろうか。その想像力が失われ、その秩序の外側にいる自分たちを思い描くことさえできなくなったとき、国家は深い意味でTameされ始める。
そのことを考えるために、戦後の日本を見てみたい。
ただし、戦後日本がアメリカに一方的にTameされた、という単純な話にするつもりはない。むしろ日本が興味深いのは、敗戦による強制から始まった関係が、利益による適応、日本側自身による選択、そして制度の自己再生産へと変化していったところにある。Tamingという感覚そのものが薄れていく最後の段階こそ、もっとも深いTamingなのかもしれない。
1945年8月、日本は全面的な軍事的敗北を経験した。しかし、敗戦した瞬間に日本社会そのものがアメリカ型になったわけではない。政治制度や官僚機構、社会倫理、家族制度、企業、教育、天皇制など、多くの部分には戦前からの連続性が残っていた。つまり日本は軍事的には敗北したが、それだけでTamingが完成したわけではなかった。
状況を大きく変えたのは、その後の占領だった。占領軍は日本列島を軍事的に管理するだけではなく、日本社会を動かしていた制度そのものに介入した。しかも、占領軍が日本人一人ひとりを直接統治したのではない。日本政府という既存の統治機構を利用し、それを通して社会を変えていった。
戦後の憲法制定は、その象徴的な出来事だった。外部から持ち込まれた原理が日本の制度へ翻訳され、やがて国民主権、基本的人権、議会制民主主義、文民統制、平和主義といった原理が、戦後日本そのものの正統性を支える価値になっていった。
ここで重要なのは、新しい価値の起源そのものよりも、それを受け取る主体が変わっていったことだろう。「アメリカが日本にそうさせている」という関係が、いつしか「われわれ自身がこの制度を支持する」という関係へ変わっていった。
ここにTamingという考え方の核心がある。
さらに冷戦が進むと、アメリカが望む日本の姿そのものも変化していった。日本を単に無力化するのではなく、アメリカを中心とする国際秩序を支える安定した国家として再建することの重要性が増していく。
そして1951年、日本はサンフランシスコ平和条約と同じ日に旧日米安全保障条約に署名した。占領終了後も米軍は日本に存在し続けたが、その存在の根拠は「日本が敗戦国だから」から、「日本政府が条約によって認めているから」へと変わった。外部からの強制だった関係が、制度的な同意を伴う関係へ姿を変えたことになる。
もちろん、これを単純に「アメリカが日本に押し付けた」とだけ考えると、本質を見失う。日本側にも大きな利益があった。安全保障の多くをアメリカに依存することで、国内の復興と経済発展により多くの資源を向けることができたからだ。
ここからTamingは、より複雑になっていく。もはや「従わされている」というだけではない。「この関係のなかにいたほうが得だ」と、Tameされる側自身が考えるようになる。
1960年の日米安全保障条約改定以降、この性格はいっそう明確になる。日本には政府があり、選挙があり、独自の法律があり、独自の外交がある。日本がアメリカに吸収されたわけではない。それでも、安全保障政策の大きな部分は日米同盟を前提として設計されるようになった。
つまり、命令される日本から、自らアメリカ中心の秩序を選び、その関係を自ら再生産する日本へと変化していった。
この過程を単純化するなら、Tamingには三つの段階があるように思う。最初は強制で、「そうしろ」と命じられる。次に利益へ移り、「そうしたほうが得だ」と考える。そして最後には内面化が起こり、「これが普通だ」と感じるようになる。
Tamingが深くなるほど、Tamerは見えなくなっていく。
ただし、日本はアメリカになったわけではない。日本語も天皇制も残り、行政官僚制や企業社会にも独自の特徴が残った。アメリカの政策に反対する政治運動や思想も存在し続けた。だからTamingを、文化やアイデンティティの消滅と考えてはいけない。
むしろ、こう考えたほうがいいのかもしれない。
国家は、他者がつくった秩序のなかで生きているからTameされるのではない。その秩序の外側で自分たちの将来を構想し、必要なら別の関係へ移る能力を失っていくときに、Tameされていく。
すると、法的には主権国家でありながら、より大きな秩序から離れにくくなった国家という、奇妙な存在が見えてくる。政府も選挙も国旗もあり、国際社会の一員でもある。しかし安全保障、金融、貿易、技術、通信などの基盤を、自国を超えた巨大な秩序のなかに置いている。
敗戦、占領、同盟、従属、Taming、国家消滅は、同じことではない。国家は、より大きな秩序へ深く組み込まれながら、国家として存続することができる。
戦後日本の場合、その組み込まれ方は、安全保障だけにとどまらなかった。経済について考えると、もっと複雑な姿が見えてくる。
