石牟礼道子は『西南役伝説』の「あとがき」に、「目に一丁字もない人間が、この世をどう見ているか、それが大切である」と書いている。そして、そのあとに続く言葉が、私はとても気になる。「権威も肩書も地位もないただの人間がこの世の仕組みの最初のひとりであるから」というのである。『西南役伝説』は、西南戦争の戦場となった南九州の古老たちの語りを聞き書きの形で残した作品であり、石牟礼道子自身、「人ひとり」から家ができ、村ができ、町や社会や文化が生まれていく、その「文化の根っこ」を考えようとしていたという。
「この世の仕組みの最初のひとり」という言葉は不思議である。普通なら、この世の仕組みをつくるのは、王であり、政治家であり、官僚であり、学者であり、何かを決める力を持った人間だと思う。ところが石牟礼道子はそう考えない。権威も肩書も地位もない、それどころか文字さえ知らないかもしれない、ごく普通のひとりの人間から、この世の仕組みを考えようとする。
Tamingについて長く考えてきたせいだろうか、この「最初のひとり」という言葉が、私には以前とは少し違って聞こえる。
人間の文明は、ものに名前をつけ、分類し、関係を定めることによって大きくなってきた。土地を測り、境界を引き、所有者を決める。人が生まれれば名前をつけ、家族や国家の一員として登録する。学校へ行けば学年がつき、試験を受ければ成績がつき、大人になれば職業や肩書がつく。国家から見れば国民になり、企業から見れば労働者や消費者になり、統計のなかでは年齢、所得、職業、居住地などによって分類される。こうしたことがなければ、何千万、何億という人間が一緒に暮らす社会をつくることは難しい。
それもまたTamingなのだと思う。
Tamingとは、荒々しいものをおとなしくすることではない。予測不能なものを、その性質を完全には失わせることなく、ある関係のなかで予測可能なものへ変えていくことである。そう考えるなら、文明は自然をTameしてきただけではない。火をTameし、水をTameし、土地をTameし、植物や動物をTameすると同時に、人間をも、そして人間が経験した過去までも、理解し、分類し、予測し、取り扱うことのできるものへ変えてきた。
歴史もそうなのだろう。
現実に起きた出来事は、もともとは雑然としている。同じ戦争を経験しても、ある人には国家の命運を決めた戦争であり、別の人には父親を失った出来事であり、また別の人には家を捨てて逃げた日の記憶でしかないかもしれない。それら無数の経験を、後世の人間は年代順に並べ、原因と結果を考え、勝者と敗者を定め、一つの名前をつける。そうすることによって、ばらばらだった無数の経験は「歴史」という理解可能なものになっていく。
それは必要なTamingである。そうしなければ、私たちは過去について他人と話すことさえ難しい。しかし、歴史が理解可能になるとき、同時にそこからこぼれ落ちるものがある。歴史にとって重要なことと、それを生きた一人の人間にとって重要だったことは、必ずしも同じではないからである。
だから石牟礼道子は、出来上がった歴史をもう一度、名もない一人の人間のところまで戻してみたのではないだろうか。『西南役伝説』では、教科書に名前を残した人物だけではなく、その時代の日々を生きた市井の人々の声や語りを通して西南戦争が描かれている。 そこへ戻ると、歴史は再び少し曖昧になる。公的な記録とは違う記憶があるかもしれず、人から人へ伝わるうちに伝説になった話もあるかもしれない。それでも、ある人には世界がそう見えていたという事実が残る。
そう考えると、石牟礼道子がやっていたことは、Tameされた歴史を再びUntameすることだった、と言えるのかもしれない。
もちろん歴史を壊すという意味ではない。正確な年代や史料に基づく歴史を否定することでもない。ただ、整然とした歴史の外側に、そこには収まりきらない人間の経験を残しておくのである。
そして、これは歴史だけの問題ではない。