戦後日本はドルを中心とする国際経済秩序へ入っていったが、当初からその単なる「部品」だったわけではない。むしろ日本はその枠組みを利用しながら、国内で生産し、世界へ輸出し、外貨を稼ぎ、その富を国内へ投資して生産能力をさらに高めるという、自律性の高い経済循環をつくり上げていった。アメリカ中心のシステムから離れたのではなく、その内部で日本自身を巨大化させたのだ。
やがて1980年代になると、その強さ自体が日米間の摩擦を生むようになる。対米貿易黒字が拡大し、市場、金融制度、商慣行などが問題とされ、1985年のプラザ合意以降、円は急速に上昇した。日本国内でも、輸出依存から内需中心の経済への転換や、国際的な経済不均衡の是正が重要な政策課題として意識されるようになった。
Tamingという観点から興味深いのは、この頃から「日本経済をどう強くするか」だけでなく、「国際システムとの摩擦をどう小さくするか」が政策上の大きな問題になっていったことだ。
もちろん、プラザ合意からバブル、そして長期停滞までを単純な一本の因果関係で説明することはできない。ここで見たいのは、日本経済と国際経済システムとの関係そのものが変化していったことだ。
安全保障では、敗戦後の比較的早い時期にアメリカとの結びつきが制度化された。しかし経済では、日本は長いあいだ強い自律性を保ち、むしろアメリカ中心の国際秩序を利用して自らを強くしていった。その意味では、安全保障上のTamingは早く進んだが、経済的なTamingはもっと長い時間をかけて進んだ、と見ることができる。
そして経済的な関係が深まるほど、単純な「支配する側と支配される側」という図式も成り立たなくなった。日本は国内で生まれた資金の一部を海外へ投資し、巨大な対外資産を持ち、そこから所得を得る側にもなった。ドルを中心とする国際金融秩序に組み込まれながら、その秩序の安定によって利益を得てもいる。
ここに、経済的Tamingの逆説が見えてくる。
人は利益を奪われるから、システムから離れられなくなるとは限らない。むしろ、利益を得ているからこそ、離れられなくなることがある。
Tamingとは、必ずしも命令されることではない。上位システムとの関係が自分自身の利益になり、長い時間をかけて生活や制度がその関係を前提とするようになり、やがてそのシステムから切り離された自分を想像しにくくなる。そのほうが、より深いTamingなのかもしれない。
こう考えていくと、日米関係は軍事や政治だけでも、経済や金融だけでも捉えきれない。技術、文化、思想、情報まで重なった、一つの生態系として見る必要が出てくる。
その出発点には、1945年の勝者と敗者という明確な非対称性があった。しかし経済的な結びつきが両国を離れにくくし、さらにコンピューター、半導体、インターネット、クラウド、AI、金融インフラなどの技術体系が両国の社会を深く結びつけていった。思想なら「私はそれを受け入れない」と言える。しかし、企業活動、金融市場、研究開発、情報システムまで同じ生態系のなかに入れば、そこから離れるためのコストは大きくなる。
文化では、関係はさらに複雑になる。戦後の日本人は、命令されたからアメリカの映画を観たり、音楽を聴いたり、服装や食文化を取り入れたりしたわけではない。それらに魅力を感じ、自ら取り入れた。一方で、アニメ、漫画、ゲーム、日本食などはアメリカを含む世界へ広がっていった。
思想や価値観についても同じことが言える。自由、民主主義、人権、個人の尊重、法の支配など、戦後の制度と強く結びついた価値は、しだいに「外国から与えられたもの」という感覚を失い、日本人自身が守ろうとする価値になっていった。
ここまで来ると、「アメリカが日本をTameした」という一方向の説明では足りなくなる。
日本の企業や資本はアメリカ社会のなかへ入り、日本文化もアメリカ社会へ浸透している。一方でアメリカも、日本列島の地政学的位置、日本の経済力、技術力、資本を自らのシステムの一部として利用している。長い時間のなかで、双方が相手との関係を前提として自らを形づくるようになった。
これは、人間と馬の関係にも少し似ている。
人間が馬をTameした。しかし騎馬社会が成立すると、人間の戦争、物流、国家の領域、生活そのものが馬を前提とするようになり、人間の社会もまた馬によって形づくられる。最初はAがBをTameしたはずなのに、長い時間が経つと、AもBとの関係によって変わってしまう。
日米関係も、この意味では相互Tamingと考えることができる。
ただし、それは対等な相互Tamingではない。出発点は敗戦と占領であり、安全保障や金融などでは、アメリカ側のシステムの規模が圧倒的に大きい。現在の日米関係を考えるなら、「非対称な相互Taming」という表現が近いのかもしれない。
そして、この考えをもう一歩進めると、さらに重要な疑問が浮かんでくる。
日本をTameしているのは、本当にアメリカなのだろうか。
長い時間が経過した現在では、日本もアメリカも、日米同盟、ドル体制、国際金融市場、技術体系、企業ネットワークといった巨大なシステムの内部で行動している。その全体を、一人の政治家や一つの政府が自由に動かしているわけではない。
そう考えるなら、日本はアメリカという国家にTameされたというより、日米の双方がつくり上げ、双方が依存するようになった巨大なシステムそのものにTameされている、と考えたほうがいいのかもしれない。
人が制度をつくったはずなのに、やがて制度のほうが人をTameする。ここでも、これまで考えてきたTamingの逆転が起きている。
しかし、相互Tamingになれば問題がなくなるわけではない。相互依存には、常に非対称性が残るからだ。
重要なのは、互いに依存しているかどうかだけではない。相手を失ったとき、どちらがより困るのか。そして、相手から見た自分がどれほど代替可能なのかということだ。
自分にとって相手は「なくてはならない存在」なのに、相手にとって自分は「あると便利だが、なくても代わりがある」という状態になれば、形式的には相互依存でも、実質的には大きく非対称な関係になる。
この非対称なTamingには、いくつかの行き先が考えられる。
一つは吸収だ。弱い側が制度、文化、経済のすべてを強い側へ合わせていき、独立した単位として存在する意味そのものが薄くなっていく。
もう一つは部品化だ。弱い側は消滅せず、むしろ繁栄することさえある。しかし、その存在が「自分自身のため」から、「より大きなシステムのなかで特定の機能を果たすこと」へ変わっていく。
部品であることは、必ずしも悲惨ではない。むしろ重要な部品であるあいだは、非常に快適かもしれない。問題は、その部品が代替可能になったときに現れる。
ここで、再び馬のことを考えてみたい。
馬は長いあいだ、人間文明にとって不可欠だった。戦争を変え、輸送を支え、農業を助け、その存在を前提として社会のさまざまな仕組みがつくられた。
ところが鉄道、自動車、トラック、トラクターなどがその機能を代替できるようになると、馬は文明の中心から急速に周縁へ移っていった。
重要なのは、かつてどれほど必要とされていたかではない。今も代替できない存在なのかどうかなのだ。
国家についても、この「代替可能性」という視点を加える必要があるのではないだろうか。
これまでTamingを、強制、利益、内面化という三つの段階で考えてきた。しかし非対称なTamingの危険を考えるには、自分が相手へどれほど依存しているのかだけでは足りない。相手から見た自分が、どれほど代替可能なのかを同時に考えなければならない。
自分は相手なしでは生きられない。しかし相手は、自分を簡単に取り替えられる。これがおそらく、非対称なTamingの最も危険な状態だ。
反対に、自分も相手なしである程度生きることができ、相手にとっても自分を簡単には代替できないのなら、その関係はより対等な共生に近づいていく。
だから、国家が守るべきものは、完全な独立ではないのかもしれない。
現代の国家が、安全保障、エネルギー、金融、技術、通信、貿易のすべてを自国だけで完結させることは現実的ではない。国家も人間と同じように、他者との関係のなかで生きている。
だとすれば、守るべきものは依存しないことではなく、依存関係を組み替えることのできる余白なのではないだろうか。
これは、自由というものによく似ている。
自由とは、誰にも依存しないことではない。人間は他者に依存し、国家も他国に依存しながら生きている。問題なのは依存することではなく、一つの依存関係から離れることも、別の関係へ移ることもできなくなることだ。
そう考えると、Tamingの境界も見えてくる。
依存しているからTamedなのではない。依存先を選び直す能力を失ったとき、人も国家もTamedになる。
そして非対称なTamingでもっとも危険なのは、おそらくそこに時間差が生まれることだ。
弱い側は、強い側との関係こそ自分の繁栄と安全を保証するものだと学び、その関係を制度化し、長い時間をかけて生活のなかへ組み込み、ついにはその外にいる自分を想像できなくなっていく。
ところが同じ時間のなかで、強い側にとっては、技術や地政学や経済の変化によって、弱い側が以前ほど不可欠ではなくなっているかもしれない。
すると、奇妙な逆転が起こる。
弱い側にとって相手が「なくてはならない存在」になった、その頃に、相手にとって自分は「なくてもいい存在」になっている。
非対称なTamingの本当の危険は、支配されることそのものにはないのかもしれない。
自分が相手なしでは生きられなくなったとき、相手のほうはすでに自分なしでも生きられるようになっている。そして、そのことに気づいたときには、別の関係をつくる能力まで失われているかもしれない。
だから国家にとって最後に守るべきものは、誰にも頼らずに生きることではない。
関係を変えられること。依存先を増やせること。必要なら距離を取れること。そして何より、現在とは別の未来をまだ想像できることなのだろう。
国家は、戦争に敗れただけでは滅びない。
本当に危うくなるのは、敗北したときではなく、自分たちには別の未来もあり得るという想像力と、その未来へ移るための余白を失ったときなのかもしれない。