人間についても同じことが起きている。私たちは生きているあいだに、いくつもの名前を与えられる。国籍、学歴、職業、所得、思想、世代、性格。現代なら検索履歴や購買履歴や位置情報や人間関係からも、その人がどんな人間なのかを推測することができる。それらを集めれば集めるほど、人間は「分かるもの」になっていく。これも文明が人間をTameしていく一つの方法なのだろう。
けれども、どれほど多くの情報を集めても、その人と完全に同じものにはならない。肩書を取り去り、学歴を取り去り、職業を取り去り、思想や国籍や統計上の属性まで一度脇へ置いてみたあとにも、何かを見ている一人の人間が残る。
おそらく石牟礼道子がいう「ただの人間」は、そこにいる。
文字を知らないことそのものが尊いということではない。無知を美化する必要もない。そうではなく、誰かによって世界の説明を与えられるより前に、自分自身の眼で何かを見ている人間がいるということである。
ここから考えると、教育についても少し違ったものが見えてくる。人は教育によって世界について多くのことを知る。しかし同時に、世界をどのように見るべきかも覚えていく。国家、文明、発展、正常、異常、成功、失敗、中心、周縁。そうした言葉を獲得することによって初めて見えるものがある一方、その言葉を通してしか見えなくなるものもある。知識を持つこととは、世界を見る眼を増やすことであると同時に、ときには一つの見方に世界をTameしていくことでもある。
国家も科学も学校も、そしてAIも、人間についてますます多くのことを知るようになるだろう。それによって社会は安全になり、便利になり、病気を予測し、犯罪を防ぎ、一人ひとりに適した教育やサービスを提供できるようになるかもしれない。それはTamingの大きな成果であり、ただ否定すればいいものではない。
しかし、人間について知る能力が大きくなればなるほど、逆に問わなければならなくなることがある。
人間は、どこまで「分かるもの」になっていいのだろう。
以前、Tamingについて考えるなかで、成熟した文明とは、Tamingする能力を極限まで高めた文明ではなく、どれほどその能力を手に入れても、あえてTameしない場所を残すことのできる文明ではないかと考えたことがある。すべてを測定できるからといって測定せず、すべてを記録できるからといって記録せず、すべてを予測できるようになったとしても、人間の未来をあらかじめ決まったものとして扱わない。その不完全さは文明の未熟さではなく、むしろ文明が成熟したからこそ選び取ることのできる抑制なのかもしれない。
そして、その最後までTameしない場所がどこにあるのかを考えていると、石牟礼道子の「最初のひとり」という言葉へ戻ってくる。
社会がその人を国民と呼ぶ前に、人間がいる。学校が成績をつける前に、人間がいる。会社が職業や役職を与える前に、人間がいる。統計が属性に分類する前に、人間がいる。そして歴史が「庶民」「住民」「被害者」「兵士」と名づける前にも、世界を見ていた一人の人間がいる。
その人が見ている世界を、制度が完全に代理してしまわないこと。国家が「あなたはこういう人間だ」と言っても、それがその人のすべてにはならないこと。AIがその人の次の行動をかなり正確に予測できるようになったとしても、その予測から外れる余地がその人自身に残されていること。そこまで含めて初めて、「Tameしない場所を残す」ということの意味が見えてくるように思う。
文明にはTamingが必要である。人間は、何も分類せず、何も予測せず、何の規則も持たずに何億人もの社会を営むことはできない。だから問題は、Tamingするか、しないかではない。どこまでTameし、どこから先をTameしないでおくかなのである。
権威も肩書も地位も取り去ったところに、それでもこの世界を見ている一人の人間がいる。その眼に映る世界まで、国家や社会や学問やAIの眼に置き換えてしまわないこと。説明できないものを、ただ説明が足りないものとして埋め尽くしてしまわないこと。そして、一人の人間のなかに、その人自身にもまだ分からない部分を残しておくこと。
「ただの人間」とは、文明が最後までTameしてはいけない場所の名前なのかもしれない。